埼玉・浄山寺の地蔵菩薩像が、この3月11日の文化財審議会の答申で、重要文化財に指定されることが決定しました。
(新指定・国宝重要文化財となる仏像については、神奈川仏教文化研究所・特選情報「平成28年新指定・国宝重要文化財答申」で、ご紹介しています)
実は、この重文指定決定直前の2月に、越谷市にある浄山寺・地蔵菩薩像の観仏に訪れたのです。
その観仏探訪記をご紹介したいと思います。
まずは、仏像の写真をご覧ください。
答申では、平安時代の制作で、
「9世紀前半に遡る可能性が考えられる。」
とされています。【重要文化財に新指定? 突然知ったビックリ情報に、急遽訪ねた秘仏御開帳】
この浄山寺・地蔵菩薩像の存在を知ったのは、去年のことでした。
NETを見ていると、
「木造地蔵菩薩立像が県文化財に・浄山寺、平安初期のもの」(東武よみうりWEB・2016.3.16)
という見出しの新聞記事を見つけたのです。
「平安初期の地蔵菩薩、そんなの埼玉にあるのだろうか?これは必見!!」
と、しっかりマークしたのでした。秘仏で、毎年2月・8月の24日、年2回の御開帳ということです。
ただ、県指定文化財になったこともあり、
「来年、開基1155年の記念の年なので、来年(2016)2月24日から、1年間公開し、多くの方に見てもらいたい。」
と、ご住職が語っていると記事に書いてありました。それなら、今年のいずれかの時期に観仏に行けば良いと思っていたのです。
今年のご開帳予定の確認に、浄山寺さんにTELしてみたのが、2月20日頃のことでした。
ところがです。
「今年1年間のご開帳は、取り止めになりました。
2月の24日には、いつも通り開帳いたしますが、その後のことはよく判りません。」
とのお話です。2月の24日には、いつも通り開帳いたしますが、その後のことはよく判りません。」
あれっ!話が違うなと、その訳をお尋ねした処、
「まだ、未定なのですが、文化財指定となるかもしれないので・・・・・・」
ということです。「文化財指定? 去年、県指定になったばかりじゃないか、その間違い?」
と思って、よくお聞きしてみると、「国の重要文化財に指定される可能性があって云々・・・・」
ということなのです。「本当なのだろうか?」
と、一瞬信じ難く、またビックリしてしまいました。去年、無指定から県指定になったばかりです。
それが重要文化財指定となると、超々スピード出世の仏像で、これを見逃すわけにはいきません。
慌てて、2月24日のご開帳に、急遽駆けつけることにしたのでした。
【越谷市郊外にある古刹、野島地蔵尊・浄山寺~貞観2年(860)創建の伝承】
同好の方、数人に声をかけて、出かけました。
浄山寺は、東武線越谷駅からバスで25分ほど、越谷市野島というところにあります。
地元では、野島地蔵尊「子育て地蔵」として知られているようです。
バス停から田園風景のなかを5分ほど歩くと、山門が見えてきます。
葵の御紋の幕が掛けられています。
浄山寺は、江戸時代、徳川家康が鷹狩に来た際、寺領300石の御朱印状を与えようとしたところ、時の住職が過分であると断ったため、鼻紙に3石と記載した朱印状(鼻紙朱印状と云い現存しています)を与えられたと伝えられます。
天台宗慈福寺と号していましたが、以来、寺名を浄山寺と改めたということです。
それで葵の御紋の幕が張られているのでしょう。
創建は貞観2年(860)、慈覚大師の開山と伝えられます。
浄山寺の歴史については、越谷市のはなし「越谷市の古刹・野島山浄山寺」というHPをご参照ください。
お寺の縁起から江戸時代の出開帳の有様など、今日に至るまでの歴史が、豊富な資料図版と写真とともに大変詳しく判りやすく記されています。
地蔵菩薩像の重文指定についてもふれられています。
【眼近に、秘仏・地蔵菩薩像をご拝観~まとまりの良い、平安の一木彫像】
早速、本堂に上がってご拝観です。
お参りに来た地元の皆さん方で賑わっていましたが、この平安の地蔵菩薩像を目指して、遠路、観仏にやってきたのは、我々ぐらいのようでした。
地蔵菩薩像は、本堂拝殿の壇上の厨子の中に祀られています。
壇上まで階段を上がって、厨子の眼近で、じっくり拝することが出来ました。
像高は、91.2㎝。カヤ材とみられる針葉樹の一木彫で、内刳りはありません。
なかなか出来の良い仏像です。
この完成度は、平安前期に関東・武蔵の地で造られた仏像とは到底思えません。
きっと畿内で造られ、当地にもたらされた像なのではないでしょうか。
これほどの仏像が、埼玉・越谷の地に遺されているというのは、ビックリというところです。
第一印象は、平安前期の一木彫像としては、穏やかで、まとまった造形という感じです。
平安前期の一木彫像というので、もっとパワフルだとか、厳しさ、鋭さを感じさせるのかなと予想したのですが、むしろ「落ち着いた空気感」を強く感じる像です。
全体として、ふっくらした造形で、とりわけ頭部の丸みを帯びた処、お顔の目鼻立ちの穏やかさ(後の手が入っているのかよく判りません)が印象的です。
胸から脚部にかけての衣文表現も、厳しいく鋭い鎬を立てるのではなく、少し丸みがあり、これまた穏やかな造形です。
そのあたりにウェイトをおいて観ていると、
「出来は良い像だが、9世紀、平安前期なのだろうか?
もう少し時代が下がって、10~11世紀のような気分もするけれども・・・・・・」
というようにも見受けます。もう少し時代が下がって、10~11世紀のような気分もするけれども・・・・・・」
ところが、両側面の衣文の表現、造形を見ると、そんな気分が、がらりと変わってしまいます。
深くダイナミックに彫り込んだ、抑揚充分な表現です。
「この躍動感、ダイナミックさは、平安前期らしい雰囲気といってもよいかも。」
と、唸ってしまいます。斜めから見た側面の衣文表現が、この像の魅力です。
9世紀に遡る制作と考えられるキーポイントかも知れません。
この両側面の衣文表現、
「やや煩雑でうるさく、わざとらしい感じがしないでもない。」
という感想が、同好の方の声にありましたが、皆さんどのように感じられたでしょうか?個人的には、
「9世紀前半は、ちょっと厳しくて、10世紀に入って暫らくしてからぐらいの制作ではないだろうか?」
根拠はあまりないのですが、そんな雰囲気を感じました。いずれにせよ、古代武蔵の地、鄙には稀な、出来の良い平安古仏を拝することが出来ました。
【これまで、全く注目されていなかった、浄山寺・秘仏地蔵菩薩像】
これだけの平安古仏、どうしてこれまで全く注目を浴びなかったのでしょうか??
この地蔵菩薩像、江戸時代には、何度も江戸市中・湯島神社などで出開帳されるなど、昔から世に知られた地蔵尊であったようです。
ただ、古来秘仏として守られていたようで、近年では、2月24日と8月24日に、厨子が開かれ、土地の人々に参拝されていました。
明治以降も、秘仏ということで、文化財調査などが行われることは無かったようなのです。
多分、それほど古い仏像ではないのだろうとみられていたのだと思います。
1977年に発刊された、越谷市仏像調査報告書(越谷市教育委員会刊)の野島浄山寺の項には、このように記されています。
「古くから信仰のあつかった本尊地蔵菩薩は、現在秘仏とされているため、調査の際写真撮影や法量測定を中止し、燈明及び小さな懐中電灯で特に拝見させていただいた。
像は木造で像高1メートル程の一木造とも見えるがっしりとした体躯の像である。
彩色は極めてよく残っているのは秘仏のためであろうか。
時代は室町期を遡るとは考えにくいが、詳細は機会を改めたい。」
写真撮影も許されない秘仏だったようですが、調査した人の眼には「時代は室町期を遡るとは考えにくい」と映ったようなのです。
【無指定から超スピード出世で重文指定へ~埼玉県最古の木彫像発見のいきさつは?】
≪東日本大震災での仏像破損が、新発見のきっかけに≫
その仏像が、平安古仏のようだと注目を浴びたのは、4年前、2012年のことでした。
2011年3月の東日本大震災によって、両足を台座に固定するホゾなどが壊れたのです。
2011年8月の開帳時、厨子を開けると、仏像が前のめりになっていました。
姿勢を戻したのですが。翌年2月の開帳で厨子を開けると、今度は、ほぼ倒れた状態だったそうです。
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櫻庭裕介氏 |
ご住職のお話によれば、
「教育委員会に相談したら、ちょうど櫻庭先生が当地で修理をされているので、ご紹介しましょう。」
ということになったそうです。解体修理に当たった櫻庭氏は、
「本像は、平安前期の制作像に違いない。」
と判断しました。教育委員会も調査に乗り出し、「埼玉最古の平安古仏発見」と、にわかに注目を浴びることになったのです。
当日、お目にかかったご住職は、
「大震災で、仏像が破損することがなかったら、平安時代の仏像だと発見されることは無かったはずで、何が縁となるのかはわからないものですね。」
とおっしゃっていました。≪とんとん拍子の超スピード出世で、重要文化財指定へ≫
そして昨年、2015年3月、埼玉県指定文化財に指定されるようになったのです。
埼玉県では、これまで、毛呂山町の桂木寺・如来坐像が、10世紀中後半の制作とされ、県内最古の木彫仏とされていました。
浄山寺・地蔵像の発見によって、本像が埼玉県最古の木彫仏像となったことになります。
目出度く県指定文化財となり、通常ならば、これで一段落という処なのでしょう。
ところが、そうではなかったのです。
ご住職のお話では、
「去年、文化庁の奥さん(奥健夫氏:美術学芸課・主任文化財調査官)と、井上さん(井上大樹氏:美術学芸課文化財調査官)が、この地蔵様の調査に来られて、その後、国の重要文化財指定へという話になっているのですよ。
このご開帳が終わると、3月からしばらく地蔵像を、文化庁にお預けする予定になっているのですよ。」
とのお話でした。このご開帳が終わると、3月からしばらく地蔵像を、文化庁にお預けする予定になっているのですよ。」
無指定から、県指定後、翌年、即座に国の重文指定というのは、めったにあることではないのかと思いますが、間違いのない話のようです。
果たして、3月12日の新聞で、「浄山寺・地蔵菩薩像、重要文化財指定へ・・・」と報道され、無指定から超スピード出世の仏像となったのでした。
【浄山寺・地蔵菩薩像の制作年代は9世紀? 地蔵菩薩の重要な現存古例?】
さて、この浄山寺の地蔵菩薩像、専門家の眼では、どのような像とみられているのでしょうか?
制作年代、造形についてコメントされている資料を調べて、ピックアップしてみました。
この像の発見者、櫻庭裕介氏は、本像の調査研究結果報告を行い、制作年代等について、以下のようにコメントしています。
「浄山寺像は、貞観2年に円仁が制作したとの伝承がある。
これを踏まえて細部をみれば、平安時代前期に多用された衣文表現、全体に太づくりにして量感を強調していること、さらにカヤの一木造などの点から、伝承に近い9世紀後半の制作として違和感はない。
日本における地蔵菩薩信仰は9世紀から盛んになったとされている。
制作時期が確実な作例としては京都・広隆寺講堂の地蔵菩薩坐像が挙げられ、9世紀中頃の作例とみられている。
これを中心として、各地に9世紀制作の作例が存在する。
浄山寺像は関東地方に残る9世紀の地蔵菩薩の作例として、その価値は大きい。
浄山寺像は朝廷から遠く離れた地に伝えられた作例であるが、近畿地方の作例に比肩するほどの水準でもってつくられた。
もちろん作者が畿内か土着の仏師であるかという問題はあるものの、関東における当時の仏像制作事情に一考を迫るきわめて貴重な作例といえよう。」
(早稲田大学奈良美術研究会「国際シンポジウム~文化財の解析と保存への新しいアプローチⅫ」での調査報告 2015年9月)
本像を、県指定文化財に指定した、埼玉県文化財保護審議会委員の林宏一氏(元埼玉県立博物館長)のコメントは以下の通りです。
「内刳のない丸彫りによる一木彫成の技法、ズングリとした重厚感ある立体構成、天平彫刻の余風を伝えて調子強く端正に彫り付けられた衣文表現、髪際線の特徴ある波形表現等に平安初期―木彫刻の特色が強く表れており、大らかで健康的な造形は奈良木彫の伝統を覗わせる。
作風の特色から9世紀にさかのぼり、縁起に説く貞観2年(860)は一つの目安となる。
現在のところ武蔵最古の木彫仏といえる。」
(越谷市郷土研究会50周年記念歴史講演会・講演レジュメ「浄山寺のお地蔵さま」2015.10.17)
そして、今回の重要文化財指定の文化財審議会・答申の解説は、次の通りです。
「野島地蔵尊として知られる古刹の秘仏本尊として伝えられた地蔵菩薩像。
肉付豊かな体軀,深く鋭い衣文表現に平安前期の特色をよく見せ,定型化されない彫り口から9世紀前半に遡る可能性が考えられる。
奈良笠区薬師如来像(重要文化財)と作風が類似し,畿内よりもたらされたと推定される。
当代の優品であり,また地蔵菩薩像の屈指の古例としても重要である。」
この3つのコメントに共通するのは、本像の制作が、「9世紀にさかのぼる可能性がある」と、指摘していることです。
造形表現の捉え方などには、それぞれニュアンスの違いがありますが、9世紀の制作ということでは、一致しています。
文化財審議会の答申では、9世紀前半の可能性まで言及しています。
そうなると、慈覚大師円仁が浄山寺(元慈福寺)を開山という伝承、すなわち貞観2年(860)当時の制作が、イメージされてくるのです。
わが国で制作年代が判明している最古の地蔵菩薩像の現存例は、広隆寺講堂の地蔵菩薩で、道昌の願により承和3年(836)から貞観4年(862)に造立されたとされています。
浄山寺・地蔵像は、我が国の現存地蔵像の最古作例に比肩する、きわめて貴重な地蔵像ということになるのです。
文化財審議会・答申でも
「地蔵菩薩像の屈指の古例としても重要である。」
と、この点が強調されています。また、9世紀の制作にさかのぼるとみられる事由としては、
・深く鋭い衣文表現に平安前期の特色がみられること
・肉付豊かで、太造り、重厚感ある体躯の造形
があげられています。
【9世紀か、10世紀以降か? 迷ってしまう私の直感的印象】
「うーん、9世紀、それも半ばごろの制作?」
そんな独り言を、ブツブツ呟いてしまいしまいそうな気分になりました。
所詮、素人のフィーリングなのですが、私の感覚的には9世紀半ばというのは、ちょっとしっくりこないのです。
冒頭にも書きましたが、眼近に拝したときの私の直感的印象は、10世紀以降の制作かなというものでした。
奈良時代彫刻の余韻を色濃く残したようにも、平安初期彫刻の鋭角的な厳しさとも、ちょっと違うような感じがしました。
「大人しくまとまっている」とでもいうのでしょうか?
落ち着きと、ふくらみある穏やかさの方が、私の眼には印象的に残ったのですが・・・・・・
皆様方は、写真図版をご覧になって、どのような印象を持たれたでしょうか?
文化財審議会・答申には、
「奈良笠区薬師如来像(重要文化財)と作風が類似し,畿内よりもたらされたと推定される。」
と、述べられていました。これまた、私の印象とはずいぶん違うのです。
自分の仏像を見る眼に、ちょっと自信がなくなってきました。
奈良笠区・薬師如来像というのは、桜井駅の北東5~6キロの山中に祀られる仏像です。
この薬師像を拝したとき、その圧倒的な見事さに、のけぞりそうになりました。
「まさに、平安前期彫刻の優品といって過言ではないだろう。
のびやかで鋭く深い衣文の彫口は、力強く見事というほかなく、全体として完成度の大変高い傑作だ。」
このような、強い印象が残っています。のびやかで鋭く深い衣文の彫口は、力強く見事というほかなく、全体として完成度の大変高い傑作だ。」
たしかに、浄山寺・地蔵像の両側面の衣文の、ダイナミックで抑揚ある衣文表現と類似する処はあるとは思うのですが、全体として発散する空気感が、随分と違うように感じます。
笠区・薬師像の方が、はるかに力強く迫力ある造形のように思えてしまうのです。
その笠区像も、造形としては、量感も少し和らぎ、まとまりも良いことから、10世紀に入ってからの制作ではないかとみられているようです。
浄山寺像は、笠区像に較べると、衣文の彫口も、体躯の造形も、穏やかで落ち着きもあり、伸びやかさ、力強さが薄れて小ぢんまりした造形のように感じてしまうのです。
「この笠区像より、浄山寺像の方が、かなり古い制作とみられる。」
といわれると、「まだまだ、自分の仏像の見る眼が養われていないのかな?」
と、やや情けない気持ちになってしまいました。そこで、もう一度、深呼吸をしっかりして、心落ち着けて、虚心に浄山寺・地蔵像の写真をじっくりとみてみました。
そうすると、実際に、眼近に地蔵像を拝したときの、実感のフィーリングよりも、確かに古様な造形のように見えてきたのです。
「9世紀の古像」という気持ちになって写真を見ると、全体のふくよかなボリューム感、ねっとりと粘りがあり、躍動感ある衣文の表現など、それぞれが古様に見えてくるのです。
写真で見た方が、実見したときよりも、9世紀の造形感を強く感じるように思えます。
「奈良様の伝統を残した9世紀の木彫像」
そう言われると、そんな気分になってきたのも事実です。
第一印象の直感を大切にすべきでしょうか?
拡大写真などをじっくりと眺めた、造形感を大切にすべきでしょうか?
拡大写真などをじっくりと眺めた、造形感を大切にすべきでしょうか?
まだまだ修行が足りないなと反省しつつ、是非この地蔵像を、もう一度じっくりとみてみたいものだと思った次第です。
いずれにせよ、「埼玉県最古の平安・木彫像の新発見」となった、浄山寺の地蔵菩薩像です。
地蔵菩薩像の、我が国最古の現存作例に比肩される可能性ある、地蔵菩薩像でもあります。
今回の、新指定重要文化財となる仏像の中でも、最も注目される像ではないかと思います。
本像は、毎年恒例で東京国立博物館で開催される、「新指定国宝・重要文化財展」で、展示される予定です。
開催期間は、2016年年4月19日(金)~5月7日(土)となるようです。
皆さん、是非、お出かけいただいて、眼近にご覧ください。
私も、もう一度、じっくり見てみようと思います。