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観仏日々帖

トピックス~堂本印象美術館で初公開の阿弥陀如来像、湛慶作か? 【2019.7.21】


【「湛慶作の阿弥陀如来像、新発見か?」のニュース記事にビックリ】


「作者は天才仏師、運慶の長男? 優雅な秘仏を公開」


ネット検索の新聞記事で、こんな見出しを見つけて、ちょっとビックリしました。
2019.6.28付の〈サンケイニュースの記事〉です。

記事は、こんな出だしで始まります。

鎌倉時代の大仏師、湛慶(たんけい)の仏像?

そんな評判を呼ぶ仏像が京都府立堂本印象美術館(京都市北区)で開催中の「堂本印象 ほとけを描く ほとけを愛でる」で初出展され、美術ファン、研究者の間で話題を呼んでいる。

京都出身の日本画家、堂本印象(1891-1975)のコレクションの1体だが、湛慶といえば、東大寺南大門の仁王像制作などで知られる運慶の長男。
どことなく父の作品を追いかけている姿と形が、見る人に「いかにも!!」といった印象を与える。

堂本印象蔵・阿弥陀如来像

堂本印象蔵・阿弥陀如来像
湛慶作かと記事で紹介された
初公開堂本印象蔵・阿弥陀如来像



【記者の実感がこめられた「読ませる記事」に興味津々】


園田和洋氏という方がかかれた署名記事ですが、仏像彫刻に造詣の深い方のようで、御自身の実感が盛り込まれた「読ませる記事」で、愉しく読みました。

記事は、このように続きます。

日々、詰めている京都府庁の記者室に投げ込まれた堂本印象美術館のチラシ。
そこに掲載された一枚の写真を見て、
「まだ、こんな仏像が未公開のまま残っていたのか」
と驚いてしまった。

仏というより人間に近い写実的な表現で、ひと目みて、平安時代末期から鎌倉時代にかけて奈良や京都、鎌倉などを中心に活躍した運慶や快慶を含む一大仏師集団「慶派」の作品であることはわかった。

同美術館では初出展の阿弥陀如来坐像。印象の自宅に置いていたらしく、府教委文化財保護課に聞いてみても、調査した記録もなく、どうやら人目に出るのも初めてらしい。
かつて仏像を追いかけて寺院巡りをしていたころの記憶を呼び起こすような出会いだった。

さっそく同美術館の松尾敦子学芸員に問い合わせたところ、
「目利きとして知られる堂本印象だけに、すばらしい作品。彫刻史上貴重な作例で、今回の展示の目玉のひとつです」
と絶賛の声を惜しまなかった。


興味津々の語り口で、つい惹き込まれてしまいます。

このあとも記事が続きますが、ポイントだけをなぞると、次のようなものかと思います。

像高約80㎝の阿弥陀像で、運慶作、興福寺北円堂・弥勒仏像を模したような造形だが、本像は彫眼の弥勒像と違い玉眼で、全体的に穏やかな仕上がりになっており湛慶風をうかがわせるものがある。

作者を示す胎内銘などはなく、湛慶作かどうかの根拠はないが、京都市立芸大の礪波(となみ)恵昭教授は、
「特徴は運慶後の、湛慶と同じ世代のものに間違いない。
釈迦や阿弥陀、藥師などといった如来像で湛慶作がないだけに貴重」
とのコメントで、今後の調査に期待がかかる。

以上のような内容でした。

単なる、プレス発表の取材記事ではなくて、ちょっとドキュメント風の「読ませる記事」だと感じられたことと思います。



【現状では、「湛慶作の可能性もある」注目仏像という見解?】


「見出し」を見たときには、

「エーッ、湛慶作の仏像の新発見か!」

と、驚いたのですが、読み進んでいくと、

「初公開の阿弥陀如来像は、鎌倉前期の慶派の作とみられる佳品で、湛慶の世代頃の制作を思われる。
湛慶作という可能性もある。」

ということのようです。

「湛慶作か?」というニュースが掲載されたのは、これだけで、他の新聞各紙には、湛慶作の可能性にふれた記事は見つかりませんでした。

「湛慶作?仏像の発見」というプレスリリースがあったわけではなくて、この阿弥陀如来像が湛慶作であってほしいという、執筆記者の方の気持ちがこめられ、記事掲載されたのかなという感じがしました。



【佳品ぞろいの知られざる堂本印象所蔵の仏像コレクション】


湛慶作かどうかはともかくとして、日本画檀の巨匠、堂本印象(1891-1975)の秘蔵コレクションに本像をはじめとした佳品の古仏があり、それが展覧会で初公開されているというのは、耳寄りな話しです。

京都府立堂本印象美術館で、開催中の展覧会です。

「堂本印象 ほとけを描く ほとけを愛でる
2019年5月29日(水)~9月23日(月・祝)


「堂本印象 ほとけを描く ほとけを愛でる展」チラシ

「堂本印象 ほとけを描く ほとけを愛でる展」チラシ


生涯通して多くの仏画を手掛けた堂本印象は、仏像も所蔵していたようで、本展では堂本印象コレクションから平安~鎌倉期の4体の仏像が初公開、初出展されるということです。

堂本印象蔵のこのような仏像があるというのは、私もまったく知りませんでした。
展覧会チラシや、掲載写真をみると、小ぶりながらなかなかの佳品という感じがします。

知られざる仏像の初公開ということで、大変興味深いものがあります。



【意外に少ない湛慶真作が明らかな仏像~如来形像は無し】


ところで、この初公開の阿弥陀如来像、「湛慶作の可能性」について、皆さんどのように感じられたでしょうか?

私は、鎌倉彫刻の世界は、どうも疎くて、

「湛慶風といわれれば、そんなものかという感じで、よくわからない。」

というのが、本音のところです。

湛慶の事蹟は、史料からもいろいろと伺えるのですが、湛慶の制作とはっきり言える作品は、意外にもそんなに多くありません。

父運慶と並んでその名が連ねられるものを外すと、湛慶の真作が明らかとされる作品は、

雪蹊寺・毘沙門天、吉祥天、善膩師童子像(嘉禄元年・1225年頃)、蓮華王院本尊千手観音坐像(建長6年・1251)及び千体千手観音像のうちの9躯

だけです。

湛慶作~高知県雪蹊寺・毘沙門天、吉祥天、善膩師童子像
湛慶作~高知県雪蹊寺・毘沙門天、吉祥天、善膩師童子像

湛慶作~三十三間堂本尊・千手観音坐像
湛慶作~三十三間堂本尊・千手観音坐像

また、湛慶作に間違いないとみられるものには、

高山寺・善妙神立像、白光神立像、狛犬3対、神鹿像1対、仔犬像

があります。

湛慶作~高山寺・善妙神立像湛慶作~高山寺・白光神立像
湛慶作~高山寺・(左)善妙神立像、(右)白光神立像

湛慶作~高山寺・仔犬像
湛慶作~高山寺・仔犬像

以上が、一般に湛慶作として認められている作品です。

これらの作品をみてみても、

「いかにも湛慶の作風」

といった、誰にでもわかるような湛慶風の特徴がくっきりと見受けられるという訳ではありません。

初公開の堂本コレクションの阿弥陀如来像は、「湛慶作か?」と云われても、素人には、難しいというか、なかなか悩ましい処です。



【湛慶作の可能性が云われる如来形像は?】


記事にもありましたが、

「湛慶作と特定されている如来形像は、現在の処、一躯もない。」

ということです。

確かにそう云われてみれば、そのとおりです。

湛慶の作風については、
「運慶の作風を基盤として、量感を減じて洗練し、写実表現を推し進めた」
という風に云われているようですが、そんな作風概念だけでは、また湛慶作という諸像と較べ併せても、同じ如来形像ではないだけに、似ているのか似ていないのか、イメージが沸いてきません。

それでは如来形の仏像で、湛慶作の可能性が論じられている像には、どのようなものがあるのでしょうか?

いろいろ議論はあるのでしょうが、

西園寺・阿弥陀如来坐像(円派仏師隆円作との見方もあるようです)、西念寺・阿弥陀如来坐像、西寿寺・阿弥陀如来坐像

などが、作風が湛慶風で、湛慶作の可能性があるとされているようです。

西園寺・阿弥陀如来坐像(鎌倉・重文)
京都市上京区~西園寺・阿弥陀如来坐像(鎌倉・重文)

京都市左京区~西念寺・阿弥陀如来像(鎌倉)京都市右京区~西寿寺・阿弥陀如来像(鎌倉)
(左)京都市左京区~西念寺・阿弥陀如来像(鎌倉)、(右)京都市右京区~西寿寺・阿弥陀如来像(鎌倉)



【湛慶風か?  私には難し過ぎてよくわからない堂本コレクション像】


これらの「湛慶作か?と云われている如来形像」と較べてみて、堂本コレクション像はどうでしょうか?

堂本印象蔵・阿弥陀如来坐像
堂本印象蔵・阿弥陀如来坐像

「ウーン、よくわからない!!」

鎌倉彫刻にとんと疎い私には、やっぱりそんな感じの印象です。


実物を見ていないで、写真で見る限りの個人的な印象では、
堂本コレクション像は、他の湛慶作かといわれる如来形諸像と較べて、ちょっと躍動感が少なく、線が弱いような感じもしますが・・・・・・・

作風から、作者である仏師を特定していくというのは、なかなか難しいことだと、今更ながらに思った次第です。


皆さんは、どのように感じられたでしょうか?



コメント

湛慶作の如来像

私も山本勉氏のツイッターと京都新聞講演会(礪波恵昭氏)の記事を見て、(湛慶作とは思えないが)ちょっと気になっていました。
https://twitter.com/eoruri_t/statuses/1150572320156602368
http://event.kyoto-np.co.jp/feature/insyouhotoke/1560426990.9047.html

ここ2~30年の運慶、快慶(及び行快)、肥後定慶、善円(善慶)などの新発見作品とそれによる研究の進展を見ていると、湛慶の確実な作品が発見されずに、大きな進展がないことは残念に思えます。推定作として上記記事で挙げられている如来3件の他の推定作としては、高山寺の阿字螺鈿蒔絵月輪形厨子の弥勒菩薩(中野玄三氏)、高知県須崎市の大日如来(青木淳氏、多摩美紀要23号、2018年多摩美の特別展で展示)、福井県中山寺馬頭観音(故松島健氏が小学館原色日本の美術中世寺院と鎌倉彫刻の改訂版で「湛慶の作である可能性がきわめて高い」としている)ぐらいでしょうか。(いずれも提唱者以外には湛慶作に賛同する意見はなし。)西園寺と西寿寺の阿弥陀はまだ見たことがありませんが、西念寺の像は5月に龍谷ミュージアム因幡薬師展で初めて見ました。伊東史朗氏の仏芸論文を読んでからずっと気になっていた像であり、岐阜延算寺薬師とともにこの展覧会で最も見たかった作品です。湛慶の作かどうかは分かりませんが、思っていたとおりの素晴らしい作品でした。

また、「湛慶作と特定されている如来形像」ですが、私は三十三間堂本尊の頭上面、化仏、光背の三十三身(頂上仏)に注目しています。これらは全て当初の像であり、湛慶工房が作ったものに間違いありません。頭上面は頭部のみ、化仏は小さいものであり、拡大写真もないので比較検討には使いにくいのですが、光背三十三応現身のうちの頂上仏は45cmの如来坐像です。(2017年の東博運慶展で迦楼羅など3体が展示されましたが、頂上の如来は出ていません。)如来の写真は基礎資料集成鎌倉8の図版編P16に載っています。(下記植村論文のP61にも正面写真だけ掲載)
https://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/SB/0008/SB00080R029.pdf

光背化仏とはいえ、丈六仏の化仏なのでかなり本格的な作りであり、十分比較検討の材料には使えると思います。(今回の堂本印象の像と比べると、堂本像の体部はまあいいが、頭部は湛慶とは違うかという感じがします。)光背化仏に注目するということでは、奈良市福智院地蔵光背化仏の地蔵が善円の作と判断されている例や、私自身が経験したことでは、2017年の東博新指定文化財陳列で、大阪金剛寺の大日如来・不動・降三世が国宝指定された時に、本体はパネル展示でしたが、光背化仏の2体が展示されていたことを思い出します。このうちの金剛薩埵は快慶風の目尻が吊り上がった表情でしたが、耳の形の対耳輪上脚が真っ直ぐ上を向く行快の耳であり、斜め前を向く快慶の耳ではなかったことを確認できたので、快慶没後10年程度経過し、確かに行快が平安時代の本尊の光背を追加で作ったということを実感できました。

なお、三十三間堂本尊の光背化仏は湛慶工房の作であり、湛慶本人の手がどこまで入っていると言えるのか、という問題もありますが、この問題は運慶でも快慶でも、また西洋美術でも常につきまとう問題です。三十三間堂の本尊自体が82歳という高齢の湛慶が総指揮者として作っているわけですから、光背化仏も同様に考えていいと思います。ただ、興福寺北円堂の運慶作弥勒仏の担当仏師が源慶であり、源慶作の吉野如意輪寺蔵王権現の耳と全く同じ形をしているので、北円堂弥勒仏には源慶の「手」が感じられると思うし、また、快慶晩年の作には行快の耳の特徴が出ている作品も多いという事実(快慶存命中は行快が作っていても快慶ブランドとして出荷する)もあります。工房作をどう考えるかという問題は、例えば西洋美術のルーベンスでは、画面の面積のうち本人の描いている割合によって絵の値段が変わるという例もあり、なかなか面白い、そして難しい問題です。この工房作の問題については今後も追いかけていこうと思います。

長くなりましたが、最後に湛慶作の可能性がある作品についての情報を一つ。それは高山寺の明恵上人の像です。最近聞いた話しなのですが、すぐにメモを残さなかったので、誰から聞いたのか忘れてしまいました。この像は昔からよく知られている像(戦前に旧国宝指定)ですが、きちんと研究されたことはないと思います。その聞いた話しでは、湛慶作を推定できる文書が発見されたようで、近いうちに論文が発表されることを期待しています。この明恵上人の像ならば色々な事情から湛慶の作であってもおかしくないと思います。なお、伊東史朗氏は「ぎょうせい日本の美術京都の鎌倉時代彫刻」でこの像の作者を「蓮華王院造像を念頭に置くと湛慶風は少ない」としていて湛慶作には否定的です。

  • 2019/07/25(木) 23:23:37 |
  • URL |
  • むろさん #PMoz9hdc
  • [ 編集 ]

Re: 湛慶作の如来像

むろさん様

湛慶作例についての詳細なコメントをいただき、有難うございます。
大変深い造詣に、敬服の至りです。
私は、鎌倉彫刻の世界はとんと疎くて、大変勉強になりました。

湛慶は、これだけ著名な仏師にもかからわず、個人の作風というのが際立たないような感じがしますね。。

  • 2019/07/26(金) 18:20:50 |
  • URL |
  • 観仏日々帖 #-
  • [ 編集 ]

湛慶の作風

今回のコメント投稿に際しては、湛慶の推定作品や作風検討について今まで発表された諸論文を見直し、全体を通して眺める良いきっかけになりました。私にとっても湛慶の作風についてこれほど考えたことは初めてでした。

上記投稿文で、湛慶作の如来像としては三十三間堂本尊の光背三十三身頂上仏を基準にしてはどうかということを書きましたが、この頂上仏の作風については、田辺三郎助氏の「鎌倉彫刻の特質とその展開―湛慶様式の成立を中心に」(初出1977年の国華1000、同氏の彫刻史論集に再録)が出ているだけで、基礎資料集成鎌倉8にも上記植村論文にも作風のことは述べられていません。田辺氏は本尊頂上仏面との作風の差を考慮した上で、光背三十三身頂上仏については湛慶の下で働いた「康円、康清の当時の作風を考えることも可能ではないか」と述べていますが、三十三身頂上仏の作風について本当にそう言えるのか、私は40数年たった現在の研究レベルでもここから康円、康清の特徴を見出すのは困難だろうと思っています。そう考える理由は、運慶の下で湛慶が働いた3つの事例から湛慶の作風を見出すのは現時点では無理ということと同じと考えるからです。事例の第一は岡崎瀧山寺の三尊像(瀧山寺縁起に運慶・湛慶合作とある)、第二は東大寺南大門金剛力士吽形の納入経に書かれた湛慶・定覚作の文字、第三は興福寺南円堂に最近まで安置されていた四天王のうちの持国天が北円堂弥勒仏の台座銘により湛慶の分担と考えられること(南円堂四天王が本来の北円堂像だという最近有力な説を採用するとして)です。瀧山寺縁起は近世の作ですが、運慶作が受け入れられている現状から、内容は信用できるだろうと考えます。南大門金剛力士吽形は間違いなく湛慶が関与しています。これら3件の事例では総監督として運慶作が認められても湛慶の手を見極めるのは困難です。上記のコメントで北円堂弥勒仏に源慶の手とか、快慶作品に行快の手が感じられると書いたのは、ごくまれな例であり、そのような細部の特徴に関する研究が蓄積されてきたからです。湛慶と康円、康清の作風の差については細部形式等についてそこまでの研究蓄積はありません。(無著、世親に運慶の五男、六男の手を見出すことが出来ないということと同じ)

三十三間堂本尊光背三十三身の頂上仏は建長6年頃の作品ですが、湛慶作の如来形の基準として使う場合には、これは晩年作であり若い頃の作風とは変化している可能性があることと、康円、康清またはそれ以外の仏師の関与がどこまで入っているか現時点では不明、ということについて注意が必要です。(運慶、快慶、善円・善慶のように長期間の作品蓄積がある仏師については、個人の作風変化がかなり分かってきましたが、湛慶ではまだそこまで来ていません。)

また、湛慶の作風については、如来よりも武装の天部形の方が今後研究が進むのではないかとも思っています。2015年1月の美術史学会東支部の例会が上野の芸大(薮内研究室)で開催され、中村志野という方が雪溪寺毘沙門天の彫刻技法や運慶作願成就院毘沙門天、肥後定慶作芸大毘沙門天との姿勢等の比較について発表されました。この時には山本勉氏、伊東史朗氏、青木淳氏も質問され専門家の間での関心の高さを実感しました。また、最近運慶周辺の四天王では独特の帯喰の形にも注目が集まっています。(瀬戸神社、鶴岡八幡宮の陵王面の龍、八葉蓮華寺快慶作阿弥陀胎内納入文書に墨書された陵王面の龍、これらと近い形の四天王や毘沙門天の帯喰の龍の類似―上記北円堂?四天王、芸大毘沙門天、東福寺毘沙門天、海山住寺四天王など)
雪溪寺毘沙門天と北円堂?湛慶分担持国天との詳細比較などはまだ発表されていないようですが、上記の研究などと合わせ、この辺の研究の進展により湛慶周辺の武装天部形のことがもっと解明されることを期待しています。

  • 2019/07/31(水) 20:45:34 |
  • URL |
  • むろさん #PMoz9hdc
  • [ 編集 ]

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