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観仏日々帖

トピックス~堂本印象美術館で初公開の阿弥陀如来像、湛慶作か? 【2019.7.21】


【「湛慶作の阿弥陀如来像、新発見か?」のニュース記事にビックリ】


「作者は天才仏師、運慶の長男? 優雅な秘仏を公開」


ネット検索の新聞記事で、こんな見出しを見つけて、ちょっとビックリしました。
2019.6.28付の〈サンケイニュースの記事〉です。

記事は、こんな出だしで始まります。

鎌倉時代の大仏師、湛慶(たんけい)の仏像?

そんな評判を呼ぶ仏像が京都府立堂本印象美術館(京都市北区)で開催中の「堂本印象 ほとけを描く ほとけを愛でる」で初出展され、美術ファン、研究者の間で話題を呼んでいる。

京都出身の日本画家、堂本印象(1891-1975)のコレクションの1体だが、湛慶といえば、東大寺南大門の仁王像制作などで知られる運慶の長男。
どことなく父の作品を追いかけている姿と形が、見る人に「いかにも!!」といった印象を与える。

堂本印象蔵・阿弥陀如来像

堂本印象蔵・阿弥陀如来像
湛慶作かと記事で紹介された
初公開堂本印象蔵・阿弥陀如来像



【記者の実感がこめられた「読ませる記事」に興味津々】


園田和洋氏という方がかかれた署名記事ですが、仏像彫刻に造詣の深い方のようで、御自身の実感が盛り込まれた「読ませる記事」で、愉しく読みました。

記事は、このように続きます。

日々、詰めている京都府庁の記者室に投げ込まれた堂本印象美術館のチラシ。
そこに掲載された一枚の写真を見て、
「まだ、こんな仏像が未公開のまま残っていたのか」
と驚いてしまった。

仏というより人間に近い写実的な表現で、ひと目みて、平安時代末期から鎌倉時代にかけて奈良や京都、鎌倉などを中心に活躍した運慶や快慶を含む一大仏師集団「慶派」の作品であることはわかった。

同美術館では初出展の阿弥陀如来坐像。印象の自宅に置いていたらしく、府教委文化財保護課に聞いてみても、調査した記録もなく、どうやら人目に出るのも初めてらしい。
かつて仏像を追いかけて寺院巡りをしていたころの記憶を呼び起こすような出会いだった。

さっそく同美術館の松尾敦子学芸員に問い合わせたところ、
「目利きとして知られる堂本印象だけに、すばらしい作品。彫刻史上貴重な作例で、今回の展示の目玉のひとつです」
と絶賛の声を惜しまなかった。


興味津々の語り口で、つい惹き込まれてしまいます。

このあとも記事が続きますが、ポイントだけをなぞると、次のようなものかと思います。

像高約80㎝の阿弥陀像で、運慶作、興福寺北円堂・弥勒仏像を模したような造形だが、本像は彫眼の弥勒像と違い玉眼で、全体的に穏やかな仕上がりになっており湛慶風をうかがわせるものがある。

作者を示す胎内銘などはなく、湛慶作かどうかの根拠はないが、京都市立芸大の礪波(となみ)恵昭教授は、
「特徴は運慶後の、湛慶と同じ世代のものに間違いない。
釈迦や阿弥陀、藥師などといった如来像で湛慶作がないだけに貴重」
とのコメントで、今後の調査に期待がかかる。

以上のような内容でした。

単なる、プレス発表の取材記事ではなくて、ちょっとドキュメント風の「読ませる記事」だと感じられたことと思います。



【現状では、「湛慶作の可能性もある」注目仏像という見解?】


「見出し」を見たときには、

「エーッ、湛慶作の仏像の新発見か!」

と、驚いたのですが、読み進んでいくと、

「初公開の阿弥陀如来像は、鎌倉前期の慶派の作とみられる佳品で、湛慶の世代頃の制作を思われる。
湛慶作という可能性もある。」

ということのようです。

「湛慶作か?」というニュースが掲載されたのは、これだけで、他の新聞各紙には、湛慶作の可能性にふれた記事は見つかりませんでした。

「湛慶作?仏像の発見」というプレスリリースがあったわけではなくて、この阿弥陀如来像が湛慶作であってほしいという、執筆記者の方の気持ちがこめられ、記事掲載されたのかなという感じがしました。



【佳品ぞろいの知られざる堂本印象所蔵の仏像コレクション】


湛慶作かどうかはともかくとして、日本画檀の巨匠、堂本印象(1891-1975)の秘蔵コレクションに本像をはじめとした佳品の古仏があり、それが展覧会で初公開されているというのは、耳寄りな話しです。

京都府立堂本印象美術館で、開催中の展覧会です。

「堂本印象 ほとけを描く ほとけを愛でる
2019年5月29日(水)~9月23日(月・祝)


「堂本印象 ほとけを描く ほとけを愛でる展」チラシ

「堂本印象 ほとけを描く ほとけを愛でる展」チラシ


生涯通して多くの仏画を手掛けた堂本印象は、仏像も所蔵していたようで、本展では堂本印象コレクションから平安~鎌倉期の4体の仏像が初公開、初出展されるということです。

堂本印象蔵のこのような仏像があるというのは、私もまったく知りませんでした。
展覧会チラシや、掲載写真をみると、小ぶりながらなかなかの佳品という感じがします。

知られざる仏像の初公開ということで、大変興味深いものがあります。



【意外に少ない湛慶真作が明らかな仏像~如来形像は無し】


ところで、この初公開の阿弥陀如来像、「湛慶作の可能性」について、皆さんどのように感じられたでしょうか?

私は、鎌倉彫刻の世界は、どうも疎くて、

「湛慶風といわれれば、そんなものかという感じで、よくわからない。」

というのが、本音のところです。

湛慶の事蹟は、史料からもいろいろと伺えるのですが、湛慶の制作とはっきり言える作品は、意外にもそんなに多くありません。

父運慶と並んでその名が連ねられるものを外すと、湛慶の真作が明らかとされる作品は、

雪蹊寺・毘沙門天、吉祥天、善膩師童子像(嘉禄元年・1225年頃)、蓮華王院本尊千手観音坐像(建長6年・1251)及び千体千手観音像のうちの9躯

だけです。

湛慶作~高知県雪蹊寺・毘沙門天、吉祥天、善膩師童子像
湛慶作~高知県雪蹊寺・毘沙門天、吉祥天、善膩師童子像

湛慶作~三十三間堂本尊・千手観音坐像
湛慶作~三十三間堂本尊・千手観音坐像

また、湛慶作に間違いないとみられるものには、

高山寺・善妙神立像、白光神立像、狛犬3対、神鹿像1対、仔犬像

があります。

湛慶作~高山寺・善妙神立像湛慶作~高山寺・白光神立像
湛慶作~高山寺・(左)善妙神立像、(右)白光神立像

湛慶作~高山寺・仔犬像
湛慶作~高山寺・仔犬像

以上が、一般に湛慶作として認められている作品です。

これらの作品をみてみても、

「いかにも湛慶の作風」

といった、誰にでもわかるような湛慶風の特徴がくっきりと見受けられるという訳ではありません。

初公開の堂本コレクションの阿弥陀如来像は、「湛慶作か?」と云われても、素人には、難しいというか、なかなか悩ましい処です。



【湛慶作の可能性が云われる如来形像は?】


記事にもありましたが、

「湛慶作と特定されている如来形像は、現在の処、一躯もない。」

ということです。

確かにそう云われてみれば、そのとおりです。

湛慶の作風については、
「運慶の作風を基盤として、量感を減じて洗練し、写実表現を推し進めた」
という風に云われているようですが、そんな作風概念だけでは、また湛慶作という諸像と較べ併せても、同じ如来形像ではないだけに、似ているのか似ていないのか、イメージが沸いてきません。

それでは如来形の仏像で、湛慶作の可能性が論じられている像には、どのようなものがあるのでしょうか?

いろいろ議論はあるのでしょうが、

西園寺・阿弥陀如来坐像(円派仏師隆円作との見方もあるようです)、西念寺・阿弥陀如来坐像、西寿寺・阿弥陀如来坐像

などが、作風が湛慶風で、湛慶作の可能性があるとされているようです。

西園寺・阿弥陀如来坐像(鎌倉・重文)
京都市上京区~西園寺・阿弥陀如来坐像(鎌倉・重文)

京都市左京区~西念寺・阿弥陀如来像(鎌倉)京都市右京区~西寿寺・阿弥陀如来像(鎌倉)
(左)京都市左京区~西念寺・阿弥陀如来像(鎌倉)、(右)京都市右京区~西寿寺・阿弥陀如来像(鎌倉)



【湛慶風か?  私には難し過ぎてよくわからない堂本コレクション像】


これらの「湛慶作か?と云われている如来形像」と較べてみて、堂本コレクション像はどうでしょうか?

堂本印象蔵・阿弥陀如来坐像
堂本印象蔵・阿弥陀如来坐像

「ウーン、よくわからない!!」

鎌倉彫刻にとんと疎い私には、やっぱりそんな感じの印象です。


実物を見ていないで、写真で見る限りの個人的な印象では、
堂本コレクション像は、他の湛慶作かといわれる如来形諸像と較べて、ちょっと躍動感が少なく、線が弱いような感じもしますが・・・・・・・

作風から、作者である仏師を特定していくというのは、なかなか難しいことだと、今更ながらに思った次第です。


皆さんは、どのように感じられたでしょうか?



あれこれ~「仏像を見る眼はうつろうのか?~近代仏像評価の変遷をたどって」 連載が終わりました 【2019.07.06】


昨年(2018年)11月からHP「日々是古仏愛好」に連載していました

「仏像をみる眼はうつろうのか?~近代仏像評価の変遷をたどって」

が、ようやく終了いたしました。

仏像評価の変遷タイトル

30回、約8ヶ月という長きにわたる連載になってしまいました。

マニアックで単調な話でしたので、ずっとお読みいただいた方は少なかったのではないかと思うのですが、お付き合いいただきありがとうございました。


「近代仏像評価の変遷をたどってみたい」

このような思いに駆られてから、もう随分の年月が経つのですが、やっとのことで、お粗末なものながら纏めることができて、ちょっとホッとしているところです。

「明治以来、優れた傑作と云われる仏像は、どのようにうつろい、変遷しているのだろうか?」

「仏像の美術的評価観(美のモノサシ)と、折々の時代精神、思潮とはどのようにかかわりあっているのだろうか?」

私が、こんな「近代仏像評価変遷史」とでも云うテーマに、強い関心を持つようになったきっかけは、2冊の本を読んでからではないかと思います。
2冊とも、私にとっては鮮烈で、長く心に残る本になった本です。


一冊は、
「奇想の系譜」辻惟雄著 1970年 美術出版社刊
です。

奇想の系譜


この本は、あまりにも著名な本なので、皆さんもよくご存知のことと思います。
江戸絵画の異端とみられた岩佐又兵衛、伊藤若冲、曽我蕭白などを広く世に知らしめ、美術史の脇役であった彼等を、江戸絵画のスターに押し上げたエポックメーキングな著作と云われています。

この本で採り上げられた若冲をはじめとする画家達の、昨今の人気上昇ぶりを見ていると、また長らく本流といわれた狩野派の絵の人気の凋落ぶりをみると、

「美のモノサシ、評価観というのは、時代とともにこれほどに変わるものか!」

と感じました。


仏像彫刻の世界でも、戦後になって、神護寺・薬師如来像に代表される平安初期一木彫像の評価や人気が急上昇します。
「奇想の系譜」の話とは直接関係がないのですが、「古典的写実、理想美」の天平彫刻が人気の本流であったのが、戦後になって、「魁偉、森厳、迫力」といった言葉で語られる、異貌の平安初期彫刻が注目を浴びるようになるのを、つい連想してしまいました。

「近代仏像彫刻の評価観の変遷」を追ってみたいという思いが湧いてくる、一つのきっかけになりました


もう1冊は、
「法隆寺への精神史」 井上章一著 1994年 弘文堂刊
という本です。

法隆寺への精神史


連載の中でもご紹介しましたが、本来ブレることが無いはずの学問領域も、折々の時代精神、時代思潮に大きな影響を受けている、その呪縛の中にあることを説いた本です。

同じ法隆寺建築についても、

明治期には
「法隆寺にはギリシャ文化が息づいている、それがエンタシス」

大正期には
「法隆寺は日本独自の文化により生み出された、それが法隆寺式伽藍配置」

と、声高に論じられていたことが、そのことを象徴的に物語っているという話です。

この言説、私にとっては結構新鮮な驚きで、仏像彫刻の美術史的評価観も、同じように時代精神、思潮の影響で変化しているのではないかという関心が高まってきました。


そんなところから、一度「近代仏像評価の変遷史と、背景にある時代精神、思潮」をたどってみたいと思っていたのですが、
明治以来現代に至るまで、

「美術史書にどのような仏像が優れた仏像として採り上げられているのか?」
「それぞれの仏像が、どのような評価コメントで語られているのか?」

を調べて整理してみるというのは、結構大変な作業で、時間と手間ヒマがかかりそうです。

ずーと頭の中にあり、いつもモヤモヤしたものがあったのですが、本気で調べてみようという気にもならずに、ズルズルと過ごしてきました。

最近は、随分ヒマになって時間もできるようになりましたし、今のうちにトライしてみないと、もう齢をとって頭もボケて根気も続かないだろうと思って、取り組んでみたのが、
今回の連載 
「仏像を見る眼はうつろうのか?~近代仏像評価の変遷をたどって~」
でした。

果たして、調べ始めてみると、案の定、主要美術史書採り上げ仏像のピックアップ、解説コメントの整理や、関連する書籍、美術研究誌解説、論考にあたってみるという作業が、思った以上に面倒で、根気のいる仕事になってしまいました。


手間暇をかけた割には、ビックリするような新たな発見や、新知見をご紹介するという結果にはならず、誰でもが予想の付く、「極々あたりまえの話」になってしまいました。

連載「Ⅵ おわりに」  でご覧いただいた、「近代仏像評価変遷史のエッセンス」 のとおりです。

近代仏像評価の変遷イメージ

「そんなの常識!」の一言で、終わってしまうのではないでしょうか。

この程度のことをまとめるのに、そんなに時間をかけて調べて、30回もの連載を掲載したのかと、皆さんに笑われてしまいそうです。
自分の考えに都合の良い材料だけを、良いとこ取りで引っ張ってきて、創った一つのストーリーなのかもしれません。

しかし、長らく頭の中で「近代仏像評価変遷史~評価観のうつろい」を整理してみたいと、モヤモヤし続けていた私にとっては、お粗末ながら、そのモヤが晴れたようで、心の荷物を一つおろしたような気持であるのも実感です。


資料の羅列や、単調な文章がダラダラと続くだけという、自己満足的な面白みのない話にお付き合いいただくことになってしまいましたが、


この連載で、


「近代仏像評価変遷史と、その背景にある時代思潮」
いうものに、ご関心、ご興味を持っていただける人が、少しでも増えたのであれば、

このテーマを考えてゆく上での参考材料を、何ほどか提供できて、お役に立ったのであれば、


大変嬉しく存ずる次第です。


古仏探訪~広島県 尾道市・摩訶衍寺の秘仏・十一面観音像の御開帳  【2019.5.11】


【山陽路、広島県屈指の平安古仏、摩訶衍寺の秘仏・十一面観音像】

尾道・摩訶衍寺の秘仏本尊、十一面観音像をご存知でしょうか?

33年に一度のご開帳の、厳重秘仏として守られています。
平安時代、10~11世紀の制作で、重要文化財に指定されています。

摩訶衍寺・秘仏 十一面観音像(平安・重文)「尾道の文化財」掲載写真

摩訶衍寺・秘仏 十一面観音像(平安・重文)「尾道の文化財」掲載写真
摩訶衍寺・秘仏 十一面観音像(平安・重文)
「尾道の文化財」(1988年刊)掲載写真


像高188㎝、ご覧のとおりの堂々たる一木彫の平安古仏です。

山陽路、広島県の平安古仏のうちでも、指を折って数える中に入る仏像だと思います。

地方仏探訪の先人として知られる丸山尚一氏は、自著の中で、摩訶衍寺・十一面観音像を称賛して、このように語っています。

「こんな地方の山寺に、これだけの木彫仏があるとは、じつは訪れるまで知らなかった。
それだけに、この仏像を見たときの喜びは大きかった。

秘仏のために、普段は拝観できないが、住職の好意でよく調べることができた。
はじめて拝む村人たちがかわるがわる集まってきては、自分たちの土地にこんな立派な仏像があったのかと、口々に驚いては帰っていった。」
(丸山尚一著「生きている仏像たち」1970年 読売新聞社刊)

「尾道で最も興味ある寺は、何といってもこの摩訶衍寺であろう。
摩訶衍寺を訪ね、さらに尾道から奥へ入った甲山の龍華寺と旧法音寺を訪ねたことが、瀬戸内側の中国地方の仏像のイメージを決定づけたといっていいかもしれない。

いまも鮮明な印象をもって浮かんでくる寺であり、仏である。」
(丸山尚一著「旅の仏たち・地方仏紀行④」1987年 毎日新聞社刊)

この文章を読んだだけで、是非とも、この眼で直に拝したい気持ちが高まってしまいます。



【33年に一度開扉の厳重秘仏が、17年ぶりの半開帳】


この33年に一度のご開帳の秘仏、摩訶衍寺・十一面観音像が、ご開帳されることになったのです。

摩訶衍寺・秘仏 十一面観音像の半開帳案内ポスター

4月28日、29日の2日間に限っての御開帳です。
前回のご開帳は、2002年のことであったそうですが、今年(2019年)は、17年ぶりに半開帳されることになりました。

この御開帳情報を知ったのは、半年ほど前のことだったのですが、

「あの摩訶衍寺がご開帳になるのだ。
これは、是非とも、拝さなければ!!」

と、満を持して、尾道まで駆けつけたのでありました。



【50年近く前に訪れ、拝観が叶わなかった「宿願の仏像」】


実は、私にとっては、摩訶衍寺の十一面観音像は、「宿願の仏像」ともいうべき仏像だったのです。
どうして「宿願」なのかというと、その昔、50年近く前(昭和47年・1972)に、この観音像を拝そうと摩訶衍寺を訪ねたのですが、拝することが叶わなかった思い出があるのです。

学生時代の話です。
同好会仲間と5~6人で、山陽路の古仏探訪の旅に出かけました。
丸山尚一氏が訪ねたのと同じ道をたどって、尾道の摩訶衍寺と世羅郡甲山町の龍華寺、旧法音寺(文裁寺)の十一面観音を拝しに出かけたのでした。

世羅郡甲山町 龍華寺・十一面観音像.世羅郡甲山町 (旧法音寺)文裁寺・十一面観音像
摩訶衍寺と共に訪ねた、世羅郡甲山町の(左)龍華寺、(右)旧法音寺(文裁寺)の十一面観音

摩訶衍寺は、尾道市街から北東にバスで20~30分ほど、摩訶衍山の山上にあります。
山裾にあるバス停からは、テクテクと山登りです。
8月の暑い夏の盛り、細い山道を40~50分、汗をかきかき歩いて、たどり着きました。
当時は、車が通れる道は無くて、この山道を歩いて上るしかありませんでした。

やっとこさでお寺に到着、
「さあ、これから十一面観音をご拝観」
と意気込んだのですが、何故か、話が通じていなかったのです。

ご拝観に伺いたい旨の手紙を差し上げて、了解いただいたつもりだったのですが、どういう行き違いだったのでしょうか、その日に伺うことも、うまく伝わっていなかったようです。
「せっかく訪ねてきてもらったのだけれど、ご本尊は、厳重秘仏で拝観することは叶わない。」
というお話です。

何とも、ガックリです。
秘仏・十一面観音は、本堂内陣の立派なお厨子の中に祀られているようです。
お厨子の閉ざされた扉を、じっと恨めし気に眺めながら、持参した「生きている仏像たち」の本に掲載されている写真をみて、

「この中に、あの十一面観音が祀られているのだ。」

と、思いを致すしかありませんでした。

「生きている仏像たち」に掲載されている摩訶衍寺・十一面観音像の写真
「生きている仏像たち」の本に掲載されていた
摩訶衍寺・十一面観音像の写真


お寺の奥様やお婆さんが、
「こんなに暑い中、わざわざ訪ねてきたのに、気の毒に・・・・」
と、気を遣って、大きなスイカを丸ごと切っていただき、ご馳走になりました。
汗だくのなかで食べた、そのスイカの甘くて美味しかったこと、忘れられない思い出です。

そんなわけで、摩訶衍寺の十一面観音像は、私にとっては、

「50年越しの、宿願の仏像」

になっていたのでした。



【摩訶衍山 山裾のグランドから、シャトルバスで摩訶衍寺へ】


今回のご開帳、17年ぶりということで、大勢の参詣者で交通混乱が予想されることから、摩訶衍山山裾の学校跡地にある原田芸術文化交流館のグランドに駐車、そこから、マイクロのシャトルバスに乗ってお寺に向かう段取りとなっていました。

摩訶衍寺へのシャトルバスの出る原田芸術文化交流館グランド
摩訶衍寺へのシャトルバスの出る原田芸術文化交流館グランド

マイクロバスに乗り換えて、10分ちょっと、舗装された山道を登っていくと、もう摩訶衍寺に到着です。

摩訶衍寺に到着したシャトルバス
摩訶衍寺に到着したシャトルバス

摩訶衍寺・山門
摩訶衍寺・山門

随分高い処で、眼下に瀬戸内海を望む、山上です。
「昔、ここまで歩いて上ってきたのだ。」
50年前のことが、懐かしく思い出されます。

摩訶衍寺から望む瀬戸内海の眺望
摩訶衍寺から瀬戸内海を眼下に望む眺望

狭い境内には、大勢の方々が、秘仏御開帳に訪れていました。

摩訶衍寺山門の十一面観音・半開帳の看板

摩訶衍寺ご開帳の受付
摩訶衍寺十一面観音・半開帳の看板と拝観受付

摩訶衍寺・本堂~観音像は、かつてこの堂内厨子に祀られていた
摩訶衍寺・本堂~観音像は、かつてこの堂内厨子に祀られていた



【宿願の対面~すらりと長身、キリリと引き締まったお顔が魅力的な観音像】


目指す、十一面観音像は、収蔵庫の中に祀られています。

ご開帳回向柱と収蔵庫
ご開帳回向柱と十一面観音像が安置される収蔵庫

回向柱に手を掌せ、収蔵庫の中へ、そして宿願のご対面です。
十一面観音像のお姿が、眼に入ります。
有難いことに、お像のすぐそばに近寄って、極々眼近に拝することができました。

すらりと長身、腰高なプロポーションの見事な一木彫像です。
穏やかさを匂わせながらも、キリリと引き締まった顔貌が印象的です。

摩訶衍寺・十一面観音像
キリリと引き締まった顔貌の摩訶衍寺・十一面観音像

魅力的で、惹きつけられるものがあります。
目鼻の彫り口には鋭さもあり、面奥も結構深くて、頭部だけを拝していると、平安前期の空気感のある10世紀ごろの制作かなという感じがします。

プロポーションをみると、腰から下、下半身はしっかりと厚みがしっかりあって、どっしり感がありますが、上半身の胸厚は薄目で、ボリューム感が少ないのが特徴的です。
衣文の彫りも、やや浅くて、形式的な整い方といえるようです。

このあたりをみると、11世紀、平安後期の雰囲気を感じます。



【「11世紀初めころの制作」との専門家の解説】


専門家の解説をみると、このように記されています。

「頗る重量感のある堂々とした姿態になるが、衣文の調整は概して浅い。
胸裏あたりに背刳りがしてある。
平安後期の作。」
(「仏像集成第8巻」浜田宣氏解説 1997年 学生社刊)

「本像はヒノキ材の一木造、彫眼の素木像で、・・・・・背面腰部に内割を施し、長方形の蓋板を当てる。
上半身に比べて腰以下に厚みがあり、また腰高に形制されているが、いかにも素材の制約を受けた体幹部の肉付けをみせている。
面長な面相いっぱいに眼鼻立ちを刻んでいるが、ひかえめな彫り口をみせているし、体部の肉取り、条帛、衣文様の彫りも形式的に整美され、初期一木彫像のもつ質量感からは遠ざかっている。
作期は十一世紀初頭頃と考えて大過なかろう。」
(「国宝重要文化財・仏教美術~中国2」1980年 奈良国立博物館刊)

以上のように、11世紀に入ったころの一木彫像ということのようです。

すらりとのびやかな長身、腰高のプロポーションが印象的です。
そして、キリリと締まった凛とした顔貌には、強く惹きつけられるものがあります。
地方作の匂いを漂わせる平安古仏ですが、こうした地方仏の中でも、見事な仏像であると実感しました。

「宿願の仏像」に、ようやく出会え、やってきた甲斐がありました。



【「日本の秘仏ベスト10」にラインアップされている、摩訶衍寺・十一面観音像】


受付で、ご開帳記念の「お札」や「名刺大の観音像のお写真」などを頂きました。

頂戴したお写真には、
「33年待ってでも見たい 日本の秘仏ベスト10」
と書かれていました。

お寺で頂戴した秘仏十一面観音像のお写真
お寺で頂戴した秘仏十一面観音像のお写真

「日本の秘仏ベスト10」というのは、どういう仏像のことなどだろうと、NETで調べてみた処、
雑誌「和楽」2015年9月号に

「死ぬまでに見たい! ニッポンの秘仏ベスト10」

と題する、特集が組まれているのを見つけました

その第7番目に「33年待ってでも見たい 摩訶衍寺の十一面観音像」がラインアップされていました。

因みに、この特集で選ばれた
「死ぬまでに見たい! ニッポンの秘仏ベスト10」
は、以下のとおりでした。

「死ぬまでに見たい! ニッポンの秘仏ベスト10」(「和楽」特集)
「死ぬまでに見たい! ニッポンの秘仏ベスト10」一覧(「和楽」2015年9月号特集)

ラインアップをみると、「秘仏」と呼ぶには、比較的簡単に拝することが出来たり、展覧会に出展された仏像もありますので、これを「ニッポンの秘仏ベスト10」と呼んでいいのかな?という感じもしてしまいます。

私は、宿願の摩訶衍寺・十一面観音像の拝観を果たすことができましたので、この

「死ぬまでに見たい! ニッポンの秘仏ベスト10」

を、もう全部拝したことになりました。

“死ぬまでに見たい!” を、これでもう全部見てしまったということは・・・・??」

と、何とも妙な気分になってしまいました。



【大注目の大変古様な一木彫像~並んで祀られる千手観音像】


収蔵庫には、秘仏・十一面観音像の隣に、腕の欠失した千手観音像が安置されていました。

摩訶衍寺・千手観音像(「尾道の文化財」掲載写真)
摩訶衍寺・千手観音像(平安・重要美術品)
「尾道の文化財」(1988年刊)掲載写真


像高104㎝、ご覧のような、千手観音像です。

一目見ただけで、大変古様な平安の一木彫像であることがわかります。
蓮肉まで一材から彫出されており、千手腕部の遺された部分も体躯と一材彫出のようです。

摩訶衍寺・千手観音像(蓮實重康博士旧蔵美術史資料データベース写真).摩訶衍寺・千手観音像(蓮實重康博士旧蔵美術史資料データベース写真)
摩訶衍寺・千手観音像の脚部、上半身写真
(蓮實重康博士旧蔵美術史資料データベース掲載写真)


地方的な匂いがプンプンする仏像ですが、十一面観音像よりも制作年代が一段と古い像であることは間違いありません。
戦前には、重要美術品の指定を受けていました。

丸山尚一氏も、この千手観音像に強く惹かれるものを感じたようで、このように語っています。

「一木彫りの千手像も、豊かさをもった魅力のある彫像である。
・・・・・・
側面から見たとき、その太い首から頭にかけての強靭な肉付けが、白熊の首筋を連想させた。
この強靭な肉付けこそ、作者がこの彫像に託した強い作意の表われなのであろう。
実は改めてこの寺を訪ねることになったのも、この小柄だが強さを全身にみなぎらせた千手像の魅力に触れたかったためであった。」
(丸山尚一著「旅の仏たち・地方仏紀行④」1987年 毎日新聞社刊)


この千手観音像、採り上げた本や資料を見かけたこともなく、ほとんど知られていないといってよい平安古仏だと思います。
10世紀以前に遡る制作のように感じます。
造形表現も制作技法も大変古様な地方作の一木彫像として、もっともっと注目を浴びてよい、興味深い古像だと思いました。



摩訶衍寺の秘仏・十一面観音像のご開帳。

50年越しの「宿願の仏像」に出会うことができ、満足感一杯でお寺を後にしました。



新刊旧刊案内~「ミズノ先生の仏像のみかた」 水野敬三郎著  【2019.3.28】


仏像愛好者には、大変愉しい本が出版されました。


「ミズノ先生の仏像のみかた」 水野敬三郎著
2019年2月 講談社刊 【246P】 1800円


ミズノ先生の仏像のみかた

本の帯のキャッチコピーには、

「世界一確かな眼を持つ先生が語る  世界一確かな仏像講義」

と、あります。
水野敬三郎氏
水野敬三郎氏



著者、水野敬三郎氏は、ご存知の通り、仏教彫刻史研究の権威、泰斗といえる仁です。

現在、87歳ですが、東京芸術大学名誉教授、半蔵門ミュージアム館長を務められています。

「奈良六大寺大観」「平等院大観」「醍醐寺大観」などの執筆の他、現在発刊継続中の「日本彫刻史基礎資料集成・鎌倉時代造像銘記編」の編集責任者でもあります。



【彫刻史研究の大御所が、「仏像のみかた」をやさしく対話する本】


その仏教彫刻史研究界の大御所である水野敬三郎氏が、若いインタビュアーの質問に答えるという会話形式で、「仏像のみかた」が語られる本になっています。

冒頭、「はじめに」に、本書が出来たいきさつについて、このように綴られていました。

「数年前、知り合いを通じて紹介された編集者から、仏像のみかたについて話を聞きたい、できたらそんな本を作りたいという要望がありました。
歳は30代後半という彼女は、以前から京都や奈良の古寺めぐりが好きで、特に最近になって仏像についてもっと知りたくなったとのことでした。

そこで、ときどきお会いして質問に答えるかたちで仏像のみかたについて話をするようになり、その対話の積み重ねがこのような本になったわけです。
教室で講義するような堅苦しい感じではなく、お茶やときにはお酒を飲みながら気軽に話しましたが、時には脱線しそうになったり、少し専門的なところもあったりします。
・・・・・・
とにかく最初から最後まで通して読んでいただければ、仏像のみかたにもいろいろあることがわかり、こんな角度からみるのもおもしろいかなと思っていただけると思います。」

そのとおりで、大変優しい語り口で、愉しく読むことが出来ました。



【初心者向けの仏像入門書のような目次構成】


目次は、ご覧のようになっています。

ミズノ先生の仏像のみかた・目次2ミズノ先生の仏像のみかた・目次1

目次を眺めていると、仏像好きになった初心者向けの入門書的なガイダンス本のように思えます。

ところが、おっと どっこい!

読み進むうちに、一瞬でも、そんな侮った気持ちになったことを、ちょっと反省してしまいました。



【実は、豊かな識見に裏打ちされた、深イイ話があちこちに
~やさしい語り口ながら読み応え十分】

会話形式のやさしい語り口なのですが、長年の研究蓄積、深い見識に裏打ちされた、興味深い話、深イイ話が、あちこちにちりばめられています。

入門書のようですが、むしろある程度のレベルの仏像愛好者が、相槌を打ちながら、ちょっとした気づきを感じながら、気楽に読むのが最もフィットしているような気がする本です。

中身については、買って読んでいただくしかないのですが、ほんの一節を一二ご紹介すると、
こんな感じです。

《耳のかたち》

「平安後期の耳には特色があります。
定朝の平等院阿弥陀如来の耳が典型的ですが、・・・・全体が立体的ではなく非常に平たい。
・・・・・・・
それが鎌倉になると、もっと立体的になってきます。
深く彫って、上脚と下脚の出が大きく、それで立体的になってくる。

そしてまた、つくり手の個人的な差が大きく出てきます。
康慶の耳は、わりあいわかりやすい特徴があります。
耳の前側の部分が前に出てくるんですよ。
耳輪の前の端がぐ~っと巻いて、下脚の曲線も強く巻くのです。

運慶もそこから出発しています。
興福寺の木造仏頭は、2007年に運慶の作と確定しました。
ただ、この仏頭の耳は運慶でもわりあい変わった耳なのです。
それでかつて私は、この仏頭は運慶じゃないと言っていたのですが、しくじってしまいました(笑)。」


ミズノ先生の仏像のみかた・内容1
「ミズノ先生の仏像のみかた」該当ページ

《木彫~カヤと檀像》

「この頃の木彫像には、木寄せにも特徴があるものです。
そこに檀像の影響をみることができます。

例として神護寺の薬師如来があげられます。
突き出した腕のところを、ふつうだったら、腕と同じ方向に木目が通った材を使います。
ところがこの像は縦の材木を使って、体と木目を揃えているのです。

もう一つ例をあげれば、新薬師寺の薬師も神護寺の薬師と同じく縦の材を使って腕の木目を体の木目と揃えています。
・・・・・
ところがこの像の場合は、丸太を10個ぐらいに割った縦材のブロックを寄せてつくっているのです。
神護寺の薬師も新薬師寺の薬師も、できるだけ縦の材を使って、木目の方向を揃えようとしている。
・・・・・・・
この頃は檀像の意識が強くて、こういう木寄せをして一材つくったようにすることで、檀像風にみせようとしたということですね。」


ミズノ先生の仏像のみかた・内容2
「ミズノ先生の仏像のみかた」該当ページ

やさしい語り口ながらも、読み応え十分なところが、判っていただけたのではないかと思います。

気楽に読める本ですが、是非、一読をお薦めします。



【出版記念のカルチャー講座も開催】


本書の出版を記念して、朝日カルチャーセンター横浜で、水野氏による

「私の仏像のみかた~仏像を横から拝むと」

と題する単発講座が、3月2日に開催されました。

出かけてみたら、満席の盛況で、驚かされてしまいました。

本書にとりあげられている「仏像の体型、目のかたち、耳のかたちの変遷」についてのお話でしたが、愉しく聴かせていただきました。

ついでに、「著者サイン本」まで、ゲットしてしまいました。

ミズノ先生の仏像のみかた・著者署名
ゲットした著者サイン本



【旧刊の好著「仏像のひみつ」(山本勉著)のランクアップバージョン】


そういえば「仏像のみかた」の入門書的な本で、随分、人気が出て売れた本がありました。

「仏像のひみつ」「続仏像のひみつ」山本勉著 朝日出版 2006・2008年刊


仏像のひみつ

この本も、学問的知識に裏打ちされた仏像のみかたを、初心者でもよくわかるように平易な語り口と図解で語ったものです。
結構、話題を呼んで、仏像入門書ではベストセラー的になった好著だったと思います。
本書の著者、山本勉氏の師匠格となる人が、水野敬三郎氏です。

「ミズノ先生の仏像のみかた」 は、この「仏像のひみつ」の視点、構成をふまえつつ、もう1ランク、2ランク中身の濃い話、深い話がやさしく語られた本といってよいと思います。



【ミズノ先生著の必読仏像解説書を、もう1冊ご紹介
~ジュニア新書とは思えない中身の濃さ】

ついでに、水野敬三郎氏の判りやすい仏像解説書を、1冊ご紹介しておきたいと思います。

「奈良・京都の古寺めぐり―仏像の見かた」水野敬三郎著  岩波ジュニア新書 1985年刊 【242P】 860円


奈良・京都の古寺めぐり

この本も、仏像のみかたの入門解説書として執筆されたものです。

奈良京都の著名で美術史上重要な仏像が、時代を追って1体ずつ採り上げられています。
法隆寺釈迦三尊像から始まって興福寺北円堂の諸像まで、15件が解説されています。

この本
「ジュニア新書と、あなどるなかれ!」
という、中身の濃いい内容です。

「ジュニア新書」は、中高校生向けの新書のはずですが、
「これを中高生が読んで、よくわかる、愉しく読めるというのは、到底無理」
というレベルの内容です。

一方で、大変平易な語り口で、深く中身の濃い解説がされていますので、仏像愛好者が仏像彫刻史をわかりやすく学ぶという意味では、これほどの格好の書は無いように思っています。
時代を代表する仏像の造形の特色、技法、美術史的意義などがコンパクトかつ丁寧に語られています。

私は、仏像好きになって相当の年数がたってから、この「ジュニア新書」を読み返したときに、書かれた内容の濃さ、重みが判ってきたような気がしています。

もし、読まれたことがなければ、お薦めの一書です。


新刊旧刊案内~「九州仏像史入門~大宰府を中心に」 井形進著 【2019.3.1】


こんな本が出版されました。


「九州仏像史入門~大宰府を中心に」 井形進著 
2019年1月 海鳥社刊 【224P】 2200円


九州仏像史入門



【魅力的書名に、中身も確認せずAMAZONで購入】


AMAZONで仏像関係書をみていたら、新刊で出版されているのに気が付きました。

「九州仏像史入門」という、なかなか魅力的な題名です。
本の中身を確認してから、購入するかどうか決めたいなと思ったのですが、九州の出版社の本で、書店には並んでいません。

AMAZONの本の内容紹介には、

「奈良や京都、鎌倉とは異なる魅力をもつ古物の宝庫・九州。
ここでは大陸からの影響、都からの影響、そして在地の伝統が混ざり合い、個性豊かな仏像たちが誕生してきた。
主に仏教伝来から鎌倉時代にかけて、その歴史を優しく、詳しく解説する。」

とありました。

期待外れの内容だったらガッカリだなと思いながらも、「九州仏像史入門」という本の題名に惹かれて、AMAZONの「今すぐ買う」を、クリックしてしまいました。



【やさしい語り口ながら、読み応え十分の興味深い本】


到着した本を、早速、サラッと一読してみたのですが、なかなか興味深い本でした。

九州仏像史入門

やさしい語り口で書かれているのですが、読み応えのある内容です。
失礼な言い方ですが、「この定価を出して買う値打ちは充分」で、九州の仏像に関心のある方は、是非とも手元に置いておきたい本です。

目次をご覧ください。

九州仏像史入門目次2九州仏像史入門目次1

九州仏像史入門目次4九州仏像史入門目次3

九州仏像史入門目次5

以上のような項立てになっています。


著者の井形進氏は、現在、九州歴史資料館学芸員の任にある、仏教美術の研究者です。

本書の「後記」によると、この本は、著者が講師を務める朝日カルチャーセンター福岡における講座のためのテキストを書籍化したものだそうです。
「大宰府周辺の古仏」「九州の仏像の諸相」というテーマの講座ということで、執筆動機についてこのようにコメントされています。

「あらためて気づかされたのですが、九州の仏像に関しては、研究者が増え、研究の蓄積も進んでも進んでおりながら、全体像を見渡せる書物は多くなくて、そして入門書的なものとなると、適当なものが見当たらない状況でした。

それならば自分で書いてみるかと、非力を省みずに蛮勇をふるって書いたのが、『大宰府周辺の古仏』です。」



【近年、関心の高まる九州の仏像~展覧会も続々開催】


確かに、近年、「九州の仏像」にスポットライトを当てた、大規模な展覧会も、開催されるようになり、注目度はどんどん上がってきているようです。

2006年  「空海と九州のみほとけ展」  福岡市博物館開催
2014年  「九州仏展」  福岡市博物館開催
2014年  「福岡の神仏の世界展」  九州歴史資料館開催
2018年  「浄土九州展」  福岡市博物館開催


空海と九州のみほとけ展九州仏展

福岡の神仏の世界展浄土九州展
九州の仏像にスポットをあてた展覧会ポスター

といった、九州の仏像をテーマにした充実した展覧会が、続々開催されたのは記憶に新しい処です。
きっと、展覧会などに関わる研究者の方々の、九州の仏像に対する調査研究、展覧会開催への取り組みは、並大抵のものではないのだろうと思われます。

そのおかげで、我々のような仏像愛好者の九州の仏像への関心も、随分と高まって、「九州仏」といった、新しい言葉にも、少し耳慣れてきたような気がします。



【これまで見当たらなかった、九州の仏像史を俯瞰した嬉しい本】


一方で、本書の後記に書かれているように、九州(とりわけ筑紫中心エリア)の仏像全体について、美術史的に解説した書物が、なかなか見当たらなかったのも事実です。

「○○の文化財」「○○の仏像」といった個別作品解説的な本はあったのですが、九州という地域の仏像について総合的に俯瞰して、その特性などについてわかりやすく論じた仏像史的な本は、無かったように思います。

そうした総合的視点での考え方は、ご紹介した展覧会の図録に掲載された解説論考、例えば
「北部九州の平安一木彫刻」(「空海と九州のみほとけ展」図録所載)、
「九州における古代木彫像の成立」(「九州仏展」図録所載) ~共に末吉武史氏執筆
といったもので、少しふれることが出来たのではと思います。

ただ、これらの解説は、難しいテーマの話が、短い文章にコンパクトに凝縮されているので、判りやすさ親しみやすさといった面では、ちょっとなじみにくかったような気もします。

そんな意味では、ご紹介の 新刊「九州仏像史入門~大宰府を中心に」 は、カルチャー講座内容がベースになっているだけあって、大宰府を中心にした九州の平安期までの古代仏像の歴史とその特性について、わかりやい語り口で、丁寧に書かれており、我々、アマチュアの仏像愛好者にとっては、大変有難い本といって良いものです。

目次をご覧になってもわかると思いますが、中央の仏像史の流れ、「奈良時代天平仏、檀像彫刻、平安前後期の仏像」といったポイントを追いながら、これと対比した九州仏像史の流れと特性、注目すべき問題などが、興味深く語られています。

いわゆる「九州仏」というものを知り、その特性と問題点をわかりやすく知るには、格好の書となっています。



【とりわけ興味深かった、九州の平安前中期彫刻の二つの流れの話】


詳しい内容については本書を読んでいただくとして、私が、とりわけ興味深く感じたのは、次のような話です。

「大宰府を中心とした平安前中期彫刻の、大きな二つの流れ」

とでもいうべき、見方の話です。

著者、井形氏は、大宰府を中心とした平安前中期彫刻の流れを、

・浮嶽神社・如来形立像をはじめとした、大宰府ゆかりの公的性格が強い工房の諸像
・長谷寺・十一面観音立像をはじめとした、在地的で神祇信仰的な影響が強い諸像

の、二つに分けてみることが出来ると述べています。

井形氏によると、

大宰府周辺の平安前中期彫刻をたどっていくと、まず最澄が、遣唐使渡航の際に竈門山寺に造像したという檀像薬師の面影を残す平安初期彫像としては、若杉霊峰会・千手観音像、谷川寺・薬師如来像が想定されるが、その後の平安前中期彫像を俯瞰すると、前記のような「二つの仏像制作集団の存在」が想定される。

ということです。

若杉霊峰会・千手観音像...谷川寺・薬師如来像
(左)若杉霊峰会・千手観音像、(右)谷川寺・薬師如来像

ここで、二つの流れについて、どのように論じられているのかを判りやすくふれていこうとすると、話が長くなってキリがありませんので、それは本を読んでいただくとして、論旨について、誤解を恐れずに、思い切って大胆に、ピンポイントのみをまとめた一表を作ってみました。

大宰府周辺の平安前中期彫刻の二つの流れ

勝手な自己流解釈の要約ですので、間違っていることが結構あろうか思います。
この表のまとめでは、何が云いたいのかよくわからないと思いますが、何卒、お赦しください。

浮嶽神社・如来形立像.浮嶽神社・如来形立像(左袖のV字状衣文)..観世音寺・阿弥陀如来像
(左)浮嶽神社・如来形立像・左袖のV字状衣文、(右)観世音寺・阿弥陀如来像

長谷寺・十一面観音像..八所宮・十一面観音像
(左)長谷寺・十一面観音像、(右)八所宮・十一面観音像



【九州仏特有の「腰帛」表現は、大陸からの直接取り込みか?】


私が、興味深かったのは、大宰府周辺の平安前期彫刻に、二つの仏師集団の存在を想定されていることでした。
ひとつは主要寺社の中枢的な公的仏師集団、もう一つは、在地的で神祇信仰とかかわる仏師集団とでもいうのでしょうか。

そして、在地的集団には、霊木信仰などのほかに、宗像神社、志賀海神社といった海の神との関わり合いが考えられる。
近年、九州特有の造形表現として注目されている「腰帛」(ようはく)という衣の表現も、当地の工房が、新たに大陸から直接的に取り込んだ服制である可能性があるということです。
(「腰帛」というのは、天衣とは異なって、膝前下半身で完結しているU字状の飾り帯のことを言います)

長谷寺・十一面観音像の腰帛
長谷寺・十一面観音像の腰帛(腰から膝にかけてのU字状飾り帯)

私は、これまで、九州の仏像を観てきて、このような二つの区分けというのは、考えたこともありませんでした。
本書のような、見方、考え方には、異論もあるようで、二つのグループに、何処まで、特徴的な差異を明確に認めることが出来るのかは、よくわからないのですが、興味津々の視点での整理で、惹き込まれるように読んでしまいました。


今般発刊の「九州仏像史入門」は、「九州仏」と呼ばれる仏像の特徴、歴史を知り、考えてみるには、格好の一書だと思います。
しっかりと深みある話を、研究書とは違って、やさしく判りやすく読むことが出来るのが、何よりです。



【地方仏には、大陸・半島からの直接影響造形はあるのか?
~都、中央からの文化伝播ではない造形】

最後に、「九州仏」というと、大陸や半島からの直接影響による造形とか表現というのがあるのだろうかということが、頭に浮かんできます。

ご紹介の「九州仏像史入門」では、「腰帛」について、
「新たに直接的に大陸から取り込んだ服制である可能性」
についてふれ、

中国に実例作品があることを指摘して、
「九州北部には造像にあたり、大陸の作を直接参照しうる環境があったのではないかと考えています。」
と述べられていました。

地方の仏像の造形を考えるとき、一般的には、
「奈良・京都という中央から文化的伝播という流れの方向性」
のなかで考えてしまいます。

どうしても、中央の仏像を頭の中において、どのような影響がみられるか、中央との時間差、時代差をどう見るべきかということしか、考えていないような気がします。

「九州仏」についても、同じ視点で見てしまっているのも事実です。



【大陸的空気感が気になる、2つの地方仏
~愛媛・庄部落と鳥取・東高尾観音寺の仏像】


そうした中で、稀に、奈良、京都の仏像の影響下の仏像とは考えにくい造形感覚の仏像に出会うことがあります。
私が気になっているのは、愛媛県松山市、庄部落薬師堂の菩薩立像(奈良末~平安前期)と、鳥取県東伯郡北栄町、東高尾観音寺の千手観音立像(平安前期)です。

愛媛庄部落薬師堂・菩薩立像鳥取東高尾観音寺・千手観音像
大陸的空気感を感じさせる二つの地方仏
(左)愛媛庄部落薬師堂・菩薩立像、(右)鳥取東高尾観音寺・千手観音像


いずれの像も、奈良、京都の中央仏の流れにあるような造形感覚とは、かなり違うものを感じます。
中央に、これらの像の元になるような仏像のイメージがわいてこないのです。

「大陸的な空気感」

情緒的な言葉なのですが、一番フィットした表現のように思います。

庄部落は大陸的スケールの茫洋さ、観音寺は大陸的のびやかさ、おおらかさという感覚がします。
それぞれフィーリングは違うのですが、プロポーションも顔つきも、全体の雰囲気も、中央から伝播した造形表現とは、私には、思えないのです。
魅力的な仏像だけに、気になってしまいます。

愛媛も、鳥取も、九州と同じですが、大陸、半島から都への文化の流入ルートの途中にあって、都では採り入れられなかった造形フィーリングの仏像が、これらの地に遺されたような気がしています。

みなさんは、どのように感じられているでしょうか?


九州の仏像を考えるときも、そのような視点も入れて見ていくことに、ちょっと興味深さを感じています。


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