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観仏日々帖

新刊・旧刊案内~「奈良きたまち・異才たちの肖像」安達正興著  【2019.12.07】


こんな本が、出版されました。

「奈良きたまち・異才たちの肖像」 安達正興著
2019年10月 奈良新聞社刊 【447P】 1500円

「奈良きたまち・異才たちの肖像」安達正興著

表紙のそでには、本書の内容について、このように記されています。

「奈良きたまち」とは「奈良まち」に対して名付けられた呼称であるが、興福寺、東大寺の門前町として南都では最も古い地区である。
・・・・・・
長い歴史のある土地だけに、史上知られた人物はたいへん多い。
この「きたまち」に生まれ、あるいは生涯の大半をこの地で生きた4人の異才たちを、前著「奈良まち 奇豪列伝」の続編として評伝に書き綴った。」



【奈良きたまちに暮らした、「異才」4人】


「奈良きたまち」に住まいした「異才」4人の足跡をたどった本です。

「奈良きたまち・異才たちの肖像」採上げ4人のタイトル

ご覧の通りの、4人が採り上げられています。

侘び茶の始祖によみがえった寺僧 「村田 珠光」

死して萬世の英名あり、史跡保存に奔走 「棚田 嘉十郎」

孤高の仏師、一刀彫の名工 「竹林 高行」

語学の天才、30余冊を著して夭折 「宮武 正道」

侘茶の創始者といわれる「村田珠光」は、大変有名です。
赤貧の中で平常宮跡の保存運動に生涯をささげた「棚田嘉十郎」のことは、ご存じの方もいらっしゃるのではないかと思います。

残りの二人、「竹林 高行」と「宮武 正道」という名を知る方は、ほとんどいらっしゃらないのではないでしょうか。
「竹林 高行」は、奈良一刀彫の名工で、森川杜園没後、一刀彫に新境地を開いた異才だそうです。
「宮武 正道」は、30冊ものマレー語書・辞典他を著した、夭折の語学の天才ということです。

私は、この二人は、初めて耳にする全く知らない名前でした。



【前著「奈良まち奇豪列伝」の続編として刊行】


本書「奈良きたまち・異才たちの肖像」は、2015年に発刊された「奈良まち 奇豪列伝」の続編というべきものです。

「奈良まち 奇豪列伝」安達正興著

前著には、
「石崎勝蔵」「工藤利三郎」「左門米造」「ヴィリヨン神父」
という、知られざる奈良まちの奇豪の面々が採り上げられていました。

観仏日々帖・ 新刊・旧刊案内「奈良まち・奇豪列伝」 で、以前に紹介させていただいたことがありますので、ご覧いただければと思います。

両著ともに、明治以降の近代奈良の文化史を振り返るとき、記憶にとどめておきたい「奈良まち・きたまちの知られざる奇豪、異才」と呼べる人達が採り上げられています。
かねてから近代奈良文化史に関心の強い私にとっては、まさに興味津々そのものの本といえるものです。



【マニアックな奈良本~著者はノルウェー在住に驚嘆】


本をお読みいただくと、今では、ほぼ忘れ去られた「奇豪、異才」の功績、人となり、生涯などが、本当に丁寧に綴られています。
関係者からの聞き取りや、旧居、縁のある場所から墓所に至るまでの確認、実見なども、ここまでと思うほどに丹念にたどられています。
その分、読み応えのある、知られざる「奇豪、異才」の発掘、列伝になっているのだと思います。
まさに「マニアックな奈良本」といえる本です。

「こんな仕事は、長らく奈良在住の、奈良の物識り、生き字引とでもいえる方でないとできないのだろう。」

そんな気持ちで、奥付ページの著者・安達正興氏の略歴を見てみて、ビックリしてしまいました。
このように書かれていたのです。

「1941年2月、奈良市に生まれる。
大阪美術学校卒、今竹七郎に師事。
1971年ノルウェー、ベルゲンに移住、現在に至る。
・・・・ベルゲン大学の講師や会社勤務などを経て・・・・
退職後、郷土奈良への関心から人物評伝を書き始める。」

奈良出身とはいうものの、もう50年弱ベルゲン在住だというのです。
「あとがき」によると、奈良在住の御令妹の取材サポートもあった故とのことですが、奈良に住まわずして、帰国時取材などでこれだけの執筆をされたということなのです。

地元の奈良通でも難しいだろうと思われる、こんなマニアックな奈良本を書き上げるとは、まさに驚きというほかはありません。
「只々、敬服」の一言です。



【関心そそられた「竹林高行」の生涯~知られざる奈良一刀彫の名工】


さて「奈良きたまち・異才たちの肖像」の詳しい中身は、本をお読みいただくことにして、私が、一番興味関心をそそられたのは「竹林 高行」についてでした。

竹林 高行~本書第3章冒頭ページ
竹林 高行~本書第3章冒頭ページ

「竹林 高行」という名前は、まったく知りませんでした。

明治期の仏像模造で知られる竹内久一の弟子で、明治39年(1906)日本美術院の国宝修理部門として奈良に置かれた美術院第二部の発足メンバーとして、仏像修理に携わった人物ということなのです。
近代仏像模造史や仏像修理修復史に関心高い私にとっては、興味津々です。

本書「竹林 高行」の章の目次
本書「竹林 高行」の章の目次

竹林高行は、履中斎を名乗る、奈良一刀彫の名工。
明治2年(1869)、奈良に生まれ、木工の神童といわれ竹内久一に師事。
28歳で奈良に戻り、仏像修理、仏像彫刻作品制作の携わり、その後、81歳で没するまで、奈良一刀彫の名工として知られた人物だそうです。
本書には、その生涯が語られているとともに、仏像作品、一刀彫作品、30件余がリストアップされています。

竹林高行作 法隆寺・救世観音像模刻~本書掲載写真
竹林高行作 法隆寺・救世観音像模刻~本書掲載写真

媚びない一徹な芸道で、奇癖、風変わりな処もあり、名工の割には世に知れ渡ることがなかったということです。
子息の竹林薫風氏(1903~1984)は、奈良一刀彫の第一人者。
帝展~日展作家として知られ、奈良工芸協会理事長を務め、「奈良の一刀彫」という著作もあります。



【明治の仏像修理に携わった竹林高行~竹内久一の高弟・奈良の美術院発足時メンバー】


ここでは、 「竹林高行と竹内久一、奈良美術院がらみの話」 を、ちょっとたどってみたいと思います。

明治期の仏像模造と竹内久一のことについては、HP埃まみれの書棚から 「明治の仏像模造と修理 【模造編】」 で詳しく紹介させていただきました。

竹内久一は、岡倉天心の計画による仏像模造事業の、牽引車、立役者といえる人物です。
天心の命により、東大寺法華堂・執金剛神像、東大寺法華堂・伝月光菩薩像、興福寺北円堂・無着像、東大寺戒壇堂・広目天像、興福寺東金堂・維摩居士像を模造しました。

東大寺戒壇堂・広目天増模造(竹内久一作).興福寺北円堂・無著像模造(竹内久一作)
竹内久一による模造仏像 ~ (左)東大寺戒壇堂・広目天像、(右)興福寺北円堂・無著像

その後も、帝室技芸員に任ぜられるなど、木彫作家の大家となった仁です。

竹林高行は、この竹内久一が奈良滞在の時にその技量を見込まれて弟子入り、高弟として竹内から東京美術学校助教授に推薦されるほどであったようです。
竹内の大作、伎芸天像(シカゴ万博出品・東京藝大蔵)も、竹林高行が手伝ったのだそうです。

竹内久一作・伎芸天像
竹内の大作、伎芸天像~竹林高行が制作を手伝った

竹林は、28歳で奈良へ戻りますが、こうした経緯もあり、明治34年から始まる日本美術院の奈良諸大寺の仏像修理事業に参画します。
日本美術院は、明治39年(1906)に改組され、国宝修繕部門は、本拠を奈良に置く「日本美術院第2部」となりますが、竹林もこの「日本美術院第2部」の発足メンバーの一人であったようです。

「日本美術院第2部」発足当時の記念写真が残されていますが、その中に竹林高行の姿も写っています。

明治39年日本美術院第2部発足記念写真(東大寺勧学院前)
明治39年日本美術院第2部発足記念写真のメンバー氏名
明治39年日本美術院第2部発足記念写真(東大寺勧学院前)

記念写真の立っている人、向かって右から5番目が竹林高行です。

近代仏像修理と日本美術院修理部門の歴史については、HP埃まみれの書棚から 「明治の仏像模造と修理 【修理編】」 で、連載したことがあるのですが、その時には、竹林高行の名前には、まったく気づきませんでした。



【今は忘れられた仏像修理草創期に参画した人たち
~語り継がれているのは「新納忠之介」ぐらいか】

奈良の美術院による仏像修理といえば、なんといっても総責任者であった「新納忠之介」(にいろちゅうのすけ)の名が語られます。
新納忠之介は、「近代仏像修理の父」と呼ばれることもあり、今日に至るまで長らくその名が語り継がれています。

しかし、明治期に「日本美術院第2部」発足時に新納忠之介と共に仏像修理に参画した人たちの名は、忘れられてしまっているようです。



【仏像修理草創期メンバーのワンポイント・エピソードを振り返る】


奈良の知られざる「異才」を発掘した本書ではないですが、ここで、「日本美術院第2部」発足当時に新納忠之介と共に仏像修理に携わった人のエピソードを、私の知っている限りで発掘し、一寸だけふれてみたいと思います。

当時、新納と共に仏像修理に携わったメンバーで、何らかのエピソード情報が手元にあるのは、竹林高行の他では、次の人たちです。

天岡均一、菅原大三郎、細谷三郎、国米元俊、明珍恒夫

皆さん、これらの名前をご存じでしょうか?

詳しくふれると長くなりますので、それぞれのワンポイント・エピソードをご紹介したいと思います。


〈天岡 均一〉


天岡均一は、「大阪・中の島の難波橋に鎮座するライオン像」の作者です。

天岡均一.大阪中の島 難波橋・ライオン像
(左)天岡均一、(右)天岡作の大阪中の島 難波橋・ライオン像

このライオン像、大阪人の方なら、よくご存じだと思います。
天岡は、兵庫県三田市出身の天才彫刻家を称されています。
明治8年(1875)生~大正13年(1924)没、東京美術学校で高村光雲、竹内久一に師事、美術院で仏像修理に携わり、その後、大阪で活躍しました。
彫刻以外にも鋳造の工芸品や書道や絵画にも秀れ、酒好きで自由奔放な生活、豪気な人柄で交際範囲もひろかったということです。
2013年に、「北浜ライオン誰の作 天岡均一没後90年回顧展」という展覧会が三田市立図書館で開催され、その業績が発掘回顧されています。

「天岡均一没後90年回顧展」チラシ
「天岡均一没後90年回顧展」チラシ


〈菅原 大三郎〉


菅原大三郎
菅原大三郎
菅原大三郎(1873~1922)は、新納忠之介と共に日本美術院草創期から、現場主任として仏像修理を行ってきた、草分け的な存在です。
この菅原大三郎、和辻哲郎著の「古寺巡礼」に登場するのです。
唐招提寺を訪れ、仏像修理現場を見学するくだりにこのような記述があります。

「金堂の大きい乾漆像を修繕しつつあるS氏に案内されて、私たちは堂内に歩み入った。
・・・・・・・
S氏が側で、昔の漆の優良であったことなどを話している。」

このS氏が、菅原大三郎です。

もう一つ、興福寺の乾漆十大弟子像のうち、破損断片などとなった4躯分が寺外に出ていますが、そのうち1躯の断片復元制作を行ったのが菅原大三郎です。

菅原大三郎が復元制作した興福寺・十大弟子像
菅原大三郎が復元制作した興福寺・十大弟子像

この復元像は、2014年にクリスティーズのオークションに出品され、アメリカのコレクターに落札されて話題を呼びました。
この像は、十大弟子像の断片が残されていたものを、大正11年(1922)に菅原大三郎が復元制作し、当初は武藤山治の旧蔵となっていた、知る人ぞ知る像でした。
一見では、断片復元像とは思えない、当初像と見まがう程の見事な出来映えです。


〈細谷 三郎・而楽〉


細谷三郎(1875~1940)は、細谷而楽という号で知られています。
群馬出身、東京美術学校で高村光雲に師事、奈良の美術院で仏像修理に携わります。

細谷三郎・而楽.細谷而楽が制作した新薬師寺・波夷羅大将像
(左)細谷三郎・而楽、(右)細谷が制作した新薬師寺・波夷羅大将像

新薬師寺の国宝・十二神将像は、一躯が失われていて現代(1931年)の復元製作像ですが、この復元、波夷羅大将の制作者が、細谷而楽です。
現代の復元像だと教えられないと、天平時代の国宝像と全く見分けがつきません。

もう一つ、東大寺戒壇院近くの水門町にある写真家・入江泰吉の旧居は、現在公開されていて、ご存じの方が多いことと思います。

元細谷而楽の居宅だった入江泰吉旧居
元細谷而楽の居宅だった入江泰吉旧居

この旧居は、細川而楽の居宅となっていたものを、細川没後に入江泰吉が譲り受けたものです。


〈国米 元俊・泰石〉


国米元俊(1879~1957)は、国米泰石と号しました。
鳥取県八頭郡の出身、国米24歳の時、山陰地方の古社時調査に訪れた岡倉天心に引き合わされ、天心添え書きをもって奈良に赴き日本美術院(第2部)に入所、長らく仏像修理に携わりました。
メンバーほとんどが東京美術学校出身者のなか、わき目もふらず努力を重ね、頭角を現したといいます。

国米元俊・泰石.「よみがえる仏像 仏像修理と仏師・国米泰石」展 図録
(左)国米元俊・泰石、(右)「よみがえる仏像 仏像修理と仏師・国米泰石」展 図録

2003年、「よみがえる仏像 仏像修理と仏師・国米泰石」という特別展が、鳥取県立博物館で開催されました。
鳥取出身の知られざる仏像彫刻家、修理者「国米泰石」の業績を振り返る展覧会でした。
この展覧会で、国米泰石の名が少しばかりは知られ再発掘されたのではないかと思います。

奈良の大寺の仏像修理にも携わっていますが、出身地方である中国地方や、四国、九州の仏像修理を数多く手がけたようです。
鳥取三仏寺・蔵王権現像や高知雪蹊寺・湛慶作毘沙門天増などは、国米泰石の手により修理されたものです。

国米泰石が修理修復した、鳥取三仏寺・蔵王権現像国米泰石が修理修復した、高知雪蹊寺・毘沙門天像
国米泰石が修理修復した仏像、(左)鳥取三仏寺・蔵王権現像、(右)高知雪蹊寺・毘沙門天像


〈明珍 恒夫〉


明珍恒夫
明珍恒夫
明珍恒夫(1882~1935)は、仏像修理、研究の世界では、忘れることのできない功績を残した人物です。
長野県、甲冑師で知られる明珍家の出身で、年少にして高村光雲に師事、17歳にて東京美術学校に入学、その後はずっと日本美術院で仏像修理修復に従事しました。
美術院(第2部)草創時代から多大な業績を上げ、昭和10年(1935)には、初代新納忠之介の後を継いで、美術院の二代目総責任者(主事)となります。
ところが、その5年後、肺炎で、59歳で急逝してしまい、新納忠之介が再度総責任者に返り咲くことになります。

明珍は、優れた修理技術者であるのみならず、研究家としても30余編の研究論文を発表するなど、技術、研究両面において指を屈すべき権威であったといえるでしょう。
その著書「仏像彫刻」(1936刊)は、今でも読み継がれている、仏像愛好家必読の古典的良書となっています。

明珍恒夫著「仏像彫刻」
明珍恒夫著「仏像彫刻」

急逝ということなく、長生きしていたならば、仏像修理、研究の世界で、もっともっと著名な人物になったに違いありません。


竹林高行がらみで、奈良における日本美術院第二部発足時代のことにふれたついでに、その当時、仏像修理に携わり活躍した人たちを振り返って、ワンポイント・エピソードを紹介させていただきました。
これらの人々は、今はもうその名を忘れ去られてしまったといってもよい人々なのかもしれませんが、それぞれの活躍、功績に思いを致してみたくなった次第です。

面白みのないマニアックな薀蓄話のようになってしまいましたが、なにとぞご容赦ください。



【奈良きたまち散策で見つけた、竹林高行旧宅】


本書を読んで、触発され、先週奈良へ出かけたときに「奈良きたまち」をブラリ散策してきました。
きたまちのシンボルともいえる元鍋谷交番(現きたまち鍋屋観光案内所)のごく近くに、竹林高行の旧宅が残されていました。

奈良きたまちのシンボル元鍋谷交番・案内所
「奈良きたまち」のシンボル元鍋谷交番・案内所

奈良きたまちにある竹林高行の旧宅
「奈良きたまち」にある竹林高行の旧宅

ご覧の通りの、いわゆる奈良の法蓮格子の立派なお屋敷でした。
「竹林薫」と記された、表札が上がっていました。



【最後に、平常宮跡保存の先覚者「棚田嘉十郎」についても少しだけ】


最後に、本書に採り上げの「異才」の話に戻って、「棚田嘉十郎」のことを、ちょこっとだけふれさせていただきたいと思います。

明治期、植木職人でありながら、窮貧の中での自己犠牲的活動によって、平城宮跡保存運動にすべてをささげ、これに絡んで自害して生涯を終えた人物です。

棚田 嘉十郎~本書第2章冒頭ページ
棚田 嘉十郎~本書第2章冒頭ページ

本書では、

「大極殿に命を賭す 死して萬世の英名あり、史跡保存に奔走」

というリードがつけられています。

「平常宮跡保存の先覚者」といわれる棚田嘉十郎の壮絶な生涯については、ご存じの方が結構いらっしゃるのではないかと思います。



【平城宮跡に建てられる、棚田嘉十郎顕彰碑】


平城宮跡を訪れると、その功績を顕彰する立派な「棚田嘉十郎像」が建てられています。

平城宮跡にある棚田嘉十郎顕彰碑
平城宮跡にある棚田嘉十郎顕彰碑

顕彰碑には、次のように刻されています。

棚田嘉十郎
万延元年(1860)、現在の奈良市須川町に生まれる。

明治の中頃、奈良公園で植樹の職にたずさわっているとき、観光客から平城宮跡の位置を問われ、荒れ放題の宮跡に保存の意を強める。
明治35年(1902)、地元での平城宮跡保存の運動が高まると嘉十郎も参加、平城神宮の造営をめざしたが、資金面で行き詰まる。
以来、嘉十郎は、貧窮の生活のなか、自費で平城宮跡の保存を訴え、上京を繰り返し、多くの著名人から賛同の署名を集める。
そのようななかで、地元の有志・溝辺文四郎らは、嘉十郎の運動に協力し多くの援助をおこなった。
・・・・・・その後、保存事業が進展し始めたことにふれられた後・・・・・・
しかし、用地買収が軌道にのりだして間もなく、嘉十郎が推挙した篤志家が約束を破ったことの責任を痛感し、大正10年(1921)8月16日自刃、嘉十郎は、61歳の生涯を閉じた。
苦難に満ちた嘉十郎の悲願は、支持者の努力により達成され、嘉十郎自刃の翌年、大正11年(1922)に国の史跡として保護されることとなった。

平成2年(1990) 8月16日
棚田嘉十郎翁・溝辺文四郎翁顕彰会会長  奈良市長 西田栄三
像制作者 江里敏明

この立派な顕彰碑が建てられたことによって、棚田嘉十郎の名は、長く忘れ去られることがなくなったのだろうと思います。
そして棚田嘉十郎は、その壮絶な死と相まって、平城宮跡保存に全てを投げうった生涯を、美化称賛の思いを込めて語られることが多いのかと思います。



【「等身大の棚田嘉十郎」と、「もう一人の功労者・溝辺文四郎」が語られた本書】


本書「奈良きたまち・異才たちの肖像」の記述で、私が、興味深く注目したのは、次の2点です。

・一つは、棚田嘉一郎について、ありがちな美化称賛に陥ることなく、等身大の実像が描かれていること

・もう一つは、保存運動の前面に立った棚田の脇役に徹しサポートした、溝辺文四郎の功績にスポットを当て、棚田に勝るとも劣らぬ功労者であることが述べられていること

溝辺文四郎というのは、顕彰碑に「棚田嘉十郎翁・溝辺文四郎翁顕彰会」と刻まれている名前です。

溝辺文四郎
溝辺文四郎

平常宮跡保存運動というと、棚田嘉十郎のことが語られるばかりで、もう一人の大功労者、溝辺文四郎は、その陰に隠れてしまうことが多いように思います。

安達正興氏も本著の中で、

「脇役に徹した盟友・溝辺文四郎についても充分述べたいと思う。
・・・・・・
稀有な情熱と至誠を実践した嘉十郎は、強くも弱くもあり、個性が判りやすい。
対照的に溝辺文四郎は、嘉十郎に劣らない情熱を胸に秘めて、決して激情に走らず、黒衣に徹した。
しかも温もりのある家庭人という、苦労人である。
物心両面で支えた文四郎がいなければ、嘉十郎はいつまで単独に奔走活躍できただろう。
感慨深い。」

このように語っています。

「等身大の嘉十郎と、勝るとも劣らぬ功労者・溝辺文四郎」に思いを致すことができた、本書でした。



【棚田嘉十郎、溝辺文四郎の生涯を知ることのできる本、ご紹介】


平常宮跡保存運動の歴史や、棚田嘉十郎、溝辺文四郎の生涯に、よりご関心のある方は、次のような本を、併せて読んでみられると、お役に立つのではないかと思います。

中身の紹介は長くなりますので、書名、書影だけをあげさせていただきます。

「小説 棚田嘉十郎~平城宮跡保存の先覚者」 中田善明著 1988年 京都書院刊 【292P】 1600円

「小説 棚田嘉十郎~平城宮跡保存の先覚者」 中田善明著


「平城宮跡照映 溝辺文和記念文集」1973年 溝辺史晃刊 【452P】

「平城宮跡照映 溝辺文和記念文集」


「明治時代平城宮跡保存運動資料集~棚田嘉十郎聞書・溝辺文四郎日記」 奈良文化財研究所編 2011年刊 【237P】

「明治時代平城宮跡保存運動資料集~棚田嘉十郎聞書・溝辺文四郎日記」


「平城京ロマン 過去・現在・未来」 井上和人・粟野隆著 2010年 京阪奈情報教育出版刊 【189P】 1400円

「平城京ロマン 過去・現在・未来」



「奈良きたまち・異才たちの肖像」の新刊案内のつもりでしたが、随分、余計な話に脱線してしまいました。

ダラダラ、長々と、つまらない話になってしまいましたが、ご容赦ください。


新刊旧刊案内~「ミズノ先生の仏像のみかた」 水野敬三郎著  【2019.3.28】


仏像愛好者には、大変愉しい本が出版されました。


「ミズノ先生の仏像のみかた」 水野敬三郎著
2019年2月 講談社刊 【246P】 1800円


ミズノ先生の仏像のみかた

本の帯のキャッチコピーには、

「世界一確かな眼を持つ先生が語る  世界一確かな仏像講義」

と、あります。
水野敬三郎氏
水野敬三郎氏



著者、水野敬三郎氏は、ご存知の通り、仏教彫刻史研究の権威、泰斗といえる仁です。

現在、87歳ですが、東京芸術大学名誉教授、半蔵門ミュージアム館長を務められています。

「奈良六大寺大観」「平等院大観」「醍醐寺大観」などの執筆の他、現在発刊継続中の「日本彫刻史基礎資料集成・鎌倉時代造像銘記編」の編集責任者でもあります。



【彫刻史研究の大御所が、「仏像のみかた」をやさしく対話する本】


その仏教彫刻史研究界の大御所である水野敬三郎氏が、若いインタビュアーの質問に答えるという会話形式で、「仏像のみかた」が語られる本になっています。

冒頭、「はじめに」に、本書が出来たいきさつについて、このように綴られていました。

「数年前、知り合いを通じて紹介された編集者から、仏像のみかたについて話を聞きたい、できたらそんな本を作りたいという要望がありました。
歳は30代後半という彼女は、以前から京都や奈良の古寺めぐりが好きで、特に最近になって仏像についてもっと知りたくなったとのことでした。

そこで、ときどきお会いして質問に答えるかたちで仏像のみかたについて話をするようになり、その対話の積み重ねがこのような本になったわけです。
教室で講義するような堅苦しい感じではなく、お茶やときにはお酒を飲みながら気軽に話しましたが、時には脱線しそうになったり、少し専門的なところもあったりします。
・・・・・・
とにかく最初から最後まで通して読んでいただければ、仏像のみかたにもいろいろあることがわかり、こんな角度からみるのもおもしろいかなと思っていただけると思います。」

そのとおりで、大変優しい語り口で、愉しく読むことが出来ました。



【初心者向けの仏像入門書のような目次構成】


目次は、ご覧のようになっています。

ミズノ先生の仏像のみかた・目次2ミズノ先生の仏像のみかた・目次1

目次を眺めていると、仏像好きになった初心者向けの入門書的なガイダンス本のように思えます。

ところが、おっと どっこい!

読み進むうちに、一瞬でも、そんな侮った気持ちになったことを、ちょっと反省してしまいました。



【実は、豊かな識見に裏打ちされた、深イイ話があちこちに
~やさしい語り口ながら読み応え十分】

会話形式のやさしい語り口なのですが、長年の研究蓄積、深い見識に裏打ちされた、興味深い話、深イイ話が、あちこちにちりばめられています。

入門書のようですが、むしろある程度のレベルの仏像愛好者が、相槌を打ちながら、ちょっとした気づきを感じながら、気楽に読むのが最もフィットしているような気がする本です。

中身については、買って読んでいただくしかないのですが、ほんの一節を一二ご紹介すると、
こんな感じです。

《耳のかたち》

「平安後期の耳には特色があります。
定朝の平等院阿弥陀如来の耳が典型的ですが、・・・・全体が立体的ではなく非常に平たい。
・・・・・・・
それが鎌倉になると、もっと立体的になってきます。
深く彫って、上脚と下脚の出が大きく、それで立体的になってくる。

そしてまた、つくり手の個人的な差が大きく出てきます。
康慶の耳は、わりあいわかりやすい特徴があります。
耳の前側の部分が前に出てくるんですよ。
耳輪の前の端がぐ~っと巻いて、下脚の曲線も強く巻くのです。

運慶もそこから出発しています。
興福寺の木造仏頭は、2007年に運慶の作と確定しました。
ただ、この仏頭の耳は運慶でもわりあい変わった耳なのです。
それでかつて私は、この仏頭は運慶じゃないと言っていたのですが、しくじってしまいました(笑)。」


ミズノ先生の仏像のみかた・内容1
「ミズノ先生の仏像のみかた」該当ページ

《木彫~カヤと檀像》

「この頃の木彫像には、木寄せにも特徴があるものです。
そこに檀像の影響をみることができます。

例として神護寺の薬師如来があげられます。
突き出した腕のところを、ふつうだったら、腕と同じ方向に木目が通った材を使います。
ところがこの像は縦の材木を使って、体と木目を揃えているのです。

もう一つ例をあげれば、新薬師寺の薬師も神護寺の薬師と同じく縦の材を使って腕の木目を体の木目と揃えています。
・・・・・
ところがこの像の場合は、丸太を10個ぐらいに割った縦材のブロックを寄せてつくっているのです。
神護寺の薬師も新薬師寺の薬師も、できるだけ縦の材を使って、木目の方向を揃えようとしている。
・・・・・・・
この頃は檀像の意識が強くて、こういう木寄せをして一材つくったようにすることで、檀像風にみせようとしたということですね。」


ミズノ先生の仏像のみかた・内容2
「ミズノ先生の仏像のみかた」該当ページ

やさしい語り口ながらも、読み応え十分なところが、判っていただけたのではないかと思います。

気楽に読める本ですが、是非、一読をお薦めします。



【出版記念のカルチャー講座も開催】


本書の出版を記念して、朝日カルチャーセンター横浜で、水野氏による

「私の仏像のみかた~仏像を横から拝むと」

と題する単発講座が、3月2日に開催されました。

出かけてみたら、満席の盛況で、驚かされてしまいました。

本書にとりあげられている「仏像の体型、目のかたち、耳のかたちの変遷」についてのお話でしたが、愉しく聴かせていただきました。

ついでに、「著者サイン本」まで、ゲットしてしまいました。

ミズノ先生の仏像のみかた・著者署名
ゲットした著者サイン本



【旧刊の好著「仏像のひみつ」(山本勉著)のランクアップバージョン】


そういえば「仏像のみかた」の入門書的な本で、随分、人気が出て売れた本がありました。

「仏像のひみつ」「続仏像のひみつ」山本勉著 朝日出版 2006・2008年刊


仏像のひみつ

この本も、学問的知識に裏打ちされた仏像のみかたを、初心者でもよくわかるように平易な語り口と図解で語ったものです。
結構、話題を呼んで、仏像入門書ではベストセラー的になった好著だったと思います。
本書の著者、山本勉氏の師匠格となる人が、水野敬三郎氏です。

「ミズノ先生の仏像のみかた」 は、この「仏像のひみつ」の視点、構成をふまえつつ、もう1ランク、2ランク中身の濃い話、深い話がやさしく語られた本といってよいと思います。



【ミズノ先生著の必読仏像解説書を、もう1冊ご紹介
~ジュニア新書とは思えない中身の濃さ】

ついでに、水野敬三郎氏の判りやすい仏像解説書を、1冊ご紹介しておきたいと思います。

「奈良・京都の古寺めぐり―仏像の見かた」水野敬三郎著  岩波ジュニア新書 1985年刊 【242P】 860円


奈良・京都の古寺めぐり

この本も、仏像のみかたの入門解説書として執筆されたものです。

奈良京都の著名で美術史上重要な仏像が、時代を追って1体ずつ採り上げられています。
法隆寺釈迦三尊像から始まって興福寺北円堂の諸像まで、15件が解説されています。

この本
「ジュニア新書と、あなどるなかれ!」
という、中身の濃いい内容です。

「ジュニア新書」は、中高校生向けの新書のはずですが、
「これを中高生が読んで、よくわかる、愉しく読めるというのは、到底無理」
というレベルの内容です。

一方で、大変平易な語り口で、深く中身の濃い解説がされていますので、仏像愛好者が仏像彫刻史をわかりやすく学ぶという意味では、これほどの格好の書は無いように思っています。
時代を代表する仏像の造形の特色、技法、美術史的意義などがコンパクトかつ丁寧に語られています。

私は、仏像好きになって相当の年数がたってから、この「ジュニア新書」を読み返したときに、書かれた内容の濃さ、重みが判ってきたような気がしています。

もし、読まれたことがなければ、お薦めの一書です。


新刊旧刊案内~「九州仏像史入門~大宰府を中心に」 井形進著 【2019.3.1】


こんな本が出版されました。


「九州仏像史入門~大宰府を中心に」 井形進著 
2019年1月 海鳥社刊 【224P】 2200円


九州仏像史入門



【魅力的書名に、中身も確認せずAMAZONで購入】


AMAZONで仏像関係書をみていたら、新刊で出版されているのに気が付きました。

「九州仏像史入門」という、なかなか魅力的な題名です。
本の中身を確認してから、購入するかどうか決めたいなと思ったのですが、九州の出版社の本で、書店には並んでいません。

AMAZONの本の内容紹介には、

「奈良や京都、鎌倉とは異なる魅力をもつ古物の宝庫・九州。
ここでは大陸からの影響、都からの影響、そして在地の伝統が混ざり合い、個性豊かな仏像たちが誕生してきた。
主に仏教伝来から鎌倉時代にかけて、その歴史を優しく、詳しく解説する。」

とありました。

期待外れの内容だったらガッカリだなと思いながらも、「九州仏像史入門」という本の題名に惹かれて、AMAZONの「今すぐ買う」を、クリックしてしまいました。



【やさしい語り口ながら、読み応え十分の興味深い本】


到着した本を、早速、サラッと一読してみたのですが、なかなか興味深い本でした。

九州仏像史入門

やさしい語り口で書かれているのですが、読み応えのある内容です。
失礼な言い方ですが、「この定価を出して買う値打ちは充分」で、九州の仏像に関心のある方は、是非とも手元に置いておきたい本です。

目次をご覧ください。

九州仏像史入門目次2九州仏像史入門目次1

九州仏像史入門目次4九州仏像史入門目次3

九州仏像史入門目次5

以上のような項立てになっています。


著者の井形進氏は、現在、九州歴史資料館学芸員の任にある、仏教美術の研究者です。

本書の「後記」によると、この本は、著者が講師を務める朝日カルチャーセンター福岡における講座のためのテキストを書籍化したものだそうです。
「大宰府周辺の古仏」「九州の仏像の諸相」というテーマの講座ということで、執筆動機についてこのようにコメントされています。

「あらためて気づかされたのですが、九州の仏像に関しては、研究者が増え、研究の蓄積も進んでも進んでおりながら、全体像を見渡せる書物は多くなくて、そして入門書的なものとなると、適当なものが見当たらない状況でした。

それならば自分で書いてみるかと、非力を省みずに蛮勇をふるって書いたのが、『大宰府周辺の古仏』です。」



【近年、関心の高まる九州の仏像~展覧会も続々開催】


確かに、近年、「九州の仏像」にスポットライトを当てた、大規模な展覧会も、開催されるようになり、注目度はどんどん上がってきているようです。

2006年  「空海と九州のみほとけ展」  福岡市博物館開催
2014年  「九州仏展」  福岡市博物館開催
2014年  「福岡の神仏の世界展」  九州歴史資料館開催
2018年  「浄土九州展」  福岡市博物館開催


空海と九州のみほとけ展九州仏展

福岡の神仏の世界展浄土九州展
九州の仏像にスポットをあてた展覧会ポスター

といった、九州の仏像をテーマにした充実した展覧会が、続々開催されたのは記憶に新しい処です。
きっと、展覧会などに関わる研究者の方々の、九州の仏像に対する調査研究、展覧会開催への取り組みは、並大抵のものではないのだろうと思われます。

そのおかげで、我々のような仏像愛好者の九州の仏像への関心も、随分と高まって、「九州仏」といった、新しい言葉にも、少し耳慣れてきたような気がします。



【これまで見当たらなかった、九州の仏像史を俯瞰した嬉しい本】


一方で、本書の後記に書かれているように、九州(とりわけ筑紫中心エリア)の仏像全体について、美術史的に解説した書物が、なかなか見当たらなかったのも事実です。

「○○の文化財」「○○の仏像」といった個別作品解説的な本はあったのですが、九州という地域の仏像について総合的に俯瞰して、その特性などについてわかりやすく論じた仏像史的な本は、無かったように思います。

そうした総合的視点での考え方は、ご紹介した展覧会の図録に掲載された解説論考、例えば
「北部九州の平安一木彫刻」(「空海と九州のみほとけ展」図録所載)、
「九州における古代木彫像の成立」(「九州仏展」図録所載) ~共に末吉武史氏執筆
といったもので、少しふれることが出来たのではと思います。

ただ、これらの解説は、難しいテーマの話が、短い文章にコンパクトに凝縮されているので、判りやすさ親しみやすさといった面では、ちょっとなじみにくかったような気もします。

そんな意味では、ご紹介の 新刊「九州仏像史入門~大宰府を中心に」 は、カルチャー講座内容がベースになっているだけあって、大宰府を中心にした九州の平安期までの古代仏像の歴史とその特性について、わかりやい語り口で、丁寧に書かれており、我々、アマチュアの仏像愛好者にとっては、大変有難い本といって良いものです。

目次をご覧になってもわかると思いますが、中央の仏像史の流れ、「奈良時代天平仏、檀像彫刻、平安前後期の仏像」といったポイントを追いながら、これと対比した九州仏像史の流れと特性、注目すべき問題などが、興味深く語られています。

いわゆる「九州仏」というものを知り、その特性と問題点をわかりやすく知るには、格好の書となっています。



【とりわけ興味深かった、九州の平安前中期彫刻の二つの流れの話】


詳しい内容については本書を読んでいただくとして、私が、とりわけ興味深く感じたのは、次のような話です。

「大宰府を中心とした平安前中期彫刻の、大きな二つの流れ」

とでもいうべき、見方の話です。

著者、井形氏は、大宰府を中心とした平安前中期彫刻の流れを、

・浮嶽神社・如来形立像をはじめとした、大宰府ゆかりの公的性格が強い工房の諸像
・長谷寺・十一面観音立像をはじめとした、在地的で神祇信仰的な影響が強い諸像

の、二つに分けてみることが出来ると述べています。

井形氏によると、

大宰府周辺の平安前中期彫刻をたどっていくと、まず最澄が、遣唐使渡航の際に竈門山寺に造像したという檀像薬師の面影を残す平安初期彫像としては、若杉霊峰会・千手観音像、谷川寺・薬師如来像が想定されるが、その後の平安前中期彫像を俯瞰すると、前記のような「二つの仏像制作集団の存在」が想定される。

ということです。

若杉霊峰会・千手観音像...谷川寺・薬師如来像
(左)若杉霊峰会・千手観音像、(右)谷川寺・薬師如来像

ここで、二つの流れについて、どのように論じられているのかを判りやすくふれていこうとすると、話が長くなってキリがありませんので、それは本を読んでいただくとして、論旨について、誤解を恐れずに、思い切って大胆に、ピンポイントのみをまとめた一表を作ってみました。

大宰府周辺の平安前中期彫刻の二つの流れ

勝手な自己流解釈の要約ですので、間違っていることが結構あろうか思います。
この表のまとめでは、何が云いたいのかよくわからないと思いますが、何卒、お赦しください。

浮嶽神社・如来形立像.浮嶽神社・如来形立像(左袖のV字状衣文)..観世音寺・阿弥陀如来像
(左)浮嶽神社・如来形立像・左袖のV字状衣文、(右)観世音寺・阿弥陀如来像

長谷寺・十一面観音像..八所宮・十一面観音像
(左)長谷寺・十一面観音像、(右)八所宮・十一面観音像



【九州仏特有の「腰帛」表現は、大陸からの直接取り込みか?】


私が、興味深かったのは、大宰府周辺の平安前期彫刻に、二つの仏師集団の存在を想定されていることでした。
ひとつは主要寺社の中枢的な公的仏師集団、もう一つは、在地的で神祇信仰とかかわる仏師集団とでもいうのでしょうか。

そして、在地的集団には、霊木信仰などのほかに、宗像神社、志賀海神社といった海の神との関わり合いが考えられる。
近年、九州特有の造形表現として注目されている「腰帛」(ようはく)という衣の表現も、当地の工房が、新たに大陸から直接的に取り込んだ服制である可能性があるということです。
(「腰帛」というのは、天衣とは異なって、膝前下半身で完結しているU字状の飾り帯のことを言います)

長谷寺・十一面観音像の腰帛
長谷寺・十一面観音像の腰帛(腰から膝にかけてのU字状飾り帯)

私は、これまで、九州の仏像を観てきて、このような二つの区分けというのは、考えたこともありませんでした。
本書のような、見方、考え方には、異論もあるようで、二つのグループに、何処まで、特徴的な差異を明確に認めることが出来るのかは、よくわからないのですが、興味津々の視点での整理で、惹き込まれるように読んでしまいました。


今般発刊の「九州仏像史入門」は、「九州仏」と呼ばれる仏像の特徴、歴史を知り、考えてみるには、格好の一書だと思います。
しっかりと深みある話を、研究書とは違って、やさしく判りやすく読むことが出来るのが、何よりです。



【地方仏には、大陸・半島からの直接影響造形はあるのか?
~都、中央からの文化伝播ではない造形】

最後に、「九州仏」というと、大陸や半島からの直接影響による造形とか表現というのがあるのだろうかということが、頭に浮かんできます。

ご紹介の「九州仏像史入門」では、「腰帛」について、
「新たに直接的に大陸から取り込んだ服制である可能性」
についてふれ、

中国に実例作品があることを指摘して、
「九州北部には造像にあたり、大陸の作を直接参照しうる環境があったのではないかと考えています。」
と述べられていました。

地方の仏像の造形を考えるとき、一般的には、
「奈良・京都という中央から文化的伝播という流れの方向性」
のなかで考えてしまいます。

どうしても、中央の仏像を頭の中において、どのような影響がみられるか、中央との時間差、時代差をどう見るべきかということしか、考えていないような気がします。

「九州仏」についても、同じ視点で見てしまっているのも事実です。



【大陸的空気感が気になる、2つの地方仏
~愛媛・庄部落と鳥取・東高尾観音寺の仏像】


そうした中で、稀に、奈良、京都の仏像の影響下の仏像とは考えにくい造形感覚の仏像に出会うことがあります。
私が気になっているのは、愛媛県松山市、庄部落薬師堂の菩薩立像(奈良末~平安前期)と、鳥取県東伯郡北栄町、東高尾観音寺の千手観音立像(平安前期)です。

愛媛庄部落薬師堂・菩薩立像鳥取東高尾観音寺・千手観音像
大陸的空気感を感じさせる二つの地方仏
(左)愛媛庄部落薬師堂・菩薩立像、(右)鳥取東高尾観音寺・千手観音像


いずれの像も、奈良、京都の中央仏の流れにあるような造形感覚とは、かなり違うものを感じます。
中央に、これらの像の元になるような仏像のイメージがわいてこないのです。

「大陸的な空気感」

情緒的な言葉なのですが、一番フィットした表現のように思います。

庄部落は大陸的スケールの茫洋さ、観音寺は大陸的のびやかさ、おおらかさという感覚がします。
それぞれフィーリングは違うのですが、プロポーションも顔つきも、全体の雰囲気も、中央から伝播した造形表現とは、私には、思えないのです。
魅力的な仏像だけに、気になってしまいます。

愛媛も、鳥取も、九州と同じですが、大陸、半島から都への文化の流入ルートの途中にあって、都では採り入れられなかった造形フィーリングの仏像が、これらの地に遺されたような気がしています。

みなさんは、どのように感じられているでしょうか?


九州の仏像を考えるときも、そのような視点も入れて見ていくことに、ちょっと興味深さを感じています。


新刊・旧刊案内~「仏像と日本人ー宗教と美の近現代」 碧海 寿広 著  【2018.8.18】


ちょっと変わった切り口の、興味深い本が出版されました。


「仏像と日本人-宗教と美の近現代」 碧海寿広著 2018年7月 中公新書刊 【255P】 860円


「仏像と日本人ー宗教と美の近現代」碧海 寿広 著


【近代日本の仏像鑑賞の移り変わり、様々な視点を辿った本】


明治維新以降、現代にいたるまで、近代日本における「仏像鑑賞の有様、移り変わり」を、文化財保護にかかわった人、仏像鑑賞する教養人、随筆家、仏像写真家などなど、諸々の視点からたどっていった本です。

仏像鑑賞随筆や、仏像ガイドブックといった本は、これでもかというほど沢山あるのですが、「近代日本の仏像鑑賞を辿る」というテーマでまとめられた単行本は、この本が初めてなのではないでしょうか。

本書の表紙扉には、このような内容紹介がされています。

「仏像鑑賞が始まったのは、実は近代以降である。
明治期に吹き荒れた廃仏毀釈の嵐、すべてに軍が優先された戦時下、レジャーに沸く高度成長期から、“仏像ブーム”の現代まで、人々はさまざまな思いで仏像と向き合ってきた。
本書では、岡倉天心、和辻哲郎、土門拳、白洲正子、みうらじゅんなど各時代の、“知識人”を通して、日本人の感性の変化をたどる。
劇的に変わった日本の宗教と美のあり方が明らかに。」

このように綴っても、この本の内容のイメージが、きっと頭に浮かんでこないことと思います。


「目次」をご覧ください。

「仏像と日本人」 目次

「仏像と日本人」 目次

「目次」の各章の項目と小見出しをご覧いただくと、
「なるほど、こんなテーマについて書いた本なのだ。」
ということが、およそ想像がつかれたのではないでしょうか。

「近代仏像鑑賞概史」と称してもよいような内容になっています。

これらのテーマを、こんなふうにまとめた類書は、無かったように思います。
目次の各項目、一つ一つのテーマについて採り上げた小論、論考などが、美術雑誌に掲載されているものは、探すといろいろあるのですが、ひとまとめにして単行本にしたものは、初めてみました。



【これまでになかった近代仏像鑑賞概史とも呼べる本~美術作品と宗教的対象の二面性の視点で語る】


著者の碧海寿広(おおみとしひろ)氏は、本書の「まえがき・あとがき」で、本書の執筆意図や内容などについて、このように記しています。

碧海 寿広 氏
碧海 寿広 氏
「近代以降、西洋的な美術鑑賞の文化が日本に輸入され、やがて、仏像もまた美術品ととらえる風習が形成される。
その結果、仏像を信仰対象として拝むのではなく、美術品として鑑賞し語る人びとが増えた。
本書が詳しく論じるのは、こうした仏像をめぐる近代以降の変化である。
・・・・・・・
本書は、こうして美術と宗教のあいだで揺れ動く、近現代の日本人の心模様を追跡する。
そして、そこに見出される、新しい宗教性の諸相を明らかにしていきたい。」

「仏像の本は少なくない。
・・・・・・・・
が、本書のように、日本人と仏像の関係や、仏像をめぐる人びとの想像力や宗教性をテーマにした著作は、あまり多くない。
特に、近現代の仏像を取り巻く状況に関して、この種の検証や考察を行った書物は、これまで皆無だったと思う。
前例がないため、執筆にはさまざまな創意工夫が必要であった。
そうして試行錯誤のすえ完成した本書は、宗教学的な議論を基調にしながらも、美術史をはじめ多様な学問分野に接続した、学際性の豊かな作品に仕上がったと自負する。」

碧海寿広氏は、龍谷大アジア仏教文化研究センター博士研究員を務める、近代仏教研究者で、「入門 近代仏教思想 (ちくま新書)」などの著作があります。

中公新書HPには、【著者に聞く『仏像と日本人』/碧海寿広インタビュー】が掲載されています。



【「近代日本と仏像」に関する話は、私の最も関心あるテーマで興味津々】


皆さん、この本に、ご興味、ご関心を持たれましたでしょうか?

私は、明治以降、「近代における仏教美術、仏像に関する話や出来事」は、最も関心のあるテーマです。
「どうしてか?」
と聞かれても、困るのですが、「仏像鑑賞、仏像愛好の世界」以上に、面白く興味深くて、いろいろ調べてみたりしています。

神奈川仏教文化研究所HPの「埃まみれの書棚から」連載にも、「近代奈良と古寺・古文化をめぐる話 思いつくまま」と題して、近代の古寺、仏像にまつわる話を掲載させていただいています。

本書「仏像と日本人」の採り上げテーマに関する話では、次のような話を採り上げたことがあります。

二人の県令、四条隆平・税所篤~廃仏知事と好古マニア(廃仏毀釈の話)

明治の文化財保存・保護と、その先駆者~町田久成・蜷川式胤

奈良の仏像写真家たちと、その先駆者


そんなわけで、この本は出版予告の段階から興味津々で、発売日に即座に購入したのでした。

馴染みの深いテーマの本でしたので、一気に読破してしまいました。
私には、大変、面白く、興味深い内容でした。
近代における仏像鑑賞とそれを取り巻くテーマについて、コンパクトにわかりやすくまとめられています。
「近代仏像鑑賞史」を、「美術作品としての仏像、宗教的対象としての仏像」のはざまという視点で、流れをたどった読み物のようになっていました。
様々なエピソードなども、いろいろ挿入されており、愉しく読み進めます。

「目次」のようなテーマに、ご関心がある方には、格好の必読書です。
それほどの関心がない方も、仏像好きの方なら、是非、一読をお薦めします。

結構、幅広く多面的な切り口から書かれていますので、面白い話が並んでいるのですが、ちょっと羅列的に登場するなとか、それぞれのテーマについてもう少し掘り下げて知りたいという印象もありました。
新書というボリュームの制約がありますので、致し方ないことだとは思いますが・・・・・

この切り口、テーマでの、第2弾の著作が、いずれ発刊されるのを、期待しています。



【関連本を3冊ご紹介~ご関心ある人へ】


最後に、このテーマに興味を待たれた方のために、関連本を、絞り込んで3冊だけ、ご紹介しておきます。


「〈日本美術〉の発見」 吉田千鶴子著 (2011年) 吉川弘文館歴史文化ライブラリー 【209P】 1700円

「日本美術の発見」

明治維新から始まる、明治期の古美術品、文化財の調査、保存保護の歴史とその取り組みについて、時系列に体系的に、きわめて判りやすく綴られています。
副題には「岡倉天心がめざしたもの」と付され、岡倉天心はが、いかに古物、宝物を「美術」品として再評価させたのか。
フェノロサらと関わりつつ古美術保護に献身し、「日本美術」発見にいたる天心の足跡が記されています。


「仏像と近代」浅井和春執筆 (1993年) 東京国立博物館「大和の古寺の仏たち展図録」所収 

「大和の古寺の仏たち展図録」

東博で開催された特別展「大和の古寺の仏たち」の図録です。
冒頭、10ページに亘って、浅井氏の「仏像と近代」と題する一文が掲載されています。
今般出版の「「仏像と日本人」の内容の、エッセンス、超コンパクト版といった内容ですが、たいへん判りやすくまとめられています。


「写された国宝」(2000年)東京都写真美術館企画監修・同名特別展図録 【173P】

「写された国宝展図録」

この展覧会は、明治初年の横山松三郎から現代に至るまでの代表的仏像写真作家達を時系列で振り返る画期的な写真展でした。
いわゆる近代仏像写真の歴史を、一覧することが出来る、貴重な図録です。
それぞれの写真作家たちの特色、魅力についても丁寧に解説されており、「写された国宝~日本における文化財写真の系譜」(岡崎章子)と題する、充実した解説・論考も載せられています。
明治初期からの文化財、仏像写真の歴史とその系譜を知るには、必携必読の本です。


新刊・旧刊案内~「奈良・大和を愛したあなたへ」 千田稔著   【2018.7.19】


読んでみると、ほのぼのとした心温まる気持ちになりました。

「奈良愛」とでもいうのでしょうか?
「奈良」という地へ心寄せる、深い愛情を感じる本でした。


「奈良・大和を愛したあなたへ」 千田稔著 2018年1月 東方出版刊 【162P】 1600円


千田稔著「奈良・大和を愛したあなたへ」



【近代奈良ゆかりの人々への想いを綴った本~41人へ差し出す手紙】


この本、明治以降の「近代奈良」にゆかりのあった著名人、学者、文化人、41人について綴った本です。
「41人へ差し出した手紙」という形式をとって、彼らの奈良での足跡や状況、作品などをたどり、当時の思いに寄り添いつつ、著者自身の奈良への愛惜が綴られています。

「近代奈良を彩る人物の紹介本」のようなつもりで、ページをめくっていったのですが、読み進むうちに、著者の「ほのぼの、しみじみとした深い奈良愛」の方に心惹かれるような気持ちになってしまいました。

本の帯に

「奈良にゆかりの 多彩な人たち その足跡に 思いを寄せ 大和への 愛情を綴る」

と書かれていましたが、まさにそのとおりです。

目次をご覧ください。

「拝啓 伊藤博文様」から始まって、著者から41人へ差し出す手紙の形式がとられています。

「奈良・大和を愛したあなたへ」目次1

「奈良・大和を愛したあなたへ」目次2

「奈良・大和を愛したあなたへ」目次4「奈良・大和を愛したあなたへ」目次3


採り上げられた人物、その小見出しをみると、近代奈良の文化史にご関心のある方ならば、大変興味深いラインアップになっていると感じられると思います。

私は、近代奈良の文化史に関心が強く、神奈川仏教文化研究所HPに、 「近代奈良と古寺・古文化をめぐる話 思いつくまま」(埃まみれの書棚から・第24~31話) という連載を掲載したりしていますので、この目次を見ると、そこで採り上げたテーマピタリの項目もいくつかあって、益々、読書欲をそそられてしまいました。



【著者の「奈良愛」がにじみ出す語り口】


著者の千田稔氏は、著名な歴史地理学者で、数多くの著作がある方なので、ご存知の方も多いのではないかと思います。

千田稔氏
千田稔氏
千田氏は、1942年、奈良県生まれ。
本書に、「奈良愛」が、にじみ出しているように感じるのも、ご自身が奈良の地に生まれ育ったということからなのでしょう。

千田氏は、あとがきで

「本書には、明治よりこの方、いわば往年の奈良を訪れた、あるいは奈良に関心をもった各分野で名の知られた人々の筆によって奈良に寄せる思いを書かれた文に寄り添って、私からその方々へ差し上げた手紙という形式をとってみた。
本書にとりあげた方々の文に接しながら、奈良に対して愛惜の念が漂うのを思わざるをえなかった。」

このように語っています。

その語り口と、内容のさわりに、ちょっとだけ触れていただけるように、
「拝啓 関野貞様」の最初のページを、ご覧いただきたいと思います。

「奈良・大和を愛したあなたへ」~関野貞ページ


名宛人に寄せる想い、ほのぼのとした語り口を感じていただけたのではないかと思います。
随想的な文章なのですが、歴史地理学者である深い学識に裏打ちされた内容で、近代奈良文化史にかかわった、それぞれの人々の足跡やエピソードが奥深く紹介されています。

一気に読破してしまいました。

奈良の近代文化史と人物にご関心ある方には、是非、おすすめの一冊です。

著者の千田稔氏は、現在、奈良県立図書情報館の館長も務められています。
本書は、そうしたことから奈良のフリーペーパー、雑誌「喜楽」に2006年から21012年にかけて、連載掲載されたものが、単行本化されたものだそうです。



【公募で「奈良・大和を愛したあなたへ」エッセイも募集】


この連載は、好評であったようで、奈良県立図書情報館では、千田館長の連載だけではなく、一般からの公募も企画してみようということで、2010年に、県立図書館創立100周年記念「奈良・大和を愛したあなたへ」エッセイ募集というイベントが実施されました。

7件のエッセイが、入選となったようです。

入選作品については、
「奈良県立図書情報館のイベント情報
「奈良・大和を愛したあなたへ」エッセイ募集 審査結果について
で、読むことが出来ます。

ご関心ある方は、ご覧になってください。



【近代奈良の文化史ゆかりの人物を採り上げた本のご紹介】


ところで、本書に名前が挙げられているような、近代奈良の文化史にゆかりのある人物について、まとめて記されたような本は、有るようで意外と無いものです。

近代奈良の文化的な出来事などについて書かれた、いわゆる「奈良本」という随筆本の中に、折々、ポツポツと語られていることはあるのですが、人物だけを採り上げてまとめた本は、ほとんどありません。

そんな中で、近代奈良文化史にかかわる人物をテーマにしたような本を、私の知る限りで、ちょっとだけご紹介しておきたいと思います。


「大和百年の歩み 社会人物編」 1972年 大和タイムス社刊 【718P】 4000円

「大和百年の歩み 社会人物編」


大和タイムス社の明治百年記念事業として刊行された、奈良県近代の百年史の三部作「政経編、文化編、社会人物編」の中の一冊です。
分野を限らず、奈良近代史にかかわった重要人物、130余名の列伝が記されています。

文化史的な分野では、
北畠治房、森川杜園、棚田嘉十郎、溝辺文四郎、加納鉄哉、水木要太郎、保井芳太郎、高田十郎、森本六爾、富本憲吉、新納忠之助
等々が、採り上げられています。



「文士の大和路」 田中昭三著 1998年 小学館刊 【127P】 1600円

「文士の大和路」

奈良にゆかりの深い文士たちについて、その文学作品、奈良での歩いた道や宿、足跡、エピソードなどをたどったガイドブック的なエッセイ本です。
司馬遼太郎、志賀直哉、和辻哲郎、森鴎外、堀辰雄、折口信夫、会津八一、幸田文、亀井勝一郎、水原秋櫻子、谷崎潤一郎、佐多稲子、
の12名の文士が採り上げられています。
関連のコラムも豊富で、気楽に愉しく読める本です。


「奈良まち 奇豪列伝」 安達正興著 2015年 奈良新聞社刊 【335P】 1500円

「奈良まち 奇豪列伝」

書名のとおり、奈良に在住した「奇人、奇豪」と呼ばれる人物の列伝。
ほとんど知られていない人物かもしれませんが、
石崎勝蔵、工藤利三郎、左門米造、ヴィリヨン神父、吉村長慶
という人物の列伝が語られています。


「奈良百題」 高田十郎著 1943年 青山出版社刊 【350P】 5.1円

「大和寸感」 青山茂著 2005年 青垣出版刊 【316P】 2100円

「奈良百題」「大和寸感」

この2冊は、いわゆる「奈良通」によって綴られた、「奈良本」です。
昭和前期と近年に発刊された本ですが、いずれも、近代奈良の文化的な事柄、出来事についての寸評、エピソードなどが綴られた随筆本です。
この中に、近代奈良の文化史にかかわった人々の話が、頻繁に出てきて、読み進むうちに、これらの人々についての諸々のエピソードを知ることが出来ます。


近代奈良にゆかりのある人への愛惜を綴った本「奈良・大和を愛したあなたへ」のご紹介とともに、近代奈良文化史にかかわる人物を採り上げた、いくつかの本にふれさせていただきました。


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