FC2ブログ

観仏日々帖

古仏探訪~2019年・今年の観仏を振り返って 〈その5〉 11~12月 【2020.02.01】


【11月】


【やっとのことで拝観叶った、興福院の阿弥陀三尊像】


長らく一度拝したくて叶わなかった、興福院の阿弥陀三尊像を拝することができました。
11月の数日、期間限定で拝観できることになったのです。

観仏リスト01(興福院)

興福院・阿弥陀三尊像は、数少ない奈良時代の木心乾漆像の貴重な作例です。
像高は90㎝近くある大型像の優作なのです。

興福院は「こんぶいん」と訓みます。
奈良市内、佐保路にあるお寺なのですが、この阿弥陀三尊像、なかなか拝観が叶いません。
厳重な秘仏という訳ではなく、その昔は、いつでも拝観できたようなのですが、長らく拝観は謝絶となっているのです。
私も、何度か拝観のお願いの連絡をしたことがあるのですが、叶いませんでした。
私同様、一度はこの仏像を拝したいと思われていた方は、結構いらっしゃるのではないかと思います。


〈11月、数日限りの特別公開~急遽、奈良へ駆け付け〉


それが令和改元の記念ということで、11月6~8日と22~24日の6日間、一般公開されることになったのです。

この情報を知ったとき、
「このチャンスを逃すわけにはいかない。何としても、駆け付けなければ!」
と、急遽、奈良へ出かけることにしました。

公開初日の11月6日に、興福院を訪ねました。
佐保路から興福院の石碑を北向きに曲がり、閑静な細い参道をしばらく歩くと、興福院の山門が見えてきます。

興福院への参道

興福院・山門
興福院への参道と山門

待望の一般公開であったのでしょう。
平日であったのにもかかわらず、結構多くの方が拝観に訪れられていました。

興福院 本尊御開帳の掲示板
山門前の興福院 本尊御開帳の掲示板


〈堂々たる天平の木心乾漆像~豊満で弾力感ある肉身表現が魅力的〉


目指す阿弥陀三尊像は、本堂に祀られています。

興福院・本堂
興福院・本堂

内陣の須弥壇上に安置されていて、拝観は外陣からということで数メートルの距離はありましたが、堂内はたいへん明るく、はっきりとその姿を拝することができました。
期待通りの、堂々たる三尊像です。

興福院・阿弥陀三尊像

興福院・阿弥陀三尊像...興福院・阿弥陀三尊像
興福院・阿弥陀三尊像(奈良・重文)

いかにも天平後期、ちょっと爛熟した写実的造形の仏像です。
三尊とも江戸時代といわれる金箔、金泥彩の塗り重ねによって、像容がやや損じているのがちょっと残念です。
三尊共に、面部に後世の手が加えられたと思われるところあるそうです。

とはいっても、肉身の造形は、天平彫刻らしくなかなか魅力的です。
斜めの方向から、双眼鏡で阿弥陀像の体躯をじっくり観ると、胸から腹にかけての厚みのある肉付けはまさに天平風、豊満な弾力感を強く感じ、惹きつけられます。

この阿弥陀三尊像は、桃山時代に興福院が再興されたときにその本尊に迎えられたらしく、それ以前の伝来は明らかではありません。
X線撮影などによると、一木式の木心の乾漆像だということです。

ついに、念願の興福院・阿弥陀三尊像を拝することが叶いました。
この特別公開を企画実現された事務局の方に感謝しつつ、まだまだ後ろ髪を引かれる様な気持ちで、興福院を後にしました。



【知足院・地蔵菩薩像の特別公開に、東大寺ミュージアムへ】



観仏リスト02(知足院)

興福院の後は、東大寺・知足院の地蔵菩薩像が東大寺ミュージアムで特別公開されているので、観に行きました。

知足院の地蔵菩薩像は、鎌倉時代の美しい像で重要文化財に指定されています。
この地蔵像、年に一日、地蔵会(7/24)の日に限り、開扉拝観できるだけで、普段は非公開で拝することができません。
2年前(2017)、奈良博「源信展」で観て以来です。

東大寺ミュージアムでは、ガラス越しですが眼近に観ることができました。
衣の截金文様が華麗で、理知的な表情が印象的な地蔵像でした。



【6年ぶりの興福寺南北円堂、同時特別公開へ】


ついでに、興福寺に寄りました。
興福寺の南円堂と北円堂が同時特別公開されていました。
南北円堂の同時特別公開は、6年ぶりとなるそうです。

興福寺 南北円堂同時特別開帳チラシ

南円堂の康慶作諸像、北円堂の運慶作諸像をゆっくりと拝し、それぞれの傑作像を、見比べてみることができました。
寺外に出て、展覧会出展されたことのない、南円堂・不空羂索像、北円堂・弥勒像の2躯に、とりわけフォーカスして拝しました。

北円堂の弥勒像は、運慶作品の中でも、落ち着いた「玄人好みの仏像」とよく言われます。
私は、なかなか「玄人好み」には成り切れないようです。




1泊2日で、
三重県博「三重の仏像展」、大阪市美「仏像 中国・日本展」、岡山・理性院の秘仏薬師像御開帳、大津歴博「大津南部の仏像」
を、一気に回りました。

結構、遠距離ルートで、アグレッシブなスケジュールです。



【三重県博で開催の「三重の仏像展」へ】


まずは三重県総合博物館で開催された「三重の仏像~白鳳仏から円空まで」展です。

三重の仏像展チラシ

三重県総合博物館の開館5周年を記念した企画展だそうです。
三重県総合博物館・MieMuには、初めて行ったのですが、立派な大きな博物館でビックリしました。

三重県総合博物館
三重県総合博物館


〈三重県の主だった仏像総結集の展覧会~もう当分は望めない、これだけの仏像展〉


「三重の仏像~白鳳仏から円空まで」展は、

開催趣旨に
「三重県総合博物館で初めての、県内では16年ぶりの本格的な仏像の展覧会です。」
と、記されている通り、三重県内の主だった仏像が結集すると云って良い、凄い仏像展です。

平安・鎌倉期の仏像を中心に、約70件の仏像が一堂に展示されました。

三重の仏像展チラシ
三重の仏像展チラシ

三重県の仏像は、結構レベルの高い優作が多いのですが、主だった仏像のほとんどすべてが出展されているといって過言ではありません。
三重の主要仏像のなかで、出展されなかったのは、朝田寺・地蔵菩薩像、観菩提寺・十一面観音像、近長谷寺・十一面観音像ぐらいではないでしょうか。
いずれも、出展が困難なのは納得という仏像です。

よくぞこれほどの仏像展が、実現されたものです。
関係者の方のご尽力は大変なことであったことでしょう。
もう当分、これだけの「三重の仏像展」は、開催されることは無いだろうと思います。

私の好きな平安前中期の仏像だけでも、

慈恩寺・阿弥陀如来像、常福寺・千手観音像、瀬古区・十一面観音像、普賢寺・普賢菩薩像、伊奈富神社・男神像、光善寺・薬師三尊像、松阪薬師寺・薬師如来像、西盛寺・薬師如来像

などなど、見どころ十分の優作が目白押しでした。

いちいちふれだすと、もうキリがありませんので、やめておきます。


〈大注目は、新発見の快慶仏 2体初公開~安楽寺・阿弥陀如来像と地蔵菩薩像〉


この展覧会のもう一つの大注目は、チラシなどに

「新発見の快慶仏 2体初公開!」

とのキャッチコピーがなされていることでした。

新発見・快慶仏の2体とは、松阪市にある「安楽寺の阿弥陀如来像、地蔵菩薩像」のことです。

安楽寺・阿弥陀如来像~快慶作.安楽寺・地蔵菩薩像
(左)安楽寺・阿弥陀如来像、(右)地蔵菩薩像


〈阿弥陀如来像は、2009年新発見、足ホゾに快慶名在銘〉


安楽寺・阿弥陀如来立像の方は、2009年に発見紹介された像です。

2017年4月に奈良国立博物館で開催された「快慶展」には出展されなかったのですが、図録に、展覧会未出陳快慶作品として紹介されました。
図録には、像容写真と「巧匠法眼快慶」と判ぜられる足ホゾ墨書名写真が掲載され、新出の快慶作品として知られることとなりました。
展覧会に出展されるのは、今回が初めてです。


〈存在を全く知らなかった、同じ安楽寺の地蔵菩薩像〉


同じ安楽寺・地蔵菩薩像も快慶作品だということですが、私は、この地蔵像のことを全く知りませんでした。
快慶作とする根拠等が、どのように解説されているのか、興味津々でした。

2体の快慶作という仏像は、並んで展示されていました。
どちらも、流石に快慶作といわれるのもなるほどという、繊細精緻で整った造形です。

私には、仏像の形姿から快慶作と見極めることができる眼力など無いのですが、図録の解説によれば、

「阿弥陀如来像は、足ホゾの快慶銘から」
「地蔵菩薩像は、作風から」

快慶作品とされているようです。


〈地蔵菩薩像は、2017年に発見紹介~作風から快慶作との判断〉


地蔵像の方は、墨書銘など発見されていませんので、作風だけから快慶作品と断定するのは、なかなか難しいように思うのですが、展覧会図録解説では、

「本像には銘文等は確認されないが、作風から判断して鎌倉時代、それも 快慶の作と判断して間違いない。」

と述べられていました。

この地蔵像は、2017年に新たに発見紹介されたものです。

阿弥陀如来像、地蔵菩薩像、両像の発見紹介者である、藤田直信氏の執筆論考では、地蔵菩薩像について、藤田美術館蔵の快慶作・地蔵菩薩像の作風と近似することなどから、

「作風から判断して、快慶自身もしくは快慶が構えた工房で制作されたとみて問題なかろう。」(「松阪市安楽寺とその仏像」三重の仏像展図録所載論考)
「面貌表現にやや違和感を覚えるものの、・・・・・・作者は快慶もしくはその周辺人物と比定したい。」(「安楽寺木造地蔵菩薩立像について」三重の古文化102号)

と記されています。

図録解説とは、微妙にニュアンスが違うようです。

なお、この地蔵像は台座墨書から奈良の眉間寺旧蔵の仏像であったことがわかるそうです。
眉間寺は、明治の神仏分離、廃仏毀釈で、廃寺となり跡形もなくなった大寺です。
快慶作の仏像があっても何の不思議もない由緒の寺です。


〈「錐点」の痕跡で知られる成就寺・大日如来像も出展〉


もう一つだけ、展覧会で目を惹いた仏像にふれておきます。
錐点の痕が沢山みられる像として知られる、成就寺・大日如来像(平安後期・県指定)が出展されていました。

成就寺・大日如来像~面部に多数の錐点痕.成就寺・大日如来像の錐点痕の図(山崎隆之著「仏像の秘密を読む」掲載図)
成就寺・大日如来像と面部の錐点痕の図(山崎隆之著「仏像の秘密を読む」掲載図)

面部のおよそ20か所にも錐点の痕が確認されるそうです。
双眼鏡で錐点痕を一生懸命に探したのですが、私には、その痕がハッキリとはわかりませんでした。
仏像制作技法としての「錐点」と成就寺・大日如来像については、観仏日々帖「京都展覧会巡りで目を惹いた仏像 ③浄瑠璃寺・大日如来像」ふれさせていただきましたので、ご覧いただければと思います。


大満足の「三重の仏像展」でした。
ほんの少し残念だったのは、照明がちょっと仏像向きではなかったこと、図録の掲載写真がもう少し鮮明シャープだったらよかったなということでした。



【三重から大阪へ~大阪市美開催の「仏像 中国・日本」展へ】


三重から、近鉄で大阪へ。
次は、大阪市立美術館で開催の「仏像 中国・日本」展です。

「仏像 中国・日本」展チラシ

「中国彫刻2000年と日本・北魏仏から遣唐使そしてマリア観音へ」というサブタイトルで、中国歴代の仏像に流れを、日本の視点から読み解くという展覧会です。
中国の仏像の歴史をベースに、これに対応する日本の仏像をたどるという、これまであまりなかった切り口の興味深い展覧会です。
中国初期から清時代までの仏像の特徴、歴史を観ながら、これに関連する日本の仏像を同一空間に並べる比較し確認するという展示スタイルになっていました。
中国の古代仏像は、館蔵の山口コレクションの優品が展示されていました。

注目仏像についてふれていくと、これまたキリがないのでやめておきます。


〈今更ながらに実感~中国製檀像の精緻、硬質感ある彫技〉


印象的だったのは、中国製の檀像の彫技が、圧倒的に精緻で硬質感があることです。
堺市博蔵・観音菩薩像(隋代)、山口神福寺・十一面観音像(唐代)の2躯の中国製檀像が展示されていましたが、胸飾や瓔珞の彫技の精緻硬質感のすごさは、日本製の檀像彫刻と比べて全然違うなと感じました。

今更ながらの当たり前の感想ですが、再々認識したという処でしょうか。


〈近年、小浜市の浜辺に漂着した、不思議な「烏将軍」像も出展〉


もう一つ、大変興味深かったのは、平成2年(1990)に小浜市の浜辺に打ち上げられた漂着仏が展示されていたことです。
元~明代の迦楼羅王像(現在、若狭歴史博物館蔵)で、不思議なことに赤い布に包まれて浜に漂着したのだそうです。

小浜市への漂着仏~迦楼羅王像
小浜市への漂着仏~迦楼羅王像(烏将軍と記される)

像容は迦楼羅像ですが、台座には「烏将軍」と記されています。
中国から漂流したものとは考えにくく、中国船に守護神として祀られていたものが、何らかの要因で、日本近海で落下し流れ着いたのかもしれないということです。


この日は、姫路で泊まりました。
夜は、姫路おでんの人気店「酒饌亭 灘菊」で。

「酒饌亭 灘菊」
「酒饌亭 灘菊」

蔵元・灘菊酒造の直営店で、安くて美味い、にぎやかな居酒屋でした。
調子よく飲んでしまいました。
明日の理性院・御開帳に向けて、愉しく盛り上がりました。



【30年に一度の秘仏御開帳~岡山理性院の薬師如来像拝観へ】


観仏リスト03(理性院)

岡山 松本寺理性院の薬師如来像の御開帳に訪れました。
一度は拝したい平安古仏でした。

松本寺理性院は備前市吉永町にあり、本尊・薬師如来像は厳重な秘仏で、30年に一度の御開帳なのです。
今回は、平成元年以来の御開帳で、11/16~17の2日間に限り開帳されました。
平安中期、10世紀ごろの制作とみられ、県指定文化財に指定されています。

理性院は、のどかな田園風景の山裾にありました。

岡山 松本寺理性院・山門
岡山 松本寺理性院・山門

30年に一度の御開帳ということなので、多くの方が来られているのではないかと思っていたのですが、ちらりほらりと参拝の方が見える程度でした。


〈古様だけれど、穏やかで鄙なる親しみを覚える平安古仏〉


秘仏の薬師如来像は、本堂中央の厨子の中に祀られていました。

理性院・本堂

理性院・本堂内の薬師像が祀られる厨子
理性院・本堂と堂内の薬師像が祀られる厨子

厨子の真ん前まで近寄って、眼近に拝することができました。

理性院・薬師如来像(平安・県指定)
理性院・薬師如来像(平安・県指定)

一見して、なんとなく親しみを感じさせるお姿です。
形姿は古様なスタイルではあるのですが、随分穏やかで優しい雰囲気です。
また、地方色を色濃く感じます。

襟元の衣文には渦文もあり、膝前は翻波式の衣文のスタイルもあるのですが、彫りは浅目で平安前期風の名残りといった印象を受けました。
膝前は別材の一木造りで、内刳りはないそうです。

「古様を留めながらも、穏やかさが増した、平安中期以降の地方作」

というのが、私の印象です。


〈「霊木化現」表現の薬師像~背面省略なのか、化現表現なのか?〉


薬師像は厨子に祀られていて、側面背面から拝することができませんでしたが、背面の衣文表現は省略されていて、後頭部の螺髪も刻まれていないということです。

理性院・薬師如来像の背面
理性院・薬師如来像の背面
いわゆる「霊木化現」の表現のスタイルです。
お寺で頂戴した、土井通弘氏による本像の解説には、

「後頭部及び背面を彫刻しないこの表現は、薬師如来が木(神木)の中から、まさに今姿を現しつつある最後の場面と考えるのが、合理的な結論ではないでしょうか。」

と、述べられていました。

この解説のように、こうしたタイプの造形表現の仏像を「霊木化現仏」と考える見方が、近年増えているように思うのですが、

「霊木化現表現なのか?」、「正面から見えないところの背面省略表現なのか?」

なかなか悩ましいように、最近感じるようになりました。

個人的には、
「地方仏的な像には、背面などの造形表現を簡略化、省略しただけという古仏も、それなりに存在するのではないだろうか」
という気もするのですが、如何でしょうか。

内陣の奥に安置されていた増長、多門の二天像が、目を惹きました。
小像ですが、平安中期ごろに遡りそうな古様で、パワフルな造形で、ちょっと注目でした。

理性院・四天王像理性院・四天王像
平安古仏かと思われる理性院・増長多聞天像

拝観を終えると、境内で、檀家の皆さんによる温かいおうどんの御接待になりました。
美味しく頂戴し、ほっこりした気持ちで、理性院を後にしました。


理性院から車で10分もかからないところに「閑谷学校」があったので、ついでに寄ってみました。
閑谷学校は、江戸前期に岡山藩によって開かれた、日本最古の庶民のための学校で、講堂は国宝に指定されています。

閑谷学校
閑谷学校

こちらの方は流石によく知られる名所、閑散としていた理性院とは大違いで、多くの見物客で混雑していました。
この日は、紅葉時の日曜日、一番人出の多いころだったのかもしれません。



【大津歴博の「大津南部の仏像」展へ~朝は岡山、午後は大津】


この後、姫路から新快速電車に乗って、大津へ。
大津市歴史博物館で開催の「大津南部の仏像」展に行きました。

「大津南部の仏像」展チラシ

大津市歴史博物館では、折々、興味深い仏像企画展が開催されていますが、今回は「旧栗太郡の神仏」をテーマにした企画展です。
旧栗太郡というのは、大津市の瀬田川から東の地域で、現在の草津市や栗東市、守山市の一部にあたります。
40件余の仏像が出展されていました。
初見の仏像も10件近くあって、なかなか興味深い仏像展でした。


〈嬉しい撮影OKにビックリ~出展の九品寺・聖観音像〉


展覧会では、大津市九品寺の聖観音像が参考出品され、なんと写真撮影OKとなっていました。
九品寺・聖観音像は、平安中期ごろの優作で、2014年に重要文化財に指定された仏像です。

撮影OKとなっていた九品寺・聖観音像
撮影OKとなっていた九品寺・聖観音像(平安中期・重文)

最近、仏像展も写真撮影OKとするケースが、ちらほらみられるようになりました。
今年(2019年)に開催された仏像展では、東博「東寺展」で講堂帝釈天像が撮影OKとなっていましたし、和歌山県博「仏像と神像へのまなざし展」では、全展示仏像が撮影OKとなりました。
このほかにもブロガー向け写真撮影可内覧会が企画される仏像展もちらほらみられるようになりました。
画期的なことで、仏像愛好者にとっては、大変嬉しいことです。

私も、九品寺・聖観音像の、切れ長の目が印象的な美しいお顔や、見事な彫り出しの腕釧などを、しっかりとカメラに収めました。

九品寺・聖観音像九品寺・聖観音像

九品寺・聖観音像
九品寺・聖観音像の顔部と腕釧


一泊二日にしては、三重~大阪~岡山~大津と強行軍のてんこ盛り行程となってしまいました。

流石に、ちょっと疲れました。
齢を考えてスケジューリングせねばと、反省です。



【12 月】

師走、12月は観仏にはどこにも出かけなかったのですが、奈良には足を運びました。


【「平城薬師寺をめぐるシンポジウム」を聴きたくて、奈良へ】


11月30日に、奈良博で、仏教芸術学会主催による「平城薬師寺をめぐるシンポジウム」が開催されました。
まさに興味津々のテーマでしたので、思い切って泊りがけで出かけることにしたのでした。

「平城薬師寺をめぐるシンポジウム」チラシ

「平城薬師寺をめぐるシンポジウム~「伽藍を移す」ことの意味を考える」と題するシンポジウムです。
ご覧のような講演プログラムでした。

「平城薬師寺をめぐるシンポジウム」プログラム


〈やっぱり難しい金堂薬師三尊の本薬師寺移坐・天平新鋳論争
~講演の藤岡穣氏は天平新鋳派〉


約4時間、みっちり各分野からのお話を興味深く聞くことができました。
私にとっては、薬師寺金堂・薬師三尊像が

「藤原京造立、本薬師寺からの移坐なのか?平城京での天平新鋳なのか?」

という大論争問題について、どんな話が聴けるのかが、興味津々でこのシンポジウムに出かけてきたようなものでした。

藤岡穣氏による「技法・金属組成・様式からみた薬師寺像と山田寺像」という講演がありました。
藤岡氏は「天平新鋳」とみる、お立場でした。
勿論確証はないということでしたが、作風、技法、科学的(金属組成)分析の結果を総合すると、山田寺像とは相応の制作年代の差を認めて、天平新鋳と見たいというお話であったのではないかと思います。

2015年の奈良博開催の「白鳳展」では、持統朝藤原京制作・移坐が強く主張されていましたが、この大論争、これからも簡単には決着がつくという訳にはいかないようです。


夜は、奈良在住の同好の方と、愉しく一杯やりました。
居酒屋好きの世界では、よく知られる「鬼無里」です。

「鬼無里」
「鬼無里」

シンポジウムにもご一緒だったので、「素人の好き勝手な薬師寺論争」を酒の肴に、大いに盛り上がり、大いに飲んでしまいました。



【眉間寺址、奈良きたまちをブラリ散策】


翌日は、仏像はパスして、奈良のきたまち界隈を散策しました。

一度訪ねてみたいと思っていた「眉間寺址」へ行ってみました。
佐保山の聖武天皇陵、光明皇后陵のほど近くにあります。

聖武天皇陵
聖武天皇陵

伽藍址などが残されているわけではなく、今では、「眉間寺遺蹟」と刻された石碑が道路脇にポツリと据えられているだけです。

「眉間寺遺蹟」と刻された石碑
「眉間寺遺蹟」と刻された石碑

ご存じの通り、眉間寺は聖武天皇創建を伝える大寺でしたが、明治の廃仏毀釈で完全に廃寺となり、跡形もなくなってしまいました。
眉間寺伝来の仏像としては、東大寺勧進所に祀られる3躯の如来坐像(平安~鎌倉)などが知られています。
11月に「三重の仏像展」で観た、快慶作仏像発見とされた安楽寺・地蔵菩薩像も眉間寺伝来の仏像ということでした。
そんなこともあり、眉間寺址を訪ねてみたくなったということです。

そのあと、「奈良きたまち」をブラリブラリと歩いてみました。
法蓮格子の家並み、奈良女子大の記念館、きたまち交番など、「きたまち」ならではのちょっとレトロな情緒を、しばらくぶりに味わいました。

法蓮格子の家並み
法蓮格子の家並み

奈良女子大記念館
奈良女子大記念館

きたまち交番(現観光連絡所)
きたまち交番(現観光連絡所)

何もない処だと思っていた「きたまち」でしたが、シャレたお店や、喫茶店などが随分増えていて、ちょっとビックリしました。
「奈良まち」の方は、近年、様変わりでにぎやかな町になっていますが、「きたまち」もこれから同じようになっていくのでしょうか。
昔ののどかさを思い出すと、ちょっと微妙な気分でした。

お昼は、三条通の蕎麦「かえる庵」。

「かえる庵」
「かえる庵」

つまみと十割ざる蕎麦で、冷酒を一杯。
ちょっとほっこりして、帰京しました。



5回にわたって書き綴ってきた「2019年・今年の観仏を振り返って」も、やっとのことでおしまいです。

だらだら長々とした観仏記、年越しになって随分かかってしまいました。
こんな自己満足的な話に、辛抱してお付き合いいただいて、有難うございました。

一年総まくりで、こんなに長い観仏記をまとめて掲載するというのは、ちょっと考え直した方がよいのかなという気もしてきました。
書き手の方も、少々お疲れ気味です。
今年は、何回かに区切って、ご紹介することも考えてみたいと思います。

よろしくお付き合いいただけますよう、お願いいたします。


古仏探訪~2019年・今年の観仏を振り返って 〈その4〉 9~10月 【2020.01.25】


【9 月】


【京都の展覧会を3つ梯子~私の注目、3つの仏像をジックリと】


京都の美術館を3つ、梯子しました。

龍谷ミュージアムで開催の「日本の素朴絵~ゆるい かわいい たのしい美術~展」
京都市歴史資料館で開催の「京都市指定の文化財展」
泉屋博古館で開催の「文化財よ永遠に展」

に行きました。

「日本の素朴絵展」チラシ

「京都市指定の文化財展」チラシ「文化財よ永遠に展」チラシ

それぞれの展覧会で目を惹いた注目の仏像は、次の3つでした。

「日本の素朴絵展」では、兵庫満願寺・薬師如来像(平安・無指定)

「京都市指定の文化財展」では、勝光寺・聖観音像(平安前期・市指定)

「文化財よ永遠に展」では、浄瑠璃寺・大日如来像(藤末鎌初・無指定)


兵庫満願寺・薬師如来像(平安・無指定)
兵庫満願寺・薬師如来像

勝光寺・聖観音像(平安前期・市指定)浄瑠璃寺・大日如来像(藤末鎌初・無指定)
(左)勝光寺・聖観音像、(右)浄瑠璃寺・大日如来像

これら、私の注目3像については、
観仏日々帖 「京都展覧会巡りで目を惹いた仏像 〈その①〉  〈その②〉  〈その③〉」
で、それぞれ採り上げさせていただきました。

詳しい観仏記については、そちらの方を見ていただくことにして、ここではふれないでおきます。

それぞれ、見どころや考えさせられる処多々あり、興味津々の仏像でした。
この3像をじっくりと見ることができただけでも、京都まで出かけてきた値打ちは充分でした。

これら3像以外で、私の目を惹いたのは、

「京都市指定の文化財展」の京都 浄禅寺・十一面観音像(平安10C・市指定)

京都 浄禅寺・十一面観音像(平安10C・市指定)
京都 浄禅寺・十一面観音像

「文化財よ永遠に展」の京都 元慶寺・伝梵天帝釈天像(平安10~11C・市指定)、京都和束町 観音寺・男神像(平安11C・府指定)

といったところだったでしょうか。


〈大塀の京町家、藤野家住宅の公開へ〉


美術館巡りのついでに、「藤野家住宅」に寄りました。

普段は非公開ですが、京の夏の旅・文化財特別公開で見学することができたのです。
地下鉄烏丸駅から歩いて5分ほど、京都御所の南側にあります。
藤野家住宅は大正15年に建てられた典型的な「大塀」の町家で国の登録有形文化財に指定されています。

藤野家住宅

藤野家住宅
藤野家住宅

今でも実際に家人がお住まいなのだそうですが、この期間に限り、一般公開されることになったのだそうです。
数寄屋風意匠が取り入れられた、瀟洒な佇まいを味わうことができました。


お昼は、藤野家住宅の近くの蕎麦屋「手打ちそば 花もも」で。
しばらくぶりに寄ってみたら、ちょっと不便な場所にあるのに、行列ができていて、20~30分待ちました。

手打ちそば 花もも
手打ちそば 花もも

開店10年もたたない店ですが、穴場の人気店になってしまったようです。
それでも、此処で冷酒を一杯やりながらのざる蕎麦は、お薦めです。



【久しぶりに、新薬師寺へ】


翌日は、妻と奈良へ。

久しぶりに、新薬師寺に行ってみました。
新薬師寺には何度行ったか数え切れませんが、十二神将像と薬師如来像を拝すると、いつも思うのは、次のようなことです。


〈ちょっと褒められすぎ?独善的私感~十二神将像〉


十二神将像は、天平彫刻の傑作として絶賛され、伐折羅像(国宝指定名称:迷企羅)などの人気は抜群ですが、私の目には、「ちょっと褒められすぎなのでは?」という風に映るというのが素直な実感です。

優れた天平彫刻であることには異論はないのですが、あえて誤解を恐れずにいえば、造形表現がオーバーアクションで誇張的に過ぎ、ややバランスを失している印象を受けるのですが、如何でしょうか?

あくまでも個人の感想ということで、お赦しください。


〈斜め45度の姿に見惚れてしまう薬師如来像〉


薬師如来像は、初期一木彫の傑作で、拝する回数を重ねるほどに、ますます見惚れてしまいます。
この薬師像は、斜め45度の角度から拝すると、最もその魅力を実感できるように思います。

体躯の張りのある重量感、大きく見開いた眼、顔貌のシャープな切れ味を、存分に味わうことができ、迫力あふれる優れた造形に惹き込まれてしまいます。

一方で、真正面から拝すると、あれだけのダイナミックな像であるにもかかわらず、何故だか平板な印象を受けてしまうのです。
いつも、不思議に感じています。
これまた、個人の感想ということで、お赦しください。


新薬師寺の後は、近くの「志賀直哉旧居」に寄りました。

志賀直哉旧居
志賀直哉旧居

志賀直哉は、昭和初年に10年ほど、この旧居に住まいしたそうですが、数寄屋造りとハイカラさがミックスされ、瀟洒とモダンが混然となった造りです。
昭和初期の白樺派を中心とした奈良の文人文化が偲ばれます。



【奈良博展示の海住山寺本尊・十一面観音像をジックリ鑑賞】


海住山寺本尊・十一面観音像が、奈良国立博物館・なら仏像館に出展されているというので、観に行きました。


〈初めて、360度ビューで眼前に~不思議な異色像、10世紀の作?〉


海住山寺本堂が修復中のことから、一時的に奈良博に特別に出展されることになったようです。
眼近に、360度ビューでじっくり観ることができました。

海住山寺本尊・十一面観音像
海住山寺本尊・十一面観音像(平安・重文)

お寺では厨子に祀られており、脚部や側面背面を観ることができないのです。
お堂のほの暗い中で拝するのと、博物館の明るい照明の中で観るのと、随分印象が違いました。
像高:167㎝、カヤの一木彫、台座まで含めて一材で内刳りはありません。

ちょっと不思議な感覚がしました。
極端に言うと、上半身は硬質感な感じ、脚から下は奈良風の捻塑的というのが同居しているような感じです。
一般的には、平板な肉身部などから10世紀の制作とされ、旧本尊が存在し、それを手本として制作されたとの想像もされているようです。

ただ、すんなり10世紀とするには、不思議な異色感、力感、古様感を感じるのも率直な処です。
こういうタイプの彫像を、どのように見ればよいのでしょうか。
大変興味深い古像です。


〈「霊木化現」か?「背面省略」か?~興味深い未完成的造〉


もう一つ、海住山寺・十一面観音像で、自分の眼で確かめてみたかったのは、背面の造形表現でした。

この像は、背面の表現が省略され粗い鑿痕もされているのです。
蓮肉、反花も未完成のような造形です。

井上正氏は、本像を「霊木化現仏」、即ち霊木の中から仏が姿を現す途上を現した作例という考えを示しています。
「霊木化現表現」なのでしょうか?
「背面足元など見えないところを省略した」だけの表現なのでしょうか?
初めて、ぐるりと一回りしてみることができたのですが、
「これは、ただの省略なのかな」
という気がしました。

あくまでも個人の感想です。


この日は、9月末だというのに、奈良は、熱中症で倒れそうなほどの酷暑でした。
じっとしていても、汗が吹き符出します。
奈良博前の公園では、ご覧の通り、鹿たちが暑さに耐えきれず、池の中に入って行水していました。

酷暑に行水する奈良の鹿(奈良博前公園)
酷暑に行水する奈良の鹿(奈良博前公園)

鹿が団体で行水している光景を見たのは、初めてのことでした。

夜は京都泊、暑気あたり気味であっさりと蕎麦屋で。
神宮丸太町の「つるや」で一杯。
京都の地の人がお客さんの蕎麦屋ですが、なかなかの美味いお店です。

蕎麦「つるや」
蕎麦「つるや」


翌日は、京町屋の吉田家住宅・無名舎によって帰りました。
吉田家は、京呉服の問屋街「室町」の一画六角町にあり、建物は白生地問屋を商った京商家の典型ともいうべき表屋造りです。

吉田家住宅・無名舎

吉田家住宅・無名舎
吉田家住宅・無名舎

通り庭、坪庭など京町屋の風情を堪能しました。



【10 月】


【東博開催の「文化財よ永遠に」展へ~26件の修復仏像が出品】


東京国立博物館で開催された「文化財よ永遠に」展へ行きました。

東博「文化財よ永遠に」展チラシ

「文化財よ永遠に」展は、住友財団の文化財修復助成30年記念して、泉屋博古館(京都・東京)、九州国立博物館と共に4館合同で開催された展覧会です。
東京国立博物館展では、仏像彫刻が展示され、26件の修復仏像が出品されました。
修理修復仏像にスポットを当てた展覧会というのは、めったにないもので、重要文化財指定仏像は3件だけでしたが、大変興味深い企画展でした。

パネル展示や図録には、修理修復の経緯、有様が豊富に解説、掲載されていて、普段の仏像鑑賞とは違う切り口から展示仏像を観ることができ、興味津々のものがありました。


〈一番観たかったのは、三仏寺・秘仏阿弥陀如来像〉


私が一番観たかった仏像は、鳥取三仏寺の阿弥陀如来像です。
三仏寺といえば、国宝・投入堂と蔵王権現像(仁安3年・1168~重文)が大変有名ですが、三仏寺本堂の本尊は、阿弥陀如来像なのです。

鳥取三仏寺・阿弥陀如来像
鳥取三仏寺・阿弥陀如来像(平安後期・県指定)

阿弥陀如来像は平安後期の制作で県指定文化財となっていますが、秘仏で拝観することは叶いません。
平成26年(2014)に開帳されましたが、その時は出かけることができませんでした。
高湿度の厨子内で朽損し自立が難しくなっていたのを、2002年住友財団の助成で修復されたことから、今回の出展になったのだと思います。
もう少し野趣豊かな像かと思っていたのですが、穏やかな表現の落ち着いた造形の仏像でした。

高成寺・千手観音像が出展されていました。
2012年に、新たに重要文化財に指定された9世紀の一木彫像です。

後世の厚塗りの彩色により尊容を大きく損じていましたが、1997年から4年をかけて解体修理が行われ、彩色が取り除かれるなどして、本来の平安前期一木彫像の魅力が明らかになり、重要文化財に指定されたものです。


〈大戦中に仏印との文化財交換で、ベトナムに渡った阿弥陀像が里帰り〉


里帰りしたベトナム国立博物館所蔵・阿弥陀如来像
里帰りしたベトナム国立博物館所蔵
阿弥陀如来像
ベトナム国立博物館所蔵の阿弥陀如来像が76年ぶりに里帰り展示され、話題を呼びました。

この阿弥陀如来像(鎌倉時代)は、昭和18年(1943)に当時の仏領インドシナのフランス極東学院と東京国立博物館の文化財交換で東博から贈られたものです。

東博東洋館のクメール彫刻は、その時、日本から贈られた本像はじめ陶磁器、刀の鐔などの交換品なのだそうです。
当時、日本が占領していた仏印との間で、このような文化財交換がなされていたというのには、ちょっとビックリしました。

本像は、長らく行方不明となっていましたが、九州国立博物館とベトナムとの交流事業で発見され、日本からの修理技術者派遣による修理中に、足裏に購入時の明治35年のシールが確認されたことから、交換品であったことが明らかになったということです。

なかなかの出来の鎌倉の阿弥陀像でした。



【15年ぶりに、富山方面の観仏探訪旅行へ】


富山方面の観仏探訪に2泊3日出かけました。

観仏先は、ご覧の通りです。

富山方面観仏探訪先リスト

富山方面の観仏には、2004年に出かけたことがありますが、それ以来、15年ぶりの観仏探訪旅行です。

私の今回の最大の目的は、
「安居寺・聖観音像の秘仏ご開帳と、宝伝寺・鉈彫り十一面観音像を拝すること」
でした。
共に、未見の仏像で、是非とも一度は拝したいと念じていた古仏です。

なお、2004年に訪ねた時の観仏記については、日々是古仏愛好HP 「富山・岐阜仏像旅行道中記」 をご覧いただければと思います。

実は、富山旅行に出かけたのは10月の下旬で、ちょうど台風19号の災害で北陸新幹線が不通になってしまった時のことでした。
富山方面は台風被害もないということで、思い切って出かけることにしましたが、北陸新幹線は利用できず、往きは米原経由北陸線で、帰りは長岡から上越新幹線でという迂回ルートとなりました。


〈観仏旅行の一番の目的、年に一日限りの安居寺・十一面観音像御開扉〉


まずは、安居寺に直行。

毎年10月18日、安居寺の聖観音像が、一日限りで収蔵庫が開かれ拝することができるのです。
この日に、ピンポイントを合わせて、富山観仏に出かけたという訳です。
2004年にも安居寺を訪ねたのですが、聖観音像は秘仏で拝することができませんでした。

平安前期のカヤ材の一木彫像で、越中富山の古代木彫中、最古の平安初期彫刻とされている像です。

安居寺は、南砺波市という処にある、なかなか立派な古刹です。

安居寺・山門
安居寺・山門

目指す聖観音像は、観音堂の裏の小高いところにある収蔵庫に安置されていました。

安居寺・聖観音像が安置される収蔵庫
安居寺・聖観音像が安置される収蔵庫

年に一日の開扉ですが、あくまでも風入れの曝涼的な開扉で、いわゆる御開帳というものではないそうです。
お寺の方もおられず、参拝の人もほとんどなく、ひっそりとした感じでした。

収蔵庫内には入ることができず、内扉、金網張りの格子戸越しの参拝です。
聖観音像が祀られている位置からは数メートル離れたところから拝することとなり、照明はあるものの、なかなかクリアーにその姿を観るという訳にはいきませんでした。
双眼鏡で、なんとかはっきりと見えるという処でした。


〈古様で量感豊かながら、厳しさより優しさを含んだ平安前期像〉


聖観音像の印象は、写真でイメージしたものとちょっと違いました。

安居寺・聖観音像
安居寺・聖観音像(平安前期・重文)

写真では、越中最古の平安初期檀像風木彫といわれるとおり、シャープで切れ味の良い感じの造形のように思っていました。
実見すると、穏やかさや優しさといった空気感を感じます。
古様で量感豊か、彫り口も深いのですが、厳しさよりも穏やかさを含んだ像のようです。
平安中期の入り口ぐらいの制作なのかなという気がしました。
ただ遠目からの拝観でしたので、眼近に拝すると、また違った印象を受けるのかもしれません。

一度は拝したいと念じていた、安居寺・聖観音像を拝することができ、私の「平安前期の未見仏像リスト」を、また一つ消し込むことができました。


〈三尺阿弥陀の佳品、常福寺・阿弥陀如来像に惚れ惚れ~快慶周辺の作品か?〉


砺波市の常福寺を訪ねました。

砺波市・常福寺
砺波市・常福寺

常福寺には、鎌倉期のいわゆる三尺阿弥陀像の佳作があり、重文に指定されています。
阿弥陀像は、収蔵庫に安置されています。

常福寺・阿弥陀如来像が安置される収蔵庫
常福寺・阿弥陀如来像が安置される収蔵庫

二度目の対面です。
15年前、初対面の時には、白木の厨子の中に祀られていたのですが、今回は、お厨子が無くなっていて、本当に、眼近にじっくりと拝することができました。

常福寺・阿弥陀如来像

常福寺・阿弥陀如来像
常福寺・阿弥陀如来像(鎌倉・重文)

都にあっても不思議ではない出来の良さです。
そして、何かしら訴えてくる力のようなものを感じます。
鎌倉彫刻に疎い私でも、なかなかレベルの高い見事な作品であることは、よく実感できました。

この像は、元々、久遠寺という寺の本尊で、上杉謙信の兵火を逃れて、以来中宮という神社の神体としてまつられて、近代の神仏分離によって、この常福寺に移されたということだそうです。
明治9年の東本願寺のお墨付きには「湛慶作」とあり、そのように伝えられてきたようです。
近年の研究によると、着衣形式が快慶作三尺阿弥陀の第3形式、即ち晩年期のパターンに対応するものであることや、作風などから、快慶の弟子、あるいは快慶のもとで小仏師の作品ではないかと見られているとのことです。


〈何度拝しても、強烈な威圧感に圧倒される二上射水神社・男神像〉


この日のラストは、二上射水神社の御神像です。

二上射水神社には普段は宮司さんがいらっしゃらないようで、氏子総代の方他数名が、お迎えいただきました。
大切な御神像は、この地の氏子の皆さんでお守りになっているとのことです。

御神像は、立派な収蔵庫に祀られています。

二上射水神社・男神像が祀られる収蔵庫
二上射水神社・男神像が祀られる収蔵庫

収蔵庫の扉が開かれ、御神像の前に掛けられた御簾が引き上げられると、眼前に男神像が姿を顕します。

二上射水神社・男神像
二上射水神社・男神像(平安・重文)

凄い迫力を、発散させています。
まさに強烈な霊威感で眼前に迫ってくるというのが実感で、思わずあとずさりしてしまいそうです。
二上神は、荒ぶる神々を押さえる霊威ある男神ということですが、まさに「これぞ二上神」という実感のする、荒々しい威厳とパワーです。

二上射水神社・男神像
二上射水神社・男神像

この男神像、2006年に東博で開催された「一木彫展」に出展され、その時にご覧になった方もいらっしゃると思います。
私も、今回で、3回拝したことになります。

地方の古仏を探訪すると、初めて拝したとき、その迫力やパワーに凄く惹き込まれた仏像が、二度、三度と拝すると、意外にもそれほどのインパクトを感じなくなってしまうことが、間々あります。
「初対面の、予想外のインパクト印象効果」とでもいうものだと思います。

ところが、この男神像は、何度拝しても、そのみなぎる威圧感、迫力に、ますます圧倒されていくものがあります。
今回も、これまでに増しての衝撃感でした。
ますます惹かれてしまうものがあります。


〈顔面の横縞目の鑿痕は、陰影による表情変化、生ける神を演出か?〉


本像は、いわゆる「鉈彫り」像としても、有名です。
その中でも珍しいのは、顔面部に横縞目の丸鑿痕をくっきりと残していることです。

二上射水神社・男神像
顔面に縞目を残す
二上射水神社・男神像
一方、体部の衣の部分は、平滑に仕上げられています。
鉈彫り像は、顔や地肌などの肉身部を平滑に仕上げて、衣に覆われた部分に丸鑿痕の縞目を残すものが多いのですが、この男神像は逆の仕上げとなっているのです。

どうしてなのかよくわかりませんが、顔の強い表現に力点をおいて荒ぶる神の威厳性を高めたかったのでしょうか。

「ノミ目の凹凸が明かりを受けることで変化のある陰影が発生し、表情が変化する。
そこに生ける神を演出したのだろう。」
(東博・一木彫展図録解説 2006)

という見方もあるようです。

本像の制作時期は、9世紀までさかのぼるとするものから、11世紀後半とするものまであるようですが、現在では、「10世紀の鉈彫り初期の貴重な作例」とする見方が、有力なようです。
難しいことはわかりませんが、この迫力パワーを見ると、時代をあげたくなるような気持ちになってしまいます。


〈井波彫刻の見事な技巧に惚れ惚れ~拝殿天井の龍の彫り物〉


氏子総代の方に、収蔵庫の隣にある拝殿天井の龍の彫り物を、ぜひ見ていくように勧められました。

拝殿天井の「井波彫刻の龍」

拝殿天井の「井波彫刻の龍」
拝殿天井の「井波彫刻の龍」

「井波彫刻の龍」です。
見事な技巧に、惚れ惚れしてしまいます。
総代の方は、
「以前に白洲信哉氏が来られた時に、この龍を超絶賛して見惚れたおられたんですよ。」
とおっしゃっていました。


夜は、高岡泊まり。
「創菜ダイニング寧寧家」で、気持ちよく飲みました。


〈二体の立派な平安の一木彫観音像が祀られる常楽寺〉


この日のスタートは、常楽寺。

常楽寺・観音堂
常楽寺・観音堂

観音堂の奥に隣接して収蔵庫があり、180㎝以上の大きな二体の観音像が祀られています。

常楽寺観音堂の十一面観音像・聖観音像
常楽寺観音堂の十一面観音像・聖観音像

在地の立派な平安古仏です。
元々別のお寺に祀られていたようで、造形に雰囲気が随分違います。
十一面観音像は「のびのび大らか」、聖観音像は「グラマラスで神秘的」といった印象でしょうか。

十一面観音はスギ材、聖観音像はセンダン材ということです。
用材によって、仏像の造形表現の質感が随分と違うものになることが一目でわかります。
越中は、スギ材が多いようです。


〈おだやかな鎌倉の阿弥陀様~来迎寺・阿弥陀如来像〉


富山市内の来迎寺の阿弥陀如来像は、いかにも鎌倉の阿弥陀様というおだやかな像でした。

赤い肉髺には、瑪瑙が使われているそうです。

来迎寺来迎寺・阿弥陀如来像
来迎寺と阿弥陀如来像(鎌倉・県指定)



〈数奇な流転、里帰り物語に思いを致した、立山博物館・帝釈天像
~長らく「立山神像」とされ、近年、帝釈天と判明〉


土砂降りの雨の中、立山博物館に向かいました。
立山博物館は、立山連峰参拝の玄関口、芦峅寺にあります。

立山博物館
立山博物館

博物館の展示仏像のなかでのお目当ては、かつて立山神像といわれた、「帝釈天像」像です。

立山博物館・帝釈天像.立山博物館・帝釈天像
立山博物館・帝釈天像(鎌倉・重文)

寛喜2年(1230)の刻銘がある50㎝ほどの小さな銅像です。
博物館では、この1体だけガラスケースに入れられて展示されています。
何も知らずにこの銅像を見ると、それほどに注目することなく、一瞥しただけで通り過ぎてしまうのではないかと思います。

しかし、この像の数奇な流転の物語や、帝釈天像であることが判明した近年の研究に思いを致すと、感慨深いものを感じずにはいられません。

本像は、立山山頂に祀られていた「立山神像」と見られていました。
明治の廃仏毀釈以来、立山の地を離れ、その後流転の道をたどり、昭和42年、海外に流出する運命であった直前、富山県に買い戻されるというドラマチックな里帰り物語があったのです。

その富山県のシンボル的存在であった「立山神像」が、近年(2015年) 像刻銘の科学的調査、研究などの結果、帝釈天像であることが明らかになり、重要文化財名称が「立山神像」から「帝釈天像」に変更されました。
重文指定名称の変更というのも、めったにない話です。

この立山神像の流転の物語と帝釈天像への指定名称変更のドラマチックないきさつなどについては、以前に、
日々是古仏愛好HP・仏像発見物語 「富山・立山神像 発見、里帰り物語とその後 〈その1〉  〈その2〉」
に詳しく紹介させていただきました。
是非、ご覧いただければと思います。

こんな物語をもう一度振り返りながら、
「立山神像と呼ばれていた帝釈天像」の
前に立っていると、一瞥では済ますことができず、じっくりと見入ってしまいました。


〈巨岩に刻まれた神秘的迫力の磨崖仏~日石寺・不動明王五尊像〉


「大岩の不動さん」という名で知られる日石寺を訪れました。

日石寺
日石寺

大岩の不動さんというのは、巨岩の側面に刻まれた不動明王五尊像の磨崖仏のことです。
この巨岩の前面を覆うように本堂が建てられています。

日石寺・本堂
日石寺・本堂

本堂に入ると暗い堂内の一番奥に、燈明の明かりの中に浮かび上がるように、不動明王像の姿が目に入ります。

日石寺・不動明王五尊像磨崖仏

日石寺・不動明王五尊像磨崖仏
日石寺・不動明王五尊像磨崖仏(平安・重文)

流石の迫力です。
立山信仰の修験にかかわる像といわれるとおり、森厳、荘重で神秘的な空気感に圧倒されます。
今流には「パワースポット」ということだそうですが、そういわれるに十分なオーラを発散しています。

とりわけ中尊の不動明王像は、頭部、上半身がバランスを失したほどに大きく造られ、前傾する岩面と相まって、眼前にのしかかって、押し迫ってくるような感覚を覚えます。

日石寺・不動明王像
日石寺・不動明王像

そして両目を大きく見開き目を怒らせ前方を睨む表現は、強烈な迫力です。
造形の出来の良し悪しというレベルを超えて、拝するものに霊威のインパクトを与える磨崖仏像といえるのでしょう。

不動五尊像のうち、不動明王像、二童子像は平安中後期の制作、阿弥陀像と僧形像はしばらく遅れての追刻と見られているようです。

堂内では、自由に眼前まで近寄って、磨崖仏像を拝することができましたので、充分にその迫力を堪能することができました。


この日は富山泊。
市内の「酒菜工房 だい」というお店で飲りました。
富山の海鮮居酒屋の人気店で、予約も結構混むという店だそうです。

酒菜工房 だい
酒菜工房 だい

果たして、期待以上の大変美味なるお店で、食に酒に堪能させてもらいました。
各地の居酒屋さんを随分巡りましたが、「酒菜工房 だい」はその中でも屈指のお店だと思いました。
富山へ来たら、是非是非、再訪したいお店です。


〈集落で守られる、鄙なる優しき鉈彫り観音像~糸魚川 水保観音堂・十一面観音像〉


富山・新潟方面観仏探訪の最終日は、糸魚川まで足を延ばして、宝伝寺・水保観音堂を訪ねました。

富山から1時間半ほどのロングドライブです。
水保観音堂には、鉈彫り像として知られる十一面観音像があるのです。
この十一面観音像は、長らく一度は拝したいと念じていた、未見の平安古仏です。

水保観音堂は小さな集落にひっそりとある観音堂でした。
鉈彫り、十一面観音像は、観音堂の裏手の斜面上の建てられた、奉安庫に祀られています。

水保観音堂・奉安庫
水保観音堂・奉安庫

この観音像は、近くの日吉神社別当吉祥院に祀られていましたが、明治の神仏分離で廃寺となり、部落の檀家でによって守られているということです。
奉安庫は、昭和12年に建てられたのですが、その建設に尽力したのは相馬御風であったそうです。
相馬御風というのは、糸魚川出身の歌人、文人で、早稲田大学校歌「都の西北」、日本初の流行歌「カチューシャの唄」、童謡「春よこい」の作詞者でも知られる人物です。

拝観には地区の方がわざわざお立会いいただき、奉安庫を開扉していただきました。
眼近に拝することができました。
等身の観音像で、身体全体に刻まれた鉈目の丸鑿痕がきれいに残されています。

水保観音堂・十一面観音像
水保観音堂・十一面観音像(平安・重文)

カツラ材(サクラという記述もあり)の一木彫で、素木像ですが、眼鼻口などは墨描きがされています。

お顔の表情の優しさと鄙なる感じが印象的で、全体的にも鉈目も鋭くはなく、土着的な素朴さとか柔和さをたたえた造形です。
荒彫りという言葉が似合わないほどに、のどかな造形に素直な親しみを覚える観音像です。

整然とした鉈目などから平安中期ごろいう見方から、平安後期、12世紀ごろの制作とする見方まであるようです。

長らく、一度拝したいと念じていた、水保観音堂・十一面観音像の拝観を果たすことができ、満足感のなかで富山方面の観仏旅行を終えることができました。


11月以降の観仏は、〈その5〉に続きます。


古仏探訪~2019年・今年の観仏を振り返って 〈その3〉 6~8月 【2020.1.11】


明けましておめでとうございます。

今年も、よろしくお願いいたします。


【6 月】


「2019年・今年の観仏を振り返って」 〈その3〉は、6月観仏の前回積み残しからのご紹介です。


【南山城の3寺~海住山寺、神童寺、禅定寺~を訪ねる】


斑鳩町~大和郡山方面、一人観仏の翌日は、同窓会メンバーで、南山城方面の古寺をいくつか巡りました。

海住山寺、神童寺、禅定寺を訪ね、ご覧のような仏像を拝しました。

観仏リスト01・南山城方面観仏探訪先


〈奈良博から戻っていた美しい檀像風十一面観音像~海住山寺〉


海住山寺は、お堂の修理修復中で、本尊の十一面観音像は拝することができませんでしたが、普段は奈良博に寄託されている檀像風小像の十一面観音像が、本坊に戻っていて、眼近に拝することができました。

海住山寺・本坊
海住山寺・本坊

海住山寺・十一面観音像(平安・重文)
海住山寺・十一面観音像(平安・重文)

いつ観ても、切れ味のいい美麗な像です。
腰をひねった、やわらかで流れるような身のこなしが魅力です。


〈神童寺で目を惹いた菩薩像~以前は気づかなかった古様な平安前期像〉


神童寺、禅定寺も、もう10年ほど訪ねていなかったように思います。
しばらくぶりの拝観で、懐かしく、諸仏を拝することができました。

神童寺で、随分古様な像が1躯あって、目を惹きました。

神童寺
神童寺

神童寺・月光菩薩像(平安後期・重文)..神童寺・日光菩薩像(平安前期・重文)
神童寺・(左)月光菩薩像(平安後期) 、(右)日光菩薩像(平安前期)
日光像は目を惹く古様な平安前期像


日光菩薩像と称される像で、よくよく見ると、9世紀ごろの制作かもしれないと感じさせる一木彫像です。
対となっている月光菩薩の方は、明らかに平安後期の穏やかな像ですが、日光菩薩はなかなか迫力ある像です。
かつて神童寺を訪ねた時には、諸像をさらりと拝してしまったようで、こんな古様な平安前期像があった記憶が残っていません。
私にとっての、新たな発見になりました。
再訪してみるものです。


ランチは、宇治田原町にある「リンデンバウム」という一軒家レストラン。

宇治田原町レストラン「リンデンバウム」

宇治田原町レストラン「リンデンバウム」
宇治田原町レストラン「リンデンバウム」

「こんな山の中にどうしてこんなレストランがあるのか?」

信じられないような、まさに隠れ家レストランでした。
わざわざこのお店を目指して、この片田舎までやってくるお客さんが、結構多いようです。
15席ぐらいでしたが、この日も満席でした。
このためにやってくるお客さんがたくさんいるというのが納得の、美味なるランチでした。



【奈良市東北の「かくれ仏」を巡る~天平回例会に参加】


奈良でもう一泊して、久しぶりに「天平会」例会に参加しました。
毎月、観仏探訪の例会があるのですが、なかなか東京から出かけるのは大変で、本年初めての参加です。

今回の例会は、中墓寺、薬音寺、南明寺、応現寺をバスで巡りました。
いずれのお寺にも、平安古仏が残されています。

4寺共に奈良の中心地の東北の山間、車で30分以内の処にあるのですが、あまり知られていないお寺ばかりだと思います。
奈良郊外の「かくれ仏めぐり」といったラインアップです。

ご覧のような仏像を拝してきました。

観仏リスト02・奈良市東北部かくれ仏観仏探訪先


〈見知らぬ「かくれ仏」との出会い、中墓寺~立派な3如来像にビックリ〉


「中墓寺?」

初耳のお寺でした。
3躯の平安後期の如来像があるというのです。

中墓寺は下狭川町という奈良の東北、笠置に近い山間の村落にありました。

中墓寺に向かう道
中墓寺に向かう道

のどかな野山の緑を感じる里の高台に、ひっそりと佇むお寺でした。

中墓寺・本堂
中墓寺・本堂

収蔵庫・瑠璃殿には、3躯の立派な如来坐像が並んで祀られています。

中墓寺収蔵庫・瑠璃殿に安置される3躯の如来像
中墓寺収蔵庫・瑠璃殿に安置される3躯の如来像

中尊像は半丈六(140㎝)、両脇像は90㎝の像高です。

中墓寺・薬師如来像(平安後期・県指定)
中墓寺・薬師如来像(平安後期・県指定)

中墓寺・阿弥陀如来像(平安後期・県指定)中墓寺・阿弥陀如来像(平安後期・県指定)
中墓寺・阿弥陀如来像(平安後期・県指定)~左右共

いかにも平安後期、藤原風の如来坐像ですが、少し鄙びた造形の感じがします。
在地の仏師の作なのかもしれません。
これらの仏像は、明治初年まで在った近辺の西念寺、大念寺が勝福寺に合併して、現在の中墓寺が成立、それぞれに祀られていたものといいます。

3躯共に昭和52年(1977)に県文化財に指定されていて、これだけの立派な仏像なのに、まったく知られていないといってよいほどの「かくれ仏」です。
見知らぬ平安古仏に出会うことができました。


〈近年、新たに注目された隠れた平安古仏群~山添村 薬音寺〉


山添村にある薬音寺を訪ねました。
薬音寺には平安時代の古仏像群が残されています。

薬音寺・本堂
薬音寺・本堂

薬音寺の仏像は、中墓寺以上に、知られざるお寺、かくれ仏だと思います。
薬音寺の古仏像群が注目され、県の調査が実施されたのは、5年ほど前、2014年のことです。
それまでは全く知られていないといってよい、平安期の古仏群だったのだと思います。

私は、3年前に、この新発見ともいえる古仏群は必見と、薬音寺を訪ねました。
今回は、再訪ということになります。

3年前の「驚きと大興奮の観仏記」は、観仏日々帖 「2016年・今年の観仏を振り返って〈その3〉【9月】」 に詳しく紹介させていただきましたのでご覧ください。

村落で管理しているお堂に、20躯の古仏が、所狭しと祀られています。

薬音寺本堂に祀られる古仏像群
薬音寺本堂に祀られる古仏像群

薬音寺・薬師如来像(平安・村指定)薬音寺・広目天像(平安・村指定)
薬音寺・(左)薬師如来像、(右)広目天像(平安・村指定)"

田舎風というか地方色の強い匂いのする像ばかりですが、鎌倉時代の1躯の他は、すべてが平安古仏です。
古様な一群は、その造形から10世紀に遡る平安古仏であろうと思わせます。
20体近い素朴な平安古仏が、身を寄せ合って、一群で発するパワーには、心惹きつけるものを感じます。

満足感一杯の、薬音寺古仏群との再会でありました。


〈堂内に並ぶ諸尊像が壮観の南明寺~漂う鄙びたのどかさにホッとする〉


次に訪れた南明寺は、円成寺から柳生に向かう途中にあり、本堂には、平安時代の大型の如来坐像3体他の諸像が祀られています。

南明寺・本堂
南明寺・本堂"

堂内に横一列に大きな尊像が並んだ有様は、なかなか壮観です。

造形的には、これまた「奈良の地方色」といったちょっと鄙なる雰囲気がある諸仏です。
南明寺は、ご住職が普段は不在なので、拝観立会いのご面倒をかけなければいけないのですが、私は、このお堂と仏様たちの、鄙びたのどかな穏やかさのようなものが気に入っていて、訪れるのが、4回目にもなりました。

今回の観仏で、薬師如来像(平安中期)が滋賀善水寺の薬師如来像(正暦4年・993)に、顔かたちが似ているのではないかというのが、気になりました。

南明寺・薬師如来像(平安中期・重文)善水寺・薬師如来像(正暦4年993・重文)

南明寺・薬師如来像.善水寺・薬師如来像
(左)南明寺・薬師如来像(平安中期・重文) 、(右)善水寺・薬師如来像(正暦4年993・重文)"

善水寺像の方がふっくらしていて造形的にも優れているのはもちろんのことですが、
「この顔、目鼻立ちは善水寺パターンか?」
という感じがしました。
皆さん、如何でしょうか?


〈山間の観音講に守られる見事な秀作~応現寺・不空羂索観音像〉


最後に訪れた、応現寺の不空羂索観音像は、東鳴川観音講の皆さんによって守られている仏像です。

応現寺のお堂
応現寺のお堂

山間の観音講の人々に守られてきた仏像とは思えない、中央作の見事な出来栄えの不空羂索観音坐像です。

応現寺・不空羂索観音像(平安後期・重文)
応現寺・不空羂索観音像(平安後期・重文)

11世紀末~12世紀の制作とされていますが、優雅というよりは、キリリと秀麗という言葉が似合います。
この不空羂索像は、治承4年(1180)の南都焼き討ちで焼失した、興福寺南円堂根本本尊・不空羂索観音像の姿に準拠しているとみられ、そうした意味でも大変貴重な作例です。



【奈良・南山城の「かくれ仏」を巡った3日間
~平安期の奈良の地の「地方性」を再認識】

3日間にわたって、斑鳩町大和郡山方面、南山城、奈良市東北山間部の「かくれ仏」の数々を訪れました。
融念寺、大和郡山の西岳院、光堂寺、南山城の神童寺、禅定寺、奈良東北部の中墓寺、薬音寺、南明寺などです。

今回の「かくれ仏探訪」の中で、今更ながらに感じたことは、平安の中後期頃は奈良の地は「地方」であったのだなということです。
奈良というと「一流の仏像」「中央の仏像」という、なんとなくの先入観があり、全国各地の地方仏を巡るときには、「奈良は中央」という気になってしまいます。

当たり前のことなのですが、当時の奈良の地は、中央の京都からは、結構、地方で、所謂地方色ある仏像が造られていたということを、再認識させられました。

「奈良の地の地方仏」とでも呼ぶのでしょうか?



【7 月】


【久しぶりに、会津方面の観仏へ】


一泊で、会津方面に同好の方々と観仏に出かけました。


〈最大の目的は、平安前期、個人蔵・吉祥天像との初対面~福島県博「興福寺と会津展」に出展〉


わざわざ会津まで出かけた最大の目的は、「興福寺と会津展」に出展された、個人蔵の平安前期作という吉祥天像を観るためです。

「興福寺と会津展」開催中の福島県立博物館
「興福寺と会津展」開催中の福島県立博物館

「興福寺と会津展」は、会津若松市の福島県立博物館で開催され、

興福寺からは、東金堂四天王像、維摩居士像、長和2年薬師像、法相六祖像など
会津の仏像では、勝常寺・四天王像、個人蔵・吉祥天像、明光寺・十一面観音像など

が出展されました。


〈勝常寺諸像と共通作風、東北地方木彫像中最古作例の一つとして、近年重文指定〉


お目当ての個人蔵・吉祥天像というのは、9世紀も早いころの制作で、2007年に新たに重要文化財に指定されています。

会津美里町 個人蔵・吉祥天像(平安前期・重文)
会津美里町 個人蔵・吉祥天像(平安前期・重文)

会津美里町の個人宅の金毘羅堂に祀られているそうです。
私は、この像を観たことがなく、チャンスがあれば、是非とも一度実見していたいものと念じていたのです。

重文指定時の解説によれば、
「顔立ちや衣縁の蛇行する表現など、その作風は近在の勝常寺諸像と共通し、同系の工人によって造られたことが明らかである。」
(月刊文化財2007.6~新指定の文化財)
というのです。


〈古様でパワフルな吉祥天像は、確かに平安前期
~勝常寺像同系のふれこみに、期待感が高まりすぎだったかも?〉

興味津々、展覧会場では、いの一番で、この吉祥天像の処へ行きました。
像高97.8㎝、ケヤキの一木彫で、台座まで一木で彫成されています。

眼近に実見することができました。
「もっと迫力や力感あふれ、強く惹きつけられる像かと思ったら、そこまでは・・・・・」
というのが、正直な第一印象でした。

ちょっと期待感が高まりすぎていたのかもしれません。
あの素晴らしい傑作の勝常寺・薬師如来像の造形レベルイメージの先入観がありすぎたようです。
確かに、顔立ちは勝常寺薬師に似ているのですが、全体の造形は、パワフルさはあるものの、粗くて大まか、野趣に富んでいるように思えます。

この吉祥天像を、何の予備知識もなくたまたま拝したとしたら、解説どおりの

「東北地方木彫像の中で最も古い作例の一つであり、その優れた作柄も高く評価される。
(吉祥天像造立の)地方における九世紀に遡る例は稀少であり、本像はその一例としても貴重である。」
(月刊文化財2007.6~新指定の文化財)

というふうに感じたのだろうかといわれると、かなり自信がありませんでした。

確かに、
「なかなかパワフルで、かなり古様な平安古仏だな。」
という印象は受けるのですが、
そこまでかなというのが本音の実感でした。

まだまだ、「仏像を観る眼」の研鑽が足りないのかもしれません。


「興福寺と会津展」の後は、ご覧のような古仏を巡りました。

観仏リスト03・会津方面観仏探訪先


〈何度拝しても、見惚れてしまう東北唯一の国宝像~勝常寺・薬師如来像〉


福島県立博物館の後は、勝常寺へ。

勝常寺・本堂
勝常寺・本堂

湯川村の勝常寺を訪ねるのは、これで4度目です。
本堂の厨子に祀られる薬師如来像は、流石に、東北唯一の国宝仏像、何度拝しても見惚れてしまいます。

勝常寺・薬師如来像(平安前期・国宝)
勝常寺・薬師如来像(平安前期・国宝)

ますます魅力が増していくばかりです。


〈一度、観てみたかった不思議建物~「さざえ堂」〉


そのあとは、会津若松市内、白虎隊で知られる飯盛山にある「さざえ堂」に寄りました。
二重螺旋の不可思議建物です。

さざえ堂(江戸・重文)
さざえ堂(江戸・重文)

寛政8年(1796)に、上り下り別通路の一方通行で三十三観音巡りが出来るという構造で建てられたのだそうです。
エッシャーのだまし絵の建物を見ているような気分になります。


夜は、会津の有名人気居酒屋「籠太」で。

居酒屋「籠太」
居酒屋「籠太」

会津の郷土料理の定番、けとばし(馬刺し)、こづゆ、鰊の山椒漬けなどなどを愉しみながら、ついつい飲みすぎてしまいました。


〈復元制作された慧日寺本尊・薬師如来像を観に、慧日寺跡へ〉


翌日は、朝一番で、会津の磐梯町にある、慧日寺跡へ。

昨年(2018)、復元制作された慧日寺本尊・薬師如来像が、どんなものかを観たくて出かけました。

慧日寺は、平安時代初め、大同2年(807)に南都、法相宗の高僧・徳一(とくいつ)によって開創された東北最古といわれる大寺院でしたが、その後衰亡、明治の廃仏毀釈によって廃寺となり、跡形もなくなってしまいました。

慧日寺跡に復元された中門と金堂
慧日寺跡に復元された中門と金堂

近年、慧日寺当初の姿の復元整備への取り組みが進められており、2008年に再興された金堂に、去年、当初本尊像を想定した、復元像が制作安置されたのです。

慧日寺跡金堂に安置されている復元薬師如来像
慧日寺跡金堂に安置されている復元薬師如来像

詳しい話は、観仏日々帖 「会津・慧日寺跡に、草創当初の薬師如来復元像(東京藝大制作)を安置」 に採り上げさせていただきましたので、ご覧ください。


〈現代の復元像といえども、一見の価値あるダイナミックな造形~慧日寺・薬師如来像〉


像高1.9m、台座から光背までの総高は4.2mの大型像です。

慧日寺・薬師如来復元像(東京藝大制作)
慧日寺・薬師如来復元像(東京藝大制作)

復元像は、同じ徳一開基といわれる勝常寺の国宝・薬師如来坐像を手本にして、制作されました。
東京藝術大学の保存修復彫刻研究室によって、3年かけて制作されたそうです。
前日拝した、勝常寺の薬師如来像の姿を頭に浮かべながら鑑賞しました。

慧日寺・薬師如来復元像(東京藝大制作)
慧日寺・薬師如来復元像(東京藝大制作)

流石に、勝常寺・薬師像には遥かに及びませんが、なかなかパワフルでダイナミックな存在感を感じます。
現代の復元制作像といえども、充分、一見の価値ある見事な仏像でした。


〈堂々たる阿弥陀三尊像に圧倒される~喜多方願成寺の会津大仏〉


喜多方市の願成寺を訪ねました。
願成寺には「会津大仏」の名で知られる、鎌倉時代の阿弥陀三尊像があります。
像高:2.4mの丈六仏で、重要文化財に指定されています。

願成寺は、随分広い敷地の境内でした。

願成寺
喜多方 願成寺

目指す阿弥陀三尊像は、山門、本堂を通り過ぎた奥、大仏殿と称された収蔵庫に祀られていました。

願成寺・大仏殿(収蔵庫)
願成寺・大仏殿(収蔵庫)

通常は、大仏殿の外からガラス越しの参拝となるのですが、事前にお願いして、大仏殿の中に入れていただき眼近に会津大仏を拝することができました。
京都三千院像と同じく、両脇侍が跪坐の来迎の阿弥陀三尊像です。

願成寺・阿弥陀三尊像(鎌倉・重文)

願成寺・阿弥陀三尊像(鎌倉・重文)
願成寺・阿弥陀三尊像(鎌倉・重文)

鎌倉期、13世紀前半ごろの制作とみられ、巨大な船形光背には、千仏がぎっしりと貼り付けられています。
天井近くまで仰ぎ見る大きな阿弥陀像の姿には、圧倒されるものがありました。
心安んずる来迎の世界というよりは、むしろ迫力のようなパワーを感じました。


〈何故だかカヤ材の巨木を用いた、願成寺・阿弥陀三尊像
~東北に生育しないレアーな用材の訳は?〉


大変興味深かったのは、この像の用材が、カヤ材に違いないということです。

平成16年(2004)に船形光背、千仏を修理した牧野隆夫氏は、阿弥陀像の胎内調査をした際にカヤ特有の匂いがしたことから、カヤ材像に間違いないとの指摘をしています。
阿弥陀像の体幹部は、巨大なカヤ材の、前後2材矧ぎだということです。

中央の仏像用材として一般的な、ヒノキ、カヤという針葉樹材は、関東あたりが北限で、当地では原則として生育分布していません。
東北の仏像用材としては、ケヤキやカツラが一般的です。
また、鎌倉期の大型漆箔像の用材は、中央ではほとんどヒノキ材が使われています。
またカヤ材の巨木というのは、大変数が少ないのです。

この阿弥陀像は、どうして当地では生育しない用材を用い、それも一般的ではなく数の少ないカヤの巨木を、わざわざ持ち込んで用材としたのでしょうか?
取るに足らぬどうでもいいことのようですが、私にとっては、興味津々の話なのです。


〈一番、心に残った「長床」の吹き抜け拝殿~新宮熊野神社〉


同じ喜多方の新宮熊野神社を訪れました。

新宮熊野神社
新宮熊野神社

収蔵庫・宝物殿には、藤末鎌初の文殊菩薩騎獅像(県指定文化財)などの仏像が安置されています。

新宮熊野神社・文殊菩薩像(鎌倉・県指定)
新宮熊野神社・文殊菩薩像(鎌倉・県指定)

仏像よりも、心惹かれたのは、「長床」(ながとこ)と呼ばれる大きな拝殿でした。

新宮熊野神社・長床
新宮熊野神社・長床

太い柱が林立する、吹き抜けの壮大な建物です。
九間四間の芧葺寄棟造り、藤原時代の貴族の住宅建築としての寝殿造りの主殿の形式をふんだ鎌倉初期建築で、重要文化財に指定されています。

長床に上がって、板の間に座り込んでいると、自然と心静かに安らかな気持ちになります。

新宮熊野神社・長床
新宮熊野神社・長床

涼しい風が吹き抜けてきます。
頭を空っぽにして、無心になれるような気がするのです。

今回の会津旅行で一番心に残ったのが、この「長床」でした。


お昼は、なんといってもやっぱり喜多方ラーメン。
老舗の人気店「まこと食堂」へ。
中華そば 700円、なかなか美味かった。

喜多方ラーメン「まこと食堂」
喜多方ラーメン「まこと食堂」


【8 月】


【見事な彩色の板光背に感動!~「奈良大和四寺のみほとけ展」】


東京国立博物館で開催された、「奈良大和四寺のみほとけ展」に行きました。

「奈良大和四寺のみほとけ展」チラシ

岡寺、室生寺、長谷寺、安倍文殊院から、いくつかの仏像が出展されました。
重文以上の出展像は、ご覧の通りです。

観仏リスト05・奈良大和四寺のみほとけ展出展仏像

展覧会の目玉は、室生寺弥勒堂の釈迦如来像、金堂の十一面観音像でしょう。
流石の、平安一木彫像を代表する国宝像です。

今回ちょっと気になったのは。十一面観音像の腰から下、脚部の造形が、意外と生硬で形式的な感じがしたことです。

顔貌、上半身の活き活きとした魅力的造形とのミスマッチ感を、ちょっぴりと感じました。
これまで、そんなことが気になったことは無かったのですが・・・・・・

地蔵菩薩像の板光背は、素晴らしい文様、彩色の光背です。
凄い躍動感で、あまりの見事さに唸ってしまいました。
この板光背は、現在、寺外に出て三本松中村区、安産寺にある地蔵菩薩像の本来の光背であったものです。


岡寺・義淵僧正像は、国宝に指定されていることが大納得の、傑出した優作だと思うのですが、何故だか、あまり人気がないようです。

室生寺諸像の人だかりの多さに比べて、立ち止まって観る人も少ないようで、ちょっと残念に思いました。



【東博・平常陳列で目に付いた2像~たまの陳列、松蔭寺・如来像、中宮寺・文殊像】


東博2階の平常陳列に、松陰寺・如来像と中宮寺・文殊菩薩像が展示されていました。

観仏リスト04・東博平常陳列仏像

共に東博に寄託されている像ですが、たまにしか展示されないように思います。

松陰寺・如来像(飛鳥後期・市指定)中宮寺・文殊菩薩像(鎌倉・重文)
(左)松陰寺・如来像(飛鳥後期・市指定)、(右)中宮寺・文殊菩薩像(鎌倉・重文)

松陰寺・如来像は、奈良時代末期~平安初期の、白鳳小金銅仏の模古的な像ともいわれていましたが、飛鳥後期、8世紀初めごろの制作として、2016年に横浜市指定文化財に指定された金銅仏です。

中宮寺・文殊菩薩像は「紙製」という、大変珍しい像です。



【8 月】


【酷暑にめげず三重、3寺の秘仏ご開帳へ】


「熱中症から身を守ってください!」

という言葉が、まさに実感の炎暑、酷暑で、こんな時期に出かけるのはいかがかという処ですが、三重方面に秘仏御開帳をめがけて、出かけてしまいました。

毎年8月9・10日限りでご開帳される、次の3寺です。

津市白山町の「常福寺」の秘仏・千手観音立像
鈴鹿市の「林光寺」の秘仏・千手観音立像
桑名市の「勧学寺」の秘仏・千手観音立像(8/9・10両日ご開帳)

その他、ご覧のような古仏を訪ねました。

観仏リスト06・三重3寺秘仏ご開帳ほか観仏先

常福寺・千手観音像は、三重県屈指の平安前期の優作像です。
林光寺・千手観音像は、8/9の深夜数時間限りのご開帳という秘仏です。
勧学寺・千手観音像は、ちょっと鄙びた野趣を感じる平安後期像です。

常福寺・千手観音像(平安前期・重文)
常福寺・千手観音像(平安前期・重文)

林光寺・千手観音像(平安後期・重文)勧学寺・千手観音像(平安後期・県指定)
(左)林光寺・千手観音像(平安後期・重文)、(右)勧学寺・千手観音像(平安後期・県指定)

この3寺の秘仏ご開帳については、観仏日々帖 「8/9開帳、三重3ヶ寺の秘仏を訪ねて 【その1】  【その2】」 で、紹介させていただきましたので、そちらをご覧ください。

この3ヶ寺の他には、津市の四天王寺と東明寺を訪ねました。


〈像内納入品に女性願主の想いが偲ばれる~四天王寺・薬師如来像〉


四天王寺では、平安後期の薬師如来像を拝しました。

四天王寺
四天王寺

この薬師如来像は、江戸時代に像内から数々の納入品が取り出されており、納入文書から承和4年(1077)の制作であることが明らかになっています。

四天王寺・薬師如来像(平安・重文)
四天王寺・薬師如来像(平安・重文)

薬師如来像は、大きな本堂の中の脇の立派な厨子に祀られていました。
プレ定朝様と云って良いような、平安中期的な雰囲気を感じる仏像でした。
ご住職の特段のご配意により、別に保管されている像内納入品を拝見することができました。
結縁交名状などの文書の他、女性願主の遺愛品であろうの鏡・櫛・扇骨・縫針・タカラガイなどの納入品で、この薬師像へ籠められた祈りの想いが、強く偲ばれました。


〈地区で守られる美しい藤原仏~東明寺・薬師如来像〉


東明寺・薬師如来像は、地区の人々の管理で、収蔵庫に安置されていました。

東明寺・収蔵庫
東明寺・収蔵庫

この仏像を拝しにわざわざ訪れる人は、めったにないようです。
所謂、定朝様の美しい藤原仏でした。

東明寺・薬師如来像(平安後期・県指定)
東明寺・薬師如来像(平安後期・県指定)


【三重から一足延ばして、ミホミュージアム「紫香楽宮と甲賀の神仏展」へ】


三重まで来たついでに、ミホミュージアムで開催の「紫香楽宮と甲賀の神仏展」にも行きました。

「紫香楽宮と甲賀の神仏展」チラシ

三重からミホミュージアムのある信楽までは、随分遠そうに思うのですが、レンタカーで行くと1時間ちょっとと、それほど時間がかかりませんでした。

この展覧会は、紫香楽宮に関する文化財展示ということで、紫香楽宮発掘調査などにより明らかになった古瓦、木簡などの考古遺物や、善水寺、金勝寺など湖南の寺々に伝わる仏像、神像が出展されていました。

善水寺・金堂釈迦誕生仏像(奈良)、金勝寺・僧形神像女神像(平安)、毘沙門天像(平安)、飯道寺・十一面観音像(平安)、矢川神社・男女神諸像、正福寺・十一面観音像(平安)、阿弥陀寺・薬師如来像(平安)など

が展示されていました。
出展像のなかでは、金勝寺の僧形八幡神像(平安・県指定)と毘沙門天像(平安・重文)が、私にはインパクトがありました。


ついで話ですが、ミホミュージアム所蔵の、重要文化財になっている耀変天目茶碗が展示されていました。

国宝の耀変天目三碗に次ぐ、加賀前田家伝来の耀変天目茶碗です。
確かに国宝三碗には及びませんが、一度。実見してみたいと思っていたもので、なかなかのものでした。

ミホミュージアム所蔵・耀変天目茶碗(重文)
ミホミュージアム所蔵・耀変天目茶碗(重文)




古仏探訪~2019年・今年の観仏を振り返って 〈その2〉 5~6月 【2019.12.29】


【5 月】


【毎年恒例の「新指定 国宝・重要文化財展」に、東博へ】


毎年、東京国立博物館で開催される「新指定 国宝・重要文化財展」に出かけました。

平成31年度「新指定 国宝・重要文化財展」図録
平成31年度「新指定 国宝・重要文化財展」図録
表紙写真は唐招提寺・伝獅子吼菩薩像


最近は、ゴールデンウィークといわれても、どこへ出かけるというわけでもなし、私にとっては、この展覧会がゴールデンウィーク近辺の恒例のイベントのようになってしまいました。

今年、平成31年度に展示された新指定の彫刻作品・仏像展示は、ご覧の通りです。

「新指定 国宝・重要文化財展」出展仏像


〈はち切れる力感、圧倒的存在感に唸ってしまった、唐招提寺・薬師像〉


会場で、圧倒的な存在感を誇っていたのは、唐招提寺の薬師如来像でした。
周囲を圧した、ものすごいパワーです。

唐招提寺・薬師如来像
圧倒的な存在感を誇っていた唐招提寺・薬師如来像

昔は、唐招提寺・講堂木彫群の中では、衆宝王菩薩や獅子吼菩薩像の方が、むしろお気に入りで見事な造形だという風に感じていたのですが、近年は、薬師如来像の方の造形的魅力に、強く惹かれるようになりました。
薬師像の魅力は、なんといっても、はち切れるようなボリューム感の肉体表現です。
いわゆる肥満というのではなくて、強い「力感」をみなぎらせたボリューム造形になっているところが、なんといっても凄いところだと思います。

展覧会図録の解説をみると、
「唐風が最も濃厚なのは薬師如来・伝衆宝王菩薩で、特に薬師の出来栄えが優れ、量感に富んだ体躯や、肉付けを強調しつつ流麗に集散する衣文など、他を圧する迫力を示す。」
と、記されていました。

今更ながらに、納得!という処です。

実は、この薬師像や、衆宝王、獅子吼像、
「あれ、まだ国宝になっていなかったの?」
という意外感の方が結構ありました。

そういえば、まだ重要文化財指定だったのです。


〈「重文5件を統合して国宝1件」となった唐招提寺・木彫群
~評価された、我国木彫像の歴史の起点的意義〉

今回の国宝指定は、それぞれ個別に重文指定されていた、
薬師如来、伝衆宝王菩薩、伝獅子吼菩薩、伝大自在王菩薩、二天王
の各像6躯5件を統合して、国宝1件として指定されました。

国宝に指定された唐招提寺木彫群6躯
国宝に指定された唐招提寺木彫群6躯

「なるほど、こういう国宝指定方法があったんだ。」
と、感心してしまいました。

確かに、一件ずつ個別に国宝指定ということになると、6躯全部が国宝指定というのは、ちょっと難しい感もします。

文化庁の国宝指定の答申解説には、このように記されていました。

「唐招提寺木彫群として知られる木彫像。
・・・・・
天平勝宝五年(754)に唐僧鑑真に随行して来朝した中国工人が直接または間接的に製作に関与している可能性が高い。
日本の木彫像の長い歴史の起点となる作例と評価される。」

唐招提寺木彫群の、美術史上の重要性や造形的魅力を鑑みると、国宝指定は当然という処ですが、なかなかの知恵を絞った一括国宝指定だなと、納得した次第です。


〈「京博、仏像展示の顔」安祥寺・五智如来像も、ついに国宝に〉


国宝指定となった安祥寺・五智如来像は、中尊・大日如来像他の3躯が出展されていました。

並んで展示されていた、唐招提寺・薬師像、衆宝王菩薩像と見比べてしまうと、造形の魅力としては、少しばかり見劣りしてしまうように感じたのが本音の処ですが、長きにわたって「京都国立博物館の仏像展示の顔」となっている、造立来歴が明らかな平安前期密教彫刻の堂々たる作例であることには間違いありません。

京博で、幾度となくその姿を見たなじみの仏像であっただけに、
「ついに、国宝指定になったのか。」
という感慨が、じんわりとよぎりました。


〈不思議な二重構造の、新薬師寺 おたま地蔵・景清地蔵
~「生身」と「師、尊崇」への想い、信仰に感慨を覚える〉

重要文化財新指定の仏像のなかで、私の目を惹いたのは、新薬師寺の地蔵菩薩像でした。

この地蔵像、裸形の像が、貼り付けるように作られた木製の着衣で覆われていて、一見は、普通の地蔵菩薩像の姿をしていたという、なんとも不思議仏像なのです。
通称、景清地蔵、おたま地蔵と呼ばれています。

この地蔵像は、新薬師寺の香薬師堂に安置されていて、その昔、一度拝したことがあるようなないような、あいまいな記憶しか残っていません。
しっかりとその姿を拝するのは、今回が初めてとなりました。

現在は、
「首から下だけの裸形の像、通称・おたま地蔵と、着衣の地蔵像、通称・景清地蔵」
の2体に分離されていて、今回も、裸形、着衣の2像が展示されていました。

その姿を観ると、一寸生々しすぎて、ぞっとしないでもないのですが、このような姿に作られたいきさつには、興味深い物語があるのです。

その話を、一寸だけご紹介したいと思います。

この地蔵像は、古来、平家物語の登場人物、悪七兵衛景清ゆかりの像との伝承があって、「景清地蔵」という名で知られていました。
1984年に、本像を東京藝大で修理修復することになり、像を解体したところ、超ビックリの発見となりました。
着衣が本当に衣を着せるように貼り付けてあり、その中から、裸の姿の仏像が出現したのです。
裸形像と着衣との二重構造になっていたのです。

像胎内から造立願文も見つかり、そこには、鎌倉時代、興福寺僧・實尊が亡くなり、嘉禎年間(1235~38)にその弟子・尊遍が師を慕い菩提を弔うために、裸形像を造立した旨が記されていました。
尊遍は、この裸形像に本物の衣を着せて、師・實尊が生きているがごとくに、日々、拝していたようなのです。

裸形像が着衣像に改変されたのは、13世紀後半のようです。
何故、そのような改変が行われたのでしょうか?
それは、尊遍が晩年となり、先々、師・實尊を弔う裸形像に衣を着せて守ることが難しくなり、自らが死んで供奉するものがいなくなることを案じて、永久保存可能な着衣像に改変したからではないかという想像がされています。

この二重構造の事実が発見された際、お寺の方で、
「裸形像を独立させ、信仰の対象としたい。」
という希望が出され、着衣像と裸形像との2体に分離されることになりました。

その後は、着衣像は「景清地蔵」、裸形像は「おたま地蔵」と称され、祀られるようになりました。
裸形像を「おたま地蔵」と呼ぶのは、その股間にまるまるとした蓮の花のつぼみを象った「おたま」をつけていることに因むものです。

こうした物語に思いを致しながら、この地蔵像を観ていると、いわゆる「生身」への信仰と、「師弟の尊崇、信愛」への想いが、強く籠められた像であることに、感慨を覚えるものがありました。



下旬には、妻と一泊で京都へ出かけました。

初日は、二つの展覧会へ。
龍谷ミュージアムの「因幡堂 平等寺展」と、京博の「一遍聖絵と時宗の名宝展」です。


【龍谷ミュージアムで開催の「因幡堂 平等寺展」へ】


「因幡堂 平等寺展」チラシ

「因幡堂 平等寺展」での注目仏像


〈因幡の国から飛来したという、二つの薬師像が一堂に
~京都平等寺・薬師と岐阜延算寺・薬師〉

龍谷ミュージアムの「因幡堂 平等寺展」の最大の注目は、因幡の国から飛来したと伝える、2体の薬師如来像が、同時に展示されることです。
京都因幡堂の薬師如来像と、岐阜延算寺の薬師如来像です。
展覧会の副題にも「京に飛んできたお薬師さん」という副題がつけられています。

因幡堂平等寺・薬師如来像
因幡堂平等寺・薬師如来像

因幡堂平等寺・薬師如来像は、因幡堂縁起によると、

「長徳3年(997)、因幡国国司・橘行平が任終わって帰洛の途中、急病にかかり回復祈願した処、因幡賀留津(いなばかるつ)の海中の浮木を供養せよとの夢告があり、探し出すと薬師如来像であり仮堂に安置した。
長保5年(1003年)、橘行平屋敷の戸を叩くものがあり、それは因幡からはるばる虚空を飛来してきた薬師像であった。
行平は高辻烏丸の屋敷に薬師像を祀ったのが、因幡薬師平等寺の起源である。」

と伝えられています。
現存薬師像は、この縁起の記す通りの長保5年(1003年)頃の制作とみられています。


岐阜延算寺・薬師如来像
岐阜延算寺・薬師如来像

一方、延算寺・薬師如来像は、

「延暦24年(805)に、最澄が唐より帰朝し、西国から上洛の途中、因幡国岩井郡岩井山の麓で一木をもって薬師尊像二体を彫刻し、一体をその地に留め、一体を護持して上洛し、比叡山の本尊とした。
因幡国にあった尊像は、やがて東を指して飛び去り、当地に至った。
その頃、当地で草庵を結んで修行に励んでいた比丘は、像を盥の上に安置した。
この『盥の尊像』を祀る一堂を建立したのが、延算寺である。」

と伝えられます。
この像は、因幡堂像よりも、量感も豊かで古様な感じで、10世紀半ばから後半の制作とみられています。


〈制作時期は異なるが、共通点多い二つの薬師像~類似する像高、表現形式、構造など〉


この二つの薬師如来像は、11年前、2009年に鳥取県博で開催された「はじまりの物語展」に出展されて以来の、揃ってのミュージアム出展です。

平等寺像は、下京区にあるお寺で拝すると、厨子の中に祀られ頭には頭巾がかぶせられているので、ちょっと観にくいところがあるのですが、龍谷ミュージアムでは、360度ビューで眼近にじっくり観ることができました。

お寺で正面から拝すると、割と平板で抑揚の少ない造形のように感じるのですが、背面へ回って観ると、思いの外のボリューム感があったのは意外感がありました。
この薬師像は、サクラ材の一木彫像で内刳りがありません。
そこだけを聞くと、平安前中期のボリューム感をとどめた像のように思うのですが、正面観では平安後期の穏やかで穏和、平板という印象を受け、ちょっと違和感がありました。
背面の抑揚にその名残をとどめているのかなと、一人納得した次第です。

延算寺像は、鳥取県博以来の二度目の御対面です。
10年余前の鳥取県博では、念願の初対面で、存在感やパワーのようなものを結構感じたのですが、今回は、重量感はあるものの穏やかさ、まろやかさも伺えるような印象で、初対面の時ほどにはインパクトを感じませんでした。
カヤ材の一木彫で内刳りなしという古様な造りなのですが、10世紀後半の制作という解説に、結構納得しました。

この二つの薬師如来像、造形感覚は異なるものの、像高が153㎝とぴったり一緒、内刳りなしの一木彫というのも一緒です。
衣文の形式(腹部下方のY字状、大腿部周辺のU字状衣文)も類似しています。

共に「因幡の国からの飛来伝説」を有する像だということと、何らか共通する造像背景によるものなのでしょうか?


〈展覧会で出来の良さが目を惹いた、二つの鎌倉期の阿弥陀像
~平等寺と西念寺の阿弥陀坐像〉

そのほかの展示仏像で、目を惹いたのは、平等寺・阿弥陀如来坐像と西念寺・阿弥陀如来坐像でした。
共に、なかなか出来の良い、鎌倉期の阿弥陀如来坐像です。

平等寺・阿弥陀如来坐像は、平等寺というと因幡薬師で、これまでは全く知らない像でしたが、整った造形ですがなかなかの張りを感じます。

平等寺・阿弥陀如来像
平等寺・阿弥陀如来像

衣文のうねりも、躍動感があるようです。
運慶次世代仏師の作であろうということですが、印象に残る像でした。

西念寺・阿弥陀如来坐像は、湛慶もしくは湛慶工房の作かという見方がある像です。

西念寺・阿弥陀如来像
西念寺・阿弥陀如来像

これまた初見の仏像ですが、足を止めてじっくり観たくなる出来の良さです。
力強さの中に、静かな落ち着きを感じさせるものがあります。
流石に、湛慶云々とみられるだけのことはある仏像という気がしました。


【京博で開催の「一遍聖絵と時宗の名宝展」へ】


京都国立博物館で開催の「一遍聖絵と時宗の名宝展」に行きました。

「一遍聖絵と時宗の名宝展」チラシ

何といっても展覧会の大目玉は、国宝・一遍聖絵(清浄光寺(遊行寺)蔵)の出展です。
全12巻が17年ぶりに一堂に展示されます。

流石に、大勢の参観者で、随分混み合っていました。
絵巻のことはよくわからないものの、ゆっくり愉しませてもらいました。


〈注目は、二つの「行快作」の阿弥陀像〉


「一遍聖絵と時宗の名宝展」出展の行快作仏像

仏像の方は、時宗関係のお寺の像が10躯ほど出展されていました。

私の注目は、二つの行快作の仏像です。
滋賀阿弥陀寺・阿弥陀如来像と京都聞名寺・阿弥陀三尊像です。

聞名寺・阿弥陀三尊像は、昨年(2018)12月に両脇侍像の足ホゾから「巧匠 法眼行快」の墨書が見つかり、行快作像の新発見で話題を呼んだ像です。

聞名寺・阿弥陀三尊像(行快作)聞名寺・阿弥陀三尊像(行快作)聞名寺・阿弥陀三尊像(行快作)
新発見の行快作 聞名寺・阿弥陀三尊像(

この新発見については、観仏日々帖 「行快作の仏像新発見、京都・聞名寺の阿弥陀三尊像」 で、紹介させていただきました。

滋賀県西浅井町の阿弥陀寺・阿弥陀如来像の方は、50年以上前に足ホゾから「巧匠 法眼行快」の墨書が発見され、文暦2年(1235)頃の行快作像であることが判明しています。

両像ともに初対面です。

阿弥陀寺像の方は、なるほど行快という風に感じました。
顔貌が眼を大きく見開いて力強く、ちょっと生々しい野性味を感じさせ、大報恩寺の釈迦如来坐像に代表されるような行快特有の雰囲気を感じます。


〈行快風の雰囲気がよく判らなかった、新発見の聞名寺・阿弥陀三尊像
~自身の鎌倉彫刻への疎さ加減を痛感〉

一方、聞名寺・阿弥陀三尊像を観ると、眼も細めで穏やかな感じで、行快作だといわれても、まったく判らないというのが本音の処です。

鎌倉彫刻にとんと疎い私には、
「なるほど、行快風ですね。」
などという見分けは、全然つきません。

行快作という話がなければ、気にもかけずに通り過ぎてしまうことでしょう。
勉強不足というか、眼が効かないということを、思い知ったという処です。


この日のランチは、六条堀川の「西洋酒樓 六堀」、夜はいつものなじみの四条河原町「志る幸」で。

「西洋酒樓 六堀」は、龍谷ミュージアムの近くにあるので、初めて寄ってみました。
ちょっとシャレた感じの洋食屋さんで、人気のオムライスを食べてみました。

六条堀川「西洋酒樓 六堀」
六条堀川「西洋酒樓 六堀」



〈琵琶湖疎水船、往復体験完了に大満足〉


翌日は、琵琶湖疎水船へ。

昨年からスタートした琵琶湖疎水船運航、去年の10月に乗船してみて、最高でしたので、今年ももう一度乗ってみたいと、予約をとったのでした。
昨年は、三井寺口から蹴上まで、疎水の流れに沿って往きました。
今年は逆コース、蹴上から三井寺口まで、緑に包まれた水面を進むクルーズを愉しみました。

琵琶湖疎水船~京都蹴上

琵琶湖疎水船~大津三井寺口
琵琶湖疎水船~(上)京都蹴上、(下)大津三井寺口

これで、琵琶湖疎水船、往復体験完了で、大満足。
私には、一番のお気に入りのクルーズです。


お昼は、なじみの「レストラン・おがわ」でランチ。
長年、木屋町御池を上がった高瀬川沿いの路地を入ったところにあったのですが、この春から河原町二条に移転しました。

レストランおがわ
レストランおがわ

移転の挨拶代わりに寄ってみました。
場所は変わりましたが、なかなかに美味なる料理は変わることなく、愉しませてもらいました。



【6 月】


奈良に出かけました。

奈良市内での少人数の泊りの同窓会があり、そのあとに天平会の例会に参加することにしたのです。



【奈良・斑鳩町から大和郡山の、かくれ仏を巡った一日】


折角、出かけたついでということで、斑鳩町から大和郡山方面の古仏を、一人でいくつか訪ねてみました。
融念寺、法輪寺、西岳院、光堂寺を訪ねました。
法輪寺以外は、あまり訪ねる人のない、「かくれ寺」的な処です。

斑鳩町~大和郡山方面で拝したかくれ仏


〈平安前期一木彫像の名品、融念寺・地蔵菩薩像
~一昔前は、奈良博の常設展示でおなじみの優作〉

融念寺といえば、平安前期の見事な一木彫像、地蔵菩薩像のことが頭に浮かびます。

融念寺・地蔵菩薩像
融念寺・地蔵菩薩像

かつては奈良国立博物館の本館に常時展示されていて、エキゾチックな風貌が魅力の、おなじみの仏像でした。
いつ頃のことか忘れてしまいましたが、融念寺に新しい収蔵庫「恵宝殿」が建立され、お寺に安置されるようになりました。

この地蔵菩薩像、いつも奈良博でその姿を見慣れていましたので、お寺の方には行ったことがなかったのですが、しばらくぶりに対面したくなって、訪ねてみたのです。

融念寺は、法隆寺の西南2~3キロという処にあります。

融念寺
融念寺

生駒郡斑鳩町神南という場所で、ひっそりとした集落のちょっとわかりにくいところにありました。
昔、奈良博の看板仏像の一つといってよいほどの名品の地蔵像があるのですが、融念寺まで訪れる人はあまり多くないようです。

収蔵庫「恵宝殿」には、地蔵菩薩像と聖観音像が安置されています。

融念 収蔵庫「恵宝殿」
融念寺 収蔵庫「恵宝殿」"

ご住職が親切にご案内いただき、明るい中で眼近に拝することができました。


〈エキゾチックな風貌が、たまらぬ魅力の地蔵像~実は僧形神像という見方が有力〉


地蔵像は、9世紀の一木彫像のなかでも、名品といってよい見事な像です。

すらりとしたシルエット、のびやかで粘りのある衣文の彫り口と共に、鼻筋の通ったエキゾチックな面貌に、たまらない魅力を感じます。
私のお気に入り仏像の一つです。

この地蔵像、下げた左手で袈裟をつまむという、大変珍しいスタイルをしています。
現在は、地蔵菩薩として祀られていますが、錫杖をとる通形の地蔵菩薩の形姿でないこともあり、以前から、実は僧形神像なのではないかとの議論があります。
大神神社の神宮寺大御輪寺伝来の法隆寺・地蔵菩薩像、橘寺・日羅像や融念寺・地蔵像などは、僧形のスタイルの初期神像として作られたという見方です。
僧形神像とする見方が有力なようですが、地蔵像とする異論もあり、なかなか難しい議論のようです。

いずれにせよ、類例の少ないエキゾチックな造形に惹きつけられる、平安前期の名品一木彫像であることには間違いありません。

久しぶりの、融念寺・地蔵像との出会いで、今更ながらに見惚れてしまいました。


〈初対面か?融念寺・聖観音像
~11世紀の大和地方在地の造形スタイルを思わせる平安古仏〉

地蔵像の隣には、聖観音像が祀られています。

光背の墨書銘に延久元年(1069)の年紀があり、その時の造立と見られています。
11世紀も後半に入っての像としては、穏やかな雰囲気が感じられるものの古様なスタイルの造形で、光背も板光背です。
両腕までも含め蓮肉まで一木で彫出されていて、内刳りもありません。
ハリギリというケヤキ系の広葉樹材だそうです。

11世紀ごろの大和地方では、このような古様な造形スタイルの仏像が造られていたということです。
定朝作の平等院の阿弥陀如来像が造立されてから16年後の造立です。
当時は、この辺りは、京の都から随分離れた鄙の地、地方だったのだなーというのを、再認識させられました。

この聖観音像、収蔵庫ができるまでは、奈良博に寄託展示されていたのかもわかりませんが、印象が薄かったのか、私の記憶には、まったく残っていません。
実質、初対面の平安古仏との出会いとなりました。


〈「法隆寺の大御所」北畠治房旧邸、「布穀園」でランチを〉


融念寺の後は、龍田神社に寄って、法輪寺の諸仏像を久しぶりに拝したところで、お昼になったので、法隆寺近くの「布穀園」でランチとしました。

和カフェ「布穀園」~北畠治房旧邸
和カフェ「布穀園」~北畠治房旧邸

和カフェ「布穀薗」は、北畠治房の旧邸にあるカフェです。
北畠治房(1833~1921)といっても、ご存じの方は少ないと思いますが、男爵で「法隆寺の大御所」と称された奇人、頑固親爺です。
北畠治房の特異な人物像や法隆寺とのかかわりについては、日々是古仏愛好HP・埃まみれの書棚から 「法隆寺の大御所 北畠治房」 で、詳しく紹介させていただいたことがありますので、ご覧いただければと思います。

旧邸の立派な長屋門の一部を改装して、「布穀園」というカフェとなっているのです。
母屋の方は、現在の所有者の方が、今も住まわれているということです。

北畠治房旧邸の母屋
北畠治房旧邸の母屋

「布穀園」という名は、この邸宅が北畠の号から「布穀園」と称されていたことに因むものです。

食後のコーヒーを飲みながら、しばし「法隆寺の大御所、北畠治房」のことを偲ぶことができました。


〈知られざる巨像の平安古仏に圧倒される~西岳院・千手観音像〉


大和郡山市満願寺町にある西岳院を訪ねました。

西岳院には、3メートルを超える巨像の平安時代の千手観音像があるというのです。
県指定の文化財に指定されています。
この千手観音像の存在を知ったのは、「大和のかくれ仏」(清水俊明著・創元社刊)という本に紹介されていたからです。
1976年に出版された古い本ですが、見処がある仏像で知られざるかくれ仏が随分採り上げられているのです。
カーナビでもうまくたどり着けなくて、結構、分かりにくいところにあるお寺でした。
目指す千手観音像は、ポツリとある観音堂に祀られていました。

西岳院 観音堂
西岳院 観音堂

像高3メートル、お堂の天井まで届きそうな巨像で、圧倒されるものがあります。
ビックリしました。

西岳院観音堂に祀られる巨像の千手観音像

西岳院・千手観音像
西岳院観音堂に祀られる巨像の千手観音像

頭体幹部から足ホゾまでケヤキ材の一木彫成ということです。

この像は、地名となっている満願寺という聖徳太子開基の伝承のあった古刹の旧本尊であったそうで、その一院であった西岳院に伝えられているのだそうです。
これだけの巨像が祀られた満願寺は、相当の大寺であったに違いありません。
穏やかな顔立ちや肉身表現、浅めの衣文などから平安後期の雰囲気が漂いますが、見上げる巨像には圧倒されるものを感じます。

西岳院・千手観音像西岳院・千手観音像
西岳院・千手観音像

都風の優美というよりは、平安後期、奈良の在地的な空気感がある、なかなかの優作と感じました。
これだけ立派な平安古仏の巨像の存在、ほとんど全くと言ってよいほど知られていないのではないでしょうか。
奈良の知られざるかくれ仏には、なかなかに奥深いものがあります。


〈やっとのことで拝観叶った、光堂寺・四天王像
~まさに大和のかくれ仏、平安中期の一木彫像〉

同じ大和郡山にある光堂寺を訪ねました。
光堂寺には、平安中期ごろの四天王像があるというのです。
県指定の文化財になっています。

大和郡山市の文化財紹介HPには、このように記されています。

「表現、構造からみて平安時代、10世紀末から11世紀はじめの製作と推定され、四体一具として安置された可能性もあります
主要部は修正したところが少なく、造像当時の優れた彫技が残されています。
県下の四天王像は各時代を通じてその遺品は少なくありませんが、平安時代中期の作例となると法隆寺の講堂、新堂、三経院などの諸天に限られます。その中にあってこの四天王像は奈良盆地中央部に残る平安古像として注目されるものです。」

なかなか、興味津々の解説です。

平安中期以前の一木彫像といえば、何とか拝したいと念じている私ですので、是非一度拝したいと思っていたのです。
これまでに何度か、拝観トライしたのですが、不在のようで連絡が通じることがなく、諦めかけていたところ、やっとご連絡がついたのです。
喜び勇んで、出かけたというわけです。

光堂寺は、大和郡山、椎木町の村落の中にひっそりとたたずむお堂でした。

光堂寺

光堂寺
光堂寺~境内には杵築神社も祀られる

ご住職がお待ちいただいていて、堂内に案内いただきました。
ご住職は、普段は高野山の方にいらっしゃるとのことです。
目指す四天王像は、本尊の薬師如来像の脇に祀られていました。
4躯とも、像高1メートルほどの小像です。

光堂寺・四天王像
光堂寺・四天王像(大和郡山市文化財紹介HP掲載写真)

なかなか古様な感じの造形ですが、平安前期のボリューム感やパワーは減じていて、ちょっと鄙びた印象を受けました。
この像も、大和の地方的な空気がある平安中期の古様な作例という処でしょうか。

やっとのことで、光堂寺・四天王像を拝することができて、私の平安中期以前の未見一木彫像のリストから一件を消し込むことができました。

そのあと、夕刻まで少し時間の余裕があったので、唐招提寺、大安寺の諸仏をしばらくぶりに拝して、奈良、大和郡山方面の観仏の一日を終えました。


6月の観仏は、まだまだ続くのですが、書き綴るのに少々疲れてきました。
年内は、このぐらいでおしまいということにして、続きは、年明けにさせていただきたいと思います。
よろしくお願いいたします。

今年一年、「観仏日々帖」にお付き合いいただき、有難うございました。

皆さん、良いお年を、迎えられますよう。



古仏探訪~2019年・今年の観仏を振り返って 〈その1〉 1~4月 【2019.12.19】


師走も、もう半ば過ぎになってしまいました。

毎年、相変わらずで、代わり映えもしないのですが、恒例ということで、今年一年の観仏を振り返ってみたいと思います。

自己満足的な、観仏記録の感想メモのようなもので、面白くもないと思いますが、一年の締めくくりということで、我慢してお付き合いいただければ有難き限りです。


【1 月】


1~3月は、寒くて引きこもり状態。

いろいろな展覧会を見に行ったり、暖かい奄美大島へ行って田中一村美術館を訪ねたりしましたが、観仏には全く出かけませんでした。

もう若くない身には、冬場の古寺古仏探訪は、お堂の冷え込みがきつくて出かける気になりません。



【びわ湖長浜KANNON HOUSEで「いも観音」を観る】


1月、唯一仏像を見たのは、東博「顔真卿展」の帰りに見た、びわ湖長浜KANNON HOUSEに出展されていた安念寺・いも観音(平安後期)だけでした。

KANNONHOUSEに出展された、長浜市安念寺・いも観音像
KANNONHOUSEに出展された、長浜市安念寺・いも観音像

安念寺は、賤ケ岳の南麓、木之本町黒田にあるのですが、これほどまでに朽ち果てた仏像が、破棄されることもなく、よくぞ地元の集落の人に守られてきたものです。

安念寺のお堂に祀られる破損仏・いも観音像
安念寺のお堂に祀られる破損仏・いも観音像

信長や秀吉の軍の兵火から仏像を救うために、村人たちは土に埋めて守ったといい、埋めたり掘り出して洗うことから芋が連想されたのか、「いも観音」と呼ばれるようになったともいわれています。
17躯が伝えられていたのですが、2000~2003年の間に7躯が盗難にあい、今は10躯だけになってしまっています。


【2 月】



【永青文庫の「石からうまれた仏たち~永青文庫の東洋彫刻コレクション」展へ】


2月の仏像がらみは、文京区目白台にある永青文庫で開催された「石からうまれた仏たち~永青文庫の東洋彫刻コレクション」展に出かけただけです。

永青文庫「石からうまれた仏たち」展チラシ

永青文庫は、ご存じの通り、美術品収集家として著名であった細川家16代当主、細川護立(1883~1970)のコレクションを中心に、旧熊本藩主細川家伝来の美術品、歴史資料を収蔵、展示する美術館です。
展覧会は、細川護立が蒐集した、中国の石仏・金銅仏、インドや東南アジアの彫刻を展示する特別展でした。

永青文庫「石からうまれた仏たち」展・展示仏像(展覧会チラシ)
「石からうまれた仏たち」展の主な展示仏像~展覧会チラシ

中国の古代彫刻の展示会としては、大変興味深いものだと思うのですが、私が訪ねた時には、会場には参観者が疎らといった程度で、この種の展覧会は、なかなか人気が出にくいのでしょうか。


〈今では忘れられた、中国美術の先駆的紹介者「早崎稉吉」
~永青文庫・中国石仏は、早崎蒐集コレクション〉


私が、この展覧会で関心があったのは、細川護立に中国石仏を納めた「早崎稉吉」についてでした。

早崎コウ吉(東京美術学校の制服姿)
早崎稉吉(東京美術学校当時の制服姿)

早崎は、自ら収集した中国石仏コレクションを、昭和3年(1928)と6年(1931)の二回にわたって、細川に売却し、その後は細川コレクションとして所蔵されることになったものです。

今回展示の中国石仏18件は、すべて早崎稉吉の将来品です。


〈東博・東洋館展示の名品「宝慶寺石仏群」も、元々は早崎稉吉の蒐集所蔵像〉


また東京国立博物館、奈良国立博物館に所蔵陳列されている、有名な中国唐代の宝慶寺石仏群も、早崎稉吉が明治39年(1905)に日本にもたらし、蒐集所蔵していたもので、そのほとんどが細川コレクションになり、その後、国に寄贈されたものです。

細川護立氏寄贈の東京国立博物館・中国陝西省西安宝慶寺石仏~十一面観音龕細川護立氏寄贈の東京国立博物館・中国陝西省西安宝慶寺石仏~三尊仏龕
細川護立氏寄贈の東京国立博物館・中国陝西省西安宝慶寺石仏~(左)十一面観音龕、(右)三尊仏龕

早崎稉吉の名は、今ではほとんど知られていないのではないかと思いますが、明治~昭和初期にかけて、中国美術の紹介者、専門家、蒐集家として先駆的役割を果たした人物です。
早崎は東京美術学校の出身で、岡倉天心が明治26年(1892)に中国美術調査に赴き、日本人として初めて龍門石窟を発見、紹介したときに、ただ一人同行しました。

明治26年岡倉天心、竜門石窟発見時の写真~奉先寺石窟(早崎コウ吉撮影)
明治26年に岡倉天心が龍門石窟発見時の写真~奉先寺石窟
早崎稉吉が撮影した写真という


その後は、中国美術の専門家として何度も中国に滞在し、日本やアメリカに数多くの優品を将来しました。
岡倉天心によるボストン美術館の中国美術蒐集に、実際に関わりコレクション形成に大きな役割を果たしたのは早崎稉吉でした。

3月10日に
「永青文庫の中国石仏~早崎稉吉が将来した名品」 (講師:石松日奈子氏・東京国立博物館客員研究員)
という講演会がありました。

これは必聴と、早崎稉吉についての講演をじっくり聴いてきました。


〈近年発見の早崎稉吉自筆「造像所獲記」も展覧会に展示〉


昨年(2018年)、早崎稉吉自筆の「造像所獲記」と題するメモ冊子が、永青文庫で発見されました。

早崎稉吉自筆「造像所獲記」
新発見の早崎稉吉自筆「造像所獲記」

「宝慶寺造像所獲記」に始まる獲得メモで、収集の経緯が生々しく綴られる貴重な資料の発見でした。
展覧会では、この「造像所獲記」も、展示されていました。

早崎稉吉が明治期に中国美術の紹介者、将来者として果たした役割の大きさ、中国美術研究の進展への貢献は、極めて大きなものがあったのだと思います。
今では、忘れ去られた早崎稉吉について、再認識し、思いを致す良い機会となりました。



【4 月】



【興味深かった「林忠正~ジャポニズムを支えたパリの美術商」展】


国立西洋美術館で開催されていた「林忠正~ジャポニズムを支えたパリの美術商」を見てきました。

「林忠正~ジャポニズムを支えたパリの美術商」展チラシ

展覧会では、林忠正の孫で歴史作家の木々康子氏の所蔵品を中心に、林忠正とゆかりの人々の関連資料が展示されていました。
地味な展覧会でしたが、私には、大変興味深い企画展でした。


〈近代日本初の官製美術史書「稿本日本帝国美術略史」の刊行に、深くかかわった林忠正〉


仏像とは関係ないこの展覧会をご紹介したのは、林忠正が、近代日本初の「官製日本美術史本」である 「稿本日本帝国美術略史」 の刊行にかかわっている人物であるからです。

「稿本日本帝国美術略史」については、日々是古仏愛好HPの 「近代仏像評価の変遷をたどって」の連載で、何度も何度も採り上げましたので、覚えておられる方もあるのではないかと思います。

「稿本日本帝国美術略史」は、明治33年(1900)、パリ万国博覧会参加を機会に、我が国美術を西欧に知らしめるため、フランス語版 「Histoire de l'art du Japon」 として編纂・出版されました。


フランス語版 「Histoire de l'art du Japon」

フランス語版 「Histoire de l'art du Japon」に掲載されている法隆寺・救世観音像
フランス語版 「Histoire de l'art du Japon」
(下段)本文中に掲載されている法隆寺・救世観音像写真


最初にパリにおいてフランス語版で出版され、その後に、日本語版として国内で刊行されたのが「稿本日本帝国美術略史」なのです。


〈フランス語版 「Histoire de l'art du Japon」の冒頭は、林忠正の執筆〉


フランス語版 「Histoire de l'art du Japon」の冒頭には、九鬼隆一の序文より先に、林忠正による「読書への案内」が付されているのです。

「Histoire de l'art du Japon」冒頭の林忠正執筆「読書への案内」「Histoire de l'art du Japon」冒頭の林忠正執筆「読書への案内」
「Histoire de l'art du Japon」冒頭の「読書への案内」(3頁)~末尾に執筆者・林忠正の名前が記されている

実は、林忠正は、伊藤博文や西園寺公望の推挙により、パリ万国博覧会の事務官長に就任し、日本美術の紹介、陳列に、全力を注いで尽力しているのです。
豪華本「Histoire de l'art du Japon」の刊行も、出版元になる帝国博物館の財政上の理由で出版が進まなかったのを、林忠正が受け継いで、何とか出版に漕ぎ付けたといわれています。
そんな訳で、冒頭に林執筆の一文が付されているのではないかと思います。


〈浮世絵を大量海外流出させた張本人と云われた林忠正
~日欧芸術文化交流に生涯をささげた功績は多大〉


林忠正というと、西洋で日本美術を商った初めての日本人です。

林忠正~展覧会パンフレット
林忠正~展覧会パンフレット
1878年(明治11年)、パリで行われる万国博覧会に参加する「起立工商会社」の通訳として渡仏しますが、その後、日本の浮世絵をはじめ陶磁器、工芸品などを大量に商い、ヨーロッパのジャポニズムの隆盛の大きな原動力となりました。
「ジャポニズムを支えたパリの美術商」といわれる所以です。

林が日本からヨーロッパへ持ち込み販売した浮世絵は、数十万点に及ぶといわれ、後年「浮世絵を海外に大量流出させた張本人」として批判を浴びたこともありましたが、その生涯をたどってみると、

「現代へ脈々と続く西洋のジャポニズムを支えた立役者」
「芸術を介して日欧文化交流に生涯をささげた人物」

としての功績には多大なものがあることを知ることができます。

「林忠正~ジャポニズムを支えたパリの美術商」には、千部のみ出版された豪華本「Histoire de l'art du Japon」も出品され、冒頭の林忠正執筆部分のページが開かれていました。
他にも、林忠正ゆかりの品の数々が展示されていて、愉しむことができました。



【大正大学蔵・阿弥陀如来像(厳島・光明院伝来)が東博に展示】


東京国立博物館の平常展示に、大正大学蔵の阿弥陀如来像が展示されていました。

観仏先リスト01(大正大学・阿弥陀像)

この阿弥陀如来像は、それほど知られていない仏像だと思います。
私も、これまで写真でしか見たことがなかったのですが、、一度は拝したいと思っていた像です。

大正大学蔵・阿弥陀如来像(平安~鎌倉・重文)
大正大学蔵・阿弥陀如来像(平安~鎌倉・重文)

大正大学の本尊像で、大学礼拝堂に安置されており、普段は非公開で、一般には拝しにくい像なのです。
礼拝堂の校舎の解体立替工事にともない、昨年、東京国立博物館2年間の予定で寄託され、今回の陳列となったようです。

本像は、像内から寛文12年(1672)の修理木札が発見されており、その頃には広島厳島大明神の御守弥陀像とされていたことが知られています。
明治29年(1896)に、厳島の光明院から大正大学の前身校の一つである浄土宗本校に寄付され、現在に至っているものです。

いわゆる藤末鎌初の作風です。
定朝様を残しながらも、頭部の奥行は深く、肉付きある表現、衣文にも抑揚感が出てきているように思えます。
落ち着いた、出来の良い仏像に出会うことができました。



【東博で開催、特別展「国宝 東寺~空海と仏像曼荼羅」】


東京国立博物館で特別展「国宝 東寺~空海と仏像曼荼羅」が開催されました。

「国宝 東寺~空海と仏像曼荼羅」展チラシ

仏像では、東寺講堂の諸仏の他、兜跋毘沙門天像、聖僧像、女神像(八幡三神)、観智院・五大虚空蔵像など、見処ある像が多数出展されました。


〈東寺講堂・五菩薩像を360度ビューで眼近にできたのが、一番の収穫〉


東寺の仏像の特別展は、これまで何度も博物館で開催されていますので、特段の目新しさはなかったのですが、東寺講堂の立体曼荼羅諸仏が、すべて360度ビューで眼近に見ることができたのは、なかなかのものでした。
講堂の国宝仏像は、不動明王、梵天、広目多聞天像を除いて、全部が1フロアーに展示されていたのは壮観でした。
五菩薩像を360度、ぐるりと舐めるように、じっくり見ることができたのは、大きな収穫でした。

東寺の講堂では、五菩薩像には、なかなか目がいかない、届かないところがあるのですが、こうして眼近に見ると、流石の出来だと納得しました。
木屎漆のモデリングがしっかり分厚くされているのも、大変よくわかりました。

東寺の仏像展「目新しさはない」といったものの、結局は、2度も展覧会に行ってしまいました。


〈帝釈天像、写真撮影OKにはびっくり ~ 嬉しい、近年の仏像展・写真撮影可能の動き〉


もう一つ、ビックリしたのは、帝釈天像だけですが、写真撮影OKになっていたことでした。
思い切った新企画です。

「国宝 東寺~空海と仏像曼荼羅」展、展覧会場の東寺・帝釈天像
「国宝 東寺~空海と仏像曼荼羅」展覧会場の東寺・帝釈天像

ここ数年、仏像の展覧会などで、ブロガー向け写真撮影会が開催されたりしています。
4月に開催された、和歌山県立博物館の「仏像と神像へのまなざし」展では、なんと、会期中いつでも展示仏像、神像の写真撮影OKとなっていました。

写真撮影OKとなった和歌山県立博物館「仏像と神像へのまなざし」展、会場
写真撮影OKとなった和歌山県立博物館「仏像と神像へのまなざし」展、会場

これまで、博物館自身の所蔵仏像を除いては、博物館への出展仏像の写真撮影が可能になるなどというのは、あり得なかったことでしたが、このような試みが増えつつあるのは、大変嬉しいことです。



【17年ぶりの摩訶衍寺 秘仏・十一面観音像の御開帳に尾道へ】


4月28日には、広島県尾道市の摩訶衍寺の秘仏本尊・十一面観音像の御開帳に出かけました。

観仏先リスト02(摩訶衍寺)

十一面観音像は、33年に一度の御開帳の厳重秘仏として守られており、今年は、17年ぶりの半開帳の年にあたります。

摩訶衍寺 秘仏本尊・十一面観音像、御開帳チラシ
摩訶衍寺 秘仏本尊・十一面観音像、御開帳チラシ

11世紀初めごろの制作とされ、広島県屈指の見事な平安古仏です。

摩訶衍寺・十一面観音像(平安・重文)
摩訶衍寺・十一面観音像(平安・重文)


〈私にとっては「50年越しの、宿願の仏像」、摩訶衍寺・秘仏十一面観音像〉


このご開帳には、

「何としても、絶対に駆け付けなければ!
今回こそ、逃すことはできない!」

と、満を持して、同好の方と尾道まで出かけました。
私にとっては、

「50年越しの、宿願の仏像」

であったのです。

学生時代に、摩訶衍寺までテクテク山登りしてたどり着いたところ、拝観のお願いのどういう行き違いか、厳重秘仏で拝観が叶わなかったのでした。
それからほぼ50年、やっとのことで、「宿願の仏像」の姿を拝することができました。

摩訶衍寺・本堂ご開帳回向柱と十一面観音像が安置される収蔵庫
摩訶衍寺・本堂と十一面観音像が安置される収蔵庫

すらりと長身、腰高なプロポーションの見事な一木彫像です。
穏やかさを匂わせながらも、キリリと引き締まった顔貌が魅力的な、惹きつけられる観音像です。

詳しい拝観記については、観仏日々帖 「広島県 尾道市・摩訶衍寺の秘仏・十一面観音像の御開帳」 で、ご紹介しましたのでご覧いただければと思います。


〈注目の平安古仏、千手観音像~10世紀以前にさかのぼる古像か?〉


十一面観音像の傍らに祀られていた千手観音像は、注目の平安古仏でした。

摩訶衍寺・十一面観音像(平安・重美)
摩訶衍寺・十一面観音像(平安・重美)

地方的な匂いがプンプンする仏像ですが、十一面観音像よりも制作年代が一段と古い像であることは間違いありません。
ほとんど知られていないといってよい平安古仏だと思いますが、10世紀以前に遡る制作のように感じます。
もっともっと注目を浴びてよい、古像だと思いました。

宿願を果たした満足感で一杯の、摩訶衍寺、秘仏ご開帳でした。


次のページ