奈良、京都に在る、ちょっと知られざる古仏を、これからいくつか、ご紹介してみたいと思います。
奈良、京都の「かくれ仏」とでもいうのでしょうか?
奈良や京都は、超一流の仏像が此処そこに一杯あります。
誰もが知る有名な美仏が祀られる古寺には、沢山の参拝者が毎日訪れますが、ちょっと外れた場所にあると、重要文化財に指定されている仏像でも、あまり訪れる人がありません。
また、奈良京都の仏像は、出来の良さ、素晴らしさのレベルが圧倒的に高くて、
というように感じることも、結構あります。
地方に在れば、
「バリバリの重要文化財指定、間違いなし!!」
と思う古仏が、「無指定」というケースに出くわすことも、間々あって、流石に競争激烈という感じです。
そんな、奈良京都に在っても、訪れる人があまりいないが結構見どころのある「かくれ古仏」を、これから折々、少しずつご紹介していきます。
最初は、奈良市法華寺町に在る、地蔵菩薩立像です。
まずは、地蔵菩薩の写真をご覧ください。
写真うつりがあまり良くないのですが、なかなか堂々たる見事な平安古仏の一木彫像です。
それなりの迫力を感じます。
この地蔵菩薩、なんと墓地のなかにある小さなお堂に、ぽつんと置かれているのです。
この墓地は、国宝十一面観音で有名な法華寺の北、2~300メートルのところに在ります。
奈良市・法華寺町という処で、バス停「法華寺北町」で降りると、すぐそこです。
バス停を降りて、出会った人に尋ねても
きっとここだろうと、恐る恐る墓地の中に入って行きました。
お寺に属した墓地ではなく、共同墓地になっているようで、なかに粗末な簡素な休憩所と、お堂が見えます。
お堂には鍵はかかっていますが、管理の方がいるわけでもありません。
平安前~中期の作ではないかと云われる地蔵菩薩立像は、そのお堂の中に、佇んでいました。
ひっそりと墓地を守っているという風情です。
お堂の扉のガラス格子越しにしか見ることが出来ませんでしたが、堂々たる重厚感ある姿です。
像高は135㎝だそうです。
堅木に彫られていることもあるのでしょうか、やや大雑把な衣文表現で、ごつごつした感じがして、それがまた一つの迫力になっているように思えます。
衣文線の彫りが少々浅いのと表現に形式化、硬直化的な処が見えるのがちょっと気になるところです。
表面が、結構あしゃれているようで、磨滅しているのかもしれません。
それにしても、なかなか見どころのある一木彫の平安古仏です。
この仏像が、全くの無指定とは、ちょっと信じられません。
どうして、こんなところにこんな立派な平安古仏が、さびしげな墓地のお堂に、ぽつんと置かれているのでしょうか?
本当に、びっくり!!です。
この共同墓地のお堂では、仏像が祀られていたとしても、江戸時代~明治時代あたりに造られたありふれた仏像がせいぜいだろうとしか思えません。
地元の方も、きっと重文級の立派な平安古仏とは、あまり考えたことがないのかも知れません。
どう見ても、立派な文化財としての扱いを受けている感じではありません。
この仏像があるのを知ったのは、「大和のかくれ仏」という本に採り上げられていたからでした。
昭和51年(1976)に、創元社から出版された古い本で、奈良石仏会主幹の清水俊明氏が書かれています。
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清水俊明著「大和のかくれ仏」 |
清水氏は、この本で「法華寺墓地の地蔵」と題して、このように書かれていました。
「この地蔵像の作風は、博物館に並べても決して見劣りしない藤原彫刻の秀作である。
特にその厳粛な顔つきと、すこぶる重量感ある体部の肉付け、衲衣の流麗な流れの衣文線は優れ、腹部から両膝に流れるY字形の衣文線は、平安時代の特色を示すものである。
もとは由緒正しい寺院にまつられていた地蔵尊とも思われるが、一流仏師の技量の域に達した高い水準の作品である。
見学者も訪れない墓地のお迎え地蔵尊として、この地区の人々に引導を渡し、冥途への道を迷わないように導く地蔵尊として、信仰されてきたのであるが、墓地にまつられた地蔵像にも、平安時代の古像がみられるというのは、いかにも仏教古都、大和ならではのことであろう。
仏像の少ない他県なら、とっくに重要文化財に指定される価値のある仏像である。
今後の完全な保存を願ってやまない。」
これを読んで、一度は観ておかなければと、3年ほど前に訪れてみたのですが、果たして期待に違わぬ立派な地蔵像でした。
清水氏の云う
「重要文化財に指定される価値のある」
かどうかは置いたとしても、無指定は、どう見ても不思議としか言えません。
ただ、奈良市の文化財としては注目されているようで、
「奈良市の仏像 奈良市彫刻調査報告書」奈良市教育委員会
昭和62年(1987)刊
にしっかり採り上げられています。
解説にはこのように記されています。
「法華寺町の共同墓地の中央の小堂に安置されている地蔵菩薩立像である。
像高132.5㎝とやや小ぶりであるが、両手首、両足先を矧ぎ付ける他、略全容を木心を込めた欅(けやき)の一材から彫成して内刳りも施されていない。
左手で宝珠を執り、右手を垂下して直立する形の像で、体躯の奥行をたっぷりとって等身に満たない像とは思えない大きさを感じさせる。
頭部は、体躯と同様奥行きを十分にあらわしているが、目鼻立ちの彫りのやや浅いのが特徴的である。
衣の襞は一見形式的に整えられた感はあるが、はっきりと刻まれてめりはりがある。
9世紀後半の地蔵菩薩の古例である。
平安時代の彫像で欅(ケヤキ)材を用いる例は近畿地方では比較的少ないが、天理市、桜井市などなどで作例がみられ、当市(奈良市)では珍しく、或いは何れかからもたらされたものかと推測される。」
「なるほど」と、私の実感にぴったりの解説です。
なかなかの褒め言葉の解説の仏像なのに「未指定」なのは、なにか、事情でもあるのでしょうか?
「9世紀後半の制作」と断じられている処は、皆さんどのように感じられるでしょうか?
微妙な処かとも思いますが、ケヤキと云いう堅木の材の持つ特性を見事に発揮させた、重量感と硬質感ある強さを感じさせる迫力像だと思いました。
天理市、桜井市近辺には、平安時代の欅の作例がみられるということですが、どの様な像なのでしょうか?
ちょっと調べてみましたら、次のような平安古仏が、ケヤキ材でつくられているのが判りました。
・天理市合場町 廃教恩寺 薬師如来坐像(10世紀前半)
・天理市杣之内町 薬師堂 如来坐像・菩薩坐像(10~11世紀)
・天理市檜垣町 元暦寺 薬師如来坐像(平安後期)
・天理市和爾町 善福寺 薬師如来坐像(平安後期)
・明日香村 橘寺 地蔵菩薩立像(9~10世紀)
・桜井市芝 慶田寺 十一面観音立像(10世紀以前)
・桜井市三輪 平等寺 十一面観音立像(11世紀)
・橿原市北八木 国分寺 十一面観音立像(10~11世紀)
・奈良市虚空蔵町 弘仁寺 明星菩薩立像(9世紀)
欅材は広葉樹で堅木ですので、重厚感、硬質感を感じさせるように思います。
法華寺町の地蔵菩薩の話に戻ります。
この地蔵菩薩像。
じっくり見れば見るほどに、堂々たる重厚感が伝わってきます。
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法華寺町・地蔵像と共に祀られる菩薩立像 |
中央の一流作という感じではありませんが、奈良の周辺で平安前中期に制作された在地の古像では、見るべき平安古仏の一つだという感を深めました。
地蔵像の脇には、平安期の作と思われる菩薩立像も祀られています。
私は、30~40分墓地の小堂の前にいましたが、その間に、共同墓地を訪れる人は誰もなく、本当に寂しく、ひっそりとしていました。
わざわざ拝しに来る方は、本当に稀なのだろうと思います。
こんな立派で、魅力ある平安古仏が、知る人も少なくひっそり祀られているというのは、流石に仏像の宝庫、奈良ならではと云えるのでしょう。
是非一度、法華寺から足を伸ばして、この法華寺町の地蔵菩薩立像を訪ねてみられることをお薦めします。