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観仏日々帖

古仏探訪~2019年・今年の観仏を振り返って 〈その4〉 9~10月 【2020.01.25】


【9 月】


【京都の展覧会を3つ梯子~私の注目、3つの仏像をジックリと】


京都の美術館を3つ、梯子しました。

龍谷ミュージアムで開催の「日本の素朴絵~ゆるい かわいい たのしい美術~展」
京都市歴史資料館で開催の「京都市指定の文化財展」
泉屋博古館で開催の「文化財よ永遠に展」

に行きました。

「日本の素朴絵展」チラシ

「京都市指定の文化財展」チラシ「文化財よ永遠に展」チラシ

それぞれの展覧会で目を惹いた注目の仏像は、次の3つでした。

「日本の素朴絵展」では、兵庫満願寺・薬師如来像(平安・無指定)

「京都市指定の文化財展」では、勝光寺・聖観音像(平安前期・市指定)

「文化財よ永遠に展」では、浄瑠璃寺・大日如来像(藤末鎌初・無指定)


兵庫満願寺・薬師如来像(平安・無指定)
兵庫満願寺・薬師如来像

勝光寺・聖観音像(平安前期・市指定)浄瑠璃寺・大日如来像(藤末鎌初・無指定)
(左)勝光寺・聖観音像、(右)浄瑠璃寺・大日如来像

これら、私の注目3像については、
観仏日々帖 「京都展覧会巡りで目を惹いた仏像 〈その①〉  〈その②〉  〈その③〉」
で、それぞれ採り上げさせていただきました。

詳しい観仏記については、そちらの方を見ていただくことにして、ここではふれないでおきます。

それぞれ、見どころや考えさせられる処多々あり、興味津々の仏像でした。
この3像をじっくりと見ることができただけでも、京都まで出かけてきた値打ちは充分でした。

これら3像以外で、私の目を惹いたのは、

「京都市指定の文化財展」の京都 浄禅寺・十一面観音像(平安10C・市指定)

京都 浄禅寺・十一面観音像(平安10C・市指定)
京都 浄禅寺・十一面観音像

「文化財よ永遠に展」の京都 元慶寺・伝梵天帝釈天像(平安10~11C・市指定)、京都和束町 観音寺・男神像(平安11C・府指定)

といったところだったでしょうか。


〈大塀の京町家、藤野家住宅の公開へ〉


美術館巡りのついでに、「藤野家住宅」に寄りました。

普段は非公開ですが、京の夏の旅・文化財特別公開で見学することができたのです。
地下鉄烏丸駅から歩いて5分ほど、京都御所の南側にあります。
藤野家住宅は大正15年に建てられた典型的な「大塀」の町家で国の登録有形文化財に指定されています。

藤野家住宅

藤野家住宅
藤野家住宅

今でも実際に家人がお住まいなのだそうですが、この期間に限り、一般公開されることになったのだそうです。
数寄屋風意匠が取り入れられた、瀟洒な佇まいを味わうことができました。


お昼は、藤野家住宅の近くの蕎麦屋「手打ちそば 花もも」で。
しばらくぶりに寄ってみたら、ちょっと不便な場所にあるのに、行列ができていて、20~30分待ちました。

手打ちそば 花もも
手打ちそば 花もも

開店10年もたたない店ですが、穴場の人気店になってしまったようです。
それでも、此処で冷酒を一杯やりながらのざる蕎麦は、お薦めです。



【久しぶりに、新薬師寺へ】


翌日は、妻と奈良へ。

久しぶりに、新薬師寺に行ってみました。
新薬師寺には何度行ったか数え切れませんが、十二神将像と薬師如来像を拝すると、いつも思うのは、次のようなことです。


〈ちょっと褒められすぎ?独善的私感~十二神将像〉


十二神将像は、天平彫刻の傑作として絶賛され、伐折羅像(国宝指定名称:迷企羅)などの人気は抜群ですが、私の目には、「ちょっと褒められすぎなのでは?」という風に映るというのが素直な実感です。

優れた天平彫刻であることには異論はないのですが、あえて誤解を恐れずにいえば、造形表現がオーバーアクションで誇張的に過ぎ、ややバランスを失している印象を受けるのですが、如何でしょうか?

あくまでも個人の感想ということで、お赦しください。


〈斜め45度の姿に見惚れてしまう薬師如来像〉


薬師如来像は、初期一木彫の傑作で、拝する回数を重ねるほどに、ますます見惚れてしまいます。
この薬師像は、斜め45度の角度から拝すると、最もその魅力を実感できるように思います。

体躯の張りのある重量感、大きく見開いた眼、顔貌のシャープな切れ味を、存分に味わうことができ、迫力あふれる優れた造形に惹き込まれてしまいます。

一方で、真正面から拝すると、あれだけのダイナミックな像であるにもかかわらず、何故だか平板な印象を受けてしまうのです。
いつも、不思議に感じています。
これまた、個人の感想ということで、お赦しください。


新薬師寺の後は、近くの「志賀直哉旧居」に寄りました。

志賀直哉旧居
志賀直哉旧居

志賀直哉は、昭和初年に10年ほど、この旧居に住まいしたそうですが、数寄屋造りとハイカラさがミックスされ、瀟洒とモダンが混然となった造りです。
昭和初期の白樺派を中心とした奈良の文人文化が偲ばれます。



【奈良博展示の海住山寺本尊・十一面観音像をジックリ鑑賞】


海住山寺本尊・十一面観音像が、奈良国立博物館・なら仏像館に出展されているというので、観に行きました。


〈初めて、360度ビューで眼前に~不思議な異色像、10世紀の作?〉


海住山寺本堂が修復中のことから、一時的に奈良博に特別に出展されることになったようです。
眼近に、360度ビューでじっくり観ることができました。

海住山寺本尊・十一面観音像
海住山寺本尊・十一面観音像(平安・重文)

お寺では厨子に祀られており、脚部や側面背面を観ることができないのです。
お堂のほの暗い中で拝するのと、博物館の明るい照明の中で観るのと、随分印象が違いました。
像高:167㎝、カヤの一木彫、台座まで含めて一材で内刳りはありません。

ちょっと不思議な感覚がしました。
極端に言うと、上半身は硬質感な感じ、脚から下は奈良風の捻塑的というのが同居しているような感じです。
一般的には、平板な肉身部などから10世紀の制作とされ、旧本尊が存在し、それを手本として制作されたとの想像もされているようです。

ただ、すんなり10世紀とするには、不思議な異色感、力感、古様感を感じるのも率直な処です。
こういうタイプの彫像を、どのように見ればよいのでしょうか。
大変興味深い古像です。


〈「霊木化現」か?「背面省略」か?~興味深い未完成的造〉


もう一つ、海住山寺・十一面観音像で、自分の眼で確かめてみたかったのは、背面の造形表現でした。

この像は、背面の表現が省略され粗い鑿痕もされているのです。
蓮肉、反花も未完成のような造形です。

井上正氏は、本像を「霊木化現仏」、即ち霊木の中から仏が姿を現す途上を現した作例という考えを示しています。
「霊木化現表現」なのでしょうか?
「背面足元など見えないところを省略した」だけの表現なのでしょうか?
初めて、ぐるりと一回りしてみることができたのですが、
「これは、ただの省略なのかな」
という気がしました。

あくまでも個人の感想です。


この日は、9月末だというのに、奈良は、熱中症で倒れそうなほどの酷暑でした。
じっとしていても、汗が吹き符出します。
奈良博前の公園では、ご覧の通り、鹿たちが暑さに耐えきれず、池の中に入って行水していました。

酷暑に行水する奈良の鹿(奈良博前公園)
酷暑に行水する奈良の鹿(奈良博前公園)

鹿が団体で行水している光景を見たのは、初めてのことでした。

夜は京都泊、暑気あたり気味であっさりと蕎麦屋で。
神宮丸太町の「つるや」で一杯。
京都の地の人がお客さんの蕎麦屋ですが、なかなかの美味いお店です。

蕎麦「つるや」
蕎麦「つるや」


翌日は、京町屋の吉田家住宅・無名舎によって帰りました。
吉田家は、京呉服の問屋街「室町」の一画六角町にあり、建物は白生地問屋を商った京商家の典型ともいうべき表屋造りです。

吉田家住宅・無名舎

吉田家住宅・無名舎
吉田家住宅・無名舎

通り庭、坪庭など京町屋の風情を堪能しました。



【10 月】


【東博開催の「文化財よ永遠に」展へ~26件の修復仏像が出品】


東京国立博物館で開催された「文化財よ永遠に」展へ行きました。

東博「文化財よ永遠に」展チラシ

「文化財よ永遠に」展は、住友財団の文化財修復助成30年記念して、泉屋博古館(京都・東京)、九州国立博物館と共に4館合同で開催された展覧会です。
東京国立博物館展では、仏像彫刻が展示され、26件の修復仏像が出品されました。
修理修復仏像にスポットを当てた展覧会というのは、めったにないもので、重要文化財指定仏像は3件だけでしたが、大変興味深い企画展でした。

パネル展示や図録には、修理修復の経緯、有様が豊富に解説、掲載されていて、普段の仏像鑑賞とは違う切り口から展示仏像を観ることができ、興味津々のものがありました。


〈一番観たかったのは、三仏寺・秘仏阿弥陀如来像〉


私が一番観たかった仏像は、鳥取三仏寺の阿弥陀如来像です。
三仏寺といえば、国宝・投入堂と蔵王権現像(仁安3年・1168~重文)が大変有名ですが、三仏寺本堂の本尊は、阿弥陀如来像なのです。

鳥取三仏寺・阿弥陀如来像
鳥取三仏寺・阿弥陀如来像(平安後期・県指定)

阿弥陀如来像は平安後期の制作で県指定文化財となっていますが、秘仏で拝観することは叶いません。
平成26年(2014)に開帳されましたが、その時は出かけることができませんでした。
高湿度の厨子内で朽損し自立が難しくなっていたのを、2002年住友財団の助成で修復されたことから、今回の出展になったのだと思います。
もう少し野趣豊かな像かと思っていたのですが、穏やかな表現の落ち着いた造形の仏像でした。

高成寺・千手観音像が出展されていました。
2012年に、新たに重要文化財に指定された9世紀の一木彫像です。

後世の厚塗りの彩色により尊容を大きく損じていましたが、1997年から4年をかけて解体修理が行われ、彩色が取り除かれるなどして、本来の平安前期一木彫像の魅力が明らかになり、重要文化財に指定されたものです。


〈大戦中に仏印との文化財交換で、ベトナムに渡った阿弥陀像が里帰り〉


里帰りしたベトナム国立博物館所蔵・阿弥陀如来像
里帰りしたベトナム国立博物館所蔵
阿弥陀如来像
ベトナム国立博物館所蔵の阿弥陀如来像が76年ぶりに里帰り展示され、話題を呼びました。

この阿弥陀如来像(鎌倉時代)は、昭和18年(1943)に当時の仏領インドシナのフランス極東学院と東京国立博物館の文化財交換で東博から贈られたものです。

東博東洋館のクメール彫刻は、その時、日本から贈られた本像はじめ陶磁器、刀の鐔などの交換品なのだそうです。
当時、日本が占領していた仏印との間で、このような文化財交換がなされていたというのには、ちょっとビックリしました。

本像は、長らく行方不明となっていましたが、九州国立博物館とベトナムとの交流事業で発見され、日本からの修理技術者派遣による修理中に、足裏に購入時の明治35年のシールが確認されたことから、交換品であったことが明らかになったということです。

なかなかの出来の鎌倉の阿弥陀像でした。



【15年ぶりに、富山方面の観仏探訪旅行へ】


富山方面の観仏探訪に2泊3日出かけました。

観仏先は、ご覧の通りです。

富山方面観仏探訪先リスト

富山方面の観仏には、2004年に出かけたことがありますが、それ以来、15年ぶりの観仏探訪旅行です。

私の今回の最大の目的は、
「安居寺・聖観音像の秘仏ご開帳と、宝伝寺・鉈彫り十一面観音像を拝すること」
でした。
共に、未見の仏像で、是非とも一度は拝したいと念じていた古仏です。

なお、2004年に訪ねた時の観仏記については、日々是古仏愛好HP 「富山・岐阜仏像旅行道中記」 をご覧いただければと思います。

実は、富山旅行に出かけたのは10月の下旬で、ちょうど台風19号の災害で北陸新幹線が不通になってしまった時のことでした。
富山方面は台風被害もないということで、思い切って出かけることにしましたが、北陸新幹線は利用できず、往きは米原経由北陸線で、帰りは長岡から上越新幹線でという迂回ルートとなりました。


〈観仏旅行の一番の目的、年に一日限りの安居寺・十一面観音像御開扉〉


まずは、安居寺に直行。

毎年10月18日、安居寺の聖観音像が、一日限りで収蔵庫が開かれ拝することができるのです。
この日に、ピンポイントを合わせて、富山観仏に出かけたという訳です。
2004年にも安居寺を訪ねたのですが、聖観音像は秘仏で拝することができませんでした。

平安前期のカヤ材の一木彫像で、越中富山の古代木彫中、最古の平安初期彫刻とされている像です。

安居寺は、南砺波市という処にある、なかなか立派な古刹です。

安居寺・山門
安居寺・山門

目指す聖観音像は、観音堂の裏の小高いところにある収蔵庫に安置されていました。

安居寺・聖観音像が安置される収蔵庫
安居寺・聖観音像が安置される収蔵庫

年に一日の開扉ですが、あくまでも風入れの曝涼的な開扉で、いわゆる御開帳というものではないそうです。
お寺の方もおられず、参拝の人もほとんどなく、ひっそりとした感じでした。

収蔵庫内には入ることができず、内扉、金網張りの格子戸越しの参拝です。
聖観音像が祀られている位置からは数メートル離れたところから拝することとなり、照明はあるものの、なかなかクリアーにその姿を観るという訳にはいきませんでした。
双眼鏡で、なんとかはっきりと見えるという処でした。


〈古様で量感豊かながら、厳しさより優しさを含んだ平安前期像〉


聖観音像の印象は、写真でイメージしたものとちょっと違いました。

安居寺・聖観音像
安居寺・聖観音像(平安前期・重文)

写真では、越中最古の平安初期檀像風木彫といわれるとおり、シャープで切れ味の良い感じの造形のように思っていました。
実見すると、穏やかさや優しさといった空気感を感じます。
古様で量感豊か、彫り口も深いのですが、厳しさよりも穏やかさを含んだ像のようです。
平安中期の入り口ぐらいの制作なのかなという気がしました。
ただ遠目からの拝観でしたので、眼近に拝すると、また違った印象を受けるのかもしれません。

一度は拝したいと念じていた、安居寺・聖観音像を拝することができ、私の「平安前期の未見仏像リスト」を、また一つ消し込むことができました。


〈三尺阿弥陀の佳品、常福寺・阿弥陀如来像に惚れ惚れ~快慶周辺の作品か?〉


砺波市の常福寺を訪ねました。

砺波市・常福寺
砺波市・常福寺

常福寺には、鎌倉期のいわゆる三尺阿弥陀像の佳作があり、重文に指定されています。
阿弥陀像は、収蔵庫に安置されています。

常福寺・阿弥陀如来像が安置される収蔵庫
常福寺・阿弥陀如来像が安置される収蔵庫

二度目の対面です。
15年前、初対面の時には、白木の厨子の中に祀られていたのですが、今回は、お厨子が無くなっていて、本当に、眼近にじっくりと拝することができました。

常福寺・阿弥陀如来像

常福寺・阿弥陀如来像
常福寺・阿弥陀如来像(鎌倉・重文)

都にあっても不思議ではない出来の良さです。
そして、何かしら訴えてくる力のようなものを感じます。
鎌倉彫刻に疎い私でも、なかなかレベルの高い見事な作品であることは、よく実感できました。

この像は、元々、久遠寺という寺の本尊で、上杉謙信の兵火を逃れて、以来中宮という神社の神体としてまつられて、近代の神仏分離によって、この常福寺に移されたということだそうです。
明治9年の東本願寺のお墨付きには「湛慶作」とあり、そのように伝えられてきたようです。
近年の研究によると、着衣形式が快慶作三尺阿弥陀の第3形式、即ち晩年期のパターンに対応するものであることや、作風などから、快慶の弟子、あるいは快慶のもとで小仏師の作品ではないかと見られているとのことです。


〈何度拝しても、強烈な威圧感に圧倒される二上射水神社・男神像〉


この日のラストは、二上射水神社の御神像です。

二上射水神社には普段は宮司さんがいらっしゃらないようで、氏子総代の方他数名が、お迎えいただきました。
大切な御神像は、この地の氏子の皆さんでお守りになっているとのことです。

御神像は、立派な収蔵庫に祀られています。

二上射水神社・男神像が祀られる収蔵庫
二上射水神社・男神像が祀られる収蔵庫

収蔵庫の扉が開かれ、御神像の前に掛けられた御簾が引き上げられると、眼前に男神像が姿を顕します。

二上射水神社・男神像
二上射水神社・男神像(平安・重文)

凄い迫力を、発散させています。
まさに強烈な霊威感で眼前に迫ってくるというのが実感で、思わずあとずさりしてしまいそうです。
二上神は、荒ぶる神々を押さえる霊威ある男神ということですが、まさに「これぞ二上神」という実感のする、荒々しい威厳とパワーです。

二上射水神社・男神像
二上射水神社・男神像

この男神像、2006年に東博で開催された「一木彫展」に出展され、その時にご覧になった方もいらっしゃると思います。
私も、今回で、3回拝したことになります。

地方の古仏を探訪すると、初めて拝したとき、その迫力やパワーに凄く惹き込まれた仏像が、二度、三度と拝すると、意外にもそれほどのインパクトを感じなくなってしまうことが、間々あります。
「初対面の、予想外のインパクト印象効果」とでもいうものだと思います。

ところが、この男神像は、何度拝しても、そのみなぎる威圧感、迫力に、ますます圧倒されていくものがあります。
今回も、これまでに増しての衝撃感でした。
ますます惹かれてしまうものがあります。


〈顔面の横縞目の鑿痕は、陰影による表情変化、生ける神を演出か?〉


本像は、いわゆる「鉈彫り」像としても、有名です。
その中でも珍しいのは、顔面部に横縞目の丸鑿痕をくっきりと残していることです。

二上射水神社・男神像
顔面に縞目を残す
二上射水神社・男神像
一方、体部の衣の部分は、平滑に仕上げられています。
鉈彫り像は、顔や地肌などの肉身部を平滑に仕上げて、衣に覆われた部分に丸鑿痕の縞目を残すものが多いのですが、この男神像は逆の仕上げとなっているのです。

どうしてなのかよくわかりませんが、顔の強い表現に力点をおいて荒ぶる神の威厳性を高めたかったのでしょうか。

「ノミ目の凹凸が明かりを受けることで変化のある陰影が発生し、表情が変化する。
そこに生ける神を演出したのだろう。」
(東博・一木彫展図録解説 2006)

という見方もあるようです。

本像の制作時期は、9世紀までさかのぼるとするものから、11世紀後半とするものまであるようですが、現在では、「10世紀の鉈彫り初期の貴重な作例」とする見方が、有力なようです。
難しいことはわかりませんが、この迫力パワーを見ると、時代をあげたくなるような気持ちになってしまいます。


〈井波彫刻の見事な技巧に惚れ惚れ~拝殿天井の龍の彫り物〉


氏子総代の方に、収蔵庫の隣にある拝殿天井の龍の彫り物を、ぜひ見ていくように勧められました。

拝殿天井の「井波彫刻の龍」

拝殿天井の「井波彫刻の龍」
拝殿天井の「井波彫刻の龍」

「井波彫刻の龍」です。
見事な技巧に、惚れ惚れしてしまいます。
総代の方は、
「以前に白洲信哉氏が来られた時に、この龍を超絶賛して見惚れたおられたんですよ。」
とおっしゃっていました。


夜は、高岡泊まり。
「創菜ダイニング寧寧家」で、気持ちよく飲みました。


〈二体の立派な平安の一木彫観音像が祀られる常楽寺〉


この日のスタートは、常楽寺。

常楽寺・観音堂
常楽寺・観音堂

観音堂の奥に隣接して収蔵庫があり、180㎝以上の大きな二体の観音像が祀られています。

常楽寺観音堂の十一面観音像・聖観音像
常楽寺観音堂の十一面観音像・聖観音像

在地の立派な平安古仏です。
元々別のお寺に祀られていたようで、造形に雰囲気が随分違います。
十一面観音像は「のびのび大らか」、聖観音像は「グラマラスで神秘的」といった印象でしょうか。

十一面観音はスギ材、聖観音像はセンダン材ということです。
用材によって、仏像の造形表現の質感が随分と違うものになることが一目でわかります。
越中は、スギ材が多いようです。


〈おだやかな鎌倉の阿弥陀様~来迎寺・阿弥陀如来像〉


富山市内の来迎寺の阿弥陀如来像は、いかにも鎌倉の阿弥陀様というおだやかな像でした。

赤い肉髺には、瑪瑙が使われているそうです。

来迎寺来迎寺・阿弥陀如来像
来迎寺と阿弥陀如来像(鎌倉・県指定)



〈数奇な流転、里帰り物語に思いを致した、立山博物館・帝釈天像
~長らく「立山神像」とされ、近年、帝釈天と判明〉


土砂降りの雨の中、立山博物館に向かいました。
立山博物館は、立山連峰参拝の玄関口、芦峅寺にあります。

立山博物館
立山博物館

博物館の展示仏像のなかでのお目当ては、かつて立山神像といわれた、「帝釈天像」像です。

立山博物館・帝釈天像.立山博物館・帝釈天像
立山博物館・帝釈天像(鎌倉・重文)

寛喜2年(1230)の刻銘がある50㎝ほどの小さな銅像です。
博物館では、この1体だけガラスケースに入れられて展示されています。
何も知らずにこの銅像を見ると、それほどに注目することなく、一瞥しただけで通り過ぎてしまうのではないかと思います。

しかし、この像の数奇な流転の物語や、帝釈天像であることが判明した近年の研究に思いを致すと、感慨深いものを感じずにはいられません。

本像は、立山山頂に祀られていた「立山神像」と見られていました。
明治の廃仏毀釈以来、立山の地を離れ、その後流転の道をたどり、昭和42年、海外に流出する運命であった直前、富山県に買い戻されるというドラマチックな里帰り物語があったのです。

その富山県のシンボル的存在であった「立山神像」が、近年(2015年) 像刻銘の科学的調査、研究などの結果、帝釈天像であることが明らかになり、重要文化財名称が「立山神像」から「帝釈天像」に変更されました。
重文指定名称の変更というのも、めったにない話です。

この立山神像の流転の物語と帝釈天像への指定名称変更のドラマチックないきさつなどについては、以前に、
日々是古仏愛好HP・仏像発見物語 「富山・立山神像 発見、里帰り物語とその後 〈その1〉  〈その2〉」
に詳しく紹介させていただきました。
是非、ご覧いただければと思います。

こんな物語をもう一度振り返りながら、
「立山神像と呼ばれていた帝釈天像」の
前に立っていると、一瞥では済ますことができず、じっくりと見入ってしまいました。


〈巨岩に刻まれた神秘的迫力の磨崖仏~日石寺・不動明王五尊像〉


「大岩の不動さん」という名で知られる日石寺を訪れました。

日石寺
日石寺

大岩の不動さんというのは、巨岩の側面に刻まれた不動明王五尊像の磨崖仏のことです。
この巨岩の前面を覆うように本堂が建てられています。

日石寺・本堂
日石寺・本堂

本堂に入ると暗い堂内の一番奥に、燈明の明かりの中に浮かび上がるように、不動明王像の姿が目に入ります。

日石寺・不動明王五尊像磨崖仏

日石寺・不動明王五尊像磨崖仏
日石寺・不動明王五尊像磨崖仏(平安・重文)

流石の迫力です。
立山信仰の修験にかかわる像といわれるとおり、森厳、荘重で神秘的な空気感に圧倒されます。
今流には「パワースポット」ということだそうですが、そういわれるに十分なオーラを発散しています。

とりわけ中尊の不動明王像は、頭部、上半身がバランスを失したほどに大きく造られ、前傾する岩面と相まって、眼前にのしかかって、押し迫ってくるような感覚を覚えます。

日石寺・不動明王像
日石寺・不動明王像

そして両目を大きく見開き目を怒らせ前方を睨む表現は、強烈な迫力です。
造形の出来の良し悪しというレベルを超えて、拝するものに霊威のインパクトを与える磨崖仏像といえるのでしょう。

不動五尊像のうち、不動明王像、二童子像は平安中後期の制作、阿弥陀像と僧形像はしばらく遅れての追刻と見られているようです。

堂内では、自由に眼前まで近寄って、磨崖仏像を拝することができましたので、充分にその迫力を堪能することができました。


この日は富山泊。
市内の「酒菜工房 だい」というお店で飲りました。
富山の海鮮居酒屋の人気店で、予約も結構混むという店だそうです。

酒菜工房 だい
酒菜工房 だい

果たして、期待以上の大変美味なるお店で、食に酒に堪能させてもらいました。
各地の居酒屋さんを随分巡りましたが、「酒菜工房 だい」はその中でも屈指のお店だと思いました。
富山へ来たら、是非是非、再訪したいお店です。


〈集落で守られる、鄙なる優しき鉈彫り観音像~糸魚川 水保観音堂・十一面観音像〉


富山・新潟方面観仏探訪の最終日は、糸魚川まで足を延ばして、宝伝寺・水保観音堂を訪ねました。

富山から1時間半ほどのロングドライブです。
水保観音堂には、鉈彫り像として知られる十一面観音像があるのです。
この十一面観音像は、長らく一度は拝したいと念じていた、未見の平安古仏です。

水保観音堂は小さな集落にひっそりとある観音堂でした。
鉈彫り、十一面観音像は、観音堂の裏手の斜面上の建てられた、奉安庫に祀られています。

水保観音堂・奉安庫
水保観音堂・奉安庫

この観音像は、近くの日吉神社別当吉祥院に祀られていましたが、明治の神仏分離で廃寺となり、部落の檀家でによって守られているということです。
奉安庫は、昭和12年に建てられたのですが、その建設に尽力したのは相馬御風であったそうです。
相馬御風というのは、糸魚川出身の歌人、文人で、早稲田大学校歌「都の西北」、日本初の流行歌「カチューシャの唄」、童謡「春よこい」の作詞者でも知られる人物です。

拝観には地区の方がわざわざお立会いいただき、奉安庫を開扉していただきました。
眼近に拝することができました。
等身の観音像で、身体全体に刻まれた鉈目の丸鑿痕がきれいに残されています。

水保観音堂・十一面観音像
水保観音堂・十一面観音像(平安・重文)

カツラ材(サクラという記述もあり)の一木彫で、素木像ですが、眼鼻口などは墨描きがされています。

お顔の表情の優しさと鄙なる感じが印象的で、全体的にも鉈目も鋭くはなく、土着的な素朴さとか柔和さをたたえた造形です。
荒彫りという言葉が似合わないほどに、のどかな造形に素直な親しみを覚える観音像です。

整然とした鉈目などから平安中期ごろいう見方から、平安後期、12世紀ごろの制作とする見方まであるようです。

長らく、一度拝したいと念じていた、水保観音堂・十一面観音像の拝観を果たすことができ、満足感のなかで富山方面の観仏旅行を終えることができました。


11月以降の観仏は、〈その5〉に続きます。


古仏探訪~2019年・今年の観仏を振り返って 〈その3〉 6~8月 【2020.1.11】


明けましておめでとうございます。

今年も、よろしくお願いいたします。


【6 月】


「2019年・今年の観仏を振り返って」 〈その3〉は、6月観仏の前回積み残しからのご紹介です。


【南山城の3寺~海住山寺、神童寺、禅定寺~を訪ねる】


斑鳩町~大和郡山方面、一人観仏の翌日は、同窓会メンバーで、南山城方面の古寺をいくつか巡りました。

海住山寺、神童寺、禅定寺を訪ね、ご覧のような仏像を拝しました。

観仏リスト01・南山城方面観仏探訪先


〈奈良博から戻っていた美しい檀像風十一面観音像~海住山寺〉


海住山寺は、お堂の修理修復中で、本尊の十一面観音像は拝することができませんでしたが、普段は奈良博に寄託されている檀像風小像の十一面観音像が、本坊に戻っていて、眼近に拝することができました。

海住山寺・本坊
海住山寺・本坊

海住山寺・十一面観音像(平安・重文)
海住山寺・十一面観音像(平安・重文)

いつ観ても、切れ味のいい美麗な像です。
腰をひねった、やわらかで流れるような身のこなしが魅力です。


〈神童寺で目を惹いた菩薩像~以前は気づかなかった古様な平安前期像〉


神童寺、禅定寺も、もう10年ほど訪ねていなかったように思います。
しばらくぶりの拝観で、懐かしく、諸仏を拝することができました。

神童寺で、随分古様な像が1躯あって、目を惹きました。

神童寺
神童寺

神童寺・月光菩薩像(平安後期・重文)..神童寺・日光菩薩像(平安前期・重文)
神童寺・(左)月光菩薩像(平安後期) 、(右)日光菩薩像(平安前期)
日光像は目を惹く古様な平安前期像


日光菩薩像と称される像で、よくよく見ると、9世紀ごろの制作かもしれないと感じさせる一木彫像です。
対となっている月光菩薩の方は、明らかに平安後期の穏やかな像ですが、日光菩薩はなかなか迫力ある像です。
かつて神童寺を訪ねた時には、諸像をさらりと拝してしまったようで、こんな古様な平安前期像があった記憶が残っていません。
私にとっての、新たな発見になりました。
再訪してみるものです。


ランチは、宇治田原町にある「リンデンバウム」という一軒家レストラン。

宇治田原町レストラン「リンデンバウム」

宇治田原町レストラン「リンデンバウム」
宇治田原町レストラン「リンデンバウム」

「こんな山の中にどうしてこんなレストランがあるのか?」

信じられないような、まさに隠れ家レストランでした。
わざわざこのお店を目指して、この片田舎までやってくるお客さんが、結構多いようです。
15席ぐらいでしたが、この日も満席でした。
このためにやってくるお客さんがたくさんいるというのが納得の、美味なるランチでした。



【奈良市東北の「かくれ仏」を巡る~天平回例会に参加】


奈良でもう一泊して、久しぶりに「天平会」例会に参加しました。
毎月、観仏探訪の例会があるのですが、なかなか東京から出かけるのは大変で、本年初めての参加です。

今回の例会は、中墓寺、薬音寺、南明寺、応現寺をバスで巡りました。
いずれのお寺にも、平安古仏が残されています。

4寺共に奈良の中心地の東北の山間、車で30分以内の処にあるのですが、あまり知られていないお寺ばかりだと思います。
奈良郊外の「かくれ仏めぐり」といったラインアップです。

ご覧のような仏像を拝してきました。

観仏リスト02・奈良市東北部かくれ仏観仏探訪先


〈見知らぬ「かくれ仏」との出会い、中墓寺~立派な3如来像にビックリ〉


「中墓寺?」

初耳のお寺でした。
3躯の平安後期の如来像があるというのです。

中墓寺は下狭川町という奈良の東北、笠置に近い山間の村落にありました。

中墓寺に向かう道
中墓寺に向かう道

のどかな野山の緑を感じる里の高台に、ひっそりと佇むお寺でした。

中墓寺・本堂
中墓寺・本堂

収蔵庫・瑠璃殿には、3躯の立派な如来坐像が並んで祀られています。

中墓寺収蔵庫・瑠璃殿に安置される3躯の如来像
中墓寺収蔵庫・瑠璃殿に安置される3躯の如来像

中尊像は半丈六(140㎝)、両脇像は90㎝の像高です。

中墓寺・薬師如来像(平安後期・県指定)
中墓寺・薬師如来像(平安後期・県指定)

中墓寺・阿弥陀如来像(平安後期・県指定)中墓寺・阿弥陀如来像(平安後期・県指定)
中墓寺・阿弥陀如来像(平安後期・県指定)~左右共

いかにも平安後期、藤原風の如来坐像ですが、少し鄙びた造形の感じがします。
在地の仏師の作なのかもしれません。
これらの仏像は、明治初年まで在った近辺の西念寺、大念寺が勝福寺に合併して、現在の中墓寺が成立、それぞれに祀られていたものといいます。

3躯共に昭和52年(1977)に県文化財に指定されていて、これだけの立派な仏像なのに、まったく知られていないといってよいほどの「かくれ仏」です。
見知らぬ平安古仏に出会うことができました。


〈近年、新たに注目された隠れた平安古仏群~山添村 薬音寺〉


山添村にある薬音寺を訪ねました。
薬音寺には平安時代の古仏像群が残されています。

薬音寺・本堂
薬音寺・本堂

薬音寺の仏像は、中墓寺以上に、知られざるお寺、かくれ仏だと思います。
薬音寺の古仏像群が注目され、県の調査が実施されたのは、5年ほど前、2014年のことです。
それまでは全く知られていないといってよい、平安期の古仏群だったのだと思います。

私は、3年前に、この新発見ともいえる古仏群は必見と、薬音寺を訪ねました。
今回は、再訪ということになります。

3年前の「驚きと大興奮の観仏記」は、観仏日々帖 「2016年・今年の観仏を振り返って〈その3〉【9月】」 に詳しく紹介させていただきましたのでご覧ください。

村落で管理しているお堂に、20躯の古仏が、所狭しと祀られています。

薬音寺本堂に祀られる古仏像群
薬音寺本堂に祀られる古仏像群

薬音寺・薬師如来像(平安・村指定)薬音寺・広目天像(平安・村指定)
薬音寺・(左)薬師如来像、(右)広目天像(平安・村指定)"

田舎風というか地方色の強い匂いのする像ばかりですが、鎌倉時代の1躯の他は、すべてが平安古仏です。
古様な一群は、その造形から10世紀に遡る平安古仏であろうと思わせます。
20体近い素朴な平安古仏が、身を寄せ合って、一群で発するパワーには、心惹きつけるものを感じます。

満足感一杯の、薬音寺古仏群との再会でありました。


〈堂内に並ぶ諸尊像が壮観の南明寺~漂う鄙びたのどかさにホッとする〉


次に訪れた南明寺は、円成寺から柳生に向かう途中にあり、本堂には、平安時代の大型の如来坐像3体他の諸像が祀られています。

南明寺・本堂
南明寺・本堂"

堂内に横一列に大きな尊像が並んだ有様は、なかなか壮観です。

造形的には、これまた「奈良の地方色」といったちょっと鄙なる雰囲気がある諸仏です。
南明寺は、ご住職が普段は不在なので、拝観立会いのご面倒をかけなければいけないのですが、私は、このお堂と仏様たちの、鄙びたのどかな穏やかさのようなものが気に入っていて、訪れるのが、4回目にもなりました。

今回の観仏で、薬師如来像(平安中期)が滋賀善水寺の薬師如来像(正暦4年・993)に、顔かたちが似ているのではないかというのが、気になりました。

南明寺・薬師如来像(平安中期・重文)善水寺・薬師如来像(正暦4年993・重文)

南明寺・薬師如来像.善水寺・薬師如来像
(左)南明寺・薬師如来像(平安中期・重文) 、(右)善水寺・薬師如来像(正暦4年993・重文)"

善水寺像の方がふっくらしていて造形的にも優れているのはもちろんのことですが、
「この顔、目鼻立ちは善水寺パターンか?」
という感じがしました。
皆さん、如何でしょうか?


〈山間の観音講に守られる見事な秀作~応現寺・不空羂索観音像〉


最後に訪れた、応現寺の不空羂索観音像は、東鳴川観音講の皆さんによって守られている仏像です。

応現寺のお堂
応現寺のお堂

山間の観音講の人々に守られてきた仏像とは思えない、中央作の見事な出来栄えの不空羂索観音坐像です。

応現寺・不空羂索観音像(平安後期・重文)
応現寺・不空羂索観音像(平安後期・重文)

11世紀末~12世紀の制作とされていますが、優雅というよりは、キリリと秀麗という言葉が似合います。
この不空羂索像は、治承4年(1180)の南都焼き討ちで焼失した、興福寺南円堂根本本尊・不空羂索観音像の姿に準拠しているとみられ、そうした意味でも大変貴重な作例です。



【奈良・南山城の「かくれ仏」を巡った3日間
~平安期の奈良の地の「地方性」を再認識】

3日間にわたって、斑鳩町大和郡山方面、南山城、奈良市東北山間部の「かくれ仏」の数々を訪れました。
融念寺、大和郡山の西岳院、光堂寺、南山城の神童寺、禅定寺、奈良東北部の中墓寺、薬音寺、南明寺などです。

今回の「かくれ仏探訪」の中で、今更ながらに感じたことは、平安の中後期頃は奈良の地は「地方」であったのだなということです。
奈良というと「一流の仏像」「中央の仏像」という、なんとなくの先入観があり、全国各地の地方仏を巡るときには、「奈良は中央」という気になってしまいます。

当たり前のことなのですが、当時の奈良の地は、中央の京都からは、結構、地方で、所謂地方色ある仏像が造られていたということを、再認識させられました。

「奈良の地の地方仏」とでも呼ぶのでしょうか?



【7 月】


【久しぶりに、会津方面の観仏へ】


一泊で、会津方面に同好の方々と観仏に出かけました。


〈最大の目的は、平安前期、個人蔵・吉祥天像との初対面~福島県博「興福寺と会津展」に出展〉


わざわざ会津まで出かけた最大の目的は、「興福寺と会津展」に出展された、個人蔵の平安前期作という吉祥天像を観るためです。

「興福寺と会津展」開催中の福島県立博物館
「興福寺と会津展」開催中の福島県立博物館

「興福寺と会津展」は、会津若松市の福島県立博物館で開催され、

興福寺からは、東金堂四天王像、維摩居士像、長和2年薬師像、法相六祖像など
会津の仏像では、勝常寺・四天王像、個人蔵・吉祥天像、明光寺・十一面観音像など

が出展されました。


〈勝常寺諸像と共通作風、東北地方木彫像中最古作例の一つとして、近年重文指定〉


お目当ての個人蔵・吉祥天像というのは、9世紀も早いころの制作で、2007年に新たに重要文化財に指定されています。

会津美里町 個人蔵・吉祥天像(平安前期・重文)
会津美里町 個人蔵・吉祥天像(平安前期・重文)

会津美里町の個人宅の金毘羅堂に祀られているそうです。
私は、この像を観たことがなく、チャンスがあれば、是非とも一度実見していたいものと念じていたのです。

重文指定時の解説によれば、
「顔立ちや衣縁の蛇行する表現など、その作風は近在の勝常寺諸像と共通し、同系の工人によって造られたことが明らかである。」
(月刊文化財2007.6~新指定の文化財)
というのです。


〈古様でパワフルな吉祥天像は、確かに平安前期
~勝常寺像同系のふれこみに、期待感が高まりすぎだったかも?〉

興味津々、展覧会場では、いの一番で、この吉祥天像の処へ行きました。
像高97.8㎝、ケヤキの一木彫で、台座まで一木で彫成されています。

眼近に実見することができました。
「もっと迫力や力感あふれ、強く惹きつけられる像かと思ったら、そこまでは・・・・・」
というのが、正直な第一印象でした。

ちょっと期待感が高まりすぎていたのかもしれません。
あの素晴らしい傑作の勝常寺・薬師如来像の造形レベルイメージの先入観がありすぎたようです。
確かに、顔立ちは勝常寺薬師に似ているのですが、全体の造形は、パワフルさはあるものの、粗くて大まか、野趣に富んでいるように思えます。

この吉祥天像を、何の予備知識もなくたまたま拝したとしたら、解説どおりの

「東北地方木彫像の中で最も古い作例の一つであり、その優れた作柄も高く評価される。
(吉祥天像造立の)地方における九世紀に遡る例は稀少であり、本像はその一例としても貴重である。」
(月刊文化財2007.6~新指定の文化財)

というふうに感じたのだろうかといわれると、かなり自信がありませんでした。

確かに、
「なかなかパワフルで、かなり古様な平安古仏だな。」
という印象は受けるのですが、
そこまでかなというのが本音の実感でした。

まだまだ、「仏像を観る眼」の研鑽が足りないのかもしれません。


「興福寺と会津展」の後は、ご覧のような古仏を巡りました。

観仏リスト03・会津方面観仏探訪先


〈何度拝しても、見惚れてしまう東北唯一の国宝像~勝常寺・薬師如来像〉


福島県立博物館の後は、勝常寺へ。

勝常寺・本堂
勝常寺・本堂

湯川村の勝常寺を訪ねるのは、これで4度目です。
本堂の厨子に祀られる薬師如来像は、流石に、東北唯一の国宝仏像、何度拝しても見惚れてしまいます。

勝常寺・薬師如来像(平安前期・国宝)
勝常寺・薬師如来像(平安前期・国宝)

ますます魅力が増していくばかりです。


〈一度、観てみたかった不思議建物~「さざえ堂」〉


そのあとは、会津若松市内、白虎隊で知られる飯盛山にある「さざえ堂」に寄りました。
二重螺旋の不可思議建物です。

さざえ堂(江戸・重文)
さざえ堂(江戸・重文)

寛政8年(1796)に、上り下り別通路の一方通行で三十三観音巡りが出来るという構造で建てられたのだそうです。
エッシャーのだまし絵の建物を見ているような気分になります。


夜は、会津の有名人気居酒屋「籠太」で。

居酒屋「籠太」
居酒屋「籠太」

会津の郷土料理の定番、けとばし(馬刺し)、こづゆ、鰊の山椒漬けなどなどを愉しみながら、ついつい飲みすぎてしまいました。


〈復元制作された慧日寺本尊・薬師如来像を観に、慧日寺跡へ〉


翌日は、朝一番で、会津の磐梯町にある、慧日寺跡へ。

昨年(2018)、復元制作された慧日寺本尊・薬師如来像が、どんなものかを観たくて出かけました。

慧日寺は、平安時代初め、大同2年(807)に南都、法相宗の高僧・徳一(とくいつ)によって開創された東北最古といわれる大寺院でしたが、その後衰亡、明治の廃仏毀釈によって廃寺となり、跡形もなくなってしまいました。

慧日寺跡に復元された中門と金堂
慧日寺跡に復元された中門と金堂

近年、慧日寺当初の姿の復元整備への取り組みが進められており、2008年に再興された金堂に、去年、当初本尊像を想定した、復元像が制作安置されたのです。

慧日寺跡金堂に安置されている復元薬師如来像
慧日寺跡金堂に安置されている復元薬師如来像

詳しい話は、観仏日々帖 「会津・慧日寺跡に、草創当初の薬師如来復元像(東京藝大制作)を安置」 に採り上げさせていただきましたので、ご覧ください。


〈現代の復元像といえども、一見の価値あるダイナミックな造形~慧日寺・薬師如来像〉


像高1.9m、台座から光背までの総高は4.2mの大型像です。

慧日寺・薬師如来復元像(東京藝大制作)
慧日寺・薬師如来復元像(東京藝大制作)

復元像は、同じ徳一開基といわれる勝常寺の国宝・薬師如来坐像を手本にして、制作されました。
東京藝術大学の保存修復彫刻研究室によって、3年かけて制作されたそうです。
前日拝した、勝常寺の薬師如来像の姿を頭に浮かべながら鑑賞しました。

慧日寺・薬師如来復元像(東京藝大制作)
慧日寺・薬師如来復元像(東京藝大制作)

流石に、勝常寺・薬師像には遥かに及びませんが、なかなかパワフルでダイナミックな存在感を感じます。
現代の復元制作像といえども、充分、一見の価値ある見事な仏像でした。


〈堂々たる阿弥陀三尊像に圧倒される~喜多方願成寺の会津大仏〉


喜多方市の願成寺を訪ねました。
願成寺には「会津大仏」の名で知られる、鎌倉時代の阿弥陀三尊像があります。
像高:2.4mの丈六仏で、重要文化財に指定されています。

願成寺は、随分広い敷地の境内でした。

願成寺
喜多方 願成寺

目指す阿弥陀三尊像は、山門、本堂を通り過ぎた奥、大仏殿と称された収蔵庫に祀られていました。

願成寺・大仏殿(収蔵庫)
願成寺・大仏殿(収蔵庫)

通常は、大仏殿の外からガラス越しの参拝となるのですが、事前にお願いして、大仏殿の中に入れていただき眼近に会津大仏を拝することができました。
京都三千院像と同じく、両脇侍が跪坐の来迎の阿弥陀三尊像です。

願成寺・阿弥陀三尊像(鎌倉・重文)

願成寺・阿弥陀三尊像(鎌倉・重文)
願成寺・阿弥陀三尊像(鎌倉・重文)

鎌倉期、13世紀前半ごろの制作とみられ、巨大な船形光背には、千仏がぎっしりと貼り付けられています。
天井近くまで仰ぎ見る大きな阿弥陀像の姿には、圧倒されるものがありました。
心安んずる来迎の世界というよりは、むしろ迫力のようなパワーを感じました。


〈何故だかカヤ材の巨木を用いた、願成寺・阿弥陀三尊像
~東北に生育しないレアーな用材の訳は?〉


大変興味深かったのは、この像の用材が、カヤ材に違いないということです。

平成16年(2004)に船形光背、千仏を修理した牧野隆夫氏は、阿弥陀像の胎内調査をした際にカヤ特有の匂いがしたことから、カヤ材像に間違いないとの指摘をしています。
阿弥陀像の体幹部は、巨大なカヤ材の、前後2材矧ぎだということです。

中央の仏像用材として一般的な、ヒノキ、カヤという針葉樹材は、関東あたりが北限で、当地では原則として生育分布していません。
東北の仏像用材としては、ケヤキやカツラが一般的です。
また、鎌倉期の大型漆箔像の用材は、中央ではほとんどヒノキ材が使われています。
またカヤ材の巨木というのは、大変数が少ないのです。

この阿弥陀像は、どうして当地では生育しない用材を用い、それも一般的ではなく数の少ないカヤの巨木を、わざわざ持ち込んで用材としたのでしょうか?
取るに足らぬどうでもいいことのようですが、私にとっては、興味津々の話なのです。


〈一番、心に残った「長床」の吹き抜け拝殿~新宮熊野神社〉


同じ喜多方の新宮熊野神社を訪れました。

新宮熊野神社
新宮熊野神社

収蔵庫・宝物殿には、藤末鎌初の文殊菩薩騎獅像(県指定文化財)などの仏像が安置されています。

新宮熊野神社・文殊菩薩像(鎌倉・県指定)
新宮熊野神社・文殊菩薩像(鎌倉・県指定)

仏像よりも、心惹かれたのは、「長床」(ながとこ)と呼ばれる大きな拝殿でした。

新宮熊野神社・長床
新宮熊野神社・長床

太い柱が林立する、吹き抜けの壮大な建物です。
九間四間の芧葺寄棟造り、藤原時代の貴族の住宅建築としての寝殿造りの主殿の形式をふんだ鎌倉初期建築で、重要文化財に指定されています。

長床に上がって、板の間に座り込んでいると、自然と心静かに安らかな気持ちになります。

新宮熊野神社・長床
新宮熊野神社・長床

涼しい風が吹き抜けてきます。
頭を空っぽにして、無心になれるような気がするのです。

今回の会津旅行で一番心に残ったのが、この「長床」でした。


お昼は、なんといってもやっぱり喜多方ラーメン。
老舗の人気店「まこと食堂」へ。
中華そば 700円、なかなか美味かった。

喜多方ラーメン「まこと食堂」
喜多方ラーメン「まこと食堂」


【8 月】


【見事な彩色の板光背に感動!~「奈良大和四寺のみほとけ展」】


東京国立博物館で開催された、「奈良大和四寺のみほとけ展」に行きました。

「奈良大和四寺のみほとけ展」チラシ

岡寺、室生寺、長谷寺、安倍文殊院から、いくつかの仏像が出展されました。
重文以上の出展像は、ご覧の通りです。

観仏リスト05・奈良大和四寺のみほとけ展出展仏像

展覧会の目玉は、室生寺弥勒堂の釈迦如来像、金堂の十一面観音像でしょう。
流石の、平安一木彫像を代表する国宝像です。

今回ちょっと気になったのは。十一面観音像の腰から下、脚部の造形が、意外と生硬で形式的な感じがしたことです。

顔貌、上半身の活き活きとした魅力的造形とのミスマッチ感を、ちょっぴりと感じました。
これまで、そんなことが気になったことは無かったのですが・・・・・・

地蔵菩薩像の板光背は、素晴らしい文様、彩色の光背です。
凄い躍動感で、あまりの見事さに唸ってしまいました。
この板光背は、現在、寺外に出て三本松中村区、安産寺にある地蔵菩薩像の本来の光背であったものです。


岡寺・義淵僧正像は、国宝に指定されていることが大納得の、傑出した優作だと思うのですが、何故だか、あまり人気がないようです。

室生寺諸像の人だかりの多さに比べて、立ち止まって観る人も少ないようで、ちょっと残念に思いました。



【東博・平常陳列で目に付いた2像~たまの陳列、松蔭寺・如来像、中宮寺・文殊像】


東博2階の平常陳列に、松陰寺・如来像と中宮寺・文殊菩薩像が展示されていました。

観仏リスト04・東博平常陳列仏像

共に東博に寄託されている像ですが、たまにしか展示されないように思います。

松陰寺・如来像(飛鳥後期・市指定)中宮寺・文殊菩薩像(鎌倉・重文)
(左)松陰寺・如来像(飛鳥後期・市指定)、(右)中宮寺・文殊菩薩像(鎌倉・重文)

松陰寺・如来像は、奈良時代末期~平安初期の、白鳳小金銅仏の模古的な像ともいわれていましたが、飛鳥後期、8世紀初めごろの制作として、2016年に横浜市指定文化財に指定された金銅仏です。

中宮寺・文殊菩薩像は「紙製」という、大変珍しい像です。



【8 月】


【酷暑にめげず三重、3寺の秘仏ご開帳へ】


「熱中症から身を守ってください!」

という言葉が、まさに実感の炎暑、酷暑で、こんな時期に出かけるのはいかがかという処ですが、三重方面に秘仏御開帳をめがけて、出かけてしまいました。

毎年8月9・10日限りでご開帳される、次の3寺です。

津市白山町の「常福寺」の秘仏・千手観音立像
鈴鹿市の「林光寺」の秘仏・千手観音立像
桑名市の「勧学寺」の秘仏・千手観音立像(8/9・10両日ご開帳)

その他、ご覧のような古仏を訪ねました。

観仏リスト06・三重3寺秘仏ご開帳ほか観仏先

常福寺・千手観音像は、三重県屈指の平安前期の優作像です。
林光寺・千手観音像は、8/9の深夜数時間限りのご開帳という秘仏です。
勧学寺・千手観音像は、ちょっと鄙びた野趣を感じる平安後期像です。

常福寺・千手観音像(平安前期・重文)
常福寺・千手観音像(平安前期・重文)

林光寺・千手観音像(平安後期・重文)勧学寺・千手観音像(平安後期・県指定)
(左)林光寺・千手観音像(平安後期・重文)、(右)勧学寺・千手観音像(平安後期・県指定)

この3寺の秘仏ご開帳については、観仏日々帖 「8/9開帳、三重3ヶ寺の秘仏を訪ねて 【その1】  【その2】」 で、紹介させていただきましたので、そちらをご覧ください。

この3ヶ寺の他には、津市の四天王寺と東明寺を訪ねました。


〈像内納入品に女性願主の想いが偲ばれる~四天王寺・薬師如来像〉


四天王寺では、平安後期の薬師如来像を拝しました。

四天王寺
四天王寺

この薬師如来像は、江戸時代に像内から数々の納入品が取り出されており、納入文書から承和4年(1077)の制作であることが明らかになっています。

四天王寺・薬師如来像(平安・重文)
四天王寺・薬師如来像(平安・重文)

薬師如来像は、大きな本堂の中の脇の立派な厨子に祀られていました。
プレ定朝様と云って良いような、平安中期的な雰囲気を感じる仏像でした。
ご住職の特段のご配意により、別に保管されている像内納入品を拝見することができました。
結縁交名状などの文書の他、女性願主の遺愛品であろうの鏡・櫛・扇骨・縫針・タカラガイなどの納入品で、この薬師像へ籠められた祈りの想いが、強く偲ばれました。


〈地区で守られる美しい藤原仏~東明寺・薬師如来像〉


東明寺・薬師如来像は、地区の人々の管理で、収蔵庫に安置されていました。

東明寺・収蔵庫
東明寺・収蔵庫

この仏像を拝しにわざわざ訪れる人は、めったにないようです。
所謂、定朝様の美しい藤原仏でした。

東明寺・薬師如来像(平安後期・県指定)
東明寺・薬師如来像(平安後期・県指定)


【三重から一足延ばして、ミホミュージアム「紫香楽宮と甲賀の神仏展」へ】


三重まで来たついでに、ミホミュージアムで開催の「紫香楽宮と甲賀の神仏展」にも行きました。

「紫香楽宮と甲賀の神仏展」チラシ

三重からミホミュージアムのある信楽までは、随分遠そうに思うのですが、レンタカーで行くと1時間ちょっとと、それほど時間がかかりませんでした。

この展覧会は、紫香楽宮に関する文化財展示ということで、紫香楽宮発掘調査などにより明らかになった古瓦、木簡などの考古遺物や、善水寺、金勝寺など湖南の寺々に伝わる仏像、神像が出展されていました。

善水寺・金堂釈迦誕生仏像(奈良)、金勝寺・僧形神像女神像(平安)、毘沙門天像(平安)、飯道寺・十一面観音像(平安)、矢川神社・男女神諸像、正福寺・十一面観音像(平安)、阿弥陀寺・薬師如来像(平安)など

が展示されていました。
出展像のなかでは、金勝寺の僧形八幡神像(平安・県指定)と毘沙門天像(平安・重文)が、私にはインパクトがありました。


ついで話ですが、ミホミュージアム所蔵の、重要文化財になっている耀変天目茶碗が展示されていました。

国宝の耀変天目三碗に次ぐ、加賀前田家伝来の耀変天目茶碗です。
確かに国宝三碗には及びませんが、一度。実見してみたいと思っていたもので、なかなかのものでした。

ミホミュージアム所蔵・耀変天目茶碗(重文)
ミホミュージアム所蔵・耀変天目茶碗(重文)