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観仏日々帖

こぼれ話~天龍山石窟の発見と石仏流出物語〈その5〉 【2021.03.06】


6.天龍山石窟流出石仏の所蔵先と原位置復元の調査研究


天龍山石窟の石仏は、そのほとんどが盗鑿され海外流失したわけですが、どれぐらいの数の石仏が流出し、現在は、何処に所蔵されているのでしょうか?


【なかなか難しい、流出石仏の追跡トレース】


海外流出した石仏は100点以上とも、200点以上とも云われているようなのです。

ただ、世界中に散逸した流出石仏を追跡して調査し、現在の所蔵先を特定していくというのは、並大抵のことではないことは容易に想像がつきます。
博物館や美術館の所蔵となっているものは、丹念にトレースしていけば、把握することは可能なのでしょうが、相当数あるコレクターの個人所蔵となっているものの存在を把握するのは、相当困難な事であろうかと思われます。

そして、その流出石仏が、天龍山石窟のどの窟のどの尊像のものであったかを特定するという復元的調査というのは、盗鑿前の古写真資料などが限られたものであるだけに、ますます難しいということになるのでしょう。



【第二次大戦後、進められてきた流出石仏の把握調査と原位置復元研究】


第二次大戦後、世界各国に所蔵されている天龍山石窟石仏像について把握調査して、原位置の復元を試みるとともに、編年するという研究がいくつかなされているようです。

神谷麻里子氏の論考「天龍山石窟の研究~研究史と問題点」からつまみ食いでご紹介すると、次のようなものがあるようです。

1965年には、シカゴ大学のHarry Vanderstappen氏、Marylin Rhie氏が 「The Sculpture of T'ien Lung Shan: Reconstruction and Dating」 という論文を発表しています。

この研究は、
「流失した諸像を集め、その所在を推定し、石窟の復元を試みた本格的論考で、天龍山石窟研究を大きく前進させた。」
というものです。

英語が苦手な私は、どんな内容なのか、見てみたことがありませんが、その後の天龍山石窟石仏の編年研究などに、大きく寄与したものだそうです。



【日本人の現地調査実施は、日中国交回復後の1980年代から】


戦後、わが国で、天龍山石窟の現状調査や石仏の復元的研究がなされたのは、1980年代に入ってからのことでした。
日本と中国の国交が回復正常化したのは、1972年(昭和47年)のこと。
文化交流も儘ならぬなか、天龍山石窟の現地調査など叶わぬことだったのでしょう。

戦後、日本人が天龍山石窟を訪れることが出来たのは、1980年代のことです。
1981年(昭和56年)には、筑波大学の訪中団が6月に、江上波夫氏を団長とする訪中団が8月に、天龍山石窟を訪問調査するなどしています。

筑波大学訪中団の林良一氏、鈴木潔氏は、天龍山石窟の調査結果を、仏教芸術141号に 「天竜山石窟の現状」(1982) と題する調査報告論文を発表し、その中で、海外流出した多数の石仏の原位置復元調査研究も行っています。

論文には、
「各窟の現状と、流出石仏の原位置推定の一覧表」
が掲載されています。

227天龍山石窟⑤:「天竜山石窟の現状」所載一覧表の一部
論文「天竜山石窟の現状」所載一覧表の一部
各窟別の造立尊像名と、流出石仏の復元推定位置・所蔵先名が記載されている
グリーン色に上塗りしたものが流出像と、その所蔵先


一覧表には、各窟の現状調査による当初の造像尊像一覧と、海外流出した石仏の推定原位置が細かく掲載されています。
原位置が掲載されている流出石仏数は100点弱です。
多くは各国の博物館等の所蔵像ですが、旧山中商会などとして、現所蔵先が明示されていないものも20点近くありました。



【流出石仏の追跡調査に情熱を傾けた、在野の田村節子さん】


ここで、天龍山石窟の流出石仏の追跡調査と、復元位置確認に情熱を傾けた、在野の人物を、ご紹介しておきたいと思います。

田村節子さんという方です。
田村節子さんは、「花柳流師匠、花柳駒」という名の方が有名で、舞踏家として活躍していた方です。
また俳優、田村高広氏(1928~2006)の夫人であるという人です。

田村節子氏は、1981年に江上波夫氏を団長とする訪中団に、「東アジアの古代文化を考える会」の一員として参加、偶然にも、天龍山石窟見学が許されました。
この時、あまりにも無残に盗鑿され削り取られた石窟内の惨状を目のあたりにして、悲痛な思いを抱いたそうです。
また現地で、「この犯人は日本人である」という話を聞かされ、強く心締め付けられたと云います。
無残な石窟を前に、俄然、流出した石仏の行方を追ってみたいとの思いに駆られたそうです。

そして帰国後、
「流出石仏を徹底的にトレースして、その調査結果だけでも中国側に提供したい。」
と、一念発起。
大変な労苦を重ねた復元調査の成果を、中国に引き渡したのでした。



【マスコミも、田村氏の取り組みを採り上げ紹介】


田村氏の情熱あふれる取り組みは、マスコミでも採り上げられる処となり、次のような記事が掲載されています。

「日本の略奪 私が償い 田村高広氏夫人
荒廃の中国・天竜山石窟 復元に仏像の所在・資料 渡す」
(朝日新聞 1982年7月12日付朝刊)

「石仏供養  天竜山石窟の再現に情熱を燃やす 花柳駒さん」
(季刊「銀花」52号 1982年12月刊)

227天龍山石窟⑤:田村節子氏流出仏追跡記事~朝日新聞1982.7.2付
朝日新聞記事 1982年7月12日付朝刊

227天龍山石窟⑤:田村節子氏流出仏追跡記事~季刊銀花52号
季刊銀花52号掲載記事の一部 1982年12月刊

記事には、このように記されています。

「天龍山石窟の惨状を目のあたりにした東京の女流舞踏家が「日本人としての罪のつぐないに・・・」と四散した仏像の所在や資料写真を集め、6月下旬、石窟の復元を進めている中国側に引き渡した。」(朝日新聞)

(註:天龍山石窟訪問から)帰国した駒さんは、さっそくそれらの(註:流出石仏を所蔵する)美術館を訪ねた。
削り取られた仏頭は、何事もなかったように静かにほほえんでそこにあった。
失われた仏との出会い。
復元しようにも破壊前の状態を知る資料が全くない、という中国側の説明が思い出される。
蒸発仏の行方を探してみようーーー駒さんのこころは決まった。」(季刊銀花)

田村氏は、本来の舞踏家としての活動をさておいて、もっぱら流出石仏の追跡、復元照合に情熱を注ぎ、のめり込んでいくようになりました。

戦前の論文や写真資料に徹底的にあたり、自身が天龍山で撮影した膨大な写真と照合すると共に、日本中の美術館、美術商、個人のコレクターを訪ね、流出像を見つけ出して、原位置の復元照合に努めたそうです。
また、海外の美術館所蔵の流出石仏についても、夫、高広氏の協力も得て調査に努めました。

こうした取り組みの結果、
「国内では(註:天龍山石窟のものとされる)49点の仏像を調べたが、うち確かに天竜山のものと確認されたのは30点。
10点は明らかに別のものと判明した。
・・・・・・
国外では約20点、失われた仏像の所在を突き止めた。」(季刊銀花)
ということでした。

これらの調査成果の資料を、中国再訪時に先方に提供したという訳です。



【専門的研究成果が、研究誌「仏教芸術」に論文掲載されるまでに‥‥】


こうした田村節子氏の所在調査、復元照合研究への取り組みは、研究者でも何でもないキャリアでは考えられないほど、専門的で深く打ち込んだものでした。
中国彫刻史研究の権威、松原三郎氏の指導もあったようです。
1982年には、夫君と共に、二度目の天龍山石窟訪問を果たし、戦後初めて外国人が足を踏み入れたという第16窟、第17窟に登攀し、窟内調査を果たしています。

227天龍山石窟⑤:登攀梯子がかけられた第16・17窟(仏教芸術145号所載写真)227天龍山石窟⑤:第16窟に登攀した田村氏(仏教芸術145号所載写真)
田村氏が1982年、第16・17窟に梯子をかけ登攀したときの写真
仏教芸術145号所載写真


そして、私がビックリしたのは、田村氏の調査報告論文が、研究誌「仏教芸術」に、なんと3本も掲載されていたことです。

「天竜山石窟第十六窟・第十七窟について」 仏教芸術145号 1982.11
「響堂山石窟の現状」 仏教芸術153号 1984.03
「上海博物館蔵・隋代「銅仏像」について」 仏教芸術159号 1985.04

というものです。

読んでみると、いずれも、在野の方が執筆した論文とは想像もできない専門的な研究論文です。
このようなキャリアの方でも、本気になればここまで専門研究ができるのだと、本当に驚いた次第です。



【中国でも活発に進められている、天龍山石窟研究】


近年、中国においても天龍山石窟についての研究が、活発に進められているようです。
研究解説書も、いくつも発刊されているようです。

2004年には、
「天龍山石窟 流失海外石刻造像研究」 孫迪著 外文出版社刊
という本が、出版されています。

227天龍山石窟⑤:「天龍山石窟 流失海外石刻造像研究」

中国語の本だということで、私は未見なのですが、これまでの研究成果を踏まえ、天龍山石窟の復元を試みた研究書だということです。



【天龍山石窟流出石仏の全貌が、一目でわかるシカゴ大学のNETサイト
~「Tianlongshan CAVES PROJECT」】

現在、天龍山石窟流出石仏の世界各国での所蔵先、流出前の当初所在窟、原位置などを最も詳しく知ることが出来るのは、NET上に公開されている次のサイトだと思います。

「Tianlongshan CAVES PROJECT」 (天龍山石窟プロジェクト)

という、ホームページです。

227天龍山石窟⑤:「Tianlongshan CAVES PROJECT」サイトのトップページ
「Tianlongshan CAVES PROJECT」サイトのトップページ

シカゴ大学のCenter for the Art of East Asia (東アジア芸術センター)の天龍山石窟石仏の調査研究結果を掲載したサイトです。

このサイトには、現在確認できている天龍山石窟から流出した石仏(仏首をはじめ断片も含む)、163点のすべての画像が掲載されています。
そして、この163点が、尊格別、原所在窟別、時代別、所蔵先別などで検索表示され、画像で見ることが出来るのです。
各窟別の現況写真、盗鑿前の石仏が所在したときの古写真なども豊富に掲載されています。

よくぞここまで調査したものだと、感嘆の声をあげてしまう凄いサイトです。
是非一度、ご覧になってみてください。

シカゴ大学東アジア芸術センターでは、2013年に、天龍山石窟研究とデジタルイメージングを推進するために「天龍山石窟プロジェクト」をスタートさせ、本サイトを作成することになったとものと、HPに記載されていました。



【サイトには、163点の流出石仏が掲載~世界各国での所蔵状況は?】


本サイトに掲載されている天龍山石窟の流出石仏は、全部で163点です。
よくぞ、ここまで調べられたものだと思います。
博物館、美術館等の機関が所蔵しているものはこれで全てなのでしょうが、個人蔵などの流出石仏がすべてカバーされているのかどうかは判りません。

世界各国での所蔵状況は、どうなっているのでしょうか。
サイトの掲載データをカウントして国別所蔵点数の一覧表を作ってみると、次のようになりました。

227天龍山石窟⑤:天龍山石窟流出石仏 国別所蔵点数一覧

「本表の詳細な一覧表」~すべての所蔵先と、所蔵石仏の部位別件数を掲載したもの~も作ってみましたので、ご関心のある方はご覧ください。
⇒こちらをクリック 【天龍山流出石仏・所蔵先詳細一覧表】

ご覧の通り、日本とアメリカの所蔵件数が、圧倒的に多くなっているのが、目を惹きます。
山中商会の取り扱ったものの売却先が、日本とアメリカが中心であったことによるのでしょうか。

全部で163点のうち、43点が個人所蔵又は不明となっていますが、その国別内訳はわかりません。
個人所蔵のものには、日本の所蔵者のものが、結構あるのかもしれません。



【日本の博物館等での所蔵状況は】


ご参考までに、日本の博物館、美術館の所蔵先とその旧所蔵者などは、ご覧の通りです。

227天龍山石窟⑤:日本の博物館等所蔵の天龍山石窟石仏一覧


今回は、天龍山石窟流出石仏を追跡して現在の所蔵先を把握調査する話、流出前の原所在位置の復元研究についての話などを、紹介させていただきました。


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