観仏日々帖

トピックス~廃寺となった旧眉間寺の三如来像が、東大寺ミュージアムで展示(10/20~3/下) 【2015.11.8】


【廃仏毀釈で廃寺になった奈良の寺、眉間寺】

明治初年の廃仏毀釈で廃寺となってしまった奈良のお寺に、眉間寺(みけんじ)という寺があります。

廃仏毀釈の折には、奈良では、いくつものお寺が廃寺になってしまいました。
なかでも大寺であった興福寺や内山永久寺が廃寺となったのは、よく知られています。
興福寺はすぐに再興されましたが、石上神宮の神宮寺であった内山永久寺は、跡形もなく破壊され、膨大な数の貴重な仏像・宝物は、すべて散逸してしまいました。

眉間寺という名前は、あまり知られていないかもしれません。
「眉間寺」と聞いても、「そんなお寺、あったっけ?」と、首をかしげる方もいらっしゃるのではないかと思います。
明治の廃仏毀釈に詳しい方は「ああ、あの眉間寺か!」と、思われることでしょう。
眉間寺も、明治初年に跡形もなくなり、祀られていた諸仏像も、すべて散逸してしまったのです。


このあたりの、奈良の地における廃仏毀釈と、諸寺から流出した仏像に話などは、埃まみれの書棚から「二人の県令、四条隆平・税所篤~廃仏知事と好古マニア」で紹介していますので、ご覧いただければと思います。



【東大寺ミュージアムで、旧眉間寺本堂安置・三如来像が並んで展示~140年ぶり】

この眉間寺の本堂に安置されていたという3躯の如来像が、東大寺ミュージアムに展示されています。
10月20日から、来年3月ごろまで展示されるそうです。

(東大寺ミュージアムHP・旧眉間寺本堂の仏像・特別展示のお知らせをご参照ください)


展示される眉間寺旧仏は、次の3躯です。

阿弥陀如来坐像(像高:88.5㎝、平安後期・重要文化財)
釈迦如来坐像(像高:86.1㎝、鎌倉時代)
薬師如来坐像(像高:75.5㎝、鎌倉時代)


旧眉間寺伝来・東大寺勧進所阿弥陀如来坐像
旧眉間寺伝来・東大寺勧進所阿弥陀如来坐像

旧眉間寺伝来・東大寺勧進所釈迦如来坐像.旧眉間寺伝来・東大寺勧進所薬師如来坐像
旧眉間寺伝来・東大寺勧進所釈迦如来坐像(左)   薬師如来坐像(右)

これらの像は、各像の台座に記された墨書から、旧眉間寺の本堂に3躯並んで安置されていたと推定されています。
眉間寺が廃寺となった後は、東大寺に移され、釈迦・薬師両像は勧進所阿弥陀堂内奧の左右壇に祀られ、阿弥陀像は収蔵庫に安置されているものです。

東大寺勧進所

東大寺勧進所・阿弥陀堂
東大寺勧進所   勧進所・阿弥陀堂(下)

私も、眉間寺旧仏を一度拝してみたいと思っていましたが、これらの像は、普段は、拝観は叶わず、果たすことができずにおりました。
今度、勧進所阿弥陀堂が修理される機会に、東大寺ミュージアムで、特別展示されることになったものです。

今回の展示では、眉間寺本堂に安置されていた往時どおりに、3躯並んで展示されているとのことです。

東大寺ミュージアムに並んで展示される旧眉間寺三如来坐像
東大寺ミュージアムに並んで展示される旧眉間寺三如来坐像

そろって展示されるのは、眉間寺に祀られていた時以来ですので、約140年ぶりということになります。


【今は、跡形なく礎石が遺されるだけの眉間寺】

眉間寺とは、どんなお寺だったのでしょうか。

眉間寺とは奈良市法蓮町、聖武天皇佐保山南陵の近くにありました。
律宗佐保山・眉間寺と称し、聖武天皇御願・行基僧都の開基と伝えられています。

長寛年代(1164年頃)、
「化人が現われて眉間より光明を放つこと半時ばかりにして化し、その跡に舎利2粒があったので、勅により『眉間寺』と称した」
というのが寺名の由来ともいわれます。

江戸時代には、幕府から寺領100石が与えられるなど栄えました。
東大寺「戒壇院」の末寺で、立派な鐘楼や多宝塔等も建っていたましたが、文久2年(1862) 、聖武天皇陵改変のため多宝塔が撤去され、本堂庫裏は山下に移されました。
そして、明治初年、廃仏毀釈のなかで廃寺になってしまいました。

大和名所圖會(寛政3年・1791刊)には、立派な多宝塔のある眉間寺伽藍の姿が描かれています。

大和名所図会・眉間寺大和名所図会・眉間寺
大和名所図会・眉間寺

現在は跡形もなく、元の場所には「眉間寺遺跡」の石碑と礎石が残されているだけです。

眉間寺跡の石碑
眉間寺跡の石碑

眉間寺跡に遺された礎石
眉間寺跡に遺された礎石


【眉間寺伝来の仏像の行方】

眉間寺が廃寺となった話は、広くは知られていませんが、眉間寺伝来と伝えられる仏像には、次のようなものがあります。

旧眉間寺伝来の仏像

西方寺・阿弥陀如来坐像(重文・平安後期).弘願寺・阿弥陀如来立像(県指定・鎌倉)
西方寺・阿弥陀如来坐像(左)     弘願寺・阿弥陀如来立像(右)

ご覧の通りです。

本堂に安置されていた3躯の如来坐像は、眉間寺が東大寺「戒壇院」の末寺であったことから、東大寺に移されたのではないでしょうか?

今回、東大寺ミュージアムに展示されている、勧進所安置の3躯の如来坐像は、平安後期から鎌倉時代の典型的なスタイルの仏像といってよいものです。
仏像彫刻としては、ある意味類型的といったタイプで、それほど皆さんの関心を呼ぶ仏像ではないかもしれません。

ただ、明治の廃仏毀釈で、数多くの仏像が破壊されたり焼かれたりしたなか、それを乗り越えてきた仏像です。
廃仏毀釈で廃寺となってしまったお寺に伝わった仏像を拝するというのは、また感慨深いものがあるように思います。


私も、展観期間中に、是非訪れて拝したいと思っております。

東大寺ミュージアムは、みなさん何度も訪れられておられることと思いますが、廃寺となった眉間寺の往時を偲ぶ仏像を拝しに、この期間、訪ねてみてはいかがでしょうか。


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