【山陽路、広島県屈指の平安古仏、摩訶衍寺の秘仏・十一面観音像】
尾道・摩訶衍寺の秘仏本尊、十一面観音像をご存知でしょうか?
33年に一度のご開帳の、厳重秘仏として守られています。
平安時代、10~11世紀の制作で、重要文化財に指定されています。
像高188㎝、ご覧のとおりの堂々たる一木彫の平安古仏です。
山陽路、広島県の平安古仏のうちでも、指を折って数える中に入る仏像だと思います。
地方仏探訪の先人として知られる丸山尚一氏は、自著の中で、摩訶衍寺・十一面観音像を称賛して、このように語っています。
「こんな地方の山寺に、これだけの木彫仏があるとは、じつは訪れるまで知らなかった。
それだけに、この仏像を見たときの喜びは大きかった。
秘仏のために、普段は拝観できないが、住職の好意でよく調べることができた。
はじめて拝む村人たちがかわるがわる集まってきては、自分たちの土地にこんな立派な仏像があったのかと、口々に驚いては帰っていった。」
(丸山尚一著「生きている仏像たち」1970年 読売新聞社刊)
「尾道で最も興味ある寺は、何といってもこの摩訶衍寺であろう。
摩訶衍寺を訪ね、さらに尾道から奥へ入った甲山の龍華寺と旧法音寺を訪ねたことが、瀬戸内側の中国地方の仏像のイメージを決定づけたといっていいかもしれない。
いまも鮮明な印象をもって浮かんでくる寺であり、仏である。」
(丸山尚一著「旅の仏たち・地方仏紀行④」1987年 毎日新聞社刊)
この文章を読んだだけで、是非とも、この眼で直に拝したい気持ちが高まってしまいます。
【33年に一度開扉の厳重秘仏が、17年ぶりの半開帳】
この33年に一度のご開帳の秘仏、摩訶衍寺・十一面観音像が、ご開帳されることになったのです。
4月28日、29日の2日間に限っての御開帳です。
前回のご開帳は、2002年のことであったそうですが、今年(2019年)は、17年ぶりに半開帳されることになりました。
この御開帳情報を知ったのは、半年ほど前のことだったのですが、
「あの摩訶衍寺がご開帳になるのだ。
これは、是非とも、拝さなければ!!」
と、満を持して、尾道まで駆けつけたのでありました。
【50年近く前に訪れ、拝観が叶わなかった「宿願の仏像」】
実は、私にとっては、摩訶衍寺の十一面観音像は、「宿願の仏像」ともいうべき仏像だったのです。
どうして「宿願」なのかというと、その昔、50年近く前(昭和47年・1972)に、この観音像を拝そうと摩訶衍寺を訪ねたのですが、拝することが叶わなかった思い出があるのです。
学生時代の話です。
同好会仲間と5~6人で、山陽路の古仏探訪の旅に出かけました。
丸山尚一氏が訪ねたのと同じ道をたどって、尾道の摩訶衍寺と世羅郡甲山町の龍華寺、旧法音寺(文裁寺)の十一面観音を拝しに出かけたのでした。
摩訶衍寺は、尾道市街から北東にバスで20~30分ほど、摩訶衍山の山上にあります。
山裾にあるバス停からは、テクテクと山登りです。
8月の暑い夏の盛り、細い山道を40~50分、汗をかきかき歩いて、たどり着きました。
当時は、車が通れる道は無くて、この山道を歩いて上るしかありませんでした。
やっとこさでお寺に到着、
「さあ、これから十一面観音をご拝観」
と意気込んだのですが、何故か、話が通じていなかったのです。ご拝観に伺いたい旨の手紙を差し上げて、了解いただいたつもりだったのですが、どういう行き違いだったのでしょうか、その日に伺うことも、うまく伝わっていなかったようです。
「せっかく訪ねてきてもらったのだけれど、ご本尊は、厳重秘仏で拝観することは叶わない。」
というお話です。何とも、ガックリです。
秘仏・十一面観音は、本堂内陣の立派なお厨子の中に祀られているようです。
お厨子の閉ざされた扉を、じっと恨めし気に眺めながら、持参した「生きている仏像たち」の本に掲載されている写真をみて、
「この中に、あの十一面観音が祀られているのだ。」
と、思いを致すしかありませんでした。
お寺の奥様やお婆さんが、
「こんなに暑い中、わざわざ訪ねてきたのに、気の毒に・・・・」
と、気を遣って、大きなスイカを丸ごと切っていただき、ご馳走になりました。汗だくのなかで食べた、そのスイカの甘くて美味しかったこと、忘れられない思い出です。
そんなわけで、摩訶衍寺の十一面観音像は、私にとっては、
「50年越しの、宿願の仏像」
になっていたのでした。
【摩訶衍山 山裾のグランドから、シャトルバスで摩訶衍寺へ】
今回のご開帳、17年ぶりということで、大勢の参詣者で交通混乱が予想されることから、摩訶衍山山裾の学校跡地にある原田芸術文化交流館のグランドに駐車、そこから、マイクロのシャトルバスに乗ってお寺に向かう段取りとなっていました。
マイクロバスに乗り換えて、10分ちょっと、舗装された山道を登っていくと、もう摩訶衍寺に到着です。
随分高い処で、眼下に瀬戸内海を望む、山上です。
「昔、ここまで歩いて上ってきたのだ。」
50年前のことが、懐かしく思い出されます。狭い境内には、大勢の方々が、秘仏御開帳に訪れていました。
【宿願の対面~すらりと長身、キリリと引き締まったお顔が魅力的な観音像】
目指す、十一面観音像は、収蔵庫の中に祀られています。
回向柱に手を掌せ、収蔵庫の中へ、そして宿願のご対面です。
十一面観音像のお姿が、眼に入ります。
有難いことに、お像のすぐそばに近寄って、極々眼近に拝することができました。
すらりと長身、腰高なプロポーションの見事な一木彫像です。
穏やかさを匂わせながらも、キリリと引き締まった顔貌が印象的です。
魅力的で、惹きつけられるものがあります。
目鼻の彫り口には鋭さもあり、面奥も結構深くて、頭部だけを拝していると、平安前期の空気感のある10世紀ごろの制作かなという感じがします。
プロポーションをみると、腰から下、下半身はしっかりと厚みがしっかりあって、どっしり感がありますが、上半身の胸厚は薄目で、ボリューム感が少ないのが特徴的です。
衣文の彫りも、やや浅くて、形式的な整い方といえるようです。
このあたりをみると、11世紀、平安後期の雰囲気を感じます。
【「11世紀初めころの制作」との専門家の解説】
専門家の解説をみると、このように記されています。
「頗る重量感のある堂々とした姿態になるが、衣文の調整は概して浅い。
胸裏あたりに背刳りがしてある。
平安後期の作。」
(「仏像集成第8巻」浜田宣氏解説 1997年 学生社刊)
「本像はヒノキ材の一木造、彫眼の素木像で、・・・・・背面腰部に内割を施し、長方形の蓋板を当てる。
上半身に比べて腰以下に厚みがあり、また腰高に形制されているが、いかにも素材の制約を受けた体幹部の肉付けをみせている。
面長な面相いっぱいに眼鼻立ちを刻んでいるが、ひかえめな彫り口をみせているし、体部の肉取り、条帛、衣文様の彫りも形式的に整美され、初期一木彫像のもつ質量感からは遠ざかっている。
作期は十一世紀初頭頃と考えて大過なかろう。」
(「国宝重要文化財・仏教美術~中国2」1980年 奈良国立博物館刊)
以上のように、11世紀に入ったころの一木彫像ということのようです。
すらりとのびやかな長身、腰高のプロポーションが印象的です。
そして、キリリと締まった凛とした顔貌には、強く惹きつけられるものがあります。
地方作の匂いを漂わせる平安古仏ですが、こうした地方仏の中でも、見事な仏像であると実感しました。
「宿願の仏像」に、ようやく出会え、やってきた甲斐がありました。
【「日本の秘仏ベスト10」にラインアップされている、摩訶衍寺・十一面観音像】
受付で、ご開帳記念の「お札」や「名刺大の観音像のお写真」などを頂きました。
頂戴したお写真には、
「33年待ってでも見たい 日本の秘仏ベスト10」
と書かれていました。「日本の秘仏ベスト10」というのは、どういう仏像のことなどだろうと、NETで調べてみた処、
雑誌「和楽」2015年9月号に
「死ぬまでに見たい! ニッポンの秘仏ベスト10」
と題する、特集が組まれているのを見つけました
その第7番目に「33年待ってでも見たい 摩訶衍寺の十一面観音像」がラインアップされていました。
因みに、この特集で選ばれた
「死ぬまでに見たい! ニッポンの秘仏ベスト10」
は、以下のとおりでした。ラインアップをみると、「秘仏」と呼ぶには、比較的簡単に拝することが出来たり、展覧会に出展された仏像もありますので、これを「ニッポンの秘仏ベスト10」と呼んでいいのかな?という感じもしてしまいます。
私は、宿願の摩訶衍寺・十一面観音像の拝観を果たすことができましたので、この
「死ぬまでに見たい! ニッポンの秘仏ベスト10」
を、もう全部拝したことになりました。
「“死ぬまでに見たい!” を、これでもう全部見てしまったということは・・・・??」
と、何とも妙な気分になってしまいました。
【大注目の大変古様な一木彫像~並んで祀られる千手観音像】
収蔵庫には、秘仏・十一面観音像の隣に、腕の欠失した千手観音像が安置されていました。
像高104㎝、ご覧のような、千手観音像です。
一目見ただけで、大変古様な平安の一木彫像であることがわかります。
蓮肉まで一材から彫出されており、千手腕部の遺された部分も体躯と一材彫出のようです。
地方的な匂いがプンプンする仏像ですが、十一面観音像よりも制作年代が一段と古い像であることは間違いありません。
戦前には、重要美術品の指定を受けていました。
丸山尚一氏も、この千手観音像に強く惹かれるものを感じたようで、このように語っています。
「一木彫りの千手像も、豊かさをもった魅力のある彫像である。
・・・・・・
側面から見たとき、その太い首から頭にかけての強靭な肉付けが、白熊の首筋を連想させた。
この強靭な肉付けこそ、作者がこの彫像に託した強い作意の表われなのであろう。
実は改めてこの寺を訪ねることになったのも、この小柄だが強さを全身にみなぎらせた千手像の魅力に触れたかったためであった。」
(丸山尚一著「旅の仏たち・地方仏紀行④」1987年 毎日新聞社刊)
この千手観音像、採り上げた本や資料を見かけたこともなく、ほとんど知られていないといってよい平安古仏だと思います。
10世紀以前に遡る制作のように感じます。
造形表現も制作技法も大変古様な地方作の一木彫像として、もっともっと注目を浴びてよい、興味深い古像だと思いました。
摩訶衍寺の秘仏・十一面観音像のご開帳。
50年越しの「宿願の仏像」に出会うことができ、満足感一杯でお寺を後にしました。