「明治の古社寺宝物調査」の記録、図譜、写真【その2】に入る前に、ちょっと関連トピックスの割り込みご紹介です。
日本経済新聞の文化欄に、こんな記事が掲載されました。
2014年1月29日(水)付の記事です。古美術 明治の辛口取材帳
~近畿一円の調査に密着 記者・金子静枝の足跡を追う~
という見出しがついていました。
執筆は、先にご紹介した本、
の編著者である、竹居明男氏です。
この日経新聞の最終面に毎日掲載される「文化」というコーナーは、地元の郷土史家などの目立たぬ地道な研究や、変わった分野の蒐集コレクションなどを行っている人たちの、業績や苦労話を語る話が掲載されています。
この文化欄、私が大変気に入っているコーナーです。
登場するそれぞれの人の、こだわりや執念が垣間見られて、興味深いものがあります。
最近では
「富士山の古写真の蒐集コレクション」とか、
「明治末~昭和初期の車輌の鉄道模型、すべて手作り」とか、
「屋根上の鍾馗さんの置物を、全国行脚1万7千体で調べ上げた」
というような、
呆れるようなマニアックな趣味や研究に没頭している話が、採り上げられています。
この観仏日々帖、【興福寺仏頭展によせて・・・「仏頭発見記」をたどる】
で、ご紹介した、仏頭発見者・黒田曻義の妻・康子さんの当時の思い出話「仏頭の目覚め 見届けた夫」という記事も、この日経新聞文化欄に掲載されたものです。
竹居明男氏は、この執筆記事で、
金子静枝のスクラップブック「棄利張」(きりばり)を古書市で発見し買ったのをきっかけに、金子静枝という人物と「日出新聞」・明治21年古美術調査報道記事の発掘研究に取組むことになったいきさつなどを、活き活きと語られています。
記事を、ちょっと御紹介したいと思います。
きっかけは1980年夏、自宅に近い北野天満宮の縁日だった。
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金子静枝「棄利張」 |
露店で5冊の古い帳面を見つけた。
1冊200ページほど、反故紙の裏紙をこよりでとじた自家製だ。
表紙に墨書で大きく「棄利張金子静枝」とあった。
中をめくると、新聞の切り抜きがびっしりと貼り付けられていた。
特に明治の古美術調査の記事や正倉院の宝物の絵がある1冊が目に留まった。
古書と古美術が好きな私は、迷った末、5冊2万円で購入した。
すぐに金子と記事について調べ始めた。
ところが、最も信頼できる「京都大事典」はじめ、どの事典にも出てこない。
記事は大半が日出新聞に掲載された本人の記事だと判明。
後身の京都新聞社に足を運んだ。
社内では有名な記者だったと教えてくださったが、残念ながら資料はなかった。
図書館などで古い文献をひもとくうち、金子は幕末の新潟の医師の家の出身で、いくつかの新聞や雑誌の記者を経て創刊時の日出新聞に招かれたことがわかった。
調査の後は各種博覧会の審査員などとして活躍したようだ。
私はマイクロフィルムで関連記事をさらに入手。
「棄利張」の膨大な記事と併せて日付順に整理し、作品や人物の略注も施していった。
~~~~~~~~~~~(略)~~~~~~~~~~~~~~~
文化財保護の観点から近年、この調査(明治21年の古社寺宝物調査)が注目を集めているが、詳細に内容を記した金子の記事はかなり有用な基礎資料になるだろう。
実は北野天満宮で「棄利張」を見つけたとき、一度購入をあきらめた。
ところが帰宅しかけたとき、夏の夕立がポッリ。あわててとって返し、購入した。
私の専門は「天神信仰」。
もしかしたら、天神様のお導きでは、と人に指摘された。
この希有な〝出会い〞に感謝している。

金子静枝「棄利張」
この北野天満宮の縁日での、金子静枝のスクラップブック「棄利張」(きりばり)との出会いがなかったならば、竹居氏は金子静枝の研究に手を染めることはなかったでしょうし、【「日出新聞」の明治21年古美術調査報道記事】が、世に広く紹介されることもなかったのではないかと思います。
劇的な出会いであったということなのでしょうか。
竹居氏は、その後3冊の「棄利張」を別の機会に入手され、現在8冊架蔵されているとのことです。
「棄利張」との出会いから、34年。
今般、「芸艸堂」からこの本が出版されることになったということです。
出版に至るいきさつについては、先の話でご紹介したとおりです。
【「日出新聞」記者金子静枝と明治の京都】
という本は、なかなか世に注目されそうにないマニアックな本だと思いますが、今般、日経新聞文化欄にこれだけ大きく採り上げられたことによって、より多くの人に知られ関心を惹くようになればと、思うばかりです。
この本のことが、全国紙に、こんなにも大きく紹介されたということが、ちょっと嬉しくなって【続報】を書かせていただきました。
前回、明治21年の近畿地方古社寺宝物調査の有様を報道した、「日出新聞・古美術調査報道記事」を収録した本の刊行について、ご紹介しました。
我が国の古器物・古社寺宝物が、美術品として新たに見出され、評価されていく調査となった時の、報道記事でした。
天心、フェノロサらによって主導された、「日本美術の発見」の有様を、活き活きと伝える記録で、興味深いものでした。
そこで、ついでというのもどうかとは思いますが、
明治期に実施された古器物・古社寺宝物調査の有様を伝える調査記録、図譜・写真の話
を、「その続き」でさせて頂きたいと思います。
「そんなものには、全く興味はない!」
「そんなもの、わざわざ調べるというのは、ちょっと変わっているじゃないの!」
多くの方から、そう云われてしまいそうなマイナーな話ですが、お付き合いいただければ有難く思います。
明治初年以来、古器物・古社寺宝物調査は、明治末年まで相当回数実施されています。
こうしたなかで、西欧の近代概念がもたらされ、新たな眼での「日本美術の発見」がはじまります。
そして「日本美術史の考え方」が形成されてゆき、古器古物の「美術品としての評価」が固まってゆきます。
折々の調査の有様や、手記、写真などをたどっていくと、
古器古物、寺社の宝物と呼ばれていたものが、「美術品、文化財」として、認知され評価されていくプロセスを知ることが出来るのです。
こうして形成されていった「美のものさし」の系譜、延長線上の中で、現代のわれわれも「素晴らしい仏像」「美しい仏像」と感じる眼を養ってきたのだと思います。
一方、現代の「美のものさし」と、当時の「美のものさし」が、変化してきているのも事実で、そうした変遷をたどるのも、興味深いことです。
近頃、こうした「日本美術の発見」「美のものさしの形成・変化」というものに興味が深まるにつれ、「明治の古器物・古社寺宝物調査」に、関心を持つようになってきたのです。
「明治の古器物・古社寺宝物調査」の話は、「埃まみれの書棚から~明治の文化財保存・保護と、その先駆者」に書かせていただきましたので、ご覧ください。
今回は、こうした調査に際して作成された、
・調査記録や手記、図譜や写真集にはどのようなものがあるのだろうか?
・一般の刊行物で出版されているのだろうか?
について、ご紹介してみたいと思います。
これらを読んだり見たりすることによって、当時の有様や、人々の苦労、美の感性などを活き活きと知ることが出来、私には、興味深く面白いのです。
益々、マイナーな隘路に入って行くようですが、ご辛抱いただきたいと思います。
ご存じのとおり、「明治の古器物・古社寺宝物調査」は、
・明治5年の「壬申宝物検査」
に始まります。
以来、政府レベルの大きな調査は、
・明治12年の印刷局による古美術調査旅行、
・「明治21年・近畿地方宝物調査」に始まる全国宝物調査(古社寺保存法制定へ繋がる)、
・明治32~36年の古社寺保存会による古社寺調査
などが挙げられると思います。
そして、それぞれの調査に際しては、調査記録や目録が作成されていますが、その他にも図録・図譜や、写真集が造られているときもあります。
また、調査に当たった人によって、個人の調査日記や手記も残されています。
古い話なので、こうした記録や資料の残されたものを全部調べ上げるのは、なかなか私には難しくてかなわぬことなのですが、
色々な本や図録などに採り上げられたものを、あれこれピックアップしてみて一覧表にしてみると、このようなものになりました。
眼についたものを個人的にピックアップしただけですので、不完全なものだと思いますが、ご参考になろうかと思います。
それでは、この一覧表に採り上げた順に、調査記録、図譜・写真などを出来るだけご紹介したいと思います。
1.明治5年・近畿東海地方古社寺調査(壬申宝物検査)
明治4年、文部省の町田久成、蜷川式胤の建言により、明治政府は「古器古物保存方(法)」を発布します。
神仏分離令の余波とも云うべき廃仏毀釈の嵐が吹き荒れる中、その惨状を憂い、古器古物の保存・保護を企図したもので、我が国文化財保護行政の嚆矢と云われています。
明治5年(1872)年には、約5か月にわたり実施された関西を中心とした古社寺や旧家の宝物調査を実施します。
実施された年の干支をとって、一般に「壬申検査」と呼ばれています。
主だったところでは、東大寺、法隆寺、東寺などの古寺のほか、正倉院、桂離宮、京都御所などの宝物を調査しています。
この時作成された記録や資料をご紹介します。
【壬申検査社寺宝物図集】【古器物目録】
調査宝物の拓本や描画とその解説が納められた図集と、調査目録です。
図集は全10冊で、目録と共に壬申検査関係資料として重要文化財に指定されています。
(東京国立博物館所蔵)
宝物図集の画像は、
国立博物館画像データベース「e-國宝」歴史資料→壬申検査関係資料
で全てカラーで見ることが出来ます。
古器物目録は、
MUSEUM255~278号 (S47~49)
に、収録されています。

壬申検査古器物目録(東京国立博物館蔵)
【奈良の筋道】
蜷川式胤が残した、調査記録兼旅日記のようなものです。
綴られている出来事や感想などは、結構面白く読めます。
廃仏毀釈の渦中にあった寺院の惨憺たる衰微荒廃の有様、正倉院勅封開封の感激などが記録されており、大変興味深い記録・紀行文になっています。
なかには、美しい芸妓、舞妓を呼んだとか、その名前まで記してあったりして、人間味と親しみを感じてしまいます。
また、横山松三郎撮影の当時の奈良の古寺の有様などの貴重な写真も、豊富に掲載されています。

蜷川式胤・奈良の筋道(原本)
この「奈良の筋道」は、平成17年(2005)に、全文が活字化されて出版されました。
蜷川式胤「奈良の筋道」 米崎清美編著 (H17) 中央公論美術出版社刊 【473P】 13000円


「奈良の筋道」中央公論美術出版社刊
【写真師・横山松三郎撮影写真】
壬申検査に写真師として同行した横山松三郎は、膨大な量の古社寺写真や宝物写真を撮影しました。
それらは、当時最新であった立体的に見えるというステレオ写真です。
現在、重要文化財に指定されています。
我が国における古社寺、古美術品写真の嚆矢と云えるものです。
ただ、壬申検査の時は、仏像のことは、ほとんど調査記録に書かれておらず、信仰・礼拝対象と見られていたようで、横山の撮影した写真も、古社寺の建物や工芸品などの宝物の写真がほとんどで、仏像の写真はほんの少しだけ残されているに過ぎません。

横山松三郎撮影・東大寺大仏(ステレオ写真)

横山松三郎撮影・法隆寺夢殿
横山の写真は、
国立博物館画像データベース「e―国宝」歴史資料→壬申検査関係写真
東京国立博物館 情報アーカイブ 古写真データベース(検索キーワードに「横山松三郎」と入力)~994枚掲載
で、見ることが出来ます。
大量な写真群で、見るのは大変なのですが、めずらしい写真揃いで結構圧巻です。
2.明治12年・印刷局古美術調査旅行
当時の印刷局長・得能良介の発案により、5か月弱にわたり実施された古美術調査です。
関東・中部・近畿地方、1府12県に及ぶ大調査旅行で、寺社80か所、工場18か所、陵墓6か所などを訪問しています。
日本の古美術品が大量に外国へ販売されて流出している現状を憂いた得能は、これらを調査し記録として後世に残すとともに、印刷局技術向上にも役立てたいと考えたのでした。
お雇い外国人、キヨッソーネも同行しています。
【国華余芳】
調査旅行で鑑賞した古器物、景勝を図集にしたものです。
「多色石版図集」(2分冊)と「写真帖」(5分冊)の2冊が造られました。
とりわけ、多色石版図は、十数色の多色刷り石版印刷で、細部には手彩色もほどこされており、技術の粋を尽くした見事で美麗なものです。
平成19年(2007)に、「国華余芳の誕生」という展覧会が開催され(お札と切手の博物館)、実物を眼近に観ましたが、その見事な出来に感動しました。

国華余芳・多色石版図集

国華余芳石版図・正倉院「碧地金銀絵箱」

国華余芳石版図・正倉院「平螺鈿背円鏡」

国華余芳・写真帖

国華余芳写真・東大寺大仏殿
国華余芳は、
国立国会図書館 近代デジタルライブラリー (検索キーワードに「国華余芳」と入力)
で全編観ることが出来ますが、モノクロの画像で、判り難いのが残念です。
【朝陽閣鍳賞・朝陽閣帖・朝陽閣集古】
これも、石版図集のようですが、どの様ないきさつで作成されたのか、私はよく知りません。
「朝陽閣」とは、当時の印刷局の別称だったようです。
朝陽閣鍳賞と朝陽閣帖は、
<国立国会図書館 近代デジタルライブラリー (検索キーワードに「朝陽閣」と入力)
で、見ることが出来ます。
これもモノクロ画像です。
【得能良介・巡回日記】
当時の印刷局長・得能良介が書き残した、調査旅行日記です。
私は、内容をみたことがありませんので、どの様なことが書かれているかわかりません。
一度、読んでみたいものです。
ネット検索によると、
「得能良介巡回日記 : 明治十二年文化財歴訪の旅」 益田清編 1996.1
という復刻版が出ているようですが、市販されていない私家版のようです。
【続く】
単調な資料紹介で、相当、退屈されたと思います。
残念ながら、次回もこの話が続きます。
【その2】は、「明治17年の京阪神古社寺調査」の資料紹介から始まります。
もう少しご辛抱下さい。