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観仏日々帖

あれこれ~「仏像を見る眼はうつろうのか?~近代仏像評価の変遷をたどって」 連載が終わりました 【2019.07.06】


昨年(2018年)11月からHP「日々是古仏愛好」に連載していました

「仏像をみる眼はうつろうのか?~近代仏像評価の変遷をたどって」

が、ようやく終了いたしました。

仏像評価の変遷タイトル

30回、約8ヶ月という長きにわたる連載になってしまいました。

マニアックで単調な話でしたので、ずっとお読みいただいた方は少なかったのではないかと思うのですが、お付き合いいただきありがとうございました。


「近代仏像評価の変遷をたどってみたい」

このような思いに駆られてから、もう随分の年月が経つのですが、やっとのことで、お粗末なものながら纏めることができて、ちょっとホッとしているところです。

「明治以来、優れた傑作と云われる仏像は、どのようにうつろい、変遷しているのだろうか?」

「仏像の美術的評価観(美のモノサシ)と、折々の時代精神、思潮とはどのようにかかわりあっているのだろうか?」

私が、こんな「近代仏像評価変遷史」とでも云うテーマに、強い関心を持つようになったきっかけは、2冊の本を読んでからではないかと思います。
2冊とも、私にとっては鮮烈で、長く心に残る本になった本です。


一冊は、
「奇想の系譜」辻惟雄著 1970年 美術出版社刊
です。

奇想の系譜


この本は、あまりにも著名な本なので、皆さんもよくご存知のことと思います。
江戸絵画の異端とみられた岩佐又兵衛、伊藤若冲、曽我蕭白などを広く世に知らしめ、美術史の脇役であった彼等を、江戸絵画のスターに押し上げたエポックメーキングな著作と云われています。

この本で採り上げられた若冲をはじめとする画家達の、昨今の人気上昇ぶりを見ていると、また長らく本流といわれた狩野派の絵の人気の凋落ぶりをみると、

「美のモノサシ、評価観というのは、時代とともにこれほどに変わるものか!」

と感じました。


仏像彫刻の世界でも、戦後になって、神護寺・薬師如来像に代表される平安初期一木彫像の評価や人気が急上昇します。
「奇想の系譜」の話とは直接関係がないのですが、「古典的写実、理想美」の天平彫刻が人気の本流であったのが、戦後になって、「魁偉、森厳、迫力」といった言葉で語られる、異貌の平安初期彫刻が注目を浴びるようになるのを、つい連想してしまいました。

「近代仏像彫刻の評価観の変遷」を追ってみたいという思いが湧いてくる、一つのきっかけになりました


もう1冊は、
「法隆寺への精神史」 井上章一著 1994年 弘文堂刊
という本です。

法隆寺への精神史


連載の中でもご紹介しましたが、本来ブレることが無いはずの学問領域も、折々の時代精神、時代思潮に大きな影響を受けている、その呪縛の中にあることを説いた本です。

同じ法隆寺建築についても、

明治期には
「法隆寺にはギリシャ文化が息づいている、それがエンタシス」

大正期には
「法隆寺は日本独自の文化により生み出された、それが法隆寺式伽藍配置」

と、声高に論じられていたことが、そのことを象徴的に物語っているという話です。

この言説、私にとっては結構新鮮な驚きで、仏像彫刻の美術史的評価観も、同じように時代精神、思潮の影響で変化しているのではないかという関心が高まってきました。


そんなところから、一度「近代仏像評価の変遷史と、背景にある時代精神、思潮」をたどってみたいと思っていたのですが、
明治以来現代に至るまで、

「美術史書にどのような仏像が優れた仏像として採り上げられているのか?」
「それぞれの仏像が、どのような評価コメントで語られているのか?」

を調べて整理してみるというのは、結構大変な作業で、時間と手間ヒマがかかりそうです。

ずーと頭の中にあり、いつもモヤモヤしたものがあったのですが、本気で調べてみようという気にもならずに、ズルズルと過ごしてきました。

最近は、随分ヒマになって時間もできるようになりましたし、今のうちにトライしてみないと、もう齢をとって頭もボケて根気も続かないだろうと思って、取り組んでみたのが、
今回の連載 
「仏像を見る眼はうつろうのか?~近代仏像評価の変遷をたどって~」
でした。

果たして、調べ始めてみると、案の定、主要美術史書採り上げ仏像のピックアップ、解説コメントの整理や、関連する書籍、美術研究誌解説、論考にあたってみるという作業が、思った以上に面倒で、根気のいる仕事になってしまいました。


手間暇をかけた割には、ビックリするような新たな発見や、新知見をご紹介するという結果にはならず、誰でもが予想の付く、「極々あたりまえの話」になってしまいました。

連載「Ⅵ おわりに」  でご覧いただいた、「近代仏像評価変遷史のエッセンス」 のとおりです。

近代仏像評価の変遷イメージ

「そんなの常識!」の一言で、終わってしまうのではないでしょうか。

この程度のことをまとめるのに、そんなに時間をかけて調べて、30回もの連載を掲載したのかと、皆さんに笑われてしまいそうです。
自分の考えに都合の良い材料だけを、良いとこ取りで引っ張ってきて、創った一つのストーリーなのかもしれません。

しかし、長らく頭の中で「近代仏像評価変遷史~評価観のうつろい」を整理してみたいと、モヤモヤし続けていた私にとっては、お粗末ながら、そのモヤが晴れたようで、心の荷物を一つおろしたような気持であるのも実感です。


資料の羅列や、単調な文章がダラダラと続くだけという、自己満足的な面白みのない話にお付き合いいただくことになってしまいましたが、


この連載で、


「近代仏像評価変遷史と、その背景にある時代思潮」
いうものに、ご関心、ご興味を持っていただける人が、少しでも増えたのであれば、

このテーマを考えてゆく上での参考材料を、何ほどか提供できて、お役に立ったのであれば、


大変嬉しく存ずる次第です。


あれこれ~「神奈川仏教文化研究所 」HPは、「日々是古仏愛好」と改称させていただきました。 【2019.1.1】


あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いいたします。


ブログ観仏日々帖リンクのHP 「神奈川仏教文化研究所」 は、この度、HP名を 「日々是古仏愛好」 に改称させていただきました。



HPの掲載記事等のコンテンツは、従来と一切変わりはありません。

URL (http://kanagawabunnkaken.web.fc2.com/) も、これまでのとおりとさせていただきます。



「神奈川仏教文化研究所 HP」は、現在、個人の仏像愛好のHPとして運営させていただいておりますが、HP創設以来の経緯もあり、一見、研究機関のような名前が冠され、今に至っています。

個人の仏像愛好の趣味のHPに過ぎないサイトとしては、ちょっと不似合いな名称となっていたもので、いずれかのタイミングで実態にマッチした名称に変更する必要があると思っておりました。

長らく「神奈川仏教文化研究所」の名称で、皆様に親しんでいただいていたHP名称を変えることについては、ためらいも相当にあったのですが、

今般、新年を迎えるのを機に、思い切って「日々是古仏愛好」という名称に変更させていただくことといたしました。


HP開設から、今般の改称に至るまでの話などにつきましては、

 「日々是古仏愛好」HP   ホームぺージ名称の改称のお知らせ

に、記させていただきましたので、ご覧いただければと思います。


新HP 「日々是古仏愛好」ですが、「仏像愛好のHP」らしい名称になったのではないかと思っております。


これからも、お役に立ちそうな仏像関連情報や、仏像関連テーマの話の掲載に努めてまいりますので、ブログ「観仏日々帖」共々、何卒、よろしくお願いいたします。


あれこれ~新連載「仏像をみる眼はうつろうのか?~近代仏像評価の変遷をたどって」がスタートします  【2018.11.3】


近代仏像評価の変遷・タイトルページ


神奈川仏教文化研究所HP  「古仏愛好」ページで、

「仏像をみる眼はうつろうのか?~近代仏像評価の変遷をたどって」

連載 第1回  【はじめに】


と題した連載を、新たにスタートさせていただくこととしました。


仏像が、「美術作品」「仏像彫刻」として観られるようになったのは、明治時代半ば頃のようです。
それから現代までの百年数十年の間に、優れた彫刻作品として評価された仏像が、どのように変遷していったかをたどってみようとする話です。

「近代仏像評価変遷史をたどる試み」  とでも云って良いのかもしれません。



最近「仏像と日本人-宗教と美の近現代」という本が、出版されました。

「仏像と日本人~宗教と美の近現代」 碧海寿広著 2018年7月 中公新書刊 


仏像と日本人

「近代仏像鑑賞概史」とも云える本で、大変興味深く読みました。

この本、いろいろな書評に採り上げられるなど話題を呼び、結構、売れ行きもよいようです。

明治維新以降、現代にいたるまで、近代日本における「仏像鑑賞の有様、移り変わり」を、文化財保護にかかわった人、仏像鑑賞する教養人、仏像写真家などからたどっていった本です。

岡倉天心、和辻哲郎、亀井勝一郎、土門拳、入江泰吉、白洲正子、みうらじゅんなど、時代時代に「仏像を観た人」が、どのような視点や感性で仏像を鑑賞したのかが論じられています。
これらの人たちが、「美術作品としての仏像」と「信仰の対象としての仏像」をどのような眼で捉え、どのような態度で接していったのかをたどることによって、美術と宗教のあいだで揺れ動く近代の仏像鑑賞の諸相が論じられています。


私も、明治以降の近代における古寺や仏像にまつわる話は、従来から関心が強いテーマです。

これまでも、
文化財保存の話、仏像修理・模造の話、仏像写真家の話、仏像新発見や盗難の話
などを「神奈川仏教文化研究所HP」・「観仏日々帖」などで、ご紹介してきたことがあります。

実は、一番興味があった話は

「明治以降、近代の仏像の評価は、どのようにうつろい、変遷していったのだろうか?」

というテーマでした。

現在、人気NO1の興福寺・阿修羅像は、明治時代にはほとんど評価されていなかったようですし、広隆寺の宝冠弥勒菩薩像もそのようです。
神護寺薬師如来像に代表される平安初期一木彫も、現在は、高い評価でその魅力が語られますが、明治大正期の評価は随分違ったものであったようです。
仏像の評価も時代と共にうつろっており、評価観、美のモノサシも時代々々の思潮、時代精神に大きく影響されているようです。

いわば「近代仏像評価変遷史」とでもいうものをたどってみるというのも、大変興味深いのではないだろうかと思い、このテーマについて、少しずつ調べてみたりしていました。

以前、「観仏日々帖」に、
「明治時代の美術史書にみる『仏像の評価』を振り返る」
と題して、明治時代の仏像評価の特質や変遷について、ふれさせていただいたこともあります。


「仏像と日本人~宗教と美の近現代」という本に触発された訳でもないのですが、丁度良い機会かと思い、思い切って、明治から現代までの仏像評価の変遷をたどる「近代仏像評価変遷史」を、

「仏像をみる眼はうつろうのか?~近代仏像評価の変遷をたどって」

という連載に、まとめてみようという気になりました。


どんな話になりそうかということについては、「連載予定の目次」をまとめてみました。

近代仏像評価の変遷・目次


この目次、ご覧いただいて、如何でしょうか?
おおよそ、どんな内容の話になりそうなのかは、ご想像がつくのではないでしょうか。

かなりというか、相当にマニアックな話なので、皆さんのご関心があるのかどうか心持たないところですが、
「近代仏像評価の変遷と時代精神、思潮との関わり」
をたどっていくというのも、なかなか興味深いテーマなのではないかと思います。


実は、まとめるのに結構、手間と根気のいる作業でした。

20回以上の長い連載になり、資料やリストの羅列が続く、面白みの無い話が続きそうなのですが、辛抱してお付き合いいただければと思います。

あれこれ~中国石窟探訪旅行記 「中国 四川省 古仏探訪の旅」 連載スタート  【2018.8.25】


沼田保男氏の、中国石窟・石仏探訪旅行記の第4弾、

「中国 四川省 古仏探訪の旅」

の連載が、 神奈川仏教文化研究所HP でスタートします。


中国 四川省 古仏探訪の旅


毎週、全9回連載で掲載させていただきます。


前回掲載の第3弾「中国河北省・山東省の古仏を訪ねて」から、ほぼ3年ぶりの中国仏像旅行記となります。

沼田氏の、並大抵ではないマニアックな中国仏像石窟の探訪、踏破ぶりは、これまで掲載の中国石窟旅行記をご覧いただいても、お判りのとおりと思います。
今回の「四川省 古仏探訪の旅」は、それに輪をかけてという感じの、普通ではなかなか訪ねるのが難しい石窟寺の数々を訪ねます。

四川省の石窟とか仏像といわれても、皆さん、余りなじみがないのではないでしょうか?

私などは、四川方面といわれると、大足石刻、楽山大仏という巨大石仏、成都万仏寺出土の石仏といった名前を、かろうじて知っているというぐらいです。


沼田氏の今回の四川方面探訪は、四川博物院で開催された大規模仏像展「梵天東土展」を観ることも、大きな目的であったということですが、

石窟寺などは、

「皇澤寺、広元千仏崖、巴中南・西龕、閬中大仏、碧水寺摩崖仏、梓潼千仏崖、蒲江飛仙閣」

といったところを巡っています。

唐代を中心とした北魏時代からの石仏龕ということですが、私には、全く聞いたこともないところばかりです。

余程のツァーでも、まず訪れることはない処だと思います。
旅程を段取りして、スケジュール予約するのも、マニアックすぎて難しかったようです。


沼田氏自身も、探訪記の中で、

「四川省でもメインの観光地から離れたほとんど人の行かない地であったにもかかわらず、往復のフライトと初日の宿のみ予約し、その後はまさに“出たとこ勝負”という信じ難い旅であった。」

と、綴られています。

地元のタクシーでも、場所が判らないといったことも、折々あったようです。
こうした誰も訪れないような石窟寺を巡れることが出来たのは、事前のターゲット・リサーチと、中国在住のご友人と共にごく少人数で巡った旅であったからこそと思います。


四川地域の石窟、仏像については、近年になって、注目を浴びてきているようです。

ご存知の通り、四川地域は、中国南北朝時代では南朝エリアにあります。
仏像遺品が豊富な北朝に比べ、極端に遺品が少ない南朝にあって、近代になって四川地域から相次いで石仏遺品が出土していることが、「仏像様式の南北議論」を活発にしているようです。
しかしながら、四川地域の仏像は、単純に南朝様式文化エリアという訳ではなく、唐代に至るまで、多様なルートでの文化伝播ルートが想定されるなど、中国仏教彫刻愛好家にとっては、大変興味深い処のようです。

一方で、四川地域の仏像について採り上げて論じたりする本も、ほとんどなくて、私の知っている限りでは、

「仏教美術から見た四川地域」 (奈良美術研究所編、2007年・雄山閣刊)

ぐらいしか、無いように思います。

今回の探訪記に綴られた、諸々の石仏についての鑑賞記や写真画像なども、これまでの日本の中国彫刻についての出版物では、ほとんど採り上げられていないのではないでしょうか。


「四川省 古仏探訪の旅」をご覧いただいて、「知られざる四川地域の古仏像」について知っていただくと共に、沼田氏ならではの深い造詣で綴られた旅行記を、是非、お愉しみいただければと思います。



これまで掲載させていただいた、沼田保男氏の中国石窟旅行記は、次のとおりです。
併せて、お愉しみいただければと存じます。


中国山西省 雲岡石窟・古寺・古仏 感動の旅  (2010年) 

黄河上流域 遥かなる石窟の旅   (2011年)

中国河北省・山東省の古仏を訪ねて   (2015年)



あれこれ~「近代仏像発見物語をたどって」 連載、終了しました 【2018.3.17】


神奈川仏教文化研究所HPに連載していました 「近代仏像発見物語をたどって」 の連載は、

第13話「三重・見徳寺 薬師如来像 発見物語」(2018.3.10掲載)で、終了とさせていただきました。

近代仏像発見物語

神奈川仏教文化研究所HP 「近代仏像発見物語をたどって」  【目 次】


2016年10月、第1話「運慶仏発見物語」をスタートしてから、全部で33回、約1年半にわたって連載させていただいたことになります。

「観仏日々帖掲載の発見物語」の焼き直し転載が大方なのにもかかわらず、長らくご覧いただきありがとうございました。

今回の連載では、明治以降の新発見の仏像の「大発見物語」を、発見年を追って時系列で並べさせていただきました。
主なる「近代仏像発見の歴史」を概観することができるようになって、お役に立つものになったのではないかと思っております。


仏像発見物語というのは、単なる蘊蓄話と云ってしまえばそれまでなのですが、ノンフィクション・ドキュメントを読んでいるような、理屈抜きの面白さがあります。
ご紹介した「発見物語」も、蘊蓄物語、こぼれ話、物知り話といったような気分で始めたのですが、書き終えてみると、それだけではない意義や、重みのようなものを実感することになりました。

当たり前ですが、新たな発見が、従来の仏教美術史の考え方や様式展開論の定説を覆したり、新たな問題提起となることも多々あります。

とりわけ、 「運慶作の仏像発見物語」 は、

「新たな運慶作の仏像が発見されるたびに、それまでの運慶仏の作風イメージが覆され、定説が覆される。」

という話の連続で、書いている本人がビックリさせられたり、考えさせられたりすることばかりでした。
発見のいきさつなどを調べたりしているうちに、すごく面白くなってきて、ついつい書くのに力がこもってしまいました。


そのほかにも、

「岩手・黒石寺の薬師如来像の発見」 が、東北地方の仏像研究のみならず、地方仏研究を大きく進展させるきっかけとなった話、

「東寺・御影堂の不動明王発見物語」 の、息の詰まるほどの緊張感と興奮に満ちた話、

「立山神像の発見里帰り物語」 の、ジーンと熱いものがこみ上げるような100年ぶりの里帰りの話

などなど、

それぞれの発見物語のいきさつを調べていると、自分自身で感動してしまうことが、折々ありました。


そんな驚きの「仏像発見物語」のネタも、もう尽きてしまいました。
これで「おしまい」にさせていただきましたが、ご覧いただきました方々の、お役に立ち、お愉しみいただけたとしたら、大変、嬉しく思うところです。


また、何か、新たな仏像愛好の連載ネタを見つけることができましたら、掲載させていただきたいと思っています。

正直なところ、もうネタ切れで、無い知恵を絞ってもなかなか面白いテーマが思いつかなくて、困っています。


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