FC2ブログ

観仏日々帖

古仏探訪~2017年・今年の観仏を振り返って〈その1〉1~3月  【2017.11.26】


早くも、もう師走となってきました。

恒例というわけでもないのですが、「今年の観仏を振り返って」2017年バージョンを振り返ってみたいと思います。

一年の締めくくりに、今年どんな仏像を巡ったかを振り返るという、全く自己満足的な観仏日記です。
面白くもなんともないのですが、我慢してお付き合いいただければと存じます。


【1 月】



正月に飲んで、新年会という名目でまたまた飲んで、毎日飲んだくれているうちに、1月は過ぎてしまいました。


【「112年ぶりの再会、興福寺の梵天・帝釈天」を根津美術館で
~当初と復元修理の差をはっきり実感】


仏像を見に出かけたのは、根津美術館で展示のあった、定慶作、興福寺の梵天・帝釈天像だけでした。
「再会~興福寺の梵天・帝釈天」
と題する特別展示です。

観仏先リスト1(興福寺・根津美術館~梵天帝釈天)

ご存じのとおり、梵天像は興福寺にあるのですが、帝釈天像の方は、現在、根津美術館の所蔵となっています。
「再会~興福寺の梵天・帝釈天」展ポスター

共に像内墨書により定慶の作であることが明らかになっています。
(梵天像は建仁2年(1202)作、帝釈天像は建仁元年(1201)作)

帝釈天像は、興福寺が寺維持のための資金を調達するため、明治39年(1906)「破損仏その他の庫一つ」を益田鈍翁に売却したときに、寺を出たものです。
その後、根津嘉一郎の手に渡り、根津美術館の所蔵品になっているのです。
この離れ離れになってしまった梵天、帝釈天像が、その時以来、「112年ぶりに再会する」ことが実現した展示というわけです。

美術館には、この二像が、見較べることが出来るように並べて展示されていました。
眼近に、じっくり見ることが出来ました。

興福寺・梵天像(定慶作).根津美術館蔵(興福寺伝来)・帝釈天像(定慶作)
(左)興福寺・梵天像、(右)根津美術館蔵(興福寺伝来)・帝釈天像~共に定慶作

それぞれの像を、興福寺で、根津美術館で、折々別々にみた時には、違いを感じなかったのですが、こうして並んでいると、
「随分、出来栄えが違うな」
という感じです。

もちろんですが、興福寺蔵の梵天像の方が、出来栄えが良く、勢いや迫力も格段に違うのが判ります。
根津美術館の帝釈天像の方は、興福寺から売却された時、随分と破損しており、頭部、面部、腕手先は欠失していたようです。
明治の売却時の古写真が残されていて、破損の様子が伺えます。

明治39年(1906)興福寺から破損仏等が益田鈍翁に譲与された時の写真 
明治39年(1906)興福寺から破損仏等が益田鈍翁に譲与された時の写真
一番奥の左の仏像が、根津美術館所蔵の帝釈天像
頭部、面部、腕部は欠失しており、現在像は、復元修復されている


この破損、欠失部分を復元修理によって補ったのが、現在の根津美術館・帝釈天像なのです。

復元修理も見事に出来上がっているのですが、鎌倉当初の制作の像と並べてみると、
「こんなにも出来栄えの感じが違うのか!」
と、今更ながらに、妙に感心してしまいました。


同時開催の特別展は、「染付誕生400年」展でした。
染付の個人コレクター・山本正之氏寄贈のコレクション展示です。

「染付誕生400年」展ポスター

大型のものではなく、使える染付皿中心のコレクションでしたが、蒐集家の、一本筋の通った趣味の良い鑑賞眼が伺える展示会でした。



【2 月】



【冬の京都非公開文化財特別公開~妙法院・不動明王像を初拝観】


大阪、京都へ出かけたついでに、恒例の「京の冬の旅・非公開文化財特別公開」で、妙法院の不動明王像が公開されているというので、出かけました。

観仏先リスト2(妙法院)

妙法院は、三十三間堂を所管する門跡寺院です。
三十三間堂は、いつも観光客でごった返していますが、こちらの方は、訪れる人はおらず、ひっそりとしています。

妙法院山門妙法院の「京の冬の旅・非公開文化財特別公開」の看板
妙法院山門と「京の冬の旅・非公開文化財特別公開」の看板

あまり知られていないと思うのですが、此処に、平安前期の不動明王像が祀られているのです。

妙法院・不動明王像(平安前期・重要文化財)
妙法院・不動明王像(平安前期・重要文化財)

写真で見ると、しっかりした肉付きの像で、カッと見開いた眼など顔貌に迫力を感じます。
像高:133㎝、平安前期の制作で、重要文化財に指定されています。

この像を、拝された方は、そう多くはいらっしゃらないのではないでしょうか?

「数少ない初期天台仏像の一例として、なかんずく現存最古の天台系不動彫像としての意義は動かない。」
(注記:東寺)講堂像よりも御影堂像の方に親近性の見出せた妙法院像は、制作時期もあまりそこ(注記:貞観9年・867)から隔たらない頃が求められよう。」
(伊東史郎氏「妙法院護摩堂不動明王像について」平安時代彫刻史の研究所収)

という興味深い、平安前期彫像です。

不動明王像は、江戸時代の二童子脇侍と共に、護摩堂に祀られていました。
どんな不動像なのだろうと、期待に胸膨らませて出かけたのですが、護摩堂前の廊下からの拝観で、かなり遠くてその姿をはっきり拝することが叶いませんでした。
双眼鏡を動員して目を凝らしましたが、なかなか克明には見えず、ちょっと残念という処です。

眼近には拝せませんでしたが、その雰囲気だけはしっかりと受け止めて、妙法院を後にしました。



【ひっそり地味だったが、興味深かった「仏像修理の現場」展
~美術院国宝修理所のわざを実感】

京都産業大学ギャラリーで開かれていた
「仏像修理の現場~美術院国宝修理所・伝統のわざと新しいわざ」展
にも寄りました。

「仏像修理の現場~美術院国宝修理所・伝統のわざと新しいわざ」展ポスター
下京区壬生寺の南にある京都産業大学むすびわざ館という処で、ひっそりと開催されていました。
訪れる人もほとんどいないようで、「ひっそりと」という言葉が似つかわしいといった、こじんまりした展覧会で、観覧者は私達(妻と二人)だけでした。

美術院での仏像修理に用いる槍鉋、釿(ちょうな)、鑿などの修理道具や、東大寺南大門仁王像の修理時に制作された頭部や手部の樹脂型などの展示と共に、仏像修理の工程や有様の映像放映がされていました。

私には、面白かったのですが、ちょっとマイナーな内容の展示会で、なかなか参観者は見込めないのかなとの同情心がわいてきたのが本音の処です。
でも、こうした地味な展示会開催の努力が、これからも続けられて欲しいものです。



【これぞ神品!故宮・汝窯水仙盆~東洋陶磁美術館展示の6つの汝窯水仙盆に感激】


実は、今回の関西行は、大阪市立東洋陶磁美術館で開催された「汝窯・水仙盆展」を観るのが目的で、出かけたのでした。
後のは、付けたりとも言って良いものです。

「台北 國立故宮博物院~北宋汝窯青磁水仙盆」展ポスター
正式な展覧会名は
「特別展:台北 國立故宮博物院~北宋汝窯青磁水仙盆」
というものです。

なんと、「汝窯青磁の水仙盆の名品が、大阪に集結」するのです。

といっても、ご関心のない方は、
「何をわけのわからないことを云っているのだ!」
という感じでしょうが、
汝窯というのは北宋時代「雨過天晴」と呼ばれた透き通った青色の青磁で、現存する汝窯青磁は、世界中で90点ほどといわれる稀少なものです。
そのなかでも、台北故宮所蔵の青磁無紋水仙盆は、汝窯の最高傑作とされ「神品至宝」といわれているのですが、これが展示されるのです。

汝窯の水仙盆がたった6個だけ展示されるだけ、という展覧会なのですが、

「このチャンス、絶対に見逃すわけにはいかない」

と勢い込んで出かけたのでありました。

果たして、「故宮の青磁無紋水仙盆」は、人類史上最高のやきものと云われるのも納得の、まさに「神品至宝」でした。

「神品至宝」といわれる台北故宮所蔵・汝窯青磁無紋水仙盆
「神品至宝」といわれる台北故宮所蔵・汝窯青磁無紋水仙盆

東洋陶磁美術館所蔵(旧安宅コレクション)・汝窯水仙盆
東洋陶磁美術館所蔵(旧安宅コレクション)・汝窯水仙盆

東洋陶磁美術館にいつも展示されている安宅コレクションの「汝窯青磁水仙盆」も、これだけを観ていると、いつもその素晴らしさに見惚れてしまうのですが、「神品至宝の水仙盆」と並ぶと、はるかに見劣りして影が薄いというのが実感でした。

汝窯水仙盆の名品に、

「感動!また感動!」

で、このために大阪まで出かけてきた甲斐があったというものです。


この日の夜は、京都、御幸町押小路の和食処「仁和加(にわか)」という店に行きました。

京都・御幸町押小路の和食処「仁和加」
京都・御幸町押小路の和食処「仁和加」

京都市役所の西のひっそりした通りにあって、あたりをブラリ散歩していると、ちょっと目についたので、ふらりと初めて入ってみました。
カウンター6席しかない小さなお店で、1年ほど前の開店ということでしたが、なかなか落ち着いた良いお店でした。
余り凝った処がない素材重視の料理でしたが、器共々、それなりに満足です。
値段もリーズナブル。

翌日の昼は、いつもの定番、木屋町の「レストランおがわ」。



【3 月】



【天平会の伊豆観仏旅行に合流参加】


関西の仏像愛好の会「天平会」の伊豆方面観仏旅行に参加させていただきました。
関西から貸し切りバスに乗って、総勢30名以上での、一泊二日の伊豆観仏旅行です。
関東在住組の数人は、JR函南駅でピックアップしてもらいました。

観仏先リスト3(伊豆観仏旅行)

ご覧のような、伊豆を代表する見どころある仏像を巡りました。

いずれも、何度も訪れたことのあるお寺と仏像ですが、天平会の講師・杉崎貴文先生の愉しく興味深いご説明を聞きながらの観仏で、新たな気づきの多かったよき観仏旅行となりました。



【モダンなギャラリー風の「かんなみ仏の里美術館」で、実慶作・阿弥陀三尊をじっくり鑑賞
~桑原薬師堂にひっそり祀られていた頃も懐かしい】

「かんなみ仏の里美術館」は、桑原薬師堂に遺された諸仏の保存と鑑賞を目的に、5年前、2012に開館した美術館です。

「かんなみ仏の里美術館」
=「かんなみ仏の里美術館」

モダンな建物の美術館には、桑原薬師堂の旧仏の実慶作・阿弥陀三尊像(鎌倉時代・重要文化財)をはじめとする諸仏が、展示されています。

桑原薬師堂~実慶作・阿弥陀三尊像(鎌倉時代・重要文化財)

桑原薬師堂~実慶作・阿弥陀三尊像(鎌倉時代・重要文化財).桑原薬師堂~実慶作・阿弥陀三尊像(鎌倉時代・重要文化財)
桑原薬師堂~実慶作・阿弥陀三尊像(鎌倉時代・重要文化財)

この阿弥陀三尊像、昭和59年(1984)、仏像調査の時に両脇侍体内から「実慶」の墨書銘が発見され、俄然、注目を浴びた像です。
同じ年には、伊豆修善寺の大日如来像の胎内から実慶作墨書銘(承元四年・1210)が発見され、「実慶」がこの伊豆の地で活躍していたことが明らかになったのです。
ご存じのとおり、実慶は、運慶願経にその名前が記される慶派の仏師です。

今では、美しいライティングでギャラリーのような展示室に並ぶ仏像たちですが、桑原薬師堂の古ぼけたお堂に、ひっそりと祀られていたお姿が、懐かしく思い出されます。

地元の人々に管理されている桑原薬師堂の古いお堂
地元の人々に管理されている桑原薬師堂の古いお堂

桑原薬師堂に祀られていた頃の実慶作・阿弥陀三尊像
桑原薬師堂に祀られていた頃の実慶作・阿弥陀三尊像

当時は、無住のお堂と仏像が、地元の人々の手で大切に守られ、まさに村落と共に生きる仏様でした。
あのままでは、管理保存していくことも難しく、また「かんなみ仏の里美術館」が開館されて、沢山の人が訪れるようになり、これが一番良かったのでしょうが、ちょっと寂しい思いもよぎりました。



【もう何回訪ねただろうか? 願成就院~国宝指定後は初めて】


願成就院には、もう何回訪れたでしょうか?
多分、二けた回数になっていると思います。

「秋の東博の運慶展には出展されるのだろうか?」

そんなことを考えながら、拝しました。
結局、毘沙門像だけが、運慶展展示となりました。

二年前、2015年に国宝指定されてからは、初めての訪問です。
これまでのように、諸仏のすぐ真ん前まで近寄って拝することが出来なくなってしまったのは、ちょっと残念でした。



【二天像の、おおらかでパワフルなパンチ力がたまらない~南禅寺「河津平安の仏像展示館」】


河津の南禅寺の仏像は、地方仏、平安古仏好きには、見逃すことが出来ない魅力十分の興味深い仏像群です。
破損仏も入れると二十数体の古仏がひとまとまりになり残されているのです。

南禅寺に遺された二十数体の古仏群の展示風景
南禅寺に遺された二十数体の古仏群の展示風景

なかなかの壮観で、圧倒されてしまいます。
薬師如来像は、9~10世紀の制作とみられ、伊豆最古の仏像と云われているものです。

南禅寺・薬師如来像(平安前期・県指定文化財)
南禅寺・薬師如来像(平安前期・県指定文化財)

なかでも、私が大好きなのは、大きな二天像です。

南禅寺・二天像(県指定文化財)南禅寺・二天像(県指定文化財)
南禅寺・二天像(県指定文化財)

ご覧の通り、ガツーンとパワフルで、ちょっと諧謔で、なんとも心惹かれる魅力を感じます。
おおらかで伸びやかで、パンチ力充分、何ともたまらないものがあります。
この二天像を見ると、いつも広島・古保利薬師堂の四天王像のインパクトのある顔を思い出してしまいます。

広島県千代田町~古保利薬師堂・四天王像(平安・重要文化財)
広島県千代田町~古保利薬師堂・四天王像(平安・重要文化財)

この南禅寺も、無住の古いお堂に祀られた古仏を、地元の人の手で守って来られたのですが、かつて盗難事件などもあり、お堂の隣地に「伊豆ならんだの里~河津平安の仏像展示館」が二年前、2015年に建てられ、仏像はそこに展示されています。

「伊豆ならんだの里~河津平安の仏像展示館」
「伊豆ならんだの里~河津平安の仏像展示館」

こちらもまた、古ぼけたお堂に、所狭しと仏像が置かれていたころのことが、懐かしく思い出されます。

古仏群が祀られていた南禅寺の古い本堂
古仏群が祀られていた南禅寺の古い本堂

ところで、現在、京都国立博物館に寄託展示されている、西住寺・宝志和尚像(平安・重文)は、もともと南禅寺のあるこの地に伝えられ、江戸時代、貞享4年(1687)に西住寺に移された仏像だというのは、ご存じでしょうか?

南禅寺のある地から江戸時代に移された西住寺・宝志和尚像(平安・重文)
南禅寺のある地から江戸時代に移された西住寺・宝志和尚像(平安・重文)

意外に知られていないのではないかと思います。
この伊豆南部、河津近辺というのは、このような古像がのこされる興味深い地です。


観仏旅行は伊東泊。
天平会の皆さんと、伊豆の活きの良い魚でしこたま飲んでしまいました。
二次会までしっかりと行って、遅くのホテルご帰還となりました。



【新聞・地域版情報で知った横浜・西方寺の十一面観音像修理完成記念・特別ご開帳へ】


横浜市港北区新羽町の西方寺の十一面観音像が特別開帳されるというので、出かけてみました。

観仏先リスト4(横浜西方寺)

平安後期の仏像ということです。
この仏像の存在は全く知らなかったのですが、新聞の横浜地域版に、修理完成記念で特別ご開帳され、修理監修した萩原哉氏(武蔵野美術大学講師)の講演会も開かれるというという記事が載っていました。
我が家から、車で数十分で行けるので、出かけることにしたのです。

特別開帳、講演会には思いのほか多くの人が来られていたので、ビックリしてしまいました。
近年は、私同様シニア世代が増え、こうした郷土の文化財、郷土史への関心が、高まっているようです。

横浜市港北区~西方寺・観音堂
横浜市港北区~西方寺・観音堂

十一面観音像(像高:106㎝)は、穏やかな表情、控えめな肉どり、浅く整えられた衣文といった、いかにも平安後期、12世紀頃の観音像でした。

横浜市港北区~西方寺・十一面観音像
横浜市港北区~西方寺・十一面観音像

江戸時代の彩色、金箔を落として古色仕上げにし、面目を一新したそうです。
本像は無指定でしたが、11月に、横浜市指定文化財に指定されることとなりました。



【東博・平常陳列で、興味深い二つの仏像に遭遇】


東京国立博物館の仏像の平常陳列で、ちょっと興味深い仏像に二つ遭遇しました。

観仏リスト⑤(東博)

一つは、東博蔵の帝釈天像です。
キャプションには「10世紀の内刳り無しの一木彫像」とありました。

東京国立博物館蔵・帝釈天像東京国立博物館蔵・帝釈天像

東博蔵・帝釈天像の両股の衣文

東京国立博物館蔵・帝釈天像
東京国立博物館蔵・帝釈天像

なかなかの迫力ある平安古仏で、両股を隆起させたY字状の衣文の鋭さ、ボリューム感は魅力的です。
ちょっと無気味で厳しさが漂う顔貌も、これまた惹かれるものがあります。
以前にも、見ている像なのかもしれませんが、この日一番の眼を惹いた古仏でした。


もう一つは、東京都荒川区の養福寺・二天像です。

東京荒川区~養福寺・二天像(右方像)東京荒川区~養福寺・二天像(左方像)
東京荒川区~養福寺・二天像

この二天像は、数年前に平安時代の作であることが、新たに判明した仏像です。
荒川区の養福寺の仁王門裏面に祀られていましたが、ずっと近世に古仏を模倣した像だと思われていたそうです。
平成22年(2010)、像が一部破損したため、山本勉氏を招いて調査を実施した処、11~12世紀の古仏像であることが判明したのでした。
4~5メートルはあろうかという巨大な二天像ですが、一木彫像(内刳り有)です。
平成23年(2011)に、区指定文化財に指定され、その後、修理修復が行われました。

東京荒川区~養福寺・二天像(右方像)

東京荒川区~養福寺・二天像(左方像)
東京荒川区~養福寺・二天像
(上)右方像、(下)左方像


如何にも地方作という、素朴で野趣にあふれた像です。
正直な処、体躯のバランスもあまりよくなく、造形表現も甘くて、田舎っぽいという感じがします。
しかし、その純朴な拙さが、得も言われぬ味と力感の魅力にもなっています。

養福寺は江戸時代に創建されたお寺で、この像の来歴は全く不明のようです。
当時の江戸の寺院では、地方から古い仏像を迎えて安置するということも行われていたようで、この二天像も、もとはほかの地方にあったのかもしれません。


コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
https://kanagawabunkaken.blog.fc2.com/tb.php/151-2ddf9243
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)