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観仏日々帖

こぼれ話~天龍山石窟の発見と石仏流出物語〈その6〉 最終回 【2021.03.06】


7.流出石仏の所蔵先変遷にまつわるエピソード


長々綴ってきた「天龍山石窟の発見と石仏流出物語」も、今回で最終回としたいと思います。

最後に、天龍山石窟流出石仏の所蔵者の変遷、売買などにまつわるエピソードなどを、いくつかご紹介したいと思います。

根津嘉一郎が、昭和3年(1928)に山中商会から46点を一括して購入、所蔵し、その後、昭和12年に欧州6ヶ国と東京帝室博物館に三十数点を寄贈した話は、〈その4〉でご紹介した通りです。

現在、国内の博物館、美術館が所蔵している天龍山石窟石仏は、30点ありますが、その蒐集者、旧蔵者については、前回〈その5〉の一覧表に付記させていただきました。



【天龍山石窟「如来倚像」(重文)が、東博所蔵となるまでのエピソード】


東京国立博物館蔵となっている首のない「如来倚像」が、博物館の所蔵に至るまでのいきさつには、ちょっと面白いエピソードがあります。

228天龍山石窟⑥:東博蔵・如来倚像(天龍山第21窟?)228天龍山石窟⑥:東博蔵・如来倚像(天龍山第21窟?)
東京国立博物館東洋館に展示されている天龍山石窟・如来倚像
(重文・唐8C~第21窟?)


この首のない「如来倚像」は、天龍山石窟遺作中秀抜の一作として知られる素晴らしい出来の像で、重要文化財に指定されています。

8世紀、唐文化成熟期の制作で、元あった窟ははっきりしませんが、第21窟にあったのではないかと云われています。



【「わかもと」長尾欽也・よね夫妻のコレクションであった「如来倚像」
~戦後、コレクションは散逸】

この「如来倚像」は、長らく、長尾欽也・よね夫妻の所蔵品でした。

228天龍山石窟⑥:長尾欽也・よね夫妻
長尾欽也・よね夫妻

長尾欽也・よね夫妻は、昭和初年から戦前にかけ、栄養薬「若素(わかもと)」で大いに財を成した人物で、また美術品の大コレクターとしても知られています。

数々の名品を所蔵していました。
現在国宝に指定されている、奈良国立博物館蔵「薬師如来坐像」、MOA美術館蔵「野々村仁清作・色絵藤花文茶壺」、福山市(ふくやま美術館)所蔵・刀剣「太閤左文字」「江雪左文字」なども、長尾家の所蔵品でした。

228天龍山石窟⑥:奈良博蔵・薬師如来像(国宝)~京都若王子社伝来228天龍山石窟⑥:MOA美術館蔵・野々村仁清作・色絵藤花文茶壺(国宝)
長尾氏のコレクションであった「国宝」作品
(左)奈良博蔵・薬師如来像(平安前期)、(右)MOA美術館蔵・仁清作色絵藤花文茶壺(江戸)


戦後になって事業に失敗し、これらのコレクションは売却され散逸しました。


本像が、東京国立博物館所蔵に至るいきさつについては、古美術商「繭山龍泉堂」の社主であった繭山順吉氏が、自著「美術商のよろこび」(1985年刊・非売品)に思い出話を綴っています。

228天龍山石窟⑥:「美術商のよろこび」長尾氏旧蔵・如来倚像についてのエピソード掲載ページ
繭山順吉著「美術商のよろこび」
長尾氏旧蔵「如来倚像」を採り上げたページ


興味深い話なので、ご紹介したいと思います。



【山中商会「支那朝鮮古美術展観」(1934)への出展像を、長尾氏が購入】


長尾氏が「如来倚像」を手に入れたのは、昭和9年(1934)のことです。

山中商会が主催し、上野の日本美術協会で開かれた「支那朝鮮古美術展観」に、本像を含めた天龍山石窟石仏が陳列されたのです。

228天龍山石窟⑥:「支那朝鮮古美術展観」での石仏展示風景(「ハウス・オブ・ヤマナカ」掲載写真)
「支那朝鮮古美術展観」での石仏展示風景(「ハウス・オブ・ヤマナカ」掲載写真)

展観目録を見ると、17点の天龍山石窟石仏が出展され、本像は
「目録番号377:唐 砂巖石 観音坐像 天龍山」
として掲載されています。

228天龍山石窟⑥:「支那朝鮮古美術展観」目録

228天龍山石窟⑥:「支那朝鮮古美術展観」目録掲載の天龍山石窟石仏
「支那朝鮮古美術展観」目録と天龍山石窟石仏写真掲載ページ

228天龍山石窟⑥:「支那朝鮮古美術展観」目録掲載の如来倚像
「支那朝鮮古美術展観」目録に掲載されている如来倚像

現在は「如来倚像」とされていますが、目録には何故だか「観音坐像」として掲載されていました。

長尾氏は、本像を購入し、鎌倉に新築したばかりの「湖扇荘」という個人美術館に陳列したそうです。



【繭山龍泉堂から、ボストン美術館に売却されるはずだった「如来倚像」(昭和30年代)


戦後、昭和30年代のことだと思うのですが、長尾コレクションが売却される流れの中で、「如来倚像」は、古美術商・荻原安之助氏の手を経て、繭山龍泉堂・繭山順吉氏の所有となりました。

繭山氏は、この石仏像をボストン美術館に売却するということで、話が進めていたそうです。

「その頃,ボストン美術館の東洋部長、富田幸次郎氏が来店され、その石仏を是非、ボストンで買いたい、と云われた。
・・・・・
美術商として、ボストン美術館が欲しいというものを持っていることは、大変うれしいことであり、ボストン美術館にものを納めたということは、大変な光栄と思われたのである。
私は、かつてボストン美術館にものを買ってもらったことがない。
だから、何とかこの石仏を納めて縁を結びたいと心で思った。」

と、語られています。

228天龍山石窟⑥:繭山順吉氏228天龍山石窟⑥:富田幸次郎氏
(左)繭山順吉氏、(右)富田幸次郎氏



【「重要美術品」を事由に、輸出許可が下りなかった「如来倚像」
~東京国立博物館の買い上げに】

本像は、昭和9年(1934)に「重要美術品」の認定を受けていましたが、繭山氏は天龍山石窟のものは日本に何点もあるので、簡単に輸出の許可がおりるものとの心積りで、文化財保護委員会の許可を得るために正式の手続きをしたそうです。

ところが、このボストン美術館への売却に、国から待ったがかかりました。
228天龍山石窟⑥:和辻哲郎氏
和辻哲郎氏


「或る日、有名な和辻哲郎先生を団長に、委員会の人たちが数名、店へ来られた。
そして、この石仏をご覧になった。
結論としては、和辻先生はじめ他の委員たちは、これは外国に売るべきではない、とされた。」

といういきさつで、ボストン美術館に渡ることなく、東京国立博物館が本像を買い上げることとなったということです。

そして、本像は昭和33年(1958)に重要文化財に指定されて、東京国立博物館の所蔵になり、現在に至っているという訳です。



【「吉備大臣入唐絵詞」(ボストン美術館蔵)海外流出事件(1933)を機に、制定された「重要美術品」認定】


この「如来倚像」が認定されていた「重要美術品」というのは、昭和8年(1933)に制定された「重要美術品等ノ保存ニ関スル法律」により「海外輸出するには文部大臣の許可が必要とする」と認定された文化財のことです。

昭和25年(1950)時点で、約8200件が重要美術品に認定されていました。

ご存じの通り、この法律は、日本にあった「吉備大臣入唐絵詞」をボストン美術館が購入していたことが昭和8年(1933)に判明し、超名品文化財の海外流出事件として国内で大騒ぎとなったことを契機に、文化財の海外流出を防ぐため、急遽制定されたものです。

228天龍山石窟⑥:吉備大臣入唐絵詞
ボストン美術館が購入した「吉備大臣入唐絵詞」



【因縁話のような「重要美術品」と「富田幸次郎氏」との関わり】


この「吉備大臣入唐絵詞」を購入したのが、ボストン美術館東洋部長、富田幸次郎氏でした。
富田氏は、この事件で、一時は「国賊呼ばわり」されたと云います。

その富田氏が購入しようとした天龍山石窟「如来倚像」の海外流出を、富田氏が絡んだ出来事により制定された「重要美術品」の法律によって、国が阻止したということになります。

何やら、意趣返しというか、因縁話のようなものを感じてしまうエピソードです。



【2008年、NY・クリスティーズオークションに登場した天龍山石窟・石仏首
~第10窟西壁、如来坐像の頭部】

近年の話題を、一つご紹介します。

2008年には、ニューヨークのクリスティーズのオークションに天龍山石窟・石仏首が出品されました。
この石仏首のオークション出品、競落の顛末については、朽木ゆり子氏著「ハウス・オブ・ヤマナカ」に記されています。

228天龍山石窟⑥:2008年オークションに出品された天龍山石窟第10窟西壁、如来坐像頭部
2008年オークションに出品された天龍山石窟第10窟西壁、如来坐像頭部

出品された石仏首は、天龍山石窟第10窟西壁、如来坐像の頭部でした。
シカゴ大学「Tianlongshan CAVES PROJECT」サイトにも、10窟の像として、「Private/Unknown」とされて掲載されています。

228天龍山石窟⑥:盗鑿前の第10窟西壁(「天龍山石窟」掲載写真)

228天龍山石窟⑥:現在の第10窟西壁
(上)盗鑿前の第10窟西壁(外村大治郎著「天龍山石窟」掲載写真)
(下)現在の第10窟西壁


朽木氏によれば、
この頭部は、多分1930年代の後半に山中商会のアメリカ店に運ばれたもので、その後、ウォルター・バーレイス夫妻のコレクションに入ったものだそうです。
バーレイス夫妻の遺族が、クリスティーズの競売に出したものだと思われます。

中国では、外国にある自国の美術品を買い集める動きが活発になっているさなかで、

「この天龍山石窟の如来座像頭部が、ニューヨークで競売に出るということは競売前から中国でも話題になっており、山西省のコレクターがこの頭部を落札して、政府に寄付するつもりらしいという情報も伝わってきていた。
そして、政府はそれを天龍山第10窟にある如来像の胴体の上に戻す。
つまりこれまで欠けていた頭が戻って、如来座像が完璧なものになるーーーというのである。
胴体から取り外され、80年近く外国をさまよっていた仏の頭が、ついに元の石窟に戻ってくるというのは確かに大きなニュースだった。」
(「ハウス・オブ・ヤマナカ」)

ということであったようです。



【中国に戻った石仏首~80万ドル超の高額で落札】


競売の評価額は20~30万ドルということだったのですが、どんどんと値が競り上がり、ついに86万6500ドルという高額での落札となりました。
(当時のドル円相場で、約9000万円になります)

果たして、落札者は、予想通りというか、山西省のコレクターだったそうです。

中国に戻った石仏首ですが、

「この頭部はまだ天龍山の第10窟に戻されてはいない。
石窟に残されている胴体部分の風化がひどく、上に頭を載せることはできないし、また石窟では保管状態も保証できないというのがその理由だ。
博物館に寄附する話が進んでいるようだ。」
(「ハウス・オブ・ヤマナカ」)

ということだそうです。



【今年、「日本から中国へ、天龍山石窟の石仏首帰還」のホットニュースが(2021年2月)


そろそろ天龍山石仏の所蔵先変遷のエピソードも終わりにしようかと思っていた処ですが、こんなホットニュースが飛び込んできました。

NETのニュースに、このような見出しの記事が掲載されていたのです。

「海外流失の石仏首が日本から「帰国」、約100年ぶりに祖国に戻る―中国」
2021年2月12日付 @niftyニュース  Record China

この石仏首というのは、天龍山石窟流出石仏のことでした。

228天龍山石窟⑥:中国に帰還した天龍山石窟第8窟北壁主尊仏首228天龍山石窟⑥:中国に帰還した天龍山石窟第8窟北壁主尊仏首
中国に帰還した天龍山石窟第8窟北壁主尊仏首

仏首は、第8窟北壁の主尊の首であるというのです。。

228天龍山石窟⑥:天龍山石窟第8窟
天龍山石窟第8窟



【オークション出品情報から、交渉を経て中国へ帰還の運びに
~第8窟北壁主尊仏首に間違いないことを確認】


日本から中国に帰還することになった経緯について、記事はこのように報じています。

「昨年9月に日本のオークション会社が「天龍山石仏頭像」のオークションを行うとの情報を国家文物局が察知し、鑑定の結果1924年前後に盗まれて海外に持ち去られた天龍山石窟第8窟北壁主尊仏首であることを確認した上で、オークション会社にオークションの中止を求めたとした。

228天龍山石窟⑥:盗鑿前の天龍山石窟第8窟北壁(「天龍山石窟」掲載写真)
盗鑿前の天龍山石窟第8窟北壁(外村大治郎著「天龍山石窟」掲載写真)

そして、このオークション会社の在日中国人会長を通じて日本人の石仏首所有者と意思疎通を図り、協議の上で石仏首を中国側に寄贈することが決定したと紹介。

昨年11月17日に東京の中国大使館で引き渡し式が行われ、その後日本の文化庁から文化財の出国許可を取得し、12月12日に北京へと運搬されてついにおよそ100年ぶりに祖国に戻ってきたと伝えた。」

日本人の所蔵となっていた天龍山石窟石仏首が、オークションに出されることになり、この情報を得た中国文物局が、オークション会社を通じて中国へ帰還させるべく交渉し、中国側に寄贈する形で中国に戻されたというのです。



【中国国内で大きく報道された石仏首の帰還~北京魯迅博物館に展示公開】


この石仏首の中国へに帰還は、2月12日の春節に合わせて、発表されました。
国家文物局が推進している、「海外に流失した文化財の祖国帰還プロジェクト」の、ちょうど100点目になり、このタイミングでの発表となったということです。
帰還石仏首は、北京の魯迅博物館で開催される「天龍山洞窟の国宝の返還とデジタル復元特別展」(2/12~3/14)で、展示公開されたいうことです。

228天龍山石窟⑥:北京魯迅博物館での公開展示ポスター228天龍山石窟⑥:北京魯迅博物館に展示される第8窟北壁主尊仏首
北京魯迅博物館での公開展示ポスターと展示される第8窟北壁主尊仏首

このニュース、日本の新聞各紙等では報道されていないようなのですが、中国国内では、結構大きく採り上げられているようです。
NET検索すると、この石仏首の帰還を大きく報じる、中国語のニュース記事が数多くりました。
記事には、帰還した石仏首の写真をはじめ、盗鑿前の第8窟北壁の古写真、盗鑿され首が剥ぎ取られた現在の第8窟の写真などが、いくつも掲載されていました。

228天龍山石窟⑥:盗鑿前の天龍山石窟第8窟北壁写真228天龍山石窟⑥:現在の天龍山石窟第8窟北壁
盗鑿前の天龍山石窟第8窟北壁と現状写真



【世に広く知られることなく所蔵されていた石仏首
~まだまだ知られざる天龍山石窟流出石仏が存在?】

ところで、この石仏首は、山中定次郎「天龍山石仏集」や山中商会「支那古陶金石展観目録」、「支那朝鮮古美術展観目録」にも見当たりません。
また、シカゴ大学「Tianlongshan CAVES PROJECT」サイト掲載の像、163点の中にも、見当たりません。

しかし、天龍山石窟第8窟北壁主尊の仏首であることは、間違いないようです。
報道によると、遺されている古写真の画像と比較して、仏の首の襞の痕跡、頬の三角形の風化痕が一致するほか、欠けていた鼻先の補修跡がみられることから、当該像と確定されたということです。

228天龍山石窟⑥:第8窟北壁主尊仏首側面~頬の三角形の風化痕が盗鑿前写真と一致する
第8窟北壁主尊仏首側面
頬の三角形の風化痕が盗鑿前写真と一致する


きっと、日本の個人コレクションとして、世に広く知られることなく、所蔵されていたのではないでしょうか。

シカゴ大学の「天龍山石窟プロジェクト」サイトに掲載されているもので、流出石仏がすべて網羅されているということではないようです。
まだまだ、知られざる天龍山石窟の流出石仏が、個人所蔵などの形でいくつも残されているのかもしれません。

中国が大きく発展成長し、国力が強くなってきている中で、貴重な流出文化財の中国への帰還への動きは、益々盛り上がっていくことと思われます。
ほとんどの石仏首などが、無残にも海外流出してしまった天龍山石窟石仏ですが、これからも、折々、中国への帰還が果たされていくことになるのでしょう。




8. お わ り に


6回に亘って連載してきた「天龍山石窟の発見と石仏流出物語」も、これでおしまいです。

ちょっと長い話になってしまいましたが、天龍山石窟発見からの歴史を振り返ってみると、次のような流れがあることが判りました。

*知られざる仏跡であった天龍山石窟は、関野貞が大正7年(1918)に発見したものであること。

*当時、「世界への天龍山石窟の発見、紹介」は、日本人の手によってなされるべきという時代的気運が、国内で盛り上がっていったこと。

*こうしたなか写真集「天龍山石窟」(1922) の発刊等で、その存在が世に知られ、天龍山石窟の徹底的な盗鑿の一つの大きな契機となるという、皮肉な結果をもたらしたこと。

*これらの石仏の海外流出には、世界的古美術商「山中商会」が大きくかかわり、1930~30年代に、日本、アメリカを中心に売り捌かれたとみられること。

*現在の天龍山石窟流出石仏の所蔵状況は、シカゴ大学の調査プロジェクトにより163点が明らかになっており、その所蔵先などはNETサイトに公開されていること。

*流出石仏の所蔵先の変遷には、いくつかの興味深いエピソードがあり、近年ではオークションに出品された流出石仏が、中国への帰還を果たすという動きが盛り上がってきていること。

などと云って良いのでしょうか。


天龍山石窟の発見から石仏流出の歴史、エピソードなどは、私もこの話をご紹介してみようと思うまでは良く知らなかったのですが、いろんな資料を調べてみればみるほどに興味津々となり、随分のめり込んでいってしまいました。
私にとっては、初めて知った話が沢山あって、結構刺激的なものがありました。

かなり細かい話になってしまいました。
お愉しみいただけたかどうか判りませんが、お付き合いいただき有難うございました。


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