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観仏日々帖

あれこれ~中国石窟探訪旅行記 「中国 四川省 古仏探訪の旅」 連載スタート  【2018.8.25】


沼田保男氏の、中国石窟・石仏探訪旅行記の第4弾、

「中国 四川省 古仏探訪の旅」

の連載が、 神奈川仏教文化研究所HP でスタートします。


中国 四川省 古仏探訪の旅


毎週、全9回連載で掲載させていただきます。


前回掲載の第3弾「中国河北省・山東省の古仏を訪ねて」から、ほぼ3年ぶりの中国仏像旅行記となります。

沼田氏の、並大抵ではないマニアックな中国仏像石窟の探訪、踏破ぶりは、これまで掲載の中国石窟旅行記をご覧いただいても、お判りのとおりと思います。
今回の「四川省 古仏探訪の旅」は、それに輪をかけてという感じの、普通ではなかなか訪ねるのが難しい石窟寺の数々を訪ねます。

四川省の石窟とか仏像といわれても、皆さん、余りなじみがないのではないでしょうか?

私などは、四川方面といわれると、大足石刻、楽山大仏という巨大石仏、成都万仏寺出土の石仏といった名前を、かろうじて知っているというぐらいです。


沼田氏の今回の四川方面探訪は、四川博物院で開催された大規模仏像展「梵天東土展」を観ることも、大きな目的であったということですが、

石窟寺などは、

「皇澤寺、広元千仏崖、巴中南・西龕、閬中大仏、碧水寺摩崖仏、梓潼千仏崖、蒲江飛仙閣」

といったところを巡っています。

唐代を中心とした北魏時代からの石仏龕ということですが、私には、全く聞いたこともないところばかりです。

余程のツァーでも、まず訪れることはない処だと思います。
旅程を段取りして、スケジュール予約するのも、マニアックすぎて難しかったようです。


沼田氏自身も、探訪記の中で、

「四川省でもメインの観光地から離れたほとんど人の行かない地であったにもかかわらず、往復のフライトと初日の宿のみ予約し、その後はまさに“出たとこ勝負”という信じ難い旅であった。」

と、綴られています。

地元のタクシーでも、場所が判らないといったことも、折々あったようです。
こうした誰も訪れないような石窟寺を巡れることが出来たのは、事前のターゲット・リサーチと、中国在住のご友人と共にごく少人数で巡った旅であったからこそと思います。


四川地域の石窟、仏像については、近年になって、注目を浴びてきているようです。

ご存知の通り、四川地域は、中国南北朝時代では南朝エリアにあります。
仏像遺品が豊富な北朝に比べ、極端に遺品が少ない南朝にあって、近代になって四川地域から相次いで石仏遺品が出土していることが、「仏像様式の南北議論」を活発にしているようです。
しかしながら、四川地域の仏像は、単純に南朝様式文化エリアという訳ではなく、唐代に至るまで、多様なルートでの文化伝播ルートが想定されるなど、中国仏教彫刻愛好家にとっては、大変興味深い処のようです。

一方で、四川地域の仏像について採り上げて論じたりする本も、ほとんどなくて、私の知っている限りでは、

「仏教美術から見た四川地域」 (奈良美術研究所編、2007年・雄山閣刊)

ぐらいしか、無いように思います。

今回の探訪記に綴られた、諸々の石仏についての鑑賞記や写真画像なども、これまでの日本の中国彫刻についての出版物では、ほとんど採り上げられていないのではないでしょうか。


「四川省 古仏探訪の旅」をご覧いただいて、「知られざる四川地域の古仏像」について知っていただくと共に、沼田氏ならではの深い造詣で綴られた旅行記を、是非、お愉しみいただければと思います。



これまで掲載させていただいた、沼田保男氏の中国石窟旅行記は、次のとおりです。
併せて、お愉しみいただければと存じます。


中国山西省 雲岡石窟・古寺・古仏 感動の旅  (2010年) 

黄河上流域 遥かなる石窟の旅   (2011年)

中国河北省・山東省の古仏を訪ねて   (2015年)



新刊・旧刊案内~「仏像と日本人ー宗教と美の近現代」 碧海 寿広 著  【2018.8.18】


ちょっと変わった切り口の、興味深い本が出版されました。


「仏像と日本人-宗教と美の近現代」 碧海寿広著 2018年7月 中公新書刊 【255P】 860円


「仏像と日本人ー宗教と美の近現代」碧海 寿広 著


【近代日本の仏像鑑賞の移り変わり、様々な視点を辿った本】


明治維新以降、現代にいたるまで、近代日本における「仏像鑑賞の有様、移り変わり」を、文化財保護にかかわった人、仏像鑑賞する教養人、随筆家、仏像写真家などなど、諸々の視点からたどっていった本です。

仏像鑑賞随筆や、仏像ガイドブックといった本は、これでもかというほど沢山あるのですが、「近代日本の仏像鑑賞を辿る」というテーマでまとめられた単行本は、この本が初めてなのではないでしょうか。

本書の表紙扉には、このような内容紹介がされています。

「仏像鑑賞が始まったのは、実は近代以降である。
明治期に吹き荒れた廃仏毀釈の嵐、すべてに軍が優先された戦時下、レジャーに沸く高度成長期から、“仏像ブーム”の現代まで、人々はさまざまな思いで仏像と向き合ってきた。
本書では、岡倉天心、和辻哲郎、土門拳、白洲正子、みうらじゅんなど各時代の、“知識人”を通して、日本人の感性の変化をたどる。
劇的に変わった日本の宗教と美のあり方が明らかに。」

このように綴っても、この本の内容のイメージが、きっと頭に浮かんでこないことと思います。


「目次」をご覧ください。

「仏像と日本人」 目次

「仏像と日本人」 目次

「目次」の各章の項目と小見出しをご覧いただくと、
「なるほど、こんなテーマについて書いた本なのだ。」
ということが、およそ想像がつかれたのではないでしょうか。

「近代仏像鑑賞概史」と称してもよいような内容になっています。

これらのテーマを、こんなふうにまとめた類書は、無かったように思います。
目次の各項目、一つ一つのテーマについて採り上げた小論、論考などが、美術雑誌に掲載されているものは、探すといろいろあるのですが、ひとまとめにして単行本にしたものは、初めてみました。



【これまでになかった近代仏像鑑賞概史とも呼べる本~美術作品と宗教的対象の二面性の視点で語る】


著者の碧海寿広(おおみとしひろ)氏は、本書の「まえがき・あとがき」で、本書の執筆意図や内容などについて、このように記しています。

碧海 寿広 氏
碧海 寿広 氏
「近代以降、西洋的な美術鑑賞の文化が日本に輸入され、やがて、仏像もまた美術品ととらえる風習が形成される。
その結果、仏像を信仰対象として拝むのではなく、美術品として鑑賞し語る人びとが増えた。
本書が詳しく論じるのは、こうした仏像をめぐる近代以降の変化である。
・・・・・・・
本書は、こうして美術と宗教のあいだで揺れ動く、近現代の日本人の心模様を追跡する。
そして、そこに見出される、新しい宗教性の諸相を明らかにしていきたい。」

「仏像の本は少なくない。
・・・・・・・・
が、本書のように、日本人と仏像の関係や、仏像をめぐる人びとの想像力や宗教性をテーマにした著作は、あまり多くない。
特に、近現代の仏像を取り巻く状況に関して、この種の検証や考察を行った書物は、これまで皆無だったと思う。
前例がないため、執筆にはさまざまな創意工夫が必要であった。
そうして試行錯誤のすえ完成した本書は、宗教学的な議論を基調にしながらも、美術史をはじめ多様な学問分野に接続した、学際性の豊かな作品に仕上がったと自負する。」

碧海寿広氏は、龍谷大アジア仏教文化研究センター博士研究員を務める、近代仏教研究者で、「入門 近代仏教思想 (ちくま新書)」などの著作があります。

中公新書HPには、【著者に聞く『仏像と日本人』/碧海寿広インタビュー】が掲載されています。



【「近代日本と仏像」に関する話は、私の最も関心あるテーマで興味津々】


皆さん、この本に、ご興味、ご関心を持たれましたでしょうか?

私は、明治以降、「近代における仏教美術、仏像に関する話や出来事」は、最も関心のあるテーマです。
「どうしてか?」
と聞かれても、困るのですが、「仏像鑑賞、仏像愛好の世界」以上に、面白く興味深くて、いろいろ調べてみたりしています。

神奈川仏教文化研究所HPの「埃まみれの書棚から」連載にも、「近代奈良と古寺・古文化をめぐる話 思いつくまま」と題して、近代の古寺、仏像にまつわる話を掲載させていただいています。

本書「仏像と日本人」の採り上げテーマに関する話では、次のような話を採り上げたことがあります。

二人の県令、四条隆平・税所篤~廃仏知事と好古マニア(廃仏毀釈の話)

明治の文化財保存・保護と、その先駆者~町田久成・蜷川式胤

奈良の仏像写真家たちと、その先駆者


そんなわけで、この本は出版予告の段階から興味津々で、発売日に即座に購入したのでした。

馴染みの深いテーマの本でしたので、一気に読破してしまいました。
私には、大変、面白く、興味深い内容でした。
近代における仏像鑑賞とそれを取り巻くテーマについて、コンパクトにわかりやすくまとめられています。
「近代仏像鑑賞史」を、「美術作品としての仏像、宗教的対象としての仏像」のはざまという視点で、流れをたどった読み物のようになっていました。
様々なエピソードなども、いろいろ挿入されており、愉しく読み進めます。

「目次」のようなテーマに、ご関心がある方には、格好の必読書です。
それほどの関心がない方も、仏像好きの方なら、是非、一読をお薦めします。

結構、幅広く多面的な切り口から書かれていますので、面白い話が並んでいるのですが、ちょっと羅列的に登場するなとか、それぞれのテーマについてもう少し掘り下げて知りたいという印象もありました。
新書というボリュームの制約がありますので、致し方ないことだとは思いますが・・・・・

この切り口、テーマでの、第2弾の著作が、いずれ発刊されるのを、期待しています。



【関連本を3冊ご紹介~ご関心ある人へ】


最後に、このテーマに興味を待たれた方のために、関連本を、絞り込んで3冊だけ、ご紹介しておきます。


「〈日本美術〉の発見」 吉田千鶴子著 (2011年) 吉川弘文館歴史文化ライブラリー 【209P】 1700円

「日本美術の発見」

明治維新から始まる、明治期の古美術品、文化財の調査、保存保護の歴史とその取り組みについて、時系列に体系的に、きわめて判りやすく綴られています。
副題には「岡倉天心がめざしたもの」と付され、岡倉天心はが、いかに古物、宝物を「美術」品として再評価させたのか。
フェノロサらと関わりつつ古美術保護に献身し、「日本美術」発見にいたる天心の足跡が記されています。


「仏像と近代」浅井和春執筆 (1993年) 東京国立博物館「大和の古寺の仏たち展図録」所収 

「大和の古寺の仏たち展図録」

東博で開催された特別展「大和の古寺の仏たち」の図録です。
冒頭、10ページに亘って、浅井氏の「仏像と近代」と題する一文が掲載されています。
今般出版の「「仏像と日本人」の内容の、エッセンス、超コンパクト版といった内容ですが、たいへん判りやすくまとめられています。


「写された国宝」(2000年)東京都写真美術館企画監修・同名特別展図録 【173P】

「写された国宝展図録」

この展覧会は、明治初年の横山松三郎から現代に至るまでの代表的仏像写真作家達を時系列で振り返る画期的な写真展でした。
いわゆる近代仏像写真の歴史を、一覧することが出来る、貴重な図録です。
それぞれの写真作家たちの特色、魅力についても丁寧に解説されており、「写された国宝~日本における文化財写真の系譜」(岡崎章子)と題する、充実した解説・論考も載せられています。
明治初期からの文化財、仏像写真の歴史とその系譜を知るには、必携必読の本です。


トピックス~会津・慧日寺跡に、草創当初の薬師如来復元像(東京藝大制作)を安置(7/30)  【2018.08.10】


福島県、会津の磐梯町にある、慧日寺跡を訪ねられたことがあるでしょうか?


慧日寺跡~再興中門・金堂を望む
慧日寺跡~再興中門・金堂を望む



【南都の高僧、徳一開基、大同年間草創の会津・慧日寺】


慧日寺は、平安時代初め、大同2年(807)に僧・徳一(とくいつ)によって開創されました。

ご存じのとおり、徳一は南都、法相宗の高僧で、天台宗の開基、最澄と「三一権実諍論」と呼ばれる大論争を繰り広げたことなどで知られています。
布教活動のために、会津地方や東国に下り、慧日寺のほか会津・勝常寺や、筑波山・中禅寺、茨城石岡・西光院などを建立したと伝えられています。

なかでも、慧日寺は、東北地方で開基が明らかになっている最古の寺院で、東北の中心的寺院として隆盛し、大伽藍を誇ったといわれています。
草創時の本尊像は、室町初期に焼失したようです。
戦国時代には、戦渦に巻き込まれ、江戸初期には金堂も焼失するなどして、衰亡しました。
その後に、薬師堂、本尊・薬師如来像などが再興されましたが、明治の廃仏毀釈によって廃寺となり、再興本尊も再び焼失してしまいました。



【一度は訪ねてみたい国指定史跡、慧日寺跡~資料館や再興金堂・中門が】


慧日寺跡は、東北の仏教文化発祥の地として、昭和45年(1970)に国の史跡に指定されると共に、伽藍の発掘調査が進められ、その遺構が明らかになってきています。

史跡・慧日寺跡俯瞰
史跡・慧日寺跡 俯瞰

また、地元あげて、史跡の保存保護、慧日寺当初の姿の復元整備への取り組みが進められています。
昭和62年(1987)には、「磐梯山慧日寺資料館」が開館するほか、2008年に金堂が復元、翌年には中門の復元が実現しています。

慧日寺・再興金堂~2008年再興復元
慧日寺・再興金堂~2008年再興復元

私は、会津の仏像探訪には何回も行ったことがあるのですが、慧日寺跡には未だ訪れたことがありません。
東北の仏教文化を語るには、大変重要な古跡で、伽藍史跡も遺されているので、訪ねていないとおかしいのですが、「仏像」のないところには、どうしても足が向かなかったというのが、本音のところなのかもしれません。

唯、もし慧日寺の当初本尊像が、遺されていたならば、それは見事で素晴らしいものであったことは間違いありません。
ご存じのとおり、会津で、徳一開基を伝える勝常寺には、優れた平安古仏が多数残されています。
本尊・薬師如来像は9世紀前半に遡るもので、東北地方の仏像の中でも、唯一、国宝に指定されているという見事な傑作です。

会津 勝常寺・薬師如来像(平安前期・国宝)
会津 勝常寺・薬師如来像(平安前期・国宝)

慧日寺は、勝常寺よりもはるかに大寺であったでしょうから、それこそ、どれほど凄い本尊像であったのだろうと想像を逞しくしてしまいます。



【慧日寺草創時の本尊・薬師如来像の復元像が完成、再興金堂に安置】


この慧日寺の創建当初の本尊・薬師像、即ち平安初期、大同年間の草創像が、この度、復元制作されたのです。
7月30日、慧日寺再興金堂に、復元制作薬師如来像が、安置されました。

7/30に慧日寺・再興金堂に安置された、復元薬師如来像
7/30に慧日寺・再興金堂に安置された、復元薬師如来像

復元制作像は、東京藝術大学藪内佐斗司教授が監修し、同大学の保存修復彫刻研究室の手で、約3年をかけて制作され、このほど完成したものです。

会津・慧日寺に、草創像を想定した像を制作安置する計画が進められていることは知っていましたので、

「いったいどのような像容の仏像が、制作されるのだろうか?」
「会津・勝常寺の薬師如来像の模造のようなスタイルになるのだろうか?」

と、興味深く愉しみにしていたのですが、ついに完成安置に至ったということなのです。

新聞各紙は、慧日寺・薬師如来坐像の復元完成安置を、こぞって報道しました。

河北新報は、

「<福島・磐梯 慧日寺跡金堂> 輝く薬師如来坐像 復元 明治に焼失150年ぶり安置」

という見出しで、このように報じています。

「福島県磐梯町の国指定史跡「慧日寺跡」に再建された金堂内に安置する薬師如来坐像の復元が完了し、現地で30日、除幕式があった。
慧日寺・復元薬師如来像完成安置ポスター
慧日寺・復元薬師如来像完成安置ポスター
平安時代に高僧、徳一が開いた会津仏教文化発祥の地は、1200年の時を超えてよみがえった。
薬師如来坐像は光背を含めて高さ4.2メートル。
ヒノキの寄せ木造りで、漆と金箔を施した。

町の委託を受け、東京芸術大大学院の藪内佐斗司教授が監修し、同大学院保存修復彫刻研究室が約3年かけて制作した。
2008年に復元された金堂は白と朱が基調。
薬師如来坐像は金堂に渋い輝きを放ち、いにしえの仏都の雰囲気をほうふつさせた。

慧日寺は807年創建。
会津地方の仏教文化の中心だったが、明治初期に廃寺となった。
薬師如来坐像は明治期に火災で焼失し、安置は約150年ぶり。
町は1970年の史跡指定後、歴史的景観の再現に取り組み、博物館施設として復元した金堂に続き、09年に中門を整備した。
展示物となる薬師如来坐像の復元費用は約9000万円。
地元企業や住民らの寄付で全額賄った。

除幕式には約70人が出席。
東京芸大の澤和樹学長がバイオリンの記念演奏を披露した。
五十嵐源市町長は
「金堂復元から10年。歴史を今に生かし地域の宝として後世に伝えたい。住民、企業、行政皆で作り上げることができた」
と語った。」



【復元費用は、9000万円】


この記事を読んで、印象深かったのは、

「復元費用に、9000万円もかかったのか!」

という処です。

2013年に完成した、唐招提寺の鑑真和上像(脱活乾漆)の模造制作費用が3000万円ということでしたが、その3倍ということになります。
総高4.2メートル(像高1.9メートル)という巨像の復元制作ともなると、このぐらいの費用は当然ということなのかもしれません。



【一木造りではなくて、寄木造りで制作~100本以上の材を木寄せ】


もう一つ、記事の中でアレッと思ったのは、

「ヒノキの寄せ木造りで・・・・」

という処です。

「大同2年(807)草創期の像となれば、一木造りしかないでしょ。
会津・勝常寺の薬師如来も、一木割矧造りなのに、どうして寄木造り?」

と思ったのです。

ちょっとNETで調べてみたら、「復元像制作記念誌」が発刊されていて、そのPDFが「東京藝大保存修復彫刻研究室のHPに掲載されていました。

そこには、寄木造りとした訳について、このように書かれていました。

「造像当時の慧日寺薬師如来像は、平安時代初期という時代から見て巨木から像のほとんどを彫り出した一木造であったと考えられます。
しかし現在ではそのような巨木は極めて貴重であり、彫刻制作に用いることはできません。

そこで今回の復元制作では、反りの少ない良質な天然木曽ヒノキを用いた寄木造を採用しました。
15cm 角の材を中心とし、本体だけで100 本以上の材を使用しました。
内刳りとして内部を空洞にする部分は無駄になるため、CGも用いてその部分を省いた木取りを行いました。」


CG を援用した木寄せ設計復元像の木寄せ図材木が仮組された復元像
CG を援用した復元像の木寄せ設計図 と 材木が仮組された復元像

成る程、いまどき、こんな巨像を一木で造れるような巨木はどこにも存在しないのだ。
寄木造りで造るしか方法がなかったのだと、納得です。
それにしても、100本以上の膨大なヒノキ材を寄せたという技巧には、二度ビックリです。
もし、一木造りに近い巨材を世界中から探して制作したりしたら、数億円かかっても難しかったのかなと、今更ながらに感心してしまいました。

「復元像制作記念誌」(東京藝大保存修復彫刻研究室HP・PDF掲載)は、慧日寺本尊薬師像の歴史と、復元制作像の制作プロセスが詳しくわかる、興味深い資料です。



【復元像の像容は、会津勝常寺・薬師如来像にそっくり】


さて、復元制作像の像容は、どのような姿になったのでしょう?

復元制作された慧日寺・薬師如来像

復元制作された慧日寺・薬師如来像

復元制作された慧日寺・薬師如来像
復元制作された慧日寺・薬師如来像

同じく徳一開基と伝えられる、会津・勝常寺の薬師如来像と較べてみましょう。
繰り返しになりますが、勝常寺・薬師如来像は、徳一ゆかりといわれるバリバリの平安初期一木彫像で、東北の仏像で唯一の国宝に指定されている傑作です。

会津 勝常寺・薬師如来像
会津 勝常寺・薬師如来像

如何でしょうか?

全体としては、よく似ています。
やはり、勝常寺・薬師如来坐像を「本歌」として、復元制作されたように思います。

通肩の衣の衣褶の形状や、左足先の半分だけ衲衣でくるんだ形式などは、同様です。
復元像の方は、写真で見ているだけなので、何とも言えない印象論になってしまいますが、
全体のボリューム感、胸の厚みや、眼の釣上がり方、突き出した唇などの顔貌の表情も、そっくりという感じがします。

ただ、勝常寺像の方が、慧日寺復元像よりも、キリリと引き締まった感じがするように思うのですが、
これはやはり、勝常寺像は、平安初期当初の制作だからでしょうか?
それとも、慧日寺像の方が、かなりの大型像 (勝常寺像:141.8㎝、慧日寺像:190㎝) であるからでしょうか?

いずれにせよ、慧日寺の復元本尊像、現代の復元像といえども、なかなかパワフルでダイナミックな存在感を感じます。
一見の価値ありという思いが強くなってきました。

いずれまた、会津方面に観仏探訪に出かける機会があったら、今度こそ慧日寺跡を訪れて、復元本尊像の姿を観に訪れてみたいものです。



【仏像模造制作、修理修復の研究発表などを進める、東京藝大「保存修復彫刻研究室」】


ところで、復元像制作の中心となった藪内佐斗司氏は、東京藝術大学の教授で、仏像彫刻の修理修復研究者として著名な仁です。
「せんとくん」
「せんとくん」
また、現代彫刻家としても活躍中で、平城遷都1300年記念事業のマスコット「せんとくん」の制作者としても有名です。

この薮内教授が指導に当たる東京藝術大学の「文化財保存学専攻保存修復彫刻研究室」では、近年、仏像彫刻技術に関する公開の研究発表会や、仏像模造制作発表会などが活発に行われています。

仏像彫刻を中心に文化財の保護の現場での理論と実技の両方が判る有為な人材を育成するために設けられた研究実践の場ということだそうで、今般の、慧日寺・薬師如来像の復元制作をはじめ、数多くの著名仏像の復元制作が行われています。

昨年(2017年)に、奈良柳生の円成寺の多宝塔に新たに安置された、運慶作大日如来像の模造も、この研究室の藤曲隆哉氏の研究制作によるものです。
この模造研究制作の過程で、
「運慶が康慶工房の図面を利用しながら、姿勢の傾斜角度を変える工夫をするなど、独自の創造性を発揮している」
ことが判明したという、興味津々の研究発表がされたのを、覚えておられる方もいらっしゃるのではないかと思います。

ごく直近では、東大寺において「東京藝術大学が育む文化財保護の若き担い手達展」(7/27~8/7)が開催され、研究発表会などもありました。

「東京藝術大学が育む文化財保護の若き担い手達展」ポスター

先ほどもご紹介しましたが、この「文化財保存学専攻保存修復彫刻研究室」のWEBサイトは、仏像彫刻にご関心ある方には、大変興味深く勉強になるものです。
研究発表会や模造制作のニュースをはじめ、仏像の制作技法、修理修復などに関するオンラインレクチャーなどが掲載されています。

是非、一度、ご覧になってみることをお薦めします。