観仏日々帖

トピックス~東寺御影堂・不動明王像、三神像の秘仏発見物語~発見物語おまけ⑥[その2] 【2015.10.19】


ここからは、同じく東寺御影堂から発見された、八幡三神像の物語です。

東寺・八幡三神像
東寺・八幡三神像

東寺・八幡三神像~僧形像

東寺・八幡三神像~女神像

東寺・八幡三神像~女神像


【御影堂・不動明王像安置の間に置かれた4基の仮厨子の発見】

【その1】では、東寺御影堂・不動明王像の調査・発見物語をたどってみました。

不動明王像は、御影堂の南面する後堂に、古来、厳重秘仏として伝えられてきました。
東寺では、不動明王の霊威に対し、畏怖の念をもって厳重に秘されてきたことが、お判りいただいたことと思います。
昭和29年(1954)の、不動明王像移坐の時にも、当時の管長、山本大僧正自身でさえ、
「未だ拝したことも、安置の間に入ったことさえない。」
とのことでした。

東寺・御影堂
東寺・御影堂

移坐は、6月に行われ、調査にあたった、丸尾彰三郎氏、倉田文作氏、西川新次氏等は、暗闇の不動明王像安置の間に、ついに足を踏み入れたのでした。

そこには、秘仏・不動明王像が祀られていたことは、当然の事なのですが、そのほかに想定外の発見があったのです。
安置の間の不動明王像の両脇には、大きな木製の仮厨子が4基置かれていたのでした。
「安置の間に秘められた4基の仮厨子」には、何が納められているのでしょうか?
神仏像が祀られているに違いありません。

実は、この想定外に見出された4基の仮厨子に納められていたのは、
「八幡三神像と伝武内宿禰像」
であったのです。
現在、国宝に指定されている、平安前期の八幡三神像のことです。


【仮厨子の中に秘められているのは八幡社・三神像なのか?】

4基の仮厨子には、厳封がなされていました。
この昭和29年の移坐の時には、開封は許されず、納められた像の姿を確認することは叶いませんでした。
像容等ははっきりしないけれども、
「東寺草創期に近い頃に造立された、八幡三神像が納められているのに違いない。」
このように、想定されたのでした。

御影堂の4基の仮厨子発見の時の有様について、倉田文作氏はこのように回顧しています。

倉田文作氏
倉田文作氏
「さて、御影堂の堂内に入ることを許されたとき、この不動明王の両わきに、大きな木製の仮厨子が四基あって、厳重に封印されているのをみないわけにいかない。
秘仏の本尊を移動するのと同時に、これらの大きな厨子も堂外にはこび出されたが、その手ごたえからすると、中にかなり大きな一木造りの像が秘められていることを想像できる。

山本管長に承ると、これらの仮厨子の中には、明治元年に焼失した東寺八幡宮の御神体が納められているという。
この方は、何しろ厨子に封印がしてあるので、扉を開くわけにいかず、調査は後の機会にゆずる外はなかった。」
(「東寺の秘宝」倉田文作・芸術新潮1966年8月号所収)


東寺八幡宮の御神体といわれると、
「弘仁年中(810~825)に、空海が八幡宮を勧進した折に、三体の神像を感得し彫刻した。」
と「東宝記」に記されている神像である可能性が高いということになります。

もし、そのような神像であったとしたら、これは驚きの大発見です。
僧形、俗体神像の最古例の像の発見ということになるわけですから。

倉田文作氏は、平安前期の三神像に違いないとの確信を持ちました。
確信を持った訳について、このように回顧しています。

「不動さまの両脇にある大きな四つの仮厨子がいやでも目にはいる。
寺の方にうかがうと、神像だときいていますというはなし。
それなら東寺鎮守の八幡三神のお像にちがいない、とおもう。
どの厨子にも厳重な封紙がみられ、これは勅封であるとのこと。

いまだから白状するが、わずかな観音開きの扉の、せい一杯のすき間から苦心してかいまみると、堂々たる女神の面相がみえる。
われわれは、そもそもこの堂の屋根つくろいにそなえて、堂内の像を搬出するお手伝いに参入したのだから、四つの厨子も移動しなければならぬ。

持ちあげてみると.仮厨子は板でつくった簡素なものなのに、像の手ごたえはずっしりと重い。
かいまみた面相のあたりに見当をつけて、厨子のそとから扉のうえにものさしを当ててみると、像高は等身をこえるものであるらしい。
わが国最古の神像である可能性がつよい。」
(「こぼればなし」倉田文作~重要文化財彫刻編第3巻付録7所収・毎日新聞社1973.11刊)

倉田氏は、扉の隙間から像容を垣間見て、また運んだ厨子(像)の重みから、「一木彫・内刳り無しの平安前期女神像」と確信したに違いありません。

4基の厨子の開封が許されず、神像の調査が叶わなかったことは、倉田氏等にとって、誠に残念なことであったことでしょう。
いつの日か、厨子の中の神像の姿を拝したいものとの強い思いを抱かれたに違いありません。

東寺・伝武内宿禰像
4基目の仮厨子に納められていた伝武内宿禰像


【3年後、厨子から姿を顕わした三神像~東寺総合調査】

秘められた、これら4基の厨子が開封され、神像が姿を顕わしたのは、それから3年後のことです。

昭和32年9月、文化財保護委員会、東寺当局、朝日新聞社の三者協力により、「東寺・総合調査」が実施されました。
東寺の霊宝蔵、宝蔵、三蜜蔵、金剛蔵に4宝庫の収蔵品を約2週間かけて全面的に確認すると大調査です。
この時、総数2600点に及ぶ寺宝が調査され、そのうち、新しく国宝、重要文化財の候補と目されるものが、約30点も確認されました。

この東寺総合調査のときに、この厨子の実査が許されることになったのでした。
厨子には勅封がなされていたため、宮内庁の手で勅封が解かれたということです。

ついに、神像との対面となりました。

「はたして二躰はまさしく女神であって、薬師寺の八幡三神のばあいとおなじであることが判明した。
いよいよ、これら四躯の像が、仮厨子からとり出されてみると、なにしろその大きさにびっくりさせられる。
八幡神は109センチ、女神二躯は、頂に髻があるので、112、114センチと像高はさらに大きい。
外に、武内宿禰像と伝えられるもの一躯があり、これは像高84.8センチで、他の三像にくらべると小ぶりにつくられている。
僧形八幡は、円頂の法躰に袈裟をかけて坐る姿で、女神二躯は、袍衣に背子をかされ、髪を胸前と背に垂れる。」
(「東寺の秘宝」倉田文作・芸術新潮1966年8月号所収)

厨子開扉に立ち会った倉田文作氏は、初めてその姿に接した時、このように語っています。

まさしく、期待に違わぬというか、想定通りというか、平安初期の見事な三神像が姿を顕わしたのでした。

東寺・三神像~僧形像
東寺・三神像~僧形像

東寺・三神像~女神像
東寺・三神像~女神像


東寺総合調査を報じる朝日新聞は、三神像発見をこのように伝えています。

「こんどの調査ではとくに工芸と彫刻の部門に大きな成果があげられたが、例えば彫刻では、従来秘仏となっていた御影堂安置の東寺八幡宮のご神体が調査された。
これは平安初期の作品で、日本の神像の最古にして最大の作品と確認されるなど、神像史上重大な発見というべきであろう。」
(1957年10月31日付・朝日新聞~松下隆章氏執筆)

総合調査、最大の発見というべきものであったのです。

東寺総合調査を報じる朝日新聞記事(1957.9.30).東寺総合調査を報じる朝日新聞記事(1957.10.31)
東寺総合調査を報じる朝日新聞記事



【平安前期の第一級の傑作神像彫刻~三神像】

私も、この三神像を、東寺宝物館や博物館に、まれに出展された折に観たことがあります。

神像を眼前にして
「これは凄い、流石、第一級の平安前期神像だ!」
と、大いに感動した記憶があります。
堂々たる重量感に満ちて、迫力満点のインパクトを強く感じる神像です。
まさに平安前期彫刻の威風、オーラを発散しています。
また、一種妖しげな感覚に惹き込まれていくような引力のようなもの漂わせています。

東寺・三神像~僧形像顔部
東寺・三神像~僧形像顔部

東寺・三神像~女神像顔部
東寺・三神像~女神像顔部


本像の像容、作風について、松原智美氏は、このように解説しています。

「作風を見ると、三像とも体躯は幅が広く、厚みがあり、膝張りも十分で、きわめて重量感に富んでいる。
丸く張った肩から胸にかけての肉づきは、豊かで弾力性がある。
この体躯にふさわしく、頭部も丸く大きい。

全体に丸く豊かな印象を与えるところが、本神像の造形的特徴のひとつである。
面部は、眼鼻の彫りが比較的浅く、肉づけは起伏に乏しい。
そのため一見平板のようだが、やはり丸く豊かな頬には張りがあり、生気が感じられる。
眉は細く、ゆるやかなカーブを描き、直線的な上瞼にゆるい曲線の下瞼をそえた細い眼は、伏し目がちに前方を見据えている。
鼻は低めで短く、唇は小ぶりで厚みがある。

その表情には、承和12年(845)頃の神護寺五大虚空蔵菩薩像や、これとほぼ同時期の作とみられる観心寺如意輪観音像に通じる、一種官能的といえるムードが漂っている。
本三神像は神像彫刻であるが、以上のような豊満で官能的な作風は、承和6年(839)に開眼供養された東寺講堂の諸像を嚆矢とする、いわゆる密教様の概念でとらえられるものであう。」
(「日本の古寺美術12巻・東寺」1988保育社刊所収)


神護寺・五大虚空蔵菩薩像.神護寺・五大虚空蔵菩薩像~顔部
神護寺・五大虚空蔵菩薩像

観心寺・如意輪観音坐像.観心寺・如意輪観音坐像~顔部
観心寺・如意輪観音坐像


【三神像の来歴と、御影堂安置のいきさつ~神像彫刻の最古例】

さて、倉田文作氏は、厨子開封前から、
「この神像は、東寺八幡宮草創期のご神体が、厨子に祀られているのではないか?」
と想定しました。

間違いなく平安前期の制作であろうその姿が顕れ、「想定」は「確信」に変わったことでしょう。

その来歴はどのように考えられるのでしょうか?

東寺八幡宮の草創と三神像について、「東宝記」はこのように記しています。

東寺草創にあたり、帝都鎮護のために八幡宮を勧請したが、この時は神体を安置するには至らず、弘仁年中(810~824)に社殿を建立して、再び勧請した。
その際、空中に影現した八幡三神所の御影を空海が紙形に写しとり、後に木像に刻んだ。
その木像は、僧形、女体、俗体の三体であったという。

この記事によると、八幡宮の神体は、僧形、女体、俗体という姿であったことになります。
現存三神像は、僧形1躯、女神2躯で、一致しません。

ところが、同じ「東宝記」の八幡宮遷宮についてふれた部分には、

正中2年(1325)に行われた八幡宮修造の際、夜陰におよんで神体を仮殿に遷座したが、その時に、執行厳伊が実見した神体は、僧形と左右女躰であった。

とされており、現存三尊像と一致しています。

現三神像は、東寺八幡宮草創期に造立されたものと見てよいのでしょうか?


倉田文作氏は、「東寺の八幡三神について」(大和文華26号1958.6)という論文において、

この三神像は、遷座の時も余人を寄せ付けないほどの秘され方で、その像容も寺家の言い伝えに過ぎず、八幡宮草創時から僧形1躯、女神2躯であったと考えて差し支えないであろう。

像の構造や造形表現などから、総合的に考えても、
「東宝記に、これらの神像を大師在世時の感得像として紹介するのも故なきにあらず、ここにこの一具の像は、わが国神像中の最古最大の作と称すべきものである。」

このように述べています。

久野健氏も、この倉田氏の見方を支持しているようで、このように述べています。

広隆寺講堂・地蔵菩薩像
広隆寺講堂・地蔵菩薩像
「八幡神像がこれ(貞観6~10年・864~8造立とされる広隆寺講堂地蔵菩薩像)に比べ、古様を示していることは、誰の目にも明らかなところであろう。

そして二女神像の両膝に現れる衣文などは、承和6年(839)の東寺講堂の五菩薩像、また承和7年より12年(840~845)頃までに真済により発願造立された神護寺の五大虚空蔵菩薩や、さらに古く、天長年間(824~834)の制作と考えられる広隆寺講堂の阿弥陀如来坐像に近く、こうした点は、この三神像が、弘仁年中の制作と記す『東宝記』の記事もまた一部の真を伝えていると考えられ、少なくとも空海在世中(835年没)には制作されていたのではないかということが推定される。」
(「平安初期彫刻史の研究・第4章~東寺草創期の彫像」久野健著・1974年吉川弘文館刊)


三神像の造立が、空海在世中の弘仁年間(810~824)まで遡り得るかどうかは、何とも言えないと思いますが、東寺講堂諸像が開眼された承和6年(839)をさほど下らぬ頃以前の、平安前期の制作であるのは間違いなく、9世紀制作の神像彫刻の最古例の一つであることには間違いありません。

因みに9世紀に遡る神像彫刻としては、
広島・御調神社の女神像、京都・松尾大社の三神像、奈良・薬師寺の八幡三神像(寛平年間889~898)を挙げることが出来ます。

御調神社・女神像
御調神社・女神像

松尾大社・男神像
松尾大社・女神像.松尾大社・男神像
松尾大社・三神像

薬師寺・八幡三神像
薬師寺・八幡三神像.薬師寺・八幡三神像
薬師寺・八幡三神像
 

東寺三神像が最も古いのかどうかは、これからまだ議論が起こる余地がありそうです。


ところで、東寺八幡宮草創期のご神体であった三神像が、どうして御影堂の不動明王像の横に保管されていたのでしょうか?

八幡宮の建物についての主なる記録をたどると、草創期から何度かの修理修復が行われてきましたが、文明18年(1486)の土一揆で伽藍と共に焼失し、翌18年に再建が開始されました。
ところが再建社殿も、明治元年に、南大門と共に再び焼失してしまいます。
この時、八幡三神像と伝武内宿禰像の4体は、仮厨子の中に納められ、御影堂に移されて保管されました。
緊急避難の仮住まいであったのだと思います。
そのことが世に伝えられることなく祀られ、80年余を経た昭和29年(1954)に発見された、というわけです。

東寺の鎮守八幡は、平成3年(1991)に本殿、拝殿が再建されました。

東寺・鎮守八幡宮

東寺・鎮守八幡宮
東寺・鎮守八幡宮
 

発見された三神像は、昭和40年(1965)に宝物館が出来てからは、そこで保管所蔵されていましたが、現在は、この八幡社に祀られており、まれに一部の像が宝物館に展示されることがあります。
通常は、拝することが出来ないのは、残念なことです。


ここで、三神像と共に発見された、伝武内宿禰像について、ちょっとふれておきます。
寺伝に武内宿禰と伝えられる像で、像高84.8cmと、三神像よりやや小ぶりの上半身裸形像です。
一木彫像ですが、やや細身のおだやかな作風で、三神像からはかなり遅れた時期の、平安後期の制作とみられています。

東寺・伝武内宿禰像
東寺・伝武内宿禰像
 


【一本の神木、霊木から彫り出された三神像】

最後に注目しておきたいのは、東寺三神像の制作に用いられた、樹木・用材についてのことです。
材はヒノキといわれていますが、特殊な樹木が使われていると思われるのです。

三つの神像を像底から見ると、共に像の上の方に向けて大きな空洞があるのです。
内刳りではなく当初からの用材のウロ、即ち朽損なのです。
三体とも、この空洞を覆うようにして、面部、胸部、腹部などに別材を矧ぎ付けるという特殊な構造をしています。

下賀茂神社・霹靂木
霹靂木(へきれきぼく)
~落雷で神が降臨したとされる~
京都下賀茂神社
特別な意味なしに、大きなウロのある不自由で、窮屈な材を、わざわざ用いて彫るということは考えられません。
そんな材に、無理をして彫っているので、大事な顔の部分にも埋木のような矧付けをせざるを得なかったのです。

要するに、一本の朽損した巨木から、三像全ての材をとったとみられるのです。
この巨木が、由緒ある「霊木、神木」であったことに違いありません。
神像彫刻に霊木、神木を用いるということは、古来よく言われているのですが、それを間違いなく確認できる数少ない貴重な作例ということになるのです。
「神の依り代」という言葉が、実感されます。

この三神像が発散する、霊的な威風、オーラの源泉は、こんなところにあるのかも知れません。

因みに、薬師寺の八幡三神像も一材から三体分を木取りしていると見られ、同じく霊木、神木から彫り出された像だと見られています。

東寺・三神像が、平安前期彫刻の傑作であること、最古例の神像彫刻として、神像史上極めて重要な像であることがお判りいただけたことと思います。

昭和32年(1957)9月の東寺総合調査で、実査が実現した東寺三神像は、翌年、昭和33年(1958)2月に、すぐに重要文化財に指定されました。
そして、3年後の昭和36年(1961)4月には、「国宝」に指定されました。
伝武内宿禰像も、国宝三神像付けたりとして指定されています。


【御影堂不動明王像、三神像発見物語の終わりに】

この辺で、東寺西院御影堂から調査、発見された、国宝・不動明王像、国宝・三神像の発見物語のご紹介を、終えたいと思います。

共に、平安前期を代表する、超一流の傑作です。
よくぞ、これだけの優れた彫像が、当初の美しさを残したままで、伝えられてきたものだと、感動さえ覚えてしまいます。

両像の調査発見に関わった倉田文作氏が、東寺御影堂での「二つの国宝仏像の発見」を回顧し、感慨を込めて語った文章を最後にご紹介して、この話を締めくくらせていただきます。

「これらの御影堂の彫刻の国宝指定は、史料的にいえば、発掘ととなえるのはあたらないとおもうが、これらの、文字どおり平安初期の代表作品に数えられるべき仏像、神像が、こうして近年はじめて公にされ、平安彫刻史の研究にあたらしい光をなげかけたことは、発掘の名にあたいするともいえよう。

この御影堂は、けっして何も大堂宇ではない。
大師の住坊よばれるのに、いかにもふきわしい、簡素で、清らかな一郭であって東寺の大伽藍のなかでは、いたって人目をひかぬひそやかなところなのだが、近年にいたって、この東寺御影堂の名は、とみに日本彫刻史上重きを加えたといわねばなるまい。」
(「東寺の秘宝」倉田文作・芸術新潮1966年8月号所収)


コメント

仏像発見物語

白鳳仏から続く一連の仏像発見物語、とても面白く拝読しました。

どれもそれぞれ発見の事情があって面白かったです。
それと、仏像研究のビッグネームが大勢出てきて、その活躍ぶりを具体的に知ることができたのもよかったです。名前は知っているのですが、具体的にどんな研究をしたのかはよく知りませんでしたので…。

  • 2015/10/20(火) 23:09:28 |
  • URL |
  • とら #VBkRmpN2
  • [ 編集 ]

Re: 仏像発見物語

とら様

仏像発見物語シリーズ、ご覧いただきありがとうございます。
こんなにいくつも書く気はなかったのですが、段段と興が乗ってきて、ついつい調子に乗って続けてしまっています。

次回、黒石寺・薬師如来像の発見物語を掲載して、おしまいにしようと思っております。
よろしくお願いいたします。

管理人

  • 2015/10/24(土) 22:59:34 |
  • URL |
  • 神奈川仏教文化研究所 #-
  • [ 編集 ]

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