「仏像の手の掌の中に、何か納入物が埋め込まれている。」
そんな話を、聞かれたことがあるでしょうか?
仏像の体内(内刳りの中)に納入物が納められている、いわゆる像内納入品、体内納入物の話については、皆さん、よくご存じのことと思います。
体内に納入物が納められている仏像は、数え切れないほど数多くあります。
そのなかでも、
五臓六腑が納められた、清凉寺・釈迦如来像
極彩色の心月輪・蓮台が納められた、平等院鳳凰堂・阿弥陀如来像
厨子入り檀像、板彫五輪塔、水晶珠・心月輪が納められた、興福寺北円堂・弥勒仏像
などは、超有名処といって良いのではないでしょうか。
ところが、体内の内刳りの中ではなくて、体の一部分に、納入物が埋め込まれているという話は、あまり聞いたことがありません。
【唐招提寺には、手の掌に納入物がこめられた仏像が・・・】
これからご紹介するのは、
「唐招提寺には、仏像の手の掌の中に、納入物が納められた像が何躯かがある。」
という話です。
何故だかはわからないのですが、「手の掌に、納入物が納められている仏像」が存在するのは、唐招提寺に残された仏像だけなのです。
「金堂・廬舎那仏坐像の手の掌の中と、瞳の奥に、珠が」
「木心乾漆菩薩像2躯の手の掌の中に、珠が」
「金堂・薬師如来像の手の掌の中に、古銭が」
それぞれ、納められているのです。
現在、発見されている限りでは、唐招提寺の仏像以外で、手の掌への納入品が確認された例は、全くないのです。
何とも、不思議なことです。
【本尊・廬舎那仏の両手には、埋め込まれた数珠玉が~X線撮影で判明】
廬舎那仏像の手のなかから納入物が発見、確認されたのは、近年のことです。
それまでは、全く知られていませんでした。
発見のいきさつを、ちょっと振り返ってみたいと思います。
平成15年(2003)4月、こんな新聞報道がありました。
「X線撮影で本尊の両手に埋め込まれた数珠玉が判明 奈良・唐招提寺金堂」
(毎日新聞)
「鑑真の遺品? 謎の珠 仏の力増す? <唐招提寺本尊>」
(朝日新聞)
という見出しです。
唐招提寺金堂は、2000年から10年がかりでの解体修理、「平成の大修理」が行われました。
その間、2003年に廬舎那仏像と千手観音像の保存修理が行われました。
本尊・廬舎那仏像のX線撮影を行った処、両手のひらに数珠玉が埋め込まれていることが判明したという報道です。
朝日新聞の記事をご紹介すると、このような内容でした。
「解体修理の前半が終わり、24日、報道関係者に公開された唐招提寺金堂の本尊の盧舎那仏坐像と千手観音立像について、関係者が注目したのは盧舎那仏の両手のひらに数珠の珠(たま)が埋め込まれていたことだった。
『開祖の鑑真和上の遺品の数珠では』といった憶測も出て、謎の数珠への『ロマン』が一気に膨らんだ。
X線撮影で見つかった珠は水晶など鉱物質のもので、中央に貫通した穴があるため、数珠とわかった。
唐招提寺では、金堂の薬師如来立像(国宝)の左の手のひらに銅銭3枚が塗り込められている例と、収蔵庫の木心乾漆菩薩立像(重要文化財)の胸部と手のひらに瑠璃色の珠が込められている例と、類例が2体ある。
だが、他の寺では今のところ確認されていない。
このため、鑑真が中国から伝えた可能性も考えられている。
文化庁美術学芸課の奥健夫・文化財調査官は
『中国では、手のひらという例は見られないが、みけんや胸に珠を収めた例は文献にある。
仏の力を増すという意味があるのではないか』
と話す。仏の力を増すという意味があるのではないか』
数珠の珠の材質が知りたいところだが、文化庁は保存上の問題はないため、後半の修理でも取り出さない方針という。永遠の謎で終わるかもしれない。」
(2003年4月25日付、朝日新聞・奈良版)
埋め込まれた「珠」が、鑑真和上の遺品かどうかは別としても、大変興味深い「手の掌に珠」発見の話でした。
【瞳の裏にも、珠が埋め込まれていた】
廬舎那仏のX線調査で判明した新事実のポイントは、次のようなものでした。
・両手の掌に、珠が、それぞれ大小2個ずつ埋め込まれている。
・珠の径は、約1.1センチ、0.9センチで、孔が貫通していることから、数珠玉と思われる。
・両眼の瞳には、石か焼き物の硬質材の、黒く塗られた半円板が貼り付けられている。
・その半月板の瞳の裏(あるいは内部)に、0.6センチ程の珠のような物体がこめられている。
X線撮影画像をご覧ください。
ごく小さな球が、手の掌と瞳の裏に込められていることが判ります。


唐招提寺金堂・廬舎那仏像~右手先とX線撮影写真~
手の掌の真ん中あたりに珠の白い影が見える(唐招提寺金堂三尊修理報告書2000.3刊所載写真)"
手の掌の真ん中あたりに珠の白い影が見える(唐招提寺金堂三尊修理報告書2000.3刊所載写真)"


唐招提寺金堂・廬舎那仏像~左手先とX線撮影写真~
珠2個がこめられているのがはっきりわかる(唐招提寺金堂三尊修理報告書2000.3刊所載写真)"
珠2個がこめられているのがはっきりわかる(唐招提寺金堂三尊修理報告書2000.3刊所載写真)"

廬舎那仏像の眼~瞳に黒く塗られた硬質半円板が貼り付けられている

廬舎那仏像の眼のX線撮影写真~瞳の奥に丸い球の影が見える
(唐招提寺金堂三尊修理報告書2000.3刊所載写真
(唐招提寺金堂三尊修理報告書2000.3刊所載写真
【唐招提寺の菩薩像2躯の手にも、珠の埋めこみが】
このような珠が、仏像にこめられているという例は、他には全くありません。
唯一、同じ唐招提寺の菩薩像2躯に、珠がこめられた仏像が存在するのです。
奈良末平安初期の作とみられる、木心乾漆造りの菩薩立像2躯です。
1躯の菩薩像(伝観音像)の胸に小孔が穿たれ、奥深く瑠璃一粒が納められていることは、前から知られていたのですが、
昭和53年(1978)に、本間紀夫氏によって行われたX線撮影で、2躯の菩薩像の手の掌に珠がこめられていることが判明したのです。
菩薩像(伝観音像)の左手の中と、もう1躯の菩薩像の右手と思われる残欠の中に、珠がこめられていたのでした。


唐招提寺・木心乾漆菩薩像(伝観音像)と右手先のX線撮影写真
手の掌の真ん中あたりに珠の影が見える(本間紀夫著「X線による木心乾漆像の研究」1988刊所載写真)
手の掌の真ん中あたりに珠の影が見える(本間紀夫著「X線による木心乾漆像の研究」1988刊所載写真)

唐招提寺・木心乾漆菩薩像


唐招提寺・木心乾漆菩薩像の欠失した手(推定)とX線撮影写真
手の掌の真ん中に珠が見える(本間紀夫著「X線による木心乾漆像の研究」1988刊所載写真)
手の掌の真ん中に珠が見える(本間紀夫著「X線による木心乾漆像の研究」1988刊所載写真)
菩薩立像の手のなかに珠がこめられているのが発見された時は、さほどの話題にならなかったのだと思います。
ところが、本尊・廬舎那仏像の手の掌のなかにも、珠(数珠玉)がこめられていたのが判明し、今度は、新聞記事に採り上げられるような話題になったという訳です。
【廬舎那仏の手と瞳にこめられた珠~その意味は?】
他にこうした例がないだけに、
「どうして、唐招提寺の仏像の手だけに・・・・・?」
「手のなかに珠をこめるのは、どんな意味があるんだろうか?」
と、俄然、注目を浴びるようになったのだと思います。
数珠玉をこめるというのは、なんらかの宗教的な意味があることは、間違いありません。
まだ、これだという解釈の決定打は、はっきりしないようです。
伊東史朗氏は、新聞の取材コメントで、
「貴重なものを埋め込むことで、信仰の深さや、仏像の高貴さを表そうとしたのではないか。」
(毎日新聞記事)
と語っています
発見に関わった文化庁の奥健夫氏は、もう一歩踏み込んで、このような見方を述べています。
「それらは(注:唐招提寺の仏像の手の掌に納入物があること)観念の上で、仏がその具体的な力を行使する道具である手の働きを増すことを願っての所為であろうと思われるが、特に廬舎那仏像についてはその造像の所依経典である『梵網経』に、自誓受の前に得るべき『好相』として仏の摩頂(頭を撫でること)を受けることが述べられていることとの関連が注目される。
菩薩戒を得るために像の前で慨悔する者は、その低く差し出された右手が自らの頭上に及ぶのを思い描きつつ、掌を注視したことであろう。
これらの二つの工作(注:瞳の裏と手の掌に、数珠玉がこめられていること)は、像が拝する者を目でとらえ、これに力を及ぼすことが期待されているとみられる点で、廬舎那仏像の性格を考える上で非常に重要な発見といえる。」
(「金堂の平成大修理で判明した祈りの造形」(奥健夫)週刊朝日百科・国宝の美13号2009.11)
「好相」とは、仏を見る神秘体験で、これによって懺悔が完了したことが証明されるというものだそうです。
瞳裏と手の掌に数珠玉が埋められたというのは、まさに「仏を見るという神秘体験」の中で、拝する者を仏に見つめられ、その手で頭を撫でられるという、宗教的な思いがこめられたということなのでしょうか。
それにしても、「手の掌に珠をこめた」仏像が、唐招提寺だけにしか存在しないというのは、何とも不思議なことです。
新聞記事の「鑑真の遺品の数珠玉か?」という記事ではないですが、ついつい鑑真と何らかの関係があるのではないかとの空想を巡らせてしまいます。
【金堂・薬師如来像の手の掌に埋め込まれていた、3枚の銅銭】
もう一つ、金堂・薬師如来立像の左手の掌に古銭が埋め込まれていた話も、振り返っておきたいと思います。
こちらの発見は、薬師像の制作年代推定の有力証拠となったため、よく知られている話で、ご存じの方が多いのではないかと思います。
薬師如来像の手の掌に、3枚の銅銭が埋め込まれているのが発見されたのは、昭和47年(1972)2月のことでした。
薬師如来像の表面の漆箔の浮き上がりが目立つため、一応の修理が行われた際、左手の掌の中央部に浮き上がりがみられました。
これを固定するために表層を起こすと、そこに、小さな丸い穴があけられ、3枚の銅銭が重ねて納入されていました。
「和同開珎、隆平永宝、万年通宝」の三枚です。
発見された時の所見によると、この納入が、造立当初に行われたことは間違いないとみられるものでした。
【銅銭発見により、薬師像制作年は延暦15年以降と判明
~金堂三尊の制作年代研究に大きな進展】
この銅銭の発見は、彫刻史研究上の大発見になりました。
これらの銅銭が鋳造された時期よりも、仏像の制作の方が古いということはあり得ず、制作年の上限を特定できることになるからです。
発見された銅銭のなかで、最も新しく作られたのは「隆平永宝」でした。
「隆平永宝」は、延暦15年(796)11月の詔により鋳造されたもので、薬師像の造立は、この時期を遡り得ないことが明らかになったのです。
唐招提寺金堂の三尊、廬舎那仏像、千手観音像、薬師如来像の制作年代については、この発見まで、同時期の制作か、時代差があるかなどについて、様々な議論がありました。
廬舎那仏像は脱活乾漆造り、千手観音・薬師如来像は木心乾漆造りと、技法が違うことから製作年代差があるのではないかとか、
薬師如来像などは、太腿の隆起を強調したY字状の衣文の平安初期的特徴から、奈良時代の制作ではなく平安時代に入ってからのものではないかともいわれるなどの疑問が呈されていました。
「隆平永宝の発見」は、これらの疑問を一気に解決したともいえるもので、薬師像は、奈良時代のものではなく、平安時代に入ってからの制作であることが明確になり、薬師像にみられる平安初期的な特徴が、美術史的に素直にすんなり理解できるものになったのでした。
現在では、廬舎那仏像は奈良時代の制作、その後に千手観音像、最後に薬師如来像という順に制作されたというのが、一般的な見方になっていると思います。
ところで、古銭を納める仏像についてですが、体内に古銭を納入する例はいくつかあり、最も有名なのは、清凉寺・釈迦如来立像でしょう。
背刳りの蓋板の裏にびっしりと銅銭が張り付けられていました。
しかし、手の掌に古銭が埋め込まれているという仏像は、唐招提寺・薬師如来像だけです。
唐招提寺には、廬舎那仏像の造像以来、手の掌に何かを埋め込むことにより、宗教的な力を一層付与するという伝統が息づいていたのでしょうか?
【不思議な謎~どうして唐招提寺の仏像の手だけに・・・・】
今回の「仏像の手の話」は、
「唐招提寺の仏像の手の掌にだけ、何故だか、納入物かこめられている。」
話をご紹介しました。
どうして、唐招提寺に残る仏像にだけなのでしょうか?
この謎が、なかなか解明されるのは難しそうですが、不思議なことで、大変興味深い話です。
「仏像の手の話」を8回にわたって連載させていただきました。
そろそろネタ切れとなってしまいましたので、「今回で、おしまい」とさせていただきたいと思います。