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観仏日々帖

古仏探訪~岡山県 瀬戸内市・大賀島寺の秘仏・千手観音像御開帳  【2018.11.24】


岡山・大賀島寺の秘仏本尊・千手観音立像の、33年に一度のご開帳がありました。

11月17日・18日の二日に限り、開帳されました。

「このご開帳には、なんとしても行かねばなるまい。」

そんな思いで、出かけました。

大賀島寺・千手観音像(「吉備の知られざる世界」掲載写真)
大賀島寺・千手観音像(「吉備の知られざる世界」掲載写真)


【早世した、本HP創始者・高見徹さんが最後に観た仏像~大賀島寺・千手観音像】


この「神奈川仏教文化研究所HP」の創始者・高見徹さんは、7年前、61歳で早世しましたが、彼が生前、最後に観た仏像が「大賀島寺の千手観音像」なのでした。

「厳重な秘仏」で拝観が叶わなかったのですが、2011年に重要文化財に指定されたとき、2週間に限って、東京国立博物館の新指定文化財展(4月~5月)に展示されました。

当時、体調がすぐれずに入院中の彼でしたが、新発見の平安前期の優作ということで、
「何としても、この仏像だけは、観に行くのだ。」
と、病を押して博物館まで出かけてきて、待望の千手観音像を、我々と一緒に観たのでした。
それから10日余、あまりに突然といえるほどに、急逝したのでした。

その後、HPは、学生時代からの長きにわたる仏像愛好の友であった私が、引き継がせていただいています。

この思い出については、かつて、観仏日々帖「高見徹さんを偲んで」に、綴らせていただいた通りです。

「大賀島寺の千手観音像」

私にとっては、忘れ難き仏像なのです。



【平安前期の優作、厳重秘仏のご開帳を目指して、各地から大勢が駆付け】


大賀島寺は、岡山駅から車で東へ45分ほど、瀬戸内市邑久町豊原という処にあります。
大雄山という山の山頂にあり、素晴らしい見晴らしです。

大賀島寺のある大雄山山頂からの眺望
大賀島寺のある大雄山山頂からの眺望

普段は訪れる人もほとんどないお寺なのですが、この日は、33年に一度の御開帳ということで、多くの人々で賑わっていました。

33年に一度のご開帳法要、奉参行事で賑わう境内
33年に一度のご開帳法要、奉参行事で賑わう境内

本尊・十一面観音像は、写真でご覧いただいたらわかるように、ほれぼれするような見事な一木彫像です。
近年発見され、大注目となっている、平安前期、9世紀の優作像なのですが、厳重秘仏で、この御開帳を逃すと、また33年後でないと拝することが叶いません。

臨時の駐車場には、「福井、和歌山、奈良ナンバー」などの車が並んでいて、全国各地からこのご開帳を目指して、長駆、かけつけてきた人が多いようです。



【地元総出の御開扉供養法要、奉賛行事で、境内は大賑わい】


参道、境内には、「南無千手観音菩薩」と書かれた赤い幟がたくさん立てられ、本堂前には立派な回向柱が立柱されています。

御開帳日の大賀島寺本堂、境内
御開帳日の大賀島寺本堂、境内

境内は、参詣の人々、御開帳奉賛行事参観の人々で、大変な賑わいです。
33年に一度のご開帳いうことで、地元の村落の人々総出での大イベントの様子、御開扉法要への力の入り方が伺えます。

境内に立てられた、秘仏御開帳の大看板
境内に立てられた、秘仏御開帳の大看板

10年余前に、岡山方面観仏の折、ダメもとで、故高見さん等と大賀島寺に寄ってみたことがありましたが、その時には、境内に人っ子一人、姿が見えませんでした。
(この時、当然、拝観は叶いませんでした)

2007年にダメもとで訪れたときの大賀島寺~訪れる人は誰もいなかった
2007年にダメもとで訪れたときの大賀島寺~訪れる人は誰もいなかった

同じお寺とは、信じられないような賑わいです。



【「凛として雄渾」、第一級レベルの見事な平安初期一木彫像の優作】


早速、秘仏・ご本尊の拝観です。

千手観音像は、本堂内の大きな厨子の中に祀られていました。
照明も明るく、厨子の真ん前まで近寄って、眼近に拝することが出来ました。

大賀島寺・千手観音像~修復後(美術院紀要掲載写真)
大賀島寺・千手観音像~修復後(美術院紀要掲載写真)

千手を大きく広げた観音像が、眼前に迫ってきました。

「凛として、雄渾な、立ち姿」

「鋭く、流麗、緻密な彫技」

まずもって、目に映る印象です。

像高:122センチ、カヤ材とみられる一木彫像で、体躯から蓮肉まで一材から刻みだされ、内刳りは施されていません。

一見しただけで、バリバリの平安前期の一木彫像であることがわかります。
それも、間違いなく、素晴らしい出来の見事な優作です。
都の大寺に遺されていて、何の不思議も感じない、第一級レベルの仏像だと感じました。
岡山のこの地に、これほど素晴らしい仏像が秘されていたというのは、まさに驚きです。


引き締まった意志的な眼、ちょっと下膨れの顔貌は、エキゾティックでちょっと大陸的な雰囲気を醸しています。

大賀島寺・千手観音像顔部~修復後(美術院紀要掲載写真)
大賀島寺・千手観音像顔部~修復後(美術院紀要掲載写真)

そして千手の脇手の伸びやかな広がりと、体躯とのバランスが抜群で、大空間に大きく雄々しく羽ばたくかのようです。

千手を広げたシルエットが見事で雄渾な千手観音像(仏教芸術掲載写真)
千手を広げたシルエットが見事で雄渾な千手観音像(仏教芸術267号掲載写真)

「雄渾」という言葉が似合う、堂々たる印象を受けるのは、キリリとした顔貌とのびやかな千手を広げたシルエットの故かも知れません。



【驚くべき彫技の冴え渡りと、千手・蓮肉まで一材彫出のカヤの良材壇像】


もう一つ目を惹くのは、驚くべきと云って良いほどの彫技です。

ヌメッとした肌合いを感じさせる、柔らか、滑らかな肉身表現。
それにも増して、凄いのが、鋭く深くうねり、粘りのある衣文表現。
その彫り口は、仏工の彫技の冴え渡りを、これでもかと誇示するようです。

彫技がさえわたる大賀島寺・千手観音像衣文~修復後(美術院紀要掲載写真)
彫技が冴えわたる大賀島寺・千手観音像衣文~修復後(美術院紀要掲載写真)

カヤ材という代用材を用いた、大型檀像として制作されたものでしょうが、蓮肉だけではなく合掌手、脇手の大半まで一材から彫り出されているそうです。
内刳りもされていないのに、干割れの痕跡も見当たりません。
余程のカヤの巨木、それも目の詰んだ緻密な良材が用いられているのに違いありません。
(木心は、像の前方中央、蓮肉部上面あたりに籠められているとのことです。)

このことだけでも、9世紀の制作像であることを物語っているようです。

御開帳奉賛会の方から、背面の写真を頂戴しましたが、背中の肉身のカヤ材の美しい木肌、木目が、大変魅力的に写し出されており、余程の良材から刻出されているのが、よくわかります。

緻密なカヤの木肌、木目が美しい千手観音像・背面(御開帳奉賛会の方に頂戴の写真)
緻密なカヤの木肌、木目が美しい千手観音像・背面
(御開帳奉賛会の方に頂戴の写真)



【「造形の特徴、時代の位置づけ」が良くわかる、重文指定時の解説】


ここで、2011年に重要文化財に指定時の解説を、ちょっとご紹介しておきたいと思います。

「報恩大師が開いたという伝承をもつ大賀島寺の本尊で、秘仏として伝えられた。
・・・・・・
腰を右に捻り、左膝を緩めて立つが、このように明らかな動勢を示す千手観音像は、ほかに知られない。
・・・・・・・
頬の長い顔立ちには中〜晩唐風が濃厚にうかがえる。
彫り口は大胆で力強く、著衣は凹部を深くえぐり、衣縁や衣文の峰を鋭く立ち上がらせ、動勢や肉身の起伏に応じて動きのある装を刻んでおり、殊に条帛と天衣が随所に衣縁のうねりや翻転を伴い交錯するさまを克明に表した彫技にみるべきものがある。

このように、本像には平安初期の檀像系作例に特徴的な諸形式や表現が集約的に用いられているのが看取される。
眉が隆起し、口を強く引結んで厳しい表情を示す面貌や刀痕をとどめた仕上げなどは京都・神護寺薬師如来像(国宝)を想起させ、製作年代は神護寺像や、本像に類する形式を多くみせる宝菩提院像からさほど隔たらぬ時期、遅くとも九世紀前半とみて誤りないであろう。

なお脇手の過半まで本体と共木で彫出する千手観音像はほかに北広島町像(注:広島県古保利薬師堂・千手観音像)があるのみで、初期木彫像におけるできるかぎり像を一材より彫ろうという意識をうかがわせる。
平安早期の異色の作例として注目される。」
(「新指定の文化財」月刊文化財573号・2011.06刊)


広島県北広島町 古保利薬師堂・千手観音像(脇手まで一木彫成)
広島県北広島町 古保利薬師堂・千手観音像(脇手まで一木彫成)

造形の特徴、時代的位置づけが、簡にして要を得て解説されていて、「なるほど!」と感じると共に、本像が、9世紀前半のレベルの高い優作であることを、今更ながらに納得させられました。



【修理修復で全身の後補古色が除かれ、檀像様の姿を実感~グッと増した迫力】


実は、この御開帳で、千手観音像の姿を観て、雰囲気が随分変わっていたのに、驚かされました。

2011年に東京国立博物館で展示された時には、全身が、チョコレート色というか黒褐色で覆われていました。
2016年度に、美術院国宝修理所で修理修復が行われ、黒褐色の後補古色が取り除かれ、制作当初の素地像の姿に戻されました。

こんなにもイメージが変わるのかなと、ビックリです。
東博で観た印象に比べて、厳しさ、生々しさが前面に出てきて、グッと迫力が増したように感じました。
今回の拝観で、制作当初の檀像風の姿を、しっかりと実感することが出来ました。

眼の白目、黒目が彩色されているのにちょっと違和感を覚えましたが、後補古色を取り除くと、今の彩色が現れたのだそうで、当初から眼球が描かれていたそうです。
また、肉身は当初の木肌、木目が現れているのに、衣の部分がそうではないのは、これ以上除去すると当初部分を痛める恐れがあったので、ここまでに留めたからということです。



【桓武天皇時代の、渡来新様檀像系仏像の系譜の仏像か?】


この大賀島寺の千手観音像の造形をじっくり見れば見るほど、桓武天皇時代とか長岡京時代の制作かと云われている、一連の檀像風一木彫像のことが、思い浮かびます。

宝菩提院の菩薩踏下坐像、道明寺の十一面観音像、高槻・廣智寺の菩薩立像などといった仏像です。

宝菩提院・菩薩踏下坐像(国宝).道明寺・十一面観音像(国宝)
(左)宝菩提院・菩薩踏下坐像(国宝)、(右)道明寺・十一面観音像(国宝)

大阪府高槻市 廣智寺・菩薩像(府指定文化財)
大阪府高槻市 廣智寺・菩薩像(府指定文化財)

「エキゾティックで下膨れな顔貌、ヌメッとねっとりとした肌合い、粘りのある彫技の冴えを誇るような深く抉った衣文」

といったものに、相通じる空気感を感じるものがあるのです。

これらの仏像は、中国渡来系の仏工の作か?と思わせるような独特の風があり、このタイプの空気感の彫像は、この一時期にだけ見られるように思うのです。
桓武天皇、長岡京時代前後あたりに、徒花のように咲いた、一連の檀像系仏像と云うような気がしています。
桓武天皇は、土師氏、紀氏などとの血縁が強く、また旧来の奈良仏教と距離を置いたといわれています。

私は、
「桓武天皇と土師氏、紀氏というトライアングルに関わりそうな仏像に、唐風渡来新様の色濃い像が多いのではないか?」
と、感じているのですが、大賀島寺像も、そうした仏像の延長線にあるのではないかという気もしてきました。
(大賀島寺像は、瞳に石などを嵌入せず、彩色で表す点は異なるのですが・・・・・・・)

それにしても、そんな仏像が、吉備地方に何故か遺されているというのは、大変興味深い処です。



【平安初期優作の大発見となった大賀島寺・千手観音像
~2003年、浅井和春氏が紹介論考を発表】

さて、大賀島寺の千手観音像、

「近年発見され大注目となった」

と、ご紹介しましたが、その発見の経緯などを、ちょっと振り返っておきたいと思います。

本像の存在が、研究誌ではじめて紹介されたのは、今から15年前、2003年のことでした。
仏教芸術267号に掲載された、浅井和春氏の 「岡山・大賀島寺の本尊千手観音立像とその周辺」 という論考です。
浅井氏自身も、平安初期の優作仏像の発見は、大変な驚きであったようで、論考の冒頭、このように綴っています。

「『とてつもない像』の出現である。

例の如く武田和昭さんからのご一報により、私が岡山・大賀島寺の千手観音像の存在を知ったのは、昨年(2002)10月末のことである。
受話器のむこうの武田さんは、まさに「息せき切って」の形容がピッタリの興奮状態にあった。
数日後、御仏の写真が届き、それを見た私も唯々唸るのみ。思いもかけずその出会いの場に遭遇した武田さんの驚嘆たるや、想像に難くない。

それほどに本像は、鋭く流麗な彫技を全体に駆使した稀有の作品に他ならなかった。
『すぐ来て下さい』とおっしゃる武田さんの熱意にうながされ、ようやく本像を拝する機会を得たのは11月23日。
・・・・・・・・
本像は、安住院像と同様、平安時代の劈頭に製作され、かつ同じ備前地域に特有の『報恩大師』伝説に彩られた一木造の名作であった。」
(2003年3月刊、仏教芸術267号)


想定外の平安初期一木彫像の優作の大発見への、驚きと興奮が、活き活きと手に取るようです。



【最初の発見者は武田和昭氏~「吉備の知られざる世界」出版企画で撮影同行時】


この文章のとおり、厳重秘仏、大賀島寺・千手観音像の最初の発見者は、武田和昭氏ということになります。
武田氏は、香川県在住、お寺の住職を務める仏像研究家で、「讃岐の仏像(上下)」「瀬戸内の金銅仏」といった著作で知られている仁です。

武田氏は、吉備の隠れた文化財を紹介する「吉備の知られざる世界」という本の出版企画で、大賀島寺の写真撮影に同行した際に、この秘仏・千手観音像を見て、平安初期9世紀の制作像に違いないと判断、浅井和春氏に「息せき切って」発見連絡したということのようです。

「吉備の知られざる世界」は、2002年12月に石本均志著・写真で、吉備人出版から刊行されました。

「吉備の知られざる世界」石本均志著・写真(吉備人出版2002刊)

「吉備の知られざる世界」に掲載された大賀島寺・千手観音像の写真、解説
「吉備の知られざる世界」石本均志著・写真(吉備人出版2002刊)
掲載された大賀島寺・千手観音像の写真、解説


武田和昭氏が解説を執筆、
「制作は平安時代初期、九世紀初期ころの作と考えられ、岡山県下では木造の仏像では確認されるなかでは最古とみられる。」
と、述べられています。

本書に掲載された写真が、大賀島寺・千手観音像の姿が世に知られた、最初のことなのではないかと思います。
石本均志氏撮影による、見事な千手のシルエット、雄渾な立ち姿の、魅惑的なカラー写真が掲載されています。



【2011年に重文指定~厳重秘仏が2週間限り、東博で展示】


このようにして、「平安前期の一木彫像の大発見」として、大注目を浴びた大賀島寺・千手観音像は、「9世紀前半の優作像」と認められ、2011年に、国の重要文化財に指定されたのでした。

市指定文化財から、県指定を経ずに、一気に国の重文指定に行ったったとという話です。

そして、33年に一度の開扉の厳重秘仏として守られていた本像が、2週間に限って、東京国立博物館の新指定文化財展に出展されることになったのでした。



【やっぱり、出かけてきて良かったご開帳】


大賀島寺の千手観音像に再会することが出来、そのほれぼれする姿に見入っているうちに、ずいぶん時間が経ってしまいました。
そろそろ帰路につかねばなりません。

次の開扉は、33年後ということです。
「この仏様の姿を、もう一度拝することは、私にはもうないのだな!」
と、後ろ髪をひかれる思いです。


この仏像が最後の観仏になった、長年同好の友、故高見徹さんに想いを致し、本尊千手観音像に、もう一度、手を掌わせました。

「やっぱり、思い切って、この御開帳に出かけてきて、本当に良かった。」

そんな心持に浸りながら、まだまだ参詣の人で賑わう、大賀島寺を後にしました。


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