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観仏日々帖

古仏探訪~8/9開帳、三重3ヶ寺の秘仏を訪ねて(常福寺、林光寺、勧学寺)  その2:林光寺・勧学寺の千手観音像 【2019.8.31】


【その2】では、鈴鹿市の林光寺と、桑名市の観学寺の千手観音像の秘仏御開帳のご紹介をしたいと思います。


【深夜、数時間限りの御開帳~林光寺・秘仏千手観音】

まずは、林光寺・秘仏千手観音像の御開帳です。

この秘仏を拝するのは、なかなか大変です。
なんと、深夜の数時間だけしかご開帳されないのです。
それも、年に一日、8月9日限りなのです。

林光寺の千手観音像(像高:108.1㎝)は、平安後期の制作で重要文化財に指定されています。

林光寺・千手観音像(平安・重文)~三重県史別編・美術工芸掲載写真
林光寺・千手観音像(平安・重文)~三重県史別編・美術工芸掲載写真

長らく拝してみたいと思っていたのですが、厳重な秘仏で、8/9ピンポイントで深夜に三重の鈴鹿まで出かけなければいけないので、チャンスがありませんでした。

今回、真夏の炎暑に、三重まで出かけることにしたのは、

「この珍しい深夜の秘仏御開帳、一度は、どんなものなのか体験してみたい。」

ということが最大の理由でした。

ご開帳は、8月9日の午後10時30分ごろから、翌10日の午前1時ごろまで行われるということです。
その昔は、8月10日の午前1時からのご開帳であったということですが、ご近所への迷惑、お参りされる方の大変さなどから、近年はこの時間帯になっていつとのことです。

8月10日は、四万六千日(しまんろくせんにち)の観音菩薩の縁日で、この日にお参りすると46000日分参拝したのと同じご利益があるといわれます。
そんなことから、この日のご開帳になったのでしょうが、「深夜のご開帳」となったのは、秘仏本尊の神秘性を増すためなのでしょうか?


【深夜なのに、堂内は多くの参詣の方々でギッシリ】

林光寺は、近鉄名古屋線の支線、鈴鹿線の鈴鹿市駅から歩いて10分ほどの町中にありました。
天平時代、行基開基の伝承があり、現在は真言宗智山派のお寺です。

比較的近い処にあるビジネスホテルに泊まることにして、夕方に、どんな感じになっているのか瀬踏みに、林光寺に行ってみました。
5時過ぎに行ったのですが、ご覧の通り幟旗が立てられているだけで、境内には人影もなく閑散としていました。

林光寺

ご開帳日夕刻の林光寺境内
御開帳日の夕刻の林光寺山門と境内


境内にある林光寺・千手観音像の解説看板
林光寺境内に立つ千手観音像の解説看板


ご開帳時間が来るのを待って、夜半にホテルを出動、11時前に林光寺に到着しました。
沢山の人が、御開帳に来られています。

御開帳、深夜の林光寺本堂前
深夜、ご開帳時の林光寺本堂前

本堂内では、ご住職ほかの読経が始まっており、お堂のなかは30~40人ぐらいの人でぎっしり目一杯です。

御開帳、林光寺本堂内
参詣の方々でぎっしりの本堂内

我々も含めて、お堂の中に入れず、堂外で読経を聴く人も結構いらっしゃいました。
地元の参詣の人々の他に、深夜の御開帳を目指して遠方から訪ねてきた方々も多いようです。
この日は、ツーリズムの観仏ツアーの方々が30人ほど来られていたということなので、通例の年はここまでの参拝者の数ではないのかもしれません。


【一人ひとり御住職により観音様と結縁を済ませ、順にお厨子の前で拝観】

読経は11時半ぐらいまで続きました。
ご住職のお話がしばらくあった後、一人ひとり順番に祭壇の前に進み、、厨子のなかの観音様の手に繋がれた五色の紐を手に執って、ご住職が手にした密教法具の剣を頭に充てていただいて結縁し、観音様に手を掌わせます。

林光寺本堂内~正面のお厨子の中に千手観音像が祀られる
林光寺本堂内~正面のお厨子の中に千手観音像が祀られる

お参りの皆さん全員この結縁を済ませたところで、いよいよ秘仏・千手観音像のご拝観です。
観音像は、お堂の正面奥の立派な厨子の中に祀られています。
参拝の方は、順番に厨子の真ん前まで進んで、ごく近くで拝することができました。
ただ、厨子のなかは、結構薄暗く、また金網が張られているので、ちょっと目を凝らしてお姿を拝するという処です。
決してぼんやりという訳ではないのですが、はっきりクリアーに姿を拝するというまではいかないという感じです。


【藤原風の穏やかで優美な千手観音像のお姿】

眼前の、千手観音像のお姿は、いかにも藤原風の穏やかで美しい造形です。

「三重県史・別編~美術工芸」(2014刊)には、

「満月のような丸い顔は穏やかな表情を見せ、衣文は薄く整えられるなど、全体に優雅な都の作風がうかがえる。
制作年代は平安時代後期、十二世紀に入ると思われる。
三重県内におけるこの時期の千手観音像の優品である。」

と解説されています。
まさにその通りで、「藤原風優美」という言葉が良くあてはまる仏像という印象を受けました。

林光寺・千手観音像(平安・重文)~旅の仏たち・丸山尚一著掲載写真
林光寺・千手観音像(平安・重文)~旅の仏たち・丸山尚一著掲載写真

ゆっくりじっくり拝したかったのですが、厨子の前で拝する順番を待つ長い行列が堂内に出来ていて、厨子前に進んでも、ほんのわずかの時間だけしか拝することができません。
頑張って、数十分かけて2度並んで拝しましたが、観音像の造形表現をしっかり拝するという訳にはいかず、イメージを心に焼き付けるという拝観となりました。

そうこうしているうちに、もう12時半を過ぎてしまいました。
若干後ろ髪をひかれますが、そろそろ引き上げです。

「深夜の、ほんの数時間限りのご開帳」

なかなか他では経験しえない秘仏御開帳を、体感することができました。


【8/9~10、二日限りの御開帳~勧学寺・秘仏千手観音】

翌10日は、桑名市の勧学寺の千手観音像のご開帳に行きました。
勧学寺の千手観音像は、年に一度、8月9日、10日の二日間の御開帳です。

千手観音像は、像高:163.9㎝の一木彫、平安時代の制作で、県指定文化財に指定されています。

勧学寺は、桑名駅の南西、車で5分ばかりの桑名市矢田という小高い丘の上にあります。
この場所は、戦国時代、矢田氏の居城であった矢田城跡の一画なのだそうです。
本尊の千手観音像は、近隣で廃寺となった海善寺の旧仏であったと伝えられます。


【参詣の方が誰もみえず、ゆっくりじっくりとご拝観】

午後の炎暑真っ盛りの時間に訪ねました。

勧学寺・本堂

勧学寺・参道
勧学寺・本堂と参道階段

ご開帳の千手観音像は、本堂に祀られています。
年に一度のご開帳日なのですが、参詣に訪れる人が誰も見えず、ひっそりとしていました。
きっと昨日のご開帳初日に、皆さん参詣されたのでしょう。
本堂に上がると、堂内では地元の奥様方と思われる方2~3人が、拝観の受付をされていました。

勧学寺本堂内
勧学寺本堂内

千手観音像は、奥のお厨子の中に祀られています。
お厨子の真ん前で、眼近にじっくりと拝することができました。

勧学寺本堂内厨子に安置された千手観音像
勧学寺本堂内厨子に安置される千手観音像


【堂々たるお姿の千手観音像~ちょっと鄙びた感じの造形に親近感】

なかなか堂々たるお姿で、力強さを感じさせます。

勧学寺・千手観音像(平安・県指定)
勧学寺・千手観音像(平安・県指定)

造形表現を見ていると、平安後期、11世紀ごろの作のように思えるのですが、いわゆる藤原風の繊細さは全く感じません。
穏やかな表現のなかにも、いかにも地方作という野趣や野太さを漂わせています。

勧学寺・千手観音像(平安・県指定)

勧学寺・千手観音像(平安・県指定)
勧学寺・千手観音像(平安・県指定)

彫技の冴えというのではなく、ちょっとずんぐりとした重たさを感じさせるところが、なんとも親近感を感じさせます。
そこが、この像の魅力と云えるのでしょう。
材もクスノキということですから、当地の在地仏師の手になるものなのかもしれません。

調べてみると、このような解説がありました。

「品質は樟材、一木造、素地、彫眼、体部は髻より両足ホゾまで含めて一木彫成にし、背板はヒノキ材上下2 段に矧付、内刳をしている。
両肩及び脇手は凡てヒノキ材。
尊像は北勢随一の秘仏とし知られていたが、保存状態が悪く、虫食い、鼠害を甚だしく被むり、腐食亡失もその極に達していたので、昭和39 年京都国立博物館内美術院国宝修理所に於いて、解体修理し、その復元を見るに至った。」
(桑名市教育委員会文化財HP)

「下半身に翻波式衣文や旋転文を刻むなど、部分的に古様をとどめている。
しかし、表情や衣文の彫りは比較的穏やかで、制作は平安時代後期(11世紀)になるものと考えられる」
(三重県史・別編~美術工芸2014.3刊)

勧学寺・千手観音像~古様な衣文がのこされる脚部
勧学寺・千手観音像~古様な衣文がのこされる脚部

確かに、頭体幹部が足ホゾまで一木彫成で、翻波式衣文や旋転文がみられるなど、古様がみられますが、古様をとどめた平安後期の地方作の典型の像といってよいのだろうと感じました。


【不思議な造形スタイル~頭部と体部の中心線の大きなズレ、歪み】

この千手観音像を眼近に拝して、一番眼を惹いたのは、頭部の中心線と体部の中心線が著しく歪んでズレていることです。
頭とお顔が、明らかに向かって右にずれています。

頭部と体部にズレ歪みがみられる千手観音像~「仏像東漸展」図録掲載写真
頭部と体部にズレ歪みがみられる千手観音像~「仏像東漸展」図録掲載写真

どうみても、
「制作途上で、想定外に偶々歪んでズレてしまった。」
とか、
「材の歪みや反りがあったので、それに合わせて造形した。」
というようには思えません。

私には、
「明らかに、意図的に歪めてズレを作って造形している。」
ようにしか見えません。

どうして、このように頭部を歪めて造形したのでしょうか?

井上正氏なら、きっと、
「霊木から彫り出した、意図的な歪みの造形の霊威表現」
という解説をされるのではと想像してしまいます。

直観的には、私はこの歪みは霊威表現という風な印象はしないのですが、それでは、なぜこのように歪めて造形したのかという理由も想像がつきません。

不思議な造形スタイルの千手観音像との出会いとなりました。


今回は、8月9日に年に一度だけ開帳される、三体の三重の千手観音像をご紹介しました。

正真正銘、酷暑の中の古寺巡りとなり、半熱中症気味?のなかでのしんどい三重観仏探訪でしたが、思い切って出かけてみた甲斐がありました。

それぞれに、心に残る、忘れがたき秘仏御開帳でありました。


古仏探訪~8/9開帳、三重3ヶ寺の秘仏を訪ねて(常福寺、林光寺、勧学寺) その1:常福寺・千手観音像 【2019.8.17】


【8/9に、年に一度だけご開帳の、三重の3ヶ寺の秘仏】

8月9日にご開帳されるという、三重県内の秘仏ご開帳に出かけてきました。

同好の方数人と巡りましたが、「熱中症から身を守ってください!」という言葉が、まさに実感の炎暑、酷暑のなかでの観仏探訪となりました。


訪ねた秘仏は、ご覧の3ヶ寺で、いずれも8/9にご開帳される千手観音像です。

津市白山町の「常福寺」の秘仏・千手観音立像

鈴鹿市の「林光寺」の秘仏・千手観音立像

桑名市の「勧学寺」の秘仏・千手観音立像(8/9・10両日ご開帳)


あまり知られていない仏像ばかりだと思いますが、ご紹介していきたいと思います。


【平安前期の優作、常福寺・千手観音像のご開帳】

まずは、津市白山町にある常福寺の秘仏、千手観音像です。

常福寺・千手観音像
常福寺・千手観音像(平安前期・重文)
「三重の美術風土を探る展」図録(1986年)掲載写真


これだけの優作が、あまり知られていないのが不思議に思います。

像高60㎝弱の小像なのですが、圧倒的な迫力、存在感を感じさせる、平安前期の優作像です。
もうちょっと、仏教美術史の本などで紹介されてもよいのではないかと思っています。
9年前、2010年に一度訪れたことがあるのですが、その素晴らしい造形に見惚れたことが忘れられず、また再訪したのでした。

常福寺は、津の駅から西に約30キロ、車で小一時間の、白山町八対野という処にあります。
地元では「別所の観音堂」と呼ばれていて、昭和になってからの建築ながら本堂、観音堂などがあるのですが、現在では、地区の管理として守られています。


【今年は、60年に一度の「特別ご開帳」~9年ぶりの再訪】

常福寺の千手観音像は、毎年8月9日の一日に限って、ご開帳となります。

今年のご開帳は、60年に一度の「特別御開帳」の年にあたるということです。
前回訪ねさせていただいたご縁で、地区の管理の方から「特別御開帳」のご連絡を同行の方に頂戴し、それではと、再訪させていただくことになったわけです。

常福寺・本堂
常福寺・本堂

常福寺・観音堂
常福寺・観音堂

本堂には、地区の方々が、60年ぶりの特別開帳の行事に大勢寄り合っておられました。

千手観音像は、本堂奥の小高い処にある収蔵庫に安置されています。

常福寺・千手観音像安置収蔵庫
千手観音像が祀られる常福寺・収蔵庫

地元の方の他には、特別開帳に訪れられている方もさほど多くはなく、じっくりと拝させていただくことができました。

常福寺・千手観音像
御開帳された収蔵庫に祀られる千手観音像


【小像なのに、雄大なスケール感と迫力で霊威感を発散】

一目で、堂々たる存在感を感じます。
こんなに小さな像なのに、雄大なスケールの大きさ、力強さに充ち満ちているのです。

常福寺・千手観音像
常福寺・千手観音像(平安前期・重文)
「はくさんの仏像~白山町仏像調査報告書」2003年刊掲載写真


アップの写真で見ると、等身ぐらいはある大きな像ではないかと見まがうほどです。
上半身の力強い肉付け、下半身のダイナミックな翻波式衣文は惹き付けるものがあります。
誰がみても、平安前期の優作であることは間違いありません。

像高:55.6㎝、ヒノキ材の一木彫で、内刳りなどは一切なく、漆箔仕上げ。
千手を表す42手は別材製ですが、ほとんどが当初のものです。
美術院の新納忠之介、明珍恒夫等の古社寺調査によって、大正5年(1916)、(旧)国宝に指定され、戦後文化財保護法改正により、重要文化財に指定されています。

この千手観音像を拝して、強く惹きつけられるのは、全体のシルエットです。
むっちり太造りの合掌手、脇手は、空間に大きく広く円弧を描き、その漲る強い力が上半身に求心、統一されていくようです。
小さめの頭部と体躯のバランスもなかなか絶妙で、千手を広げた全体のシルエットに、力強く雄大なスケール感を醸し出しています。
そして、ちょっと怪奇な霊威感を発散させています。


【いわゆる平安前期の小像檀像とは、ちょっと違うタイプの千手観音像】

この千手観音像は、平安初期、9世紀の制作とみられる像ですが、この時期の小像の多くの作例のタイプとは、ちょっと違うようです。

9世紀の50~60㎝の小像は、いわゆる檀像風、カヤ材の素木、木地仕上げの像が大変多いのですが、この像は漆箔仕上げでヒノキ材ということです。
また、多くの檀像風像は、総じて、厳しく鎬立った衣文など、鋭くシャープな彫り口を強調した表現で、頭部が大きい子供のようなプロポーションの像となっています。

醍醐寺・虚空蔵菩薩像海住山寺・十一面観音像
9世紀の50~60㎝の小像の檀像風菩薩像
(左)醍醐寺・虚空蔵菩薩像、(右)海住山寺・十一面観音像


これに対して、常福寺像は、鋭さ厳しさよりも、むっちりした肉身の弾力的張りを強調した表現で、プロポーションも頭部が小さめで大人風です。

いわゆる平安初期檀像の系譜とはちょっと違う系譜の像なのかもしれません。

「三重県史・別編~美術工芸」の本像の解説には、このように述べられています。

「像高60㎝足らずの小像ながら、非常に迫力ある造形を示し、いかにも平安初期彫刻らしい力強さに満ちている。
・・・・・
詳しい制作年代は不明であるが、造形的な特徴からみて9世紀と考えられる。

千手観音には、唐招提寺像や、大阪府葛井寺像(両像とも奈良時代の作)のように、文字通り千手をあらわす形式と、本像のように42手をあらわす形式とがある。
42手形式の遺品には、平安中期から後期にかけての像は多いが、本像のように平安前期に遡る像は少なく、奈良時代の雑密系彫刻の系譜に連なる古様な表現になる作品として、本像は重要な像である。」
(「三重県史・別編~美術工芸」三重県編2014.3刊~毛利伊知郎氏解説)


【大注目は、霊気漂う「風動表現」~法華寺・十一面観音像と同タイプ】

もう一つ、この千手観音像の大注目は、いわゆる「風動表現」です。
「風動表現」とは、仏像の着衣などが、前方からの風に吹かれて翻っているようにたなびき、神秘的な空気感に包まれている表現のことをいいます。

この「風動表現」の作例として、最も有名な像は、法華寺・十一面観音像です。

法華寺・十一面観音像
法華寺・十一面観音像(平安前期・国宝)

法華寺像は、膝下の着衣の裾が大きく後ろにたなびくほか、両側の天衣は翻転、曲折し、垂髪までもが前からの風を受けています。

風動表現の法華寺・十一面観音像の衣
衣が後方にたなびき翻る「風動表現」の法華寺・十一面観音像

霊風を受けるという「霊威表現」であることは、明らかです。
この「風動表現」が、はっきりと明らかな作例としては、丹波、金剛心院の如来立像が知られていますが、常福寺・千手観音像も、間違いなく「風動表現」がなされています。

金剛心院・如来像..衣が後方にたなびく金剛心院・如来像
「風動表現」の金剛心院・如来像(平安前期・重文)

常福寺像をみると、両サイドの衣の裾を、大きく後方に広がるようにたなびかせています。
前方から吹く霊風を受けているのです。
身体を弓なりにそらせ、前傾姿勢になっているのも、法華寺・十一面観音像によく似ています。
この表現が、千手観音像の迫力を増しているように思えます。

風動表現で弓なり姿勢、たなびく衣の常福寺・千手観音像
弓なり姿勢、後方にたなびく衣の「風動表現」の常福寺・千手観音像

これだけはっきりと衣を後方にたなびかせる「風動表現」の像は、法華寺像、金剛心院像、常福寺像ぐらいしか思いつきません。

井上正氏は、この「風動表現」を、盛唐期、画聖と呼ばれた呉道玄の様風の発するとして、「呉道玄様」と位置付けました。
呉道玄の「風動表現」は、「気韻生動」といわれる見えざる「気」を心に感じさせる表現として考案され、生動感を付与することによって、尋常でない「気」の内在を表そうとしたのだというものです。

「呉道玄様」かどうかはともかくとして、この「風動表現」が、霊気、霊風を感じさせ、仏像の神秘的霊威感を醸し出すことになっているのは間違いないことだと思います。

常福寺・千手観音像も「風動表現」が、怪しく雄大な存在感、迫力を発散させる源になっているのではないでしょうか。


雄大な力強さ、迫力を発散する「風動表現」の霊気漂う、常福寺の千手観音像。

繰り返しになりますが、小像ながら、平安前期のなかなかの優作です。
もう一度訪れてみた甲斐のある、嬉しい再会となりました。
拝観のご配意をいただいた、地区の皆様に感謝しつつ、常福寺を後にしました。


【耳寄り情報~常福寺・千手観音像が、秋の特別展に出展(30年ぶり?)】

お寺で、耳よりな話をお聞きしました。

常福寺・千手観音像は、年に一日限りご開帳の秘仏として守られているのですが、なんとこの秋に、博物館に出展されるということです。
津市の三重県立博物館で、10月5日(土)~12月1日(日)に開催される 「三重の仏像~白鳳仏から円空まで~」 という特別展です。
三重県内の見どころある仏像が勢ぞろいする必見の展覧会のようです。

2019年10月開催「三重の仏像展」

常福寺・千手観音像は、展覧会に出展されることはめったになくて、私の知っている限りでは、30年以上前、1986年に、三重県立美術館で開催された「三重の美術風土を探る展」に出展されて以来の、博物館出展ではないかと思います。

この時の展覧会の図録の表紙写真は「常福寺・千手観音像」でした。

「三重の美術風土を探る展」図録~常福寺・千手観音像が表紙写真
「三重の美術風土を探る展」図録~常福寺・千手観音像が表紙写真を飾る

これだけでも、この像が三重県の優作であることをお判りいただけると思います。

是非、この小像ながら「雄大で、霊威感、迫力溢れる、9世紀の優作」に出会いに、この秋、博物館に出かけられることをお薦めします。



次回は、林光寺と勧学寺の秘仏・十一面観音像のご開帳について、ご紹介いたします。


トピックス~堂本印象美術館で初公開の阿弥陀如来像、湛慶作か? 【2019.7.21】


【「湛慶作の阿弥陀如来像、新発見か?」のニュース記事にビックリ】


「作者は天才仏師、運慶の長男? 優雅な秘仏を公開」


ネット検索の新聞記事で、こんな見出しを見つけて、ちょっとビックリしました。
2019.6.28付の〈サンケイニュースの記事〉です。

記事は、こんな出だしで始まります。

鎌倉時代の大仏師、湛慶(たんけい)の仏像?

そんな評判を呼ぶ仏像が京都府立堂本印象美術館(京都市北区)で開催中の「堂本印象 ほとけを描く ほとけを愛でる」で初出展され、美術ファン、研究者の間で話題を呼んでいる。

京都出身の日本画家、堂本印象(1891-1975)のコレクションの1体だが、湛慶といえば、東大寺南大門の仁王像制作などで知られる運慶の長男。
どことなく父の作品を追いかけている姿と形が、見る人に「いかにも!!」といった印象を与える。

堂本印象蔵・阿弥陀如来像

堂本印象蔵・阿弥陀如来像
湛慶作かと記事で紹介された
初公開堂本印象蔵・阿弥陀如来像



【記者の実感がこめられた「読ませる記事」に興味津々】


園田和洋氏という方がかかれた署名記事ですが、仏像彫刻に造詣の深い方のようで、御自身の実感が盛り込まれた「読ませる記事」で、愉しく読みました。

記事は、このように続きます。

日々、詰めている京都府庁の記者室に投げ込まれた堂本印象美術館のチラシ。
そこに掲載された一枚の写真を見て、
「まだ、こんな仏像が未公開のまま残っていたのか」
と驚いてしまった。

仏というより人間に近い写実的な表現で、ひと目みて、平安時代末期から鎌倉時代にかけて奈良や京都、鎌倉などを中心に活躍した運慶や快慶を含む一大仏師集団「慶派」の作品であることはわかった。

同美術館では初出展の阿弥陀如来坐像。印象の自宅に置いていたらしく、府教委文化財保護課に聞いてみても、調査した記録もなく、どうやら人目に出るのも初めてらしい。
かつて仏像を追いかけて寺院巡りをしていたころの記憶を呼び起こすような出会いだった。

さっそく同美術館の松尾敦子学芸員に問い合わせたところ、
「目利きとして知られる堂本印象だけに、すばらしい作品。彫刻史上貴重な作例で、今回の展示の目玉のひとつです」
と絶賛の声を惜しまなかった。


興味津々の語り口で、つい惹き込まれてしまいます。

このあとも記事が続きますが、ポイントだけをなぞると、次のようなものかと思います。

像高約80㎝の阿弥陀像で、運慶作、興福寺北円堂・弥勒仏像を模したような造形だが、本像は彫眼の弥勒像と違い玉眼で、全体的に穏やかな仕上がりになっており湛慶風をうかがわせるものがある。

作者を示す胎内銘などはなく、湛慶作かどうかの根拠はないが、京都市立芸大の礪波(となみ)恵昭教授は、
「特徴は運慶後の、湛慶と同じ世代のものに間違いない。
釈迦や阿弥陀、藥師などといった如来像で湛慶作がないだけに貴重」
とのコメントで、今後の調査に期待がかかる。

以上のような内容でした。

単なる、プレス発表の取材記事ではなくて、ちょっとドキュメント風の「読ませる記事」だと感じられたことと思います。



【現状では、「湛慶作の可能性もある」注目仏像という見解?】


「見出し」を見たときには、

「エーッ、湛慶作の仏像の新発見か!」

と、驚いたのですが、読み進んでいくと、

「初公開の阿弥陀如来像は、鎌倉前期の慶派の作とみられる佳品で、湛慶の世代頃の制作を思われる。
湛慶作という可能性もある。」

ということのようです。

「湛慶作か?」というニュースが掲載されたのは、これだけで、他の新聞各紙には、湛慶作の可能性にふれた記事は見つかりませんでした。

「湛慶作?仏像の発見」というプレスリリースがあったわけではなくて、この阿弥陀如来像が湛慶作であってほしいという、執筆記者の方の気持ちがこめられ、記事掲載されたのかなという感じがしました。



【佳品ぞろいの知られざる堂本印象所蔵の仏像コレクション】


湛慶作かどうかはともかくとして、日本画檀の巨匠、堂本印象(1891-1975)の秘蔵コレクションに本像をはじめとした佳品の古仏があり、それが展覧会で初公開されているというのは、耳寄りな話しです。

京都府立堂本印象美術館で、開催中の展覧会です。

「堂本印象 ほとけを描く ほとけを愛でる
2019年5月29日(水)~9月23日(月・祝)


「堂本印象 ほとけを描く ほとけを愛でる展」チラシ

「堂本印象 ほとけを描く ほとけを愛でる展」チラシ


生涯通して多くの仏画を手掛けた堂本印象は、仏像も所蔵していたようで、本展では堂本印象コレクションから平安~鎌倉期の4体の仏像が初公開、初出展されるということです。

堂本印象蔵のこのような仏像があるというのは、私もまったく知りませんでした。
展覧会チラシや、掲載写真をみると、小ぶりながらなかなかの佳品という感じがします。

知られざる仏像の初公開ということで、大変興味深いものがあります。



【意外に少ない湛慶真作が明らかな仏像~如来形像は無し】


ところで、この初公開の阿弥陀如来像、「湛慶作の可能性」について、皆さんどのように感じられたでしょうか?

私は、鎌倉彫刻の世界は、どうも疎くて、

「湛慶風といわれれば、そんなものかという感じで、よくわからない。」

というのが、本音のところです。

湛慶の事蹟は、史料からもいろいろと伺えるのですが、湛慶の制作とはっきり言える作品は、意外にもそんなに多くありません。

父運慶と並んでその名が連ねられるものを外すと、湛慶の真作が明らかとされる作品は、

雪蹊寺・毘沙門天、吉祥天、善膩師童子像(嘉禄元年・1225年頃)、蓮華王院本尊千手観音坐像(建長6年・1251)及び千体千手観音像のうちの9躯

だけです。

湛慶作~高知県雪蹊寺・毘沙門天、吉祥天、善膩師童子像
湛慶作~高知県雪蹊寺・毘沙門天、吉祥天、善膩師童子像

湛慶作~三十三間堂本尊・千手観音坐像
湛慶作~三十三間堂本尊・千手観音坐像

また、湛慶作に間違いないとみられるものには、

高山寺・善妙神立像、白光神立像、狛犬3対、神鹿像1対、仔犬像

があります。

湛慶作~高山寺・善妙神立像湛慶作~高山寺・白光神立像
湛慶作~高山寺・(左)善妙神立像、(右)白光神立像

湛慶作~高山寺・仔犬像
湛慶作~高山寺・仔犬像

以上が、一般に湛慶作として認められている作品です。

これらの作品をみてみても、

「いかにも湛慶の作風」

といった、誰にでもわかるような湛慶風の特徴がくっきりと見受けられるという訳ではありません。

初公開の堂本コレクションの阿弥陀如来像は、「湛慶作か?」と云われても、素人には、難しいというか、なかなか悩ましい処です。



【湛慶作の可能性が云われる如来形像は?】


記事にもありましたが、

「湛慶作と特定されている如来形像は、現在の処、一躯もない。」

ということです。

確かにそう云われてみれば、そのとおりです。

湛慶の作風については、
「運慶の作風を基盤として、量感を減じて洗練し、写実表現を推し進めた」
という風に云われているようですが、そんな作風概念だけでは、また湛慶作という諸像と較べ併せても、同じ如来形像ではないだけに、似ているのか似ていないのか、イメージが沸いてきません。

それでは如来形の仏像で、湛慶作の可能性が論じられている像には、どのようなものがあるのでしょうか?

いろいろ議論はあるのでしょうが、

西園寺・阿弥陀如来坐像(円派仏師隆円作との見方もあるようです)、西念寺・阿弥陀如来坐像、西寿寺・阿弥陀如来坐像

などが、作風が湛慶風で、湛慶作の可能性があるとされているようです。

西園寺・阿弥陀如来坐像(鎌倉・重文)
京都市上京区~西園寺・阿弥陀如来坐像(鎌倉・重文)

京都市左京区~西念寺・阿弥陀如来像(鎌倉)京都市右京区~西寿寺・阿弥陀如来像(鎌倉)
(左)京都市左京区~西念寺・阿弥陀如来像(鎌倉)、(右)京都市右京区~西寿寺・阿弥陀如来像(鎌倉)



【湛慶風か?  私には難し過ぎてよくわからない堂本コレクション像】


これらの「湛慶作か?と云われている如来形像」と較べてみて、堂本コレクション像はどうでしょうか?

堂本印象蔵・阿弥陀如来坐像
堂本印象蔵・阿弥陀如来坐像

「ウーン、よくわからない!!」

鎌倉彫刻にとんと疎い私には、やっぱりそんな感じの印象です。


実物を見ていないで、写真で見る限りの個人的な印象では、
堂本コレクション像は、他の湛慶作かといわれる如来形諸像と較べて、ちょっと躍動感が少なく、線が弱いような感じもしますが・・・・・・・

作風から、作者である仏師を特定していくというのは、なかなか難しいことだと、今更ながらに思った次第です。


皆さんは、どのように感じられたでしょうか?



あれこれ~「仏像を見る眼はうつろうのか?~近代仏像評価の変遷をたどって」 連載が終わりました 【2019.07.06】


昨年(2018年)11月からHP「日々是古仏愛好」に連載していました

「仏像をみる眼はうつろうのか?~近代仏像評価の変遷をたどって」

が、ようやく終了いたしました。

仏像評価の変遷タイトル

30回、約8ヶ月という長きにわたる連載になってしまいました。

マニアックで単調な話でしたので、ずっとお読みいただいた方は少なかったのではないかと思うのですが、お付き合いいただきありがとうございました。


「近代仏像評価の変遷をたどってみたい」

このような思いに駆られてから、もう随分の年月が経つのですが、やっとのことで、お粗末なものながら纏めることができて、ちょっとホッとしているところです。

「明治以来、優れた傑作と云われる仏像は、どのようにうつろい、変遷しているのだろうか?」

「仏像の美術的評価観(美のモノサシ)と、折々の時代精神、思潮とはどのようにかかわりあっているのだろうか?」

私が、こんな「近代仏像評価変遷史」とでも云うテーマに、強い関心を持つようになったきっかけは、2冊の本を読んでからではないかと思います。
2冊とも、私にとっては鮮烈で、長く心に残る本になった本です。


一冊は、
「奇想の系譜」辻惟雄著 1970年 美術出版社刊
です。

奇想の系譜


この本は、あまりにも著名な本なので、皆さんもよくご存知のことと思います。
江戸絵画の異端とみられた岩佐又兵衛、伊藤若冲、曽我蕭白などを広く世に知らしめ、美術史の脇役であった彼等を、江戸絵画のスターに押し上げたエポックメーキングな著作と云われています。

この本で採り上げられた若冲をはじめとする画家達の、昨今の人気上昇ぶりを見ていると、また長らく本流といわれた狩野派の絵の人気の凋落ぶりをみると、

「美のモノサシ、評価観というのは、時代とともにこれほどに変わるものか!」

と感じました。


仏像彫刻の世界でも、戦後になって、神護寺・薬師如来像に代表される平安初期一木彫像の評価や人気が急上昇します。
「奇想の系譜」の話とは直接関係がないのですが、「古典的写実、理想美」の天平彫刻が人気の本流であったのが、戦後になって、「魁偉、森厳、迫力」といった言葉で語られる、異貌の平安初期彫刻が注目を浴びるようになるのを、つい連想してしまいました。

「近代仏像彫刻の評価観の変遷」を追ってみたいという思いが湧いてくる、一つのきっかけになりました


もう1冊は、
「法隆寺への精神史」 井上章一著 1994年 弘文堂刊
という本です。

法隆寺への精神史


連載の中でもご紹介しましたが、本来ブレることが無いはずの学問領域も、折々の時代精神、時代思潮に大きな影響を受けている、その呪縛の中にあることを説いた本です。

同じ法隆寺建築についても、

明治期には
「法隆寺にはギリシャ文化が息づいている、それがエンタシス」

大正期には
「法隆寺は日本独自の文化により生み出された、それが法隆寺式伽藍配置」

と、声高に論じられていたことが、そのことを象徴的に物語っているという話です。

この言説、私にとっては結構新鮮な驚きで、仏像彫刻の美術史的評価観も、同じように時代精神、思潮の影響で変化しているのではないかという関心が高まってきました。


そんなところから、一度「近代仏像評価の変遷史と、背景にある時代精神、思潮」をたどってみたいと思っていたのですが、
明治以来現代に至るまで、

「美術史書にどのような仏像が優れた仏像として採り上げられているのか?」
「それぞれの仏像が、どのような評価コメントで語られているのか?」

を調べて整理してみるというのは、結構大変な作業で、時間と手間ヒマがかかりそうです。

ずーと頭の中にあり、いつもモヤモヤしたものがあったのですが、本気で調べてみようという気にもならずに、ズルズルと過ごしてきました。

最近は、随分ヒマになって時間もできるようになりましたし、今のうちにトライしてみないと、もう齢をとって頭もボケて根気も続かないだろうと思って、取り組んでみたのが、
今回の連載 
「仏像を見る眼はうつろうのか?~近代仏像評価の変遷をたどって~」
でした。

果たして、調べ始めてみると、案の定、主要美術史書採り上げ仏像のピックアップ、解説コメントの整理や、関連する書籍、美術研究誌解説、論考にあたってみるという作業が、思った以上に面倒で、根気のいる仕事になってしまいました。


手間暇をかけた割には、ビックリするような新たな発見や、新知見をご紹介するという結果にはならず、誰でもが予想の付く、「極々あたりまえの話」になってしまいました。

連載「Ⅵ おわりに」  でご覧いただいた、「近代仏像評価変遷史のエッセンス」 のとおりです。

近代仏像評価の変遷イメージ

「そんなの常識!」の一言で、終わってしまうのではないでしょうか。

この程度のことをまとめるのに、そんなに時間をかけて調べて、30回もの連載を掲載したのかと、皆さんに笑われてしまいそうです。
自分の考えに都合の良い材料だけを、良いとこ取りで引っ張ってきて、創った一つのストーリーなのかもしれません。

しかし、長らく頭の中で「近代仏像評価変遷史~評価観のうつろい」を整理してみたいと、モヤモヤし続けていた私にとっては、お粗末ながら、そのモヤが晴れたようで、心の荷物を一つおろしたような気持であるのも実感です。


資料の羅列や、単調な文章がダラダラと続くだけという、自己満足的な面白みのない話にお付き合いいただくことになってしまいましたが、


この連載で、


「近代仏像評価変遷史と、その背景にある時代思潮」
いうものに、ご関心、ご興味を持っていただける人が、少しでも増えたのであれば、

このテーマを考えてゆく上での参考材料を、何ほどか提供できて、お役に立ったのであれば、


大変嬉しく存ずる次第です。


古仏探訪~広島県 尾道市・摩訶衍寺の秘仏・十一面観音像の御開帳  【2019.5.11】


【山陽路、広島県屈指の平安古仏、摩訶衍寺の秘仏・十一面観音像】

尾道・摩訶衍寺の秘仏本尊、十一面観音像をご存知でしょうか?

33年に一度のご開帳の、厳重秘仏として守られています。
平安時代、10~11世紀の制作で、重要文化財に指定されています。

摩訶衍寺・秘仏 十一面観音像(平安・重文)「尾道の文化財」掲載写真

摩訶衍寺・秘仏 十一面観音像(平安・重文)「尾道の文化財」掲載写真
摩訶衍寺・秘仏 十一面観音像(平安・重文)
「尾道の文化財」(1988年刊)掲載写真


像高188㎝、ご覧のとおりの堂々たる一木彫の平安古仏です。

山陽路、広島県の平安古仏のうちでも、指を折って数える中に入る仏像だと思います。

地方仏探訪の先人として知られる丸山尚一氏は、自著の中で、摩訶衍寺・十一面観音像を称賛して、このように語っています。

「こんな地方の山寺に、これだけの木彫仏があるとは、じつは訪れるまで知らなかった。
それだけに、この仏像を見たときの喜びは大きかった。

秘仏のために、普段は拝観できないが、住職の好意でよく調べることができた。
はじめて拝む村人たちがかわるがわる集まってきては、自分たちの土地にこんな立派な仏像があったのかと、口々に驚いては帰っていった。」
(丸山尚一著「生きている仏像たち」1970年 読売新聞社刊)

「尾道で最も興味ある寺は、何といってもこの摩訶衍寺であろう。
摩訶衍寺を訪ね、さらに尾道から奥へ入った甲山の龍華寺と旧法音寺を訪ねたことが、瀬戸内側の中国地方の仏像のイメージを決定づけたといっていいかもしれない。

いまも鮮明な印象をもって浮かんでくる寺であり、仏である。」
(丸山尚一著「旅の仏たち・地方仏紀行④」1987年 毎日新聞社刊)

この文章を読んだだけで、是非とも、この眼で直に拝したい気持ちが高まってしまいます。



【33年に一度開扉の厳重秘仏が、17年ぶりの半開帳】


この33年に一度のご開帳の秘仏、摩訶衍寺・十一面観音像が、ご開帳されることになったのです。

摩訶衍寺・秘仏 十一面観音像の半開帳案内ポスター

4月28日、29日の2日間に限っての御開帳です。
前回のご開帳は、2002年のことであったそうですが、今年(2019年)は、17年ぶりに半開帳されることになりました。

この御開帳情報を知ったのは、半年ほど前のことだったのですが、

「あの摩訶衍寺がご開帳になるのだ。
これは、是非とも、拝さなければ!!」

と、満を持して、尾道まで駆けつけたのでありました。



【50年近く前に訪れ、拝観が叶わなかった「宿願の仏像」】


実は、私にとっては、摩訶衍寺の十一面観音像は、「宿願の仏像」ともいうべき仏像だったのです。
どうして「宿願」なのかというと、その昔、50年近く前(昭和47年・1972)に、この観音像を拝そうと摩訶衍寺を訪ねたのですが、拝することが叶わなかった思い出があるのです。

学生時代の話です。
同好会仲間と5~6人で、山陽路の古仏探訪の旅に出かけました。
丸山尚一氏が訪ねたのと同じ道をたどって、尾道の摩訶衍寺と世羅郡甲山町の龍華寺、旧法音寺(文裁寺)の十一面観音を拝しに出かけたのでした。

世羅郡甲山町 龍華寺・十一面観音像.世羅郡甲山町 (旧法音寺)文裁寺・十一面観音像
摩訶衍寺と共に訪ねた、世羅郡甲山町の(左)龍華寺、(右)旧法音寺(文裁寺)の十一面観音

摩訶衍寺は、尾道市街から北東にバスで20~30分ほど、摩訶衍山の山上にあります。
山裾にあるバス停からは、テクテクと山登りです。
8月の暑い夏の盛り、細い山道を40~50分、汗をかきかき歩いて、たどり着きました。
当時は、車が通れる道は無くて、この山道を歩いて上るしかありませんでした。

やっとこさでお寺に到着、
「さあ、これから十一面観音をご拝観」
と意気込んだのですが、何故か、話が通じていなかったのです。

ご拝観に伺いたい旨の手紙を差し上げて、了解いただいたつもりだったのですが、どういう行き違いだったのでしょうか、その日に伺うことも、うまく伝わっていなかったようです。
「せっかく訪ねてきてもらったのだけれど、ご本尊は、厳重秘仏で拝観することは叶わない。」
というお話です。

何とも、ガックリです。
秘仏・十一面観音は、本堂内陣の立派なお厨子の中に祀られているようです。
お厨子の閉ざされた扉を、じっと恨めし気に眺めながら、持参した「生きている仏像たち」の本に掲載されている写真をみて、

「この中に、あの十一面観音が祀られているのだ。」

と、思いを致すしかありませんでした。

「生きている仏像たち」に掲載されている摩訶衍寺・十一面観音像の写真
「生きている仏像たち」の本に掲載されていた
摩訶衍寺・十一面観音像の写真


お寺の奥様やお婆さんが、
「こんなに暑い中、わざわざ訪ねてきたのに、気の毒に・・・・」
と、気を遣って、大きなスイカを丸ごと切っていただき、ご馳走になりました。
汗だくのなかで食べた、そのスイカの甘くて美味しかったこと、忘れられない思い出です。

そんなわけで、摩訶衍寺の十一面観音像は、私にとっては、

「50年越しの、宿願の仏像」

になっていたのでした。



【摩訶衍山 山裾のグランドから、シャトルバスで摩訶衍寺へ】


今回のご開帳、17年ぶりということで、大勢の参詣者で交通混乱が予想されることから、摩訶衍山山裾の学校跡地にある原田芸術文化交流館のグランドに駐車、そこから、マイクロのシャトルバスに乗ってお寺に向かう段取りとなっていました。

摩訶衍寺へのシャトルバスの出る原田芸術文化交流館グランド
摩訶衍寺へのシャトルバスの出る原田芸術文化交流館グランド

マイクロバスに乗り換えて、10分ちょっと、舗装された山道を登っていくと、もう摩訶衍寺に到着です。

摩訶衍寺に到着したシャトルバス
摩訶衍寺に到着したシャトルバス

摩訶衍寺・山門
摩訶衍寺・山門

随分高い処で、眼下に瀬戸内海を望む、山上です。
「昔、ここまで歩いて上ってきたのだ。」
50年前のことが、懐かしく思い出されます。

摩訶衍寺から望む瀬戸内海の眺望
摩訶衍寺から瀬戸内海を眼下に望む眺望

狭い境内には、大勢の方々が、秘仏御開帳に訪れていました。

摩訶衍寺山門の十一面観音・半開帳の看板

摩訶衍寺ご開帳の受付
摩訶衍寺十一面観音・半開帳の看板と拝観受付

摩訶衍寺・本堂~観音像は、かつてこの堂内厨子に祀られていた
摩訶衍寺・本堂~観音像は、かつてこの堂内厨子に祀られていた



【宿願の対面~すらりと長身、キリリと引き締まったお顔が魅力的な観音像】


目指す、十一面観音像は、収蔵庫の中に祀られています。

ご開帳回向柱と収蔵庫
ご開帳回向柱と十一面観音像が安置される収蔵庫

回向柱に手を掌せ、収蔵庫の中へ、そして宿願のご対面です。
十一面観音像のお姿が、眼に入ります。
有難いことに、お像のすぐそばに近寄って、極々眼近に拝することができました。

すらりと長身、腰高なプロポーションの見事な一木彫像です。
穏やかさを匂わせながらも、キリリと引き締まった顔貌が印象的です。

摩訶衍寺・十一面観音像
キリリと引き締まった顔貌の摩訶衍寺・十一面観音像

魅力的で、惹きつけられるものがあります。
目鼻の彫り口には鋭さもあり、面奥も結構深くて、頭部だけを拝していると、平安前期の空気感のある10世紀ごろの制作かなという感じがします。

プロポーションをみると、腰から下、下半身はしっかりと厚みがしっかりあって、どっしり感がありますが、上半身の胸厚は薄目で、ボリューム感が少ないのが特徴的です。
衣文の彫りも、やや浅くて、形式的な整い方といえるようです。

このあたりをみると、11世紀、平安後期の雰囲気を感じます。



【「11世紀初めころの制作」との専門家の解説】


専門家の解説をみると、このように記されています。

「頗る重量感のある堂々とした姿態になるが、衣文の調整は概して浅い。
胸裏あたりに背刳りがしてある。
平安後期の作。」
(「仏像集成第8巻」浜田宣氏解説 1997年 学生社刊)

「本像はヒノキ材の一木造、彫眼の素木像で、・・・・・背面腰部に内割を施し、長方形の蓋板を当てる。
上半身に比べて腰以下に厚みがあり、また腰高に形制されているが、いかにも素材の制約を受けた体幹部の肉付けをみせている。
面長な面相いっぱいに眼鼻立ちを刻んでいるが、ひかえめな彫り口をみせているし、体部の肉取り、条帛、衣文様の彫りも形式的に整美され、初期一木彫像のもつ質量感からは遠ざかっている。
作期は十一世紀初頭頃と考えて大過なかろう。」
(「国宝重要文化財・仏教美術~中国2」1980年 奈良国立博物館刊)

以上のように、11世紀に入ったころの一木彫像ということのようです。

すらりとのびやかな長身、腰高のプロポーションが印象的です。
そして、キリリと締まった凛とした顔貌には、強く惹きつけられるものがあります。
地方作の匂いを漂わせる平安古仏ですが、こうした地方仏の中でも、見事な仏像であると実感しました。

「宿願の仏像」に、ようやく出会え、やってきた甲斐がありました。



【「日本の秘仏ベスト10」にラインアップされている、摩訶衍寺・十一面観音像】


受付で、ご開帳記念の「お札」や「名刺大の観音像のお写真」などを頂きました。

頂戴したお写真には、
「33年待ってでも見たい 日本の秘仏ベスト10」
と書かれていました。

お寺で頂戴した秘仏十一面観音像のお写真
お寺で頂戴した秘仏十一面観音像のお写真

「日本の秘仏ベスト10」というのは、どういう仏像のことなどだろうと、NETで調べてみた処、
雑誌「和楽」2015年9月号に

「死ぬまでに見たい! ニッポンの秘仏ベスト10」

と題する、特集が組まれているのを見つけました

その第7番目に「33年待ってでも見たい 摩訶衍寺の十一面観音像」がラインアップされていました。

因みに、この特集で選ばれた
「死ぬまでに見たい! ニッポンの秘仏ベスト10」
は、以下のとおりでした。

「死ぬまでに見たい! ニッポンの秘仏ベスト10」(「和楽」特集)
「死ぬまでに見たい! ニッポンの秘仏ベスト10」一覧(「和楽」2015年9月号特集)

ラインアップをみると、「秘仏」と呼ぶには、比較的簡単に拝することが出来たり、展覧会に出展された仏像もありますので、これを「ニッポンの秘仏ベスト10」と呼んでいいのかな?という感じもしてしまいます。

私は、宿願の摩訶衍寺・十一面観音像の拝観を果たすことができましたので、この

「死ぬまでに見たい! ニッポンの秘仏ベスト10」

を、もう全部拝したことになりました。

“死ぬまでに見たい!” を、これでもう全部見てしまったということは・・・・??」

と、何とも妙な気分になってしまいました。



【大注目の大変古様な一木彫像~並んで祀られる千手観音像】


収蔵庫には、秘仏・十一面観音像の隣に、腕の欠失した千手観音像が安置されていました。

摩訶衍寺・千手観音像(「尾道の文化財」掲載写真)
摩訶衍寺・千手観音像(平安・重要美術品)
「尾道の文化財」(1988年刊)掲載写真


像高104㎝、ご覧のような、千手観音像です。

一目見ただけで、大変古様な平安の一木彫像であることがわかります。
蓮肉まで一材から彫出されており、千手腕部の遺された部分も体躯と一材彫出のようです。

摩訶衍寺・千手観音像(蓮實重康博士旧蔵美術史資料データベース写真).摩訶衍寺・千手観音像(蓮實重康博士旧蔵美術史資料データベース写真)
摩訶衍寺・千手観音像の脚部、上半身写真
(蓮實重康博士旧蔵美術史資料データベース掲載写真)


地方的な匂いがプンプンする仏像ですが、十一面観音像よりも制作年代が一段と古い像であることは間違いありません。
戦前には、重要美術品の指定を受けていました。

丸山尚一氏も、この千手観音像に強く惹かれるものを感じたようで、このように語っています。

「一木彫りの千手像も、豊かさをもった魅力のある彫像である。
・・・・・・
側面から見たとき、その太い首から頭にかけての強靭な肉付けが、白熊の首筋を連想させた。
この強靭な肉付けこそ、作者がこの彫像に託した強い作意の表われなのであろう。
実は改めてこの寺を訪ねることになったのも、この小柄だが強さを全身にみなぎらせた千手像の魅力に触れたかったためであった。」
(丸山尚一著「旅の仏たち・地方仏紀行④」1987年 毎日新聞社刊)


この千手観音像、採り上げた本や資料を見かけたこともなく、ほとんど知られていないといってよい平安古仏だと思います。
10世紀以前に遡る制作のように感じます。
造形表現も制作技法も大変古様な地方作の一木彫像として、もっともっと注目を浴びてよい、興味深い古像だと思いました。



摩訶衍寺の秘仏・十一面観音像のご開帳。

50年越しの「宿願の仏像」に出会うことができ、満足感一杯でお寺を後にしました。



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