観仏日々帖

古仏探訪~亀岡市・大宮神社伝来の諸仏像

亀岡・甘露寺十一面観音像に続いて、丹波・亀岡の仏像の話です。
この天王像と吉祥天像、見覚えがおありでしょうか?

亀岡大宮神社伝来・天王立像......亀岡大宮神社伝来・吉祥天立像


亀岡大宮神社伝来・天王立像上半身......亀岡大宮神社伝来・吉祥天立像上半身


東京国立博物館の本館1階の彫刻室に、ここ数年よく展示されていました。
共に、私の好きな平安前期に近い仏像で、10世紀の制作といわれています。
なかなか迫力とボリューム感のあるすごい仏像だなあ!と思っていたら、天王立像の方は、本年(2012)4月、なんと重要文化財に指定されました。
あのダイナミックな彫口、重厚感ある造形、とりわけ面貌の迫力ある表現を思えば、重文指定も納得です。

天王立像・東博説明プレート
この両像の説明パネルには、ご覧のように書かれています。

「京都府亀岡市西別院町万願寺の大宮神社伝来と伝来した平安古像の一躯。」

という説明です。

今は、博物館の所蔵になっているようです。
「ふーん、亀岡にこんなすごい古像が、昔在ったのか?」とは思いましたが、その来歴には、それほどの強い関心も沸いては来ませんでした。


その後は、気にも留めていなかったのですが、
今年、6月に、佛教大学宗教文化ミュージアム「愛宕山をめぐる神と仏」図録報告書を、ミュージアムの近藤氏からお送りいただきました。
図録を開いてみると、
「木造薬師如来立像~亀岡市大宮神社・平安時代前期」
という、カラー写真が眼に入ってきました。

亀岡大宮神社・薬師如来立像.........亀岡大宮神社・薬師如来立像側面

図録の、薬師如来像の解説には

「大宮神社は亀岡市の西南、摂津国との境に近く栄えた神仏集合の霊山・万願寺の鎮守であったとされ、その旧仏を安置する。・・・・・・・・・
薬師如来像には内刳りがなく、比較的奥行きが深いこと、彫り口が鋭いことから10世紀後半頃の製作と考えられる。・・・・・・・」

と、ありました。

「あれ、東博の天部像、吉祥天像も、亀岡大宮神社伝来と書いてあったじゃないか!
この薬師も、同じ寺社にあったのだろうか?」
という疑問がわき、急にむくむくと関心が盛り上がってきました。

ネットで「亀岡 万願寺 大宮神社」というキーワードを入力して検索してみると、
検索結果の中に【聖観音像・奈良国立博物館】というのが、検索できました。
「東博の間違いかな?」と思って見てみると、
奈良博収蔵品データベースが表示され、このような写真と解説が掲載されていました。

亀岡大宮神社伝来・奈良博・聖観音立像......亀岡大宮神社伝来・奈良博・聖観音立像上半身

「京都府亀岡市西南部、大阪府との境界付近に位置する大宮神社境内の仏堂には、かつて10体もの本格的な平安仏が安置されていた。
いずれも同地にあった万願寺の旧仏とみられるが、うち9体が巷間(こうかん)に流出するという運命をたどった。
本像はその中の1体。内刳(うちぐり)のない古式の一木造(いちぼくづくり)の構造、腰をひねって右足を浮かせる姿態、筒型の宝冠、面長に比して面幅が広い肉感的な頭部など、9世紀以来の正統的な密教彫刻の系譜を引く要素が目立つが、抑制の効いた彫り口、やや華奢(きゃしゃ)な上体の肉取りなどから、10世紀後半の作とみられる。」

亀岡大宮神社には、10体もの平安古仏が遺されていたのか。

「9体が巷間に流出した」ということは、残りの一体が「愛宕山をめぐる神と仏」図録に掲載されていた薬師如来像ということなのだろうか?
たしかに奈良博・聖観音像と、東博・吉祥天像は、顔がそっくり似ていますし、造形感覚もよく似ているように思います。
しかし、薬師如来像とは、だいぶ感じが違うようです。

段々、興味津々になってきて、亀岡万願寺伝来といわれる仏像たちの、来歴や流出のいきさつについて知りたくなってきました。

亀岡・大宮神社は、亀岡市西別院町万願寺前ノ垣内という処にあるそうです。
私は訪ねたことはありませんが、社伝によると、
創祀は和銅三年(710)湯谷ヶ岳の山中に創祀された。
天平年間(729~749)に行基が法相宗萬願寺を創建し、大宮神社を萬願寺の守護神としたと伝へる。
十二の塔頭子院のあつた萬願寺は戦火によつて焼失し、神社も現在地に遷座した。
そうです。

大宮神社......大宮神社


宗教文化ミュージアムの近藤氏に伺えば何かわかるだろうと、メールでこれらの仏像についてご存知かどうか、お尋ねしてみました。

早速、ご教示を頂戴しました。

近藤氏からは、仏像の流出については、関係者から簡単にお伺いした伝聞で、正確かどうかはわからないがということで、次のような主旨のご教示を、

「亀岡市大宮神社の仏像は、30年以上前に当時の氏子様たちの了承のもと、個人所蔵者へ売却されたようだ。
大宮神社に残された1体が、図録掲載の薬師如来立像。
その個人所蔵者より、博物館(独立行政法人国立博物館)に売却されたものだと思われるが、すべてが博物館に入ったのかどうかは、よくわからない。」

薬師如来像と博物館所蔵像との作風の違いについては、

「薬師如来像は、現在国立博物館所蔵となっておられる旧万願寺の仏像と比べ、法量が小さく、かつ彫りが全体に浅くなっており、作家の系統は明らかに異なると考えられます。他の作例が9世紀末から10世紀にかけてと考えられることに対し、この 薬師如来像は10世紀半ば以降にくだるのではないかと考えています。・・・・・・
また面部の輪郭も面長で、丸い輪郭を示す菩薩像や天部像とは明らかに異なっています。
おそらく国立博物館所蔵の作例にまつわる造像が一段落し、しばらくの期間がたったのちに造られたものでしょう。」

との、コメントを頂戴しました。

なるほど、そういういきさつがあったのか。
「亀岡市史・通史編」中野玄三氏の解説と売却前の写真が掲載されているということを、近藤氏に教えていただき、早速、図書館で「亀岡市史」を見てみました。
ありました、ありました。
まだ大宮神社に仏像があったころの写真が載っていました。
それがこの写真です。

大宮神社安置当時の諸仏


大宮神社安置当時の諸仏


大宮神社安置当時の吉祥天像.............大宮神社安置当時の兜跋毘沙門天像

この写真の仏像と、博物館所蔵像とが同じ仏像といわれても、ちょっと信じられないという感じです。
古い写真の方は後世の色彩が塗りたくられていたようです。
博物館所蔵像は、きれいに修理修復され、素地の彫像のような感じになっており、その分彫り口の鋭さや、造形のダイナミックさが、大変良く感じ取れます。

天王像のお堂にあったころの写真と、博物館展示像の写真を並べてみました。
変われば変わるものです。

大宮神社安置当時の天王像......東博出展の大宮神社伝来天王像

私の仏像彫刻を見る眼が、まだまだ未熟なのでしょうが、もし、お堂あった頃の後世彩色の像を見ても、重要文化財指定クラスの仏像だとは到底思えず、そっけなくやり過ごしていたことと思います。


余談ですが、同じような話を思い出しました。

三浦半島の浄楽寺の阿弥陀三尊、不動・毘沙門像は、昭和34年の調査で運慶作であることが判明したことで有名ですが、この調査をした久野健氏は、自著「仏像」で、このように書いています。

「なるほど、この不動明王像は、全身後世の悪彩色でおおわれ、しかもまだらに剥落し、極めて鑑賞を妨げている。しかしよく見ると……そう新しいものとは思えない。
毘沙門天像も、不動明王像と同様、近世の彩色で全身をおおわれているが、こちらの方は剥落があまりないために、それほどじゃまにならない。・・・・・

後世の悪彩色で、この毘沙門、不動像が、鎌倉初期の優作であることを、極めて判り難くしていたようです。
この像は、その後の修理で彩色が取り除かれ、「運慶作」像の素晴らしい造形を、肌で感じることができるようになりました。
修理前近世彩色像と、修理後像の写真は、このようなものです。

後世彩色された浄楽寺・毘沙門天像......修復後の浄楽寺・毘沙門天像

やはり私の眼力では、極彩色の毘沙門像を見て、これは鎌倉初期の慶派のバリバリの第一級の出来の作品だと即座に見極めることなど、到底無理というのが本音のところです。
なかなか難しいところだと思います。


話は戻りますが、
万願寺・大宮神社伝来の東博・奈良博所蔵像は、ダイナミックで迫力十分の平安古像だと思います。
残りの像も、今は何処にあるのかはっきりしないのですが、是非とも観てみたいものです。

丹波・亀岡という処は、当時の平城・平安京も作品と遜色ない仏像が随分残されていたようです。
万願寺・大宮神社伝来諸像の他にも、前回ご紹介した甘露寺・十一面観音坐像や、極楽寺の十一面観音立像(出雲大神宮神宮寺旧仏)をはじめ、魅力あふれる平安古像が、結構多くみられるようです。

亀岡甘露寺・十一面観音坐像........亀岡極楽寺・十一面観音立像
亀岡甘露寺・十一面観音坐像              亀岡極楽寺・十一面観音立像

また、ご存知かとは思いますが、天平時代の木心乾漆像として知られる、京都・高山寺の薬師如来像と脇侍の日光月光菩薩像(東京芸術大学と東京国立博物館にそれぞれ分蔵)は、元亀岡にあった仏像です。
明治時代の「高山寺什器帳」によると、かつては丹波の国(亀岡)の神尾山金輪寺の本尊でであったと記されています。

亀岡金輪寺伝来・高山寺薬師如来坐像..................亀岡金輪寺~高山寺伝来・東博日光菩薩像
亀岡金輪寺伝来・高山寺薬師如来坐像          亀岡金輪寺~高山寺伝来・東博日光菩薩像

この亀岡の地は、京の都からは、険しい老ノ坂越えとはいうものの、都から仏像や仏師が送り込まれたでしょうし、また万願寺がある西別院町は摂津の国と背中合わせです。
当時は、都レベルの立派な仏像が数多く造られていたに違いありません。

「亀岡の仏像巡り」などというのは、地方仏巡りのなかでも、あまり話題にされることはないように思います。
注目されていない割には、見所のある魅力ある古像が、結構残されているように思われ、これからも、もうちょっと亀岡の仏像たちを、掘り下げて観て廻ってみたいものです。


【追記】
<コメント>に、「仏像修理屋」様から、これらの仏像のその後の来歴について、貴重な情報を頂きました。
流石の、ご造詣の深さに敬服の極みです。

天部像は、1971年の「平安時代の彫刻」展に個人蔵として出陳されており、元の所蔵者は薮本古美術であったそうです。
兜跋毘沙門天像は、神奈川電気の創業者であり収集家であった松田福一郎氏が購入、現在では子息の光氏の所蔵となっているそうです。
松田福一郎氏は、一時期、奈良博・薬師如来坐像(国宝・平安前期)を所蔵していたこともあり、仏教美術コレクターとしては大変著名であった人です。

早速、「平安彫刻展」の図録と「松田コレクション~仏教美術名品展」の図録(小田原市郷土文化館松永記念館・1989年)を、取り出してきて見てみたら、
両像とも、しっかりと写真図版が掲載されておりました。

展覧会も、図録も、見た気になっていますが、実は見ていないもので、平安彫刻展は、その昔、学生の頃見に行っているのですが、全く記憶の端にも残っていませんでした。

図録の写真を、ご参考までにご覧に入れておきます。

<平安彫刻展出展・天部形像(薮本古美術蔵)........松永コレクション展図録・兜跋毘沙門天像

コメント

亀岡市満願寺伝来の仏像について

初めて書き込みます。
写真144のトバツ毘沙門ですが、これは
神奈川電気の創業者であり収集家であった松田福一郎氏が購入、現在では子息の
光氏の所蔵となっています。佐野美術館での企画展「仏教美術入門展」(145番)小田原松永記念館での展示に出陳された履歴があります。同氏は現在では仏教美術コレクター兼業者として「小さな蕾」に断続的に寄稿、本像の入手経緯も詳しく書かれていました。現在では後補の両腕と彩色は取り去られ、やはり後補の鼻頭を補って素地の状態になっています。とりいそぎ、知っているままですが。

追記
今回重要文化財指定になった天部形像は1971年の「平安時代の彫刻」展に個人蔵として出陳されています(39番)。元の所蔵者は薮本古美術です。長らく同店の東京店に展示されていて、時々見に行くのが楽しみだった思い出があります。これで個人蔵のおもだった彫刻は国のものになったようですね。10世紀の彫刻としては原良三郎旧蔵の地蔵立像(重文)が瀬津雅陶堂にあったはず。乱文ご容赦。

薮本家旧蔵の天王立像について

お久しぶりです。取り上げられていた、薮本家旧蔵の天部形立像についてですが、
なにげなく検索をかけてみたところhttp://bank-db.com/rakusatu/22447、なんと、購入値段が出てきました。
4億6200万円!値段が高い低いは個人で取りかたもあるでしょうが、自分としては
せいぜい8・9千万円と思っていました。
蛇足ではありますが、ご報告まで。

  • 2013/01/04(金) 18:54:31 |
  • URL |
  • 仏像 #-
  • [ 編集 ]

Re: 天王立像:情報有難うございます

「薮本家旧蔵の天王立像について」の文化庁購入価額の情報、有難うございます。

よく、こんな情報を見つけ出されましたね。
それにしても、余りの高額に、本当にびっくり、驚嘆です。
私は、文化財・美術品としての仏像の取引相場といったものはよくわからないのですが、重文指定級の仏像となるとこんなに高額の取引額になるのでしょうか?
真如苑蔵の大日如来像のオークション落札の時にも、驚いてしまいましたが・・・・・・・

30年以上前に、亀岡・大宮神社氏子さんたちが9体を売却した時には、いくらぐらいで取引されたのかは判りませんが、今回の文化庁購入額は、その時には想像もつかなかったような巨額になったのでしょう。
感慨深いという感じです。
素晴らしい仏像として見出され、保存されることになったということでは、喜ぶべきことということなのでしょうか。

これからも、コメント、情報など、よろしくお願いいたします。

  • 2013/01/05(土) 10:50:50 |
  • URL |
  • 神奈川仏教文化研究所 #-
  • [ 編集 ]

仏像の値段

拝復
寺院が困窮していた、戦前から戦後まもなくの時代に流出した仏像のミュージアムピースについては、ここ十年くらいで、個人や零細私立美術館の蔵品分はほぼ国有に移行完了したようです。その最後といってはなんですが、等身大という大きい法量と古さから、このような値段になったものと思いますが、未指定の文化財に関しては、値段が抑え目だったのが通例だったので、ちょっと驚きました。
その他の重要文化財では、常盤山文庫・菅原通雄蔵品、セゾン現代美術館蔵品、細見家蔵品、新田棟一旧蔵品が国有に移動しています。
なかでも、細見家分(美術財団の所有でないほう)に関しては、仏像だけでなく、ご自慢の工芸品が数点、おそらく5・6億円分が国に売却されています。
あとは、困窮している寺院からの移行が著しいです。額安寺、福井大谷寺、京都常楽院から川崎の質屋大国に質流れした清涼寺式釈迦など、
ここ数年で国に売却されています。
蛇足ながら。

  • 2013/01/06(日) 17:14:36 |
  • URL |
  • 仏像修理屋 #-
  • [ 編集 ]

Re: 仏像の値段

またまた、興味深いお話を戴き、有難うございます
時代の流れの中で、美術品が移動していくのは、世の倣いのようですね
そのなかで、国の管理になるものは、それはそれで良きことなのでしょう

額安寺さんも、国宝・額田寺伽藍並条理図を文化庁が購入、その資金で寺域を随分きれいに整備されたということらしいですね

  • 2013/01/09(水) 21:14:53 |
  • URL |
  • 神奈川仏教文化研究所 #-
  • [ 編集 ]

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