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観仏日々帖

新刊案内~「廃寺のみ仏たちは、今」 小倉つき子著 【2020.06.26】


私のような、隠れ仏好き、仏像の来歴発掘好きには、応えられない興味津々の本です。

それよりも何よりも、昨今の厳しい出版事情の中で、「知られざる鄙なる仏像の来歴をたどる」といった、こんな地味な本が出版されたということを、まずは喜ぶべきと思いました。

国宝仏から秘仏まで 廃寺のみ仏たちは、今 ~奈良県東部編

小倉つき子著 2020年6月 京阪奈情報教育出版社刊 【246P】 950円


小倉つき子著「廃寺のみ仏たちは、今」



【奈良の廃寺となった寺々の、旧仏の行方をたどる本】


本の題名から、充分察しが付くと思いますが、奈良東部の廃寺となってしまった寺々の旧仏の現在をたどる本です。

NETでの出版紹介には、

「廃仏毀釈のあおりを受けた仏像、寺院の衰退や伽藍の消失、寺院同士の権力争いの犠牲になったものなど、さまざまな理由で流出を余儀なくされた仏像と廃寺を紹介。」

「奈良まほろばソムリエの会会員、小倉つき子氏著。
様々な理由で多くのドラマを背負った仏像の、軌跡の物語の数々。」

とありました。

私の仏像愛好の興味関心があるフィールドの、ツボにはまったような本です。
早速、AMAZONで注文しました。

到着した本のページをめくると、期待通りというか、期待以上の興味津々の内容です。
一気に読み通してしまいました。



【廃寺旧仏が伝わる寺々を、自分の脚で丹念に訪ねた記録書】


目次の構成は、次のようなものになっています。

「廃寺のみ仏たちは、今」目次

ご覧のような地域の、廃寺や旧仏が伝わるお寺や地域の集会所などを訪ねて、ご住職や関係者から直に来歴やエピソードなどをヒヤリングした内容などが、まとめられています。

採り上げられている仏像の多くは、知られざるかくれ仏ともいうべきですが、割合知られているものでは、

大神神社の神宮寺・大御輪寺の旧仏(聖林寺・十一面観音、法隆寺・地蔵菩薩など)、山田寺旧仏(興福寺仏頭、東金堂・日光月光菩薩像)、山添村西方寺廃寺・快慶作阿弥陀如来像、岩淵寺旧仏(新薬師寺・十二神将像)、勝願寺廃寺旧仏(新薬師寺・景清地蔵・おたま地蔵像)

などが登場します。

旧廃寺から現在のお寺に移されていった軌跡などが、丹念に語られています。



【「ドラマを背負った廃寺の仏さま」の現状をまとめようと思い立つ】


著書、小倉つき子氏は、NPO法人・奈良まほろばソムリエの会会員で、「ドラマチック奈良」という著作もある方ですが、仏教美術や地域史の専門家という訳ではないようです。

その小倉氏が、こんなちょっと風変わりでマニアックな本をまとめようとした、きっかけや思いについて、本書の「まえがき・あとがき」で、次のように語られています。

「「NPO法人・奈良まほろばソムリエの会」の保存継承グループが2017年から行っていた、奈良県指定の仏像や建造物などの現状調査に参加していました。
特に仏像に関心を寄せながらまわっていたのですが、山間部や僻地で無住の寺や公民館の収蔵庫にポツンと安置されている指定仏にしばしば出合い、感慨深いものがありました。
・・・・・・
仏教伝来の地である奈良に住み、奈良の歴史やよもやま話を楽しみながら県下を巡ってきた者として、多くのドラマを背負った「廃寺の仏像」だけでも取り上げ、現状をまとめてみようと思い立ちました。
・・・・・・・
奈良県下の廃寺となった寺院の旧仏をつぶさに追い、読み物としてはもちろん、ひとまとめにした記録書になればと、県東部の桜井市、宇陀市、宇陀郡、山添村、奈良市東部から取材を始めました」

「廃寺のみ仏たちは、今」

「無住寺となっている寺院の檀家さんたちからは
「廃寺の仏像をまとめていただけるのはありがたい。
今、私たちが知っていることを記録しておかないと次世代には伝わっていかないでしょう。」
というご意見をたくさんいただきました。
本書が記録書としてもお役に立つことができれば幸いです。」



【圧巻の「粟原廃寺旧仏」の行方追跡の記録】


私が、本書のなかで最も興味深く読ませてもらい、圧巻であったのは、冒頭の「粟原(おうばら)廃寺の旧仏と、今に伝わる仏像の行方」を追った章でした。

桜井市にある粟原寺跡は、今では塔・金堂跡の礎石などだけが残されている廃寺です。

粟原寺跡
粟原寺跡~礎石だけが残され石碑が立てられている

ご存じかと思いますが、江戸中期に、談山妙楽寺(現在の談山神社)の宝庫から粟原寺三重塔の露盤の伏鉢(国宝)が発見され、その刻銘から、仲臣朝臣大嶋が草壁皇子を忍んで発願され、持統年間に起工した由緒ある寺院であることが知られています。

談山神社・粟原寺三重塔露盤伏鉢(奈良時代・国宝)奈良国立博物館寄託
談山神社・粟原寺三重塔露盤伏鉢(奈良時代・国宝)奈良国立博物館寄託

この粟原寺の旧仏が転々としていった行方が、丹念に追跡されています。
その詳しい内容については、是非、本書を読んでみていただきたいのですが、どんなイメージなのかのさわりを知っていただくために、

「粟原廃寺の旧仏と伝わる諸像」の章の目次

をご覧になっていただきたいと思います。

「粟原廃寺の旧仏と伝わる諸像」目次①

「粟原廃寺の旧仏と伝わる諸像」目次②



【粟原廃寺旧仏の数と拡がりの大きさにビックリ】


いかがでしょうか?
粟原寺旧仏の数が随分多くて、大きな拡がりがあることに驚かれたのではないでしょうか。
目次の項建てに名前が出てくるお寺の名前、仏像の名前をご覧いただくと、廃寺となった粟原寺伝来という仏像がどのようなものなのかご想像がつくことと思います。

ちょっと詳しい方は、
延暦寺国宝殿・薬師如来像、石位寺・三尊石仏像、長野保科清水寺の諸仏、外山区(とびく)報恩寺・阿弥陀如来像
などの名前を見て、
これらの像も粟原寺伝来と伝えられる仏像なのかと、認識を新たにされたのではないかと思います。

延暦寺国宝殿の薬師如来像は、昨年(2019)、延暦寺で開催された「比叡山の如来像」展ポスターになった平安古仏の優作です。

「比叡山の如来像」展ポスター
延暦寺国宝殿・薬師如来像(平安・重文)
「比叡山の如来像」展ポスター


石位寺・三尊石仏像は、白鳳時代の美麗な石仏像として有名です。

石位寺・石位寺・伝薬師三尊石仏像(白鳳~奈良・重文)
石位寺・石位寺・伝薬師三尊石仏像(白鳳~奈良・重文)

長野保科清水寺の諸仏は、長野県有数の平安古仏として知られています。

長野県保科清水寺・千手観音像(平安・重文)長野県保科清水寺・地蔵菩薩像(平安・重文)
長野県保科清水寺・千手観音像(平安・重文)、地蔵菩薩像(平安・重文)

外山区(とびく)報恩寺・阿弥陀如来像は、数年前に奈良博・なら仏像館にしばらく展示されていた定朝様の見事な丈六坐像です。

外山区報恩寺・阿弥陀如来像(平安後期・県指定文化財)
外山区報恩寺・阿弥陀如来像(平安後期・県指定文化財)

小倉氏は、これら粟原寺伝来とされる諸仏像が現在安置されているお堂などを一つ一つ訪れて、その伝来ルート、行き先をたどっています。
管理されている方々からの聴き取りだけでなく、市町村史にあたったり、研究者から調査情報を得たりして、丹念にトレースして、粟原寺伝来仏像の全容とも云える姿が解明されています。

なかでも、延暦寺国宝殿の薬師如来像(平安時代10C・重文)が、従来、云われていた佐賀県大興善寺伝来仏ではなくて、粟原寺旧仏で桜井市興善寺にあった仏像であることが、新たに解明されていったいきさつの話は、ちょっと感動的なものがありました。

興善寺に残されていた3枚の古写真が、解明のきっかけになったということです。
私も、2015年に興善寺を訪ねていて、その時撮った堂内写真には、問題の古写真が写り込んでいるのですが、全く関心を払うことはありませんでした。

桜井興善寺堂内(薬師如来像・毘沙門天像)
2015年に訪れた時の桜井興善寺堂内写真
薬師如来像・毘沙門天像の前に3枚の古写真が置かれている


桜井興善寺堂内の古写真
興善寺堂内の古写真
真ん中が現延暦寺国宝殿・薬師如来像
左右の天部像写真は、粟原寺旧仏・現サンブランシスコアジア美術館蔵像




【フィールドワークの大成果~粟原寺旧仏の伝来トレース図】


こうしたご苦労の結果、小倉氏が作成した、 「粟原寺伝来仏像のトレース図」 は、次の通りです。

粟原寺伝来仏像のトレース図

粟原寺の旧仏が転々としながら、それぞれの居場所に祀られるようになった有様が、一目瞭然で判る労作です。



【初耳のビックリ話~大御輪寺旧仏「前立 十一面観音」は、今、神戸のお寺に】


こんな諸々の興味深い話をご紹介していると、もうキリがありません。
もう一つだけ、本書で初めて知ったビックリの話にふれておきたいと思います。

それは、大御輪寺から聖林寺に移された「前立 十一面観音」の行方です。

ご存じの通り、明治維新時の神仏分離で、大伸神社の神宮寺・大御輪寺から聖林寺に、

「秘仏・十一面観音、前立・十一面観音、脇侍・地蔵菩薩」

の3体の仏像が移されたことは、聖林寺に慶応4年(1868)の「預かり覚え」の書付が残されていることで、よく知られています。

「秘仏・十一面観音」は、国宝の聖林寺・十一面観音像
「脇侍・地蔵菩薩」は、その後、法隆寺に移った、国宝の地蔵菩薩像
です。

残りのもう1体「前立・十一面観音」が、どうなったのかは、私は全く知りませんでした。

前立観音の行方は、これまでよく判らないとされていて、桜井市 平等寺の秘仏十一面観音像がこれにあたるのではないかという見方もあったのではないかと思います。

本書では、「前立・十一面観音」は、神戸市灘区にある金剛福寺の本尊・十一面観音像であることが明らかにされていました。

神戸市灘区にある金剛福寺
神戸市灘区にある金剛福寺

金剛福寺のご住職によると、
「第二次大戦の神戸空襲で建物も仏像もすべて焼失。
終戦後の混乱期に、先代住職同志が縁者であることから、聖林寺にしまわれていたお前立像を頂戴し、ご本尊としてお迎えしました。」
ということなのだそうです。

この十一面観音像は、江戸時代の制作とみられる、像高:約80㎝の総金箔のお像です。

金剛福寺・本尊十一面観音像
金剛福寺・本尊十一面観音像
大御輪寺「前立十一面観音」で、聖林寺から金剛福寺に移された
(「廃寺のみ仏たちは、今」掲載写真)


この観音像が大御輪寺の伝来像に間違いないことが、阪神大震災で本尊を搬出した際、厨子裏に記された墨書が発見されたことで、確実なものとなりました。

厨子裏の墨書には、
「弘化4年(1847)に、海龍王寺の住職が厨子を新調し、大御輪寺に寄進した」
旨が、はっきりと記されていたのでした。

この大御輪寺の「前立・十一面観音」が、聖林寺から神戸の金剛福寺に移されていたという話は、全くの初耳、初めて知ったビックリの新事実でした。

このことが明らかになったのも、著者小倉氏が、自ら諸寺を訪ね、直に関係する方の話を聴くという努力の賜物なのではないかと敬服した次第です。



奈良の廃寺の旧仏の行方と、今の地に祀られるに至ったいきさつを、自らの脚で丹念にたどった記録という、得難い本だと思います。
奈良まほろばソムリエの会員ならではという、フィールドワークの賜物とも云って良い本でしょう。

皆さん、是非ご一読をお勧めします。

本書は「奈良県東部編」ということですので、続編の発刊が待たれるところです。

そのためにも、本書の売れ行きが伸びることを願うばかりです。


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