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観仏日々帖

古仏探訪~回想の地方仏探訪⑧ 「井上正・古密教彫像を巡る」 【2018.7.6】


【50歳代半ばで、再び「地方仏探訪」の世界へ~30年ぶりの探訪再開】


長年、ご無沙汰だった「地方仏探訪」を再開したのは、50歳代半ば頃、十数年前のことであったでしょうか。

孝恩寺の仏像群に、強い刺激を受けてから、5~6年後であったと思います。
会社勤めになってからは、全くのご無沙汰でしたので、30年以上ぶりに「地方仏探訪」を再開したということになろうかと思います。

仕事の方も、少しばかりは余裕が出てきて、学生時代に訪ねた東北の地方仏を、一人で懐かしく再訪してみたりしました。

「地方仏探訪への情熱」が、少しずつ、蘇ってくるようになりました。
このHP(神奈川仏教文化研究所)の母体であった東京寧楽会主催の仏像探訪旅行に参加させていただいたり、カルチャースクールの仏像講座に顔を出したりするようになりました。



【若き日以上に、地方仏探訪にハマって熱中~全国各地を跳び回る】


そんな中で、仏像愛好の仲間もできるようになり、一緒に「地方仏探訪」に出かけるようになりました。

「今度は、○○地方の仏像を観に行きましょう。
その次は、**寺のご開帳があるから、そのあたりの仏像も一緒に訪ねてみましょう。」

という風に、すっかりハマってしまいました。

学生時代以上に、地方仏探訪に熱を上げるという感じになりました。

地方仏探訪を再開してから、十数年、随分各地の古寺、古仏を巡りました。
北は東北から、南は九州まで、巡りました。
どのくらいの数を回ったかといわれると、よくわからないのですが、振り返ってみますと、全国都道府県の中で、仏像探訪のために訪れていないところは、「北海道、新潟県、熊本県、長崎県、宮崎県、沖縄県」だけになります。
残りの41の府県は、大なり小なり「仏像探訪」のために訪れたということです。

よく、凝りもせずに、飽きもせずに、出かけているものです。
どこがそんなに面白いのかと、呆れられてしまいそうですが、
きっとこれからも、
「どこそこの仏像が、何十年ぶりでご開帳される」
とか、
「あそこには、平安古仏の地方仏があるようだ」
という話になると、せっせと出かけていくことになろうかと思います。

思い出深い地方仏、心に残る地方仏もたくさんあるのですが、一つ一つふれているとキリがありませんので、やめておきます。



【井上正著「古仏」という本で知った「古密教彫像」という世界~今も、こだわり探訪中】


ここでは、一つだけ、私が、
「今も、こだわりを持って、訪ね続けている古仏たち」
について、ご紹介しておきたいと思います。

それは、
「井上正一氏が、自著作で採り上げている“古密教彫像”といわる古仏」
です。
「そんなもの、よく知らない。」
といわれてもという方も、結構いらっしゃるのではないかと思います。

私が、
「井上正氏 の 古密教彫像」
という話を、
初めて知ったのは、40歳頃のことであったと思います。
書店で、「古仏~彫像のイコノロジー」(井上正著・昭和61年・法蔵館刊)という本が出ているのを見つけました。

井上正著「古仏」(法蔵館刊)

そこに、若き日最後の地方仏探訪となった「観菩提寺・十一面観音像」が、採り上げられていたのでした。

井上正著「古仏」に採り上げられている観菩提寺・十一面観音像
井上正著「古仏」に採り上げられている観菩提寺・十一面観音像

観菩提寺・十一面観音像
観菩提寺・十一面観音像

懐かしくなって、迷わずこの本を買いました。
この本に採り上げられていたのが、井上正氏の言う「古密教彫像」というものでした。



【不思議なオーラ、気迫勝負の仏像ばかりのラインアップに強く惹かれる】


ページをめくっていくと、

「アクの強い、クセのある仏像」「不思議なオーラを発している仏像」

ばかりが登場します。
変わった仏像なのですが、何故か、強く惹き付けられる魅力あふれる仏像ばかりなのです。
前回ご紹介した「大阪 孝恩寺の古仏群」も、この本にしっかり採り上げられていました。

孝恩寺・伝弥勒菩薩像孝恩寺・跋難陀龍王像
孝恩寺・伝弥勒菩薩像(左)、跋難陀龍王像(右)

奇怪な表情であったり、強烈な肥満体であったりして「異形の歪んだ造形」の仏像ばかりです。
「気迫勝負の仏像」と云っても良い感じで、造形の出来の良さを度外視したかのようですが、強烈なインパクトを感じます。

この本に採り上げられている仏像の「目次」をご紹介すると。ご覧のとおりです。


「古仏~彫像のイコノロジー」 採り上げ仏像一覧 【目次】
「古仏~彫像のイコノロジー」採り上げ仏像~目次



【「奈良時代に遡る制作」「霊木化現仏」という新発想を提起した井上正氏】


井上氏は、本書に採り上げた仏像を、
「烈しい霊威表現の仏像」、「尋常ならざる精神性を発する表現の仏像」
と呼んでいます。
そして、「行基開基伝承」と結び付け、多くの仏像が奈良時代の制作に遡る古密教系彫像なのではないかという仮説を提起しています。
また、「霊木化現仏」という考え方を示して、霊木から仏の姿が顕現する途上の有様を表現するために、背面の彫りや後頭部の螺髪の省略、眼の形を彫らない表現の造形がなされているものが多々あると指摘しています。

井上正氏の「古密教彫像」についての考え方などについては、以前に、
「観仏日々帖 新刊旧刊案内~井上正著「続・古仏 古密教彫像巡歴」  【その1】  【その2】
で、ご紹介していますので、ご参照いただければと思います。

私は、これらの仏像が、「奈良時代の制作に遡る」とか、「霊木化現表現である」とは、なかなか思えません。

それはそれとして、井上正氏の眼で選ばれた「井上正ワールドの古密教彫像」というものに、強く惹かれる魅力を感じました。
是非、直に拝して、見てみたいものだと思いました。

地方仏探訪を再開してから、この本の中の気になる古仏をいくつか訪ねてみました。
京都 勝光寺・聖観音像、滋賀 大岡寺・薬師如来像、兵庫 楊柳寺・楊柳観音像・十一面観音像
あたりを、手始めに訪ねてみました。

いずれも、期待に違わず、「強いオーラを発する、インパクト十分の仏像」でした。

「これは、凄い迫力だ!」

と、強く惹き付けられてしまいました。

先にご紹介した、観菩提寺・十一面観音像、孝恩寺・仏像群もそうですが、どの仏像も、「強い“気”」を発散させているのです。
異形なのですが、デモーニッシュなエネルギーを発散させているのです。
得も言われぬ、不可思議な魅力を感じました。



【「3つの雑誌連載シリーズ」で採り上げられていた、96件の「古密教彫像」】


「古仏~彫像のイコノロジー」という本は、日本美術工芸という雑誌に掲載された「古仏巡歴」という連載が単行本化されたものです。
これには、その続編、続々編があって、同じ雑誌に連載されていることを知りました。
「古密教彫像巡歴」「古仏への視点」と題する執筆文で、全部「古密教彫像」について採り上げているのです。
続編、続々編は、単行本化されていませんでしたので、早速、図書館で掲載誌のコピーを全部取って、これもまた探訪先の候補として加えました。

~「古密教彫像巡歴」は、後に「続古仏・古密教彫像巡歴」と題して、2012年に単行本化されました。~

井上正著「続 古仏」(法蔵館刊)


そこでの、採り上げ仏像の「目次」は、次のとおりです。


「古密教彫像巡歴」採り上げ仏像一覧 【目次】
「古密教彫像巡歴」採り上げ仏像~目次
「日本美術工芸」580~615号連載(1987.1~1989.12)


「古仏への視点」採り上げ仏像一覧 【目次】
「古仏への視点」採り上げ仏像~目次
「日本美術工芸」652~675号連載(1993.1~1994.12)


「古仏~彫像のイコノロジー」「古密教彫像巡歴」「古仏への視点」
の3つのシリーズを合わせると、採り上げ仏像の目次の件数は、96件になります。

良く知られた仏像の名前もいくつかはありますが、その多くは、あまり知られていない仏像なのではないでしょうか。
私も、聞いたこともない知らない仏像の名前が、たくさん並んでいました。

まさに「マニアックな仏像」と云って良いのかもしれません。



【頑張って、こだわって訪ねるうちに、そのほとんどを拝観】


これらの「井上正ワールドの古密教彫像」を、少しずつ見て回っているうちに、その不思議な魅力にハマってしまいました。
チャンスがあれば、ちょっと無理をしてでも訪ねるようになりました。

段々と、訪ねた仏像の数が増えていくうちに、

「何とか、この96件、全部の古仏を見てみたいものだ!」

と念ずるようになってきました。

「井上正・古密教彫像探訪の完全制覇へのチャレンジ」

に、こだわりを持つようになってきました。

ご覧のとおり、知られざる古寺、古仏という感じなので、随分辺鄙なところにあったり、無住のお堂に祀られた仏像であったりして、

「訪れるのも、なかなか大変。
拝観のお願い、ご了解をいただくのも、結構大変。」

という処が、多いのです。
厳重秘仏になっているものもあります。

拝観のご了解をいただくのに苦労したこともありましたが、一生懸命回ってきました。
この十数年を、振り返ってみると、これらの古仏のほとんどを、直に拝することが出来ました。



【残すは5件のみ~念願の全件完全制覇】


現在、未だ、拝していない仏像は、5件を残すのみとなりました。
未見の仏像は、

福井 二上観音堂・十一面観音像、愛知 高田寺・薬師如来像、和歌山 東光寺・薬師如来像、和歌山 満福寺・十一面観音像、新潟 宝伝寺・十一面観音像

の5件です。

福井 二上観音堂・十一面観音像愛知 高田寺・薬師如来像
(左)福井 二上観音堂・十一面観音像、(右)愛知 高田寺・薬師如来像

こんなマニアックな仏像を、よくこれだけ訪ねてきたものだと、思います。
ここまでくれば、こだわりも、もう意地のようになってきた感じです。

是非とも、「井上正・古密教彫像シリーズの完全制覇」を、何とか果たしたいものだと念じています。



【「観仏日々帖」で、これまでご紹介の、「井上正・古密教彫像」たち】


これまでに、私がこれまで訪れた、これら古密教彫像のうちのいくつかは、この「観仏日々帖」で、紹介させていただきました。

次のとおりです。

【古仏探訪】京都・勝光寺 聖観音立像 (2012.6.22)

【古仏探訪】兵庫・多可郡 楊柳寺 楊柳観音・十一面観音像 (その1)  (その2) (2013.1.12~25)

【古仏探訪】秋田県大仙市 小沼神社・観音菩薩像 (その1)  (その2)  (2013.9.7~21)

【古仏探訪】秋田県湯沢市 談山神社、土沢神社の観音像 (2013.10.5)

【古仏探訪】滋賀県高島市・保福寺の釈迦如来坐像 (2014.4.19)

【古仏探訪】「右京区嵯峨樒原高見町・般若寺の十一面観音像」京のかくれ仏探訪②> (2016.6.18)

【古仏探訪】「北区大森東町・安楽寺の薬師如来像ほか諸像」京のかくれ仏探訪④ (2016.7.16)

【古仏探訪】「右京区嵯峨清滝月ノ輪町・月輪寺の千手観音像ほか諸仏」京のかくれ仏探訪⑥ (2016.8.19)

【古仏探訪】回想の地方仏探訪⑥ 「三重 観菩提寺」 (2018.6.9)

【古仏探訪】回想の地方仏探訪⑦ 「大阪 孝恩寺」 (2018.6.23)


ご覧いただけると、井上正氏の云う古密教彫像が、

「尋常ならざる精神性を発する、霊威表現の仏像」であること
「アクが強く、クセがある」ものの、不可思議な魅力で、人を強く惹き付けるものがあること

が、お判りいただけるのではないかと思います。

ご紹介した中でも、とりわけ、

京都・勝光寺の聖観音像の、「妖しい目力(めぢから)で、射すくめるような面相」

京都 勝光寺・聖観音像
京都 勝光寺・聖観音像

兵庫・楊柳寺の楊柳観音像の「古拙で不可思議で、神秘的な存在感」、十一面観音像の「唇から漲る“気”を吐き付けるような迫力」

兵庫 楊柳寺・楊柳観音像兵庫 楊柳寺・十一面観音像
兵庫 楊柳寺・楊柳観音像(左)、十一面観音像(右)

京都・安楽寺の薬師如来像の「ごっつい木塊が迫ってきてたじろぐような凄み」

京都 安楽寺・薬師如来像
京都 安楽寺・薬師如来像

には、それぞれ強烈なインパクトを感じました。

忘れ得ぬものがあります。



【最も「心洗われる」感動~忘れ得ぬ、秋田・小沼神社】


そして、最も心に深く残っているのは、秋田大仙市の小沼神社・聖観音像を訪ねた時の思い出です。
井上正氏の「古仏への視点」の最後に紹介されている仏像です。

訪ねたのは、5年前、2013年の七夕の日のことでした。

実は、観音像が祀られる小沼神社のたたずまいに心撃たれたのです。
緑に包まれた小沼のほとりに、ポツリと佇む小沼神社の景観を観て、

「心洗われる」「心揺さぶられる」

そんな気持ちが、こみ上げてきたのです。

秋田 小沼神社と小沼の風景
心揺さぶられた小沼と小沼神社の景観

鬱蒼とした森の中、突然眼前に開けた空間が出現し、そこには緑色の小沼が水をたたえています
沼の向こう側には、小さな社殿がひとつ、ポツリと静かに佇んでいます。

秋田 小沼神社と小沼の風景
小沼のほとりにポツリと静かに佇む小沼神社

そして、社殿には霊的空気感のある聖観音像が祀られています。

秋田 小沼神社・聖観音像、十一面観音像
小沼神社の社殿に祀られる聖観音像、十一面観音像

「神仙境、幽玄境」という言葉が、そのまま当てはまりそうな霊境空間そのものでした。

仏像そのものというよりは、祀られる社殿の景観、佇まいに感激したのですが、十数年間の地方仏探訪の数々の中でも、一番心撃たれたといっても過言ではありません。

もう一度、あの

「緑濃い水をたたえた小沼、沼のほとりにひっそり佇む社殿、そこに祀られる2体の観音像」

に再会したくて、昨年(2017年)、秋田の遠い田舎まで、また訪れてしまいました。

「もう一度、訪ねてきて本当によかった。」
「これからも、人に知られることなく、訪れる人もなく、あのままの姿で、残っていてほしい」

素直に、そんな気持ちになった、小沼神社再訪でした。

随分マニアックな話になってしまいましたが、私のこだわりの「井上正・古密教彫像を巡る話」を綴らせていただきました。



【年寄りのノスタルジー「回想の地方仏探訪」も、これでおしまいに】


8回にわたって続けてきました「回想の地方仏探訪」シリーズも、これでおしまいにさせていただきたいと思います。

学生時代、初めて東北の地方仏探訪に出かけた話から、50歳代半ばを過ぎてから、長らく縁がなくなっていた地方仏探訪を再開、再び熱中するまでの思い出話を、勝手気ままに綴らせていただきました。

何の面白みもない、若き日から近年までの地方仏体験の話でしたが、個人的には、しみじみと思い出深いものがあります。

唯々、年寄りのノスタルジー、自己満足的な回想話で、飽き飽き、辟易されたのではないかと思います。

我慢してお付き合いいただき、有難うございました。


古仏探訪~回想の地方仏探訪⑦ 「大阪 貝塚市 孝恩寺」 【2018.6.23】


50歳も近くなり、四半世紀ぶりに「地方仏」を訪ねた話です。


【50歳近くで、大阪に単身赴任に~たまには京都、奈良にも】


前回、ご紹介したように、若き日最後の地方仏探訪となったのは、新入社員の年に訪れた、「三重・観菩提寺の十一面観音像」でした。

それからは、仕事々々で「地方仏探訪」に出かける余裕も、その気もなくなってしまい、
「仏像とは縁遠い、忙しき仕事の日々」
を過ごすことになっていました。

50歳近くの歳になって、転勤で大阪勤務となりました。
単身赴任で、3年ほど大阪在住となりました。
奈良、京都が近くなって、休日に仕事がらみの所用がないときには、たまには古寺、古仏を訪ねてみるようにもなりました。
とはいっても、興福寺、東大寺、法隆寺といった有名寺院やその周辺を訪ねて、よく知られた仏像を懐かしく観るといったような処です。



【ある日、ふと 「孝恩寺を訪ねてみよう」 と、思い立つ】


休日のある日、ふと
「孝恩寺を訪ねてみようか」
と思ったのです。

平成10年(1998)頃のことだったでしょうか。
孝恩寺というのは、大阪府の南部、泉南と呼ばれる地域にあります。
平安前期の「異形仏」といわれる一木彫像が、沢山残されているのです。

孝恩寺・弥勒菩薩坐像
孝恩寺・弥勒菩薩坐像

孝恩寺・跋難陀龍王像
孝恩寺・跋難陀龍王像

孝恩寺・帝釈天立像
孝恩寺・帝釈天立像

この孝恩寺を、まだ一度も訪ねたことがなかったのです。

孝恩寺といえば、この春(2018年4~5月)に東京国立博物館で開催された「名作誕生-つながる日本美術展」に、孝恩寺の薬師如来立像が出展されていました。
覚えていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。

孝恩寺・薬師如来立像
孝恩寺・薬師如来立像



【異形で、個性的な平安古仏群で知られる孝恩寺】


当時、私が孝恩寺の仏像に関心、興味を持っていたのは、いくつかの本に、「注目すべき異形の仏像群」として、採り上げられていたからです。

「古仏~彫像のイコノロジー」井上正一著 (1986年・法蔵館刊)

「旅の仏たち」丸山尚一著 (1987年毎日新聞社刊)

「仏像のある風景~序説・古代美術の構造」田中日佐夫著 (1989年・駸々堂出版刊)

といった本に、

それぞれ、

「常識的な美とは別の、異様な精神の躍動が感じられてならない。」 (古仏)

「他のどの地方にも探すことのできない、日本彫刻のなかでも特異な仏像たちなのである。」 (旅の仏たち)

「きわめて個性的で、くせのある、しかも多様な造形性を示していると言える。」 (仏像のある風景)

と、述べられているのです。

「異様な精神性の、特異な仏像で、きわめて個性的でクセがある仏像群」

だというのです。

「いずれチャンスがあったら、一度、直に拝してみたいものだ。」

という気持ちがあったのです。



【四半世紀ぶりの「地方仏探訪」となった、孝恩寺】


思い立ったその日の朝、孝恩寺さんにTELして、
「一人なのですが、拝観させていただけますでしょうか?」
とお尋ねしたところ、
「ハイハイ、大丈夫ですよ、お待ちしています。」
と、快くご了解を頂戴しました。

孝恩寺の仏像は、大阪府内とはいうものの「地方仏」と云って良いものです。
若き日の最後に観菩提寺を訪ねてから、実に、25~6年ぶりに地方仏を訪ねることになったのでした。


孝恩寺は、大阪府貝塚市木積という処にあります。
大阪南部の泉南地域で、水間寺のある水間鉄道・水間観音駅から歩けば、20分ぐらいのところ、阪和自動車道・木積インターからほど近いところです。
のどかな風景の緩やかな坂道を上っていくと、小ぢんまりとしたお寺がありました。

孝恩寺への道

孝恩寺
貝塚市木積にある孝恩寺

境内に入ると、本堂の観音堂が目に入ってきます。
「釘無堂」と呼ばれ、釘を一本も使わずに建てられているそうで、鎌倉時代の建築、国宝に指定されています。

孝恩寺・本堂観音堂~釘無堂
孝恩寺・本堂観音堂~釘無堂

観音堂のそばにあるお住いの方に声をかけると、お寺の方が、仏像を安置してある収蔵庫に案内いただきました。
立派な収蔵庫です。

孝恩寺・収蔵庫
孝恩寺・収蔵庫

収蔵庫が開かれると、そこには、仏像が林立していました。
なんと、19体もの仏像群が安置されていて、全て重要文化財に指定されています。

お寺の方から、
「どうぞ、ごゆっくり拝んでください。
終わったら、声をかけてくださいね。」
とのお話で、
あとは一人でゆっくりと、じっくりと仏像を拝することが出来ました。



【得も言われぬ“気”を発散させる、不思議な空気感の仏たち】


明るい照明の中で、平安前期と思われる一木彫像が、立ち並ぶ有様は壮観そのものです。

ひと回り、ぐるりと目をやると、ほとんどが2メートル前後の像高の、木地の一木彫像です。
何とも言えない不思議な空気感が、全体に漂っているように感じました。
造形表現のタイプはいろいろ違うのですが、それぞれに強い個性を発散させています。

「美しい、きれい、整った」というような言葉とは、はるかに縁遠い造形表現です。
「クセのある、アクの強い」異形の仏像ばかりです。
一般的には、出来が良くないとか、田舎風とか言われてしまうのかもしれません。
そんな出来の良し悪しとは次元のちょっと違う、異質な存在感を感じるのです。

このような感覚について、安藤佳香氏は、こう語っています。

「各像ごとに作風が異なり、それぞれが独自の世界を表現している。
それにもかかわらず、明らかに通底する不可思議な空気をまとっている。
孝恩寺の木彫群に囲まれていると、不協和音の奏でる和音の中に身を置いているような気分になる。
これは不思議な体験だ。」
(「魅惑の仏たち~大阪・孝恩寺の木彫群」佛教大学主教文化ミュージアム資料集2013刊)

あの時、私が受けた感覚を、ぴったりと言い当てているようです。
言葉を言い換えると、

「得も言われぬ、ズーンと押し寄せるような“気”を発散する仏像たち」

が、そこに立ち並ぶというのでしょうか。



【とりわけ強烈なインパクトを感じた、3躯の仏像】


なかでも、強い“気”を発散させているようなインパクトを感じたのは、

弥勒菩薩像、跋難陀龍王像、十一面観音像

と、呼ばれている像でした。


弥勒菩薩像は、
ズシリと腹にこたえるようなパワー、底力といういうものを強く感じます。

孝恩寺・弥勒菩薩像

孝恩寺・弥勒菩薩像
孝恩寺・弥勒菩薩像

一見、素朴とか武骨といった感じがするのですが、内に籠められたオーラのようなものが、むくむくと頭をもたげて、“気”を発散させているようです。
左右不均衡に歪んだ大きな目鼻立ちは、土着的、土俗的な怪異さを示す面相です。
過度ともいえる厚みのボリューム感なども、存在感と迫力を増しているようです。

孝恩寺・弥勒菩薩坐像
厚み、ボリューム感あふれる孝恩寺・弥勒菩薩像側面


跋難陀龍王像は、
気迫のみなぎった強烈なオーラを発散しています。

孝恩寺・跋難陀龍王像
孝恩寺・跋難陀龍王像

「強い意志力、恐ろし気な緊張感、厳しい精神性」

そんな修飾語がフィットしそうです。
鋭く長い眼、キリリと固く結んだ口元は、怖いような気合に満ちています。

孝恩寺・跋難陀龍王像
鋭く怖いような顔貌の孝恩寺・跋難陀龍王像

刃物のように切れ味鋭く、深くえぐられた彫り口にも、何か尋常ではないものを感じさせ、圧倒されます。

孝恩寺・跋難陀龍王像
切れ味鋭い彫り口の跋難陀龍王像の衣文


十一面観音像は、
数少ない漆箔の像ですが、これまた特異な情感を表出しています。

孝恩寺・十一面観音像

孝恩寺・十一面観音像
孝恩寺・十一面観音像

強く唇を結び、への字に曲げた口元が、頑ななまでの意志力を示しているようです。
柔らかみとか情緒とかとは無縁の、硬質感、剛直感が際立った顔貌に、不思議なインパクトを感じざるを得ません。



【行基ゆかりの杣村であった木積の地~奈良時代に遡る像もあるのか?】


これらの仏像群は、行基の創建と伝えられる木積・観音寺に伝来したもので、その観音堂が孝恩寺観音堂として残されているということです。
20体ほどの仏像は、近隣の古仏が集まってきたものかもしれないと想定されているようです。

大変興味深いのは、孝恩寺のある木積の地が、行基にかかわる木材供給地、杣村であったということです。
行基は和泉の国の出身で、この貝塚・木積の地は、河内の地に生まれた行基にとって、土木や造寺造仏などに必要とした木材の集積地、すなわち兵站基地であったに違いありません。

孝恩寺の仏像は、一般には平安前中期の地方的作風の一木彫とされているのですが、このような行基ゆかり地という関わりから、奈良時代の制作に遡る木彫像ではないかとする考え方も、それなりにあるようです。


制作年代がいつかという話はさておいて、孝恩寺の仏像たちを観れば観るほどに、何とも言えない異形の造形が発する、強い精神性とか霊威感をひしひしと感じました。
どこかアンバランスな造形なのですが、それぞれが強い個性を主張するような“気”を発散させているのです。
惹き付けられるものがありました。

ふらりと、休みの日に出かけた孝恩寺でした。
ところが、想定外に、その迫力に「ガツン」とやられたような衝撃を受けたのでした。



【蘇ってきた、若き日最後の地方仏探訪の記憶~観菩提寺・十一面観音像の衝撃】


そんな“気”の漂う空気感の、お堂の中に身を置いていると、

「若き日最後の地方仏探訪で“物凄い気”を発散する仏像に、衝撃を受けた思い出」

が、ふつふつと蘇ってきました。

観菩提寺の十一面観音像を拝した時のことです。

観菩提寺・十一面観音像

観菩提寺・十一面観音像
三重 観菩提寺・十一面観音像

観菩提寺・十一面観音像を拝して、

「得も言われぬ物凄い“気”、デモーニッシュなオーラ」

に衝撃を受けてから、もう四半世紀余も経っています。
それから、長らく、仏像探訪からは全く縁遠い日々を過ごしていましたので、そんなことは全く忘れ去ってしまっていたのです。

ところが、孝恩寺の仏像の発する「強い“気”」を感じていると、遠くはるかに忘れ去っていた記憶が、蘇ってきたのでした。
若き日最後の観仏で、強烈な衝撃を受けた興奮が、心の中のどこかに「埋火」のように、くすぶり続けていたのでしょうか。



【忘れていた、地方仏探訪への情熱を呼び醒ましてくれた、孝恩寺の仏たち】


孝恩寺の異形の仏像たちに出会って、消え去っていた「個性あふれる地方仏と出会う感動」が、四半世紀を経て繋がったような気持ちになりました。

あの、観菩提寺・十一面観音の遠い記憶が、呼び醒まされて、

「また、地方仏探訪に出かけてみたい。」
「個性あふれ、インパクトある地方仏に出会ってみたい。」

そんな思いが、強く強くこみ上げてきたのでした。

仏像探訪とは縁がなくなってから、長らくの年月が経ってしまい、

「もう仏像探訪、仏像愛好の世界に戻るようなこともないのだろうな。」
「齢をとっても、地方仏探訪に出かけるということも、きっとないのだろう。」

と、なんとなく思い込んでいました。

ふと思い立って出かけてみた、孝恩寺での感動が、仕事々々で、全くご無沙汰であった私を、仏像愛好の世界に引き戻してくれ、仏像探訪への情熱を蘇らせてくれたように思います。

「いずれの時か、時間の余裕ができるようになったら、地方仏探訪に出かけてみよう。」

そんな思いを強く感じて、孝恩寺を後にしたのでした。



現実に、地方仏探訪に出かけ始めるようになるのは、それから5~6年先になってからのこととなるのですが、若き日の地方仏探訪の情熱を蘇らせてくれ、再び仏像探訪に熱を上げるようになった大きなきっかけとなった、孝恩寺探訪でした。


古仏探訪~回想の地方仏探訪⑥ 「三重 観菩提寺」 【2018.6.9】


三重県伊賀市にある、観菩提寺の十一面観音像。

「若き日の最後の地方仏探訪」 となった、思い出深い仏像です。

この仏像を拝し、発散する

「得も言われぬ物凄い“気”、強烈なオーラ」

に、受けた衝撃は、今でも忘れることは出来ません。

三重 観菩提寺・十一面観音像(平安前期・重文)

三重 観菩提寺・十一面観音像(平安前期・重文)
三重 観菩提寺・十一面観音像(平安前期・重文)



【学生から会社勤めへ~地方仏探訪など、とても無理そうな忙しい職場】


学生時代の後半は、地方仏探訪にハマっていましたが、卒業の時が来て就職、会社勤めとなりました。
職場は東京で、住み慣れた関西の地を離れることになりました。
昭和48年(1973)のことです。

いわゆる日本の高度成長期の最後となる年です。
その頃は「モーレツ社員」とか「企業戦士」とかいう言葉が流行語になったような時代で、私の勤めた職場も、ご多分に漏れずという感じでした。
先輩方を見ていると、毎日夜遅くまで働いて、そのあと飲みに行って、休みの日は、疲れた身体を休めるか、たまった仕事を片付けるかという様子です。
当時は、土曜日は勤務日で、休みは日曜、祝日だけでしたから、なかなか泊りがけでどこかへ出かけるという訳にもいきません。

「これは、奈良、京都はおろか、地方仏探訪に出かけるなどということは、到底できそうなことではないな!」
「これからは、仏像探訪などは、キッパリと諦めるしかないな!」

と覚悟を決めたのでした。



【若き日最後の地方仏探訪旅行へ~愛知から三重方面を探訪】


ただ、入社最初の年は、見習の新人でしたので、何日間かの夏休みがとれることになりました。
そこで、

「これが、最後の地方仏探訪旅行になるのだろう。」

そんな思いで、数日間の仏像探訪に出かけることにしたのでした。

真夏、8月の数日間、一人で、旅に出ました。
教養文庫の「日本古寺巡礼」(社会思想社刊)をポケットにねじ込んで、事前の拝観予約など全く無しで、出たとこ勝負で出かけたのです。

愛知の甚目寺、七ツ寺、岐阜の華厳寺、横蔵寺、滋賀湖南の善水寺、櫟野寺、阿弥陀寺、三重亀山の慈恩寺などを巡りました。



【最後に訪ねた観菩提寺~突然の秘仏拝観のお願いを承知いただく】


この地方仏探訪旅行の最後の最後に訪ねたのが、三重の観菩提寺となったのでした。

宿の予約もない、行き当たりばったりの旅でした。
善水寺のある、国鉄草津線の三雲駅に着いたところで日が暮れて、駅で紹介してもらった安宿に泊まりました。

翌日、観菩提寺を訪ねてみたいと思い、お寺にTELをしてみたのです。

「日本古寺巡礼」(社会思想社刊)掲載の観菩提寺・十一面観音像写真
「日本古寺巡礼」(社会思想社刊)
掲載の観菩提寺・十一面観音写真
「日本古寺巡礼」に、「怪異な十一面観音像」として採り上げられていたのです。
観菩提寺の十一面観音像は、33年に一度の開扉の厳重な秘仏ということでしたので、きっと拝観は無理に違いないと思ったのですが、ダメもとで、TELをしてみたのでした。

ご住職が電話に出られました。
「突然ですが、明日、十一面観音様を拝観させていただけないでしょうか?
秘仏と伺ってはいるのですが、如何でしょうか?」
とお尋ねしました。

当然のことですが。
「観音様は秘仏で、拝観は一切受けていない。」
というお答えです。

今にして思えば、前夜、突然電話して拝観のお願いなどというのは、失礼の極みで恥ずかしき限りです。
ご住職は、あまりの若者からの電話に、ご興味を持たれたのでしょうか、
「随分、若い方のようだが、どうして、うちの観音様を拝観したいのか?」
と、聞いてくださいました。

きっと、当時は、専門家以外の一般人が拝観したいという話は、めったにないことであったのだと思います。

「私は、仏像を愛好していまして、これまで全国各地の仏像を訪ねてきました。
・・・・・・・
この夏は、このような古寺、古仏を巡って来ました。
最後に、観菩提寺を訪ねて、観音様を拝むことができればと思って、
・・・・・」

などなど、縷々、お話ししました。

そうしたところ、ご住職は、何とか拝したいという心持を察していただいたのでしょうか、
「厳重な秘仏にしているのだけれども・・・・・・
そういうことなら、まあ、いらっしゃい。」
と、おっしゃっていただいたのでした。



【東大寺、実忠和尚ゆかりの修正会で知られる正月堂・観菩提寺】


観菩提寺は、三重県伊賀市島ケ原という処にあります。
国鉄(JR西日本)関西本線の、島ケ原の駅で降りて、20分ほど歩いたところです。
まもなく三重県と京都府と奈良県の県境というあたりです。

観菩提寺は、東大寺の開山、良弁僧正の弟子の実忠の創建になると伝えられ、旧正月に行われる修正会の行事が長らく伝えられることから、「正月堂」の名前で親しまれています。

観菩提寺・楼門
観菩提寺・楼門

観菩提寺・正月堂
観菩提寺・正月堂

この正月堂のご本尊が、秘仏・十一面観音像です。
9~10世紀制作の一木彫像で、重要文化財に指定されています。
この観音像は、「異形で呪術的霊気を発する特異な像」だということなのです。

厳重な秘仏として祀られ、33年に一度の開扉とされています。
最近では、平成27年(2015)11月に、8日間の、ご開帳がありました。

2015年に、33年に一度の開帳があったときのポスター
2015年に、33年に一度の開帳があったときのポスター



【ほの暗い厨子から、もの凄い“気”を発散する観音像に、激しい衝撃】


お寺を訪ねると、ご住職が、

「33年に一度開扉の秘仏なのだが、特別に、開扉してあげましょう。」

と、おっしゃっていただき、ご配意に感謝しつつ、正月堂に入堂しました

ご読経の後に、厨子の扉が、厳かに開かれました。
堂内は、暗くて、厨子の中の観音像の姿がはっきり見えません。
やがて、目が慣れてくるにしたがって、2メートルを超える怪異な大像が、眼前に迫ってきます。

昭和48年に撮影した観菩提寺・十一面観音像の写真

昭和48年に撮影した観菩提寺・十一面観音像の写真

昭和48年に撮影した観菩提寺・十一面観音像の写真
昭和48年に撮影した観菩提寺・十一面観音像の写真

なんと表現したらよいのでしょうか?
得も言われぬ「物凄い“気”」を発して、迫ってくるのです。
発散する“気”のパワーに圧倒されて、思わず後ずさりしてしまうような、インパクトです。

頭がバカにでかくて幅広で、上半身が異様に大きく、下半身は不釣り合いに長くて細身です。
プロポーションとしては、アンバランスそのものです。
バランスの取れた優れた造形とかという世界とは、全く縁遠い、「歪み、デフォルメ、いびつ」といった造形です。
「アクが強い、クセが強い」という言葉が、似つかわしそうです。

お顔を見ると、分厚い唇、小鼻の膨らんだごつい鼻は、強烈な迫力です。
細く切れ長の目は、異様に厳しく、鋭い眼光を発しています。
射すくめられてしまって、動けなくなってしまいそうな、恐ろしい目です。

厳しく鋭い眼光の観菩提寺・十一面観音像 顔貌
厳しく鋭い眼光の観菩提寺・十一面観音像 顔貌

内から発するオーラというか、霊気というか、ものすごいものがあるのです。
こんなに、激しく、強烈なインパクトのある仏像に出会ったのは、初めてのことのように感じました。



【「呪術的信仰」、「不思議な力の宿り、凄い力」と、専門家もコメント】


ポケットの「日本古寺巡礼」の本には、

「その面相は、怪奇とでも表現するよりほかないようなものである。
頭や胴がばかに大きく、それに較べて腰から下がいかにも細身である点も変わっており、いわばこの像は正統な彫刻の技法になるものでなく、地方的な要素が強く、あえていうなら山間遊行の行者たちの呪術的な信仰にささえられた像の系統をひいているように思えてならないのである。」
(「日本古寺巡礼・上」社会思想社教養文庫 1965.7刊)

このように書かれていました。

後に出版された、井上正氏著の「古仏」という本には、

「美術のもつ力とは異なる、不思議な力の宿りを本像に感じた。
9世紀彫刻の凄い奥行きを、土着の相の中に垣間見たように思った。」
「一見して、凄い力を蔵する像である。
十一面六臂の異常な形相に加えて、精神の強い表現は、拝者を圧倒する。」
(井上正著「古仏~彫像のイコノロジー」法蔵館1986.10刊)

と述べられていました。



【異様な呪術的霊気に魅入られた、若き日最後の観菩提寺・観音像探訪】


その通りというか、それ以上のデモーニッシュなエネルギーを強烈に感じました。
いわゆる「平安初期一木彫の、森厳さとか鋭い迫力」というものとは、ちょっと違った、「土着的、呪術的霊気」のようなものを発散しています。

ほの暗いお堂の中で、ぼんやり浮かび上がるような中で、拝したからでしょうか。
その姿を拝し、あの鋭い眼に射すくめられると、何やら、闇の中の暗黒の世界に惹き込まれて行ってしまうような、「もの凄い“気”」を、強烈に感じたのでした。

観菩提寺・十一面観音像
観菩提寺・十一面観音像

観れば観るほどに、異様な霊気や、凄みのあるエネルギーに、魅入られてしまいました。
頭をガツーンと殴られて、そのまま痺れてしまったような気分になってしまいました。。

「写真も撮ってよい」とのお赦しもいただき、ご住職のご配意に感謝しつつ、いずれの時にかの再訪を誓って、観菩提寺正月堂を辞しました。

昭和48年に撮影した観菩提寺・十一面観音像の写真
昭和48年に撮影した観菩提寺・十一面観音像の写真

駅までの道程を歩く間も、この異形の十一面観音像の発するオーラから受けた「火照り」のようなものが、なかなか消えることがありませんでした。
今でも、その時の興奮のようなものが、鮮明に蘇ってきます。


そして、この観菩提寺の十一面観音像に拝したのが、「若き日の最後の地方仏探訪」となりました。
まさに、「忘れがたき観菩提寺」となったのでした。



【それから30年、50歳過ぎまで地方仏探訪とは無縁の生活に】


それからは、仕事々々の会社人間への変身を余儀なくされてしまい、地方仏探訪などには全く出かけることがなくなってしまいました。
「ゴルフに出かける暇はあっても、仏像を観に行く暇はない」
という生活が長く続きました。

ずっと東京勤務になりましたので、京都、奈良へ仏像を観に行くということも、ほとんどなくなって、
「仏像とは縁遠い、仕事の日々」
を過ごすことになりました。

結局、最後に観菩提寺を訪ねてから、50歳を過ぎるまで、30年間ほど地方仏探訪に出かけることはありませんでした。

その間は、隠れ仏像愛好家とでもいうのでしょうか。
暇を見つけて、神田神保町あたりに出かけて、仏像の本を購い蒐めるのが、「仏像探訪に代わる、密かな愉しみ」になったのでした。



【37年ぶりの観菩提寺再訪~やはり、「物凄い“気”」を発散していた観音像】


50歳代半ばごろからでしょうか。
徐々に、地方仏探訪を再開し、同好の方と出かけるようになるのですが、平成22年(2010)の秋、観菩提寺を再訪することができました。
実に、37年ぶりに訪ねたのです。
縁あって、秘仏の十一面観音像を拝することが叶いました。

秘仏本尊が祀られる観菩提寺・正月堂の堂内
秘仏本尊が祀られる観菩提寺・正月堂の堂内

開かれた厨子から姿を現した観音像は、やはり、「物凄い“気”」を発散していました。
ほの暗い堂内の釣灯籠の明かりに、妖しく浮かび上がるような姿は、

「私の古い記憶に刻印された、鮮烈な衝撃」

そのままのオーラを、変わらずに発散していたのでした。
若き日、この像に出会った衝撃は、その時限りの一過性の感動ではなかったようです。

「やはり、この観音像の“気”は、ただものではない、尋常のものではない!」

との実感を、心新たにしたのでした。



【博物館へ出展された、秘仏・十一面観音像~どこかへ消えてしまったような、あの霊気】


そして、三度目に、この観音像に出会ったのは、翌年の2011年の春のことでした。
なんと、世田谷美術館で開催された「白洲正子~神と仏、自然への祈り~展」に、観菩提寺の十一面観音像が出展されたのです。
まさか、この厳重秘仏が、展覧会に出展されるとは、驚きでした。
白洲正子の著作「十一面観音巡礼」に、この観音像の拝観の話が語られていることから、出展の運びとなったようです。

「あの、もの凄い“気”を発する、観菩提寺の観音像にまた出会えるのだ!」
「博物館で観ると、どんなにすごいだろう。」

と、勢い込んで出かけました。

ところが、博物館に展示された観菩提寺・十一面観音像の前に立った時の印象は、全く違ったものでした。

「白洲正子展」で世田谷美術館に展示された、観菩提寺・十一面観音像
「白洲正子展」で世田谷美術館に展示された、観菩提寺・十一面観音像

率直に言えば、

「異常にアンバランスな造形の、出来が今一歩の、ゴツイ感じの一木彫像」

が、展示されていると感じたのが、本音のところです。

「あのデモーニッシュな霊気は、どこへ消えてしまったのだろうか?」

と思うほどに、さほどに、発散するオーラを感じなかったのです。
ちょっと拍子抜けという処です。
展覧会場でも、この観音像の前で足を止めて見入る人、惹き付けられる人も、多くはいなかった様子でした。

厨子から出た明るいところで撮影された写真を見ると、そこからは、観音像の発散する“気”やオーラを感じ取ることは、難しいように感じます。

「三重県史別編・美術工芸」2014刊に掲載の観菩提寺・十一面観音像写真.「三重県史別編・美術工芸」2014刊に掲載の観菩提寺・十一面観音像写真
「三重県史別編・美術工芸」2014刊に掲載の観菩提寺・十一面観音像写真

やはり、

「この観音像の霊気やデモーニッシュなエネルギーは、博物館のような場では、体感することは出来ないのだ。」

「あのほの暗い正月堂の厨子の中に秘められるという、宗教空間の場においてでないと、観音像の“気”は、決して発散することはないのだ」

と、つくづく実感しました。



今回は、若き日最後の地方仏探訪で、「霊気発散する観菩提寺・十一面観音像」に出会い、忘れ得ぬ衝撃を受けた話の回想でした。


古仏探訪~回想の地方仏探訪⑤ 「広島 古保利薬師堂」  【2018.5.26】


今回は、古保利薬師堂の諸仏を拝した思い出を、綴ってみたと思います。

古保利薬師堂・薬師如来像
広島 古保利薬師堂・薬師如来像

古保利薬師堂・千手観音像
広島 古保利薬師堂・千手観音像

古保利薬師堂・吉祥天像
広島 古保利薬師堂・吉祥天像

古保利薬師堂・四天王像~増長天像
広島 古保利薬師堂・四天王像~増長天像


【西日本各地の探訪で、最も心惹かれた地方仏~古保利薬師堂の諸仏】


これまで、東北みちのくの地方仏探訪旅行、東博「平安彫刻展」の思い出をご紹介しました。
その後は、「地方仏探訪行脚の魅力」にハマってしまったというか、各地の地方仏探訪に出かけました。

卒業までの1年半ぐらいの間に、
「山陰路、鳥取島根方面」 「四国路、徳島香川方面」 「山陽路、岡山広島方面」 「九州路、大分臼杵方面」
などに、せっせと出かけたのでした。

魅力あふれる地方仏、惹き付けられる地方仏に、たくさん出会いました。
50年近く経った今でも、訪ねたいくつもの地方仏のことが、心に蘇ってきます。

ここで、その一つ一つをご紹介していると、キリがありませんので、これらの地方仏探訪旅行の中で、

「最も印象深く、心惹かれた地方仏」

を、一つだけご紹介しておきたいと思います。

一つだけに絞ってということとなると、
なんといっても、古保利薬師堂の諸仏ということになろうかと思います。



【山陽路随一の平安前期一木彫の優作が、数多く遺される古保利薬師堂】


古保利薬師堂というのは、地方仏にちょっとご関心がある方なら、よくご存じなのではないでしょうか。

素晴らしい平安古仏群が残されていることで、山陽方面の地方仏行脚では、必見度ナンバーワンといってもよいところかと思います。

古保利薬師堂は、広島県山県郡北広島町という処にあります。

古保利薬師堂の現在の風景
古保利薬師堂の現在の風景

堂内には、数多くの古仏が残されており、そのうちの12体は、重要文化財に指定されています。
重文指定の薬師如来像、千手観音像をはじめとした諸像は、9~10世紀制作の一木彫像です。
山陽路の地方仏の中では、ひときわ観る者を惹き付ける魅力あふれる像として、また、瀬戸内、山陽路の豊かで明るい風土を象徴するような像として、知られています。



【広島北部の片田舎にある古保利薬師堂~広島駅からバスで2時間】


初めて古保利薬師堂を訪れたのは、昭和47年(1972)の夏のことでした。

同好会のメンバーと山陽路、岡山広島方面の地方仏探訪旅行に出かけた時のことです。
岡山の余慶寺、広島世羅町の龍華寺、文裁寺、尾道の摩訶衍寺などを巡った後に訪ねました。

古保利薬師堂は、広島市内から40キロほど北に行ったところにあります。
当時は千代田町と呼ばれていた処で、かなり辺鄙な片田舎、広島県も北部の山間の盆地です。
50年ほど前の当時、千代田町に行くには、広島駅から島根県の浜田に通っているバスに乗っていくしかありません。
2時間余りもガタゴトの田舎のバスに揺られて、やっとこさで到着です。
「八重」という名前のバス停で降りたように覚えています。



【無住のお堂の収蔵庫に、平安古仏が林立~ネズミが飛び出てビックリ】


バスを降りて、10分ほど歩いた小高い森の中に、古保利薬師堂はありました。

参道の石段を上って粗末な仁王門をくぐると、お堂が見えてきます。
役場の教育委員会の方が、お待ちいただいていました。
古保利薬師堂は、無住のお寺で、地域の方と役場で管理されているのです。

昭和30年代の古保利薬師堂・仁王門の写真

昭和30年代の古保利薬師堂・本堂の写真
昭和30年代の古保利薬師堂・仁王門、本堂
私が訪れた昭和47年も、写真のような感じでした


お堂は、こぢんまりとしていて、古ぼけた感じです。
木造の畳敷きの外陣・礼堂の後ろ側に、諸仏を安置する収蔵庫が接続するような形となっていました。
普段は訪れる人もないのでしょうか、堂内は、ほこりだらけです。
収蔵庫が開かれて、中へ入ったとたんに、ネズミが2~3匹、眼の前を横切って走って逃げました。
女性のメンバーは、「キャー!」と声をあげ、拝観の前に、ビックリのひと騒動です。

気を取り直して、収蔵庫を見渡すと、堂内には、所狭しと沢山の古仏が、林立するように立ち並んでいました。
まさに、壮観です。
本尊の薬師如来像は、内陣中央の、お厨子の中に祀られています。
左右の壇上には、日光月光菩薩像、千手観音像、吉祥天像、四天王像などが並んでいます。

古保利薬師堂・薬師如来像~昭和47年(1972)撮影写真
古保利薬師堂・薬師如来像~昭和47年(1972)に撮影した写真

古保利薬師堂 旧収蔵庫内の安置仏像~昭和47年(1972)撮影写真

古保利薬師堂 旧収蔵庫内の安置仏像~昭和47年(1972)撮影写真
古保利薬師堂 旧収蔵庫内の安置仏像~昭和47年(1972)撮影写真


「これは、すごい!」

そのまま立ち尽くすほどに、圧倒されてしまいました。
正真正銘の、平安前期の一木彫像です。
一つ一つの仏像に眼を移すと、それぞれに個性を主張した造形表現で、魅力十分。
惹き込まれて、しばらく、見入ってしまいました。



【「明るくのびやか」心豊かな気持ちになる諸仏の雰囲気~平安前期の厳しい表現イメージと大違い】


とりわけ印象的だったのは、これらの諸仏がかもし出す雰囲気です。

「明るい、のびやか、おおらか」

こんなキーワードがぴったりする古仏たちです。

平安前期の一木彫像というと、
「厳しい、緊張感、鋭い、迫力」
こんなキーワードで語られるようなイメージを持ってしまいます。
気迫あふれる森厳さ、緊張感ある鋭い彫り口、重厚感などが、大きな魅力となっているように思います。

ところが、古保利薬師堂の仏像たちの前に立つと、そんな緊張感ある平安前期仏に気合を入れて対するという感じが全くしません。
平安前期の一木彫らしく、ボリューム感にあふれた造形なのですが、おおらかで伸びやかに表現された造形なのです。
何しろ、明るいのです。

「眺めていると、温かく心豊かな気持ちになってくる。」

率直に、そう感じました。

ひときわ目を惹くのは、薬師如来像、千手観音像、四天王像です。



【ボリューム満点、包み込むような逞しさの薬師像~魅力は「貞観の手、指」】


薬師如来像は、ものすごいボリューム感です。
丸々とはち切れんばかりの顔、厚みのある肩、胸、腹、高い膝などは、「豊かな量感」そのものです。

古保利薬師堂・薬師如来像古保利薬師堂・薬師如来像
豊かな量感が頼もしい 古保利薬師堂・薬師如来像

平安前期の魁量感そのものの一木彫像なのですが、「厳しさとか迫力」というのではなくて、「包み込まれるような、頼もしさ」を感じ、自然と心豊かな気持ちになってきます。

そして、なんといっても惹き込まれるのは、グッと突き出した太い腕、分厚い手のひら、太い指です。

古保利薬師堂・薬師像の魅力あふれる手~昭和47年(1972)撮影写真古保利薬師堂・薬師像の魅力あふれる手~昭和47年(1972)撮影写真
古保利薬師堂・薬師像の魅力あふれる手~昭和47年(1972)探訪時に撮影

「逞しく、頼もしく、力強く」

こんな修飾語がぴたりとあてはまるようです。

「凄い、貞観の手だ、貞観の指だ!」

と、すっかりその手の魅力の虜になってしまいました。


ちょっと付けたりの話ですが、「その魅力の虜になった手」は、実は、昭和の後補で新造あったことを、20年程後に知りました。
研究者や評論家も、この手の魅力を語っていましたので、本当にビックリです。

後補新造のいきさつなどについては、以前に、
でご紹介したことがありますので、そちらをご覧ください。

ただ、古保利の薬師像の新造の手は、後補であっても素晴らしいもので、この仏像の魅力を、減衰させるどころか、魅力を一層引き出し、惹きつけるものとなっているのは、間違いありません。



【翼を広げ、大空にはばたくような千手観音像】


千手観音像は、破損した千手の腕と手の造形が魅力的です。

古保利薬師堂・千手観音像
古保利薬師堂・千手観音像

なんと脇手まで体躯と共木で一材から彫り出されているのです。
腕と体躯を共木で刻みだした千手観音像というのは、ほかには見当たらないそうです。

眺めていると、

「のびやかに、翼を広げて大空にはばたいている。」

ように見えてきました。

古保利薬師堂・千手観音像
翼を広げはばたくような 古保利薬師堂・千手観音像



【明るく開放的、ユーモラスな忿怒の四天王像】


四天王像は、その表情に惹き付けられます。

古保利薬師堂・四天王像~増長天像.古保利薬師堂・四天王像~多門天像

古保利薬師堂・四天王像~増長天像 顔部
明るく開放的な 古保利薬師堂・四天王像
上段~増長天像(左)・多聞天像(右) 下段~増長天像 顔部


個性的で、怒りをむき出しにした面相なのですが、どこかユーモラスなのです。
それも、厳しさとか、暗さとかが全くありません。
あくまでも明るく、開放的でおおらかな表情に造られています。

古保利薬師堂・四天王像~広目天像~昭和47年(1972)撮影写真古保利薬師堂・四天王像~持国天像~昭和47年(1972)撮影写真
古保利薬師堂・四天王像~(左)広目天像・(右)持国天像~昭和47年(1972)撮影写真



【瀬戸内の風土と共にある、明るい仏像たち~「仏像彫刻風土論」】


こんな、古保利薬師堂の諸仏を眼前にしていると、

「これが、明るくのびやかな瀬戸内の風土とともに生きる仏像なのか。」

そんな思いに、強く駆られました。

地方仏探訪の時には必ずカバンに入れている本、「生きている仏像たち」と「日本古寺巡礼」には、こんなふうに書かれていました。

「山陽から四国にかけての木彫群を見て歩いたときに、東北の渋い仏像ばかり見慣れてきた眼には、この木彫たちが、いかにも瀬戸内的な明るさをもっているように映じて、驚いた。
それはヨーロッパの、いわゆる地中海的な明るさとでもいえるような明るい造形に、ぼくには思えたのだ。

会津 勝常寺・薬師如来像(9C・国宝)
会津 勝常寺・薬師如来像(9C・国宝)
広島からかなり山側に入った古保利薬師堂の、薬師如来、吉祥天、千手観音などのすぐれた木彫像を見たときの感動は、いまでも忘れられないが、この木彫たちが、あのマイヨールの豊潤な彫刻を、ふと頭に描かせたのだから不思議である。」
(丸山尚一著「生きている仏像たち」読売新聞社・1970刊)


「山陽と山陰を結ぶ交通路に置かれたこの薬師堂は、北陸と東北をつなぐ会津盆地の勝常寺と地理的にもよく似ている。
だがその仏像の表情に大きな違いのあることも見のがせない。
勝常寺像のいかにも暗く沈んだ表情に対して、この薬師像はどこまでも明快である。
こんなところににも東北と山陽という風土の影響がまざまざと知られるのである。」
(「日本古寺巡礼・下」社会思想社教養文庫・1965刊)


この文章を読んで、
「本当に、その通りだ!」
と、思いました。

東北の地方仏探訪から始まって、各地の地方仏を巡ってきました。
そして、古保利薬師堂の仏像を目の前にして、

「仏像の造形表現は、その土地の気候風土や、人々の心を、ものの見事に映しとったものになっているんだ。」

と、つくづくと実感したのでした。



【いくつも思い浮かぶ、風土と共にある地方仏~造形への風土の影響を実感】


「土地の風土と共にある仏像」

ということに思いを巡らせると、こんな地方仏のことが頭に浮かんできました。


東北岩手、黒石寺の薬師如来像や四天王像は、厳しく魁偉な異貌の仏像ですが、いかにも

「みちのくの、雪深く厳しい気候風土や、蝦夷と立ち向かう辺境の厳しさ」

を、そのまま形に表現したような強烈なインパクトのある仏像です。

岩手 黒石寺・薬師如来像(9C・重文)岩手 黒石寺・薬師如来像(9C・重文)
岩手 黒石寺・薬師如来像(9C・重文)


佐渡国分寺の薬師如来像は、ドッシリとかズングリという言葉が似合う、鈍重といってもよいような、分厚い造り仏像です。
佐渡や越後の、素朴で粘り強く辛抱強いといった気風や、日本海の鉛色で荒れた海といった気候をそのまま顕しているようです。

佐渡 国分寺・薬師如来像(9C・重文)
佐渡 国分寺・薬師如来像(9C・重文)


山陰島根の仏谷寺や万福寺の諸仏を見ても、古保利薬師堂の諸仏を山陽、瀬戸内の「陽の仏像」だとすれば、やはり地味さや重さを感じる「陰の仏像」というように思えます。

島根 仏谷寺・薬師如来像(9~10C・重文)島根 萬福寺・四天王像(9~10C・重文)
(左)島根 仏谷寺・薬師如来像・(右)島根 萬福寺・四天王像(共に9~10C・重文)


古保利薬師堂の諸仏と似た
「明るさ、おおらかさ、のびやかさ」
を感じたのは、伊豆の河津にある南禅寺の諸仏です。
薬師如来像は、豊かな塊量感・どっしりした重量感を持つ平安前期の一木彫像ですが、ほのぼのとした温かみある微笑みをたたえたのびやかな仏像です。

伊豆河津 南禅寺・薬師如来像(9~10C・県指定)
伊豆河津 南禅寺・薬師如来像(9~10C・県指定)

二天像の憤怒の表情は、古保利の四天王像のユーモラスで開放的な造形と通じるものがあります。
南禅寺の仏像も、黒潮洗う伊豆半島という、明るく温暖な風土の中で生まれてきた仏像だなという感じがするのです。

伊豆河津 南禅寺・天部形像(9~10C・県指定)
伊豆河津 南禅寺・天部形像(9~10C・県指定)


そして、古保利薬師堂の仏像は、山陽、瀬戸内の風土を象徴するような、

「明るくのびやかな魅力、豊かで頼もしい魅力、人々の豊穣の喜びの息吹がそのまま吹き込まれたような魅力」

を発散しているようです。



【「仏像彫刻風土論」に強い共感を覚えた、古保利薬師堂諸仏との出会い】


こんなことを思い浮かべていると、

「仏像の造形表現とその土地の風土というのは大変密接な関係にあるのだ。」
「それが、地方仏の魅力なのだ。」

と、今更ながらに納得したのでした。

古保利薬師堂の仏像との出会いは、そんな「仏像彫刻風土論」について、思いを強く馳せる出会いとなったのでした。
「生きている仏像」「風土と共に生きる仏像」といった言葉が、心の中を駆け巡ったのでした。



【古保利薬師堂再訪~境内は見違えるよう、諸仏は変わらぬ魅力を発散】


そんな感動の出会いから40年近くが経ちました。
平成21年(2009)に、古保利薬師堂を再訪しました。

車で出かけましたが、今では、中国縦貫道ができて、千代田インターから5~6分で到着です。
昔、2時間もバスに乗って、やっと到着したのがウソのようです。
便利になったものです。

お寺の境内も、すっかり整備され、見違えるようになっていました。
仁王門も新しく建て替えられ、昔、古ぼけた薬師堂があったところに、新しい立派なコンクリート造りの収蔵庫が建てられていました。

現在の古保利薬師堂・仁王門

現在の古保利薬師堂・収蔵庫
現在の古保利薬師堂・仁王門と収蔵庫

明るくきれいな収蔵庫の中には、諸仏が整然と祀られています。
昔、古く薄暗い収蔵庫で、ネズミが出てビックリだったなんて、嘘のようです。

古保利薬師堂・収蔵庫の諸仏安置状況

古保利薬師堂・収蔵庫に安置される諸仏
現在の古保利薬師堂・収蔵庫に安置される諸仏

全てが様変わりになっていましたが、仏像たちは、初めて出会ったときの感動と変わることのない魅力を発散していました。
やはり、山陽路随一の優作です。
本当に久しぶりの出会いとなりましたが、明るくのびやかで豊かな造形の魅力に、惹き込まれてしまいました。

薬師如来像の「逞しく分厚い手」も、今度は、後補新造とわかったうえで観ましたが、

「やっぱり、この薬師像の魅力は、この手のすばらしさに尽きる。」

と、思ったのでした。



【今では、「ちょっと無理かな?」と思うようになった「仏像風土論」~懐かしき思い出】


そして、学生時代に古保利薬師堂の仏像を観たとき、すっかり「仏像彫刻風土論」にハマってしまったことが、懐かしく思い出されました。

それから、随分な数の地方仏を観てきました。
この齢になった今では、あの頃とは違って、

「仏像の造形表現とその土地の気候風土とを結びつけようという仏像風土論には、ちょっと無理があるかな。」

そんなふうに、考えるようになりました。

それはそれとして、若き日、仏像風土論に思いを巡らせた古保利薬師探訪は、忘れがたく懐かしき思い出です。


新刊旧刊案内~「伊豆の仏像修復記」 牧野隆夫著  【2018.5.19】 


【伊豆新聞連載の「伊豆の仏像修復記」が単行本化】


伊豆新聞に連載されていた、牧野隆夫氏の仏像修復の日々や思い出を綴った「伊豆の仏像修復記」が、単行本になって発刊されました。


「伊豆の仏像修復記~人々と自然に護られた仏と関わる日々」 牧野隆夫著

2018年4月 静岡学術出版事業部刊 【185P】 1300円


牧野隆夫著「伊豆の仏像修復記」


この本は、吉備文化財修復所代表・牧野隆夫氏が、伊豆新聞・日曜文化欄に、「伊豆の仏像修復記」と題する連載を、2015年6月から2016年7月まで、毎週55回にわたって一年余掲載したものが、単行本となって発刊されたものです。

著者の牧野隆夫氏は、東京芸術大学大学院美術研究科保存修復の出身で、吉備文化財修復所を開設するほか、東京学芸大学非常勤講師、東北古典彫刻修復研究所代表などを務める仁です。
これまで、伊豆の諸仏像をはじめ、全国各地の数百体の仏像修理を手掛けられています。

2016年に刊行された 「仏像再興~仏像修復をめぐる日々」 (山と渓谷社刊 1800円)に次いでの単行本出版です。

牧野隆夫著「仏像復興」
牧野隆夫著「仏像復興~仏像修復をめぐる日々」

「仏像再興~仏像修復をめぐる日々」という本については、観仏日々帖・新刊旧刊案内 で、以前にご紹介しましたが、
本書は、その続編・伊豆半島シリーズといってもよいような内容になっています。



【長年、伊豆半島の仏像修復に携わった日々が綴られる】


「伊豆の仏像修復記」の表紙の内容紹介には、

「筆者は日本全国の仏像修理や調査、人材育成に関わってきた。
その中でも伊豆は筆者にとって活動の原点である。
本書には、学生時代、伊豆韮山国清寺の仁王像に出会って以来、仏像修復を一生の仕事とし現在に至るまでの、伊豆地方仏像修復とそれを通じた人との関わり、新たな発見書きされている。」

と、書かれています。

目次は、ご覧のとおりとなっています。

「伊豆の仏像修復記」目次01

「伊豆の仏像修復記」目次02

「伊豆の仏像修復記」目次03



【語られる、仏像修復を通じての、人々との出会い、苦労話、新発見のドキュメント】


この本は、仏像の修理修復の技術解説とか、仏教美術史的な記述に重点が置かれた本では、全くありません。
副題の
「人々と自然に護られた仏と関わる日々」
というフレーズにみられるとおり、それぞれの土地で、人々に護られてきた古い仏像の修復という仕事を通じての、地域の人々との出会いやふれあい、苦労話などが中心につづられた、「仏像修復奮闘記&人間ドキュメント」とでもいった内容です。

「伊豆の仏像修復記」内容
「伊豆の仏像修復記」~修善寺指月殿・釈迦像修理が語られたページ

牧野氏は自らを「仏像の町医者」と称し、
「国宝・重文レベルにはならないような、地域に護られ地域と共にある古仏」
の修理修復にあたっている仁です。
その中で語られる話には、「地域の人々に護られ共に生きる仏像」の祀られ方、文化財としての保存のあり方を考えさせられるものがあります。


そうした「仏像の町医者」として修復に取り組む日々の中で、

「修善寺・大日如来像胎内からの、実慶銘と遺髪等納入物の発見」
「桑原薬師堂・阿弥陀三尊像の像内からの、実慶作墨書銘の発見」

といった大発見物語に至った話も、活き活きと綴られています。
両像共に、この新発見の後に、国の重要文化財に指定されています。
(修善寺大日如来像:2001年重文指定、桑原薬師堂・阿弥陀三尊像:2006年重文指定)



【出版不況のなか、クラウドファンディング・資金募集で、実現した単行本化】


実は、この新聞連載は、【伊豆新聞のWEBページ】でも公開掲載されていました。

私は全55回を、WEBで読みましたし、全部のデータも保存済みでしたので、今度の単行本新刊のことは知っていましたが、購入するつもりは、ありませんでした。

ところが、この単行本が、クラウドファンディングでの資金募集といった苦労を経て、やっと刊行されたということを、NETで知りました。

「静岡県伊豆地方の仏像修復についてのドキュメンタリーを書籍にしたい!」

こんな表題の資金募集HPを見つけたのです。
そこには、協力者を募り、何とか出版にこぎつけたいとの想いが、語られていました。

昨今、出版業界が極めて厳しい状況にある中、新聞連載記事を単行本化するというのも、なかなか困難なことのようです。
そうした状況下で、ようやく出版が実現したということなのでしょう。


そんな経緯を知ると、せめて1冊ぐらいは購入せねばと、私も「AMAZON」に注文を出したという訳です。

皆様にも、本書のことを知っていただければと、新刊発刊のご紹介をさせていただきました。


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