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観仏日々帖

古仏探訪~天理市・西井戸堂妙観寺 十一面観音立像


今回は、奈良県天理市西井戸堂町に在る、西井戸堂妙観寺の十一面観音像をご紹介したいと思います。

この十一面観音像は、随分以前から一度観ておかなければと、大変気になっていた仏像ですが、なかなか訪れる機会がなく、時が過ぎてしまいました。
この8月に、やっとのことで訪れることが出来ました。

西井戸堂 十一面観音立像 正面....西井戸堂 十一面観音立像 斜め


「何が」気になっていたのかと云いますと、

この観音像は、奈良時代の塑像の心木が仏像の体内に包み籠められた形で、平安時代後期に造立された仏像であったからです。
現在の観音像の旧像であった奈良時代の塑像心木を、平安時代になって天平旧像を再興するにあたって、旧像心木を体内に籠めたのに違いありません。
こうした旧像を体内に籠める例は、それほど知られておらず、珍しい仏像だといわれているものです。
きっと、旧像に対する信仰上の深い思いや、強い意志が、残された心木に籠められていたに違いありません。


西井戸堂妙観寺は、山邊御縣坐神社(やまべのみあがたにますじんじゃ)の境内に在ります。
妙観寺はこの神社の神宮寺でしたが、明治維新時の神仏分離で廃寺になってしまいました。今では、十一面観音の祀られる観音堂と鐘楼だけが残されています。


山邊御縣坐神社....西井戸堂 妙観寺

この観音堂は、地元の地区の方々が管理されています。
私は、天理市の教育委員会に連絡をとり、管理者の方のご連絡先を教えてもらい、拝観のお願いをしたところ、大変快くご了解を頂戴いたしました。

当日は、2名の方がお立会いいただいたのですが、
「本来は4~5人の世話人が揃って開扉をするのですが、都合がつかずに2名だけになってしまい申し訳なくおもっております」
とお話しいただき、大変恐縮してしまいました。

地元の方々に、本当に大切に信仰される仏様として守られているのだと、痛感しました。

到着前に、厨子の前扉と後扉を共に開けておいていただいており、早速に正面、背面共にじっくりと間近で観ることが出来ました。

十一面観音 厨子.....十一面観音厨子 後扉

すらりと背が高く直立し、スタイルの良い姿が印象的です。

像高は2メートル半ぐらいありそうです。(全高・含む台座:263.0㎝、像高:244.8㎝)
顔の表情、肉付き、衣文の処理などは、いかにも平安後期の仏像という感じです。
しかし、見るからに藤原仏というような、穏やかな優美さとか、技巧的な表現ということはありません。
バランスよく上手に造形されていますが、「天理」という地の、やや地方的な素朴さや土臭さのようなものを感じさせずにはいられません。
優雅な藤原仏よりも、何か訴えかけてくる力のようなものを感じさせます。

「天理市の仏像」天理市教育委員会刊の解説にも、

「その全容は破綻なく整えられていて、この地の平安後期の菩薩像のなかでは、抜きんでた存在と云える。」

と記されています。

十一面観音 上半身.....十一面観音 顔面


さて、問題の塑像心木はどのようになっているのでしょうか?

実は、私は、奈良時代の塑像心木が、仏像の体内(内刳りの中)に完全に納められているものと、思い込んでおりました。
場合によっては、心木は取り出されて、別に保管されているのかなと、勝手に想像していたのです。

ところが、観音像を実見してビックリです。
現在の観音像の台座部分は、塑像心木の台座部分をそのまま利用して、再興新像を台座の上に鉛筆のキャップをかぶせるようなかたちで造られていたのです。

後で調べてみると、こんな写真がありました。
至文堂刊・日本の美術255号「塑像」西川杏太郎著に掲載されていました。
心木を包みこむように新像の十一面観音像が造られているのがよくわかると思います。

塑像心木と体幹部......心木を利用した台座
塑像心木と体幹部                         心木を利用した台座

よく見ると、下半身の衣の両端が妙に出っ張っているのに気が付きました。
何故だろうと確認すると、旧像の心木の幅が広すぎるので、衣の線を突き出て左右に出っ張ってしまっているのです。

「天理市の仏像」解説によると、

「心木の高さは台を含め210㎝、東大寺法華堂の日光・月光像などとほぼ同じ大きさの像であったと考えられる。・・・・・・・・・・・・
この心木を包むように十一面観音が造られている。
頭部、体躯部それぞれ一材製で、背面から深く内刳りを施し、頸部で矧ぎ付け、後頭部と背部(台上面にまで至る)に分けて背板を当て根幹部を形成している。
足元の両足部は心木の幅が広いため、左で20㎝、右で25㎝高まで心木が露出して像の表面になっている。」

と記されています。

十一面観音 膝下部.....心木が突出した膝下部
十一面観音 膝下部                         心木が突出した膝下部


まさに、天平旧像の心木と平安新像とが相互に合体して、一つの新たな観音像を創り上げている仏像です。
それほどにしてまでも、当初の仏像への厚い信仰や崇敬への思いを込め、引き継いでいきたかったのだと思います。


このように、仏像内に旧像を籠めて造立している作例は他にあるのでしょうか?
いわゆる胎内仏というのは別にして、旧像を中に籠めた仏像は、私の知っている限りでは2つの作例があります。

■福岡・観世音寺 木造不空羂索観音像
(塑像心木を体内に籠める)~貞応元年(1222)

■京都・浄瑠璃寺 木造馬頭観音像
(木彫破損仏を体内に籠める)~仁治2年(1241)

このほかに、
■奈良・与楽寺 十一面観音像
~天福元年(1233)~(奈良or唐時代、檀像・十一面観音を体内に籠める)

がありますが、同旨の例に入るのか、いわゆる胎内仏か、どう考えるべきかよくわかりません。

ご参考までに、現存像と体内に籠められていた旧像心木・破損仏の写真を、掲載しておきます。

観世音寺 不空羂索観音像......観世音寺 不空羂索観音像 体内塑像心木
観世音寺 不空羂索観音像             観世音寺 不空羂索観音像 体内塑像心木


浄瑠璃寺 馬頭観音像............浄瑠璃寺 馬頭観音像 体内破損仏
浄瑠璃寺 馬頭観音像            浄瑠璃寺 馬頭観音像 体内破損仏


こうして見てみると、ほかの作例は皆、旧仏の心木や破損仏を完全に体内に籠めてしまったものです。


注目したいのは、西井戸堂の十一面観音像が、天平心木を平安木彫に籠めたとはいうものの、天平旧仏の心木の形を削ったりせずにそのままの姿で取り込んで、これを包みこむキャップのような形で平安木彫を新造したという、新旧合体像であるということです。

秋篠寺・伎芸天像や梵天像などのように、古い時代の像の一部分に新しい時代の像を継ぎ足した合体像という仏像も、折々見られますが、
この十一面観音像も、それぞれの時代に込められた信仰の力が、このような仏像を造らせたものだろうと思います。

この西井戸堂・妙観寺を訪れ、地元の方々が、心よりこの十一面観音様を大切にお守りされている様子を伺うと、形は変わっても、信仰の力がしっかりと今もなお息づいていると、心に感じるものがありました。


【追記】

コメントに「藤鎌天平様」から、仏像内に旧像を籠めて造立している「鞘仏」の、他の作例についてご教示を頂戴しました。

うろ覚えで、いい加減に書いてしまい、お恥ずかしい限りです。
ご教示いただいた、道成寺・千手観音像、冷水寺・十一面観音像は、まさに鞘仏像にあたる仏像です。
調べなおしてみましたら、曼荼羅寺・観音勢至菩薩二像も鞘仏にあたると思われます。
いずれも、近年、解体修理等により発見された仏像です。
他にも、こうした鞘仏像があるのかもしれませんが、この3つの鞘仏像について、追加でご紹介させていただきます。


道成寺・千手観音立像
和歌山県日高郡にある道成寺の北向き観音の体内から発見された千手観音像です。
北向き観音は、33年に一度の開帳の秘仏でですが、1987年本堂解体にあわせて調べた処、大破した仏像破片が体内に収められているのが発見されました。
この像は、奈良時代の製作で道成寺の当初本尊と考えられるものです。
その後、この体内仏は、復元修復され重要文化財に指定されました。

道成寺体内発見千手観音像
道成寺体内発見千手観音像(修復復元像)


冷水寺・十一面観音坐像
滋賀県長浜市高月町の冷水寺には、江戸時代の十一面観音坐像が残されていますが、1996年観音堂修復の際、体内台座の中から、焼け焦げ炭化した平安時代の作と思われる聖観音坐像が発見されました。
伝承によれば、痛ましい姿の仏像を村人たちが、元禄15年(1702)に京都で十一面観音坐像を造り、御開帳法要の際にその胎内と台座内深く納めたといわれています。

冷水寺十一面観音坐像...冷水寺体内仏像...冷水寺体内に収まっている様子
冷水寺十一面観音坐像  冷水寺体内仏・聖観音坐像像    観音像の体内に収まっている様子


曼荼羅寺・観音勢至菩薩像
愛知県江南市の曼荼羅寺には、江戸初期製作の観音・勢至両脇侍像がありますが、2008年これらの常を修理した際、体内に仏像が収められていることが発見されました。
体内仏もそれぞれ観音・勢至両菩薩像で、室町時代初期の制作と考えられています。