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観仏日々帖

こぼれ話~美術史の時代区分の呼称と表記についての話 〈その1〉 【2020.09.05】


コロナ禍で観仏探訪に出かけることもままならず、自粛生活が続いて持て余し気味の毎日です。

ヒマついでに、日頃ちょっと気になっていた、美術史の時代区分とその呼称の問題についてふれてみたいと思います。

このテーマ、簡単そうでなかなか悩ましい話なのです。



【「薬師寺・金堂三尊~飛鳥時代」のキャプション表記に、ちょっと違和感】



「 薬師寺・薬師三尊像 7~8世紀 飛鳥時代後期~奈良時代 」


今年(2020年)7月、新聞掲載写真に、このようなキャプションがつけられていたのが、目に留まりました。

213.美術史時代区分①:薬師寺金堂・薬師三尊像
薬師寺金堂・薬師三尊像

日本経済新聞の文化欄に「奈良 祈りの美」と題して掲載された連載コラムでのキャプションです。
10回連載の第8回の採り上げられたのが、薬師寺金堂の薬師三尊像でした。
奈良国立博物館学芸部長 内藤栄氏の執筆です。

掲載された薬師寺・薬師三尊像の写真のキャプションに書かれていたのが、冒頭のものです。
時代区分名が「飛鳥時代後期~奈良時代」とされていました。

執筆者の内藤氏は、この薬師三尊像を藤原京、本薬師寺からの移坐と考える立場で、本コラムでも、
「持統のために発願されたという寺の由緒を考えれば、本尊は持統のための像(藤原京の像)がふさわしい。」
と述べていますので、「飛鳥時代後期」の制作という見方になります。

この薬師三尊像を「飛鳥時代」(後期)と表記されると、やはりちょっと「違和感を覚える」というのが正直な実感です。
「白鳳時代」と書かれているなら、まだわかるような気がするのですが。

「飛鳥時代の仏像」という語感には、法隆寺金堂・釈迦三尊像や夢殿・救世観音像といった、いわゆるアルカイックで正面観照性の強い造形イメージがあります。
一方、天平様式に近い造形感を感じる薬師寺・薬師三尊像は、飛鳥様式のイメージとは縁遠い感があり、「飛鳥時代」と表記されていると違和感を強く覚えてしまうのだと思います。



【同じ執筆者なのに、「飛鳥時代後期」「白鳳時代」表記を、何故だか使い分け】


5年前、2020年に奈良国立博物館で開催された特別展「白鳳~花開く仏教美術」(以後「白鳳展」と表記)に、薬師寺・薬師三尊像の脇侍・月光菩薩像が出展されました。

213.美術史時代区分①:白鳳展チラシ

この時の月光菩薩像のキャプションには、

「白鳳時代 (7~8世紀)」

と表記されていました。
この特別展の開催企画担当も、同じく、内藤栄氏なのです。

同じ人が採り上げているのに、時代区分表記が、

白鳳展では「白鳳時代」
日経新聞コラムでは「飛鳥時代後期」

と記されているわけです。

こうした表記になっているのを、

「なるほど、そうだろうね! 
どうしてもこのような表記にならざるを得ないのだろう」

と、思われた方は、この時代区分表記にまつわる問題と、その悩ましさについて、よくご存じの方だろうと思います。



【国立博物館では、教科書の時代区分に表記を統一
~奈良博「白鳳展」は唯一の例外】

美術史の時代区分というと、一般的には、どのような呼称が思い浮かぶでしょうか?

「飛鳥⇒白鳳⇒天平⇒弘仁貞観or平安初期⇒藤原⇒鎌倉」

というのが、美術史らしいというか、仏教彫刻史の時代呼称としては、一番馴染みがありそうな気がします。

ところが、国立博物館の時代区分表記には、白鳳、天平とか藤原とかいった呼称が、一切使われていないことにお気づきになったことがあるでしょうか。
実は、

「飛鳥⇒奈良⇒平安⇒鎌倉」

という呼称表記に統一されています。
国立博物館の時代呼称は、いわゆる政治史(一般史)の時代区分呼称を用いることに決まっているのです。

白鳳展を担当した内藤栄氏は、白鳳展図録所載の冒頭解説「総論 白鳳の美術」で、そのことについて、このように述べています。

「平成16年(2004)、東京・京都・奈良・九州の国立博物館4館で、展示室内及び出版物等における時代表記を日本史の教科書で用いられている表記に統一する方針が打ち出された。
これによって、国立博物館において白鳳時代は「飛鳥時代後期」もしくは「飛鳥時代(自鳳期)」などと表記されることになり、それは今日も続いている。
・・・・・・
本展では白鳳が一つの時代精神を有し、固有の文化を作り上げたと考え、時代表記に「白鳳時代」を用いた。」

白鳳展での「白鳳時代」の表記は、「この時だけの特別」ということだったのです。

新聞記事のコラムは、「奈良博・学芸部長」の立場で執筆されたものです。
となると、薬師寺金堂三尊の時代区分表記は、「飛鳥時代後期」とならざるを得ないのでしょう。

「なるほど、そういうことか!!」

と納得した次第です。



【見解が統一されていない、美術史の時代区分の呼称と画期】


国立博物館の時代区分表記がこのように統一された訳は、ご想像がつくと思いますが、美術史、彫刻史の時代区分の呼称、画期設定については、研究者によってさまざまな見解があって、統一見解というものが確立されていないからだと思います。

例えば「白鳳時代」といっても、その開始時期、期間について、様々な見解が示されています。
そもそも「白鳳」という美術史の時代区分を設ける必要はないという主張もされています。

平安初期・弘仁貞観という時代区分についても、その開始時期を平安京遷都(794)に置くのではなくて、造東大寺司の廃止(789)や長岡京遷都(784)とする考え方もあります。


それでは、平成16年(2004年)以降に、国立博物館での時代区分表記が統一される以前は、どのように表記されていたのでしょうか?



【時代区分表記統一以前の、奈良博・東博展覧会の時代表記を振り返ってみると】


ちょっと興味が沸いてきて、手元にある過去の展覧会図録を引っ張り出して、奈良国立博物館中心に、東京国立博物館のものも少し加えて、

「所謂、白鳳期と云われる出展仏像の時代区分表記がどうなっているのか?」

ピックアップしてみました。

採り上げてみた出展仏像は、制作年代判断にまず異論がない、いわゆる白鳳期(大化の改新から平城遷都:645~710年)の仏像とされる代表的仏像です。
野中寺・弥勒菩薩像、鶴林寺・観音菩薩像、法隆寺の六観音像、夢違観音像、橘夫人念持仏などです。
これに、制作年代に論争がある、薬師寺・金堂薬師三尊像、東院堂・聖観音像を加えてみました。

手元の奈良博、東博の展覧会図録からのピックアップリストの一覧は、ご覧の通りです。

過去の展覧会を時系列で整理したものと、白鳳期の代表的仏像の各展覧会における時代表記を整理したものと、2種類作ってみました。

213.美術史時代区分①:奈良博・東博展覧会の白鳳仏像時代表記

213.美術史時代区分①:白鳳仏像の展覧会別時代表記


如何でしょうか?



【展覧会によって3通りある、所謂「白鳳期」の時代区分表記】


開催年順のリストを見ると、展覧会によって時代区分表記がまちまちになっています。

いわゆる白鳳期の制作年代のものが、「飛鳥時代」「白鳳時代」「奈良時代」と3通りの時代区分表記がされていいます。
それぞれの展覧会を企画運営した国立博物館の担当者の方の、時代区分の考え方、呼称表記の仕方が、まちまちであったということなのでしょう。

1977年の「観音菩薩展」、1978年の「仏教美術の源流展」では、
この時期の仏像が、「奈良時代」
と表記されています。
この時期を奈良時代(天平時代)の前期的性格の時代とみたことによるのかもしれません。

1987年の「菩薩展」では、
野中寺・弥勒像(丙寅年・666年)は、「飛鳥時代」
法隆寺・六観音像は、「白鳳時代」
と表記されています。

213.美術史時代区分①:野中寺・弥勒半跏像213.美術史時代区分①:法隆寺・六観音像(文殊菩薩)
(左)野中寺・弥勒半跏像~666年、(右)法隆寺・六観音像(文殊菩薩)

一般的には大化の改新(645)以降を、白鳳期とすることが多いのですが、白鳳期のスタートを天武朝(673~)あたりとするという見方なのでしょうか。



【同じ仏像でも、展覧会によって「飛鳥、白鳳、奈良」の3通りの時代表記が】


尊像別のリストを見ると、もっと興味深いものがあります。

同じ仏像なのに、展覧会によって時代区分の表記がまちまちになっていることが、一目でわかると思います。
手元にある図録をピックアップしただけなのですが、

法隆寺・六観音像、鶴林寺・観音菩薩像、法隆寺・夢違観音像の3躯は、「飛鳥時代」「白鳳時代」「奈良時代」の3通りの表記

がされています。

213.美術史時代区分①:鶴林寺・聖観音像213.美術史時代区分①:法隆寺・夢違観音像
(左)鶴林寺・観音菩薩像、(右)法隆寺・夢違観音像



【国立博物館での時代区分表記統一の事情にも、なるほど納得】


同じ作品が、展覧会によって時代表記が異なるということになると、展覧会を見に来る人の立場になってみれば、間違った理解となったり、戸惑ってしまうことになってしまいます。

この状況を見ると、「表記を統一する」ことは、当然に求められることだと思います。

「平成16年(2004)、東京・京都・奈良・九州の国立博物館4館で、展示室内及び出版物等における時代表記を日本史の教科書で用いられている表記に統一する方針が打ち出された。」

というのも、なるほどと納得できるものがあります。



【美術史に、政治史の時代区分をそのまま当てはめるのも、大きな問題が】


しかしながら、美術史の時代区分の仕方について、政治史の時代区分をそのまま当てはめてしまう訳にはいかない問題だというのも、また事実です。

宮都の場所が変わったから、政権の交代があったからといって、美術作品の造形表現、様式が、これに伴ってすぐさま変化するというものではありえないことは、言うまでもないことです。
仏像など美術作品の造形様式は、もっと別のファクターで変化しているはずです。

政治史の時代区分とは別に、「美術史の時代様式」というものを考え、それに則った時代区分がなされるべきだとされるのは当然のことです。
そこで、美術史の世界では、「美術史独自の時代区分の設定」への試み、取り組みが数々なされてきています。



【これまでも語られてきた、美術史独自の時代区分設定の必要性】


仏教彫刻史の時代区分設定のあるべき姿について、次のように語られているのが、こうした考え方を代表しているものと云えるのでしょう。

「わが国の美術史の時代区分は、政治史その他の時代史の区分に基づき、それに合わせるように時代を立てており、美術史独自の立場からの体系ではない。
従って便宜的、任意的の嫌いがあり、単に解説的な区分法にすぎない。
博物館にゆくと、平安初期の仏像も、藤原末期の仏像も平安時代と説明している。もとより博物館当局に独自の見識があってのこととは思うが・・・・・・
・・・・・
美術史の時代区分も、造型様式の歴史的体系から求められるべきで、政治史その他に依存しない独自の立場が必要である。」
(日本彫刻史論(中野忠明)木耳社刊1978.11)


「現行の様式時期区分が、政治史上の時代区分をそのまま借用して、ただ便宜的に行なわれ、そのために様式史上具体的な多くの矛盾を持っていると見るからである。
けだし、美術史上の様式時期の区分は、あくまで具体的な様式史上に、その画期の根拠を求めなければならない。」
(上代彫刻史上における様式区分の問題(町田甲一)日本上代彫刻の研究・吉川弘文館刊1977.05所収)

仏像彫刻を中心とした美術史の時代区分についても、このような考え方に基づいて、これまで時代様式の見方と時代区分の時期設定について、諸々の考え方、学説が提起されてきました。

ご存じの通り、いわゆる白鳳時代を、
「一時代様式とみるか、奈良時代天平様式の前期的なものとみるか、飛鳥時代の後期的なものとみるか」
によって、時代呼称も、時代区分も違ってしまうというのが、最も代表的な例と云えるのでしょう。



【美術史時代区分の統一的表記の悩ましさ~存在する諸説】


そして、最も悩ましいのは、美術史の時代呼称、時代区分の考え方には、現在もなお、統一見解として確立したものがなくて、学説が諸説存在するということです。

2004年以前の国立博物館の時代区分の呼称表記が、展覧会によって違いバラツキがあったのも、このような事情を投影していたということなのでしょう。

現在、国立博物館の時代区分表記が、「日本史の教科書で用いられている表記」、即ち政治史の時代区分表記に統一されていることは、美術史上の時代区分が、統一見解として確立されたものがない状況を鑑みれば、当然というか、致し方ないということになるのでしょうか。



〈その2〉では、明治以降現在に至るまでの代表的な美術史解説書が、どのような時代区分の呼称と画期としてきたのかを、振り返ってみたいと思います。


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