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観仏日々帖

こぼれ話~光背の話④ 東大寺法華堂・不空羂索観音像の光背を巡る謎の話 〈その1〉 【2020.05.29】


東大寺法華堂の不空羂索観音像、今更言うまでもなく、天平彫刻の最高傑作といえる脱活乾漆像です。

法華堂・不空羂索観音像
東大寺法華堂・不空羂索観音像

この像をはじめから好きになる人は少ないのかもしれませんが、「締りのある緊張感」漲る見事な造形力には、見れば見るほどに見惚れるものがあります。

今回は、この不空羂索観音像の光背を巡る謎の話です。

「謎の話」と題したのは、この光背の、

「高さの位置のズレ」   「制作年を示唆する史料」

が、本尊像の制作年や堂内諸仏の安置像変遷のカギを握る可能性があるかもしれないと見られているからです。



【見事な不空羂索観音像の透彫り光背~2010年に初めて堂外で展示】


「不空羂索観音像の光背」

法華堂の堂内で諸仏を拝すると、本尊像の背後にある光背にはなかなか眼が行かないのではないかと思います。

法華堂・不空羂索観音像
法華堂・不空羂索観音像と光背

この光背、後の時代のものではなく、天平時代当初のものがしっかりと残されているのです。
本尊像の見事さに劣らぬ素晴らしいものです。

法華堂の不空羂索観音像と光背は、これまで一度も堂外に出たことは無かったのですが、2010年5月から法華堂の須弥壇等の修理実施が行われることとなり、初めて堂外に出ることになりました。
不空羂索観音像の方が、2010~11年に東大寺ミュージアムで公開展示されたのは、皆さんよく覚えておられることと思います。
光背の方は、2010年10月に東京国立博物館で開催された「東大寺大仏~天平の至宝展」に出展されました。

「東大寺大仏~天平の至宝展」図録表紙
「東大寺大仏~天平の至宝展」図録表紙

東博「天平の至宝展」では、光背だけが単体で展示されました。

法華堂・不空羂索観音像~光背
法華堂・不空羂索観音像~光背

暗い堂内で本尊の背後に隠れ気味の光背を、明るい照明のなかで、眼近にじっくり見ることができました。

法華堂・不空羂索観音像~光背
法華堂・不空羂索観音像~光背

身光の透彫りの唐草文は葉や蔓がぐんぐん伸びていくような勢いがあり、いかにも天平盛期の傑作に相応しい見事な造形でした。



【何故だか、ずり下がっている光背の位置~安置仏変遷のカギを握るのか?】


この光背、堂内で不空羂索観音像を拝すると、ズリ落ちたように、その位置が下にズレていることは、皆さんもよくご存じのことと思います。

頭光の位置がが肩の位置まで下がっている光背
頭光の位置がが肩の位置まで下がっている不空羂索観音像の光背

本尊像の頭の位置と、光背の頭光の中心とが大きくズレています。
円光の中心が肩口の処にまで、50~60㎝程ズリ下げられているのです。
このことが、不空羂索観音像の本来の美しさの鑑賞を妨げてしまっているのです。

光背の下部が切り詰められたことによるものですが、いつ頃、どういう事情で、そのようなことが行われたのでしょうか?
この切り詰めには、本尊足元に据えられる八角二重の基壇が関係していて、法華堂の当初安置仏像の問題やその変遷の謎を解くための、大きなカギの一つになっているようなのです。
そのあたりのことは、後程、ふれさせていただきたいと思います。



【一度だけ、本来の位置に吊り上げられたことがある光背】


この光背を吊り上げて、本来の位置セットした写真が、残されています。
2006~9年に諸尊像の剥落止め修理行われ、不空羂索観音像の光背が台座から取り外され、後方に移動されました。

その折に、本来の高さであった位置まで吊り上げられたことがあるのです。
その状態で撮影された写真です。

本来の位置まで吊り上げられた光背と不空羂索観音像~「東大寺法華堂八角二重壇小考」(仏教芸術誌306号)掲載写真
本来の位置まで吊り上げられた光背と不空羂索観音像
「東大寺法華堂八角二重壇小考」(仏教芸術誌306号)掲載写真


モノクロ写真ではありますが、見事な後光のなかに映えて凛と立つ観音像の姿のすばらしさを発見した気分で、感嘆の声をあげてしまいそうでした。



【光背の制作年は天平19年?~本尊造立年推定の有力史料】


もう一つ、この光背についての重要な事実は、本尊像の造立年に関係しそうな史料が残されていることです。

正倉院文書にみえる「金光明寺造物所解」に、

「天平十九年(747)正月八日に、金光明寺の造仏所が「羂索菩薩」の光柄、花萼などを造るために「鉄二十挺」を請求した」

ことが記されているのです。

この記述が、法華堂不空羂索観音の光背制作にかかわるものであるというのです。
これを拠り所にすると、東大寺要録の「桜会縁起」に法華会が行われたと記される天平18年(746)が、観音像の造立年と考えられるという見方です。
この見解は、「金光明寺造物所解」の記述を見出した源豊宗氏が、昭和8年(1933)に示したものです。
「金光明寺造物所解」に書かれた内容は、法華堂不空羂索観音の光背にかかわるものではないと否定する見解もあるのですが、天平18年前後の造立説は、現在でも一番有力な見解になっていると思います。

法華堂の創建年代にも諸説があり、不空羂索観音像の造立年についても天平5年(733)説、天平12年(740)説、天平18年(746)説など諸説があるのですが、ややこしくなるので、ここではふれないでおきたいと思います。



【どちらが客仏?~脱活乾漆諸像と塑像諸像】


そして、不空羂索観音像の造立年代や光背の位置のズレの問題にかかわって、どうしてもふれておかなければいけない話があります。

法華堂に祀られる諸像の当初安置仏と後世の移入仏に関することです。



【2013年から現在の堂内安置仏に~かつては多くの乾漆像、塑像が立ち並ぶ】


現在の法華堂内には不空羂索観音像と脱活乾漆の巨像8躯、北面厨子内秘仏・執金堂神像が安置されています。
(巨像8躯は、梵天帝釈天像、四天王像、金剛力士二像です。)

現在の法華堂の堂内安置仏像
現在の法華堂の堂内安置仏像

現在の法華堂・堂内安置仏像~模式図
現在の法華堂・堂内安置仏像~模式図

法華堂修理完成後の2013年から、このような安置になっています。
この修理が始まる前には、不空羂索観音像の左右には、大変有名な塑像の日光・月光菩薩像が両脇侍のように安置されていました。
その以前には、厨子に入った塑像の吉祥天像、弁財天像も置かれていました。

2013年修理前の法華堂・堂内安置仏像
2013年修理前の法華堂・堂内安置仏像

2013年修理前の法華堂・堂内安置仏像~模式図
修理前の法華堂・堂内安置仏像~模式図

この安置スタイルの方に長らくなじんでこられた方のほうが圧倒的に多いでしょうから、現在の安置像を拝すると、ちょっと違和感というか調子が狂ったように感じてしまう気もします。

ご存じの通り、現在、塑像の4躯(日光月光菩薩、吉祥天、弁財天)は、法華堂から移されて「東大寺ミュージアム」に展示されています。



【長らくの定説~当初安置仏は脱活乾漆の本尊・八天王像】


さて、法華堂の当初の安置仏像は、現在の安置スタイルのものであったというのが、長らくの定説というものでした。
即ち、不空羂索観音像と巨像の8天王像が当初安置像だという訳です。

法華堂安置の8躯の脱活乾漆像(向かって左側).法華堂安置の8躯の脱活乾漆像(向かって右側)
法華堂安置の8躯の脱活乾漆像~堂内本尊の左右両側

本尊の不空羂索観音像が脱活乾漆像ですから、同じ脱活乾漆の技法で制作された8躯の諸天王像が一具のセット像であることは疑いのない常識と考えられたのです。
8躯の脱活乾漆像の制作年代には、作風から若干のズレがあるかもしれないが、一具として造られた像であるとされました。



【日光月光菩薩像などの塑像は客仏とみるのが常識に】


日光月光菩薩などの塑像の諸像については、脱活乾漆の本尊と材質がミスマッチだし、像高バランスも良くないことから当初の安置仏ではないとされていました。

不空羂索観音像と本尊両脇に安置される日光月光菩薩像(梵天帝釈天像)
不空羂索観音像の両脇に安置される日光月光菩薩像(梵天帝釈天像)"

本尊と材質を異にする塑像5躯は、いずれの時期に法華堂に安置されるようになったのかはわからないが、元は他のお堂から移されてきた客仏であると考えられたのです。
(執金剛神像だけは、当初から北面に安置されていたとする見方もあります。)

私も、若い時に、
「日光・月光菩薩は、超有名な仏像だけれども、実は梵天帝釈天で、これは他所から移された像なんだよ。」
と、したり顔で友人に話していたことを思いだします。



【定説を覆す、驚きの発見~八角二重基壇に当初安置像の台座痕跡が】


いまから10年ほど前、この常識を覆す驚きの発表がありました。

奥健夫氏が、2009年に発表した 「東大寺法華堂八角二重壇小考」 (仏教芸術誌306号) と題する論考です。
これが「小考」どころか、衝撃の大発見というものでした。

奥氏によると、一連の法華堂修理に際して、本尊の「八角二重基壇」を調査したところ、外側下の壇に6箇所の正八角形の台座が置かれていた痕跡が発見されたのでした。

法華堂本尊の八角二重基壇~基壇修理時撮影写真
法華堂本尊の八角二重基壇~基壇修理時撮影写真
外側下壇に台座の痕跡が見える




【7つの痕跡は、日光月光菩薩、戒壇堂四天王、執金剛神の八角台座と一致】


そして驚くべきことに、その痕跡は、上の壇に置かれている日光月光菩薩像(梵天帝釈天像)の台座、戒壇堂の四天王像の台座の輪郭と、サイズがぴったり一致するものだったのです。

八角二重基壇下段に遺された八角形の台座の痕跡
八角二重基壇下段に遺された八角形の台座の痕跡

この発見時には、執金剛神が安置される北面部は確認できなかったのですが、この後の須弥壇修理時の調査によって、本尊背後の八角二重壇下壇からも、八角台座の痕跡が発見されました。
執金剛神像が安置されていた痕跡と考えられるものでした。

また、年輪年代測定分析によって、八角二重基壇の桟木の伐採年が729年であることも判明、基壇が不空羂索観音像造立と同時期に制作された傍証にもなりました。



【法華堂の当初安置仏は、塑像七尊像と判明~乾漆八天王像の方が移安仏】


この結果から、八角二重基壇は不空羂索観音が造立された頃のもので、外側の基壇には本尊を取り囲んで、
塑像の7尊像、即ち日光月光菩薩像(梵天帝釈天像)、戒壇堂・四天王像、執金剛神像
が安置されていた可能性が極めて高いことが、明らかになったのです。

法華堂・日光菩薩像(梵天像)法華堂・月光菩薩像(帝釈天像)
法華堂・日光菩薩像(梵天像)、月光菩薩像(帝釈天像)

戒壇堂・持国天像戒壇堂・増長天像

戒壇堂・広目天像戒壇堂・多聞天像
東大寺戒壇堂・四天王像

法華堂・執金剛神像
法華堂・執金剛神像

この大発見は、当時多くの新聞等でビッグニュースとして報道され、随分話題になりましたので、皆さんもよく覚えておられることと思います。

法華堂の当初の安置仏は、脱活乾漆の8天王像ではなくて、なんと、塑像の7尊像であったのです。

法華堂・八角二重基壇上の当初亜安置仏と現安置仏~模式図
法華堂八角二重基壇上の当初安置仏(7塑像)と現在(修理前)安置仏・日光月光像~模式図

戒壇堂の四天王像(近世に指図堂から移安)と日光月光菩薩像は、作風が似通っていることは、これまでも指摘されていたのですが、当初安置堂はいずれも不明とされていました。

「まさか、法華堂が造立当初の安置堂だったとは!」

と、本当に驚かされる大発見となったのです。

脱活乾漆の8天王像の方は、いずれの時にか、法華堂に追加で安置されたということになります。


この新発見、法華堂安置仏変遷の常識、定説を、完全に覆すものとなった訳です。



【「先見の明」があった小林剛氏の説~新発見どおりの当初安置仏と主張】


ちょっと興味深い話があります。
実は、昭和20年代に、「当初安置仏は、新発見の事実通りのもの」と主張した人がいたのです。

当時、奈良文化財研究所・美術工芸研究室長であった小林剛氏です。
小林剛氏は、著書 「東大寺」 (1952年毎日新聞社刊) において、

「法華堂の当初安置仏は、日光月光菩薩など塑像の諸仏で、脱活乾漆諸像の方が後の移入である。」

と、述べているのです。

この説を主張したのは、私の知る限りでは、小林剛氏だけでした。
塑像の方が客仏であるという定説に対して、常識的ではない特異な意見とされ、同調する人はいなかったのではないかと思います。

小林氏は、次のような主旨の見解を述べています。

・本尊像と一具なのは乾漆諸像というのが定説であるが、隋従像としては大きすぎる。

・本尊像が乾漆造りで、隋具する護法神像が塑像であっても、一向差し支えない。

・日光月光と呼ばれる梵天帝釈天像と近世に戒壇院に移された四天王像は、不空羂索観音像と様式手法的に似通ったものがあり、これらの像が本堂の元からの護法神像ではなかったかと考えられる。

・乾漆の護法神諸像は、いつのころか本堂に移入されたもので、移入された際に本尊像の光背を切り詰めてまで本躯を高く持ち上げ、大きな護法神像に無理に釣り合わせようとしたものと思われる。

小林氏の見解を読んでいると、今回の新発見の事実を、そのままなぞってコピーしたかのごとくにピッタリと合致することに驚かされます。
戒壇堂四天王像が法華堂当初安置仏であったと思われることまで、適中しています。

これまで小林氏のみが主張した異説という扱いであったものでしたが、新発見の事実が明らかになってみると、

「まさに先見の明があった」

ということになろうかと思います。



【素人考えながら、ちょっと気になることは・・・・・】


驚きの大発見ともいえる法華堂の当初安置仏が明らかになった話。

「なるほど!」とすごく納得したのですが、個人的には、ちょっと気になることがあります。

全くの素人考えの思い付きの疑問なのですが、本尊と7躯の塑像が安置されていた八角二重基壇左右の外側の広いスペースはどうなっていたのでしょうか?

堂内は結構広いので、だだっ広い内陣の真ん中に八角二重基壇があり、そこに本尊と7天王塑像が寄せ合うように安置されていたことになります。
基壇左右の空いたスペースに、何の仏像も安置されていなかったとすると、見た目がちょっとばかりアンバランスな感じもするのですが・・・・・



【その2】では、不空羂索観音の光背が切り詰められ、位置が下げられた訳の謎についての話を見てみたいと思います。


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