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観仏日々帖

古仏探訪~回想の地方仏探訪③  「岩手 水沢・黒石寺」  【2018.4.28】


黒石寺の薬師如来像。

50年近く前、その魁偉な異貌を、眼の前に拝した、強烈なインパクトと感動は、今もこの眼に焼きつき忘れられません。

はじめての地方仏探訪旅行で、

「黒石寺の薬師像と出会ったこと。」

これが、私を地方仏巡りの世界に誘い込んだ、そして、その魅力にハマってしまった、記念碑的な出会いであったと思います。

黒石寺・薬師如来像(貞観4年~862年銘・重要文化財)
黒石寺・薬師如来像(貞観4年~862年銘・重要文化財)



【みちのく地方仏の代表格、貞観4年銘のある黒石寺・薬師像】


ご存知の通り、黒石寺の薬師如来像は、貞観4年(862)の墨書銘が残されています。

我国9世紀平安初期彫刻の中で、唯一の年紀の記された在銘像です。
何故だか、東北みちのくの辺境の地に遺されているのです。

それよりも何よりも、注目されたのは、都の仏像とは全く違う、威嚇的で恐ろし気な特異な容貌をしていることでした。
まさに「みちのくの地方仏」の代表格として語られる平安古仏です。



【お寺を管理する渡辺さん宅に泊めていただいた、黒石寺探訪】


黒石寺を訪ねたのは、昭和46年(1971)の8月のことです。

当時は、黒石寺はご住職がいない無住のお寺で、お寺のそばにお住いの渡辺熊治さんが管理をされているとのことでした。
教育委員会から、そのように教えてもらいました。

渡辺さんのお宅にご連絡をして、拝観のお願いをしました。

「前日、水澤駅あたりの宿に泊まって、10人ほどで、朝一番でそちらへ伺いたいと思っているのですが・・・・」

「へえー、学生さんたちで、関西からわざわざやってくるの?
ここまでのバスも一日何本もないから、そういうことなら、皆で我が家に泊まったらどうですか。
是非、そうすれば良いよ。」

「本当に泊めていただいてよろしいのですか。
それでは、お言葉に甘えて・・・・・・」

こんな具合で、厚かましくも、渡辺さんのお宅に泊めていただくことになったのでした。

黒石寺は、岩手県奥州市水沢区黒石町という処にあります。
水沢の駅から、一日2~3本しかないバスに乗って黒石寺に向かいました。
バスに30分ほど乗って、黒石寺に到着したのは、もう夕暮れ時だったように思います。

渡辺熊治さんのお宅は、黒石寺のすぐそばにありました。
大きなお宅でした。
10人ほどの大勢で押し掛けたにも関わらず、ご家族の方には、本当に心づくしのお世話になってしまいました。
夕飯まで用意いただいて、都会から来た学生だということで、ハムエッグやカツなどをわざわざ作っていただいたように覚えています。

お世話になった渡辺熊治老
お世話になった 渡辺熊治 老
お寺を管理されている熊治さんは、「みちのくの古老」といった感じで、7~80歳ぐらいのおじいさんに見えました。
地元では、「熊んつぁん」と呼ばれているようです。
「熊んつぁん」から、いろいろと話しかけられるのですが、生粋の東北なまりで、何を言っているのかほとんどわからないのには往生しました。

黒石寺の昔話などを、いろいろ聞いたように思います。
そのうちに「熊んつぁん」が、大きな声で
「〇×△~~ 〇×△~~」
と何度も話すのですが、何を言われているのかサッパリわかりません。
どうしたらいいのかドギマギしていると、お嫁さんがやってきて、
「お爺さんが、お風呂に入れ、と言ってるんですよ」
と教えてくれました。

見ず知らずの学生たちに、心温まる歓待をいただきました。
大変な面倒をおかけしてしまったのですが、只々、渡辺家の皆さんに甘えるだけで、何のお礼もせずに、タダ乗りしてしまったように思います。
学生とはいえ、あまりに常識のないことで、振り返ると恥ずかしきばかりです。



【朝陽降り注ぐなか、魁偉・異貌の薬師像と対面~発散するオーラに衝撃的インパクト】


翌朝、「熊んつぁん」に伴われて、黒石寺に向かいました。

真夏でも、早朝は、ひんやり清々しさが漂っています。
朝陽が降り注ぐ中、朝露に濡れた夏草をかき分け踏みしめて、階段を上ります。
薬師堂の隣に、コンクリート造りの収蔵庫があり、薬師如来像はそこに祀られていました。

黒石寺・薬師堂
黒石寺・薬師堂

薬師如来像が安置される、黒石寺収蔵庫
薬師如来像が安置される、黒石寺収蔵庫

「熊んつぁん」が、錠前に鍵を入れてガチャリと開け、鉄の扉がギーッと開かれました。
黒ずんだ姿で、堂々たる体躯の薬師如来像が眼に入ってきました。

強烈なインパクトです。
なんといっても目を見張るのは、特異な顔貌です。

「荒々しく大粒の螺髪、目尻の強烈に吊りあがった厳しい眼、尖るように突き出した唇。」

尋常ではない、怖い顔です。

黒石寺・薬師如来像
威嚇的で魁偉な顔貌の黒石寺・薬師如来像

人を威嚇するような恐ろしげな顔で、周囲を畏怖するのに充分な面貌です。
こんな顔で睨まれると、本当に、足がすくんでしまいそうです。
呪術的というのでしょうか?魔力的というのでしょうか?
異様なオーラとしか言いようがありません。

この薬師如来像が「魁偉な異貌」であることは、写真を見て、一応は判っていた筈だったのです。
でも、本物を直に眼前に拝した驚きは、そんなものではありませんでした。
その姿は、イメージをはるかに超えた、衝撃的なものでした。
発散する迫力がビンビンと伝わってきて、その場に立ち尽くしてしまいました。

昭和46年訪問時に撮影した黒石寺・薬師像の写真

昭和46年訪問時に撮影した黒石寺・薬師像の写真

昭和46年訪問時に撮影した黒石寺・薬師像の写真
昭和46年訪問時に撮影した黒石寺・薬師像の写真
この迫力に感激しました



【「蝦夷を威嚇する守り神として造られた薬師像」という話に、心より共感】


こんな、都にはみられない威嚇的な顔貌の仏像が、みちのくの地で造られた訳は、このように考えられているということです。

「当時、東北の開拓にあたり、蝦夷と厳しく対峙した人たちが、その前進基地において、その脅威に立ち向かい、蝦夷を威嚇する頼りになる仏像を、守り神として造ったに違いない。
黒石寺のある地は、陸奥の国府よりまだ北辺、前進基地の胆沢城のすぐ近くに位置する。
それ故に、誰もが畏怖するような、恐ろし気な容貌の仏像を造ったのだ。」

この薬師像のお顔を観ていると、この話が、本当に真に迫ってきます。
この地の開拓にあたった人々が、いかに蝦夷を恐れ、ひたすら神仏の加護に頼り、戦々恐々とした毎日を送っていたかが判るような気がしてきました。

厳しいみちのくの地の切羽詰まった限界状況の中で、この黒石寺の
「蝦夷に対する恐怖を振り払い、威嚇する仏像」
にひたすら安寧を祈った人々の姿が、思い浮かぶようです。

このような造像背景というのが、真実なのかどうかは判りません。
しかし、この魁偉で威嚇的な薬師像の前に立ち、みちのくの辺北の地に、何故、特異で魁偉な顔貌の薬師像がつくられたのかに思いを致すとき、
私たちは
「なるほど!そうに違いない!」
と、心よりの共感、深い感動を覚えたのでした。



【忘れ得ぬ感動と感激~地方仏の魅力に引き込まれる】


奈良、京都の見事な造形の美しい仏像しか観たことがなかった私には、衝撃的な出会いでした。
粗野というのか、決して上手い出来の仏像という訳はありません。
そんなこととは関係なく、発散するオーラはものすごくて、強烈なインパクトに圧倒されてしまいました。

感動しました。感激しました。

東北、みちのくの地まで訪ねて来て、「熊んつぁん」のお宅に泊めていただいて、早朝、朝陽降り注ぐ中で薬師像を拝したというシチュエーションも、黒石寺・薬師像との出会いの感動を、大きく増幅したのかもしれません。

このみちのくの辺北の鄙の地に、この仏像があったからこそ、その凄さに惹き込まれてしまったのでしょう。

もし、この仏像に、奈良と京都で出会っていたら、
「造形バランスが崩れ気味の、出来の悪い、気味悪い顔の仏像」
としか、感じなかったのかもしれません。

これこそが、「地方仏の魅力」と云って良いものなのでしょう。



【地方仏巡りにハマる、「記念碑的出会い」となった黒石寺・薬師像】


黒石寺の薬師像と出会って、「生きている仏像」「風土と共に生きる仏像」といった言葉が、心の中を駆け巡りました。
この感動の出会いが、地方仏の魅力にハマってしまう「心の原点」になっているように思います。
その後、私たちは、全国各地の地方仏探訪旅行に、せっせと出かけることになるのですが、私にとって、
そのエネルギーの原点は、
「『熊んつぁん』宅に泊まって、朝陽降り注ぐ中、黒石寺・薬師像に出会ったこと。」
であったように思います。

まさに、「記念碑的出会い」となったのでした。


薬師如来像のほかには、同じ収蔵庫に祀られる永承2年(1047)の墨書銘がある伝慈覚大師像や、薬師堂の古様でアクの強い四天王像などを拝しました。
四天王像も、これまた惹き付けるオーラのようなものを、強く発散していました。

黒石寺・四天王像(昭和46年探訪時に撮影)

黒石寺・四天王像(昭和46年探訪時に撮影)
薬師堂に祀られる黒石寺・四天王像(重文)~昭和46年探訪時に撮影
本尊薬師像と同時期の制作ともみられている


朝早くからの拝観でしたが、アッという間に数時間が経ってしまいました。
まもなく、乗り逃がせないバスが来てしまいます。
お世話になった、渡辺熊治老とお家の方々に、心よりの感謝をしつつ、後ろ髪を引かれる様な気持ちで、黒石寺を後にしたのでした。



【見違えるようにきれいで立派になった黒石寺~30余年後の再訪】


黒石寺を再訪したのは、それから30余年後のことです。
その後は、何度か、この薬師像に出会いに、この地を訪ねました。

黒石寺に到着して、目に入る風景が、様変わりになっているのには、ビックリしました。
はじめて訪れた時、草がぼうぼうと生い茂り、ちょっと荒れたお寺のようになっていたのがウソのようです。

立派な寺観に整備された黒石寺
立派な寺観に整備された黒石寺

大型バスが何台も止ることができる大きな駐車場が整備されており、門前には、立派な茶店が建てられて、土産物なども並べられています。

黒石寺の門前にある茶店・土産物店
黒石寺の門前にある茶店・土産物店

お堂に向かう石段や、境内も、見違えるように整備されていました。
黒石寺の蘇民祭も随分有名になりましたし、みちのく古寺巡りの観光スポットになっている様子です。

私たちが初めて訪れた頃、昭和40年代の黒石寺の風景の写真を見つけました。
「写真でたどる奈良国立博物館のあゆみ」(2015年・奈良国立博物館刊)に、たまたま昭和40年代の黒石寺の写真が掲載されていたのです。

昭和40年代の黒石寺の様子~「写真でたどる奈良国立博物館のあゆみ」(2015年・奈良国立博物館刊)掲載
昭和40年代、我々が訪れた頃の黒石寺の様子の写真
茫々の草叢で、少し荒れた様子が伺える
「写真でたどる奈良国立博物館のあゆみ」(2015年・奈良国立博物館刊)掲載写真


現在の黒石寺の景観~昭和40年代写真と同じ場所を撮影

現在の黒石寺の景観~昭和40年代写真と同じ場所を撮影
現在の黒石寺の景観~昭和40年代写真と同じ場所を撮影
昔とは見違えるよう


ご覧いただくと、あまりの様子の違いに、驚かれるのではないかと思います。

今は、女性のご住職がいらっしゃって、拝観の案内、ご説明をいただきました。
大変、気さくで、歯切れのよい方で、いろいろお話を伺いました。
当地のご出身で、東京の大学を卒業し、昭和50年代からご住職をつとめられてということです。
「熊んつぁん」のことも、よく覚えていらっしゃいました。

薬師如来像も、ゆっくりと拝観させていただきました。


魁偉な顔貌の薬師如来像の前に座って、その姿を拝していると、

「若き日の、記念碑的出会い」

の感動が、なつかしく思い出深く、蘇ってきました。


古仏探訪~回想の地方仏探訪② 「福島 会津・勝常寺」  【2018.4.14】


【はじめての地方仏探訪旅行~東北、みちのくへ】


「生きている仏像たち」の本に触発されて、地方仏探訪に初めて出かけたのは、東北、みちのくの地方仏巡りでした。

そして、最初に訪れたお寺、皮切りのお寺が、会津の勝常寺でした。
昭和46年(1971)の夏、今から50年近くも前のことです。
古寺探訪の同好会のメンバー10人ほどで、出かけたのでした。

この、いの一番に訪れた勝常寺での薬師如来像のご拝観は、私にとっては、本当に、

「忘れがたき地方仏拝観体験」

となりました。

会津 勝常寺・本堂
会津 勝常寺・本堂

勝常寺・薬師如来坐像(平安前期・国宝)
勝常寺・薬師如来坐像(平安前期・国宝)


その思い出話を、ご紹介します。

東北、みちのくの仏像探訪旅行では、次のような古寺古仏を訪ねました。

・福島県では、会津・勝常寺、宇内薬師、
・山形県では、山形市・吉祥院、
・宮城県では、栗原市築館・双林寺、
・岩手県では、平泉・中尊寺、毛越寺、水沢・黒石寺、江刺・藤里毘沙門堂、北上・立花毘沙門堂、花巻東和町・成島毘沙門堂、二戸・天台寺

といった処です。
今では、東北の仏像探訪の定番となっているような処ばかりです。


何しろ、学生の貧乏旅行ですから、汽車と路線バスを乗り継いで、あとはテクテク徒歩という旅行です。
一日に2ヶ寺ぐらいを訪ねるのが精一杯、これらの古寺を、一週間以上かけて巡りました。

当時は、これらの仏像の観に訪ねてくる人など、めったになかったころの話です。

どこのお寺を訪ねても、

「こんなところまで仏像を観に来るなんて、物好きな人もいるものだ。」
「関西の遠方から、よくぞ、こんな東北の辺鄙な田舎までやってきたねえ。」
「ゆっくり、好きなだけ仏像を観て、済んだら教えてもらえれば。」

といった、歓迎ムードで、ノビノビ自由に拝観させていただきました。



【夜行列車で福島・会津へ~第一番目に訪ねたのが勝常寺】


ところが、会津の勝常寺の場合は、そうではなかったのです。
初めての地方仏探訪で、第一番目に目指したお寺でした。

関西から東京までは新幹線で行ったのか在来線で行ったのかもう覚えていませんが、上野からは夜行列車に乗って、福島会津に向かいました。
夜行の急行は、座席も硬くて、誰もがほとんど一睡もできずに朝を迎えました。

会津若松の駅で降りて、バスに乗り、最寄りのバス停から20分ほど歩いて、勝常寺に到着したような記憶があります。

勝常寺は、「福島県河沼郡湯川村勝常」という処にあります。
会津若松駅の北東10キロぐらいのところです。

ご存知の通り、勝常寺には、本尊の薬師三尊像をはじめ、10躯以上の平安前期の見事な古仏像が遺されています。

薬師如来像は、奈良風の名残を残しながら、堂々たるボリューム感と迫力で、まさしく平安初期の魅力を存分に発散させている名像です。
大同2年(807)に、会津に恵日寺を建立した南都仏教の名僧、徳一ゆかりの仏像ではないかともいわれ、地方仏というのには相応しくないような、素晴らしい傑作です。
平成8年(1996年)、東北地方の仏像では初めて国宝に指定されました。

その
「東北随一の傑作仏像、勝常寺の薬師如来像を観ることができる。」
と、
期待に胸を膨らませて、早朝の勝常寺までの道を歩んだのでした。

一面田んぼが広がる田園風景の中の、集落の杉木立の中に勝常寺のお堂はありました。

勝常寺のある会津盆地の田園風景
勝常寺のある会津盆地の田園風景

お住いの方の玄関の前に立つと、丁度、NHKの連続テレビドラマのテーマソングが流れるのが聞こえてきました。
朝早く8時ごろに伺ったのだと思います。

昭和46年に訪れた時の勝常寺・本堂
昭和46年に訪れた時の勝常寺・本堂



【想定外の緊張感でコチコチに固まった、ご本尊薬師像の拝観】


少しばかり寝ぼけ眼で、ご拝観お願いの声をかけて、お待ちしていました。

しばらくして現れた年配のご住職は、
「若造たちが、何をしに来たのか。」
という感じの、厳しい表情です。
ちょっと怖い感じなのです。

事前に手紙で、拝観のご了解を得てはいたのですが、
「何か気に障ることでもしたのだろうか?」
とドギマギしてしまいました。

想定外の緊張感が走り、一瞬にして目が覚めました。
そして、私たちは、コチンコチンに固まってしまいました。

なんとなく、お気楽ムードで、Tシャツジーンズのラフスタイルの我々を見て、ご住職の眼には、チャラチャラした若者達が、遊び半分のディスカバージャパン気分でやって来たように、映ったのかもしれません。

なんといっても、全く経験のない、初めての、地方の古寺の仏像拝観です。
これまでは、決められた拝観料を払えば自由に拝観できる、奈良京都のお寺しか訪ねたことがなかったものですから、突然カウンターパンチを食らったようなものでした。

とにもかくにも、薬師如来像が祀られる、本堂にあげていただきました。

一同正座してドギマギしていると、ご住職からの第一声は、
「あなた達は、ここへ来るのに、どんな本を読んできたのかね。」
でした。
検事に、取り調べの詰問をされているような気分です。

もうひたすら恐れ入って、
「あのう・・・東北地方の仏像についてかかれた本とか・・・・
ええーと、あのその、久野健とか、佐藤昭夫という人が書かれた論文などを、読んできましたが・・・・・・」
と、蚊の鳴くような声で、答えました。

「なるほど・・・・オーソドックスですね。」

と、厳しき表情が緩んで、その場の雰囲気が、かなり和みました。
やっとのことで、チャラチャラと物見遊山でやってきたのではないということだけは、わかっていただいたようです。

それから読経が始まり、お厨子の扉が開かれ、几帳が上げられて、薬師如来像を拝観させていただくことができました。
しかし、なんとなく、立ち上がって仏像を観たり、動き回ったりするのが、許される雰囲気ではなく、その場に正座したまま、拝観しました。

恐る恐る
「写真を撮らせて頂いてよろしいでしょうか?」
と訊ねると

「早く撮りなさい」

と、叱られているように言われ、
写真担当のM君は、三脚を立てるのも緊張でおぼつかなく、震える手でシャッターを切ったのでした。

昭和46年に訪れた時撮影した、勝常寺・薬師如来像の写真

昭和46年に訪れた時に撮影した、勝常寺・薬師如来像の写真

昭和46年に訪れた時に撮影した、勝常寺・薬師如来像の写真
昭和46年に訪れた時撮影した、勝常寺・薬師如来像の写真
緊張の中で撮影したせいか、ちょっとピンボケの写真になっています


それでも、眼前の薬師如来は、キリリと締まった顔で、どっしりとした威圧感と迫力を、厨子の中から伝えて来ました。
引き締まった小作りの口元と、大粒の螺髪が印象的で、頼り甲斐ある秘めたる力を感じさせます。
なんといっても「みちのく第一の傑作」といわれるほどの優作仏像であるというのは、私たちにも感じることができました。

本尊の薬師如来像を拝した後は、隣のコンクリート造りの収蔵庫に祀られた仏像を拝させていただきました。
本尊の両脇侍の日光月光菩薩像をはじめ、四天王像、聖観音像、十一面観音像、地蔵菩薩像など十数躯の平安前期の古仏が安置されています。

勝常寺の収蔵庫内の日光月光菩薩像~昭和46年撮影

勝常寺・十一面観音像~昭和46年撮影
昭和46年撮影の勝常寺収蔵庫内の写真
(上)日光月光菩薩像、(下)十一面観音像


こちらの収蔵庫の拝観の方は、空気もだいぶ和んできて、ご本尊よりはゆっくり観ることができました。



【決して忘れ得ぬ地方仏初体験となった、勝常寺のご拝観】


そんなピリッとした空気感の中で、とにもかくにも、勝常寺の拝観を終えたのでした。

ご住職とお別れした後は、緊張の糸がほどけて、ホーッとして、ちょっと大げさに言うとヘナヘナとよろけそうな気分になったのでした。
あとから振り返ると、ご住職は、きっちりとした対応をされただけで、特別に厳しくということでもなかったのでしょうが、ちょっとお気楽気分であった我々の方が、面食らってしまったということなのかもしれません。

「地方の古佛を拝観するというのは、こんなにもシンドイ、緊張する事なのだろうか?
こんな調子が続くのだったら、参ってしまって、これから持たないかも?」

「あの時、何の本も読まずに、フラッと来ましたって答えたら、開帳してもらえなかったかも?」

私たちは、こんな言葉を交わしながら、ため息交じりに、帰りのバスが来るのを待っていたのでした。

「地方の古寺を訪ねて、仏像を拝観するというのは、こんなに気疲れするものなのだろうか?
これから先が思いやられる。」

という気分の、初体験の地方仏探訪のスタートになったのでした。



【三十余年後の勝常寺再訪~今度はゆったり、じっくり、ご拝観】


それから、三十余年経ち、平成14年(2002)に、勝常寺を再訪しました。

平成14年、再訪したときの勝常寺本堂
平成14年、再訪したときの勝常寺本堂

中年の奥様に、拝観のご案内をいただきました。
大変気さくな方で、話も弾みました。

「30年以上前の昔、学生の時にお伺いしたときは、ご年配のご住職で、結構怖かったのですよ。
読んできた本を聞かれたりして、随分緊張して拝観させていただきました。」

と思い出話をすると、

「私は、こちらに嫁いできたのですが、その時、会われた住職は義父ですね。
きっと、そうだったのでしょうねえ、なかなか、厳しい方でしたから。
想像がつくような気がしますよ。
いまは、バスで団体さんが見えますし、ふらりと来られた方にも、ご本尊の拝観は頂いてるんですよ。」

と、おっしゃっていました。

そして、今回は、ゆったりとした和やかな気分で、じっくりといろんな角度から薬師如来像を拝観することができ、その素晴らしさを、今更ながらに実感することができたのでした。


50年近く前の、初めての地方仏探訪で、第一番目に訪れた「勝常寺」。

今でも、地方仏探訪の話になると、この時の緊張感あふれた観仏のことが回想されます。

「地方探訪初体験、懐かしく忘れ得ぬ、会津勝常寺の思い出」

でした。


古仏探訪~回想の地方仏探訪① 「はじめに」  【2018.4.1】


【心惹かれる地方仏の世界】


「地 方 仏」

この言葉には、何とも言えない不思議な魅力を感じさせる響きがあります。

奈良や京都の一流の仏像に比べると、洗練されているとはいいがたく、素朴で粗野で土の臭いを感じさせるような仏像が多いのですが、その分、中央の美しい仏像にはない独特の魅力、引力のようなものがあるのです。
とりわけ、地方の平安古仏は、一度その魅力にふれてしまうと、逃れ難くなってしまいます。
クセになるというか、地方仏巡りの虜になってしまった方も、結構いらっしゃるのではないでしょうか?

最近では、東博で「みちのくの仏像展」が開催されるなど、地方仏の優品を博物館で目にすることができる機会も、ずいぶん多くなったようです。

でも、「地方仏」の魅力は、祀られているお堂まで出かけて拝さないと、語ることができないような気がします。
博物館などに出品されていると、それほどの出来でもなく、そのまま通り過ぎてしまう地方仏でも、やっとたどり着いた田舎の寂れたお堂で、土地の人々に愛され守られているなかで拝すると、魂がこもり輝いて見えてくるのです。
ちょっと出来が良くない素朴で粗野な造形も、むしろそれが土地の風土に息づいて、心惹き付けられます。
歩く程に、長き石段を登る程に、ようやくたどりついたお堂で拝する仏像との出会いは、それだけで、感動を呼び覚まします。

これが、地方佛の本当の魅力なのかも知れません。



「そういえば、その昔、地方仏巡りに随分出かけたなー!」

「あの頃の地方仏巡りが、今の仏像愛好の原点になっているのだろう。」

そんな思い出が、よみがえってきました。

そこで、今更なのですが、昔の地方仏探訪の回想を、少しだけ綴ってみようかなという気持ちになりました。

私が奈良や京都の仏像ではなくて、いわゆる「地方仏」を初めて拝したのは、学生時代の頃で、もう50年近く前になります。
その頃の、昔話や、思い出話を綴ってみたところで、そんな話は

「唯々、年寄りのノスダルジーで、自己満足以外の何物でもない」

と、言われてしまいそうです。
その通りで、こんな話、皆さんには何の参考にもならないのですが、

「年寄りの、一仏像愛好者の、地方仏遍歴の思い出話」

として、少しだけお付き合い願えればと思います。



【初めて出会った地方仏の本~「生きている仏像たち」】


私が、初めて地方仏巡りに出かけたのは東北地方、みちのくの仏像探訪でした。
昭和46年(1971)の夏のことです。

「みちのくの仏像探訪に出かけてみたい」

そんな気持ちになったきっかけになったのは、 「生きている仏像たち~日本彫刻風土論~」 という本でした。
この本が、大学帰りの最寄りの本屋の書棚に並んでいるのを見つけたのは、昭和46年の春頃のことです。

「生きている仏像たち~日本彫刻風土論~」 丸山尚一著 (S45) 読売新聞社刊


「生きている仏像たち」丸山尚一著

「どんな本なのだろうか?」

と、手に取って、ページをめくってみました。

目次を見ると、

「北上川流域の古代彫刻、信濃の古寺の仏たち、琵琶湖周辺の平安仏、瀬戸内域の木彫群、出雲様式と山陰の仏像」

こんなフレーズが並んでいました。

「生きている仏像たち」の【目次】
「生きている仏像たち」の【目次】

地方の仏像だけについて書かれた本というのは、始めてみました。
「定価、850円」
当時の貧乏学生にとっては、結構高価で、どうしようかと何日か逡巡したのですが、思い切って購ったのでした。

本の冒頭は、このような文章から始まります。

丸山尚一氏
丸山尚一氏
「日本の仏像彫刻といえば、人はかならずといっていいほど、まず、奈良や京都の寺々を思い浮かべるだろう。
・・・・・・・・
ぼくの学生時代の古寺巡礼も、奈良、京都の寺が中心であった。
そして、ぼくの頭のなかの日本彫刻史も、奈良、京都の寺院建築と、その空間を埋める中央様式のすぐれた仏像たちによって形づくられていたことはいうまでもない。
・・・・・・・・
どの国の造形美術を考えるうえにもそうであろうが、その土地に根をおろし、その土壌に育った寺々や彫像たちが、時代様式の流れとはべつに、その土地らしい造形と雰囲気とをかもし出しことは確かであろう。
・・・・・・・・・
農耕民族は土を耕し種をまく。・・・・・・・
土は無限にものを生み、育ててきた。
その土を、ぼくは踏みたいと思った。
そして、その土地で育った仏像たちを見たいと思った。」

丸山尚一氏が、地方の仏たちを巡りを始めた動機を、このように語っていました。


私も、仏像が好きで、古寺探訪の同好会に入ったりして、仏像鑑賞に熱が入っているところでした。
関西在住でしたので、奈良、京都にはいつでも行けるので、気が向けばしょっちゅう仏像を観に出かけていました。
有名どころの仏像は、おおよそ観たように思っていましたが、地方の仏像は、全くの未体験ゾーンです。
奈良、京都以外では、福井小浜の仏像を観に出かけたことがあるというぐらいでした。

読み始めののっけから、ググっと引っ張り込まれました。

全国各地の
「土地の風土とともに生きる平安古仏たち」
の話が、気持ちを込めて熱っぽく語られていました。

そして、読み進むほどに、地方仏の魅力に惹き込まれ、一気に読破してしまいました。
いわゆる中央の仏像しか観たことのない私には、実に「新鮮な感動」だったような気がします。

丸山氏はこの本で、自らの地方仏行脚の始まりについて、このように語っていました。

「土の臭いの、最も強いと思われる東北地方を、まず選んだ。
辺鄙な山寺を好んで歩いた。
かつて、中央の寺々を歩いたときとは全然違った感激を、ぼくは東北の仏像に見たのである。
岩手の黒石寺の薬師如来であり、成島毘沙門堂の兜跋毘沙門天、吉祥天像である。
それ以来、ぼくは仏像につかれたように東北の寺々を歩き廻った。
北上川の流域を何度も歩いた。
・・・・・・
そして、多くの人々と語り、その地方の仏像たちを見ているうちに、いかにも東北人の気質に合った数々の仏像たちに出会っていることに気づいてきたのである。」


「生きている仏像たち」掲載写真~岩手 黒石寺・薬師如来像
「生きている仏像たち」掲載写真~岩手 黒石寺・薬師如来像

「生きている仏像たち」掲載写真~岩手 成島毘沙門堂・毘沙門天像
「生きている仏像たち」掲載写真~岩手 成島毘沙門堂・毘沙門天像

この本を読んでみて、

「地方佛の魅力に直接ふれてみたい、風土と共に生きる仏像に、出会ってみたい。」
「丸山尚一氏がたどった地方佛探訪の道程を、ぼくもまた、たどってみたい。」

と、素直に思いました。



【地方仏探訪のはじまりは「みちのくの仏像」から~そして各地の地方仏巡りへ】


「東北、みちのくの地方仏探訪に出かけてみよう!!」

そんな話が、同好会の仏像愛好メンバーのなかで盛り上がって、10人ほどで出かけることにしたのは、昭和46年(1971) 夏休みのことでした。

福島会津の勝常寺から始まって、北は岩手の天台寺まで、1週間以上かけてみちのくの地方仏を巡りました。

「ヒマは山ほどあるけれども、金はない」
という、学生の貧乏旅行です。
汽車に乗り、バスに乗り継ぎ、そのあとは自分の足で歩いて、やっとのことで目指す仏像に出会うことができるという旅でした。

出会った仏像たちは、奈良、京都の美しい仏像にはない、独特のパワーやインパクトで、我々を惹き付けるものでした。
まさに、
「その地で育った、土の臭いのする地方仏」
というのでしょうか。

「新鮮な感動、感激」の連続でした。

「テクテク歩いて、やっとのことでたどり着いた田舎の村落のお堂で、その土地に息づく見知らぬ地方仏と出会う。」

そんな、シチュエーションが感動を増幅したのかもしれません。

私たちは、これをきっかけに「地方仏探訪行脚の魅力」にハマってしまいました。
その後、卒業までの1年半ぐらいの間に、

「山陰路、鳥取島根方面」 「四国路、徳島香川方面」 「山陽路、岡山広島方面」 「九州路、大分臼杵方面」

と、地方仏探訪に、せっせと出かけました。

「生きている仏像たち」の本の目次を追うように巡ったのでした。
貧乏旅行でしたが、何日かけてもOKのヒマのある学生であったからこそできたのではないかと思います。
廻れば廻るほど、益々、地方仏の世界に惹き込まれていったのではないでしょうか。
よく飽きもせず、凝りもせず、出かけたものだと、思い出されます。



【頼りは3冊の本~これしかなかった地方仏探訪ガイドの本】


50年ほど前の当時は、

「どこの地方仏に出かけようか?」
「どんな魅力ある地方仏があるのだろうか?」

を知ろうとしても、地方仏探訪ガイドとなるような本は、ほとんどありませんでした。

ご紹介した「生きている仏像たち~日本彫刻風土論~」のほかには、「日本古寺巡礼」(上・下)と「続 日本の彫刻 東北―九州」の2冊だけといってよかったと思います。
共に、「生きている仏像たち」の5年ほど前に出た本です。

「日本古寺巡礼」(上・下)佐藤昭夫・永井信一・水野敬三郎共著(S40)社会思想社教養文庫 

 「日本古寺巡礼」(上・下)


「続 日本の彫刻 東北―九州」久野健著・田枝幹宏写真(S40)美術出版社刊

続「日本の彫刻 東北~九州」


年配の仏像好きの方なら、この本のことを懐かしく覚えている方も、結構いらっしゃるかもしれません。

この3冊が、当時の我々にとって、地方佛探訪旅行を計画する時の、「三種の神器」のようなものでした。

「さあ、今度は○○地方の仏像を観に行こうか」

となると、この3冊を首っ引きで、探訪する古寺古佛をピックアップして、掲載写真を見ながら、

「この仏像はどうしても観たい、ここは出来れば行こう」

と旅のプランを立てたものです。
振り返れば、地方佛の不思議な魅力を教えてくれ、さまざまな地方佛との出会いに誘ってくれた、「忘れ難き3冊の本」となったのでした。



そんな風にして始まった、私の地方仏探訪遍歴ですが、その中から「心に残る地方仏」の回想を、これからいくつかご紹介させていただきたいと思います。

いまどき、何の役にも立たない年寄りのノスタルジー話ですが、ちょっとだけお付き合いください。