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観仏日々帖

古仏探訪~2020年・今年の観仏を振り返って 〈その3〉 10~12月 【2020.12.31】


9月はいくつか展覧会に足を運びましたが、仏像がらみには縁がありませんでした。


【10 月】



【神奈川歴博の「相模川流域のみほとけ展」へ
~派手さは無いが中身の濃い仏像展】

神奈川県立歴史博物館で開催された、特別展「相模川流域のみほとけ」に行きました。

221振り返り③:「相模川流域のみほとけ展」チラシ221振り返り③:「相模川流域のみほとけ展」チラシ

相模川は、相模の国(川崎市・横浜市を除く神奈川県)のほぼ中央を流れ、その流域には奈良時代から仏教文化が栄えました。
この相模川流域に所在する仏像彫刻を一堂に集めた展覧会です。
神奈川の仏像展というと、どうしても鎌倉を中心としたものというイメージになりますが、相模国、相模川というエリアにスポットを当てた仏像展というのは、ちょっとマイナーながらも、誠に興味深いものがありました。

長年にわたる神奈川県内の仏像調査の成果が、結実したことによる今回の展覧会開催ということだそうです。
平安後期から鎌倉~南北朝期の仏像が中心に数十体の仏像が展示されていました。
秘仏として普段は拝観できない仏像が、いくつも出展されていたようです。

開催にこぎつけるまでの関係者の方のご苦労は、大変なものであったことと思います。
私は、2度ほど観に行きましたが、コロナ禍もあり、観覧者の数はちょっと寂しいものがありました。

人気の展覧会には、大勢の人が詰めかけ話題になったりするのですが、こうした展覧会は、なかなか大盛況という風になるのは難しいようです。

もっともっと注目されて欲しいと思うのですが・・・・・・


〈一番の注目像は、龍峰寺の千手観音像
~鎌倉の模古作か、奈良末の古像か?〉

展覧会での私の一番の注目像は、海老名市 龍峰寺の千手観音像でした。
展覧会場に入ると、いの一番にドーンと一体だけ、スポットライトを浴びて展示されていました。

221振り返り③:龍峰寺・千手観音像(重文)~「相模川流域のみほとけ展」図録掲載写真
龍峰寺・千手観音像(重文)~「相模川流域のみほとけ展」図録掲載写真

像高:192㎝の堂々たる木彫像で、重要文化財に指定されています。
大注目は、制作年代のキャプションに 「奈良時代~鎌倉時代」 と記されていることです。

もし、奈良時代の制作ということならば、
「関東に現存する木彫像の中で最古の像」
ということになるのです。

仏像の姿は、「鎌倉時代の典型」と「奈良様の造形表現」が、何故だか同居している不思議な像なのです。

・千手は、仏手を頭上に上げる、清水寺式千手観音像
・お顔の造形は、玉眼で鎌倉彫刻そのもの
・体躯のプロポーション、脚部の衣文は、奈良様を思わせる古様な造形表現

というものです。

本像は、従来は「鎌倉時代に、古様に倣って制作された像」とされてきたようなのですが、この展覧会では、「当初の制作は、奈良時代に遡る可能性」を示唆し、鎌倉時代以降に補修され、現在の姿になったものではないかという見方が示されていました。

眼近にじっくりと観ることができましたが、下半身のプロポーション、衣文表現は、奈良様を伝える広隆寺・不空羂索観音像を想起させるものがあり、
「鎌倉時代の模古的表現という雰囲気は、感じられないなあ!」
というのが、私の個人的な感想でした。


〈奈良末~平安初期像なら「関東最古の木彫像」に!〉


これからも制作年代の見方の議論が続くのかもしれませんが、奈良時代末に遡り得る像だということになれば「関東最古の木彫像」として注目を浴び、語られていくことになるのかもしれません。

本像についての詳しい話は、
観仏日々帖「龍峰寺・千手観音像 「相模川流域のみほとけ展」一番の注目像」
で、ご紹介させていただきましたので、そちらをご覧いただければと思います。

いずれにせよ、展覧会への出展仏像に中では、他を圧して際立って眼を惹いた優作像でした。
堂々たる造形は魅力十分、制作年代議論も相まって、興味津々の古像でありました。

実は、この千手観音像、私自身は、2008年に奈良国立博物館の「西国三十三ヶ所展」に出展された時に観ているはずなのですが、まったく記憶の片隅にも残っていませんでした。
「相模川流域のみほとけ」展では、スポットが当てられこれだけ目立つ仏像でも、展覧会のテーマや展示のされ方によっては、意外と埋もれてしまうのかもしれません。

展覧会などで、どの仏像に眼を惹かれ関心を持つかというのは、そんなものなのかもしれませんが、自分自身の「仏像をしっかり見る眼」がまだまだその程度だということを、痛感した次第です。



【大津市歴博開催の「聖衆来迎寺と盛安寺展」へ】


10月末近く、一泊で京都に出かけました。
コロナ感染もちょっと落ち着き気味ということなので、思い切って出かけてみました。

大津市歴史博物館で開催された「聖衆来迎寺と盛安寺展」に行きました。

221振り返り③:「聖衆来迎寺と盛安寺展」チラシ221振り返り③:「聖衆来迎寺と盛安寺展」チラシ

開館30周年記念企画展ということで、聖衆来迎寺と盛安寺の仏像、寺宝が一挙総出、勢揃いで展示される特別展です。
聖衆来迎寺の宝物が一堂に展覧会展示されるのは、私が確認した限りでは、1984年に琵琶湖文化館で開催された「特別展 聖衆来迎寺」以来、30数年ぶりのことではないかと思います。

また、盛安寺・十一面観音像は、正月と春秋の限られた日には拝観可能ですが、普段は公開されていません。

221振り返り③:盛安寺
盛安寺

聖衆来迎寺の諸仏像は拝観できるのは、年に一度、8月16日の宝物虫干しの日、一日限りとなっています。

221振り返り③:聖衆来迎寺
聖衆来迎寺

これぞ、必見の展覧会と出かけたのでした。

仏像は、全部で二十数躯が出展されていました。

国の重文指定となっている仏像の出展は、次の通りです。

221振り返り③:「聖衆来迎寺と盛安寺展」出展・重文仏像リスト


〈やはり目を惹く盛安寺の十一面観音像
~井上靖、白洲正子にも語られた湖国の観音さま〉

展示仏像のなかで、一番目を惹いたのは、やはり盛安寺の十一面観音像でした。

221振り返り③:盛安寺・十一面観音像(平安・重文)
盛安寺・十一面観音像(平安・重文)

10世紀末頃制作の善水寺諸像の造形と近似したところがあり、一層穏やかさを加えていることから11世紀初頃の制作かと云われています。
また、「四臂」の十一面観音という、あまり見かけない尊容となっています。
私は、図像のことは疎くてよく判らないのですが、四臂の十一面観音というのは、不空訳の経典に説かれているそうですが、極めて珍しいものなのだそうです。

湖国の観音像の中で、この十一面観音像がお気に入りだという方が、何人もいらっしゃるのではないかと思います。

221振り返り③:盛安寺・十一面観音像(平安・重文)
盛安寺・十一面観音像(平安・重文)

丸顔で、ふくよかな女らしさを感じさせる造形です。
穏やかさの中に、僅かに妖しさを秘めたような気品を感じさせるところが、人気の秘密なのでしょうか。
井上靖の「星と祭」や白洲正子の「十一面観音巡礼」にも、美しい観音像として登場します。
この本を読んで、盛安寺を訪れた方もいらっしゃることと思います。

展覧会場では、この観音像だけ単独で展示され、その周りには人だかりが出来ていました。


〈思いの外のシャープな刻線、キリリとした造形
~ふくよかな女性的、ロマンチックイメージを少し見直し〉

私も、10年ぶりぐらいの久しぶりの対面でしたが、眼近に観ることができました。
この十一面観音像、「女らしい優しさ」とか、「穏やかなふくよかさ」というように形容され、私も、そのような印象を持っていました。
率直に云うと、少し締りに欠ける緩みがある造形のように感じていたのです。

今回、正面から側面からぐるりとじっくりと眺めてみると、意外に、キリリとクッキリした造形表現であることに気付いたような気がします。
側面、斜めから見ると、結構シャープな刻線で、キリッと締まった感があり、下半身の衣文の造形表現にも力強いものを感じます。

221振り返り③:盛安寺・十一面観音像(平安・重文)221振り返り③:盛安寺・十一面観音像(平安・重文)

221振り返り③:盛安寺・十一面観音像(平安・重文)
思いの外にキリリとした造形に感じた盛安寺・十一面観音像
脚部の衣文表現もシャープな刻線で力強い


これまで、盛安寺・十一面観音像は、造形の出来よりもロマンチックなイメージ先行という感じで、それほどでもという印象であったのですが、今回の展示で、大いに見直したというのが本音の処でした。


〈嬉しかったのは、盛安寺・十一面観音像の写真撮影OK〉


嬉しかったのは、この盛安寺・十一面観音像に限り、写真撮影OKであったことです。

昨年の大津歴博「大津南部の仏像」展でも、九品寺の聖観音像が写真撮影OKとなっていました。
最近、他の仏像展でも写真撮影OKとするケースが、ちらほらみられるようになっています。

出展仏像の撮影OKというのは、鑑賞環境の問題、信仰上の問題、所蔵寺社の意向・許可の問題など、なかなか難しい面が多々あるように思いますが、こうした動きが広まっていくのは、仏像愛好者にとっては、大変嬉しいことです。


〈展覧会の大目玉は、聖衆来迎寺「国宝・六道絵」全15幅の出展
~36年ぶりの全幅出展〉

今回の特別展での、最大の目玉は、聖衆来迎寺の「国宝・六道絵」全15幅がすべて出展されたことでしょう。

聖衆来迎寺と云えば「国宝・六道絵」といわれるほどで、鎌倉時代の制作で地獄絵の最高傑作とされています。
六道絵のなかで唯一、国宝に指定されているものです。

この六道絵、普段は、京博、東博等の博物館、美術館に別けて保管されているため、全幅15幅、そろって展示されるのは、1984年、琵琶湖文化館開催の「聖衆来迎寺展」以来、36年ぶりということです。


〈言葉を失うほどの、鬼気迫る圧巻の六道絵
~克明な解説キャプションに、時を忘れ魅入られる〉

佛教絵画の世界のことはよく判らないのですが、眼近にすると、本当に圧巻でした。
おぞましく恐ろしい、鬼気迫る地獄のありさまが生々しく描かれ、言葉を失って立ち尽くしてしまいそうです。

有難いことに、15幅各幅に描かれている場面の克明な解説キャプションが、展示各幅ごとにつけられており、解説キャプションと簡略イラストをまとめた「六道絵の世界」という立派な小冊子が無料で配布されていました。

221振り返り③:聖衆来迎寺「国宝・六道絵」解説冊子

221振り返り③:聖衆来迎寺「国宝・六道絵」解説冊子内容

221振り返り③:聖衆来迎寺「国宝・六道絵」解説冊子内容
聖衆来迎寺「国宝・六道絵」 解説小冊子「六道絵の世界」
各幅ごとの簡略イラストと克明な解説が付されている


小冊子を片手に、一幅一幅、魅入られたように眺めていると、随分な時間が経ってしまい、腰が痛くなってしまいました。


「聖衆来迎寺と盛安寺展」に行ったついでに、すぐそばの三井寺園城寺に久しぶりに立ち寄って、ブラブラと境内を散策しながら帰路につきました。

221振り返り③:三井寺園城寺
三井寺園城寺



【京都東山 三寺の仏像を訪ねる~悲田院、戒光寺、双林寺】


翌日は、京都東山区にある3つのお寺の仏像を拝しました。

悲田院・阿弥陀如来像、戒光寺・釈迦如来像、双林寺・薬師如来像です。

221振り返り③:京都東山三寺観仏リスト


〈快慶作の悲田院・宝冠阿弥陀坐像~2009年に快慶作の墨書発見〉


悲田院・阿弥陀如来像は、秋の「京都非公開文化財特別公開」で特別公開されていました。

近年、快慶作に間違いないことが確認された像です。
かねてから快慶とのかかわりが示唆されていたのですが、2009年に京都国立博物館と大津市歴史博物館が中心となり実施したファイバースコープ胎内撮影調査によって、像内頭部前面に「アンアミタ仏」の墨書が見いだされたことによって、快慶無位時代の作であることが確認されたのです。

2017年に奈良博で開催された「快慶展」に出展されていましたが、一度、お寺で拝したいと思って出かけました。

悲田院は泉涌寺の塔頭で、小径を入った目立たない場所位にひっそりありました。

221振り返り③:悲田院
悲田院

快慶作・阿弥陀像は、本尊阿弥陀如来立像厨子の脇側に、客仏として安置されていました。
高い髻を結い、宝冠を戴き、袈裟を通肩にまとって坐す、所謂、宝冠阿弥陀像です。
泉涌寺の開山、俊芿(しゅんじょう・1166~1227)の臨終仏と伝えられる像だそうです。

221振り返り③:悲田院 快慶作・阿弥陀如来像
悲田院 快慶作・阿弥陀如来像
お寺のパンフレット


少し離れた処からの拝観で、単眼鏡で目を凝らして拝するという処でしたが、快慶らしい感じがよく伝わってきました。


〈宋風の生々しさが漂う戒光寺の巨像、釈迦如来立像〉


悲田院から歩いて数分の戒光寺に寄りました。

221振り返り③:戒光寺
戒光寺

こちらも「京都非公開文化財特別公開」とされていて、巨像の釈迦如来像を拝してきました。
戒光寺の釈迦如来像は、普段、いつでも拝観可能であったはずなのですが、どういう訳か「非公開文化財特別公開」ということになっていました。

像高5.4mという巨像で、鎌倉時代の制作、重要文化財に指定されています。

221振り返り③:戒光寺・釈迦如来像(鎌倉・重文)
戒光寺・釈迦如来像(鎌倉・重文)

一見しただけで、著しい宋風の造形であることが、はっきりわかる像です。
切れ長の眼、長い爪、複雑に波打つ衣文など、宋風の“生々しさ”がプンプンと匂ってきます。
この造形感覚は、現代日本人の美の感性には、ちょっとそぐわないような気がします。
鎌倉時代の重文仏像ながらも、わたしも「どうか?」と問われると「ウーン!」と唸ってしまうというのが、率直な感想という処でしょうか。

この日は、2件の「京都非公開文化財特別公開」に行ったのですが、「特別拝観料:1000円」の設定は、ちょっと高すぎるのでは思いました。
妻と二人で、二ヶ寺で4000円です。
運営諸費用を勘案するとやむを得ない設定なのかもしれませんが、文化事業としてもう少し配慮があれば有難い処です
シブチンでセコイような話で、申し訳ありません。


〈平安前期の知られざる優作、双林寺・薬師如来坐像
~円山公園傍にひっそりとある双林寺〉

円山公園の南側にある、双林寺の薬師如来像を拝しに行きました。

双林寺には、平安前期の見事な薬師如来像が祀られているのです。

221振り返り③:双林寺・薬師如来像(平安前期・重文)
双林寺・薬師如来像(平安前期・重文)

この薬師像、洛中のど真ん中と云って良いところにある、知られざる優作像です。
平安前期、9世紀のカヤ材の一木彫像で、重要文化財に指定されています。
小さな像なのですが、一目拝しただけで大いなる存在感を発散し、ちょっと無気味な微笑みの神秘的呪力漂う、心惹かれる像なのです。

双林寺は、祇園から歩いて数分という場所にあるのですが、観光の人が訪ねるということはほとんどなく、丸山公園の裏手にひっそりと静かに佇んでいます。

221振り返り③:双林寺
双林寺

私は、大のお気に入り仏像で、十数年前までは、何度か拝しに訪ねたのですが、その後、お寺さんの方で非公開とされるようになり、拝観が叶わなくなっていました。

近年、また拝観ができるようになったという話を聞いて、訪ねたという訳です。
お訪ねすると、拝観料が設定してあり、薬師如来像に再会することができました。
昔は、厨子のすぐそばに近寄って眼近に拝することができたのですが、現在は外陣からの拝観で、ちょっと遠めに拝することになっていましたが、薬師如来像の迫力と魅力は、充分に伝わってきました。

ご住職と、以前に何度も伺った時の昔話などを交わさせていただきました。
ご住職のお話では、所謂、観光寺院化はされたくない様子で、常時拝観可能としていることも微妙なお心持のようです。
15年ほど前、一度だけ展覧会に出展されたことがあるのですが、その後は出展要請も断られているということでした。
静かに信仰とともにお守りしたいというお気持ちのようです。

是非、また拝しに訪ねたいものです。



【11 月】



【秦野市宝蓮寺大日堂・五智如来像の御開帳へ】


神奈川県秦野市 宝蓮寺大日堂の五智如来像の御開帳に行きました。

221振り返り③:秦野市 宝蓮寺大日堂

宝蓮寺大日堂・五智如来像は、毎年11月1~3日に御開帳、特別公開されています。
平安時代の大型の五智如来像だということなので、一度、機会があったら拝してみたいと思っていたのです。
我が家から、車で1時間程で行ける処でしたので、コロナ禍下でありましたが出かけてみることにしました。

宝蓮寺大日堂は、丹沢山系の南側の山裾にあたる蓑毛という集落にありました。
結構、山間の集落という感じの処です。

221振り返り③:秦野市 宝蓮寺大日堂
秦野市 宝蓮寺大日堂

御開帳は、地元の「はだの大日堂保存会」の手で行われていました。

221振り返り③:秦野市 宝蓮寺大日堂
宝蓮寺大日堂

五智如来像は、大日堂に五躯、横に一列に並んでいます。

221振り返り③:秦野市 宝蓮寺大日堂・五智如来像(平安後期)
宝蓮寺大日堂・五智如来像(平安後期)

結構な大型像で、お堂の幅一杯に祀られていました。
重量感のある堂々たる像なのですが、決して出来が良いとか上手いとう造形ではありません。
所謂地方作の仏像という風で、衣文の彫りも省略気味、少々荒っぽい造りという感じでしょうか。
平安後期の制作ということですが、藤原風の穏やかさというよりは、素朴な存在感を感じさせるものがありました。

平安時代の五智如来像が五躯一具が揃っている例は大変少なく、そうした意味から重要な作例とされているそうです。



【海老名市の龍峰寺と相模国分寺・国分尼寺址へ
~神奈川歴博出展の龍峰寺・千手観音に俄然興味が沸き訪ねる】

この日出かけてきたもう一つの目的は、海老名市の龍峰寺を訪ねてみることでした。

神奈川歴博で開催中の「相模川流域のみほとけ」に、奈良時代末の制作の可能性があるという龍峰寺・千手観音像が出展されていたことは、先にふれたとおりです。
この大注目の清水寺式千手観音像に俄然興味が沸いてきて、龍峰寺を訪ねてみたくなったのです。

龍峰寺は、海老名駅の北東の小高い丘、桜の名所という清水寺公園のはずれにありました。
思っていた以上に立派なお寺でした。

221振り返り③:海老名市 龍峰寺
海老名市 龍峰寺

千手観音像は、観音堂に祀られてきました。

221振り返り③:海老名市 龍峰寺・観音堂
龍峰寺・観音堂

観音堂の立派な厨子に秘仏として祀られていたそうで、厨子の前には、前立の千手観音像(室町時代)が祀られています。

221振り返り③:海老名市 龍峰寺・観音堂内
お前立観音像が祀られる龍峰寺・観音堂内

この観音堂(江戸時代)は、鎌倉時代、源頼朝が創建したと伝えられる清水寺の本堂であったもので、千手観音像は清水寺の本尊であったということです。

御本尊は、現在観音堂裏の収蔵庫に安置されており、年に2回、元日と3月17日に開帳されるということです。

221振り返り③:龍峰寺・千手観音像が安置される収蔵庫
龍峰寺・千手観音像が安置される収蔵庫


そのあと相模国分寺、国分尼寺址に寄ってみました。
龍峰寺から、そう遠くないところにあるのです。

国分尼寺は、ひっそりとした寺址でしたが、相模国分寺の方は、伽藍址全域が整備され広い史跡公園になっていました。
往時、壮大であったろう伽藍が偲ばれるものでした。

221振り返り③:相模国分尼寺址
相模国分尼寺址

221振り返り③:相模国分寺址

221振り返り③:保存整備されている相模国分寺跡
保存整備されている相模国分寺跡

221振り返り③:相模国分寺・伽藍復元模型~隣設の海老名市温故館に展示
相模国分寺・伽藍復元模型~隣設の海老名市温故館に展示


国分寺跡の傍に歴史資料館「海老名市温故館」があり、「海老名の観音さま」という企画展が開かれていました。

221振り返り③:「海老名の観音さま展」チラシ

海老名市域に伝わる観音さまを写真パネルで紹介するものでしたが、龍峰寺・千手観音像が大きく採り上げられ、実寸大の大きな写真パネルや観音像の修理報告書などの資料が展示されていました。

秋深まるなか、龍峰寺や国分寺跡などを散策していると、
「あの千手観音像は、奈良末~平安頃の相模国分寺・尼寺ゆかりの像で、鎌倉時代に清水寺の本尊に迎えられ、その時に清水寺式の仏手と、玉眼の面部に改修され、今に伝えられたのではないのだろうか?」
という思いがよぎってきました。



【東京オペラシティーで開催の「石元泰博写真展」へ
~目当ては東寺・国宝「伝真言院両界曼荼羅図」の超細密撮影写真展示】

新宿の東京オペラシティー・アートギャラリーで開催された、生誕100年「石元泰博写真展~伝統と現代」を観に行きました。

221振り返り③:「石元泰博写真展」チラシ

石元泰博は、アメリカ生まれで都市風景や建築物の写真で著名な現代写真家ですが、仏像写真の作品もいくつかのこしています。
「日本の美・国東紀行」(現代日本写真全集2・集英社1978刊)や、「湖国の十一面観音」(岩波書店1982刊)といった写真集は、ご存じの方もいらっしゃることと思います。

私の目当ては、石元泰博が撮影した東寺・両界曼荼羅写真が展示されることでした。
東寺の国宝「伝真言院両界曼荼羅図」は、、日本最古の彩色両界曼荼羅図で、平安時代の制作、昭和9年(1934)に発見されたものです。

石元はこの両界曼荼羅図の超細密写真撮影に挑戦し、約180×150cmの大作を、4×5判と6×6判のカメラを使って、約2週間で5000カットを撮影し、緻密な細部、マチエールを写し出しました。
接写レンズにより、原寸を超えて更に奥まで踏み込んで拡大し、面相筆で描かれた細い線も超えて、千年以上昔に用いられた絵具の粒子までを写しだしてしまったと云われています。

広い2室一杯に、両界曼荼羅図の極彩色の精密カット写真が118点、展示されていました。
圧倒的な迫力の異次元空間となっていました。

221振り返り③:石元泰博撮影「国宝 東寺・伝真言院両界曼荼羅図」

振り返り③:石元泰博撮影「国宝 東寺・伝真言院両界曼荼羅図」
会場に展示された石元泰博撮影「国宝 東寺・伝真言院両界曼荼羅図」

撮影写真のあまりに鮮やかな彩色と細密さには、度肝を抜かれてしまいました。
曼荼羅の妖しく目くるめく世界に、身を置いたような気分になってしまいました。



「今年の観仏を振り返って」は、これでおしまいです。

振り返ると、「ほんのこれだけ?」と寂しくなるばかりの観仏探訪、仏像展鑑賞でした。

自粛、自粛の一年間を、只々耐えてきたと云うのが実感です。
そんな今年も、もう大晦日になってしまいました。
感染拡大中という状況下、新しき年も、まだまだ我慢の日々は続いていきそうです。

「観仏日々帖」に、観仏探訪記のご紹介をすることも儘ならず、なかなか気の利いた記事を掲載することも難しいかもしれませんが、来年も、よろしくお付き合いいただければと思います。

自由気ままに観仏探訪に出かけられる日が、一日も早く来ることを念じつつ・・・・・

来年こそは、良き年になりますよう!!


古仏探訪~2020年・今年の観仏を振り返って 〈その2〉 7~8月 【2020.12.23】


4月上旬から5月の下旬まで緊急事態宣言の発令となり、ひたすら自粛の毎日でした。

「不要不急の外出は控えるよう!!」と厳しい呼びかけがなされましたが、「全ての行動が不要不急」という私などは、ひたすらステイホームの日々となってしまいました。

博物館、美術館も臨時の休館となり、観仏どころか展覧会すらなくなってしまいました。
結局、4~6月は、どこへも出かけませんでした。



【7 月】



【恐る恐る出かけた京都で、ちょっとリフレッシュ】


7月に入って、ステイホームに我慢できなくなって、恐る恐る妻と一泊で京都へ出かけました。

「蜜」になりそうなところを極力避けて、高麗美術館の「麗しき青磁・鮮やかなる青花展」と細見美術館の「飄々表具~杉本博司展」の二つだけ観に行って帰ってきました。

220振り返り②:麗しき青磁・鮮やかなる青花展・高麗美術館

220振り返り②:飄々表具展・細見美術館

ちょっと美味いものも、愉しんできました。

観仏全くなしの京都でしたが、ひたすら自粛の閉塞感から、一息開放され、大いにリフレッシュできました。



【「妙法院・不動明王像」と「日本美術の記録と評価展」を観に、東博へ】


東京国立博物館に出かけました。
NETで時間指定予約を取ってからという手順です。

目当ては、平常陳列に出展されている「妙法院の不動明王像」と、特集陳列「日本美術の記録と評価」です。


〈普段非公開の「妙法院・不動明王像」が、平常陳列に出展
~現存最古の天台系不動彫像(平安前期)

220振り返り②:妙法院・不動明王像

京都・妙法院の不動明王像が、東博の平常陳列に展示されたのには、ちょっと驚きました。

平安前期の制作、「現存最古の天台系不動彫像」とされる注目像で、重要文化財に指定されています。
まさか、博物館に出展されるとは思いもしませんでした。

220振り返り②:妙法院・不動明王像
妙法院・不動明王像(平安前期・重文)

この不動明王像が祀られる妙法院は、三十三間堂を塔頭に持つ天台宗の門跡寺院です。

220振り返り②:妙法院・山門
妙法院・山門~京都市東山区

不動明王像は、護摩堂に江戸時代の二童子脇侍と共に本尊として祀られているのですが、普段は非公開で拝観することができません。


〈妙法院では近くで拝せなかった不動像~東博では眼近にじっくりと〉


一度は是非拝してみたいものと思っていた処、2017年の「京の冬の旅・非公開文化財特別公開」で公開されました。
このチャンスに実見と意気込んで出かけたのですが、護摩堂前の廊下からの拝観で、かなり遠くてその姿をはっきり拝することが叶いませんでした。
双眼鏡を動員して目を凝らしましたが、なかなか克明には見えず、残念至極だったのです。

それが、東博で展示されるというのですから、見逃すわけにはいきません。
東博展示に至った訳とか、これからも東博に寄託されるのかは、全く判らないのですが、平常展、本館11室(彫刻)に展示されていて、今度は、眼近にじっくりと観ることができました。


〈むっちりとした肉付けに力感を感じさせる~平安前期の不動像〉


思った以上に、堂々たる充実感を感じる造形の姿でした。

220振り返り②:妙法院・不動明王像
妙法院・不動明王像

ふっくらした肉付きの像で、カッと見開いた眼など顔貌に迫力を感じます。

220振り返り②:妙法院・不動明王像
妙法院・不動明王像

キャプションによると、カヤ材の一木彫で、内刳り無しということです。

妙法院で遠望したときには、迫力よりは穏やかさの方が勝っている印象がして、
「本当に、9世紀の制作? もう少し下るように見えるけれど・・・・」
という感じがしたのです。

眼近にすると、パワフルという訳ではないのですが、むっちり感あるしっかりした肉付けには力感があって、9世紀の後半という見方に、なるほどと思いました。
ただ、衣文の彫りがペタリと扁平で、9世紀にしては抑揚と弾力感が乏しいような感じが気になったところですが・・・・・

220振り返り②:妙法院・不動明王像
妙法院・不動明王像~体躯の衣文


〈9世紀の初期天台系不動像として紹介注目され、1999年に重文指定に〉


この不動明王像が注目されるようになったのは、1998年に、伊東史朗氏が「妙法院護摩堂不動明王像について」(仏教芸術236号)という調査研究論考を発表してからでではないかと思います。

伊東氏は、
・数少ない初期天台系一例で、就中、現存最古の天台系不動明王彫像としての意義は大きい。
・貞観9年(867)頃の東寺御影堂・不動明王像の作風に近く、そこから隔たらない頃(9世紀)の制作とみられる。
・来歴を検討すると、比叡山、無動寺本尊像の模刻像ではないかと推測される。
と、論じました。

こうした評価を踏まえてのことだと思いますが、翌1999年に重要文化財に指定されています。

1999年の重文指定時の解説(月刊文化財・新指定文化財解説)では、
「9世紀後半ごろと位置付けられよう」
と書かれていたのですが、

今回の展示キャプションには、
「平安時代・10世紀」
と、表示されていました。

本像の製作年代をどう見るかというのは、難しいところがあるようです。
いずれにせよ、注目の不動明王像を、前面から側面からと、ほぼグルリと一周して眼近にしっかりと観ることができたのは、大変嬉しいことでした。


〈嬉しかったのは、写真撮影OKとなっていたこと〉


もう一つ、嬉しくなったのは、なんと本像が「写真撮影OK」であったのです。

東博等の所蔵ではなく、寺社所蔵で撮影可というのは珍しいことです。
それも、妙法院護摩堂の本尊で、普段は拝観不可の像ですから、ビックリでしたが、有り難くしっかり何枚も撮影させていただきました。

220振り返り②:妙法院・不動明王像
妙法院・不動明王像~側面



〈隣室の特集陳列「日本美術の記録と評価~調査ノートにみる美術史研究のあゆみ」へ〉


彫刻室の隣りの第14室で展示されていた、特集陳列「日本美術の記録と評価~調査ノートにみる美術史研究のあゆみ」を見に行きました。

220振り返り②:日本美術の記録と評価展・東博

私の関心の深いテーマの展示です。
明治~昭和前期の美術史研究者の調査ノートやスケッチなどが展示されていました。
今泉雄作、平子鐸嶺、田中一松、土居次義の各氏の調査資料です。

開催趣旨には、
「この特集では、美術作品がどのように調査研究され、美術史研究が形作られてきたのかを、研究者の調査ノートと実際の作品によってご紹介します。」
と、記されています。

地味な展観で、興味のある人は少ないのではないかと思いますが、愉しく、興味深く、観覧することができました。


〈私の一番の注目は、平子鐸嶺の調査スケッチ~巧みな描写力に感心〉


私の一番の注目は、平子鐸嶺の調査ノート、スケッチでした。

平子鐸嶺は、日本美術史研究の草創期、明治30~40年代に活躍した仏教美術史研究学者です。
若くして、数多くの鋭い論考を矢継ぎ早に発表しました。
なかでも、いわゆる「干支一運説」と云われる法隆寺非再建論を展開したことで著名です。
明治44年、35歳の若さで惜しくも早世しました。
没後、研究論考集「仏教藝術の研究」(1914年・金港堂刊)が発刊されています。

平子鐸嶺自筆の、「法隆寺釈迦如来像調査ノート・スケッチ」「勧修寺伝来奈良博蔵・刺繡釈迦如来説法図調査ノート・スケッチ」が出展されていました。

220振り返り②:平子鐸嶺自筆「法隆寺釈迦如来像調査ノート・スケッチ」

220振り返り②:平子鐸嶺自筆「勧修寺伝来奈良博蔵・刺繡釈迦如来説法図調査ノート・スケッチ」
平子鐸嶺自筆調査ノート・スケッチ
(上)法隆寺釈迦如来像、(下)勧修寺伝来奈良博蔵・刺繡釈迦如来説法図


写真撮影などままならぬ当時、研究には手描きのスケッチが必要不可欠だったのでしょう。
スケッチの描写力が、あまりに「巧み」なのには感心しました。



【「びわ湖長浜KANNON HOUSE」へ~渡岸寺・十一面観音像(県指定)が展示中】


東博に行った後は、「びわ湖長浜KANNON HOUSE」へ寄りました。

渡岸寺の十一面観音像(県指定)が展示されていました。

220振り返り②:渡岸寺・十一面観音像(平安後期・県指定)
渡岸寺・十一面観音像(平安後期・県指定)

像高:39.3㎝の檀像風の小像で、美麗な像です。
カヤ材とみられる目の詰まった堅材と用いた素地像で、精緻な彫りに截金が施されています。

220振り返り②:渡岸寺・十一面観音像(平安後期・県指定)220振り返り②:渡岸寺・十一面観音像(平安後期・県指定)
渡岸寺・十一面観音像(平安後期・県指定)

平安時代も末期、藤原の優雅な雰囲気をたたえながらも、小さく整えられた目鼻立ちや鋭い彫り口で、檀像風のキリリと締まった印象を感じます。
なかなかの佳作なのです。


〈お寺では国宝観音像に隠れて目立たないが、なかなかの佳作像〉


渡岸寺の十一面観音像といえば、言わずと知れた国宝観音像を思い浮かべます。
お寺のお堂(収蔵庫)を訪ねると、見事な国宝十一面観音像の方ばかりに目が行ってしまい、その隣に祀られている大日如来像(平安後期・重文)や、この十一面観音像の方は、誰も気にも留めないというというようなことではないかと思います。

こうして、単体でスポットライトを浴びて展示されると、今更ながらに、なかなかの「佳作」だという意を強くしました。
もしこのお像が、渡岸寺ではなくて、湖北のどこかのお寺のお堂にポツリと祀られていたならば、きっと「湖北の麗しの像」として人気を博するようになっていたのではないでしょうか。


〈「KANNON HOUSE」は、10月末で閉館に~致し方なきも誠に残念〉


この「びわ湖長浜KANNON HOUSE」、10月末に閉館となってしまいました。

220振り返り②:びわ湖長浜KANNON HOUSE
びわ湖長浜KANNON HOUSE

「びわ湖長浜KANNON HOUSE」は、2016年3月に長浜市独自の歴史や文化を広く発信するため、“東京にある、長浜の観音堂”をコンセプトに新設開館したものです。
2~3か月に一度、交替で湖北長浜の観音像が、出張安置されてきました。
これまで4年半で、約20体の観音像が順番に展示され、7万人を超える来館者があったそうです。
今般、所期の役割を果たしたとして、閉館することになったということです。

「びわ湖長浜KANNON HOUSE」の閉館は、こうした館を運営維持していくことの難しさを考えれば、致し方なきことなのかと思いますが、大変残念なことで、名残惜しいばかりです。


上野公園に隣接したところにありましたので、私も、東博へ行くとついでに「KANNON HOUSE」に寄ることがルーティーンのようになっていました。
これまで出展された約20体全部は観ることができておりませんが、そのほとんどは観たのではないかと思います。

小さな展示室ではありましたが、訪れる人の数も少なくて、いつも落ち着いてゆっくりとくつろぎながら観音像を拝することかでき、こころ和むものがありました。


〈これまで展示の観音像の写真を、いくつがご紹介〉


嬉しかったのは、出展観音像の写真撮影がOKであったことです。
いろんな角度から写真が撮れ、たまに保存写真を見て愉しんでいます。

これまで出展された諸像の中で、気に入った観音像の写真を、いくつかここでご紹介していきたいと思います。

220振り返り②:集福寺・聖観音像(長浜市)220振り返り②:集福寺・聖観音像(長浜市)
集福寺・聖観音像(長浜市)

220振り返り②:北門前観音講・聖観音像(長浜市)220振り返り②:北門前観音講・聖観音像(長浜市)
北門前観音講・聖観音像(長浜市)

220振り返り②:川並地蔵堂・聖観音像(長浜市)220振り返り②:川並地蔵堂・聖観音像(長浜市)
川並地蔵堂・聖観音像(長浜市)

220振り返り②:常楽寺・聖観音像(長浜市)220振り返り②:常楽寺・聖観音像(長浜市)
常楽寺・聖観音像(長浜市)




【8 月】



【延期開催となった「永野太造写真展」を観に、半蔵門ミュージアムへ】


2月末から6月下旬まで、コロナ禍で臨時休館していた半蔵門ミュージアムへ行きました。
開催延期になっていた特集展示「大和路の仏にであう~奈良に生きた写真家・永野太造と仏像写真」を観に行きました。

220振り返り②:大和路の仏にであう~奈良に生きた写真家・永野太造と仏像写真展・半蔵門ミュージアム220振り返り②:大和路の仏にであう~奈良に生きた写真家・永野太造と仏像写真展・半蔵門ミュージアム

3月に、JCII フォトサロン開催の「永野太造写真展 仏像~永野鹿鳴荘ガラス乾板より」と同時開催される予定だったものです。

NETでの時間予約で出かけましたが、私の観覧中に見かけた人は3~4人という、ひっそりというのも度を越えた閑散ぶりでした。
永野太造撮影写真約30点の他、永野撮影写真による「奈良大和路ポスター」などが展示されていました。

ガラーンとした展示室で、自粛で行けない奈良の古寺を訪ねたような気持ちになって、仏像写真を愉しんできました。


古仏探訪~2020年・今年の観仏を振り返って 〈その1〉 1~3月 【2020.12.03】


「もう師走」 というより、 「やっと師走」 という長い一年でした。

年初からのコロナ禍は収束するどころか、まだまだ拡大中、観仏どころではない一年となりました。
私も、「新しい日常」とやらに疲れてしまう自粛生活で、観仏探訪も全く無いに等しいという処です。

3月には、長らく心待ちにしていた愛知・高田寺の薬師如来像の開創1300年記念特別御開帳だったのですが、コロナで中止、来年秋(11月)に延期となってしまいました。
4月には、但馬浜坂の相応峰寺・十一面観音像の御開帳ほかの観仏旅行に出かける予定だったのですが、こちらも実現することができませんでした。

その後も、心づもりしていた御開帳、観仏探訪も、みんな自粛対応で出かけるのを止めてしまいました。

そんな訳で、例年掲載させていただいている「今年の観仏を振り返って」も、今回は無しにしようかと思ったのですが、厳しかった今年を締めくくるということで、辛うじて観てきた「仏像展覧会」などだけでも、ご紹介させていただくことにしました。



【1 月】



【早大・会津八一記念館「小杉一雄展」へ
~「鑑真和上像は真身像、遺灰像の系譜」と論じた美術史学者】

早稲田大学会津八一記念博物館で開催された「藍より青く~小杉一雄とその師父、会津八一と小杉放菴展」に行きました。

219振り返り①:小杉一雄展チラシ

美術史学者・小杉一雄(1908~1998)の学業を回顧する展覧会です。

小杉一雄氏は、日本画家・小杉放菴の子息で、会津八一に師事、長らく早稲田大学の美術史学の教授をつとめた仁です。
中国美術の文様史、仏教美術史の研究で著名で、「中国文様史の研究」「中国仏教美術史の研究」「奈良美術の系譜」といった著作で知られています。

私が「小杉一雄」という名前を知っていたのは、唐招提寺の鑑真和上像の製作経緯について大変興味深い説を、小杉氏が論じていたからです。

小杉氏は、鑑真和上像が異常なまで写実的に造られた訳について、

「鑑真和上像の造像成立の背景には、中国唐代の高僧にみられる真身像(ミイラ)やそれから派生した加漆肉身像、遺灰像(ゆいかいぞう)の存在が大きく影響している。」
とし、
鑑真和上には、「坐したままの状態で死す」という唐時代の高僧真身像化への思いがあったに違いなく、弟子たちがこの思いを受けて異常なまでの写実に徹して、生くるが如き鑑真像の造立したものだと論じています。

219振り返り①:唐招提寺・鑑真和上像
唐招提寺・鑑真和上像

また、昭和10年(1935)に鑑真和上像が修理された時、像の内部の頭部から腹部にかけて白い粗い砂が塗られていることがわかり、
小杉氏は、
「この白い粗い砂こそは、鑑真和上の骨灰に違いない。」
と推測し、
遺灰像としての性格も兼ね備えている像なのだと考えたのでした。

白い砂が本当に骨灰であったのかは「謎また謎」ということでしょうが、あのようなリアルな鑑真像がつくられた訳についての興味津々の話に、心ときめいた記憶があります。

(この話は、観仏日々帖「鑑真和上坐像の御身代わり模像の制作を巡る話【その2】」でふれたことがありますので、ご関心のある方はご覧ください。)

そんな訳で出かけてみた「小杉一雄展」でした。
展覧会場には、小杉一雄氏の論文著作、研究資料の他にゆかりの品、自筆の旅絵などなどが展示されていました。

219振り返り①:小杉一雄展・小杉一雄仏像スケッチメモ
展示されていた小杉一雄自筆の仏像スケッチ・メモ

旅絵などは、流石小杉放菴の子息、画才あふれるものです。
訪れる人もほとんどないひっそりとした会場でしたが、私には、観に行った値打ちのあった展覧会でした。



【2月】


ダイヤモンドプリンセス内での集団感染拡大が報じられるなど、コロナ禍が深刻味を帯びてくるなかでしたが、思い切って奈良まで出かけました。

奈良博で開催された特別展「毘沙門天」と、帝塚山大学で開催された「室生寺の近代」をテーマにした公開講座に、どうしても行きたかったのです。
半分腰が引けつつ、恐る恐る出かけたのですが、この奈良行きが「今年の唯一の奈良行き」になってしまおうとは、その時は、夢にも思いはしませんでした。



【興味津々の「室生寺十一面観音光背の新補時期と作者の謎解き」
~帝塚山大の奈良学公開講座へ】

2月15日、東生駒の帝塚山大学キャンパスで開催された公開講座は、次のような演題でした。

帝塚山大学奈良学総合文化研究所公開講座
「室生寺の近代、ふたつの名作の誕生~
国宝十一面観音像の光背と、小川晴暘撮影『室生寺大観』と」
講師:杉崎貴英氏(帝塚山大学文学部教授)

219振り返り①:小川晴暘写真集「室生寺大観」
飛鳥園刊・小川晴暘撮影「室生寺大観」

私の興味関心の深いフィールドの演題です。
次のようなテーマの話を聴くことができました。

・室生寺十一面観音像の光背が後補された時期と制作者の推定
・奈良飛鳥園の小川晴暘の代表的写真集「室生寺大観」の成立経緯
・近代奈良の仏像鑑賞史・写真史と谷崎潤一郎「痴人の愛」に見られる奈良の仏像描写との関わり

果たして、意を決して奈良まで出かけてきた甲斐があった、中身の濃い講演の内容でした。

とりわけ、興味津々だったのは室生寺・十一面観音の光背にまつわる話です。

219振り返り①:室生寺・十一面観音像
室生寺・十一面観音像~板光背は江戸時代の後補と云われていた

室生寺・十一面観音像の立派な板光背は、一般に江戸時代末期の後補だと云われていたのですが、

・実は、江戸後補の光背に代わって、明治時代に新たに新補されたものに違いないとみられること。
・明治新補の光背は、当時美術院の久留春年の手によるものと思われること。

が、明らかになったということでした。

詳しい話は、観仏日々帖「室生寺金堂・十一面観音、地蔵菩薩像の板光背の話 〈その2〉」 で、紹介させていただきました。

初めて聴いた話で、「知的関心をくすぐる謎解き」のような面白い話でした。



【毘沙門天の名作大集合~画期的な奈良博「毘沙門天展」へ】


この後は、奈良博で開催の特別展「毘沙門天~北方鎮護のカミ」に行きました。

219振り返り①:奈良博「毘沙門天展」エントランス
奈良博「毘沙門天展」エントランス

「毘沙門天」だけにスポットを当てたという、これまで開催されたことのない画期的な展覧会です。

「従来知られている毘沙門天彫像のなかから、とくに優れた作品を厳選し、それらを一堂に会することで、毘沙門天彫像の魅力を存分に味わうことのできる展覧会」

ということで、毘沙門天像の名品、注目作品、37件が出展されていました。

219振り返り①:毘沙門天展チラシ

219振り返り①:毘沙門天展チラシ219振り返り①:毘沙門天展チラシ

こんな毘沙門天だけを集めた展覧会、もう当分の間は開催されることは難しいでしょう。
何としても必見!ということで、恐る恐るながらも奈良へ出かけたという訳です。



【近年発見、注目の毘沙門像も勢揃い】


今回出展像のうち、近年発見されたり、注目を浴びるようになった像は、以下のようなものかと思います。

219振り返り①:毘沙門天展出展~近年発見・注目された毘沙門天像


如法寺・毘沙門天像については、観仏日々帖「奈良時代の乾漆造・毘沙門天像が新発見(愛媛大洲市・如法寺)」、長福寺、東大寺の双身毘沙門天像については、観仏日々帖「平安時代の双身毘沙門天立像が新発見~奈良博「毘沙門天展」で展示」で、ご紹介させていただきました。



【私の大注目は、弘源寺・毘沙門天像~異色、特異な9世紀彫像】


私の最大の注目像は、弘源寺・毘沙門天像でした。
9世紀の平安前期彫刻だというのです。
弘源寺は、嵯峨野天竜寺の塔頭で、毘沙門像は比叡山の無動寺に伝来したと伝えられるそうです。

2004年に重文指定されているのですが、恥ずかしながら、私は、本展への出展情報を見るまで、この毘沙門像の存在を良く知りませんでした。
写真で見ると、腰を極端なほど捻り、袖や裳裾が大きく翻る動勢の像です。

正直な処、
「9世紀の製作像のようには感じないなあ!」
というのが、写真の実感でした。

実見すると、どのように感じられるのだろうか?
そんな期待感で、お像の前に立ちました。
「確かに、9世紀の平安前期像なのであろう!!」
というのが、眼前にした実感です。

219振り返り①:弘源寺・毘沙門天像
弘源寺・毘沙門天像(9C・重文)

少々極端かという程の大げさな体の捻り、衣の翻りなのですが、その動勢にはパワーと激しさが籠められていて、不自然さをさほどには感じません。
何といっても、体躯のボリューム感、重量感は格段で、腰から脚にかけての力感漲る表現は、なるほど9世紀と納得させるものがあります。

「大振りで重厚ながら一方では躍動的な表現が異色であり、平安時代彫刻史のなかでも特異な位置を占める作例と考えられる。」
(新指定の文化財解説「月刊文化財」2004年6月号)

という解説の通り、
「こんなスタイルの9世紀の毘沙門像があるのだ。」
心の中で、何とか納得したという処だったでしょうか。



【圧倒的なパワーの華厳寺・毘沙門像~もっと知られてよい9世紀の優作】


展覧会場に入るとすぐに、圧倒的なパワーを発散していたのは、華厳寺の毘沙門天像でした。
圧倒的な威圧感、緊張感を感じる毘沙門天像で、その異貌には、一度見ると忘れられないほどに惹きつけるものがあります。

219振り返り①:華厳寺・毘沙門天像
華厳寺・毘沙門天像(平安前期・重文)<

塊量的な重量感にも並外れたものがあります。
あまり広く知られていない像かと思いますが、9世紀の毘沙門天像の代表作として高く評価されるべき優作との感を再認識しました。

「毘沙門天展」も、コロナ禍下、博物館が臨時休館になり、開催期間の半分も経たない2月26日で中止となってしまいました。
毘沙門天像大集合という力の入った画期的な展覧会で、開催に至るまで関係者の大変な尽力があったものと察せられますので、会期半ばでの中止は、残念極まりないものであったと思います。

その後も、愉しみにしていた仏像展覧会が、相次いで、中止、延期になってしまいました。
東博でも、「法隆寺金堂壁画と百済観音」「令和2年新指定国宝・重要文化財」は中止、「国宝 聖林寺十一面観音―三輪山信仰のみほとけ」が一年延期となりました。
この状況下、致し方なきものとはいうものの、何ともフラストのたまる一年です。


この日の夜は、同好の方3人と、仏像談議を肴に盛上がり、じっくり愉しく飲み交わしました。
この愉しい飲み会が、まさか、心置きなく酒を飲み交わす今年最後の場になろうとは・・・・・・・・・



【久しぶりに秋篠寺へ~堂内はひっそり】


翌日、久しぶりに、秋篠寺に寄ってみました。

219振り返り①:秋篠寺・本堂
秋篠寺・本堂

219振り返①り:秋篠寺・礎石
秋篠寺・東塔址礎石

朝の10時ごろ訪ねたのですが、コロナ禍のせいか、お堂には私一人だけ。
この日は日曜日、普段では考えられないひっそりと静まり返った堂内で、ゆっくりと諸仏を拝することができました。



【体躯を補作した鎌倉仏師の妙技に讃嘆~秋篠寺・伎芸天像】


秋篠寺といえば、なんといっても伎芸天像。

東洋のミューズとも称せられる美仏です。
219振り返り①:秋篠寺・伎芸天像
秋篠寺・伎芸天像
頭部(奈良時代・脱活乾漆)
体部(鎌倉時代・木彫)

僅かに腰をひねり、首をややかしげ、伏し目がちに静かに笑みをもらして立つ優雅な姿に魅せられる人は、数多いことと思います

今回、伎芸天像を拝して、思いを致したのは、鎌倉時代にこの首から下を造った仏師のことでした。
ご存じの通り、伎芸天像は、頭部は奈良時代の脱活乾漆像、首から下は鎌倉時代の補作の木彫像となっています。

奈良時代にこの像がつくられた時、現在と同じ姿態、立ち姿だったのかどうかはよく判りません。
ただ、鎌倉仏師が、このように首をかしげ、腰をひねった姿に仕上げなければ、きっと「東洋のミューズ」と讃えられる人気を博することは無かったでしょう。
伎芸天の魅力を引き出す、絶妙のシルエットに仕上げられています。

後世の補作となると、それだけで低く見たり、軽く見たりしてしまうのが常のように思いますが、この仏師の美的感性や技量は凄かったと、今更ながらに思いました。

「鎌倉仏師の妙技に讃嘆!!」

こんな気持ちになりながら、秋篠寺を後にしました。



【奈良末~平安前期の一木彫像が、いくつも出展~東博「出雲と大和」展】


東京国立博物館で開催された特別展「出雲と大和」へ出かけました。
古代において「幽」と「顕」を象徴する重要な役割を担っていた、出雲と大和の名品を一堂に集めた展覧会です。

219振り返り①:出雲と大和展チラシ

219振り返り①:出雲と大和展チラシ219振り返り①:出雲と大和展チラシ

仏像は、ご覧のような諸像が出展されました。

219振り返り①:出雲と大和展出展の主な仏像

看板展示は、寺外で初めて公開されるという石位寺・伝薬師三尊像(7~8世紀・重文)でしょう。
白鳳~奈良期の美麗な浮彫石彫三尊像として大変有名な石仏像です。
私も、本当に久しぶりで、懐かしく観ることができました。



【奈良様初期一木彫像の世界に思いを致らせる
~金剛山寺と世尊寺の十一面観音像】


本展の仏像展示では、奈良~平安前期の一木彫像が、いくつも出展されました。
そのなかでも、私の一番の注目像は、金剛山寺・十一面観音像、世尊寺・十一面観音像の2躯でした。

219振り返り①:金剛山寺・十一面観音像219振り返り①:世尊寺・十一面観音像
(左)金剛山寺・十一面観音像、(右)世尊寺・十一面観音像

所謂、奈良様の乾漆像、塑像の流れの系譜にある一木彫像です。
近年、共に奈良時代の制作と見られるようになっています。

奈良末~平安初期の一木彫像といえば、唐招提寺講堂・木彫群に始まり大安寺木彫群、新薬師寺・薬師像、神護寺・薬師像といったボリューム感あふれ、威力、迫力満点の造形をイメージします。
この2像の造形を見ると、その一方で、伝統的な奈良様の造形を受け継ぐ木彫像の流れが存在したことを知ることができます。

眼近に観ると、金剛山寺・十一面観音像の体躯の造形は、奈良時代後期の乾漆像の造形スタイルと見紛うような天平風の表現です。
世尊寺・十一面観音像は、頭部は後補ながらも、量感を強調しない整ったシルエットと奈良時代の粘塑的な衣の表現が特徴的です。
併せて出展されていた、島根 万福寺・四天王像(平安前期)も、両足をどっかと据えて、堂々とした安定感で、奈良時代の天部像、力士像を思わせる造形が魅力的でした。

従来、奈良末~平安初期の一木彫像といえば、所謂天平様奈良様の造形表現から、反古典的な迫力ある造形表現への転換を象徴するように語られることが常であったように思いますが、近年、奈良様の系譜にある一木彫像の存在が、新たに注目されるようになってきたようです。

初期一木彫像の世界は、まだまだ奥が深そうです。
一木彫像誕生の謎の問題は、用材樹種の問題も含めて、今後どのように議論されていくのでしょうか?
愉しみ、という処です。



【3月】



【コロナ禍下でも、かろうじて開催された「永野太造写真展」】


東京半蔵門のJCII フォトサロンで開催された「永野太造写真展 仏像~永野鹿鳴荘ガラス乾板より」に行きました。

219振り返り①:永野太造写真展チラシ

同時期に半蔵門ミュージアムで開催される予定であった「大和路の仏にであう~奈良に生きた写真家・永野太造と仏像写真展」は延期になってしまいましたが、こちらの方は、小規模展であったからか、予定通り開催されました。

永野太造氏は、仏像写真家であり、奈良博前の茶店兼仏像写真売店「永野鹿鳴荘」の店主であった人物です。
この永野太造氏が遺した、仏像写真を中心とした約7000枚のガラス乾板が、2015年に帝塚山大学に寄贈され、そのアーカイブ化と研究が進められています。
二つの永野太造写真展は、こうした研究成果の一環として、開催に至ったものです。

小さな展示スペースでしたが、永野鹿鳴荘ガラス乾板から製作されたモノクローム版プリント73点が展示されていました。

219振り返り①:永野太造写真展冊子写真

219振り返り①:永野太造写真展冊子写真
永野太造写真展・図録冊子写真

私以外の観覧者が誰もいないという、ひっそりとした展覧会でした。

永野太造氏の業績や人物については、観仏日々帖「奈良の仏像写真家、「鹿鳴荘」永野太造氏のこと」 【その1】 【その2】 で採り上げたことがありますが、そんなことを思い起こしながら、じっくりゆっくり愉しむことができました。

「仏像写真は、カラーよりもモノクロが似合う」

と、今更ながらに、そう感じてしまいました。