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観仏日々帖

古仏探訪~京都展覧会巡りで目を惹いた仏像 ②京都 勝光寺・聖観音像 【2019.10.26】


【知られざる9世紀の優作、勝光寺・聖観音像が展示会に
~京都市歴史資料館「京都市指定の文化財」展】

「あの勝光寺の聖観音が、京都市歴史資料館に展示されているよ!」

思わぬ話を、ある同好の方から教えていただきました。

「エーッ!本当ですか? そんな情報、まったく知りませんでした。」

と、ビックリしてしまいました。

京都 勝光寺・聖観音像(平安前期・京都市指定文化財)
京都 勝光寺・聖観音像(平安前期・京都市指定文化財)

勝光寺の聖観音像といっても、ほとんど知られていない仏像だと思いますが、私にとっては、大注目、お気に入りの仏像なのです。
間違いなく、9世紀、平安前期の檀像風一木彫像です。
そして、妖しいオーラで心をとらえ、惹きつける魅力十分の仏像なのです。

これは是が非でもいかねばと、龍谷ミュージアム「日本の素朴絵展」の次に、「京都市歴史資料館」を訪ねたのでした。
京都御所の東側、上京区寺町通荒神口下ルという処にあるのですが、私も初めて訪れる資料館です。
ちょっと、こじんまりした目立たぬ資料館です。

京都市歴史資料館
京都市歴史資料館

此処で、

「京都市指定の文化財」  と題する企画展 (8/30~10/20)

が開催されていて、勝光寺・聖観音像が展示されているというのです。

「京都市指定の文化財展」チラシ

近年、京都市の市指定文化財に指定された仏像などの美術工芸品・十数点を、展示紹介する企画展です。


【並んだ展示仏像の中で、ひときわ目を惹く圧倒的な存在感】

仏像は5躯の出展で、ガラスケースの中に、横に一列に並べられて展示されていました。
その前に立って眺めると、なんといっても、ひときわ目を惹くのが、勝光寺の聖観音像です。
100㎝余の小像なのですが、他の諸像が目に入らぬほどに、圧倒的な存在感で眼前に迫ってきます。

勝光寺・聖観音像については、かつてこの観仏日々帖 「京都 勝光寺・聖観音像」 (2016.06)で、ご紹介したことがあるのですが、今回、初めて展覧会に出展され、再会することができましたので、もう一度、採り上げさせていただきました。


【初めて拝したのは13年前(2006年)~当時は「無指定」】

この勝光寺の聖観音像を初めて拝したのは、もう13年も前、2006年のことです。

実は、この仏像の存在を知ったのも、前回紹介の満願寺・薬師像と同じく、井上正氏の著作「古佛~彫像のイコノロジー」に採り上げられていたからでした。

井上正著「古佛~彫像のイコノロジー」の勝光寺像採り上げページ
井上正著「古佛~彫像のイコノロジー」の勝光寺像採り上げページ

当時は「無指定」の仏像です。

勝光寺は、京都市内のど真ん中、新選組で有名な壬生寺の近く、下京区中堂西寺町という処にあります。

勝光寺・本堂
勝光寺・本堂

大きな本堂のほか客殿、庫裏もある、日蓮宗の立派なお寺です。
めざす聖観音像は客仏で、本堂の隅っこの方の厨子に、ひっそりと祀られていました。


【バリバリの9世紀、檀像風一木彫との出会いにビックリ!】

御厨子を開いていただいて、聖観音像の姿を拝したとき、本当にビックリしました。

本堂内厨子に安置される勝光寺・聖観音像
本堂内厨子に安置される勝光寺・聖観音像

「バリバリの9世紀、間違いない!」

一見しただけで、そのように感じる古仏です。

勝光寺・聖観音像
勝光寺・聖観音像

その時の印象などは、観仏日々帖 「京都 勝光寺・聖観音像」 (2016.06)で、ご紹介した通りです。

カヤ材の一木造りで、蓮肉部も共木から彫り出した檀像風像で、内刳りはありません。

蓮肉まで共木で彫り出されている勝光寺・聖観音像
蓮肉まで共木で彫り出されている勝光寺・聖観音像

一見しただけで、平安前期の雰囲気満点の仏像です。
木肌が少し荒れて、あしゃれた感じになっていますが、衣文の彫口の鋭さ、鋭く精神性を強調した面貌、ボリューム感あふれる体躯、どれをとっても平安前期、9世紀の仏像に間違いないと思います。


【惹き込む魅力は、特異な「妖しさ」~インド風のエキゾチズム】

そして、何よりもこの観音像の魅力は、「異様とも云ってよい、独特の妖しさ」ではないでしょうか?
強い精神性とか霊威感を感じるのですが、その中に、妖艶とも云えそうな「妖しさ」を発散させているのです。
いわゆるインド風というのでしょうか、エキゾチックで特異な造形です。
左腰を突き出し、体躯をくねらせる三屈法の体型は、官能性を秘めて、豊満な妖気を発散しています。

勝光寺・聖観音像
腰を強くくねらせる勝光寺・聖観音像

面貌は、妖しく射すくめるような、強い眼力を感じます。

射すくめるような眼力の勝光寺・聖観音像
射すくめるような眼力の勝光寺・聖観音像


【格調高い「妖しさ」の、法華寺・十一面観音像~インド風の代表作】

インド風の官能的エキゾチズム、三屈法の体躯表現といえば、あの法華寺の十一面観音像のことが頭に浮かびます。
平安前期の檀像風一木彫像を代表する傑作で、だれもが知っている国宝仏像です。

法華寺・十一面観音像(平安前期・国宝)
法華寺・十一面観音像(平安前期・国宝)

時代の最高レベルの法華寺像と比較するのも、如何かとは思うのですが、同じインド風とはいっても、法華寺・十一面観音像と勝光寺・聖観音像は、妖艶さの雰囲気が随分と違います。

法華寺像は、女性の姿態を写したように体躯をくねらせ、肉感的な妖しさを漂わせているのですが、その造形表現には、キリリとした気高さというのか、品位を強く感じるものがあります。
妖艶とはいっても、その中に格調の高い、一種のピーンと張りつめた緊張感を漂わせています。

法華寺・十一面観音像
法華寺・十一面観音像

さすがに、超第一級レベルの秀作ならではと感じます。


【アクの強い「妖しさ」が心をとらえる、勝光寺・聖観音像】

一方、勝光寺・聖観音像のほうは、インド風の肉感的妖艶さがあふれ出しているようです。
寸詰まり感のある短躯なうえに、すこぶる豊満で肥満しています。
ぐっと腰を強く押し出すかのようにくねらせ、目鼻立ちも大きく濃いい感じで、恐ろしいような妖しさで迫ってくるようです。

勝光寺・聖観音像
アクの強い妖しさを感じる勝光寺・聖観音像

ちょっと野卑な感じのアクの強い妖しさ、どぎつい妖しさと、威圧感を発散させています。
この異様感が、グイグイ強く心惹きこまれてしまう、本像の魅力なのだと思います。

いずれにせよ、この勝光寺時の古仏、平安前期、9世紀の檀像風一木彫像の注目作として、きっちり評価されてもよい仏像だと確信しました。


【何故だか「無指定」の勝光寺・観音像~私のお気に入りに】

「どうして、これだけの仏像が、全くの無指定なのだろうか?」

その訳が、よく分かりません。

少々地肌は荒れていますが、後補部も少なそうなので、何故、文化財指定の対象にならないのか、本当に不思議だなーと思いました。
京都という処は、文化財のレベルも大変高いので、これだけの優作でも、知られずに埋もれてしまうのでしょうか。

私は、初めて拝したときから、この像の「アクの強い妖しさ」に、たちまち惹き込まれてしまい、大のお気に入りになってしまいました。
5~6年の間に、その姿を拝しに、3度も勝光寺を訪ねてしまいました。


【2013年、ようやく京都市指定文化財に新指定】

6年前の2013年(平成25年)、ついに、勝光寺・聖観音像が「京都市・市指定文化財」に新たに指定されました。
このニュースを知った時、

「やっとのことで、文化財指定となったのだ!」

と、ちょっと感慨深く、嬉しい気持ちになりました。
ようやく、その存在が公に認知されたというわけです。

これまでに、この勝光寺・聖観音像は、研究者に注目されることはなかったのでしょうか?
過去に、本像に注目し、採り上げ論じたのは、私の知る限りでは、川勝政太郎氏と井上正氏の二人だけだと思います。


【初めて注目されたのは随分昔、昭和19年のこと~その後は長らく埋没?】

川勝政太郎氏は、早くも昭和19年(1944)に、研究雑誌「史迹と美術」で本像を採り上げています。

「資料:勝光寺の聖観音像」 (史迹と美術157号 1944年1月刊)

史迹と美術157号掲載「勝光寺の聖観音像」
史迹と美術157号掲載「勝光寺の聖観音像」
と題する、2ページ半ほどの紹介論考です。

川勝氏は、本像の存在を「付近居住の知人」より聞き、詳しく調査する機会を得たと記しています。
そして、本像の概要などについて述べ、弘仁末頃の製作像であるとしたうえで、

「京都市附近に於ける聖観音立像の古像として、屈指の中に入るべきものが見出されたことだけでも、我々の関心を引くに足るであろう。」

と結んでいます。
京都市付近における屈指の像が見いだされたと、大変に高い評価を述べています。

川勝政太郎氏は、美術史家、石造美術研究の専門家として著名で、「史迹と美術」誌も伝統ある広く知られた研究誌です。
そこで紹介された勝光寺・聖観音像だったのですが、何故か、その後は、誰からも採り上げられることは無かったようです。


【再発掘して、注目したのは井上正氏~昭和58年】

忘れ去られていたような勝光寺像を、再度、採り上げ注目したのは、冒頭に紹介した井上正氏でした。
昭和58年(1983)、「日本美術工芸」誌に連載の「古仏巡歴」シリーズの中で、

「京都・勝光寺聖観音菩薩立像(古仏巡歴14)」 (日本美術工芸540号 1983年9月~のちに法蔵館刊「古仏」に収録)

という論考が掲載されました。
初めて川勝氏が初めて紹介してから、約40年を経た後のことでした。

井上氏は、本像は、カヤ材を用いた黄色檀色像で、三屈の体型を用いたインド風の蠱惑的官能性と霊威性を兼ね備えた、異様な雰囲気を持った像であるとし、製作年代は法華寺・十一面観音像や神護寺・薬師像などと近い位置にあると考えられると述べています。
(「檀像(日本の美術253号)」井上正著・至文堂刊 1887年刊 でも、本像を採り上げ紹介)

そして、川勝氏が紹介してから何と70年後、井上氏の再度の採り上げから30年後、やっとのことで、2013年に、京都市指定文化財に指定されることになったのでした。

初紹介から文化財指定に至るまで、随分と長い道程となりました。


【文化財新指定時の本像解説をご紹介~背面墨書から当初伝来を想定】

京都市の文化財新指定にあたっての、勝光寺・聖観音像の解説は、次のようなものとなっています。
ちょっと長くなりますが、全文を紹介させていただきます。

「本像は本堂東脇の間に安置される日蓮宗勝光寺の客仏である。
本像の背面には日通による
「南無妙法蓮華経観世音菩薩」
の名号、および
「當山(とうざん)卅五(さんじゅうご)代日清(花押)/明治九年九月合併者也」
の墨書がある。
この合併というのは真如寺との合併を指す。

真如寺は『山城名跡巡行志』(宝暦4年〈1754〉跋(ばつ))によれば、貞観4年(862)に藤原良縄(よしただ)(814~868)が文徳天皇の菩提を弔うため建立した天台寺院で、万治年中(1658~61)に法華宗の寺として再興したとされる。
本像背面に名号を記した日通は、勝光寺に残る墓碑によれば、同寺中興開基で延宝7年(1679)に示寂(じじゃく)したことが知られる。
真如寺の創建は貞観4年(『日本三代実録』巻6)で、本像は創建時の真如寺の旧像と想定される。

本像は蓮肉も含めた頭体の主部を針葉樹材(カヤか)から彫成する一木造で、切れ長で比較的見開きの強い目、低く太い鼻梁、彫の深い口唇などの顔貌表現、頭部の比例が大きく全体として寸詰まりなプロポーションは9世紀前半の作例に通じる。

その出来映えは,この時期の彫像の特色をよく伝える優れたものであり、伝来した真如寺の開創期の作とは同定し難いが、藤原良縄ゆかりの像である可能性があり、平安京が開かれて間もない時期の造像例として、その価値は極めて高いと言えよう。」
(京都市情報館HP・新指定・登録文化財 第31回京都市文化財ページ掲載解説)


【藤原長縄ゆかりの真如寺創建期(9C中頃)の像である可能性を想定】

この解説を読むと、文化財指定された事由は、本像が9世紀前半の優れた作例とみられることもさることながら、

「その伝来を伝える墨書きから、真如寺創建時の旧像と想定され、藤原良縄(814~868)ゆかりの像である可能性があること」

が、重要な決め手になっているように思えます。


【これまでは、伝来不詳とみられていた観音像】

本像の背面に、上記の解説通りの墨書があることは、昭和19年(1944)、川勝政太郎氏が紹介したときから、知られていました。
しかし墨書の「明治九年九月合併」というのが、何処の寺院と合併したのかは明らかではなく、伝来は不詳であるとみられていたようです。

川勝氏は、
「勝光寺門内に移された墓碑に
當寺中興開基/寂遠院日通聖人/延賓七己未年/二月十一日
と見える。
恐らく何處か他にあったこの古像を日通在世の時に得たものであらう。」
と述べ、
井上正氏は、
「本像の由緒伝来については、全くわからない。
わずかにこの銘記によって、明治九年九月、他の寺院の合併に際して本寺にもたらされたものと想像される。」
と記しています。

ところが、文化財指定時の解説では、
「合併寺院とは「真如寺」を指し、この真如寺が、藤原良縄が文徳天皇の菩提を弔うため建立した天台寺院である。」
と述べられています。

これまで不詳とされていた合併寺院が、真如寺と特定されたのは、寺内の墓碑に「當寺中興開基/寂遠院日通聖人」とある「當寺」というのが、「真如寺」にあたることが、明らかになったということではないかと思われます。


【これからの注目度アップが、ますます愉しみな勝光寺・聖観音像】

この勝光寺の聖観音像が、

インド風の特異な妖しさを表する、特異な9世紀の檀像風一木彫像の優作であるとともに、
その伝来が、藤原良縄ゆかりの真如寺旧像である可能性が想定されるとなると、

俄然、大注目の古像としてスポットライトを浴びることになるかもしれません。

勝光寺・聖観音像
勝光寺・聖観音像

こんなことに思いを巡らせながら、京都市歴史資料館に展示された、勝光寺・聖観音像をじっくり眺めていると、一際、妖しいオーラを発散させて、圧倒的な存在感で眼前に迫ってくるように思えてきました。

私の、お気に入りの古仏です。

益々、注目されるようになってほしいものです。


古仏探訪~京都展覧会巡りで目を惹いた仏像 ①兵庫県 満願寺・薬師如来像  【2019.10.17】


9月末に、京都の3~4ヶ所の展覧会をはしごしてきました。

その中で、とりわけ眼を惹いた興味深い仏像を、3体ほどご紹介したいと思います。


【兵庫 満願寺・薬師像が、「日本の素朴絵展」(龍谷ミュージアム)に出展】

「日本の素朴絵展」チラシ

龍谷ミュージアムの特別展 

「日本の素朴絵~ゆるい、かわいい、たのしい美術」 (9/21~11/17)
 
に、兵庫県川西市にある満願寺の薬師如来坐像が出展されていました。

兵庫県川西市 満願寺・薬師如来像

兵庫県川西市 満願寺・薬師如来像
兵庫県川西市 満願寺・薬師如来像 (平安時代・無指定)


ご覧の通りの、いかにも「粗く稚拙な地方作」という感じで、文化財指定も「無指定」の仏像です。


【知られざる無指定古仏~井上正著「古佛」に採り上げ像】

満願寺の薬師如来坐像といわれて、「ああ、あの仏像か!」とピンとくる方は、それほどは多くはいらっしゃらないのではと思います。

この薬師像、井上正氏著の「古佛~彫像のイコノロジー」(法蔵館・1986年刊)に採り上げられている仏像です。
全部で36件の古佛が採り上げられていますが、本の冒頭、いの一番に登場するのが満願寺・薬師像なのです。

井上正著「古佛」の満願寺像採り上げページ
井上正著「古佛」の満願寺像採り上げページ

「古佛~彫像のイコノロジー」という本は、ご存じの通り、井上正氏が、威相を示したりや歪みのある造形の一木彫像に着目し、それらを古密教彫像として奈良時代の制作に遡る可能性を論じたユニークな著作です。

井上氏は、この薬師如来像に注目し、

「一度拝したら決して忘れることのできない、個性的な風貌を通して、じかに訴えかけてくる重々しい精神を感じる。
常識的には美醜の判断を超えた世界にこの仏は住んでいるようだ。」

と語っています。


【不思議な存在感あふれる平安古仏~一見は田舎風で、もっさり】

私も、この「井上正氏の、本像への語り口」に大いに触発されて、川西市の満願寺を十数年前から二度訪ねたことがあります。

満願寺・本堂
満願寺・本堂(兵庫県川西市)

この薬師如来像、満願寺・金堂の外陣の奥にさり気なく安置されています。

満願寺・本堂の外陣の片隅に祀られている薬師如来像
本堂外陣の片隅に、さり気なく祀られている薬師如来像

70㎝余の小像で、ほとんど目立ちません。
一見すると、いかにも田舎作の出来の良くない像という感じで、井上正氏の著作を読んでいなかったならば、目もくれずにその場を通り過ぎてしまったかもしれません。

満願寺・薬師如来像

満願寺・薬師如来像
満願寺・薬師如来像

しかし、よーく観ると、独特の魅力で人を惹きつける匂いを発散しています。
肥満が度過ぎる程の豊かな量感、野太いというか太造りのずんぐりとした造形、ちょっと重苦しいようで無表情の顔貌が印象的です。

満願寺・薬師如来像、顔部
満願寺・薬師如来像~顔部

そして、体の軸線が歪んでいるなど、どこかしらアンバランスです。
洗練され均整がとれた仏像の世界とは真反対で、もっさりとした田舎臭さの中に込められたパワー、底力をずしーんと腹に感じさせるものがあります。

なんとも表現しがたい、得も言われぬ「不可思議な存在感」あふれる仏像なのです。
一度拝すると、何故だか、忘れることが出来ません。


【10C同時代の作例とは異なる独特の魅力を体現との解説】

「日本の素朴絵展」の図録には、この薬師像の概要が、このように解説されています。

「頭体幹部は木心を右後方に外したヒノキの一木造りで内刳りはない。
・・・・・
体躯は太づくりで奥行きがあり、低い鼻や縄のように太い耳輪、翻波式を思わせる鎬立った深い衣文などから製作は10世紀前半と考えられる。

しかし多くの同時代作例とは造形感覚が異なる、強い存在感を放つ作例である。
体躯は肥満ともとれるほどに量感に富んでいる。
体を覆う袈裟の衣文は粘塑的で荒々しく豪快に刻まれる。
それでいて眼と眉は驚くほど彫が浅い。
また本像は、顔、胸、脚部の正面がすべて異なっており、像全体で大きな捻じれが生じている。

すべての部位で、不均衡と粗々しさが主張されていながら、時代の主流はかならずしもとらわれない独特の魅力を体現しているのである。」
(丹村祥子氏:龍谷大学ミュージアム 解説)


やはり、
「同時代作例とは造形感覚が異なる」
「独特の魅力を体現している」
といったキーワードの解説となるのだろうと思います。

皆さん、この薬師像、写真をご覧になって、どのように感じられたでしょうか?


【「素朴絵展」のコンセプトにマッチした? 異色の無指定仏像】

私が、興味津々となったのは、この満願寺・薬師像が、
「日本の素朴絵~ゆるい、かわいい、たのしい美術」
と題するテーマの展覧会に出展されたことでした。

優作中心に選ばれる仏像の企画展覧会には、まず出展されることはないであろう「無指定の小像」です。

この展覧会のコンセプトは、
「『うまい、へた』の物差しではかることのできない、どこかとぼけた味わいのある“素朴絵”の魅力を、埴輪や仏像、奈良絵や禅画、大津絵など幅広いジャンルの作品からご紹介、新しい美術の楽しみ方を提案します。」
というものです。

日本の素朴絵展出展の大津絵「鬼の三味線弾き」.日本の素朴絵展出展の伊藤若冲筆「伏見人形図」
展覧会に出展されている「素朴絵」
(左)大津絵「鬼の三味線弾き」、(右)伊藤若冲筆「伏見人形図」


この展覧会コンセプトにマッチする仏像として、展覧会企画担当の方が、数ある平安仏の中から、わざわざこの古仏を選んで、出展したということなのだと思います。
満願寺・薬師像の独特で異色の「素朴」という要素に注目されたのではないでしょうか。

展覧会場では、会場の広い良い場所にガラス張りなしで展示され、360度ビューで、眼近にじっくりと見ることができました。
展覧会にこられた方々は、この薬師像を観て、言葉を交わされていましたが、

「凄味がある、面白ろそう、ちょっと変わってる、かわいい!」

などと囁きながら、ちょっと不思議な感覚でご覧になっている様子でした。


【薬師像の強い霊威性、精神性を強調した井上正氏】

実は、井上正氏は、この薬師像について、素朴絵という展覧会コンセプトとはかなり違う、対極のような造形感覚のイメージで、受け止められていたようです。

「霊威性とか、強い精神性とか、闘争的とか」

といったインパクトの強いキーワードで表現されるような感覚といえるのでしょうか。

自著「古佛」の「兵庫・満願寺 薬師如来坐像の章」では、このように述べられています。

「こうしてこの像を凝視していると、感覚性を素通りして精神を直接に表現しようとする作者の心が見えてくる。

満願寺・薬師如来像、顔部
満願寺・薬師如来像~顔部
左右の均斉感、程よい量感、写生風の衣文などによる常識的な美の世界が否定され、左右不均衡、度を越えた量の強調、粗く強い衣文などによって、逆の世界が堂々と主張されているのである。

この薬師如来の蔵する精神内容には、疑いなく一般の如来とは異なったものが存在する。
一方は円満静寂の境地であり、他はもろもろの病根に立ち向かう闘争の世界のように見える。
そう考えないと、単なる美術史上の現象としては、この逆の世界を把握しきれない。
・・・・・
この薬師如来像は、ある種の正統な作風を参考にしながら、しかしある段階できっぱりとそれとは縁を切って、例えば怨霊を調伏するための霊威の薬師如来のような性格の像として製作されたのである。」

「怨霊調伏を思わせる、霊威感の凄味を想起する像」
であると論じているのです。


【本像を、朴訥な素朴さ、包容力ある造形感とみた、素朴絵展】

一方で、この展覧会では、満願寺・薬師像の独特の存在感を、

「親しみやすくおおらかで素朴な造形、動じない朴訥さと包容力ある表現」

といったイメージでとらえているようです。
まさに「日本の素朴絵」のコンセプトぴったりのフィーリングです。

展覧会図録に「一木彫と素朴」と題するコラムを執筆している海老澤るりは氏(三井記念美術館)は、その中で、本像について、井上正氏の見解などを紹介したうえで、このように述べています。

「確かに本像のぎこちなく素朴な造形は、稚拙な表現としてとらえられるきらいはあるが、本像はそれを打ち消してしまうほどの強烈なパワーと存在感を有しており、その根底には尊像の霊威性があるという点は納得できる。

満願寺・薬師如来像
満願寺・薬師如来像
しかしそれ以上に本像からはわれわれが歩み寄りたくなるような親しみやすさおおらかな包容力を強く感じるのである。
この感覚は本像の素朴な表現に大きく起因すると思う。
極端なほどずんぐりとした太造りの体型から、どんと構えて何事にも動じない性格、仏像らしくない飄々とした表情からは、朴訥だが来る者も拒まないさりげない優しさが見て取れるのである。

薬師如来は病を治癒し現世利益をもたらす仏である。
本像の伝来は不明であるが、庶民に寄り添い病を治すという薬師如来の慈悲の姿を素朴な造形をもって、作者は表現したかったのではないだろうか。」


みなさんは、この薬師像の造形に、どのような印象、感覚を持たれたでしょうか?

「怨霊を調伏するための霊威の薬師如来のような性格」

でしょうか?

「朴訥だが来る者も拒まないさりげない優しさ、薬師如来の慈悲の姿の素朴な造形」

でしょうか?

いずれにしたとしても、間違いなく「不可思議な存在感」を発散している、心に残る仏像です。
平安中期の製作にさかのぼる、異色の注目の古仏であると思います。

私は、個人的には、

「飄々と朴訥で素朴、野趣あるパワーを発散する薬師仏」

というほうが、フィット感を感じるのですが・・・・・・・


【珍しい、密集した衣文の刻み付け~強いインパクト】

もう一つ、満願寺・薬師如来像の、
「くどくしつこいまでの密集した衣文の刻線」
についてふれておきたいと思います。

左肩から腹にかけて流れる衣文線は、普通にはないタイプです。
強い彫り筋で、不規則に揺れるような刻線が、密集して刻み付けられています。
ぎこちない流れの衣文線が、狭い間隔で執拗に彫り込まれているのです。

満願寺・薬師如来像の密集した衣文の刻線

満願寺・薬師如来像の密集した衣文の刻線
満願寺・薬師如来像の密集した衣文の刻線

この表現が、強いインパクト、存在感を感じさせる大きな要素になっていることは間違いありません。
このような変わった衣文表現は、あまり見かけることがありません。

わずかに、神応寺・行教律師像の衣文の刻線が類似していると、井上正氏はふれています。

神応寺・行教律師像(平安前期・重文)
神応寺・行教律師像(平安前期・重文)
両膝部分に密集して刻み付けられた衣文が顕著



【同じ衣文表現の古仏が、何故か大和郡山に~西方寺・如来坐像】

これと同じようなタイプの衣文表現の古仏があるのです。
奈良県大和郡山市にある西方寺の如来坐像です。

大和郡山市 西方寺・如来坐像

大和郡山市 西方寺・如来坐像
大和郡山市 西方寺・如来坐像

いかがでしょうか?

この仏像を拝したとき、
「満願寺・薬師像の衣文線の刻みと、本当にそっくり」
と感じました。

西方寺・如来坐像の密集した衣文の刻線
西方寺・如来坐像の密集した衣文の刻線

本像は修復部分が多くて、当初部分が残されているのは、腹部の中間あたりから上の左肩を含めての体幹部で、腰から下、脚部にかけては全部後補です。
頭部も面貌に後の手が相応に入っているそうです。
お堂の壁面上部の棚に、さりげなく祀られています。
無指定で、ほとんど注目されていない像でしょうが、当初は平安中期以前の作であったのではないかと思われます。
この仏像を知ったのも、井上正氏が日本美術工芸誌に連載した「古仏巡歴」に採り上げられていたからでした。
(後に、「続 古佛~古密教仏巡歴」2012年法蔵館刊に収録)

当初部分とみられる、左肩から腹部に流れる、ぎこちなく密集した衣文線の刻み付けぶりは、満願寺・薬師像そのままのように感じます。

満願寺・薬師像の左肩~腹部への衣文.西方寺・如来坐像の左肩~腹部への衣文
両像の左肩から腹部に密集して刻み付けられた衣文
(左)満願寺・薬師像、(右)西方寺・如来坐像


そして、この衣文線の刻みが、不思議なエネルギーを発散させています。
西方寺像のほうは、満願寺像と比べると、強い存在感とか太造りの重厚感をそれほどまでには感じさせないのですが、なかなか興味深い異色の平安古仏です。


【満願寺像、西方寺像が醸し出す、独特の「素朴、朴訥」感】

その姿を眺めていると、「素朴、朴訥」といった感覚がこみあげてくるように思えます。
どこかしら、満願寺・薬師像のフィーリングと似たものを感じます。
二つの古仏には、何故だか共通のキーワードが浮かび上がってくるような印象を受けました。

兵庫川西市の満願寺と、奈良大和郡山市の西方寺との間に、何らかの関連があるようには思えないのですが、

「不思議な衣文線と素朴、朴訥感」

という共通点、ちょっと興味深く感じた次第です。



古仏探訪~8/9開帳、三重3ヶ寺の秘仏を訪ねて(常福寺、林光寺、勧学寺)  その2:林光寺・勧学寺の千手観音像 【2019.8.31】


【その2】では、鈴鹿市の林光寺と、桑名市の観学寺の千手観音像の秘仏御開帳のご紹介をしたいと思います。


【深夜、数時間限りの御開帳~林光寺・秘仏千手観音】

まずは、林光寺・秘仏千手観音像の御開帳です。

この秘仏を拝するのは、なかなか大変です。
なんと、深夜の数時間だけしかご開帳されないのです。
それも、年に一日、8月9日限りなのです。

林光寺の千手観音像(像高:108.1㎝)は、平安後期の制作で重要文化財に指定されています。

林光寺・千手観音像(平安・重文)~三重県史別編・美術工芸掲載写真
林光寺・千手観音像(平安・重文)~三重県史別編・美術工芸掲載写真

長らく拝してみたいと思っていたのですが、厳重な秘仏で、8/9ピンポイントで深夜に三重の鈴鹿まで出かけなければいけないので、チャンスがありませんでした。

今回、真夏の炎暑に、三重まで出かけることにしたのは、

「この珍しい深夜の秘仏御開帳、一度は、どんなものなのか体験してみたい。」

ということが最大の理由でした。

ご開帳は、8月9日の午後10時30分ごろから、翌10日の午前1時ごろまで行われるということです。
その昔は、8月10日の午前1時からのご開帳であったということですが、ご近所への迷惑、お参りされる方の大変さなどから、近年はこの時間帯になっていつとのことです。

8月10日は、四万六千日(しまんろくせんにち)の観音菩薩の縁日で、この日にお参りすると46000日分参拝したのと同じご利益があるといわれます。
そんなことから、この日のご開帳になったのでしょうが、「深夜のご開帳」となったのは、秘仏本尊の神秘性を増すためなのでしょうか?


【深夜なのに、堂内は多くの参詣の方々でギッシリ】

林光寺は、近鉄名古屋線の支線、鈴鹿線の鈴鹿市駅から歩いて10分ほどの町中にありました。
天平時代、行基開基の伝承があり、現在は真言宗智山派のお寺です。

比較的近い処にあるビジネスホテルに泊まることにして、夕方に、どんな感じになっているのか瀬踏みに、林光寺に行ってみました。
5時過ぎに行ったのですが、ご覧の通り幟旗が立てられているだけで、境内には人影もなく閑散としていました。

林光寺

ご開帳日夕刻の林光寺境内
御開帳日の夕刻の林光寺山門と境内


境内にある林光寺・千手観音像の解説看板
林光寺境内に立つ千手観音像の解説看板


ご開帳時間が来るのを待って、夜半にホテルを出動、11時前に林光寺に到着しました。
沢山の人が、御開帳に来られています。

御開帳、深夜の林光寺本堂前
深夜、ご開帳時の林光寺本堂前

本堂内では、ご住職ほかの読経が始まっており、お堂のなかは30~40人ぐらいの人でぎっしり目一杯です。

御開帳、林光寺本堂内
参詣の方々でぎっしりの本堂内

我々も含めて、お堂の中に入れず、堂外で読経を聴く人も結構いらっしゃいました。
地元の参詣の人々の他に、深夜の御開帳を目指して遠方から訪ねてきた方々も多いようです。
この日は、ツーリズムの観仏ツアーの方々が30人ほど来られていたということなので、通例の年はここまでの参拝者の数ではないのかもしれません。


【一人ひとり御住職により観音様と結縁を済ませ、順にお厨子の前で拝観】

読経は11時半ぐらいまで続きました。
ご住職のお話がしばらくあった後、一人ひとり順番に祭壇の前に進み、、厨子のなかの観音様の手に繋がれた五色の紐を手に執って、ご住職が手にした密教法具の剣を頭に充てていただいて結縁し、観音様に手を掌わせます。

林光寺本堂内~正面のお厨子の中に千手観音像が祀られる
林光寺本堂内~正面のお厨子の中に千手観音像が祀られる

お参りの皆さん全員この結縁を済ませたところで、いよいよ秘仏・千手観音像のご拝観です。
観音像は、お堂の正面奥の立派な厨子の中に祀られています。
参拝の方は、順番に厨子の真ん前まで進んで、ごく近くで拝することができました。
ただ、厨子のなかは、結構薄暗く、また金網が張られているので、ちょっと目を凝らしてお姿を拝するという処です。
決してぼんやりという訳ではないのですが、はっきりクリアーに姿を拝するというまではいかないという感じです。


【藤原風の穏やかで優美な千手観音像のお姿】

眼前の、千手観音像のお姿は、いかにも藤原風の穏やかで美しい造形です。

「三重県史・別編~美術工芸」(2014刊)には、

「満月のような丸い顔は穏やかな表情を見せ、衣文は薄く整えられるなど、全体に優雅な都の作風がうかがえる。
制作年代は平安時代後期、十二世紀に入ると思われる。
三重県内におけるこの時期の千手観音像の優品である。」

と解説されています。
まさにその通りで、「藤原風優美」という言葉が良くあてはまる仏像という印象を受けました。

林光寺・千手観音像(平安・重文)~旅の仏たち・丸山尚一著掲載写真
林光寺・千手観音像(平安・重文)~旅の仏たち・丸山尚一著掲載写真

ゆっくりじっくり拝したかったのですが、厨子の前で拝する順番を待つ長い行列が堂内に出来ていて、厨子前に進んでも、ほんのわずかの時間だけしか拝することができません。
頑張って、数十分かけて2度並んで拝しましたが、観音像の造形表現をしっかり拝するという訳にはいかず、イメージを心に焼き付けるという拝観となりました。

そうこうしているうちに、もう12時半を過ぎてしまいました。
若干後ろ髪をひかれますが、そろそろ引き上げです。

「深夜の、ほんの数時間限りのご開帳」

なかなか他では経験しえない秘仏御開帳を、体感することができました。


【8/9~10、二日限りの御開帳~勧学寺・秘仏千手観音】

翌10日は、桑名市の勧学寺の千手観音像のご開帳に行きました。
勧学寺の千手観音像は、年に一度、8月9日、10日の二日間の御開帳です。

千手観音像は、像高:163.9㎝の一木彫、平安時代の制作で、県指定文化財に指定されています。

勧学寺は、桑名駅の南西、車で5分ばかりの桑名市矢田という小高い丘の上にあります。
この場所は、戦国時代、矢田氏の居城であった矢田城跡の一画なのだそうです。
本尊の千手観音像は、近隣で廃寺となった海善寺の旧仏であったと伝えられます。


【参詣の方が誰もみえず、ゆっくりじっくりとご拝観】

午後の炎暑真っ盛りの時間に訪ねました。

勧学寺・本堂

勧学寺・参道
勧学寺・本堂と参道階段

ご開帳の千手観音像は、本堂に祀られています。
年に一度のご開帳日なのですが、参詣に訪れる人が誰も見えず、ひっそりとしていました。
きっと昨日のご開帳初日に、皆さん参詣されたのでしょう。
本堂に上がると、堂内では地元の奥様方と思われる方2~3人が、拝観の受付をされていました。

勧学寺本堂内
勧学寺本堂内

千手観音像は、奥のお厨子の中に祀られています。
お厨子の真ん前で、眼近にじっくりと拝することができました。

勧学寺本堂内厨子に安置された千手観音像
勧学寺本堂内厨子に安置される千手観音像


【堂々たるお姿の千手観音像~ちょっと鄙びた感じの造形に親近感】

なかなか堂々たるお姿で、力強さを感じさせます。

勧学寺・千手観音像(平安・県指定)
勧学寺・千手観音像(平安・県指定)

造形表現を見ていると、平安後期、11世紀ごろの作のように思えるのですが、いわゆる藤原風の繊細さは全く感じません。
穏やかな表現のなかにも、いかにも地方作という野趣や野太さを漂わせています。

勧学寺・千手観音像(平安・県指定)

勧学寺・千手観音像(平安・県指定)
勧学寺・千手観音像(平安・県指定)

彫技の冴えというのではなく、ちょっとずんぐりとした重たさを感じさせるところが、なんとも親近感を感じさせます。
そこが、この像の魅力と云えるのでしょう。
材もクスノキということですから、当地の在地仏師の手になるものなのかもしれません。

調べてみると、このような解説がありました。

「品質は樟材、一木造、素地、彫眼、体部は髻より両足ホゾまで含めて一木彫成にし、背板はヒノキ材上下2 段に矧付、内刳をしている。
両肩及び脇手は凡てヒノキ材。
尊像は北勢随一の秘仏とし知られていたが、保存状態が悪く、虫食い、鼠害を甚だしく被むり、腐食亡失もその極に達していたので、昭和39 年京都国立博物館内美術院国宝修理所に於いて、解体修理し、その復元を見るに至った。」
(桑名市教育委員会文化財HP)

「下半身に翻波式衣文や旋転文を刻むなど、部分的に古様をとどめている。
しかし、表情や衣文の彫りは比較的穏やかで、制作は平安時代後期(11世紀)になるものと考えられる」
(三重県史・別編~美術工芸2014.3刊)

勧学寺・千手観音像~古様な衣文がのこされる脚部
勧学寺・千手観音像~古様な衣文がのこされる脚部

確かに、頭体幹部が足ホゾまで一木彫成で、翻波式衣文や旋転文がみられるなど、古様がみられますが、古様をとどめた平安後期の地方作の典型の像といってよいのだろうと感じました。


【不思議な造形スタイル~頭部と体部の中心線の大きなズレ、歪み】

この千手観音像を眼近に拝して、一番眼を惹いたのは、頭部の中心線と体部の中心線が著しく歪んでズレていることです。
頭とお顔が、明らかに向かって右にずれています。

頭部と体部にズレ歪みがみられる千手観音像~「仏像東漸展」図録掲載写真
頭部と体部にズレ歪みがみられる千手観音像~「仏像東漸展」図録掲載写真

どうみても、
「制作途上で、想定外に偶々歪んでズレてしまった。」
とか、
「材の歪みや反りがあったので、それに合わせて造形した。」
というようには思えません。

私には、
「明らかに、意図的に歪めてズレを作って造形している。」
ようにしか見えません。

どうして、このように頭部を歪めて造形したのでしょうか?

井上正氏なら、きっと、
「霊木から彫り出した、意図的な歪みの造形の霊威表現」
という解説をされるのではと想像してしまいます。

直観的には、私はこの歪みは霊威表現という風な印象はしないのですが、それでは、なぜこのように歪めて造形したのかという理由も想像がつきません。

不思議な造形スタイルの千手観音像との出会いとなりました。


今回は、8月9日に年に一度だけ開帳される、三体の三重の千手観音像をご紹介しました。

正真正銘、酷暑の中の古寺巡りとなり、半熱中症気味?のなかでのしんどい三重観仏探訪でしたが、思い切って出かけてみた甲斐がありました。

それぞれに、心に残る、忘れがたき秘仏御開帳でありました。


古仏探訪~8/9開帳、三重3ヶ寺の秘仏を訪ねて(常福寺、林光寺、勧学寺) その1:常福寺・千手観音像 【2019.8.17】


【8/9に、年に一度だけご開帳の、三重の3ヶ寺の秘仏】

8月9日にご開帳されるという、三重県内の秘仏ご開帳に出かけてきました。

同好の方数人と巡りましたが、「熱中症から身を守ってください!」という言葉が、まさに実感の炎暑、酷暑のなかでの観仏探訪となりました。


訪ねた秘仏は、ご覧の3ヶ寺で、いずれも8/9にご開帳される千手観音像です。

津市白山町の「常福寺」の秘仏・千手観音立像

鈴鹿市の「林光寺」の秘仏・千手観音立像

桑名市の「勧学寺」の秘仏・千手観音立像(8/9・10両日ご開帳)


あまり知られていない仏像ばかりだと思いますが、ご紹介していきたいと思います。


【平安前期の優作、常福寺・千手観音像のご開帳】

まずは、津市白山町にある常福寺の秘仏、千手観音像です。

常福寺・千手観音像
常福寺・千手観音像(平安前期・重文)
「三重の美術風土を探る展」図録(1986年)掲載写真


これだけの優作が、あまり知られていないのが不思議に思います。

像高60㎝弱の小像なのですが、圧倒的な迫力、存在感を感じさせる、平安前期の優作像です。
もうちょっと、仏教美術史の本などで紹介されてもよいのではないかと思っています。
9年前、2010年に一度訪れたことがあるのですが、その素晴らしい造形に見惚れたことが忘れられず、また再訪したのでした。

常福寺は、津の駅から西に約30キロ、車で小一時間の、白山町八対野という処にあります。
地元では「別所の観音堂」と呼ばれていて、昭和になってからの建築ながら本堂、観音堂などがあるのですが、現在では、地区の管理として守られています。


【今年は、60年に一度の「特別ご開帳」~9年ぶりの再訪】

常福寺の千手観音像は、毎年8月9日の一日に限って、ご開帳となります。

今年のご開帳は、60年に一度の「特別御開帳」の年にあたるということです。
前回訪ねさせていただいたご縁で、地区の管理の方から「特別御開帳」のご連絡を同行の方に頂戴し、それではと、再訪させていただくことになったわけです。

常福寺・本堂
常福寺・本堂

常福寺・観音堂
常福寺・観音堂

本堂には、地区の方々が、60年ぶりの特別開帳の行事に大勢寄り合っておられました。

千手観音像は、本堂奥の小高い処にある収蔵庫に安置されています。

常福寺・千手観音像安置収蔵庫
千手観音像が祀られる常福寺・収蔵庫

地元の方の他には、特別開帳に訪れられている方もさほど多くはなく、じっくりと拝させていただくことができました。

常福寺・千手観音像
御開帳された収蔵庫に祀られる千手観音像


【小像なのに、雄大なスケール感と迫力で霊威感を発散】

一目で、堂々たる存在感を感じます。
こんなに小さな像なのに、雄大なスケールの大きさ、力強さに充ち満ちているのです。

常福寺・千手観音像
常福寺・千手観音像(平安前期・重文)
「はくさんの仏像~白山町仏像調査報告書」2003年刊掲載写真


アップの写真で見ると、等身ぐらいはある大きな像ではないかと見まがうほどです。
上半身の力強い肉付け、下半身のダイナミックな翻波式衣文は惹き付けるものがあります。
誰がみても、平安前期の優作であることは間違いありません。

像高:55.6㎝、ヒノキ材の一木彫で、内刳りなどは一切なく、漆箔仕上げ。
千手を表す42手は別材製ですが、ほとんどが当初のものです。
美術院の新納忠之介、明珍恒夫等の古社寺調査によって、大正5年(1916)、(旧)国宝に指定され、戦後文化財保護法改正により、重要文化財に指定されています。

この千手観音像を拝して、強く惹きつけられるのは、全体のシルエットです。
むっちり太造りの合掌手、脇手は、空間に大きく広く円弧を描き、その漲る強い力が上半身に求心、統一されていくようです。
小さめの頭部と体躯のバランスもなかなか絶妙で、千手を広げた全体のシルエットに、力強く雄大なスケール感を醸し出しています。
そして、ちょっと怪奇な霊威感を発散させています。


【いわゆる平安前期の小像檀像とは、ちょっと違うタイプの千手観音像】

この千手観音像は、平安初期、9世紀の制作とみられる像ですが、この時期の小像の多くの作例のタイプとは、ちょっと違うようです。

9世紀の50~60㎝の小像は、いわゆる檀像風、カヤ材の素木、木地仕上げの像が大変多いのですが、この像は漆箔仕上げでヒノキ材ということです。
また、多くの檀像風像は、総じて、厳しく鎬立った衣文など、鋭くシャープな彫り口を強調した表現で、頭部が大きい子供のようなプロポーションの像となっています。

醍醐寺・虚空蔵菩薩像海住山寺・十一面観音像
9世紀の50~60㎝の小像の檀像風菩薩像
(左)醍醐寺・虚空蔵菩薩像、(右)海住山寺・十一面観音像


これに対して、常福寺像は、鋭さ厳しさよりも、むっちりした肉身の弾力的張りを強調した表現で、プロポーションも頭部が小さめで大人風です。

いわゆる平安初期檀像の系譜とはちょっと違う系譜の像なのかもしれません。

「三重県史・別編~美術工芸」の本像の解説には、このように述べられています。

「像高60㎝足らずの小像ながら、非常に迫力ある造形を示し、いかにも平安初期彫刻らしい力強さに満ちている。
・・・・・
詳しい制作年代は不明であるが、造形的な特徴からみて9世紀と考えられる。

千手観音には、唐招提寺像や、大阪府葛井寺像(両像とも奈良時代の作)のように、文字通り千手をあらわす形式と、本像のように42手をあらわす形式とがある。
42手形式の遺品には、平安中期から後期にかけての像は多いが、本像のように平安前期に遡る像は少なく、奈良時代の雑密系彫刻の系譜に連なる古様な表現になる作品として、本像は重要な像である。」
(「三重県史・別編~美術工芸」三重県編2014.3刊~毛利伊知郎氏解説)


【大注目は、霊気漂う「風動表現」~法華寺・十一面観音像と同タイプ】

もう一つ、この千手観音像の大注目は、いわゆる「風動表現」です。
「風動表現」とは、仏像の着衣などが、前方からの風に吹かれて翻っているようにたなびき、神秘的な空気感に包まれている表現のことをいいます。

この「風動表現」の作例として、最も有名な像は、法華寺・十一面観音像です。

法華寺・十一面観音像
法華寺・十一面観音像(平安前期・国宝)

法華寺像は、膝下の着衣の裾が大きく後ろにたなびくほか、両側の天衣は翻転、曲折し、垂髪までもが前からの風を受けています。

風動表現の法華寺・十一面観音像の衣
衣が後方にたなびき翻る「風動表現」の法華寺・十一面観音像

霊風を受けるという「霊威表現」であることは、明らかです。
この「風動表現」が、はっきりと明らかな作例としては、丹波、金剛心院の如来立像が知られていますが、常福寺・千手観音像も、間違いなく「風動表現」がなされています。

金剛心院・如来像..衣が後方にたなびく金剛心院・如来像
「風動表現」の金剛心院・如来像(平安前期・重文)

常福寺像をみると、両サイドの衣の裾を、大きく後方に広がるようにたなびかせています。
前方から吹く霊風を受けているのです。
身体を弓なりにそらせ、前傾姿勢になっているのも、法華寺・十一面観音像によく似ています。
この表現が、千手観音像の迫力を増しているように思えます。

風動表現で弓なり姿勢、たなびく衣の常福寺・千手観音像
弓なり姿勢、後方にたなびく衣の「風動表現」の常福寺・千手観音像

これだけはっきりと衣を後方にたなびかせる「風動表現」の像は、法華寺像、金剛心院像、常福寺像ぐらいしか思いつきません。

井上正氏は、この「風動表現」を、盛唐期、画聖と呼ばれた呉道玄の様風の発するとして、「呉道玄様」と位置付けました。
呉道玄の「風動表現」は、「気韻生動」といわれる見えざる「気」を心に感じさせる表現として考案され、生動感を付与することによって、尋常でない「気」の内在を表そうとしたのだというものです。

「呉道玄様」かどうかはともかくとして、この「風動表現」が、霊気、霊風を感じさせ、仏像の神秘的霊威感を醸し出すことになっているのは間違いないことだと思います。

常福寺・千手観音像も「風動表現」が、怪しく雄大な存在感、迫力を発散させる源になっているのではないでしょうか。


雄大な力強さ、迫力を発散する「風動表現」の霊気漂う、常福寺の千手観音像。

繰り返しになりますが、小像ながら、平安前期のなかなかの優作です。
もう一度訪れてみた甲斐のある、嬉しい再会となりました。
拝観のご配意をいただいた、地区の皆様に感謝しつつ、常福寺を後にしました。


【耳寄り情報~常福寺・千手観音像が、秋の特別展に出展(30年ぶり?)】

お寺で、耳よりな話をお聞きしました。

常福寺・千手観音像は、年に一日限りご開帳の秘仏として守られているのですが、なんとこの秋に、博物館に出展されるということです。
津市の三重県立博物館で、10月5日(土)~12月1日(日)に開催される 「三重の仏像~白鳳仏から円空まで~」 という特別展です。
三重県内の見どころある仏像が勢ぞろいする必見の展覧会のようです。

2019年10月開催「三重の仏像展」

常福寺・千手観音像は、展覧会に出展されることはめったになくて、私の知っている限りでは、30年以上前、1986年に、三重県立美術館で開催された「三重の美術風土を探る展」に出展されて以来の、博物館出展ではないかと思います。

この時の展覧会の図録の表紙写真は「常福寺・千手観音像」でした。

「三重の美術風土を探る展」図録~常福寺・千手観音像が表紙写真
「三重の美術風土を探る展」図録~常福寺・千手観音像が表紙写真を飾る

これだけでも、この像が三重県の優作であることをお判りいただけると思います。

是非、この小像ながら「雄大で、霊威感、迫力溢れる、9世紀の優作」に出会いに、この秋、博物館に出かけられることをお薦めします。



次回は、林光寺と勧学寺の秘仏・十一面観音像のご開帳について、ご紹介いたします。


トピックス~堂本印象美術館で初公開の阿弥陀如来像、湛慶作か? 【2019.7.21】


【「湛慶作の阿弥陀如来像、新発見か?」のニュース記事にビックリ】


「作者は天才仏師、運慶の長男? 優雅な秘仏を公開」


ネット検索の新聞記事で、こんな見出しを見つけて、ちょっとビックリしました。
2019.6.28付の〈サンケイニュースの記事〉です。

記事は、こんな出だしで始まります。

鎌倉時代の大仏師、湛慶(たんけい)の仏像?

そんな評判を呼ぶ仏像が京都府立堂本印象美術館(京都市北区)で開催中の「堂本印象 ほとけを描く ほとけを愛でる」で初出展され、美術ファン、研究者の間で話題を呼んでいる。

京都出身の日本画家、堂本印象(1891-1975)のコレクションの1体だが、湛慶といえば、東大寺南大門の仁王像制作などで知られる運慶の長男。
どことなく父の作品を追いかけている姿と形が、見る人に「いかにも!!」といった印象を与える。

堂本印象蔵・阿弥陀如来像

堂本印象蔵・阿弥陀如来像
湛慶作かと記事で紹介された
初公開堂本印象蔵・阿弥陀如来像



【記者の実感がこめられた「読ませる記事」に興味津々】


園田和洋氏という方がかかれた署名記事ですが、仏像彫刻に造詣の深い方のようで、御自身の実感が盛り込まれた「読ませる記事」で、愉しく読みました。

記事は、このように続きます。

日々、詰めている京都府庁の記者室に投げ込まれた堂本印象美術館のチラシ。
そこに掲載された一枚の写真を見て、
「まだ、こんな仏像が未公開のまま残っていたのか」
と驚いてしまった。

仏というより人間に近い写実的な表現で、ひと目みて、平安時代末期から鎌倉時代にかけて奈良や京都、鎌倉などを中心に活躍した運慶や快慶を含む一大仏師集団「慶派」の作品であることはわかった。

同美術館では初出展の阿弥陀如来坐像。印象の自宅に置いていたらしく、府教委文化財保護課に聞いてみても、調査した記録もなく、どうやら人目に出るのも初めてらしい。
かつて仏像を追いかけて寺院巡りをしていたころの記憶を呼び起こすような出会いだった。

さっそく同美術館の松尾敦子学芸員に問い合わせたところ、
「目利きとして知られる堂本印象だけに、すばらしい作品。彫刻史上貴重な作例で、今回の展示の目玉のひとつです」
と絶賛の声を惜しまなかった。


興味津々の語り口で、つい惹き込まれてしまいます。

このあとも記事が続きますが、ポイントだけをなぞると、次のようなものかと思います。

像高約80㎝の阿弥陀像で、運慶作、興福寺北円堂・弥勒仏像を模したような造形だが、本像は彫眼の弥勒像と違い玉眼で、全体的に穏やかな仕上がりになっており湛慶風をうかがわせるものがある。

作者を示す胎内銘などはなく、湛慶作かどうかの根拠はないが、京都市立芸大の礪波(となみ)恵昭教授は、
「特徴は運慶後の、湛慶と同じ世代のものに間違いない。
釈迦や阿弥陀、藥師などといった如来像で湛慶作がないだけに貴重」
とのコメントで、今後の調査に期待がかかる。

以上のような内容でした。

単なる、プレス発表の取材記事ではなくて、ちょっとドキュメント風の「読ませる記事」だと感じられたことと思います。



【現状では、「湛慶作の可能性もある」注目仏像という見解?】


「見出し」を見たときには、

「エーッ、湛慶作の仏像の新発見か!」

と、驚いたのですが、読み進んでいくと、

「初公開の阿弥陀如来像は、鎌倉前期の慶派の作とみられる佳品で、湛慶の世代頃の制作を思われる。
湛慶作という可能性もある。」

ということのようです。

「湛慶作か?」というニュースが掲載されたのは、これだけで、他の新聞各紙には、湛慶作の可能性にふれた記事は見つかりませんでした。

「湛慶作?仏像の発見」というプレスリリースがあったわけではなくて、この阿弥陀如来像が湛慶作であってほしいという、執筆記者の方の気持ちがこめられ、記事掲載されたのかなという感じがしました。



【佳品ぞろいの知られざる堂本印象所蔵の仏像コレクション】


湛慶作かどうかはともかくとして、日本画檀の巨匠、堂本印象(1891-1975)の秘蔵コレクションに本像をはじめとした佳品の古仏があり、それが展覧会で初公開されているというのは、耳寄りな話しです。

京都府立堂本印象美術館で、開催中の展覧会です。

「堂本印象 ほとけを描く ほとけを愛でる
2019年5月29日(水)~9月23日(月・祝)


「堂本印象 ほとけを描く ほとけを愛でる展」チラシ

「堂本印象 ほとけを描く ほとけを愛でる展」チラシ


生涯通して多くの仏画を手掛けた堂本印象は、仏像も所蔵していたようで、本展では堂本印象コレクションから平安~鎌倉期の4体の仏像が初公開、初出展されるということです。

堂本印象蔵のこのような仏像があるというのは、私もまったく知りませんでした。
展覧会チラシや、掲載写真をみると、小ぶりながらなかなかの佳品という感じがします。

知られざる仏像の初公開ということで、大変興味深いものがあります。



【意外に少ない湛慶真作が明らかな仏像~如来形像は無し】


ところで、この初公開の阿弥陀如来像、「湛慶作の可能性」について、皆さんどのように感じられたでしょうか?

私は、鎌倉彫刻の世界は、どうも疎くて、

「湛慶風といわれれば、そんなものかという感じで、よくわからない。」

というのが、本音のところです。

湛慶の事蹟は、史料からもいろいろと伺えるのですが、湛慶の制作とはっきり言える作品は、意外にもそんなに多くありません。

父運慶と並んでその名が連ねられるものを外すと、湛慶の真作が明らかとされる作品は、

雪蹊寺・毘沙門天、吉祥天、善膩師童子像(嘉禄元年・1225年頃)、蓮華王院本尊千手観音坐像(建長6年・1251)及び千体千手観音像のうちの9躯

だけです。

湛慶作~高知県雪蹊寺・毘沙門天、吉祥天、善膩師童子像
湛慶作~高知県雪蹊寺・毘沙門天、吉祥天、善膩師童子像

湛慶作~三十三間堂本尊・千手観音坐像
湛慶作~三十三間堂本尊・千手観音坐像

また、湛慶作に間違いないとみられるものには、

高山寺・善妙神立像、白光神立像、狛犬3対、神鹿像1対、仔犬像

があります。

湛慶作~高山寺・善妙神立像湛慶作~高山寺・白光神立像
湛慶作~高山寺・(左)善妙神立像、(右)白光神立像

湛慶作~高山寺・仔犬像
湛慶作~高山寺・仔犬像

以上が、一般に湛慶作として認められている作品です。

これらの作品をみてみても、

「いかにも湛慶の作風」

といった、誰にでもわかるような湛慶風の特徴がくっきりと見受けられるという訳ではありません。

初公開の堂本コレクションの阿弥陀如来像は、「湛慶作か?」と云われても、素人には、難しいというか、なかなか悩ましい処です。



【湛慶作の可能性が云われる如来形像は?】


記事にもありましたが、

「湛慶作と特定されている如来形像は、現在の処、一躯もない。」

ということです。

確かにそう云われてみれば、そのとおりです。

湛慶の作風については、
「運慶の作風を基盤として、量感を減じて洗練し、写実表現を推し進めた」
という風に云われているようですが、そんな作風概念だけでは、また湛慶作という諸像と較べ併せても、同じ如来形像ではないだけに、似ているのか似ていないのか、イメージが沸いてきません。

それでは如来形の仏像で、湛慶作の可能性が論じられている像には、どのようなものがあるのでしょうか?

いろいろ議論はあるのでしょうが、

西園寺・阿弥陀如来坐像(円派仏師隆円作との見方もあるようです)、西念寺・阿弥陀如来坐像、西寿寺・阿弥陀如来坐像

などが、作風が湛慶風で、湛慶作の可能性があるとされているようです。

西園寺・阿弥陀如来坐像(鎌倉・重文)
京都市上京区~西園寺・阿弥陀如来坐像(鎌倉・重文)

京都市左京区~西念寺・阿弥陀如来像(鎌倉)京都市右京区~西寿寺・阿弥陀如来像(鎌倉)
(左)京都市左京区~西念寺・阿弥陀如来像(鎌倉)、(右)京都市右京区~西寿寺・阿弥陀如来像(鎌倉)



【湛慶風か?  私には難し過ぎてよくわからない堂本コレクション像】


これらの「湛慶作か?と云われている如来形像」と較べてみて、堂本コレクション像はどうでしょうか?

堂本印象蔵・阿弥陀如来坐像
堂本印象蔵・阿弥陀如来坐像

「ウーン、よくわからない!!」

鎌倉彫刻にとんと疎い私には、やっぱりそんな感じの印象です。


実物を見ていないで、写真で見る限りの個人的な印象では、
堂本コレクション像は、他の湛慶作かといわれる如来形諸像と較べて、ちょっと躍動感が少なく、線が弱いような感じもしますが・・・・・・・

作風から、作者である仏師を特定していくというのは、なかなか難しいことだと、今更ながらに思った次第です。


皆さんは、どのように感じられたでしょうか?



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