【新刊された塩船観音寺の仏像解説書
~千手観音像、二十八部衆の重文指定を記念して】
東京都青梅市の古刹、塩船観音寺にて、こんな仏像解説書・冊子が刊行されました。
「塩船観音寺」 山本勉著
2020年12月 塩舟観音寺刊・中央公論美術出版社製作 【37P】 1100円
昨年(2020年)、 塩船観音寺の本尊、千手観音立像と二十八部衆像(28躯)が、国の重要文化財に指定されました。
本書は、この重要文化財指定を記念して、塩船観音寺の仏像群についての解説本として刊行されたものです。
【執筆は、運慶研究で知られる山本勉氏】
一見すると、よくあるお寺発行の小冊子のように見えますが、そうではなくて、コンパクトながらもきっちりした解説書で、執筆は運慶研究等で著名な仏教美術史研究者、山本勉氏です。
山本氏は、長らく塩船観音寺の仏像の調査研究に関わってこられたようで、
「青梅塩船観音寺二十八部衆像調査報告」(三浦古文化32号1982)、「青梅・塩船観音寺鎌倉造像再々考」(MUSEUM580号2002)
といった論文を発表するほか、「日本彫刻史基礎資料集成・鎌倉時代造像銘記編9・10巻」所載の「塩船観音寺 千手観音菩薩像・二十八部衆像」
の解説執筆も行っています。山本勉氏も、ご自身のtwitterで、本書の執筆刊行について、
「1980年、西川新次先生ひきいる調査に参加したことからはじまり、明古堂の明珍昭二先生の長年の二十八部衆像修理にもかかわるなど、40年のご縁がかたちにできて感無量」
とのコメントを述べられています。本書の目次は、ご覧の通りです。
早速、郵送で注文、購入しました。
37ページの解説冊子書ではありますが、専門的な内容が大変判り易く解説されています。
この本は、中央公論美術出版社の制作ですが、刊行者は塩舟観音寺で、お寺でしか購入することができませんが、郵送でも購入可能となっています。
購入方法など、詳しくは、塩舟観音寺HPの「重文指定記念出版『塩船観音寺』」ページをご覧ください。
【50年前に刊行された、塩船観音寺の解説冊子本をご紹介】
これまで、塩舟観音寺についての解説書と云えば、ほぼ50年前、昭和45年(1970)に刊行された、「関東の古刹~塩舟観音寺」という冊子本があっただけではないかと思います。
「関東の古刹~塩舟観音寺」 (郷土文化叢書1)
武蔵書房編 1970年刊 【46P】 500円
本書は、塩舟観音寺の歴史と文化財について、しっかりと総合的に纏められた中身の濃い本です。
塩舟観音寺は、大化年間の開山と伝えられ、鎌倉時代には武蔵七党の流れを汲む金子氏の庇護を受け、室町時代には青梅・奥多摩方面に勢力をもっていた三田氏の帰依を得て栄えた古刹です。
本書では、塩舟観音寺の仏像だけではなく、金子氏、三田氏の観音寺とのかかわりや、建築物などについても、判り易く解説されています。
一方、新刊の「塩船観音寺」は、千手観音像、二十八部衆像の重文指定記念出版とされているように、観音寺の仏像に焦点を絞った内容となっています。
小冊子本とは思えない、最新の研究成果をコンパクトに凝縮した中身の濃い内容で、制作仏師の事績などについても言及されていて、大変興味深く読むことができました。
塩舟観音寺について知るには、この2冊が手元にあれば十分と云えるのかなという感じです。
新刊の「塩船観音寺」、書店では買えない本ですが、仏像愛好の方は手元に置いておきたい好著かと思いましたので、ご紹介させていただきました。
【昨年、重文指定された千手観音像と二十八部衆像
~像内墨書銘に鎌倉の造立年と仏師名が】
さて、昨年新たに重要文化財に指定された千手観音像と二十八部衆像ですが、以前から、
「鎌倉時代の造立年と、製作仏師名が記された墨書銘」
が像内に遺されている、貴重な作例として知られています。
【文永元年(1264)、仏師快勢による製作された千手観音像】
千手観音像は、像高144.0㎝、玉眼が嵌入されたヒノキ材の寄木造りで、宋風を匂わせるいかにも鎌倉という造形です。
像内には、
「武蔵国塩舟寺本尊千眼大士として、大檀那浄成・栄覚、仏師法眼快勢・法橋快賢・覚位により、文永元年(1264)12月に造り始められた」
旨の墨書銘が記されています。仏師快勢は、鎌倉前期段階で法眼という僧綱位が与えられていることから、中央の一流仏師であったと思われ、快慶の系統をひく仏師ではないかとみられるということです。
【仏師定快により、文永5年(1268)から製作がはじめられた二十八部衆像】
二十八部衆像は、28躯すべてが遺されていて、像高は90㎝前後です。
そのうち23躯は鎌倉時代、5躯は室町時代の補作となっています。
鎌倉時代制作像の8躯の像内に造像銘記があり、うち7躯に作者として定快の記名が遺されています。
銘記によると制作年が文永5年(1268)から弘安11年(1288)まで、20年もの長きにわたっていて、在地の仏師として造像に携わったとみられます。
定快については、長らく事績が全く知られなかったのですが、近年、茨城県那珂市の常福寺・聖観音像が永仁5年(1297)に「法橋定快の作」の造像銘があることが知られ、同一人と考えられるそうです。
また、室町時代補作像のうち2躯の台座裏に、永正9年(1512)造像銘があり「仏師法橋弘円」の記名があります。
仏師弘円は、鎌倉に仏所をかまえた仏師で、神奈川県下での造像、修理が知られるということです。
【像内銘記が発見された時期は】
像内の銘記が発見された時期について、ちょっとふれておきます。
二十八部衆・功徳天像の銘記は、戦後すぐ昭和20年代に、当時の御住職と郷土史家の稲村担元氏によって胎内を開いて調査した際、発見されました。
千手観音像の銘記は、昭和34年(1959)に、上野寛永寺内で行われた美術院の出張修理で、千手観音像と功徳天像の修理が行われた際に発見されました。
頭部の後穴から電球を入れて胎内を観た処、胎内銘がありことが判り、稲村担元氏、西川新次氏、西村公朝氏等が覗いて銘文を読み取り、転記されたということです。
その他の像内銘記は、後年の修理などで発見されたようです。
銘文発見の経緯などについては、稲村担元論文集「武蔵における社寺と古文化」に、詳しい話が所載されています。
【塩船観音寺を初めて訪ねる~1/16の秘仏、千手観音像開扉の日に】
ここまで塩船観音寺の仏像についてふれてきましたが、実は、私はこれまで塩船観音寺を訪れたことも、仏像を拝したこともなかったのです。
関心はあったのですが、是非とも拝したいという程の執着心がなくて、そのままになっていたのでした。
山本勉氏「塩船観音寺」を読んで刺激されたというのでしょうか、直に拝してみたいという気になってきました。
本尊千手観音像は秘仏で普段は拝せませんが、年に4回、1月1〜3日、1月16日、5月1〜3日、8月第2日曜日に開扉されています。
1月16日の御開帳に出かけました。
塩船観音寺は、春のつつじ祭りで有名で、この時には多くの花見客で混雑するということですが、真冬の1月、非常事態宣言下で訪れる人もあまりないのだろう思って出かけたのでした。
ところが、この日は、季節外れ春のような暖かさ。
結構、多くの方々が、散策がてら訪れていて、ちょっとビックリです。
なかなか立派なお寺です。
【茅葺の本堂に祀られる千手観音像と二十八部衆像】
山門を過ぎてしばらく坂道を登って、石段を上がると茅葺の本堂が見えてきます。
目指す、千手観音像は本堂内の立派な厨子の中に祀られています。
本尊厨子の外、両側には、不動・毘沙門の脇侍像と、二十八部衆像がずらりとギッシリと祀られています。
この日は本尊御開帳日だったのですが、「ご開帳日」の掲示も特になく、ご参拝の人々はあまり気に留めることもなく、堂外から参拝されていました。
お参りの方は結構大勢だったのですが、堂内まで上がって、千手観音像を拝する人はわずか、チラホラという程度です。
本当に、さり気ない御開扉という処でした。
堂内では、外陣からの拝観で、ちょっと距離があるのですが、厨子内に照明があてられていて、割合にはっきりと拝することができました。
【宋風の匂いを漂わせる、長身痩躯の千手観音像】
千手観音像は、宋風の匂いを漂わせる、いかにも鎌倉という感じの造形です。
一見して、長身痩躯であることが特長的に見て取れます。
頭部と上半身に比べて、腰から下が随分細身で、スリムに過ぎるという印象です。
頭部、面貌を双眼鏡で拡大してみると、キリッとしっかりした力感があり、なかなかなものを感じるのですが、下半身が痩躯で弱々しくなってしまい、ちょっとミスマッチというの率直な感想という処でしょうか。
山本勉氏は、
「全体にまとまりよく瀟洒であるが、面部や上半身の肉どりは張りがあり、ひきしまっている。
その作域はこの期の作品としてはかなりすぐれたのもである。」
(「塩船観音寺」2020年刊)
と記しています。その作域はこの期の作品としてはかなりすぐれたのもである。」
(「塩船観音寺」2020年刊)
【ちょっと圧倒される、すらりと並ぶ二十八部衆像】
二十八部衆の方は、ずらりと28躯が並んだ姿に、ちょっと圧倒されてしまいました。
1躯1躯見ていくと、それぞれの出来のレベルに差があるのに気が付きます。
鎌倉期の23躯も、制作時期に20年の差があることが銘記から知られていますが、山本氏は、この出来のレベルの差について、作者の仏師定快が、当地での、
「長い逗留の間に腕が落ちた、という事情があったのかもしれない。」
と述べています。【薬師堂には、平安古仏の薬師如来像~いかにも素朴な地方作像】
薬師堂には、平安期の、いかにも地方作風の薬師如来像が祀られていました。
像高:170㎝、11世紀後半ごろの製作とみられるとのことで、青梅市指定文化財となっています。
カヤ材の一木彫で、内刳りも無く、ひょろ長い姿は立木仏的な空気感も感じさせます。
茅葺の小堂に祀られるに相応しく、地方仏らしい素朴さが魅力の古仏です。
【山門にも立派な鎌倉期の仁王像
~阿形像の頭部の造形はなかなかダイナミック】
山門には、立派な仁王像がありました。
さりげなく通り過ぎてしまいそうな山門ですが、格子の中に立つ仁王像は、なかなかの造形です。
説明看板によると、都指定文化財となっていて
「鎌倉期の制作、二十八部衆の造りと共通点が多く見られることから、二十八部衆と同時期に仏師定快によって造立されたと考えられる。」
ということです。体躯全体的には、ちょっとアンバランスな処を感じますが、阿形像はなかなか良くて、頭部の造形は、ダイナミックで迫力あるものを感じました。
塩船観音寺は、ご紹介したお堂、仏像だけでなく、その他の諸堂や施設がいくつもあり、結構な大規模寺院です。
境内奥の山上には、巨大な平和観音像までも造立されていました。
こんな大きなお寺だったとは思いもしませんでした。
うららかな小春日和のような日に、気になっていた塩船観音寺の秘仏拝観を果たすことができて、十分に満足という一日となりました。
ついでに、帰りに見つけたランチのお店をご紹介。
お寺から車で4~5分の処にあった、「たまご倶楽部」というお店で、一人ランチをしました。
こだわりの美味しい玉子専門店で、玉子を買に来るお客さんが途切れません。
デミグラスソースのオムライスを食べましたが、濃厚卵がなかなかの美味。
想定外の良いお店に出会うことができて、これまた大満足の日となりました。