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観仏日々帖

こぼれ話~美術史の時代区分の呼称と表記についての話〈その2〉 【2020.09.19】


〈その1〉では、

・国立博物館の時代区分表記が、近年、教科書の時代区分、即ち政治史の時代区分表記に統一されるようになっている話

・美術史独自の時代区分設定については、諸学説があり統一見解表記とするのは悩ましい話

についてご紹介しました。


〈その2〉では、明治期以来、これまで美術史の時代区分について、どのような呼称、画期についての考え方が示されてきたのかを振り返ってみたいと思います。



【学生時代、鮮烈な刺激を受けた「町田甲一氏の様式時期区分論」】


ちょっと余談ですが、私が、美術史の「時代区分の設定」という問題について、関心を持ったのは学生時代に 「上代彫刻史における様式時期区分の問題」 という論考を読んだのが、きっかけであったように思います。
昭和34年(1959)に、「仏教芸術」誌(38・39号)に掲載されたものです。

当時、町田甲一氏の著作が好きで、一生懸命に読み漁っていました。
少々かぶれ気味に、その考え方に惚れ込んでいたように思います。
その論文の一つに、「上代彫刻史における様式時期区分の問題」というのがあったのです。

読んでみるとドイツの美術史学理論、学者名やドイツ語が一杯出てきて、素人の私には、難解でチンプンカンプンでしたが、鮮烈な刺激を受けた記憶があります。

そこには、

・美術史、彫刻史を理解しようとするならば、作品の芸術的価値判断力と「様式」への理解が必要である。

・そこで形成される時代様式の展開は、一般史の時代区分をそのまま適用して対応できるものではなく、美術史独自の時代区分を設定することによって説明されなければならない。

といった趣旨のことが、強く主張されていたように思います。

論文中に、

「現行の様式時期区分が、政治史上の時代区分をそのまま借用して、ただ便宜的に行なわれ、そのために様式史上具体的な多くの矛盾を持っていると見るからである。
けだし、美術史上の様式時期の区分は、あくまで具体的な様式史上に、その画期の根拠を求めなければならない。」

と述べられていたことは、〈その1〉で、ご紹介した通りです。



【時代様式の自律的展開と、「様式の父」の把握を強調】


町田氏は、 「飛鳥→白鳳→天平→弘仁貞観→藤原」 という時代区分を設定しています。
その美術様式と時代区分の考え方を、独善的自己流で要約すると、次のようなものになろうかと思います。

・仏像彫刻の造形には「時代様式」というものがあり、この時代様式をもって一つの時代区分として設定されるべきである。
そして時代様式は、自律的に発展展開していく。

・日本の仏像彫刻の造形は、飛鳥から平安にかけて、「アルカイック→クラシック→バロック」へと展開する。
飛鳥から天平へは、静視的視覚活動から触知的視覚活動への展開、天平から平安初期へは古典的調和から反古典バロックへの展開として理解される。

・新しい時代様式のスタートは「様式の父」と称されるものに象徴され、飛鳥様式の父は「止利仏師」、天平様式の父は「薬師寺・金堂三尊像」と見ることができる。
(明確に指摘はありませんが、弘仁貞観様式の父は「神護寺・薬師如来像」とみているように思います。)

・時代区分の画期(年)は、こうした視点から考えれば、「法隆寺の焼亡、造東大寺司の廃止、遣唐使の廃止」といった文化史上の重要事象を設定すべきである。

飛鳥時代とか奈良時代といった時代区分について、それまで何の疑問も感ぜずに、極々当たり前に受け止めていた私にとっては、

「美術史の様式展開、時代区分というのは、このような眼で見ていかなければならないのか!」

と、鮮烈な刺激を受けたという訳です。


ご紹介した、町田甲一氏の様式時期区分の考え方は、うまく説明出来ていなくて、よく判らなかったのではないかと思いますが、

「美術史の時代区分を、如何に設定するか!」

というテーマが、美術史を論ずるうえで重要問題と位置付けられ、諸々の考え方や議論が存在するのだということは、ご理解いただけたのではないかと思います。


話が、ちょっと個人的な思い出話にそれてしまいました。



【明治から平成までの、主要美術書の時代区分を振り返る】


ここからは、本来のテーマに戻して、近代美術史学が始まった明治時代から、平成の現代にいたるまで、「美術史の時代区分の呼称、画期」がどのように説明されてきたのかを、主要な美術史書を確認することによって、振り返ってみたいと思います。

時々の代表的な美術史書、彫刻史書かなと思われるものを選んでみたつもりですが、手元にある本の中からピックアップしたものなので、的確な選定になっているかどうかはちょっと疑問です。

ご覧いただくと、時代区分の設定の考え方に、いろいろなバリエーションがあることは、おおよそお判りいただけるのはないかと思います。



【明治から昭和戦前期を見る~画期は政治史の時代区分】


まずは、明治期から昭和戦前期までの主要美術史書の時代区分について、見てみたいと思います。

214.美術史の時代区分②美術史書の区分表記(明治~昭和戦前)

ご覧の通りですが、図表が小さ過ぎて見にくくなってしまいました。
大きな図表に拡大したものは 【コチラ】をクリック してご覧ください。



【皇国的政治史時代区分の「稿本帝国日本美術略史」(M33)】


一番目の「稿本帝国日本美術史」は、我国の日本美術史書の嚆矢、初の官制日本美術史書とされるものです。
明治33年(1900)に、我国がパリ万国博覧会に参加するのを機に、我が国美術を西欧に知らしめるため編纂・出版されました。

時代区分を見ると、推古天皇時代からはじまって「**天皇時代」とされるか、「藤原摂関時代・鎌倉幕政時代」といった政治権力体制で表記されています。

本書が、
「西欧諸国に日本が東洋の一等国であると認知されるために、国家の威信をかけて皇国的な史観にもとづいて編纂された初の官制日本美術史書」
であることからすれば、「**天皇時代」といった時代区分とされたことは、当然に納得できるものです。

一方で「稿本帝国日本美術史」が、近代における日本美術史観、美術史学の揺るがぬ規範となったことも事実で、今日まで、この区分の考え方が基本的に継承されてきたと云っても良いのではないでしょうか。



【明治期、日本美術史の集大成確立と云える「国宝帖」(M43)】


明治43年には、「特別保護建造物及国宝帖」(通称:「国宝帖」)が刊行されます。
ロンドンで開催された「日英博覧会」に出品するため編纂されたもので、我国官製日本美術史書の第2弾となるものです。

本書は、明治期における日本美術史研究の集大成と云えるもので、天平彫刻偏重至上主義的だった「稿本帝国日本美術史」に比べて、各時代の良質作品(彫刻)がまんべんなくしっかりリストアップされており、次のような評価が語られています。

「ここ(註:国宝帖の刊行)に、その後の仏像の語りの大きな枠組みが出来上がったのを見ることが出来る。」
(「『仏像の語り方の境界』~弘仁・貞観彫刻の語りが示すもの」長岡龍作:「語る現在。語られる過去~日本美術史学の百年」1999年平凡社刊所収)

「日本美術史がほんとうに確立したのは、その後(註:「稿本帝国日本美術史」の刊行後)10年、すなわち1910年の日英博覧会のために当時内務省が『国宝帖』という3帙の大出版物を出版したときであった。」
(矢代幸雄著「日本美術の再検討」1988年新潮社刊所収)



【美術文化史特有の時代呼称が用いられた「国宝帖」
~「白鳳」の呼称が初めて登場】


印象的なことは、 「推古→白鳳→天平→貞観→藤原」 という時代区分呼称が用いられていることです。
政治史の呼称ではなく、美術、文化史の区分呼称が用いられているのです。
まさに「美術史らしさ」を感じさせるネーミングと云えるでしょう。

一番に特記されることは「白鳳」という時代区分呼称が、初めて用いられてことです。

「白鳳」というのは政治史の時代区分には無く、美術史(文化史)の世界のみで用いられる呼称です。
「白鳳」という言葉は、「白雉」(650~654)の元号の別称とされています。

「白鳳」の呼称を初めて提唱したのは建築史家の関野貞だったのですが、美術史書において正式に「白鳳時代」という区分が用いられたのは、国宝帖が初めてのことです。
大化改新(645)~平城遷都(710)の期間が「白鳳時代」に区分されました。
「白鳳」という呼称は、字形が美しく、快い響きを持つことから、美術文化史の時代呼称として相応しく感じられたのか、その後、世に広く用いられることになっていきました。

「白鳳時代」の呼称や時代区分の考え方については、様々な見解があり、今日まで議論されていている悩ましい問題です。
この「白鳳問題」のテーマについては、〈その3〉で、改めて採り上げてみたいと思います。

美術史(文化史)特有の時代区分呼称を用いた「国宝帖」でしたが、その画期そのものは、政治史の画期と特に変わることは無く、藤原時代の前期、後期を藤原摂関政治期と院政期とで区分しており、彫刻史では定朝様の隆盛期を分断したような画期となっています。
美術史(文化史)特有の時代呼称は用いたものの、区分画期そのものは政治史の区分に準拠したともいえそうです。



【大化改新以降を「奈良時代」と位置付ける時代区分も】


昭和に入ってから戦前までの2冊、「図説日本美術史」「日本美術史体系・彫刻」を見ると、大化改新までを「飛鳥時代」、それ以降を基本的には「奈良時代」と位置付けています。
前者は、平城遷都を「奈良前期(白鳳)」と「奈良本期(天平)」との区分の画期としており、後者では大化改新(645)~延暦元年(782)までを、一括りの「奈良時代」と区分設定しています。

政治史の時代区分では、宮都が飛鳥地方にあった平城遷都までを「飛鳥時代」と区分しています。
一方、美術史(文化史)の世界では、大化改新までを「飛鳥時代」とし、それ以降は中国、斉隋、唐の文化の影響を受け、造形表現にはっきりした変化が現れてゆくという様式展開、時代区分の考え方が、基本的なベースにあると思います。

「図説日本美術史」「日本美術史体系・彫刻」の2書では、いわゆる白鳳期も奈良時代の天平様式の造形へ発展展開していくプロセスの途上時期と位置づけて、大化改新以降を「奈良時代」として括りたい気持ちが示されているという気がします。



【昭和戦後を見る~美術史独自の時代区分設定への盛上がり】


次に、昭和戦後の40年間の主要美術史書の時代区分についてみてみましょう。

214.美術史の時代区分②美術史書の区分表記(昭和戦後)
【拡大図はこちらをクリック】

ご覧の通りで、時代区分の大きなフレームワークは、明治~昭和戦前までのものとさほど変わってはいないのですが、じっくりと見ていると、時代区分の画期年の設定が、それまでと違っているものが目に付くのに気付きます。



【美術文化史上の出来事を、時代区分の画期とする動きが】


美術史の時代区分の画期年をよく見ると、
「法隆寺焼亡(670)」「白村江の戦(664)」「造東大寺司廃止(789)「遣唐使廃止(894)」
といった出来事が、設定されているのです。

それまで(戦前まで)は、あくまでも政治史上の重要出来事の事象年を以て画期されていました。
「天皇即位年、遷都年、政権体制変化年」
などが画期年になっています。

そこに、新たに
「美術文化史上の重要出来事」
を以て、時代区分の画期年を設定しようとする動きが現れたように思えます。

戦後、昭和の時代は、美術史、とりわけ彫刻史の世界において、「美術史独自の時代区分の設定」への議論が、盛り上がりを見せた時期であったような気がします。

昭和30年代には、先にご紹介した、町田甲一氏の「上代彫刻史における様式時期区分の問題」と題する論文が発表されたり、芸術新潮誌で、白鳳時代は存在するのかといった「白鳳論争特集」(1958.8月号)が組まれたりしています。

また、〈その1〉でもご紹介したように、研究者からの、

「美術史の時代区分も、造型様式の歴史的体系から求められるべきで、政治史その他に依存しない独自の立場が必要である。」

「美術史上の様式時期の区分は、あくまで具体的な様式史上に、その画期の根拠を求めなければならない。」

といった問題提起、議論も活発であったようです。

そうした考え方に基づいた時代区分、画期への見解が、ご覧のように、美術史書に折り込まれるようになったのではないでしょうか。



【奈良~平安時代の画期年設定も、なかなか悩ましい】


飛鳥と白鳳の画期も、大化改新ではなく、大陸、半島から新様式が一気にもたらされたであろう天智朝頃(法隆寺焼亡、白村江の戦など)とするものが多くなっています。

また、奈良・天平と平安・貞観との画期についても、平安京遷都(794)ではなく、長岡京遷都(787)や造東大寺司廃止(789)に設定するものが、見られるようになります。
所謂、平安初期一木彫の代表作品の出現時期を鑑みると、天平様式から弘仁貞観様式への転換の画期を平安京遷都に置いてしまうと、遅くなり過ぎてしまうことによるからだと思われます。
所謂、平安初期一木彫の代表作品が、奈良時代に区分されてしまうのです。



【神護寺・薬師像は、厳密には「奈良時代」の制作?】


神護寺・薬師如来像といえば、平安初期一木彫の代表選手というべき傑作です。

214.美術史の時代区分②神護寺・薬師如来像
神護寺・薬師如来像

ところが本像は、延暦12年(793)までに制作されたと考えられていますので、平安遷都を画期とすると、「奈良時代の作品」ということになってしまいます。

戦前の話ですが、本像が延暦12年までに創建された神願寺本尊であることを論証した足立康氏は、その論文において、

「その(註:神護寺薬師像の)造顕年代は延暦の中頃を降り得ぬもの、すなわち平安遷都を限界とする年代区分では、とにかく奈良時代の造顕ということになる。
(足立康「神護寺薬師如来像の造顕年代」考古学雑誌29巻12号・1939年)

と、時代区分問題の悩ましさを吐露しています。

現在の、国立博物館の時代区分表記からすると、「神護寺薬師如来像:奈良時代」ということになってしまうのでしょうか。

もし、展覧会でそのように表記されたとしたら、まさに違和感で、個人的感覚ではビックリしてしまうことと思います。



【長岡京時代の仏像の時代区分表記にも、難しさが】


また、平安初期の優作と見られている、宝菩提院・菩薩像や道明寺・十一面観音像も、長岡京時代(784~794)の製作とみられることから、同じ問題に遭遇してしまいます。

214.美術史の時代区分②宝菩提院・菩薩像
宝菩提院・菩薩像

宝菩提院・菩薩像や道明寺・十一面観音像の、近年の国立博物館の展示キャプションを見ると次のようになっていました。

214.美術史の時代区分②長岡京時代仏像の時代区分

図録の解説には、両像共に「長岡京時代の制作と考えられる」と述べられています。

奈良~平安の時代区分の悩ましさを物語っているようです。



【平成以降の美術史書を見る~目立たなくなってきた美術史特有の時代区分呼称】


最後に、平成に入ってからの美術史書を見てみましょう。

214.美術史の時代区分②美術史書の区分表記(平成)
【拡大図はこちらをクリック】


ここに挙げた3冊だけを見てみると、美術史(文化史)特有の時代区分呼称、即ち「白鳳、天平、弘仁貞観、藤原」という呼称が、目立たなくなっているように思えます。

平成以降の美術史書、彫刻史書を幅広く沢山あたってみたわけではありませんので、そのような傾向と云って良いのかどうかは、よく判らないのですが、個人的な実感としては、「白鳳とか貞観」といった呼称が使われているのが、あまり見られなくなってきたような気がしています。
「飛鳥(前後期)、奈良、平安(前後期)、鎌倉」
という時代区分呼称が、割と多く用いられているのではないでしょうか?

この区分呼称は、政治史の一般的時代区分の呼称に準拠しただけということのようです。
決して、「飛鳥時代」や「平安時代」の時代様式が一括りにされて、前期が先駆的過渡期的で、後期が発展的成熟的という位置づけとして用いられている訳ではありません。
一般的には、「飛鳥後期」は白鳳様式的な一時代、「平安前期」は弘仁貞観・平安初期様式的な一時代として、明確に区分され解説されています。

戦後昭和期に議論が盛り上がった「美術史独自の時代区分の設定」の問題は、諸説が提起されたものの、結局の処、なかなか安定的な統一見解を確立するというのも難しく、悩ましい問題であることから、このような形に落ち着いていったような気がしています。

「昨今、自鳳という言葉が使われる機会が少なくなりました。」
(白鳳展図録~冒頭「主催者ごあいさつ」所収・2015年)

(白鳳という呼称は、そもそも美称で)宮都や政治の中心の地名にちなむ他の時代名と不統一であることからすれば、時代名としての使用は避けるべきだと思うが・・・・」
(山本勉著「日本仏像史講義」講談社刊2013年)

といった記述も見られるようです。

「弘仁とか貞観」という時代区分呼称も、同じように、9世紀全体を括る呼称としてはふさわしくないということで、使われることが少なくなってきたように思います。



【現実には、なかなか難しい「美術史独自の時代区分設定」の確立】


このようにして振り返ってみると、「美術史独自の時代区分の設定」という考え方は、本来あるべき論としては、極めて全うで、誠にその通りなのですが、一方で、統一した一つの見解として確立することは、現実的には困難なことというのが、私の率直な感想という処です。

むしろ、美術史の時代区分設定という問題は、美術作品の造形様式や美術史上の位置づけについての様々な見解があって当然で、国定教科書のような統一見解などを設けるべきものではないのではないでしょうか。

そう考えると、かつて、

「現行の様式時期区分が、政治史上の時代区分をそのまま借用して、ただ便宜的に行なわれ」

と、非難めいた問題提起がされてきた時代区分方法というものが、、

「現実的には、一番妥当、穏当な時代区分表記方法」

に落ち着くのではないかと、秘かに感じるようになってきました。

国立博物館では、現在、政治史の時代区分を用いて「**時代 *世紀」というキャプション表記がされています。
まずは、このように表記をして、個別の作品解説の処で、所謂「飛鳥・白鳳・天平・貞観、平安初期」といった造形様式のなかで、どのように位置づけられるのか等々が説明されるというのが、一番良い方法なのかなという気がしています。


明治以来の主要な美術史書の時代区分設定をたどってみましたが、結局、焦点の定まらないとりとめのない話になってしまいました。
なんだか訳が分からないのですが、このテーマがなかなかに悩ましい問題なのだということだけは、お判りいただけたのではないでしょうか。

展覧会に出かけられた時には、時代区分のキャプションにちょっと関心を持って見ていただくと、別の面白さがあるのではないかと思います。
国立博物館の時代表記は統一されていますが、そのほかの美術館では、いろいろなバラエティーがあるようです。
「白鳳」も、随分使われています。



〈その3〉では、美術史の時代区分で、一番議論のある「白鳳時代」の時代呼称や画期の問題について、ふれてみたいと思います。


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