FC2ブログ

観仏日々帖

トピックス~平安時代の双身毘沙門天立像が新発見~奈良博「毘沙門天展」で展示 【2020.02.06】



「平安時代の双身毘沙門天立像、多治見で見つかる」

という仏像発見ニュースが、飛び込んできました。


【初めて耳にした「双身毘沙門天」という名前】


「双身毘沙門天像?」

そんな名前、私は聞いたこともありません。

「双身像」と云えば、聖天と呼ばれる歓喜天ぐらいしか知りません。

それはそれとして、平安時代の古像発見となれば、大変興味深いニュースです。



【平安時代の双身毘沙門天新発見の報道記事~岐阜多治見の長福寺】


この新発見を報じたのは、1月31日付の「中日新聞WEBニュース」です。

次のような記事で報じられました。

「12世紀ごろの平安時代に作られたとみられる銅製の双身毘沙門天立像が、岐阜県多治見市の長福寺で見つかった。
2体の毘沙門天が背中合わせにくっついており、銅製の双身毘沙門天立像の発見は全国で初めてとみられる。

多治見市の長福寺で発見された銅造・双身毘沙門天像(平安)
多治見市の長福寺で発見された銅造・双身毘沙門天像(平安)

奈良国立博物館で2月4日から開催される特別展「毘沙門天-北方鎮護のカミ-」展で展示される。

 仏像は高さ9.9センチで、手で握れるほどの小ささ。かぶとと甲冑を身に着け、片方の像は両手を胸の辺りで合掌し、反対側の像は指先を下にして合掌している。
指先や顔の一部には穴が開いており、もともとあった武器の一種の輪宝や牙が失われたとみられる。

 住職の良盛(ややもり)快正さん(57)によると、5年前に蔵の掃除をしていたところ、古文書などの書類の中に小さな木製の厨子があり、中に古い仏像を見つけた。
来歴を示す文書などはなく、仏像にも作者がだれかを示すものは刻まれていなかった。

数年前に奈良大などに金属組成の分析を依頼したところ、体の部位によって銅が67~86%を占め、他にスズやマンガン、鉄などが混じっていたことが分かった。
しかし江戸時代以降の銅像に含まれる亜鉛が検出されず、それ以前の制作とみられるという結果が出たことから、昨年になって京都国立博物館に正式に調査を依頼した。

仏像を見た同館の浅湫毅研究員は、腰回りの肉付きが良く、豊かな体形であることに着目。
「12世紀の平安時代の特徴的な作りで、史料価値は高い」
と話す。
特別展の企画を担当する岩井共二・奈良国立博物館学芸部情報サービス室長は
「木像の双身毘沙門天立像で存在が分かっているのは5、6体のみで、銅像は全国初。制作時期も最古級と考えられる」
と断言する。

長福寺は1333年ごろに創建された古刹。
武運長久を祈る寺として、美濃を治めた戦国武将、斎藤道三の息子か弟とされる長井道利が祈祷に訪れたという記録が残る。
奈良国立博物館での展示は3月22日まで。」

以上の通りです。


「平安時代の金銅仏像の新発見」

「大変珍しい双身毘沙門天像で、最古級」

といわれると、何やら興味が沸いてきました。



【奈良博「毘沙門天展」では、新発見像ほか、3躯の双身毘沙門天像が出展】


奈良博で開催されている「毘沙門天~北方鎮護のカミ展」に出展されているということですから、「毘沙門天展」に出かける愉しみが、一つ増えました。

「毘沙門天展」の出展目録を見ると、「双身毘沙門天像」という章が設けられて、3躯も出展されています。

奈良博展示・3体の双身毘沙門天像リスト

奈良博の「展覧会ページ」を確認してみると、浄瑠璃寺像と東大寺像の画像と解説が掲載されていました。


〈浄瑠璃寺・馬頭観音像体内から発見された双身毘沙門天像~平安古像〉


浄瑠璃寺・双身毘沙門天像の解説のエッセンスは、次のようかと思います。

本像は、仁治2年(1241)造立の馬頭観音立像(重文)の修理時に像内から発見された。
(明治44年・1911の美術院による修理の時に発見されました。)

浄瑠璃寺・双身毘沙門天像(平安・重文)
浄瑠璃寺・双身毘沙門天像(平安・重文)

像内に双身毘沙門天像が納められていた浄瑠璃寺・馬頭観音像(鎌倉・重文)
像内に双身毘沙門天像が納められていた浄瑠璃寺・馬頭観音像(鎌倉・重文)

腹前上向き合掌と股間下向き合掌の2体の武装形合体像。
この像容は、 双身毘沙門天を本尊とする双身法について記す、阿娑縛抄(巻第137)に則っている。
従来、馬頭観音と同時期制作と考えられてきたが、体型肉取りなどの作風から平安時代後期(12C)に遡ると思われる。


〈後鳥羽院の幕府調伏像か?~近年発見の東大寺・勝敵毘沙門天像〉


東大寺・勝敵毘沙門天立像の解説のエッセンスは、次のようかと思います。

宝塔と宝棒を執る形と羂索と戟を執る形の前後二体の武装天部形。

東大寺・勝敵毘沙門天立像
東大寺・勝敵毘沙門天立像(鎌倉)

像容は、京都・観智院本「仏菩薩等図像」中の図像と一致し「勝敵毘沙門天」の添書きがあることから尊名(勝敵毘沙門天像)が判明する。

制作年代は、作風などから鎌倉時代とみられる。
文献考証によると、後鳥羽院周辺が幕府調伏祈願の「勝軍地蔵像、勝敵毘沙門天像」を造立したことが推定される。
本像も、そうした願意の秘密修法の本尊となる尊像であろう。



【「双身毘沙門天」を“にわか勉強”~あまり見当たらなかった資料】


初めて名前を耳にした「双身毘沙門天像」。
ちょっと関心が沸いてきました。

「仏像図典」(佐和隆研著)をみても、「双身毘沙門天」という尊像名は、掲載されていません。

「双身毘沙門天像」について採り上げられた資料がないかどうか、ちょっとあたってみたのですが、私が調べた限りでは、次の4つの資料だけしか見つかりませんでした。

「金銅双身毘沙門天像立像」  (村田靖子) 大和文華 第94号 1995.09
「東アジアの金銅仏」展図録  (村田靖子解説) 大和文華館 1999.10刊
「双身毘沙門天小像の諸相」  (村田靖子) 「密教図像」第28号 2003.12刊所収
「東大寺・木造双身毘沙門天像」  (岩田茂樹) MUSEUM第665号 2016.12刊所収

全くの、にわか勉強で、いい加減なのですが、「双身毘沙門天像」というのは、次のようなもののようです。



【密教の秘法にかかわる像、数少ない現存作例】


密教による特殊な毘沙門天像に、双身四臂の像があり、最澄将来の台蜜の秘法によるとされるのだそうです。
この双身毘沙門天像は、密教の最神秘の手法である浴油供に用いるため、小像で秘仏であることが多く、また遺例もわずかしか知られていなかったとのことです。

村田靖子氏は、このように記しています。

「僅かに京都浄瑠璃寺と大阪・八尾市の大聖将軍寺の像が知られていた。
奈良・大和文華館にも古くから金銅像があり、近年数点の新たな像の発見が筆者に伝えられ、所蔵者のご好意により調査の機会を得て、国内の20体近くの所在が明らかになった。」
(「双身毘沙門天小像の諸相」2003年)

村田氏の調査により新出像が紹介される20年ぐらい前までは、ほんの数点しか双身毘沙門天像の存在が知られていなかったということでしょうか。
大変、珍しい尊像ということのようです。

今回展覧会出展の、東大寺・木造双身毘沙門天像の存在が明らかになったのも、近年のことだそうです。
2006年、奈良博開催「重源展」の準備調査の時に、東大寺勧進所内の経庫に保管されていたのが発見されたとのことです。



【二つの系統の図像がある双身毘沙門天~双身に造られる訳は?】


この新発見の勝敵毘沙門天像と呼ばれるものと、それまでに知られていた双身毘沙門天像は、図像を異にする別系統のものでした。

両口辺から牙が長く下に出るという特異なスタイルは変わらないのですが、
浄瑠璃寺像に代表される既出作例は、正面背面像共に合掌し、一方は下向き(独鈷を執る)、一方は上向き(金輪を執る)像容です。
勝敵毘沙門天像のほうは、宝塔と宝棒を執る形と、羂索と戟を執る形の二体合体スタイルになっています。

どうして、このような双身の毘沙門天という特異な像容が造られたのでしょうか。

双身の歓喜天像の場合は、男女交合によって妙成就が達成されるという密教思想によるもののようです。
双身の毘沙門天についても、一方を毘沙門天、もう一方を毘沙門の妃とする吉祥天に通じるものとし、両天が密教に取り入れられて、より強い福徳、敬愛神の性格を表すために合体されたとする見方があるようです。
また、それとは別に、この2体は半天婆羅門と多聞天であり、多門天は法性を、半天婆羅門は無明を表し、無明と法性は一対の法であるから背中合わせに立って離れないという違う見方もあるとのことです。

つまみ食いで要約してみたのですが、こうした尊容の意味や図像学的なものは、全く疎くて、また難しすぎて何が何だかわかりません。

とにもかくにも、密教の手法に絡んだ、大変珍しい尊容の像だということには間違ないということは理解できました。



【双身毘沙門天像の現存作例は?
~平安期の最古例は、木像:浄瑠璃寺、銅像:新発見長福寺】

もう一つ、双身毘沙門天像の具体的作例についてです。

中日新聞記事には、

「木像の双身毘沙門天立像で存在が分かっているのは5、6体のみで、銅像は全国初。
制作時期も最古級と考えられる」

との、岩井共二氏のコメントが載せられていました。

一方で、村田靖子氏の「金銅双身毘沙門天像立像」「双身毘沙門天小像の諸相」を読むと、20体近くの所在が明らかになったとし、具体作例としては、14作例が紹介されていました。

その材質の内訳は、木製8件、銅製5件、銀製1件となっていました。
材質と制作年代の件数はご覧の通りです。

双身毘沙門天像作例の件数リスト

村田氏紹介では、銅製像が5件示されていて、
「銅像の双身毘沙門天像は、今回発見の岐阜・長福寺像が、全国初」
という新聞報道コメントとは、ちょっと見方が異なるようですが、私には、難しいことはわかりません。

NETで検索をしてみると、以上の他にも、双身毘沙門天像をお祀りする寺院が、もっとあるようなのですが、そのあたりの話になると、ますますよくわかりません。


村田氏の紹介による、鎌倉時代以前とみられる古像は、次の通りです。
(東大寺・勝敵毘沙門天像(2006年発見)は、未発見当時の話です。)

木製は、
京都府・浄瑠璃寺像(平安~鎌倉)、大阪府八尾市・大聖将軍寺像(鎌倉~室町)

浄瑠璃寺・双身毘沙門天像(平安・重文)八尾市 大聖将軍寺・双身毘沙門天像(鎌倉~室町)
(左)浄瑠璃寺・双身毘沙門天像、(右)八尾市 大聖将軍寺・双身毘沙門天像

銅製は、
岡山県総社市教育委員会像(平安)、大和文華館像(鎌倉~南北朝)

双身毘沙門天とみられる岡山県総社市教育委員会所蔵像(平安)大和文華館所蔵・双身毘沙門天像(鎌倉~南北朝)
(左)双身毘沙門天とみられる岡山県総社市教育委員会所蔵像、(右)大和文華館所蔵・双身毘沙門天像

以上の通りです。

平安期の銅像遺例とされる、岡山県総社市教育委員会の像は、1994年に総社市桜井古墳から発掘されたそうです。
現状は双身ではなく、合掌する手を上に向ける一体のみが円座に立っているのですが、兜と合掌する手などが双身毘沙門天諸像の尊容と類似することから、本像は双身毘沙門天の一方であると判断されるということだそうです。

(なお、「東アジアの金銅仏」展図録解説では、銅製個人蔵像を平安時代とされていたのですが、「双身毘沙門天小像の諸相」では江戸~明治時代の作としておくとされていて、見方が変わっているようです)



【にわか勉強では、なんだかよく判らなかった「双身毘沙門天像」】


「双身毘沙門天像 新発見!」のニュースに反応して、見たことも聞いたこともない「双身毘沙門天像」について、超々にわか勉強をしてみたのですが、結局、何が何だかという感じになってしまいました。

ご覧いただいた皆さんも、「よくわからん」という実感だと思います。

私が理解できたのは、

「双身毘沙門天像」は、密教の秘法儀式にかかわる秘像であること。

勝敵毘沙門天とも称されるように、敵の調伏祈願の尊像として、造立、祈祷されることもあったこと。

遺作例は数少なく、平安~鎌倉期の現存作例は、稀であること。

といったことぐらいでしょうか。


いずれにせよ、「毘沙門天展」で、この興味深い「双身毘沙門天像」を3躯も実見できるというのは、大変愉しみです。

また、展覧会図録には、どのような解説がされているのでしょうか?
これまた、興味津々です。


トピックス~堂本印象美術館で初公開の阿弥陀如来像、湛慶作か? 【2019.7.21】


【「湛慶作の阿弥陀如来像、新発見か?」のニュース記事にビックリ】


「作者は天才仏師、運慶の長男? 優雅な秘仏を公開」


ネット検索の新聞記事で、こんな見出しを見つけて、ちょっとビックリしました。
2019.6.28付の〈サンケイニュースの記事〉です。

記事は、こんな出だしで始まります。

鎌倉時代の大仏師、湛慶(たんけい)の仏像?

そんな評判を呼ぶ仏像が京都府立堂本印象美術館(京都市北区)で開催中の「堂本印象 ほとけを描く ほとけを愛でる」で初出展され、美術ファン、研究者の間で話題を呼んでいる。

京都出身の日本画家、堂本印象(1891-1975)のコレクションの1体だが、湛慶といえば、東大寺南大門の仁王像制作などで知られる運慶の長男。
どことなく父の作品を追いかけている姿と形が、見る人に「いかにも!!」といった印象を与える。

堂本印象蔵・阿弥陀如来像

堂本印象蔵・阿弥陀如来像
湛慶作かと記事で紹介された
初公開堂本印象蔵・阿弥陀如来像



【記者の実感がこめられた「読ませる記事」に興味津々】


園田和洋氏という方がかかれた署名記事ですが、仏像彫刻に造詣の深い方のようで、御自身の実感が盛り込まれた「読ませる記事」で、愉しく読みました。

記事は、このように続きます。

日々、詰めている京都府庁の記者室に投げ込まれた堂本印象美術館のチラシ。
そこに掲載された一枚の写真を見て、
「まだ、こんな仏像が未公開のまま残っていたのか」
と驚いてしまった。

仏というより人間に近い写実的な表現で、ひと目みて、平安時代末期から鎌倉時代にかけて奈良や京都、鎌倉などを中心に活躍した運慶や快慶を含む一大仏師集団「慶派」の作品であることはわかった。

同美術館では初出展の阿弥陀如来坐像。印象の自宅に置いていたらしく、府教委文化財保護課に聞いてみても、調査した記録もなく、どうやら人目に出るのも初めてらしい。
かつて仏像を追いかけて寺院巡りをしていたころの記憶を呼び起こすような出会いだった。

さっそく同美術館の松尾敦子学芸員に問い合わせたところ、
「目利きとして知られる堂本印象だけに、すばらしい作品。彫刻史上貴重な作例で、今回の展示の目玉のひとつです」
と絶賛の声を惜しまなかった。


興味津々の語り口で、つい惹き込まれてしまいます。

このあとも記事が続きますが、ポイントだけをなぞると、次のようなものかと思います。

像高約80㎝の阿弥陀像で、運慶作、興福寺北円堂・弥勒仏像を模したような造形だが、本像は彫眼の弥勒像と違い玉眼で、全体的に穏やかな仕上がりになっており湛慶風をうかがわせるものがある。

作者を示す胎内銘などはなく、湛慶作かどうかの根拠はないが、京都市立芸大の礪波(となみ)恵昭教授は、
「特徴は運慶後の、湛慶と同じ世代のものに間違いない。
釈迦や阿弥陀、藥師などといった如来像で湛慶作がないだけに貴重」
とのコメントで、今後の調査に期待がかかる。

以上のような内容でした。

単なる、プレス発表の取材記事ではなくて、ちょっとドキュメント風の「読ませる記事」だと感じられたことと思います。



【現状では、「湛慶作の可能性もある」注目仏像という見解?】


「見出し」を見たときには、

「エーッ、湛慶作の仏像の新発見か!」

と、驚いたのですが、読み進んでいくと、

「初公開の阿弥陀如来像は、鎌倉前期の慶派の作とみられる佳品で、湛慶の世代頃の制作を思われる。
湛慶作という可能性もある。」

ということのようです。

「湛慶作か?」というニュースが掲載されたのは、これだけで、他の新聞各紙には、湛慶作の可能性にふれた記事は見つかりませんでした。

「湛慶作?仏像の発見」というプレスリリースがあったわけではなくて、この阿弥陀如来像が湛慶作であってほしいという、執筆記者の方の気持ちがこめられ、記事掲載されたのかなという感じがしました。



【佳品ぞろいの知られざる堂本印象所蔵の仏像コレクション】


湛慶作かどうかはともかくとして、日本画檀の巨匠、堂本印象(1891-1975)の秘蔵コレクションに本像をはじめとした佳品の古仏があり、それが展覧会で初公開されているというのは、耳寄りな話しです。

京都府立堂本印象美術館で、開催中の展覧会です。

「堂本印象 ほとけを描く ほとけを愛でる
2019年5月29日(水)~9月23日(月・祝)


「堂本印象 ほとけを描く ほとけを愛でる展」チラシ

「堂本印象 ほとけを描く ほとけを愛でる展」チラシ


生涯通して多くの仏画を手掛けた堂本印象は、仏像も所蔵していたようで、本展では堂本印象コレクションから平安~鎌倉期の4体の仏像が初公開、初出展されるということです。

堂本印象蔵のこのような仏像があるというのは、私もまったく知りませんでした。
展覧会チラシや、掲載写真をみると、小ぶりながらなかなかの佳品という感じがします。

知られざる仏像の初公開ということで、大変興味深いものがあります。



【意外に少ない湛慶真作が明らかな仏像~如来形像は無し】


ところで、この初公開の阿弥陀如来像、「湛慶作の可能性」について、皆さんどのように感じられたでしょうか?

私は、鎌倉彫刻の世界は、どうも疎くて、

「湛慶風といわれれば、そんなものかという感じで、よくわからない。」

というのが、本音のところです。

湛慶の事蹟は、史料からもいろいろと伺えるのですが、湛慶の制作とはっきり言える作品は、意外にもそんなに多くありません。

父運慶と並んでその名が連ねられるものを外すと、湛慶の真作が明らかとされる作品は、

雪蹊寺・毘沙門天、吉祥天、善膩師童子像(嘉禄元年・1225年頃)、蓮華王院本尊千手観音坐像(建長6年・1251)及び千体千手観音像のうちの9躯

だけです。

湛慶作~高知県雪蹊寺・毘沙門天、吉祥天、善膩師童子像
湛慶作~高知県雪蹊寺・毘沙門天、吉祥天、善膩師童子像

湛慶作~三十三間堂本尊・千手観音坐像
湛慶作~三十三間堂本尊・千手観音坐像

また、湛慶作に間違いないとみられるものには、

高山寺・善妙神立像、白光神立像、狛犬3対、神鹿像1対、仔犬像

があります。

湛慶作~高山寺・善妙神立像湛慶作~高山寺・白光神立像
湛慶作~高山寺・(左)善妙神立像、(右)白光神立像

湛慶作~高山寺・仔犬像
湛慶作~高山寺・仔犬像

以上が、一般に湛慶作として認められている作品です。

これらの作品をみてみても、

「いかにも湛慶の作風」

といった、誰にでもわかるような湛慶風の特徴がくっきりと見受けられるという訳ではありません。

初公開の堂本コレクションの阿弥陀如来像は、「湛慶作か?」と云われても、素人には、難しいというか、なかなか悩ましい処です。



【湛慶作の可能性が云われる如来形像は?】


記事にもありましたが、

「湛慶作と特定されている如来形像は、現在の処、一躯もない。」

ということです。

確かにそう云われてみれば、そのとおりです。

湛慶の作風については、
「運慶の作風を基盤として、量感を減じて洗練し、写実表現を推し進めた」
という風に云われているようですが、そんな作風概念だけでは、また湛慶作という諸像と較べ併せても、同じ如来形像ではないだけに、似ているのか似ていないのか、イメージが沸いてきません。

それでは如来形の仏像で、湛慶作の可能性が論じられている像には、どのようなものがあるのでしょうか?

いろいろ議論はあるのでしょうが、

西園寺・阿弥陀如来坐像(円派仏師隆円作との見方もあるようです)、西念寺・阿弥陀如来坐像、西寿寺・阿弥陀如来坐像

などが、作風が湛慶風で、湛慶作の可能性があるとされているようです。

西園寺・阿弥陀如来坐像(鎌倉・重文)
京都市上京区~西園寺・阿弥陀如来坐像(鎌倉・重文)

京都市左京区~西念寺・阿弥陀如来像(鎌倉)京都市右京区~西寿寺・阿弥陀如来像(鎌倉)
(左)京都市左京区~西念寺・阿弥陀如来像(鎌倉)、(右)京都市右京区~西寿寺・阿弥陀如来像(鎌倉)



【湛慶風か?  私には難し過ぎてよくわからない堂本コレクション像】


これらの「湛慶作か?と云われている如来形像」と較べてみて、堂本コレクション像はどうでしょうか?

堂本印象蔵・阿弥陀如来坐像
堂本印象蔵・阿弥陀如来坐像

「ウーン、よくわからない!!」

鎌倉彫刻にとんと疎い私には、やっぱりそんな感じの印象です。


実物を見ていないで、写真で見る限りの個人的な印象では、
堂本コレクション像は、他の湛慶作かといわれる如来形諸像と較べて、ちょっと躍動感が少なく、線が弱いような感じもしますが・・・・・・・

作風から、作者である仏師を特定していくというのは、なかなか難しいことだと、今更ながらに思った次第です。


皆さんは、どのように感じられたでしょうか?



トピックス~各地でみられる、盗難対策「お身代わり仏像」安置の動き  【2019.2.23】


無住のお寺などに祀られる古仏像の盗難防止対策として、3Dプリンターなどで制作された「お身代わり仏像」を安置する動きが増えてきているというお話です。


【近年、各地で頻発する、仏像盗難被害】


近年、各地に伝わる仏像などの盗難被害が相次いでいます。

折々、新聞報道もされていますので、ご関心のある方はお気づきのことと思います。
地方の過疎地の無住のお寺に祀られる仏像などが狙われて、盗難に遭うことが多いようです。

特に、文化財指定されていない古仏などは、なかなかしっかりした防犯管理設備を施すことも難しく、ターゲットにされがちのようです。



【文化庁も、 「ストップ!盗難文化財」 の特設サイトを開設】


重要文化財や地方自治体指定の文化財でも、盗難に遭い行方不明になっているものも結構あり、文化庁でも、本年2月、 【STOP!盗難文化財】 というキャッチフレーズで、

「盗難を含む所在不明に関する情報提供について~取り戻そう!みんなの文化財~」

文化庁・STOP盗難文化財バナー

という特設サイトを文化庁HPに開設し、所在不明文化財の行方を突き止め取り戻そうという取り組みも進められています。

この文化庁の取り組みについては、日々是古仏愛好HP・盗難文化財ページ(2019.2.9)でご紹介した通りです。



【盗難被害対策として「お身代わり仏像」安置の動き~新聞報道も】


こうした中、盗難被害対策として「お身代わり仏像」仏像を制作し、これをお堂などにお祀りし、本物は博物館などに寄託するという動きが、各地でみられているようです。

こんな新聞記事が、目にとまりました。

「身代わり仏像」無人寺、本物は博物館に 盗難防ぐ~自治体・文化庁対策に注力

という見出しです。

2019年2月13日付の日本経済新聞朝刊のご覧のような記事です。

「お身代わり仏像」日経新聞記事2019.2.13

記事のエッセンスを自己流に要約すると、次のような内容になっていました。

近年、無人寺の仏像が盗難に遭う被害が相次いであり、なかにはインターネットオークションに出品されているのが見つかったというケースもあった。

過疎化が進み、地域などでは住民の管理に限界がある中、本物を博物館に預けてレプリカを安置するといった対策をとる動きがみられるほか、文化庁、自治体も盗難文化財対策に乗り出している。

和歌山県立博物館では、2012年から、地域で管理が難しい寺院の仏像を博物館で保管し、「お身代わり仏像」としてレプリカを安置する活動を進めている。
地元の工業高校などの協力を得て、3Dプリンターで樹脂製の仏像を作り、すでに県内12の寺院に25体を奉納した。

文化庁でも、盗難等による所在不明文化財についての「公開捜査サイト」を開設するほか、各自治体ベースでの文化財の所在確認等も進められている。
管理者不在の寺院の防犯対策は、地域に任せるだけではなく、国が関与していく必要が求められる。

このような記事が新聞に大きく出るというのは、何とも哀しい、情けない、嘆かわしい世の中になったと思います。
地域の人々の信仰の対象として大切に祀られている仏様を狙って、盗んで売り払うなどというのは、不届き千万そのものです。

そのように憤ってみても、現実には、仏像をお守りしている地域の人々にとっては、本当に切実な問題であることもよくわかります。



【地方の古仏探訪に出かけると、肌で感じる仏像をお守りする大変さ、難しさ】


私も、全国各地の田舎の村落にある無住のお寺の古仏を、随分訪ねて回りましたが、盗難に遭う危険と管理の大変さは、実感として肌で感じるものがあります。

無人のお堂や、地域の集会所のような処に古仏が祀られ、カギはかけられているものの、日常的に点検することもままならないという処が、沢山ありました。
普段は、訪れる人もめったにないという状況です。

管理をされている地域の方と、

「盗難に遭わないかと心配ですね」

という話題を交わすこともありますが、

「この仏様は、村落の人々が大切にお祀りしているのですが、管理していくのもなかなか大変なのですよ。
収蔵庫を造ったり、しっかりした防犯対策設備をするには、大変なお金がかかるので、なかなかできません。
仏様を修理するお金さえも、なかなか無くって・・・・・」

というお話を聞くことも、間々ありました。

重要文化財にでも指定されていると、補助金もそれなりに交付されるのですが、市町村指定や無指定の古仏は、地域の大切な「ほとけさま」として守られてはいるものの、管理費用などの経済的問題は、如何ともしがたいことのようです。



【「信仰の対象と盗難対策」という悩ましさの一解決策
~3Dプリンターでの「お身代わり仏像」安置】

こうした状況のなかで、近年、3Dプリンターで仏像のレプリカを制作し、このレプリカ仏像を「お身代わり仏像」として、無住のお堂などに安置し、本物の古仏は博物館等で保管管理するという動きが結構見られるようになってきました。

「地域の人々の信仰の対象としてお祀りすること」と、「文化財としての仏像の盗難防止対策」

という誠に悩ましい問題を解決する、一つの方策ということです。

本物と寸分違わぬような模造を制作するというのは、以前には、相当の費用が必要であったのですが、3Dプリンターによる制作技術が開発されて、圧倒的な低コストで、本物と見紛うような精巧なレプリカを制作できるようになりました。
そうしたことで、このような「お身代わり仏像」をお祀りすることが、広く可能になってきたものだと思われます。



【和歌山県博では地元校と連携、「お身代わり仏像」の制作安置による盗難防止対策を推進】


ご紹介した新聞記事にもあるように、こうした「お身代わり仏像」の制作安置による盗難防止対策を積極的に推進しているのが、和歌山県です。

和歌山県では、無住のお寺に祀られる古仏像の盗難被害が近年頻発しているこのから、和歌山県立博物館が主導して諸々の取り組みが進められています。

これまでも企画展として
「文化財受難の時代~いかに守るか」(2013年3月)、「防ごう!文化財の盗難被害」(2016年6月)、 「和歌山の文化財を守る」(2018年9月)
などが開催されました。

2012年からは、博物館と和歌山工業高校・和歌山大学と連携して、3Dプリンターで樹脂製の仏像を作り、彩色、古色づけをしたレプリカの「お身代わり仏像」を制作して、無人のお堂に安置し、本物は博物館で管理する取り組みが進められています。
すでに県内12のお寺に25体の「お身代わり仏像」が安置されたということです。

昨年9月に博物館で開催された、企画展「和歌山の文化財を守る」では、十数体の「お身代わり仏像」と「本物の仏像」が並んで展示され、こうした盗難対策への取り組みの紹介と、仏像盗難防止への啓発が行われました。

和歌山県博「和歌山の文化財を守る」チラシ1和歌山県博「和歌山の文化財を守る」チラシ2
和歌山県博・企画展「和歌山の文化財を守る」チラシ



【各地でもみられる、注目仏像の「お身代わり仏像」の制作】


和歌山での取り組みだけではなくて、盗難防止対策としての「お身代わり仏像」制作は、各地でもみられるようです。

近年、大きな注目を浴びた仏像で、文化財指定などを機にレプリカを制作し安置することになったという記事をいくつか目にしたことがあります。


この1~2年で、特に目に付いたものを、3つご紹介したいと思います。


〈京都市・八瀬妙傳寺の金銅半跏思惟像~2017年1月〉


2017年1月、京都市左京区、八瀬妙傳寺の金銅半跏思惟像のレプリカが、盗難対策として制作されました。

八瀬妙傳寺・金銅半跏思惟像
八瀬妙傳寺・金銅半跏思惟像

八瀬妙傳寺の金銅半跏思惟像は、従来、江戸時代の制作とみられていましたが、科学的調査などの結果、7世紀の古代朝鮮仏である可能性が極めて強まったということで、ホットニュースになった小金銅仏です。
2017年1月には、NHKニュースのほか、新聞各紙で大きく採り上げられ、大注目となった仏像です。

この新発見の話題は、観仏日々帖「模古作とされていた京都妙傳寺の小金銅仏、実は古代朝鮮仏と判明?」で、紹介させていただきました。

お寺では、盗難対策として3Dプリンターによる複製を制作し、お祀りされているようです。
実物は、博物館で保管されているのではないかと思われます。
NET上に「京都 八瀬妙伝寺の仏像を3Dスキャン・3Dプリンターを活用し複製を作りました」という記事が掲載されており、レプリカが作成されたことを知りました。


〈京都市・新町地蔵保存会の地蔵菩薩坐像~2017年6月〉


2017年6月、京都市左京区、新町地蔵保存会の地蔵菩薩坐像の3Dプリンターによるレプリカが制作され、地元の地蔵堂に祀られることになりました。

新町地蔵保存会・地蔵菩薩坐像
新町地蔵保存会・地蔵菩薩坐像

新町地蔵保存会・地蔵菩薩坐像は、平安前期、9世紀の制作で、重要文化財に指定されています。
平安前期一木彫像の地蔵菩薩像の古例として、大変貴重な仏像です。

1999年に発見され、2002年市指定文化財となり、2014年に国の重要文化財に指定されました。
町の小さなお堂に祀られており、2002年の市文化財指定を機に、火災、盗難対策の観点から京都国立博物館で保管されることになりました。

毎年8月の地蔵盆の2日間だけ地元の地蔵堂に戻して里帰りし、地元の人々がお参りしていましたが、2014年の国の重要文化財指定以降は、年に一度の里帰りも難しくなり、苦肉の策として、3Dプリンターによる模像をお祀りして、代替することになったということです。

新町地蔵保存会・地蔵菩薩像が祀られていた小さなお堂
新町地蔵保存会・地蔵菩薩像が祀られていた小さなお堂

この話は、観仏日々帖「京都・新町地蔵保存会の地蔵像、3Dプリンタ・レプリカをお堂にお祀り」で、ご紹介したことがありますので、ご覧ください。


〈仙台市・十八夜観世音堂の観音菩薩像~2019年1月〉


2019年1月、仙台市、十八夜観世音堂・観音菩薩像のレプリカが制作され、お堂に祀られることになりました。

十八夜観世音堂・観音菩薩像...新しく制作された十八夜観世音堂・観音菩薩像レプリカ
(左)十八夜観世音堂・観音菩薩像、(右)制作されたレプリカ

十八夜観世音堂・観音菩薩像は、奈良時代末期~平安初期の制作とみられ、東北地方最古の木彫像として、注目を浴びている仏像です。
2007年に発見確認され、2011年に市有形文化財、2016年には県有形文化財に指定されました。

県指定文化財指定時に、日々是古仏愛好HP・特選情報「仙台市・十八夜観世音堂の東北最古?菩薩像が、県指定文化財に」(2016.2.6)で、この仏像についてご紹介していますのでご覧ください。

2008年から、仙台市博物館で保管されていますが、地元住民には菩薩像が本堂にないことを寂しがる声があり、観世音堂の保存会が県や博物館と相談し、3D技術を活用してレプリカが作成されることになりました。
今年5月から十八夜観世音堂にレプリカが祀られるということです。

十八夜観世音堂(仙台市太白区)
十八夜観世音堂(仙台市太白区)

河北新報オンラインニュースに「東北最古の木彫像を3D再現し安置 仙台・十八夜観世音堂「観音菩薩像」5月本堂へ」という記事が掲載されています。

最近目についた、3Dプリンターによる「お身代わり仏像」制作の話を、ご紹介しました。


古い昔から、地域の人々の厚い信仰のおかげで、長年にわたって守られてきた仏様を、
「貴重な文化財だから、盗難対策としてそのままお祀りしておくわけにもいかないから。」
という理由で、博物館に移して保管管理せざるを得ないと云われても、何とも割り切れない気持ちになってしまうことと思います。

また、
「レプリカを安置するので、日頃は、その仏様を拝んでください。」
と云われても、レプリカはあくまでもレプリカです。

長年お守りしてきた仏像とは違うもので、拝する人々にとって見れば、これまで通りに気持ちを籠めてお参りするというのも、なかなか難しい処もあろうかと思います。

しかし、古仏像の盗難が頻発する現状と、対応策のコストなどを考えると、3Dプリンターによる「お身代わり仏像」の制作安置というのは、

「仏教美術の貴重な文化財としての仏像」と「信仰の対象として祀られる仏様」

という悩ましい問題に、何とか折り合いをつける方法としては、現実的な対応と云えるのでしょう

また、地方の古仏探訪を愛好するものにとってみれば、鄙びた田舎にあるお堂を訪ねて、地域の人に守られる古仏を拝するのは、博物館で同じ仏像を観るのとは全く違う、心うつ感動、感激を味わうものです。

そうした、土地々々に根差し守られてきた古仏が、レプリカにとって代わるというのは、何とも残念な気持ちにもなってしまいますが、大切な文化財を守っていくためには、こうしていくしかないのだろうと思います。

きっと、「お身代わり仏像」という方法がベストという訳ではないのでしょうが、大きなコストをかけずに、上手に対応していく一つのやり方として、これからますます増えていくことと思います。


トピックス~行快作の仏像新発見、京都・聞名寺の阿弥陀三尊像 【2018.12.22】


快慶の一番弟子といわれる仏師・行快作の仏像が、新たに発見されました。

速報ということで、ごくごく簡単ですが、ご紹介させていただきます。


行快銘が発見された聞名寺・阿弥陀三尊像行快銘が発見された聞名寺・阿弥陀三尊像行快銘が発見された聞名寺・阿弥陀三尊像
行快銘が発見された聞名寺・阿弥陀三尊像


【京都・聞名寺の阿弥陀三尊像、両脇侍足ホゾから行快銘発見】


京都市左京区にある聞名寺(みょうもんじ)の阿弥陀三尊像が、行快作であることが明らかになったということです。

阿弥陀三尊像の観音勢至両脇侍菩薩像の足ホゾから、 「巧匠 法眼行快」 と書かれた墨書が発見されました。
中尊の阿弥陀如来像も、その作風から行快作とみられるそうです。

「巧匠 法眼行快」との墨書された足ホゾ
「巧匠 法眼行快」との墨書された足ホゾ


聞名寺というお寺は、平安神宮や岡崎公園のすぐ西側、左京区東大路仁王門上ルという処にあります。

聞名寺
聞名寺

平安前期の開創で、時宗の開祖、一遍上人が時宗道場として中興したと伝えるお寺だそうです。
私は、聞名寺という名前も、このお寺に鎌倉時代の仏像があることも、全く知りませんでした。



【京博・特別展開催の事前調査で新発見~今般プレス発表】


行快作仏像の新発見については、京都国立博物館での特別展開催のための事前調査で、明らかになったようです。
12月17日、京都国立博物館がプレス発表し、新聞各紙は一斉に、「快慶の弟子、行快作の仏像新発見」の記事を報じました。

朝日新聞は、

「快慶の一番弟子作の仏像、8例目を確認 京都・聞名寺」

という見出しで、以下のように報じています。

行快銘仏像発見を報じる朝日新聞記事(2018.12.17)
行快銘仏像発見を報じる朝日新聞記事(2018.12.17朝刊)

「京都市左京区の聞名寺(もんみょうじ)の本尊・木造阿弥陀三尊像(13世紀)が、鎌倉時代に活躍した仏師・快慶の一番弟子とされる行快(生没年不詳)の作であることが分かった。

京都国立博物館が17日発表した。
「行快」の墨書が見つかった勢至菩薩立像
「行快」の墨書が見つかった勢至菩薩立像
行快作の仏像はこれまでに7例しか確認されておらず、博物館は「全容が分からない行快を研究する上で貴重だ」と評価する。

京都国立博物館は、来年4月13日~6月9日に開催予定の「国宝 一遍聖絵と時宗の名宝」展(朝日新聞社など主催)の事前調査で、時宗の寺院である聞名寺が所蔵する阿弥陀立像(高さ83センチ)と両脇の観音菩薩立像(同59センチ)、勢至菩薩立像(同58.2センチ)の三像を厨子より取り出して撮影。
両菩薩立像の足元を支える部分に、「巧匠 法眼行快」と墨で書かれた文字がみつかった。
調査した淺湫毅(あさぬまたけし)・学芸部連携協力室長によれば、墨書銘は行快が署名したもので、墨書銘のみつかっていない中央の阿弥陀立像も作風から行快作とみられる。

力強く端正な作風から、行快が工房の指導者となった1230年代後半から40年代の作とみる。
行快は京都市上京区の大報恩寺(千本釈迦堂)の本尊「釈迦如来坐像」(国重要文化財)などを作ったことで知られ、快慶の一番弟子とされる。

阿弥陀三尊像は来春の名宝展で公開される。」



【近年、急速にスポットライトを浴びる、仏師「行快」作品】


「行快」は、慶派の仏師、快慶の高弟として知られるものの、運慶、快慶などに比べれば、一般にはそれほどに有名という仏師ではなかったように思いますが、近年、急にスポットライトを浴びています。

2017年には、大阪府金剛寺の行快作の巨像、不動・降三世明王像が中尊・大日如来像とともに、新たに国宝に指定されましたし、今年(2018)秋、東京国立博物館で開催された「大報恩寺展」には、行快作の秘仏釈迦如来坐像が出展されて、話題を呼びました。

行快作~金剛寺・降三世明王像
2017年に国宝に指定された行快作~金剛寺・降三世明王像

行快作~大報恩寺・釈迦如来像
2018年秋、東博「大報恩寺展」に出展された行快作・釈迦如来像

また、行快作とみられる仏像は、現在10例余だそうですが、そのうち、今回の聞名寺も含めて4件が、ここ10年以内に「行快銘」が発見されたものです。
折々、新発見報道がされ、「行快」の名が、注目を集めるようになっています。

「行快」の名は、近年、一気にクローズアップされ、多くの人に知られ、有名になってきたのではないかと思います。



【快慶の一番弟子、快慶より生々しく力強い感じがする行快】


行快は、鎌倉時代を代表する仏師快慶の弟子ですが、生没年は不明です。

運慶の長男、湛慶(1173~1256)と活動期間が重なっており、行快と湛慶は、ほぼ同年代の仏師とみられています。
多数いたことが知られる快慶弟子のなかでも、行快は筆頭の立ち位置にあり、快慶の右腕として活躍しました。

師匠の快慶は、安阿弥様と呼ばれる繊細で整美な作風ですが、行快の作品は、快慶に比べて、生々しさや力強さというか、硬派的に感じさせるものがあるように思います。



【10件余とされる行快の作例】


行快作品とされる仏像の一覧は、ご覧のとおりです。

仏師行快作とみられる仏像一覧

行快銘が残されていない作品で、作風等から行快かとされている仏像は他にも数例ありますが、最有力作例ということで、12件をリストにしてみました。



【ちょっと面白かった、行快作品の数え方?報道】


ちょっと面白かったのは、新聞報道による行快作品の数の数え方です。

朝日新聞は、
「快慶の一番弟子作の仏像、 8例目を確認 ~行快作の仏像はこれまでに7例しか確認されておらず」

共同通信、京都新聞などは、
「行快の銘が入っているのは、 今回を含め10例しかなく、 貴重な発見という。」

と報じています。


このカウント方法というか、数の違いを考えてみると、

朝日新聞報道は、上記の「行快作とみられる仏像一覧リスト」(12件)から、

藤田美術館・地蔵像、大報恩寺・優波離像、浄信寺・阿弥陀像、浄土宗(玉桂寺旧蔵)・阿弥陀像

の4件を除いて、8例としているのだと思います。

・藤田美術館・地蔵像と大報恩寺・優波離像は、師匠・快慶の名と行快の名が併記されていて、行快が単独で制作した像とは考えられず、「快慶作品」とみているということだと思います。
・浄信寺・阿弥陀像は、足ホゾの墨書銘が「□□法橋行□」と判ぜられ、現段階では、仏師名を行快作と特定できないとの見方だと思います。
・浄土宗(玉桂寺旧蔵)・阿弥陀像は、現段階では、納入願文の内容や作風から行快作との推定にとどまるということから、カウントしていないということでしょう。


共同通信、京都新聞報道等は、今回発見の聞名寺を含めた在銘の11例(前記リストから仏師銘のない浄土宗像を除いたもの)から、

浄信寺・阿弥陀像か、北十萬・阿弥陀像(「巧匠/法眼□□」の墨書で行快名は無いが、墨書の書風、作風から行快とされる)

のいずれかを除いているのだと思います。
「浄信寺像の方が除かれているのかな?」と思うのですが、はっきりとはわかりません。

「仏師〇〇作」というのを、どう考え、どのようにカウントするのかというのは、なかなか難しい処のようです。


なお、新発見の行快作品、聞名寺・阿弥陀三尊像は、来年(2019)4月13日~6月9日、京都国立博物館の特別展「一遍聖絵と時宗の名宝」で公開されます。


トピックス~奈良時代の乾漆造・毘沙門天像が新発見(愛媛大洲市・如法寺)  〈奈良博で展示中〉  【2018.10.6】


【耳にした、奈良博に、さりげなく「新出の乾漆像が展示されている」という情報】


今年8月の、暑い盛りのことだったと思います。

仏像愛好の同好の人から、こんなメール連絡がありました。

「愛媛県大洲市の如法寺の毘沙門天像というのを知っていますか?
奈良時代・8世紀の木心乾漆像だということです。

奈良博の〈なら仏像館〉に行ったら、新出作品として展示されてました。

何も解説などが書かれていないので、これ以上のことは何もわかりません。
NET等で検索しても、何も出てきません。
かなりの出来で興味深いのですが、この仏像のこと、何か知っていますか?」

私も、「愛媛如法寺の毘沙門天像」など、聞いたこともなく、全くの初耳です。
何の情報もありませんでした。

確かに、奈良博〈なら仏像館・珠玉の仏たち〉の【展示目録】を見ると、第4室の処に、

「毘沙門天立像 1躯 奈良時代(8世紀) 愛媛 如法寺」

と掲載されています。

奈良国立博物館の展示目録(第4室)
奈良国立博物館の展示目録(第4室)

毘沙門天像の写真が何処にもなかったので、なんのイメージも沸いてこず、
「いまどき、奈良時代の乾漆像の新発見なんてあるのだろうか?
愛媛の地方のお寺に、乾漆造りの優品がのこされているなんて、ちょっと信じ難いように思うけれど・・・・」
というのが、率直なところで、
「いずれ秋口にでも奈良に出かけることがあったら、奈良博によって実物を見てみよう。」
と、心に留めたぐらいのことでした。



【10/1~奈良博が、「奈良時代の木心乾漆像を新発見」とプレス発表】


はたして、10月1日、奈良国立博物館は、

「愛媛県大洲市の如法寺が所蔵する毘沙門天像が、奈良時代の木心乾漆像であることがわかった。」

と、プレス発表したということです。

奈良時代の木心乾漆像と判明した、愛媛県大洲市・如法寺の毘沙門天像
奈良時代の木心乾漆像と判明した、愛媛県大洲市・如法寺の毘沙門天像

発表された毘沙門天像の写真を見てみると、

「これは、確かに間違いなく、奈良時代の木心乾漆像なんだろう。
かなり太づくりで、逞しくどっしりとした造形、なかなか魅力的なものがある。」

そのような印象を受けました。

奈良時代の乾漆像が新たに見つかるというのは、本当に珍しいというか、各地の仏像調査が進んだいまどき、「驚き!!」というしかありません。
それも、奈良ではなくて、愛媛の地方で発見というのは、まさにビックリです。



【マスコミ各社は、「愛媛の毘沙門天像、奈良時代の乾漆像と判明!」と報道~TVも新聞も】


マスコミ各社は、早速、「奈良時代の乾漆像、新発見!」を報道しました。

NHK NEWS WEB (NHK奈良放送局)は、

「愛媛の毘沙門天像は奈良時代の作」

というインデックスで、このように新発見ニュースを放送しました。

「愛媛県大洲市の寺にあった毘沙門天立像が、奈良時代に確立した技法でつくられた全国でも数少ないものだとわかり、奈良国立博物館は
『奈良時代の彫刻を研究するうえで貴重な資料だ』
としています。

この像は、愛媛県大洲市の如法寺に安置されていた高さおよそ30センチの『毘沙門天立像』です。

如法寺・毘沙門天像

如法寺・毘沙門天像
如法寺・毘沙門天像

寺には、大洲藩の藩士が江戸時代に、奈良県にある信貴山の僧から毘沙門天を得たという記述が残っていて、奈良国立博物館が、別の仏像の調査で偶然見つけ、CTスキャンなどを使い調査を行いました。

その結果、腰にまとった衣の様式やどっしりとした体つきなどから8世紀の奈良時代につくられたものと考えられるほか、漆と木くずなどを混ぜたものを木の芯に盛りつけて形づくる「木心乾漆造」という技法でつくられたものとわかりました。
奈良時代の『木心乾漆造』は全国でも数少なく、調査した奈良国立博物館の岩田茂樹上席研究員は、
『科学的な調査で詳しい製作技法もわかり、奈良時代の彫刻を研究するうえで貴重な資料だ』
と話しています。

この仏像は奈良国立博物館の「なら仏像館」で公開されています。」



奈良時代の木心乾漆像新発見を報ずる朝日新聞記事
奈良時代の木心乾漆像新発見
を報ずる朝日新聞記事
新聞各紙も、

「奈良時代の乾漆像と判明 愛媛の毘沙門天像」 (産経新聞WEST~2018.10.2付)

「愛媛で『木心乾漆造』仏像」 (読売ONLINE~2018.10.2付)

「愛媛の毘沙門天『木心乾漆』仏像~奈良期の技法 判明は異例」 (朝日新聞~2018.10.3付)

「愛媛・如法寺の毘沙門天立像 ~実はすごい!!と判明 8世紀、木心乾漆造 奈良博調査」 (毎日新聞~2018.10.2付)

といった見出しで、一斉に発見報道を掲載しました。



今回の発見について、各紙の報道内容などを参考に、簡単にまとめてみると、次のようなことかと思います。



【愛媛・如法寺の他の仏像調査の際、たまたま見つけられた毘沙門像】


この毘沙門天像は、2016年12月、奈良国立博物館の研究員の方が、如法寺が所蔵する別の仏像を調査するために訪れた際に、本堂厨子内に安置されているのを発見したそうです。
像高28センチの小さな像です。

如法寺には、鎌倉時代の県指定文化財の地蔵菩薩立像(建治2年・1276、法橋興慶作の足ホゾ銘)がありますので、この調査のためだったのかもしれません。



【CTスキャン調査などで、間違いなく奈良時代の木心乾漆像と判明】


この毘沙門天像を、奈良博でCTスキャンなどのX線透過撮影調査をしたところ、芯となる「心木」の周りに乾漆が数層重なっていることがわかりました。
3本の心木や金属心を使い、漆に木くずなどを混ぜた乾漆を盛りつけて造形しているようです。
いわゆる木心乾漆技法の仏像で、ふくよかな体形の特徴などから、奈良時代中期頃、8世紀半ば過ぎの作品とみられるそうです。

本像を調査した奈良博・岩田茂樹上席研究員は、

「造形がおもしろく、精彩に富んでいる。
これだけ構造と技法が分かった木心乾漆像は他にないだろう」
「小さい仏像だが歌舞伎役者のような躍動感がある」
「奈良時代の彫刻を研究するうえで貴重な資料だ」

このようなコメントをしていると、新聞報道されています。



【いまどき、考えられないほど珍しい、奈良時代木心乾漆像の新発見】


奈良時代の木心乾漆像が新たに発見されることが大変珍しいことであることはもちろん、愛媛県大洲市という地方で発見されたというのは、繰り返しになりますが、ちょっと考えられない大発見です。

奈良時代の木心乾漆技法による仏像は、全国で30件ほど程しかなく、そのほとんどは当時の都である奈良県内にあります。
聖林寺・十一面観音像、観音寺・十一面観音像、唐招提寺・千手観音像あたりが、最も有名どころの木心乾漆像です。

聖林寺・十一面観音像.観音寺・十一面観音像
(左)聖林寺・十一面観音像、(右)観音寺・十一面観音像

唐招提寺・千手観音像
唐招提寺・千手観音像



【どうして愛媛の地方のお寺に~元々の所在は、奈良方面のものか?】


その数少ない木心乾漆像が、奈良県ではなく、なんと愛媛県大洲市にあるお寺から見つかったというのです。
大洲市というのは、愛媛県の南西部、松山と宇和島との中間点あたりに位置します。

愛媛県大洲市の如法寺・本堂
愛媛県大洲市の如法寺・本堂

毘沙門天像の来歴については、如法寺に伝わる地誌「富士山志(とみすさんし)」に、このように記されているそうです。

「毘沙門天立像は、江戸時代に大洲藩士が奈良・信貴山で出会った僧侶から譲り受け、藩主の菩提寺である如法寺に寄進した。
南北朝時代の武将・楠木正成が身近に置いた念持仏だった。」

この記述がどこまで信拠すべきものであるかはわかりませんが、元々は奈良の地にあった仏像であるのは、確かなのかもしれません。
そうだとすると、この毘沙門天像が愛媛の地にあるのも納得、という処です。

元々、毘沙門天の独尊像であったのでしょうか?
四天王像のうちの多聞天像だけが残されたものでしょうか?
そこのところは、今では不明ということらしいですが、たくましく躍動感ある造形は、なかなか魅力的です。


この毘沙門天像は、現在も奈良国立博物館〈なら仏像館〉で展示されており、今後は、12月下旬まで展示予定だということです。

是非、機会を見つけて、一度は実見してみたいものです。



【近年、めったにない奈良時代以前の仏像新発見】


ところで、奈良時代以前の仏像の新発見というのは、全国の仏像調査がいきわたっている近年では、本当に珍しいことです。

私の覚えている限りの平成に入ってからの、奈良時代以前制作の仏像の新発見と云えば、

平成10年(1998)に発見された、三重県伊賀市・見徳寺の木造薬師如来像(1999年県指定文化財指定)

平成20年(2008)に発見された、高知県仁淀町・養花院の木造菩薩坐像(2010年重要文化財指定)

ぐらいでしょうか。

三重県伊賀市~見徳寺・薬師如来像.高知県仁淀町~養花院・菩薩坐像
(左)三重県伊賀市~見徳寺・薬師如来像、(右)高知県仁淀町~養花院・菩薩坐像

見徳寺・薬師如来像は、白鳳時代の童顔童形タイプの木彫像の発見でした。
養花院・菩薩坐像は唐招提寺木彫群の作風に通じる奈良時代檀像の発見でした。


たまたまですが、丁度、10年に一度の新発見となっています。

こうしてみても、今回の奈良時代の木心乾漆像の新発見は、仏像愛好者にとってみれば、なんともビックリのニュースでした。


次のページ