FC2ブログ

観仏日々帖

古仏探訪~2020年・今年の観仏を振り返って 〈その1〉 1~3月 【2020.12.03】


「もう師走」 というより、 「やっと師走」 という長い一年でした。

年初からのコロナ禍は収束するどころか、まだまだ拡大中、観仏どころではない一年となりました。
私も、「新しい日常」とやらに疲れてしまう自粛生活で、観仏探訪も全く無いに等しいという処です。

3月には、長らく心待ちにしていた愛知・高田寺の薬師如来像の開創1300年記念特別御開帳だったのですが、コロナで中止、来年秋(11月)に延期となってしまいました。
4月には、但馬浜坂の相応峰寺・十一面観音像の御開帳ほかの観仏旅行に出かける予定だったのですが、こちらも実現することができませんでした。

その後も、心づもりしていた御開帳、観仏探訪も、みんな自粛対応で出かけるのを止めてしまいました。

そんな訳で、例年掲載させていただいている「今年の観仏を振り返って」も、今回は無しにしようかと思ったのですが、厳しかった今年を締めくくるということで、辛うじて観てきた「仏像展覧会」などだけでも、ご紹介させていただくことにしました。



【1 月】



【早大・会津八一記念館「小杉一雄展」へ
~「鑑真和上像は真身像、遺灰像の系譜」と論じた美術史学者】

早稲田大学会津八一記念博物館で開催された「藍より青く~小杉一雄とその師父、会津八一と小杉放菴展」に行きました。

219振り返り①:小杉一雄展チラシ

美術史学者・小杉一雄(1908~1998)の学業を回顧する展覧会です。

小杉一雄氏は、日本画家・小杉放菴の子息で、会津八一に師事、長らく早稲田大学の美術史学の教授をつとめた仁です。
中国美術の文様史、仏教美術史の研究で著名で、「中国文様史の研究」「中国仏教美術史の研究」「奈良美術の系譜」といった著作で知られています。

私が「小杉一雄」という名前を知っていたのは、唐招提寺の鑑真和上像の製作経緯について大変興味深い説を、小杉氏が論じていたからです。

小杉氏は、鑑真和上像が異常なまで写実的に造られた訳について、

「鑑真和上像の造像成立の背景には、中国唐代の高僧にみられる真身像(ミイラ)やそれから派生した加漆肉身像、遺灰像(ゆいかいぞう)の存在が大きく影響している。」
とし、
鑑真和上には、「坐したままの状態で死す」という唐時代の高僧真身像化への思いがあったに違いなく、弟子たちがこの思いを受けて異常なまでの写実に徹して、生くるが如き鑑真像の造立したものだと論じています。

219振り返り①:唐招提寺・鑑真和上像
唐招提寺・鑑真和上像

また、昭和10年(1935)に鑑真和上像が修理された時、像の内部の頭部から腹部にかけて白い粗い砂が塗られていることがわかり、
小杉氏は、
「この白い粗い砂こそは、鑑真和上の骨灰に違いない。」
と推測し、
遺灰像としての性格も兼ね備えている像なのだと考えたのでした。

白い砂が本当に骨灰であったのかは「謎また謎」ということでしょうが、あのようなリアルな鑑真像がつくられた訳についての興味津々の話に、心ときめいた記憶があります。

(この話は、観仏日々帖「鑑真和上坐像の御身代わり模像の制作を巡る話【その2】」でふれたことがありますので、ご関心のある方はご覧ください。)

そんな訳で出かけてみた「小杉一雄展」でした。
展覧会場には、小杉一雄氏の論文著作、研究資料の他にゆかりの品、自筆の旅絵などなどが展示されていました。

219振り返り①:小杉一雄展・小杉一雄仏像スケッチメモ
展示されていた小杉一雄自筆の仏像スケッチ・メモ

旅絵などは、流石小杉放菴の子息、画才あふれるものです。
訪れる人もほとんどないひっそりとした会場でしたが、私には、観に行った値打ちのあった展覧会でした。



【2月】


ダイヤモンドプリンセス内での集団感染拡大が報じられるなど、コロナ禍が深刻味を帯びてくるなかでしたが、思い切って奈良まで出かけました。

奈良博で開催された特別展「毘沙門天」と、帝塚山大学で開催された「室生寺の近代」をテーマにした公開講座に、どうしても行きたかったのです。
半分腰が引けつつ、恐る恐る出かけたのですが、この奈良行きが「今年の唯一の奈良行き」になってしまおうとは、その時は、夢にも思いはしませんでした。



【興味津々の「室生寺十一面観音光背の新補時期と作者の謎解き」
~帝塚山大の奈良学公開講座へ】

2月15日、東生駒の帝塚山大学キャンパスで開催された公開講座は、次のような演題でした。

帝塚山大学奈良学総合文化研究所公開講座
「室生寺の近代、ふたつの名作の誕生~
国宝十一面観音像の光背と、小川晴暘撮影『室生寺大観』と」
講師:杉崎貴英氏(帝塚山大学文学部教授)

219振り返り①:小川晴暘写真集「室生寺大観」
飛鳥園刊・小川晴暘撮影「室生寺大観」

私の興味関心の深いフィールドの演題です。
次のようなテーマの話を聴くことができました。

・室生寺十一面観音像の光背が後補された時期と制作者の推定
・奈良飛鳥園の小川晴暘の代表的写真集「室生寺大観」の成立経緯
・近代奈良の仏像鑑賞史・写真史と谷崎潤一郎「痴人の愛」に見られる奈良の仏像描写との関わり

果たして、意を決して奈良まで出かけてきた甲斐があった、中身の濃い講演の内容でした。

とりわけ、興味津々だったのは室生寺・十一面観音の光背にまつわる話です。

219振り返り①:室生寺・十一面観音像
室生寺・十一面観音像~板光背は江戸時代の後補と云われていた

室生寺・十一面観音像の立派な板光背は、一般に江戸時代末期の後補だと云われていたのですが、

・実は、江戸後補の光背に代わって、明治時代に新たに新補されたものに違いないとみられること。
・明治新補の光背は、当時美術院の久留春年の手によるものと思われること。

が、明らかになったということでした。

詳しい話は、観仏日々帖「室生寺金堂・十一面観音、地蔵菩薩像の板光背の話 〈その2〉」 で、紹介させていただきました。

初めて聴いた話で、「知的関心をくすぐる謎解き」のような面白い話でした。



【毘沙門天の名作大集合~画期的な奈良博「毘沙門天展」へ】


この後は、奈良博で開催の特別展「毘沙門天~北方鎮護のカミ」に行きました。

219振り返り①:奈良博「毘沙門天展」エントランス
奈良博「毘沙門天展」エントランス

「毘沙門天」だけにスポットを当てたという、これまで開催されたことのない画期的な展覧会です。

「従来知られている毘沙門天彫像のなかから、とくに優れた作品を厳選し、それらを一堂に会することで、毘沙門天彫像の魅力を存分に味わうことのできる展覧会」

ということで、毘沙門天像の名品、注目作品、37件が出展されていました。

219振り返り①:毘沙門天展チラシ

219振り返り①:毘沙門天展チラシ219振り返り①:毘沙門天展チラシ

こんな毘沙門天だけを集めた展覧会、もう当分の間は開催されることは難しいでしょう。
何としても必見!ということで、恐る恐るながらも奈良へ出かけたという訳です。



【近年発見、注目の毘沙門像も勢揃い】


今回出展像のうち、近年発見されたり、注目を浴びるようになった像は、以下のようなものかと思います。

219振り返り①:毘沙門天展出展~近年発見・注目された毘沙門天像


如法寺・毘沙門天像については、観仏日々帖「奈良時代の乾漆造・毘沙門天像が新発見(愛媛大洲市・如法寺)」、長福寺、東大寺の双身毘沙門天像については、観仏日々帖「平安時代の双身毘沙門天立像が新発見~奈良博「毘沙門天展」で展示」で、ご紹介させていただきました。



【私の大注目は、弘源寺・毘沙門天像~異色、特異な9世紀彫像】


私の最大の注目像は、弘源寺・毘沙門天像でした。
9世紀の平安前期彫刻だというのです。
弘源寺は、嵯峨野天竜寺の塔頭で、毘沙門像は比叡山の無動寺に伝来したと伝えられるそうです。

2004年に重文指定されているのですが、恥ずかしながら、私は、本展への出展情報を見るまで、この毘沙門像の存在を良く知りませんでした。
写真で見ると、腰を極端なほど捻り、袖や裳裾が大きく翻る動勢の像です。

正直な処、
「9世紀の製作像のようには感じないなあ!」
というのが、写真の実感でした。

実見すると、どのように感じられるのだろうか?
そんな期待感で、お像の前に立ちました。
「確かに、9世紀の平安前期像なのであろう!!」
というのが、眼前にした実感です。

219振り返り①:弘源寺・毘沙門天像
弘源寺・毘沙門天像(9C・重文)

少々極端かという程の大げさな体の捻り、衣の翻りなのですが、その動勢にはパワーと激しさが籠められていて、不自然さをさほどには感じません。
何といっても、体躯のボリューム感、重量感は格段で、腰から脚にかけての力感漲る表現は、なるほど9世紀と納得させるものがあります。

「大振りで重厚ながら一方では躍動的な表現が異色であり、平安時代彫刻史のなかでも特異な位置を占める作例と考えられる。」
(新指定の文化財解説「月刊文化財」2004年6月号)

という解説の通り、
「こんなスタイルの9世紀の毘沙門像があるのだ。」
心の中で、何とか納得したという処だったでしょうか。



【圧倒的なパワーの華厳寺・毘沙門像~もっと知られてよい9世紀の優作】


展覧会場に入るとすぐに、圧倒的なパワーを発散していたのは、華厳寺の毘沙門天像でした。
圧倒的な威圧感、緊張感を感じる毘沙門天像で、その異貌には、一度見ると忘れられないほどに惹きつけるものがあります。

219振り返り①:華厳寺・毘沙門天像
華厳寺・毘沙門天像(平安前期・重文)<

塊量的な重量感にも並外れたものがあります。
あまり広く知られていない像かと思いますが、9世紀の毘沙門天像の代表作として高く評価されるべき優作との感を再認識しました。

「毘沙門天展」も、コロナ禍下、博物館が臨時休館になり、開催期間の半分も経たない2月26日で中止となってしまいました。
毘沙門天像大集合という力の入った画期的な展覧会で、開催に至るまで関係者の大変な尽力があったものと察せられますので、会期半ばでの中止は、残念極まりないものであったと思います。

その後も、愉しみにしていた仏像展覧会が、相次いで、中止、延期になってしまいました。
東博でも、「法隆寺金堂壁画と百済観音」「令和2年新指定国宝・重要文化財」は中止、「国宝 聖林寺十一面観音―三輪山信仰のみほとけ」が一年延期となりました。
この状況下、致し方なきものとはいうものの、何ともフラストのたまる一年です。


この日の夜は、同好の方3人と、仏像談議を肴に盛上がり、じっくり愉しく飲み交わしました。
この愉しい飲み会が、まさか、心置きなく酒を飲み交わす今年最後の場になろうとは・・・・・・・・・



【久しぶりに秋篠寺へ~堂内はひっそり】


翌日、久しぶりに、秋篠寺に寄ってみました。

219振り返り①:秋篠寺・本堂
秋篠寺・本堂

219振り返①り:秋篠寺・礎石
秋篠寺・東塔址礎石

朝の10時ごろ訪ねたのですが、コロナ禍のせいか、お堂には私一人だけ。
この日は日曜日、普段では考えられないひっそりと静まり返った堂内で、ゆっくりと諸仏を拝することができました。



【体躯を補作した鎌倉仏師の妙技に讃嘆~秋篠寺・伎芸天像】


秋篠寺といえば、なんといっても伎芸天像。

東洋のミューズとも称せられる美仏です。
219振り返り①:秋篠寺・伎芸天像
秋篠寺・伎芸天像
頭部(奈良時代・脱活乾漆)
体部(鎌倉時代・木彫)

僅かに腰をひねり、首をややかしげ、伏し目がちに静かに笑みをもらして立つ優雅な姿に魅せられる人は、数多いことと思います

今回、伎芸天像を拝して、思いを致したのは、鎌倉時代にこの首から下を造った仏師のことでした。
ご存じの通り、伎芸天像は、頭部は奈良時代の脱活乾漆像、首から下は鎌倉時代の補作の木彫像となっています。

奈良時代にこの像がつくられた時、現在と同じ姿態、立ち姿だったのかどうかはよく判りません。
ただ、鎌倉仏師が、このように首をかしげ、腰をひねった姿に仕上げなければ、きっと「東洋のミューズ」と讃えられる人気を博することは無かったでしょう。
伎芸天の魅力を引き出す、絶妙のシルエットに仕上げられています。

後世の補作となると、それだけで低く見たり、軽く見たりしてしまうのが常のように思いますが、この仏師の美的感性や技量は凄かったと、今更ながらに思いました。

「鎌倉仏師の妙技に讃嘆!!」

こんな気持ちになりながら、秋篠寺を後にしました。



【奈良末~平安前期の一木彫像が、いくつも出展~東博「出雲と大和」展】


東京国立博物館で開催された特別展「出雲と大和」へ出かけました。
古代において「幽」と「顕」を象徴する重要な役割を担っていた、出雲と大和の名品を一堂に集めた展覧会です。

219振り返り①:出雲と大和展チラシ

219振り返り①:出雲と大和展チラシ219振り返り①:出雲と大和展チラシ

仏像は、ご覧のような諸像が出展されました。

219振り返り①:出雲と大和展出展の主な仏像

看板展示は、寺外で初めて公開されるという石位寺・伝薬師三尊像(7~8世紀・重文)でしょう。
白鳳~奈良期の美麗な浮彫石彫三尊像として大変有名な石仏像です。
私も、本当に久しぶりで、懐かしく観ることができました。



【奈良様初期一木彫像の世界に思いを致らせる
~金剛山寺と世尊寺の十一面観音像】


本展の仏像展示では、奈良~平安前期の一木彫像が、いくつも出展されました。
そのなかでも、私の一番の注目像は、金剛山寺・十一面観音像、世尊寺・十一面観音像の2躯でした。

219振り返り①:金剛山寺・十一面観音像219振り返り①:世尊寺・十一面観音像
(左)金剛山寺・十一面観音像、(右)世尊寺・十一面観音像

所謂、奈良様の乾漆像、塑像の流れの系譜にある一木彫像です。
近年、共に奈良時代の制作と見られるようになっています。

奈良末~平安初期の一木彫像といえば、唐招提寺講堂・木彫群に始まり大安寺木彫群、新薬師寺・薬師像、神護寺・薬師像といったボリューム感あふれ、威力、迫力満点の造形をイメージします。
この2像の造形を見ると、その一方で、伝統的な奈良様の造形を受け継ぐ木彫像の流れが存在したことを知ることができます。

眼近に観ると、金剛山寺・十一面観音像の体躯の造形は、奈良時代後期の乾漆像の造形スタイルと見紛うような天平風の表現です。
世尊寺・十一面観音像は、頭部は後補ながらも、量感を強調しない整ったシルエットと奈良時代の粘塑的な衣の表現が特徴的です。
併せて出展されていた、島根 万福寺・四天王像(平安前期)も、両足をどっかと据えて、堂々とした安定感で、奈良時代の天部像、力士像を思わせる造形が魅力的でした。

従来、奈良末~平安初期の一木彫像といえば、所謂天平様奈良様の造形表現から、反古典的な迫力ある造形表現への転換を象徴するように語られることが常であったように思いますが、近年、奈良様の系譜にある一木彫像の存在が、新たに注目されるようになってきたようです。

初期一木彫像の世界は、まだまだ奥が深そうです。
一木彫像誕生の謎の問題は、用材樹種の問題も含めて、今後どのように議論されていくのでしょうか?
愉しみ、という処です。



【3月】



【コロナ禍下でも、かろうじて開催された「永野太造写真展」】


東京半蔵門のJCII フォトサロンで開催された「永野太造写真展 仏像~永野鹿鳴荘ガラス乾板より」に行きました。

219振り返り①:永野太造写真展チラシ

同時期に半蔵門ミュージアムで開催される予定であった「大和路の仏にであう~奈良に生きた写真家・永野太造と仏像写真展」は延期になってしまいましたが、こちらの方は、小規模展であったからか、予定通り開催されました。

永野太造氏は、仏像写真家であり、奈良博前の茶店兼仏像写真売店「永野鹿鳴荘」の店主であった人物です。
この永野太造氏が遺した、仏像写真を中心とした約7000枚のガラス乾板が、2015年に帝塚山大学に寄贈され、そのアーカイブ化と研究が進められています。
二つの永野太造写真展は、こうした研究成果の一環として、開催に至ったものです。

小さな展示スペースでしたが、永野鹿鳴荘ガラス乾板から製作されたモノクローム版プリント73点が展示されていました。

219振り返り①:永野太造写真展冊子写真

219振り返り①:永野太造写真展冊子写真
永野太造写真展・図録冊子写真

私以外の観覧者が誰もいないという、ひっそりとした展覧会でした。

永野太造氏の業績や人物については、観仏日々帖「奈良の仏像写真家、「鹿鳴荘」永野太造氏のこと」 【その1】 【その2】 で採り上げたことがありますが、そんなことを思い起こしながら、じっくりゆっくり愉しむことができました。

「仏像写真は、カラーよりもモノクロが似合う」

と、今更ながらに、そう感じてしまいました。


コメント

今年は仏像探訪には災厄の年でしたね

今年は仏像探訪には厳しい年でしたね。新天皇即位の次の年であるため、本来なら様々な秘仏の特別開帳があったはずですが中止や延期ばかり。。。寺社は三密ではないので寺社探訪自体はそれほど危険性はないのですが、東京から京都・奈良方面に来るのが難しい日々が現在迄も続いていますし。来年の後半にはワクチンも普及して、自由に移動できる日々が戻ってくることを願ってやみません。

  • 2020/12/17(木) 05:18:37 |
  • URL |
  • くまひげ #BRxSFJLQ
  • [ 編集 ]

Re: 今年は仏像探訪には災厄の年でしたね

くまひげ様

本当に、厳しいというか、辛い一年になりましたね。

私は関東在住なので、京都奈良に出かけるのも儘ならず、観仏欠乏症ストレス状態という処でしょうか
この自粛我慢の生活も、もうしばらくの間ということにならないと、はや高齢者の私にとっては、元気で観仏探訪を愉しむことができる時間を削られていくような気分です。

このブログにも、掲載ネタがなくて、困っているという日々となっています

早くに、以前の日常が戻ってくることを念ずるばかりです

  • 2020/12/18(金) 18:21:09 |
  • URL |
  • 観仏日々帖 #-
  • [ 編集 ]

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
https://kanagawabunkaken.blog.fc2.com/tb.php/221-6801afe8
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)