観仏日々帖

古仏探訪~秋田・小沼神社「廃仏毀釈を乗り越えた観音像たち」  【2015.1.24】


東京国立博物館で「みちのくの仏像展」が開催されています。

東北の仏像を代表する、平安古仏の三大薬師一木彫像が勢揃いして、一堂に観ることが出来るという、またとない機会です。

みちのくの仏像展ポスター


早速、出かけてきました。

会場には、東北三大薬師といわれる、福島会津・勝常寺、岩手・黒石寺、宮城・双林寺の薬師三尊像が、三方に展示され、眼近に観ることが出来ました。
その堂々たる姿は、まさに圧巻で、みなぎる迫力に圧倒されてしまいます。
ライティングも巧みで、現地のお寺で拝するのとは、また違った、新たな魅力を発見できたような気がしました。

「みちのくの仏像展」会場に展示された勝常寺・薬師三尊像
「みちのくの仏像展」会場に展示された勝常寺・薬師三尊像

そのほかも、魅力あふれる仏像ばかりでしたが、私がこの展覧会で、再会できることを愉しみにしてきたのは、秋田・小沼神社の聖観音立像です。

小沼神社・聖観音立像
小沼神社・聖観音立像

2013年7月、七夕の日、秋田県大仙市豊岡に在る小沼神社を訪れて、聖観音、十一面観音の2躯の観音立像を拝してから、丁度1年半になります。

この観音像、東博では、勝常寺・薬師三尊の真正面に、成島毘沙門堂・吉祥天立像と並んで展示されていました。
平安時代の前期から中期の制作といわれています。

スラリとした立ち姿で痩身の観音像は、立ち並ぶ仏像達のなかでも、何やら霊的なオーラを感じさせます。
聖観音立像の前に立ち、その姿を拝していると、鬱蒼とした杉林の中の小沼神社を訪れた時の感動が、ふつふつと心の中に蘇ってきました。

小沼神社は、「おぬま」ではなく「こぬま」と読みます。

その名のとおりの、小さな沼のほとりに佇む社殿に祀られた、2体の観音像を拝したとき、

「心洗われる」

という言葉が、本当にそのままあてはまるような思いに浸されたのでした。

小沼神社の社殿に祀られる聖観音像・十一面観音像
小沼神社の社殿に祀られる聖観音像・十一面観音像


鬱蒼とした杉林のなか、突然眼の前に開けた空間が出現し、そこには緑色の小沼が水をたたえています。
そして、沼の向こう側には、小さな社殿がひとつ、ポツリと静かに佇んでいます。

小沼神社の佇む小沼の景観

小沼神社社殿
小沼のほとりにたたずむ小沼神社の景観

まさに、「霊境」の趣で、神が降臨する聖地の佇まいです。
その景観は、「神仙境、幽玄境」という言葉が、そのまま当てはまりそうな霊境空間だなという気がしました。

観音像は、そんな霊境に佇む小沼神社の社殿に祀られていました。
沢山の蝋燭が像前に灯されるなか、女性の宮司さんの祝詞が挙げられるという、厳粛で霊的な雰囲気の中、拝させていただいた二体の観音像は、本当に心惹き付けられるものがありました。

女性の宮司さんによって執り行われる御開帳儀式
女性の宮司さんによって執り行われる御開帳儀式

私にとっては、本当に久方ぶりの「心洗われる」時間でありました。

この情景は、今でも心になかに鮮明に刻み付けられており、忘れることのできない感動です。

小沼神社を訪れ観音像を拝した時の有様、感動、2躯の観音像の事などについては、
この観仏日々帖
古仏探訪~秋田県大仙市 小沼神社・観音菩薩像【その1】【その2】
に、以前、詳しく記させていただきましたので、そちらをご覧ください。

小沼神社を訪れてから、小沼神社の歴史と観音像について興味関心が深まってきました。

「もっと、小沼神社のことについて知りたい。」

と、資料をあたっていたら、

「中仙町史・文化編」  中仙町史編纂委員会編   1989.3.20刊

に、近代小沼神社の歴史が詳しく語られているのを見つけました。

そこには、二体の観音像が、廃仏毀釈の嵐のなか、村人たちの力によって守られ、これを乗り越えてきた歴史が記されていたのです。

この機会に、ご紹介しておきたいと思います。


小沼神社の古い歴史は良く判りません。

養老2年(718)建社という言い伝えがあるようですが、それはさておいて、江戸時代後期には、今の小沼神社と同じような景観のなかにお堂が建てられていたようです。

江戸時代後期の旅行家、菅江真澄が遺した旅行記「菅江真澄遊覧記」のなかの、「月の出羽路」に、文政11年(1828)頃の小沼観音の俯瞰図が描かれています。

菅江真澄筆「月の出羽路」に描かれた小沼観音の風景
菅江真澄筆「月の出羽路」に描かれた小沼観音の俯瞰図

この俯瞰図をみると、今の小沼神社の景観にそっくりです。
その頃には、「霊境空間」「神仙境」に佇む観音様として、村人たちに大切に守られ、祀られていたことは間違いないでしょう。


明治元年(1968)、維新政府は神仏分離令(正式には神仏判然令)を発布します。

この東北の地、秋田においても、神仏分離は強硬に進められました。
秋田藩でも明治2年に、神仏仕分け係が任命され、神仏混淆調査が始まります。

小沼神社は、神仏分離以前は小沼観音堂と呼ばれ、院内観音・蓮池観音とともに「仙北北浦の三観音」の一つでした。
小沼神社は、観音堂と呼ばれた(元々神仏習合の)お寺だったのです。

村人にとってみれば、神仏分離といわれたところで、平安時代から伝わる聖観音・十一面観音への厚い信仰から離れるということなど、到底出来るものではありませんでした。

小沼神社・聖観音像..小沼神社・十一面観音像
小沼神社・聖観音像と十一面観音像

村人たちは、外向きは政府や藩の仰せに従いながらも、信仰の対象としては観音を守ることで衆議一決しました。
そして、その方法は、当時の新しい制度の中で神官となった、水原東に一任することになりました。
水原は、住民がこぞって神道の葬祭に変ることを条件として、観音像を神社のご神体とすることにしました。

二体の観音を厨子に入れて戸をしめ、その前にすだれを下げ、鏡を置いて御神体にみせかけ、自ら棟札をつくって中心にすえ、それには、
「郷社小沼山大神 神位」
と書き、山の神に見立てました。

申請書にも、
「奉鎮、大山祗之大神・伊邪那伎大神・伊邪那美大神・久々理日大神」
明治二年七月、仙北郡小沼村鎮守神主・水原東・秋田県神祗方・神社方
として提出し、一回で合格しています。

ここで、小沼観音は、小沼神社と衣替えしたのです。

ところが、その後、秋田藩士神仏仕分け係が巡回してくるという情報を得て、あわてて厨子から大きな仏像を藁菰に包んで背負い出し、笹原の中に数日かくし、一時、白岩村の雲巌寺に宿を借りたとも語り伝えられています。
この時以来、村人の葬祭はすべての家が神道に変わりました。

このようにして、小沼神社の2体の観音像は、村人たちによって守り抜かれたということです。

古代、みちのく辺北の地では、佛教という「宗教」が、この地に伝播していったというよりも、それ以前のこの地に根ざした「固有の信仰」と結びついて、
「カミとホトケが一体化した像」
を造らせ、これをシンボルとして拝するようになった。

田中恵氏は、このように語っています。

小沼観音への村人の信仰は、江戸から明治に至るころにおいても、このようなカミとホトケが一体化した「固有の信仰」として、しっかりと土地に根付き、脈々と続いていたように思えます。


その後、明治45年には、行政の神社合併政策にあい、八日市の諏訪神社と合併し、神社名も「豊岳神社」と改称したそうですが、現在では「小沼神社」と称されています。


このようにして、神仏分離、廃仏毀釈の嵐をかろうじて乗り越えた、聖観音像、十一面観音像でしたが、長い星霜のなかで、随分と傷んでしまっていました。
仏像の下部(脚部)の腐食が進み、朽ちかけていたようです。
昭和27年(1952)、秋田県指定文化財に指定されましたが、立像でありながら自ら立つことができないほど、下部が腐朽していて、みるからに痛々しい姿となっていました。

そこで、昭和33年(1958)、仏像が自力で立つことが出来るように修理することになりました。
修理は、文部省美術工芸課の国宝修理技官の計画策定により、竹内不忘の手によって96日を要して実施されました。

小沼神社・十一面観音像を修理する竹内不忘
小沼神社・十一面観音像を修理する竹内不忘

竹内不忘は、日展審査員でもあり乃木将軍の銅像で有名であった彫刻家です。
これが、秋田県内での仏像修理の第一号でもあったそうです。

その後、昭和50年ごろから仏像に虫穴があき、そこから木の粉が落ちてくるようになり、昭和54年11月から2ヶ年計画で、財団法人美術院国宝修理所において、殺虫と虫穴補修したほか、聖観音の白毫には水晶が入れられました。

この2度の修理によって、2体の観音像は、平安時代の面影をとりもどし、現在の姿となったのでした。


「みちのくの仏像展」に出かけ、小沼神社・聖観音像に再会することが出来、小沼神社を訪れた時の感動を、少しばかり蘇らせることが出来ました。

小沼神社・聖観音立像
小沼神社・聖観音立像

そして、2体の観音像が、明治維新以来、地元の村人たちによって、廃仏毀釈の嵐を乗り越え、守り抜かれてきた歴史を振り返ってみました。

聖観音、十一面観音が、「土地と人々を守るカミとして、ホトケとして」、村人たちが必死の思いと信仰に支えられて、守り抜かれてきた話を知ると、益々「心洗われ、心揺さぶられる」ように思えます。


・鬱蒼とした杉林の山中に突然現れる空間
・鏡面のような水をたたえた、緑深く染められた小沼
・小沼の奥に、ポツリと佇む神社の社殿

小沼神社と2体の観音像は、江戸時代から、いやもっと以前から、このような景観の中に佇み、村人に祀られてきました。

これからも、こんな神仙のような霊境空間の中で、末永く祀られ、しっかりと守られていってほしいと、念ずるばかりです。

小沼神社と小沼の景観
小沼神社と小沼の景観


あれこれ~HP「古仏愛好」ページの新設と、新連載「献納宝物と四八体仏」スタート


神奈川仏教文化研究所HPをご覧いただき、有難うございます。

新しき年の初めに、新しき二つの事をスタートさせました。

一つ目は、
HPトップページのテーマ区分に、「古仏愛好」というテーマを新たに設けました。

「古仏愛好」タイトル

これまで、「仏像探訪旅行記・仏像紹介記事・仏像関係読み物」などなどは、全部「古仏礼賛」というテーマの区分に、まとめて掲載していました。

掲載記事も相当量になってきましたので、これからは「古仏礼賛」「古仏愛好」の二つのテーマに分けて掲載させていただくこととしました。

「古仏礼賛」には、古仏探訪旅行記、地方仏などの古仏紹介記事を掲載いたします。

■新設の「古仏愛好」には、仏像愛好の連載読み物・随想や論考を掲載していくこととしました。

連載「埃まみれの書棚から」は「古仏礼賛」から、「若き日の情熱」は「アラカルト」から、それぞれ「古仏愛好」に引っ越ししました。


余談になりますが、「若き日の情熱」と題して掲載している文章は、前管理人や現管理人の私などが、学生時代に作った、「仏像」と題する冊子を掲載したものです。

若き日の情熱・「仏像」冊子
学生時代に同好の皆で作った冊子「仏像」

今から45年も前に、同好会の学生達で造ったもので、前管理人がノスタルジーもあって掲載したものです。

思い出しますと、当時、学部の勉強はそっちのけで、全国各地の地方仏めぐりに出かけたりして、仏教美術の世界にのめり込んでいました。
そして、ついつい調子に乗って、皆で作った自主研究??冊子が、この「仏像」です。

読み返してみても、未熟で青臭く、今では陳腐な内容ではありますが、当時の我々にとっては、古寺古仏探訪に情熱を注いだ学生時代の存在証明のような気持ちで、冊子を作ったような気がします。

あまりに古臭く、時代遅れの文章なので、この際、HPから削除しようかと思ったのですが、遠い日の懐かしい思い出の、「若き日の情熱」をしのんで、引き続き掲載させていただきました。



二つ目は、
新連載、「法隆寺献納宝物と『四十八体仏』について」~~【第1回】の掲載スタートです。

四十八体仏タイトル


執筆は、沼田保男氏です.

これまでに

「中国山西省 雲岡石窟・古寺・古仏 感動の旅(2010)」
「黄河上流域 遥かなる石窟の旅(2011)」

と題する中国石窟旅行記を、掲載いただいています。

新設「古仏愛好」のスタートを飾る読み物として、掲載させていただきました。

この読み物は、法隆寺献納宝物と「四十八体仏」について書かれた、愉しく読める論考です。

ご存じのとおり、法隆寺献納宝物は、明治11年(1878)、法隆寺が皇室に数多くの所蔵宝物を献納したもので、現在、東京国立博物館法隆寺宝物館に展示されています。
四十八体仏は、その根幹をなす古代小金銅仏群で、飛鳥白鳳仏教美術史上誠に貴重な文化財です。

この連載では、明治初年に法隆寺から皇室への宝物献納に至る、興味深い経緯を解き明かされるとともに、四十八体仏の造形上の特質と制作年代についての考察が、語られています。
筆者・沼田氏は、これまでに中国石窟探訪記事を掲載いただいているように、中国の古代仏像についての造詣が深い方です。
こうした識見を踏まえて、四十八体仏を造形タイプごとに分類し、中国、朝鮮仏との関連について言及されています。

「四十八体仏」献納の経緯、造形の特質、太子信仰との関連など、「四十八体仏」について、様々な多面的視点からトータルにまとめられた、大変興味深い読み物です。

これを読めば「法隆寺献納宝物と四十八体仏、まるわかり」といってよいかもしれません。

7回連載で掲載させていただきます、是非お愉しみください。

古仏探訪~神奈川県大磯町・六所神社の御神像に初詣  【2015.1.3】


あけましておめでとうございます。

今年も、「観仏日々帖」に、古仏探訪記事などなどを気ままに綴らせていただきたいと思います。
よろしくお願いします。

新年、元旦に赤坂山王神社に初詣にお参りした他は、とくに何事もなく過ごしておりました。

余りダラダラしているのも如何かと思ったり、
11月末以来、観仏に出かけていないので、若干の禁断症状気味だったりしましたので、
大磯・六所神社の男女御神像の特別公開に出かけてみました。


年始のご挨拶代わりに、ご紹介してみたいと思います。

大磯・六所神社の男女御神像の特別公開については、神奈川仏教文化研究所HP~秘仏御開帳~にて、ご紹介した処です。
年に1日、1月3日限りの「特別公開」ということです。

六所神社・御神像特別公開チラシ
六所神社・御神像特別公開チラシ

六所神社の男女神像は、長らく秘かに祀られてきた神像で、近年その存在が明らかになった像です。
平安後期11~12世紀の制作とみられており、2009年に神奈川県指定文化財の指定を受けました。

2006年に神奈川県立博物館で開催された「神々と出会う~神奈川の神道美術展」に、新発見の平安神像として初めて出展され、注目された像です。
私も、この展覧会で、六所神社・男女神像を見ている筈なのですが、あまりはっきりした記憶に残っていませんでした。

もう一度、しっかり拝してみようと、車で出かけました。

六所神社は、神奈川県中郡大磯町国府本郷という処に在ります。
出かけた時間は、ちょうど箱根駅伝の復路、選手たちが大磯あたりを通過する時間帯でしたので、渋滞があるのかなと思ったのですが、何の影響もなく、スムーズに到着しました。

案内看板に添って進むと、住宅街の中に、神社が見えてきました。

六所神社
六所神社

六所神社は、平安後期に相模国府がこの地におかれると、相模国内有力5社の分霊を合祀し、相模国総社六所神社となったという由緒ある神社ということです。
結構大規模な立派な神社なのかと想像していたのですが、割合こぢんまりと落ち着いた感じでのたたずまいでした。

本殿に掲げられた、巨大な注連縄が目を惹きます。
地元の方々が多いようですが、初詣の参詣の人々で賑わっていました。

六所神社・本殿
初詣の人々で賑わう六所神社・本殿


さて、お目当ての、男女神像です。

本殿へ上る階段下の脇に、小さな宝物殿があり、そこに男女神像が祀られていました。
「御神像・特別公開」の看板は立てられているのですが、参詣の人々は、あまり気に留める様子もなく通り過ぎていきます。
御神像・特別公開目当ての人も、あまり見かけないようで、気がついた初詣に来た人が、ちょっと覗いて帰るという状況でした。

六所神社・神像特別公開宝物殿
御神像が特別公開されている宝物殿

1月3日、「一日限りの特別公開」ということなので、もうちょっと注目されているのかなと思ったのですが、何やら、残念な気持ちです。

「じっくり、ご拝観!」

と、意気込んで近づいたのですが、ガラスケースの反射で、正面からはクリアーに観ることが出来ません。
扉の前から身を乗り出し、サイドの方から無理に覗きこむと、ガラス反射せずに観ることが出来ましたが、かなり窮屈なご拝観といったところとなりました。

神像が安置されたガラスケース~反射して見づらい
ガラスケースに安置されている御神像~反射してなかなか見づらい

なかなか古様な感じです。
男神像の方は四天王像のような天部の神将形、女神像のほうは、吉祥天のような女性天部形をしています。
両像共に、70㎝前後の像高です。

「神奈川の神道美術展」解説によると、
一木彫、彩色像で、背面から大きく内刳りがなされており、作風から見ると、11世紀終わりから12世紀前半にかけての制作と考えられる。
とのことです。

神社では、男神像を「素戔男尊」(スサノオノミコト)、女神像をその妃の「櫛稲田姫命」(クシナダヒメ)に宛てています。

六所神社・男神像~神奈川の神道美術展図録掲載写真
六所神社・男神像~神奈川の神道美術展図録掲載写真

六所神社・女神像~神奈川の神道美術展図録掲載写真
六所神社・女神像~神奈川の神道美術展図録掲載写真

六所神社・男神像~神奈川の神道美術展図録掲載写真..六所神社・女神像~神奈川の神道美術展図録掲載写真
六所神社・男女神像~神奈川の神道美術展図録掲載写真

六所神社・男神像背面~神奈川の神道美術展図録掲載写真...六所神社・女神像背面~神奈川の神道美術展図録掲載写真
六所神社・男女神像背面内刳りの様子~神奈川の神道美術展図録掲載写真

男神像は、すらりとしたシルエットで、青年のような印象を受けます。

六所神社男神像~特別公開現地写真
男神像・顔部~特別公開現地写真
天部形の神将像ですが、四天王のような忿怒の表情ではなく、「憂愁に満ちた」青年というか、「眉根を寄せて苦悩煩悶する」といっても良いような表情をしています。

「悩める神」の表現とでも、たとえられるのでしょうか?
少しぎこちないような立ち姿をしています。

この神像の作者は、この造形で、どのような「神」を表現したかったのでしょうか?

落ち着いて、整った表現ですが、何やら得も言われぬ惹きつける魅力を感じさせるように思いました。
私の好きな「迫力やパワー、鋭さ」は無いのですが、「静かな深みを持つ魅力」を備えているようです。
この男神像、結構、好きになってしまいました。

六所神社男神像~特別公開現地写真..六所神社男神像~特別公開現地写真
六所神社男神像~特別公開現地写真

よく見ると、ベルトのバックルのような「帯喰い」の獣の顔まで、憂いや苦悩に満ちたような特異な表情をしています。
是もまた、この神像制作にあたって、意図的にそのように表現されたのでしょうか?

薄井和男氏は、「神奈川の神道美術展」図録解説で、このように述べています。

「一見、宝塔をかかげて立つ毘沙門天像が想起されるが、いっぽう、その面貌は若い美青年相にして、眉をひそめ、やや上唇をとがらせ、怒りとも苦悩ともつかない不思議な表情をたたえている。
通常の天部神将像とは明らかに違う。
神像に特有の異相表現が加わったと解釈されよう。

それはまた腹前の特別大きな獅噛に、一種、怨念相のような威風表現にも指摘がされよう。

一方、こうした異相表現とは別に、体部の肉取りや身のこなし、甲冑や裳の着衣表現は的確にして洗練され、造形に欠点が認められない。
全体を通し人を強く引きつける魅力をそなえた、注目すべき神像といえよう。」
(「神々と出会う~神奈川の神道美術展」図録・2006.2神奈川県立歴史博物館刊)

この男神像を「不思議な表情の異相」とみられています。


女神像の方はどうでしょうか?

女神像は、顔部が少し摩耗していることもあって、その表情がはっきりと伺えません。
よーく観ると、男神像と同じように「憂鬱そうに苦悩する」表情をしているように感じられます。
全体の造形も、なかなかバランスよくしっかり出来ているようです。

六所神社男女神像~特別公開現地写真

六所神社・女神像~特別公開現地写真..六所神社・女神像~特別公開現地写真
六所神社女神像~特別公開現地写真

男女神の形制は随分と違いますが、同じ手の対をなす神像として造られたような感じがしました。

薄井和男氏も、女神像について、このように述べています。

「面相は眼を伏せ、上唇をやや尖らせ、瞑想あるいは苦悩ともとれる不思議な表現をしめし、男神像と同じ異相表現が指摘される。
・・・・・・・・・
男神像と異なった点も所々みられるが、表情の雰囲気や彫刻としての巧妙な造形など、作風に共通点が認められ、ほぼ同時期の制作と考えてよいと思われる。」
(「神々と出会う~神奈川の神道美術展」図録・2006.2神奈川県立歴史博物館刊)

対をなす神像として造られたかどうかは微妙?
という見方のようですが、同時期の制作と考えられているようです。

六所神社の男女神像、ガラスケースの陽の反射で、大変見にくかったのが残念至極ではありましたが、なかなか見所のある神像に出会うことが出来ました。
落ち着いた、静かで深みある造形表現が魅力です。

「憂愁に満ち、苦悩煩悶する神像」

こんな、神像表現の領域があるのかどうか、勉強不足で良く判りませんが、そんな不思議な世界の神像に出会った気分になりました。



ところで、近年、神奈川県では、古神像の新発見が相次いでいます。

「神像」というのは、参拝する人がその姿を拝するという性格のものではなく、ご神体として秘められて祀られることが通例です。

当然ながら、なかなか公開されることはありません。


今回ご紹介した、六所神社の男女神像も、新たに発見されたものです。

ネットの検索情報などによれば、1991年の本殿建替えの時に、本殿の裏手から発見されたそうです。
15年前、2000年ごろに神奈川県立歴史博物館が、「神奈川の神道美術展」の開催に備えて、県内の神社の調査にまわったときに、平安時代の古神像であることが判明しました。

そして、「神奈川の神道美術展」に出展され、初めて公開されたのです。

当時(2006年)は、神奈川県では、箱根神社の万巻上人坐像(平安前期・9C)に次いで、第二に古い神像彫刻の発見とされ、大いに注目を浴びました。

箱根神社・万巻上人坐像
箱根神社・万巻上人坐像

その後、2009年に、県指定文化財に指定されました。
「神奈川の神道美術展」で公開されて以来は、2010年に文化財指定を機に大磯町郷土資料館で特別公開されただけで、非公開となっていました。
そして2年前からは、毎年1月3日に限り、六所神社宝物館で特別公開されることになったということです。


ところが、2006年、箱根神社に、六所神社神像より古い平安時代の神像が存在することが明らかになりました。
そのうち2躯の神像は、平安時代の制作とみられるものでした。

箱根神社・新発見男神像(重文)..箱根神社・新発見女神像(重文)
箱根神社・新発見男神像(平安時代・重文)

これらの神像は、歴代の宮司以外は見ることができず、長らく神殿の奥に秘されていました。
2006年に、宮司の英断により、調査に付されることになりました。

宮司の浜田進氏の談によりますと、

「今年の春に神奈川県立歴史博物館で『かながわの神道美術』展を開催されたから、公開する気になったんです。
最初は非常に疑問を持っていたのですが、展覧会では神奈川県の神社がそろって出品し、正しい評価を与えられた。
これで問題なしと思った。」

ということで、公開に至ったとのことです。

このあたりの話は、
有隣469号WEB版「座談会~箱根神社とその遺宝−秘蔵されていた平安時代の神像を初公開−」(2006.12)
に詳しく語られています。

この平安時代の制作とみられる2躯の男女神像(像高60㎝前後・一木造り)は、2012年、国の重要文化財に指定されました。


そのほかにも、注目すべき古神像の発見がありました。

神奈川県中郡大磯町高麗に在る、高来神社の神像群です。
六所神社から東に4~5キロの処に在り、高麗神社とも呼ばれているそうです。

高来神社社殿
高来神社社殿

この高来神社の社殿(旧高麗寺本堂)の東隣に立つ御輿堂から、十余体にのぼる神像群が見つかったのは、2000年の事でした。
大磯町が実施していた古建築悉皆調査の折、偶然、この堂内奥に多数の木像があることが確認されたのがきっかけでした。

果たして、この神像群は、鎌倉時代の制作であること考えられ、調査を進めるうち、一部の像から弘安5年(1282)の年紀銘まで見出されました。
類い稀なる鎌倉期の神像群の出現といえる発見でした。

像高1メートル内外の寄木造の像ですが、なかなかの気迫に満ちた像で、圧巻といえる魅力ある神像群です。
「神奈川の神道美術展」に出展されましたが、結構、見とれてしまいました。

高来神社・男神立像

高来神社・男神立像..高来神社・女神立像
高来神社・男女神立像(鎌倉時代)

この神像群発見の経緯は、
有隣415号WEB版「新発見の大磯町高来神社の木造神像群(薄井和夫)」2002.6
に、詳しく記されています。

この神像群、大磯町の指定文化財に指定されていますが、「大磯町郷土資料館」に保管され、修復が必要なことなどから、残念ながら公開されていません。


六所神社・古神像のご紹介と共に、近年、神奈川県で発見された古神像についても、併せて採り上げさせていただきました。

ベールに閉ざされていた神像の世界も、近年、少しずつその姿を顕わしつつあるようです。

皆さんご存じのとおり、近年公開された広島・御調(ミツキ)八幡宮の神像三躯(2003年・重要文化財指定)は、驚きの古神像の発見でした。
平安初期の制作で、大変な迫力溢れる古像です。
なかでも古様な女神像は、俗体(女)神像としては、我が国最古の制作の可能性もあると云われています。

御調八幡宮・女神像
御調八幡宮・女神像(平安前期9C・重文)

まだまだこれから新たな古神像の発見があるのかもしれません。

どんな古神像が姿を顕わすのか、本当に愉しみです。


そろそろ、お屠蘇気分も抜けてきた頃かと思います。
本年も、よろしくお願いいたします。

古仏探訪~今年の観仏を振り返って 〈その2〉 【2014.12.27】


〈その1〉に引き続き、
2014年後半戦、7~12月の古仏探訪を振り返ってみたいと思います。


【7月】

7~8月は、真夏は熱射病にもなってしまいそうなので苦手。
なるべく大人しくして、観仏探訪には、殆ど出かけませんでした。

7月、唯一訪れたのが、世田谷観音寺です。

世田谷観音寺

世田谷観音寺には、内山永久寺伝来の康円作・不動明王像、八大童子像が祀られています。
東急田園都市線の三軒茶屋駅から歩いて行けるところに在り、我が家からは30~40分で行けるのですが、何故かこれまで拝したことが無かったのです。

毎月28日がご開帳日で、朝日カルチャーセンターの臨地講座(講師:真田尊光氏)が企画されていましたので、良い機会と申し込んで行ってきました。

世田谷観音寺・不動明王八大童子像が祀られるお堂
世田谷観音寺・不動明王八大童子像が祀られるお堂

世田谷観音寺・不動明王八大童子像~康円作(重文・鎌倉)
世田谷観音寺・不動明王八大童子像が祀られるお堂

世田谷観音寺は、事業家の大田睦賢氏が私財を投じて昭和26年(1951年)に創建し,住職となった天台宗のお寺です。
祀られている不動明王・八大童子像は、奈良・石上神宮の神宮寺・内山永久寺に伝えられた仏像です。
内山永久寺は、明治の廃仏毀釈の時に、徹底的に破壊され廃寺になりました。
多くの仏像が破壊されたり散逸したりしましたが、この仏様もその一つです。

この像が、世田谷観音寺に祀られるまでの来歴をたどると、
内山村庄屋・中山平八郎→藤田伝三郎→久原房之介→中野忠太郎→大田睦賢
と相承されているようです。

昭和29年、芸苑巡礼社刊「大聖不動明王尊像并聖八大童子像」に、そのように記されています。
明治以来、所蔵者が転々とし、やっと今の世田谷観音寺に安住の地を得たのでしょうか。

真田尊光氏の解説で、眼近に拝することが出来ました。
藪蚊の猛烈な攻撃に会い、あちこち刺されてかゆみに耐えながらの探訪となりました。



【8月】

8月は、学生時代の同窓会が奈良でありました。
奈良まで出かけたのですが、宴会専一で、お寺には何処も寄らずに帰ってきました。
もったいない限りです。

唯一、奈良国立博物館で開催中の「醍醐寺のすべて展」に寄ってきました。

醍醐寺の全て展ポスター
醍醐寺の大規模な展覧会は、これまで何度か開催されていますし、仏像については醍醐寺の霊宝館に行けば、殆ど観ることが出来ます。
大注目の展覧会、というほどではなかったのですが、今回の大目玉は、上醍醐・五大堂の五大明王像(重要文化財)が出展されたことでした。

この像は、普段拝することはできません。
五大明王像のうち、大威徳明王像以外の4躯は、後世の江戸時代制作像ですが、大威徳明王像は、平安時代の制作で、延喜13年(913) に完成した創建五大堂の五大明王像の遺像であったと見られています。

10世紀初の大威徳明王像ということで、期待に胸ふくらませて拝しましたが、仏像彫刻の出来としては、それほどに惹かれるものではなかったというのが、正直な感想です。

上醍醐五大堂・大威徳明王像(重文・平安)
上醍醐五大堂・大威徳明王像(重文・平安)

やはり大いなる存在感と、強く惹かれるものを感じたのは、上醍醐本尊・薬師三尊像快慶作・弥勒菩薩坐像でした。

醍醐寺・快慶作弥勒菩薩坐像(重文)
醍醐寺・快慶作弥勒菩薩坐像(重文)

快慶作・弥勒菩薩坐像は、三宝院の本堂(護摩堂)に祀られて、拝観はお堂の入口からです。
距離があり薄暗いので、その姿をはっきり拝することが難しいのですが、明るい照明のもとで眼近に拝することが出来ました。
その出来の良さ、素晴らしさに、今更ながらに感動してしまいました。


翌日は、同窓会メンバーと共に、京都島原の「角屋」「輪違屋」の夏の文化財特別公開に立ち寄り、京の花街文化の名残を愉しんできました。
以前に読んだ、浅田次郎の小説「輪違屋糸里」のことを、思い出してしまいました。

京都・島原~輪違屋
京都・島原~輪違屋

9月は、諸々の予定や、海外旅行などに追われて忙しく、観仏探訪に出かける余裕なしという処でした。



【10月】

御法に守られし醍醐寺展ポスター
渋谷の松濤美術館で開催された「御法に守られし醍醐寺展」に行きました。
松濤美術館で「醍醐寺展」というのは、ちょっとフィーリングが合わないのですが、しばらく閉館中だったリニューアル記念展ということでの開催でした。

小規模な展覧会でしたが、奈良博開催の「醍醐寺のすべて展」では出展されなかった、国宝・過去現在絵因果経(奈良時代・8C)や重文・不動明王像(平安時代・10C)が出展されたのが、注目でした。

重文・不動明王像は、元中院安置とされる五大明王像の中尊です。

この五大明王像は、昭和32年(1957)に三宝院の土蔵内から見出されましたが、関係資料から元中院安置の像であることが判明し、中院を建立した聖宝の弟子・観賢の没年である延長3年(925)までに造立されたとみられています。

醍醐寺元中院安置・不動明王坐像(重文・平安)
醍醐寺元中院安置・不動明王坐像(重文・平安)

普段は醍醐寺・霊宝館に展示されているのですが、それほどに注目してみたことがありませんでした。
今回の展覧会で、じっくり観ると、なかなかのボリューム感と力感がある像で、その特異な顔貌と相まって、結構魅力あふれる像であることに気がつきました。

奈良博出展の五大堂・大威徳像と比べると、近い時期の制作ですが、こちらの像の方が強く惹き付けられるものを感じました。


中旬には、
関西で伝統を誇る仏像鑑賞愛好会の「天平会」が、800回例会を迎えられるということで、記念例会に参加してきました。

この「天平会」、何しろ昭和18年(1943)に結成されているというのですから、老舗中の老舗といってよい名門鑑賞会です。
これまで、望月信成氏、毛利久氏、宇野茂樹氏を主軸として、名だたる先生方が講師を務められていたそうです。
私は、名前だけの会員という感じで、年に一度も例会(鑑賞会)に参加したことが無いのですが、800回のお祝いということなので、関東の同好の方々数人と参加させてもらいました。

高梨純次氏、杉崎貴英氏ほかの講演のほか、和気あいあいの懇親会で愉しく盛り上がり、さすがに伝統を誇る会の重みを感じた次第です。

関東在住は、古仏愛好者にとっては、結構ハンデキャップだなと、当たり前のことを改めて実感させられました。


折角、関西まで出かけることになったので、大阪府内の古仏探訪を企画し、同好の方々と巡ってきました。

前夜の懇親会、大阪ミナミ黒門町での二次会で、二日酔い気味での観仏となりましたが、探訪先は、ご覧のとおりです。

大阪府観仏探訪先

海岸寺の菩薩像・十一面観音像は、朽ちた破損仏のような平安古仏で興味があったのですが、〈その1〉2月の霊松寺(釈恩寺)観音像の処でご紹介したのと同様に、見間違えるような大幅な手が加えられた復元修復がされていました。
当初の造形が伺いようもなく、残念至極でした。

堺市・海岸寺~菩薩立像(平安)・修復前の姿...堺市・海岸寺~菩薩立像(平安)・復元修復後の姿
堺市・海岸寺~菩薩立像(平安)   (左)修復前の姿  (右)復元修復後の姿

長円寺・十一面観音立像(重文)は、像高45センチの檀像風の平安前期仏ですが、丸々して張りのある大変良く出来た素木像で、なかなかの魅力でした。

羽曳野市・長円寺~十一面観音立像(重文・平安前期)
羽曳野市・長円寺~十一面観音立像(重文・平安前期)

2007年に栃木県立博物館で開催された「円仁とその名宝展」に出展された以外は、近年博物館等に出展されたことはないそうです。
「円仁とその名宝展」の時に、観ている筈なのですが、あまり記憶がなく、今回の観仏が新鮮な感動でした。


正傳寺・薬師如来立像(市指定)も、大変興味深い仏像でした。
土の匂いのする、野趣にあふれた力強い平安古仏に、想定外に出会うことが出来たというのが、率直な感想です。

四条畷市・正傳寺~薬師如来立像(市指定・平安中期)
四条畷市・正傳寺~薬師如来立像(市指定・平安中期)

この仏像については、観仏日々帖「古仏探訪~大阪四条畷市・正傳寺の薬師如来立像」で、紹介させていただきました。


獅子窟寺・薬師如来坐像は、さすがに「国宝」です。

交野市・獅子窟寺~薬師如来坐像(国宝・平安前期)
交野市・獅子窟寺~薬師如来坐像(国宝・平安前期)

何度拝しても、見惚れてしまいます。
この日の観仏では、圧倒的に群を抜いて素晴らしく、多言を要しません。


この10月中旬の関西行にあわせて、展覧会を二つ観てきました。

京都・龍谷ミュージアムで開催の「二楽荘と大谷探検隊展」と、大津市歴史博物館で開催の「三井寺・仏像の美展」です。

二楽荘と大谷探検隊展ポスター
「二楽荘と大谷探検隊展」は、浄土真宗本願寺派の22代宗主・大谷光瑞が組織した、大谷探検隊の有様と、探検隊の収集品が保管されていた「二楽荘」について振り返る展覧会でした。

「二楽荘」は、大谷光瑞が六甲山麓に別邸として建設した豪勢な奇想建築ともいうものです。
仏像の出展はありませんでしたが、「大谷探検隊」や「二楽荘と阪神モダニズム」を回顧する、大変興味津々の展覧会でした。
図録(2300円)の内容の充実ぶりは群を抜いたもので、所載されている解説論考の密度の濃さには驚きました。
図録というより大著という内容で、関心ある方は必携です。


三井寺・仏像の美展ポスター
「三井寺・仏像の美展展」は、三井寺園城寺「宗祖・智証大師生誕1200年慶讃大法会」の開催に合わせて開催されたものです。

この期間、三井寺内で開扉される5躯の秘仏以外の、殆どの三井寺の仏像が出展されました。
2008年にサントリー美術館で開催された「国宝三井寺展」で展示された仏像とほぼ同じ仏像の展示で、目新しいものはなかったのですが、三井寺の仏像を一堂に会して観ることが出来るよい機会となりました。

時間もなかったし疲れ気味で、三井寺山内での黄不動等の秘仏ご開帳は、見送りにして、帰京しました。



【11月】

11月は、興味深い仏像展覧会が目白押しで、また観仏に最高の季節ということで、随分沢山の展覧会、観仏探訪に出かけてしまいました。
仏像三昧、フル稼働という感じになりました。

順を追ってご紹介します。

まずは、小田原市・勝福寺の秘仏・十一面観音像が33年に一度の特別開帳ということで、出かけてみました。
ついでに訪ねたお寺も含め、次の仏像を拝しました。

小田原方面観仏先

勝福寺は坂東三十三観音霊場5番札所、秘仏拝観の人々でなかなかの賑わい。
拝観の列にしばらく並んで、やっと拝することが叶いましたが、ゆっくり拝するというわけには行きませんでした。
鑿痕の残る荒々しさも伺えましたが、藤原風の空気感も感じる一木彫像でした。


久しぶりに訪ねた、王福寺の薬師如来像は、やはり関東の平安木彫のなかでの優作といってよいものでした。

像高131㎝もある堂々とした大型像で、10世紀頃の制作と云われています。
関東の平安古仏のなかでは、私の大変お気に入りの仏像です。
もっと、もっと知られても良い、関東を代表する仏像だと思いました。

小田原市・勝福寺~十一面観音像(県指定・平安)..中郡・王福寺~薬師如来像(重文・平安)
小田原市・勝福寺~十一面観音像(県指定・平安)    中郡・王福寺~薬師如来像(重文・平安)


11月中旬には、奈良・柳生の円成寺、法隆寺を訪ねました。

カルチャーセンターで団体での観仏探訪でしたが、法隆寺では普段拝観できない、西円堂、上御堂、西円堂の諸仏を拝することが出来ました。

円成寺・法隆寺観仏先

柳生の円成寺は、もう何回訪れたのか数えきれないくらいです。

奈良市・円成寺~運慶作大日如来坐像(国宝)
奈良市・円成寺~運慶作大日如来坐像(国宝)
運慶作の大日如来像は、都度都度、何度も拝するにつれて、
「運慶作の仏像なのだ!!」
ということが、だんだんと判ってきたような気がします。

この大日如来像、最初のうちは、私には、「運慶の仏像らしさ」というのを、あまり強く感じられなかったのです。

藤末鎌初の仏像の一つのパターンというのか、鎌倉の新様風をみせながらも、まだまだ藤原仏の世界から抜き出し切れていない造形の仏像のように感じられたのです。
運慶と云えども、まだ若き青年のころには、このような伝統的藤原様の世界の枠のなかから出きれない仏像をつくっていたのかな、というのが率直な印象でした。

何度も拝するうちに、
「流石に運慶の仏像!」
というように感じることが出来るようになってきました。

仏像を観る眼が甘かったのかもしれませんが、最近のことです。

そう感じるようになった訳を、挙げるといろいろな点が沢山あるのですが、一番に運慶の造形力、新鮮なインパクトを強く感じたのは、足の裏・指の造形でした。

結跏趺坐に組んだ足裏が、弾力に満ち、張りのある活き活きとした写実表現なのに、気がついたのです。
かかとから土踏まず、足指へと至る抑揚に富んだ表現、その微妙な凹凸はリアルの域を超えて、身体(足裏)の理想表現とも云えるもののように思えます。

円成寺・大日如来坐像~足裏部
円成寺・大日如来坐像~足裏部

ビックリしました。
そして
「この足の裏は、運慶でないとできる表現ではない!」
と強く感じました。

円成寺・大日如来坐像~足裏部
円成寺・大日如来足裏部のリアルな抑揚表現
2007年に、山崎隆之氏著の「仏像の秘密を読む」という本が出版されました。
その文中に
「足裏に運慶を見た」
と題する項があり、円成寺・大日如来の足裏表現が採り上げられていたのです。

文中、足裏表現にふれ、
「これを運慶は見せたかったのだと気付かされた」
と書かれているではありませんか!!
「わが意を得たり」
というのは、このような時のことを云うのかもしれません。

(この話、決して後付けではなくて、私が感じていたことと同じことがこの本に書かれていて、驚いたのです。~本当ですよ~)


余計な話が長くなってしまいました。

法隆寺では、普段は拝観できない、西円堂・脱活乾漆・薬師坐像、上御堂・釈迦三尊像、伝法堂の三対の阿弥陀三尊ほかの諸像を拝することが出来たほか、ちょうど夢殿の特別開扉期間で、救世観音像も拝することが出来ました。



団体旅行解散後の翌日、紅葉真っ盛りの京都を、一人で愉しみました。

京都国立博物館・本館の新築が完成し、「平成知新館」として、2014年9月オープンしました。
「平成知新館」グランドオープンを記念して開催されている、「京(みやこ)へのいざない展」を観てきました。

京へのいざない展ポスター

西住寺・宝誌和尚像(平安・重文)、光明寺・千手観音立像(奈良~平安・重文)などの、京博おなじみの仏像のほか、大阪・天野山金剛寺の本尊、巨大な大日如来坐像と脇侍の不動明王坐像などが出展されていました。

新築前の本館と違い、ゆったり広々としたスペースに、仏像の持つ魅力を引き出す効果的ライティングのなか展示され、嬉しい気分になりました。


あとは、西陣界隈の仏像を拝してきました。

京都・西陣方面観仏先

お気に入りの雨宝院・千手観音像は、5月に拝したところでしたが、またまたふらふらと会いに出かけてしまいました。
やっぱり、好きな仏像です。


石像寺の阿弥陀三尊石像を初めて訪ねました。

鎌倉前期の都風を示す石仏の代表作で、元仁元年(1224)の制作です。
凝灰岩ではなく、花崗岩で丸彫りに彫りあげた大型石像(像高約1m)で、
鎌倉時代になって本格化する、花崗岩石彫像の優作です。

体や心の痛みを治してくれる「釘抜地蔵」として、今も多くの人々の信仰を集めているようです。

京都市・石像寺~くぎ抜き地蔵..京都市・石像寺~阿弥陀如来坐像石仏(重文・鎌倉)
京都市・石像寺~くぎ抜き地蔵      阿弥陀如来坐像石仏(重文・鎌倉)

観仏の後は、京の美しい紅葉を満喫してみようと、大徳寺・高桐院へ足を伸ばしました。
紅葉真っ盛りで、人も沢山いましたが、なんといっても京の紅葉は美しく、心なごみます。

京都市・大徳寺~高桐院庭園
紅葉の美しい大徳寺~高桐院庭園


11月下旬は、二つの仏像展覧会に出かけました。

一つは、サントリー美術館で開催の「高野山の名宝展」です。

高野山の名宝展ポスター(写真は運慶作・制多伽童子像)
展覧会ポスター仏像写真は、運慶作・制多伽童子像

運慶作とみられる八大童子像(国宝)全躯のほか、快慶作の孔雀明王坐像(重文)・執金剛神立像(重文)・四天王像(重文)など高野山の仏像が勢揃いしました。

「運慶の童子像は、本当に上手い。」

やはりそう思いました。


もう一つは、多摩美術大学美術館で開催された「祈りの道へ~四国遍路と土佐のほとけ展」です。

祈りの道へ~四国遍路と土佐のほとけ展ポスター
ポスターの仏像写真は湛慶工房作と
みられる笹野大日堂・大日如来坐像
この展覧会、平成18年(2006)に、高知県地域文化遺産共同調査・活用事業プロジェクトにより文化財調査にたずさわった、青木淳氏(現多摩美術大学美術学部准教授)の尽力により実現した展覧会とのことです。

5月に高知観仏探訪に出かけた処でしたが、訪れた諸寺の仏像をはじめ、知られざる古仏が数多く出展されています。
初日に出かけて、青木氏による会場での展示仏像の説明、講演会、オープニングパーティに参加してきましたが、大変興味深い展示仏像で、必見の展覧会だと思います。

1月18日(日)まで開催していますので、是非ご覧になってください。

〈その1〉の5月の高知探訪の処でご紹介した、湛慶工房の作とみられる笹野大日堂・大日如来坐像も出展されていました。
高知須崎の田舎で拝した大日像に、東京でもう一度出会うことが出来るなどとは思ってもいなかっただけに、大変うれしい再会でした。



11月末には、長駆、九州まで出かけました。
今年のフィナーレの観仏探訪となりました。
同好の方々と、九州・福岡の仏像の展覧会と国東方面の仏像探訪、2泊3日のスケジュールです。

初日は、今回の九州行きの最大の目的の「九州仏~1300年の祈りとかたち展」です。
福岡市博物館で開催されました。

九州仏~1300年の祈りとかたち展ポスター
この展覧会、九州の古仏像、約100体が出展される大展覧会で、九州の仏像が一堂に集う、約半世紀ぶりの展覧会ということです。
これを見逃してはならじと、九州まで出かけた訳です。

流石に、キャッチフレーズ通りの九州仏大集合のすごい展覧会で、わざわざ出かけただけのことはありました。
出展仏像をご紹介したくとも、多すぎて叶いません。

これらの大仏像群の中で、際立って光っていたのは、浮嶽神社の如来立像・菩薩立像長谷寺の十一面観音立像>でした。
他の仏像達を圧しての、圧倒的な迫力とパワーでした。

福岡県・浮嶽神社~如来立像(重文・平安前期)
福岡県・浮嶽神社~如来立像(重文・平安前期)

福岡県・長谷寺~十一面観音立像(重文・平安前期)
福岡県・長谷寺~十一面観音立像(重文・平安前期)

展示されていた平安古仏の制作年代設定が、従来の私の常識というか感覚からすると、1~1.5世紀ぐらい古く設定されている仏像が多くあり、少々戸惑いを覚えました。
展示プレートを見ると8世紀とか9世紀制作という仏像が、続々とありました。

最近は、奈良~平安時代の木彫仏の制作年代の見方、考え方は随分多様になってきているように思います。
これまでの既成概念を取り払った方がよいのか、そういったものでもないのか、ちょっと迷ってしまう処です。


もう一つの九州の仏像の展覧会「福岡の神仏の世界展」へも行きました。
福岡県小郡市の九州歴史資料館で開催されていました。

福岡の神仏の世界展ポスター(右下の写真は個人蔵・男神立像(平安時代)
ポスター右下の像は個人蔵・男神立像(平安時代)

「九州仏展」に連携して、福岡県の古仏を集めた展覧会です。
こちらにも平安古仏が多数展示されていましたが、個人蔵の男神立像(平安時代)が大変興味深い古像でした。


ついでに大宰府の方へ寄り、観世音寺と九州国立博物館を観てきました。

福岡観仏先 

九州国立博物館蔵・観音菩薩立像(重文・平安前期)
九州国立博物館蔵
観音菩薩立像(重文・平安前期)
九州国立博物館蔵の観音菩薩立像は、一度見てみたいと思っていた平安古仏ですが、眼近に観ることが出来ました。

この観音像は、京都市上京区・清和院伝来で、かつて鴨川西岸の感応寺に祀られていました。
感応寺は、貞観年中(859~877)建立と伝えられ、建立当時の制作とみられている古像です。

流石にノミの冴えを感じる見事な9世紀一木彫像で、九博にわざわざ寄っただけのことはある見ごたえある仏像でした。


その後は、大分までロングドライブ、大分市内の評判の良い居酒屋で、グイグイと飲りました。
新鮮な魚が大変美味で、定番の関アジ、関サバだけではなく、イカ、タイなどのお造りが絶品。
ついつい調子に乗って、飲みすぎてしまいました。



2日目、3日目は、国東、宇佐方面を巡りました。

国東・宇佐方面観仏先

ご覧のとおり、12ヶ寺にも及ぶ寺々に加えて、大分県立歴史博物館にも行き、まさに精力的な古仏探訪でした。
前日、福岡の博物館を3館も観て、腹一杯満腹になるほど仏像を観た後で、これだけの観仏に廻ったわけですから、食べ過ぎも良いところといった食傷状態になってしまいました。

こうして、探訪仏像をリストアップしてみても、
「どの仏像がどんなだったかも良く覚えていない」
という混乱状態といったところです。

やはり観仏も腹八分か6分目ぐらいに留めておかないと、何をしに行ったのかわからないという有様になってしまうということなのでしょう。

とはいうものの、国東方面は、学生時代に訪れて以来の、45年ぶりの探訪となります。
昔、バスと徒歩だけで苦労して何日かかけて訪ねた仏像達を、1日であっという間に総ナメというスピード探訪となりましたが、大変懐かしく思い出深いものとなりました。

宇佐の大楽寺、大善寺の仏像、平等院講中の釈迦如来像、内野区の聖観音像などは、大変印象深く拝しましたが、そのあたりの話は、またあらためて「観仏日々帖」でご紹介できればと考えています。

大分県宇佐市・大楽寺~伝弥勒仏像(重文・平安後期)..大分県宇佐市・大善寺~薬師如来坐像(重文・鎌倉)
宇佐市・大楽寺~伝弥勒仏像(重文・平安後期)    大善寺~薬師如来坐像(重文・鎌倉)

大分県国東市・平等院講中~釈迦如来坐像(県指定・平安後期)..大分県豊後高田市・内野区~聖観音立像(県指定・平安中期)
国東市・平等院講中~釈迦如来坐像    豊後高田市・内野区~聖観音立像

院内町・龍岩寺の奥院礼堂の三尊仏も、45年ぶりの再会でした。

急坂を上った先の山腹の石窟に造られた礼堂に、石仏かと紛うような巨像の三尊仏が静かに祀られている幽玄神秘な光景を目にすると、心撃たれる大きな感動に包まれずにはおられませんでした。

大分県院内町・龍岩寺奥院礼堂

大分県院内町・龍岩寺奥院礼堂三尊仏(重文・平安後期)
石窟に築かれた院内町・龍岩寺奥院礼堂と三尊仏(重文・平安)


仏像三昧も度過ぎて、超満腹になってしまった九州観仏旅行も、これでおしまい。

最後の口直しに、趣向を変えて、小石原焼のやきもので有名な東峰村に寄りました。
小石原焼は、「飛び鉋模様」の生活雑器で知られていますが、何十件もの窯元が道の両側に並んで、大変賑やかな町になっていました。

小石原に来たら、一度行ってみたいと思っていた、陶芸作家・福島善三氏の「ちがいわ窯」に立ち寄って、中野月白磁の汲出し茶碗を買いました。
美しい青白磁の汲出し茶碗が手に入って、大満足!!

ウキウキ気分で、九州を後に帰路につきました。

小石原焼・ちがいわ窯

福島善三作・中野月白磁~汲出し茶碗
訪れた小石原焼・ちがいわ窯と、そこで買った福島善三作の中野月白磁汲出し茶碗


12月は、11月の観仏フル稼働の後遺症で、仏像はお休み。
しばらく仏像から離れて、他の事に眼をやるようにし、やっと仏像満腹状態から、回復しつつあります。



以上で、2014年の仏像探訪総まくりは、おしまいです。


飽きもせず、懲りもせず、よく観仏にまわったものだと振り返っていますが、「観仏日々帖」ご覧いただいている皆さんには、

「なんだ、この程度か!私の方がもっともっとたくさん観仏にまわっているよ!」

という方が、沢山いらっしゃるのかもしれません。

私には、
「観仏に振り向けることが出来る体力は、このあたりが限界かな?」
という処です。

2回にわたって「今年の観仏を振り返って」というテーマで綴らせていただきました。
只々個人的な観仏探訪記録を、ダラダラと書き綴っただけに関わらず、辛抱してお付き合いいただき、有難うございました。

2014年もあと数日という処まで押し詰まりました。

来年も、HP「神奈川仏教文化研究所」、ブログ「観仏日々帖」に、気ままな仏像記事を連ねていきたいと思っております。
よろしくお付き合いいただけますよう、お願いいたします。


皆様、良き年を迎えられますよう!!


古仏探訪~今年の観仏を振り返って〈その1〉  【2014.12.14】


「観仏日々帖」、ご覧いただき、有難うございます。

2014年も師走に入り、間もなく新たな年を迎えるといった頃になってきました。
お陰様で、今年も健勝で過ごすことが出来、観仏探訪にも精を出すことが出来ました。

この一年、仏像一辺倒というわけではなくて、いろいろなことに手を出したり、海外旅行にも出かけたりはしましたが、
結局の処は、「観仏三昧的生活」といっても良いのかもしれません。

そこで、一年を締めくくるにあたって、今年、どのような古寺を訪れ、どのような古仏を拝したのかを、「総まくり」で振り返ってみることにしました。

私の「観仏探訪先と、その折の一言感想」を、月を追ってご紹介、振り返ってみようかと思います。

私個人の観仏探訪記録などは、面白くもなんともないかと思いますが、ちょっとお付き合いいただければ、有難く存じます。


【2月】

新年1月は、観仏はお休み。

2月に入ると、もう観仏禁断症状が発症。
ウズウズしてきて、摂津方面、葛城方面観仏探訪へと出かけました。
同好4人、一泊二日の観仏旅行でした。

摂津方面の探訪先は、ご覧のとおりです。
摂津・高槻市の、見どころある平安古仏を訪ねました。

摂津観仏探訪先

摂津観仏の一番の目的は、霊松寺・十一面観音立像の拝観でした。

この仏像は、井上正氏が「古密教仏巡歴」に採り上げられている古仏です。
例のごとくですが、

「本像は、むしろ八世紀における奥行きの浅いタイプの等身大代用檀像の一例と考えられ、したがって天平年間行基の創建となす寺伝は、本像の造立年代を考える上で、一つの可能性を示すものといってよいであろう。」

と述べられている仏像です。

この文章が書かれた頃(1987~9)には、大阪府三島郡島本町の「釈恩寺」に祀られていました。

釈音寺・十一面観音立像...釈音寺・十一面観音立像
釈音寺・十一面観音立像~三島郡島本町の「釈恩寺」に祀られていた頃の写真

調べてみると、釈恩寺は廃寺となっていました。
今は親寺である高槻・霊松寺に引き取られていることがわかったのです。

勇んで出かけました。
拝して観て、びっくりしてしまいました。
近年の修理によって、全身金色に仕上げられ、面貌、体躯、衣文も相当に手が加えられていたのです。

霊松寺(旧釈音寺)十一面観音立像
全身金色に仕上げwられた霊松寺(旧釈音寺)十一面観音立像

「ご立派な姿に復された。」

ということになるのでしょうが、平安古仏愛好家にとってみれば、
「誠に残念、古い写真のようなお姿そのままにしておいてほしかった。」
という処です。
正直、がっかりの霊松寺(釈恩寺)・十一面観音像、拝観となりました。


廣智寺・十一面観音像は、

「長岡京時代・平安初期の唐風色濃いエキゾチックな表現の仏像」

と思われる仏像。

廣智寺・多臂観音菩薩立像
廣智寺・多臂観音菩薩立像

再訪となりましたが、大変興味深く、強く惹き付けられる仏像でした。
この仏像は、観仏日々帖「古仏探訪~大阪高槻市・廣智寺の多臂観音菩薩立像」で、紹介させていただきました。

もう一つ、注目したのは、本山寺・大日如来坐像
予定外でしたが、突然のお願いで拝させていただきました。

本山寺・大日如来坐像..本山寺・大日如来坐像
本山寺・大日如来坐像

無指定で、殆ど知られていない像ではないかと思います。
本堂に目立たずに祀られており、「川久保の廃円長寺」に在った像だそうです。
結構磨滅していますが、唐招提寺講堂の薬師如来のお顔を想起させるような古様な像です。
造形の迫力も十分です。
興味深い、注目の古仏でした。


翌日は、葛城方面です。

葛城方面観仏探訪先

ご覧のとおりの観仏先です。

この中では、なんといっても、下永区・八幡神社の地蔵菩薩立像、宮古区の薬師如来坐像が、出色の魅力あふれる平安古仏でした。
共に、再訪でしたが、何度見ても惹き付けられ、見惚れてしまいます。

下永区・八幡神社の地蔵菩薩立像は、観仏日々帖「古仏探訪~奈良・磯城郡川西町・下永区の地蔵菩薩立像」で、ご紹介しました。

Y字状の流れるような衣文が魅力の、素晴らしき地蔵像です。

下永区・八幡神社の地蔵菩薩立像
下永区・八幡神社の地蔵菩薩立像


宮古区の薬師如来坐像は、その堂々たる姿に圧倒されてしまいます。
迫力あふれる平安前期仏像です。

宮古区・薬師如来坐像

宮古区・薬師如来坐像
宮古区・薬師如来坐像

奈良様の雰囲気を留め、乾漆造の造形表現を思わせますが、その圧倒的な重量感、重厚感は、平安前期木彫そのもの。
知られざる見事な古像だと、あらためて感じました。

同好メンバーと、奈良まちで仏像談義に花を咲かせながら飲んだ酒は、五臓に沁みて、本当に美味かった。



【3月】

1.栃木・鹿沼市の「医王寺の仏像特別見学会」と益子・西明寺に出かけました。

栃木方面観仏探訪先

医王寺・特別見学会ポスター

医王寺では、2013年「金堂」の修復落慶を記念し、図録「医王寺の仏像」が刊行されました。

今回の特別見学会は、その調査研究成果を踏まえて、専門研究者の解説により、非公開仏像が特別公開されたものでした。


医王寺には、平安時代から鎌倉時代の仏像が、約30躯のこされており、御住職も調査研究に大変前向きな方で、興味深く拝観しました。


医王寺へ行ったその足で、ついでに、益子・西明寺の仏像群を拝しました。

本尊秘仏・十一面観音立像(平安・県指定)も、午年開帳で拝することが出来ました。
西明寺の木彫群は、近年、秘仏厨子のなかから、バラバラに破損した鎌倉時代の仏像群が見つかり、県指定文化財とされると共に、1987年から5年かけて解体修理が行われたものです。
解体修理は、本間紀夫氏主宰の仏教造型研究所で行われました。
本間氏は、観仏日々帖「新刊・旧刊案内~木彫仏の実像と変遷」でご紹介した、紹介書の著者の方です。

聖観音他の木彫群(鎌倉)が、堂内に林立する姿は、なかなかの壮観でした。

西明寺・本堂仏像群安置状況

西明寺・本堂の仏像..西明寺・本堂の仏像
西明寺・本堂の仏像群

ついでに寄った、益子焼の町、浜田庄司記念館も、なかなかの趣で、何やら心がほっとするようなホッコリ感に包まれました。

益子・浜田庄司記念館
益子・浜田庄司記念館


観音の里の祈りとくらし展ポスター
2.東京藝術大学美術館で開催された、観音の里の祈りとくらし展-びわ湖・長浜のホトケたち-」に出かけました。
長浜市と東京芸大の共同開催で、湖北に遺る約20体の平安時代の観音像が展示されました。
こじんまりした展覧会でしたが、地域の人々によって、大切に現代まで守り継がれてきた、湖北の仏像達の展覧会で、ほのぼのあたたかな気持ちとなる展覧会でした。

菅山寺・十一面観音立像
菅山寺・十一面観音立像
この展覧会の目玉は、なんといっても、赤後寺・日吉神社の千手観音立像(重文・平安前期)でした。
戦火や廃仏毀釈の嵐の中から、里人が守り通してきた仏像ですが、出展諸仏像のなかでは、抜きん出た迫力、造形力で、見事なものでした。

近年の調査で、「木心乾漆像」であることが判明した菅山寺・十一面観音立像(長浜市余呉町坂口・市指定文化財・平安前期)も、湖北における木心乾漆の作例の一つとして、注目されるものでした。


関西から上京した同好の方との展覧会見学、昼からイタリアン&ワインで酒盛り、いい気分になってしまいました。


【4月】

1.関西での同窓会やOB会のついでに、奈良・飛鳥の古仏を、少しばかり見て回りました。

明日香観仏探訪先

電動レンタサイクルに乗って、2時間ほどの明日香古寺仏像巡りとなりました。
電動自転車は、岡寺に至るあの急坂を、ラクラク登っていけます。
びっくりラクチンでした。

川原寺の持国・多聞天立像は、初めて拝する仏像でした。
平安前期の立派なの天部像ということで、一度、拝したいと思っていたのですが、なかなか機会がなく、そのままになっていたのです。
礎石が並び整備された川原寺址の傍に、ひっそりと建つ寂れた川原寺本堂のなかに祀られ、知る人の少ない仏像です。

河原寺・伽藍址と現在のお堂
河原寺・伽藍址と現在のお堂

河原寺・持国天立像..河原寺・多聞天立像
河原寺・持国天立像、多聞天立像

ようやくの拝観となったのですが、果たして、期待通りの仏像でした。
聖宝が当時の別当に在任していた頃(879~887)の制作と伝えられますが、そのとおりの、のびやかで量感に満ちた堂々たる風格の天部像です。
風雨にさらされたのか、随分、損耗したところがあるのが残念です。


橘寺の日羅像、地蔵菩薩像は、聖倉殿(収蔵庫)に安置されており、春秋一定期間しか公開されていません。
そのタイミングを狙って訪れました。
日羅像は、以前は奈良博に常時陳列されていたなじみの仏像でしたが、地蔵菩薩像は、今回が初めての拝観でした。
両股を隆起させたY字状衣文は日羅像と同形式ですが、平安中後期の作らしい、温和な造形の仏像でした・

橘寺・日羅立像..橘寺・地蔵菩薩立像
橘寺・日羅立像(左)、地蔵菩薩立像(右)


2.湖西、高島市の保福寺の釈迦如来像を訪ねました。

保福寺他観仏先

この仏像も、井上正氏の「古密教彫像巡歴」に採り上げられている仏像です。
湖西線の新旭駅が最寄り駅という、少々不便なところに在るお寺ですが、
「井上正氏、採り上げ仏像の全てを見てやろう」
という一環で、出かけてみたのです。

思いの外に、素晴らしい釈迦如来像でした。

保福寺・釈迦如来坐像
保福寺・釈迦如来坐像

観仏日々帖「古仏探訪~滋賀県高島市・保福寺の釈迦如来坐像」で、なかなかの仏像であることを、紹介させていただきました。

保福寺のご住職ご夫妻には、温かくお迎えいただき、親切にして頂きました。
心よりの感謝です。



3.神奈川県川崎市の能満寺の聖観音菩薩立像が、12年に一度の午年ご開帳中ということを知り、訪れました。

能満寺

能満寺・聖観音菩薩立像は、川崎市最古の10世紀制作といわれる平安古仏です。
川崎市・横浜市エリアでは、10世紀まで遡る平安古仏は、本像ぐらいかと思われますので、一度、是非拝してみたいと思っていた平安古仏でした。

江戸時代の修復により、顔部の相当手が入っていて玉眼になっているなど、体部との釣り合いが悪くなっていますが、胸から下の造形や衣文の彫口などは平安前期のボリューム感やダイナミックさの名残を十分とどめています。
ずんぐりとした体躯や、誇張気味の身体の捻りなどは、平安時代東国の土臭さのようなものを感じますが、それなりの力感を感じる仏像でした。

能満寺・聖観音菩薩立像
能満寺・聖観音菩薩立像


4.東京国立博物館の新指定重要文化財展を観に行きました。

この新指定重要文化財展は、その年度に新たに重要文化財に指定された文化財を、東博に展示し観覧に供するもので、毎年、恒例の展示になっています。

東博・新指定重要文化財展出品仏像

展示仏像は、ご覧のとおりでした。

九品寺の聖観音立像が、重要文化財に新たに指定されたのは、大変うれしく思いました。
この観音像は、長らく、現在閉鎖中の琵琶湖文化館に寄託展示されている仏像です。
京都・八瀬文化財保存会・十一面観音立像に近く、善水寺の梵天・帝釈天像に造形がよく似ている仏像で、10世紀の制作とみられています。
優れた彫技で、おだやかな丸顔が印象的です。
平安中期の仏像の良さがよく出た像で、見どころあるお気に入りの仏像です。

当麻寺本堂の十一面観音像の重文指定も、なかなかの注目でした。
この像は、当麻寺本堂内の目立たない右脇の間の奥に安置されている等身大の像です。
平安前期、9世紀の制作とみられています。
像の大半は、足先から蓮肉部まで含めて一材から彫出される一木彫で、野性味のある雄渾さが印象的な、迫力ある像です。
彫刻史の王道からちょっと横道にそれたような、アクの強さが前面に出た仏像なのですが、このような仏像が重文指定を受るようになったのだなあと、ちょっとばかり感慨を覚えました。

九品寺・聖観音立像...当麻寺本堂・十一面観音像
九品寺・聖観音立像(左)、当麻寺本堂・十一面観音像(右)


【5月】

なんといっても、5月は行楽シーズン、どこへ行っても人ばかりという処です。

大人しくしていようかと思いましたが、新緑さわやかな素晴らしき季節です。
観光地を避けつつ、やはり観仏探訪へ、ということになってしまいました。


法隆寺-祈りとかたち展
1.まずは、東京藝術大学美術館で開催された「法隆寺-祈りとかたち展」に出かけました。

法隆寺金堂に安置される、国宝・毘沙門天像、吉祥天像(重文・12C)が、出展されました。
この両像は、法隆寺金堂に安置されています。

この像の見どころは、鮮やかな繧繝彩色と切金文様の素晴らしさですが、法隆寺金堂では遠くから薄暗い照明の中で、その姿をクリアーに観ることは叶わず、その美しさがほとんど判りません。
博物館の明るい照明の中で観ることができ、その鮮やかな美しさを十二分に堪能でました。

法隆寺金堂・吉祥天立像...法隆寺金堂・毘沙門天立像
法隆寺金堂・吉祥天立像(左)、毘沙門天立像(右)


鈴木空如の法隆寺壁画模写を観ることが出来たのは、大収穫でした。

鈴木空如は、法隆寺壁画の模写に人生をささげた人です。
生涯に三回、三組の模写を行っており、その制作時期は、大正5年から昭和11年の20年間に亘っています。
誰の助けもなく、単身堂内に足場を組み、汗にまみれ、時にこごえる身で、ロウソクの明かりだけを頼りに大紙をあやつり、すべて自己の負担で遂に壁画12面を模写し終えたといわれています。
眼前に見るのは、初めての事でしたが、空如の祈りが込められたような美しく見事な模写に、心打たれました。

鈴木空如・法隆寺壁画模写..鈴木空如
鈴木空如・法隆寺壁画模写と鈴木空如


2.高知県の仏像探訪に、同好の方々と2泊3日で出かけました。

今年は、四国・西国八十八か所・霊場開創1200年で秘仏一斉ご開帳が行われていますし、高知・竹林寺文殊菩薩像が50年ぶりに御開帳されるというので、思い切って出かけたのです。

実は、高知の仏像の観仏探訪には、これまで訪れたことが無かったのです。
香川、徳島、愛媛も仏像は、これまでに一応の探訪をしたことがあるのですが、高知は未体験、念願の仏像探訪であったのです。

高知方面観仏探訪先

ご覧のとおり、結構頑張って、精力的に回りました。

ずいぶん沢山廻りましたので、仏像尽くしで腹一杯となってしまい、一つ一つの印象、記憶が、希薄になってしまった感じです。

目玉の、50年ぶりに御開帳、竹林寺文殊菩薩像は、残念ながら期待したほどの感動というほどではありませんでした。
とりわけ印象に残ったのは、二つの仏像でした。

一つは、四国・土佐の地方色満点の魅力ある仏像。
大豊町・豊楽寺の3躯の如来坐像です。
至文堂刊「日本の美術226・四国の仏像」の表紙にも使われている仏像です。

「日本の美術226・四国の仏像」表紙~豊楽寺・釈迦如来像
「日本の美術226・四国の仏像」表紙~豊楽寺・釈迦如来像

釈迦如来像には、仁平元年(1151)の像内銘がある仏像ですが、随分と古様を伝えています。
10~11世紀といわれても、そうかなと思ってしまうぐらいです。
猫背でずんぐり、豪放さを残す造りで、地方の匂いを発散させています。
四国・高知の土地に根差す仏像に出会うことが出来た、という印象でした。


もう一つは、笹野大日堂の大日如来坐像です。

笹野大日堂・大日如来坐像
笹野大日堂・大日如来坐像

運慶作といわれる、光得寺・大日如来、真如苑・大日如来の造形、シルエットに似た感じの像です。
上げ底式内刳りになっている処も、運慶式と共通しています。

笹野大日堂での祀られている様子
笹野大日堂での祀られている様子
この像は、鎌倉末~南北朝時代の制作とされ、さほど注目はされていませんでした。
平成18年(2006)に、青木淳氏(現多摩美術大学美術学部准教授)をはじめとする文化財調査が行われた際、湛慶もしくはその工房作品と考えられる鎌倉中期の優作であるとの所見が発表され、一躍注目を浴びた像です。

像高49.3㎝の小さな大日像ですが、なかなか優れた出来の像で、湛慶工房の制作というのは、そのとおりだなと強く惹かれるものを感じました。
須崎市・笹野という小さな村で、祠のような小さな大日堂に祀られています。
地区管理で、地元の人々によって、大切に守られていました。

続けて、雪渓寺を訪れて、湛慶作の毘沙門天像ほかの諸像を拝しましたが、「さすが湛慶!」という、見事な出来でした。
笹野大日堂の大日如来坐像も、この造形のレベル感の延長線上にある仏像だなと、納得した次第です。

雪渓寺・湛慶作毘沙門天像
雪渓寺・湛慶作毘沙門天像

観仏探訪のほかには、赤岡の「絵金蔵」、坂本竜馬記念館、桂浜などへも寄ってみました。
土佐の絵金は、何やらおどろおどろしいのですが妖しき魅力があり、一種不可思議な気持ちに惹き込んでくれました。

赤岡の絵金祭り
赤岡の絵金祭り

高知では、連日の酒盛り。
酔鯨、司牡丹、土佐鶴、・・・・・・・と、銘酒を順番に飲みくらべ、飲み続け、さすがに二日酔いといったところです。
カツオのたたき、クジラのさえずりも美味かったし、鯖の刺身は活きが良くて絶品で感動。


2.妻と小浜~京都の2泊3日、小旅行に出かけました。

日頃、一緒に出掛けるということも少ないので、ちょっと罪滅ぼし気分も含めての旅行です。
しかし、結局、観仏づくしのような旅行になってしまい、趣旨のわきまえ足らずかと、小反省。

小浜方面の観仏先は、ご覧のとおりです。

若狭小浜方面観仏探訪先

京都から、車で、鯖街道を北上、葛川あたりを通って、小浜へ入りました。

葛川の花折トンネル近くの「鯖街道・花折」で、鯖寿司を食べました。
さすがに美味、下賀茂の京都店で食べるのとは一味違って、新緑の山あいで涼風通り抜けるなか味わった鯖寿司を堪能。

葛川「鯖街道・花折」
葛川「鯖街道・花折」


羽賀寺・十一面観音立像
羽賀寺・十一面観音立像
小浜での観仏は、今更というほどの有名処を訪ねました。

羽賀寺、多田寺の仏像は、何度訪れ拝しても、それぞれに魅力あふれ、興味深い像だと感じました。

多田寺さんに、2013年春、京都・龍谷ミュージアムで「若狭・多田寺の名宝展」の図録が、沢山積み上げられていました。
思いの外、売れなかったので、随分余っているとのお話でした。

大注目の素晴らしい展覧会だったのですが、こうした展覧会企画や図録販売は、なかなか悩ましい面があるようです。

多田寺・薬師如来立像脇侍像
多田寺・薬師如来立像脇侍像

ほかには、若狭神宮寺で若狭井をみてから鵜の瀬へめぐり、「お水送りの神事」に思いを致したりという処でした。

鵜の瀬
鵜の瀬

小鯛笹漬で知られる田中平助商店に寄って、これまた絶品のぐじの干物など、美味い干物を注文して、小浜を後にしました。


南山城の古寺巡礼展ポスター
京都へ戻って、京都国立博物館で開催の「南山城の古寺巡礼展」を観てきました。

さすがに人気で、なかなかの混雑。
3m近い、禅定寺の十一面観音立像の出展が、大目玉という処でしょうか。

多くの南山城の古仏が出展されていましたが、浄瑠璃寺・多聞天像(四天王のうち1躯出展)の極めてハイレベルな出来の良さ、美しさを、今更ながらに再認識しました。

浄瑠璃寺・多聞天立像
浄瑠璃寺・多聞天立像

海住山寺の小さな「大仏殿様」の四天王像
この像も、大変出来がよく、出展諸像のなかでは、精彩を放っていたように感じました。

海住山寺・持国天立像..海住山寺・増長天立像
海住山寺・持国天立像(左)、増長天立像(右)

そのあとは、観仏は脇に置いておいて、京の町をゆっくり楽しみましたが、ゆっくりついでに、また雨宝院へ寄ってしまいました。

雨法院

何度も訪ねている、私の大変お気に入りの仏像です。

雨法院・千手観音立像
雨法院・千手観音立像

ちょっと一般受けしにくいかもしれませんが、京に在って、奈良様の伝統をとどめた平安前中期仏の傑作だと思っています。
おだやかそうですが、堂々たる重量感で、腰回りの太さにはびっくりさせられます。
なるべく、有名にならないで欲しいと願っています。


6月は、何かと忙しく、観仏はお休みとなりました。

以上が、2014年1~6月、6か月の観仏探訪総まくりでした。

結構多いのか?
それほどでもないのか?
如何でしたでしょうか。


次回は、後半戦7~12月の観仏探訪を、ご紹介したいと思います。

もう少し辛抱して、お付き合いください。

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