観仏日々帖

新刊旧刊案内~「當麻寺の歴史と信仰」金志虎著 【2015.6.27】


当麻寺の研究についての単行本が出版されました。


「當麻寺の歴史と信仰」 金志虎著
2015年3月 勉誠出版刊 【211P】 8000円


当麻寺の歴史と信仰


この本は、早稲田大学の会津八一記念博物館助手・金志虎氏の博士論文を単行本として出版されたものです。
学位請求論文ですから、当たり前ですが、全編研究論文です。
少々堅苦しそうなのですが、当麻寺について一冊にまとまった論考の本は、めずらしいといっても良いものなので、ご紹介してみることにしました。

本の目次を見ると、
「当麻寺金堂本尊の制作背景」
「当麻寺金堂本尊の制作技法~石芯塑像論」
などというフレーズが目に入ってきました。
なかなか興味深そうでしたので、値段が高いなと躊躇しながらも、思い切って買ってしまいました。

目次をご覧ください。

「當麻寺の歴史と信仰」目次2「當麻寺の歴史と信仰」目次1

「當麻寺の歴史と信仰」目次4「當麻寺の歴史と信仰」目次3


【本書のエッセンス】

ご覧のような項立てになっています。

当麻寺創建期の伽藍と金堂弥勒仏像についての研究と、当麻曼荼羅を中心とする当麻寺信仰についての研究がベースに構成されているようです。
当麻寺本尊・弥勒仏像についての目次を見ると、大変興味深い項立てがされています。

専門的な内容で、この研究の特色とか論点を、うまくご紹介するなどというのは、私などには荷が重すぎて、どうしようかと困ってしまいます。
金氏の師匠である大橋一章氏が、本書の序文で、そのエッセンスを判りやすく記されていますので、これをご覧いただければ、ご想像がつくのではないかと思います。

「当麻寺の創建は白鳳時代で、現在金堂に安置されている塑像の弥勒像も白鳳彫刻で、多くの先行研究はその源流を軍威の石仏と主張していた。

修士論文の『当麻寺金堂の弥勒像について』は、この仏像の源流を軍威の石仏や中国龍門石窟の石仏とする先行研究を実証的に否定し、川原寺の塑像の丈六阿弥陀仏がもとになっていることを主張した。

また金堂本尊が弥勒仏と称されたのは文献的には鎌倉時代以降のことで、当初は阿弥陀仏で当麻寺は阿弥陀信仰の寺であったという。
金堂本尊の名称の変更は、浄土変相図の当麻曼荼羅が金堂とは別に本堂が建てられ、その本尊として懸けられるようになって以降のこととする。

わたくしは、この修士論文に接した時、戦前から日本人の研究者が誰も到達できなかったスケールの大きい当麻寺研究が成就されるだろうと確信した。

ついで当麻寺の伽藍配置の問題点ともいうべき金堂と講堂の立地位置は、藤原京内の寺院と同じく条大路の北側、つまり二条大路の延長線の北側に建てられたことを明らかにしたのである。」

以上のとおりです、如何でしょうか?
ポイントだけは、お判りいただいたのではないかと思います。

当麻寺・弥勒仏坐像
当麻寺金堂・弥勒仏坐像


当麻寺・山門
当麻寺・山門

当麻寺・遠景
当麻寺東西両塔・遠望

当麻寺・金堂
弥勒仏塑像が安置されている当麻寺・金堂


【興味津々の当麻寺金堂・弥勒仏塑像についいての論考】

やはり私が関心を持って読んだのは、やはり当麻寺当麻寺金堂本尊弥勒仏についての論考です。

ご存じのとおり、当麻寺弥勒仏像は、丈六の大型塑像で、当麻寺創建時、天武9年(680)頃の制作と考えられています。
天武14年(685)に完成した旧山田寺興福寺仏頭と同時期に制作されており、いわゆる白鳳時代を代表する仏像です。
興福寺仏頭の方は、その姿を知らない人がいないといっても良いほど、有名美麗な仏像ですが、当麻寺弥勒仏像の方は、彫刻史上の重要性の割には、あまり目立たないようで、誰でも知っているということでもないのかと思います。
当麻寺が、奈良市の中心部からかなり外れた、二上山のふもと葛城市という、ちょっと不便なところに在るので、随分損をしているのではないかと思います。

論考のなかでも大変興味深かったのは、次の2点です。

第1点は、大橋氏の序文のなかでも触れられていますが、当麻寺金堂本尊弥勒仏の様式の源流について、朝鮮、軍威石仏などとされている日本国外説を見直して川原寺の塑像・丈六阿弥陀仏にあるとされていることです。

第2点は、この塑像の弥勒仏塑像の構造が、石芯塑像として造られていると考えられるとしていることです。

当麻寺・弥勒仏坐像~顔部
当麻寺・弥勒仏坐像~顔部


〈当麻寺金堂本尊弥勒仏の様式の源流は、
新羅石仏ではなく、今は亡き川原寺本尊〉

第1点の、当麻寺金堂本尊弥勒仏の様式の源流については、これまで、松原三郎氏や毛利久氏は、韓国にある軍威石窟三尊仏像にあるとしました。
いわゆる、ブロック的という言葉に象徴される造形などの特徴を、新羅独自の様式が見られる軍威石仏像にみたのでした。
この考え方は、長らく有力な考え方とみなされてきました。

韓国・軍威石仏

韓国・軍威石仏
韓国・軍威石仏

金氏は、軍威石窟三尊仏像と当麻寺像との様式的特徴を頭部、面部、耳のかたち等々を詳細に検討し、両者の表現には相違があり、系統を異にするとしか思えないとしています。
また近年、類似が指摘されている龍門石窟薬方洞像とも系統を異にするとしています。

当麻寺像の制作背景等を検討すると、当麻寺像だけが新羅石仏の影響を受けて制作されたとは考えられないとしているのです。

そして、日本国内の作例に注目し直し、我国勅願寺第2号である川原寺で、初唐様式の丈六塑像が制作されていたであろうことに着目しています。

川原寺から初唐様式のセン仏、塑像断片などが出土していることを考えると、

「当麻寺本尊を、当麻氏が新羅との特別な関係においてつくられた7世紀後半の突出した作例と見るよりは、最新様式の川原寺塑像の影響によって制作された一作例と見るべきである。」

とされています。

川原寺裏山遺跡出土・三尊セン仏
川原寺裏山遺跡出土の初唐様式の三尊セン仏

ただ、川原寺の塑像本尊が現存していないのが残念なところです。


〈当麻寺弥勒塑像の構造は、石芯塑像?〉

第2点は、当麻寺弥勒塑像が、石芯塑像であったのではないかという話です。

あまりなじみがないかもしれませんが、岩石を彫ってこれを内胎として泥土などを盛って仕上げる造像技法です。
この種の技法は、敦煌の仏像などに多く存在します。
また、破壊されてしまったバーミヤンの大仏像も、造像当初は石彫の上から漆喰が前面に盛り上げられていたといわれています。

わが国での制作事例で云えば、栃木県の大谷寺の磨崖仏(大谷石仏)が、平安時代の制作ですが、石芯塑像といっても良い例でしょう。

栃木県・大谷石仏
栃木県・大谷寺の磨崖仏(大谷石仏)

実は、当麻寺弥勒塑像の内部構造がどうなのかということについては、未だ判明していません。

当麻寺・弥勒仏坐像
当麻寺・塑像弥勒仏坐像

例えば、西川新次氏は、木心を骨組みとして塑土を盛り付けたものと想像し、胸部に造形の歪みがあるのは、胎内が構造上空洞で、それが何かの衝撃があって変形したのではないかと推測しています。
一般的には、古代の塑像仏像は、木心構造に塑土を盛り付けることによって制作されています。
当麻寺の弥勒仏塑像も、そのように考えられていると思います。

これに対して、金氏は、当麻寺本尊は丈六級の塑像であったことを考慮すると、木心がその重量に耐えられるとは思われず、石芯塑像であったと考えられると主張されています。
当麻寺像が石芯塑像である可能性については、先に、松島健氏が指摘していますが、その考え方を展開して論じています。

そして、石芯塑像の類例として、当麻石光寺の大型石仏断片をあげています。
当麻石光寺の大型石仏は、平成3年(1991)の発掘調査で発見され、大注目を浴びました。
当麻寺弥勒塑像に似たところがあるとされ、白鳳時代にさかのぼる石仏であろうと見られています。

当麻石光寺出土石仏..当麻石光寺出土石仏
当麻石光寺出土石仏

石光寺石仏の平面的で大まかな造形など、造形表現、表面の状態などから見ると、完成品であったとは思われず、大型塑像の石芯として使用されたと考えられると述べられています。

金氏は、このテーマの結びを、このように締めくくっています。

「当麻寺本尊は、毛利久氏による様式検討以来、韓半島の新羅時代に作られた石仏が源流であると長らくいわれてきた。

当麻寺本尊の源流が新羅の石仏にあるという見解には賛成できないが、頭部、胴体部、脚部の表現がまるでブロックを積み重ねたようであるという見解は、当麻寺本尊の像内に石芯があるからそう見えたのではなかろうか。

こうした石芯を用いる大型塑像は、当然韓半島にも作例があり、百済時代の定林寺の本尊は石芯塑像として制作されたと考えられる。
こうした石芯塑像の制作技法は日本にも伝わり、凝灰岩の産地である二上山に隣接する当麻寺と石光寺の本尊を制作する際に採択されたのである。」

当麻寺弥勒塑像が、石芯塑像であったのではないか、当麻石光寺石仏も同じく石芯なのではないかという考えは、大変興味津々です。

私には専門的なことは良く判りませんが、これまで、当麻寺塑像が石芯構造なのではないかなどとは思いもしたことはありませんでした。
いずれの時にか、科学的調査で明らかにされる時が来るのでしょうが、本当に興味深いものがあります。


本書、「當麻寺の歴史と信仰」のなかから、私の関心のある当麻寺本尊・弥勒仏塑像に関する処の、ほんのエッセンスを、ご紹介してみました。
適切ではないところや、間違っている処があるかもしれませんが、ご容赦ください。
大変、興味関心をそそられる内容の論考ではないかと思います。

ご関心のある方は、是非本書を詳しくお読みいただければと思います。


【30歳代の若さで博士号取得に、ちょっと感心!】

ところで、著者の金志虎氏は、1977年生まれで、今年誕生日が来て38歳という若さです。
いずれ韓国に帰国して、仏教美術史研究者の途を歩んでいかれるということです。

「38歳で文学博士か!」と、ちょっと感心してしまいました。

私など65才を過ぎた中高年には、人文科学系の博士号というのは、その道の大家といわれるような地位を築いた学者が、それなりの年齢になって、研究の集大成的に学位を取得するものだという感覚があったからです。

過去の著名な仏教美術史学者の博士号取得年齢を思いつくままにピックアップしてみました。

例えば、こんな感じです。

毛利 久氏:46才(学位論文:仏師快慶論)
久野 健氏:56才(学位論文:平安初期彫刻史の研究)
上原 和氏:68才(学位論文:玉虫厨子 飛鳥・白鳳美術様式史論)
吉村 怜氏:51才(学位論文:北魏仏教図像の研究)
大橋一章氏:66才(学位論文:奈良美術成立史論)
根立研介氏:51才(学位論文:日本中世の仏師と社会 運慶と慶派・七条仏師を中心に)

氏名と学位論文をご覧になると、「なるほど、なるほど」と納得されることと思います。
ご覧のとおり、各氏は、それぞれのテーマ、フィールドの第一人者、権威であることは、ご存じのとおりですし、そのような定評を得られてから、それまでの研究論文の集大成によって博士号を取得されているように思います。

ところが最近は、仏教美術史学の世界も、昔のような感じではなく、若くして博士号を取得するという風に変わっていっているようです。
金氏の在籍する早稲田大学の場合は、どうなのかなと思って、近年の例をピックアップしてみました。

大西磨希子氏:2005年取得・35歳(学位論文:西方浄土変の研究)
小野佳代氏:2007年取得・36歳(学位論文:仏教美術における供養表現と意味)
中野 聰氏:2007年取得・40歳(学位論文:日本上代の阿弥陀信仰とその造像)
三宮千佳氏:2012年取得・34歳(学位論文:日本古代の阿弥陀堂の研究)

こんな感じで、30歳代で博士号取得されている研究者が数多いという状況のようです。
美術史学の博士号の取得も、研究の集大成というのではなく、若手研究者の方の研究テーマの一区切りというような位置づけになってきたということなのでしょうか?

我々中高年も、既成概念のスイッチを切り替えていかなければいけないなと、痛感した次第ですし、こうした若手研究者の学位論文が単行本化され、接する機会が増えてくるというのは、嬉しいことです。


【当麻寺について書かれた単行本、ご紹介】

最後に、当麻寺について書かれた、単行本をご紹介しておきたいと思います。

当麻寺というのは、7世紀の創建で、東西両塔、弥勒仏塑像、乾漆四天王像、当麻曼荼羅をはじめとして数多くの国宝、重要文化財があり、美術文化史上大変重要な位置づけをされる古寺でありながら、ちょっと地味な感じで、美術全集などにも当麻寺単独で巻が編まれることがあまりないように思います。

当麻寺単独で採り上げた単行本も意外と少ないようですので、丁度この機会に、書架に在るものを、ご参考に紹介しておきたいと思います。


「大和古寺大観 第11巻 当麻寺」1978年 岩波書店刊 28000円
「大和の古寺 第2巻 当麻寺」1982年 岩波書店刊 2800円


大和古寺大観・当麻寺.大和の古寺・当麻寺

この2冊は、今さら採り上げることもない、定本ともいえるべき本ですが、一応ご紹介しました。
大和古寺大観の弥勒仏塑像の解説は、毛利久氏の執筆です。


「當麻寺」黒田曻義著 1941年 近畿観光会刊 【60P】 50銭


「當麻寺」黒田曻義著

戦前に、近畿日本鉄道が「大和路叢書・全12巻」の一冊として刊行した本です。

中将姫の絵の美しい表紙が印象的です。
小冊子ですが、しっかりとした研究レベルに裏打ちされた内容になっています。
執筆は黒田曻義氏で、以前に観仏日々帖「興福寺仏頭展によせて・・・『仏頭発見記』をたどる」で、昭和12年(1937)秋、興福寺仏頭の発見に立ち会った人としてご紹介した人物です。


「当麻寺」近畿日本叢書第7冊 1962年 近畿日本鉄道刊 【200P】 1500円


「当麻寺」近畿日本叢書

近畿日本鉄道が創立50周年を記念して刊行した、「近畿日本叢書・全10巻」の一冊として刊行されました。
各刊共に、「総説・建築・彫刻・絵画・工芸」の5項目に分けて、第一線の研究者が論考を執筆し所論、自説を展開するという構成です。
解説の体裁をとりながらも、論考集といった内容になっています。

「当麻寺の彫刻」は、毛利久氏の執筆です。


「当麻寺」北川桃雄著 1966年 中央公論美術出版社刊 【40P】 200円


「当麻寺」北川桃雄著

中央公論社の「美術文化シリーズ」の一冊として刊行されました。

執筆は、北川桃雄氏で、北川氏らしい語り口で、平易に判りやすく記されています。
コンパクトなガイドブックという処でしょう。


「当麻寺」日本の古寺美術第11巻 松島健・河原由雄著 1988年 保育社刊 【230P】 1600円


「当麻寺」日本の古寺美術

この「日本の古寺美術」のシリーズは、町田甲一氏企画で全20巻が刊行されましたが、高い学術レベルに裏打された解説で、著者の所論も論じられており、大変読み応えがあるものです。

当麻寺草創期の歴史と金堂弥勒仏塑像等の仏像解説は、松島健氏が執筆しています。

松島氏は、この中で、弥勒仏塑像の構造が石芯塑像である可能性について言及しています。
そのことについては、先にちょっとふれたとおりです。

その事由としては、

・二上山産の凝灰岩石材を採掘した石工集団と当麻寺が密接なかかわりがあったと思われること、

・「当麻寺縁起絵巻」(神奈川光明寺所蔵)には、石工が巨大な岩石から本尊弥勒仏を彫り込んでいる情景が描かれていること、

・弥勒仏が石芯塑像だとすれば、構造上堅牢であり加熱にも耐火性があることから、治承の金堂火災時にも大損傷を被りながらも、構造的破壊に至らなかったことも理解できること、
などを挙げられています。

当麻寺縁起絵巻
巨石から弥勒仏を彫出す情景(左側)が描かれている当麻寺縁起絵巻

本書の発刊後、当麻石光寺の大型石仏断片が平成3年(1991)に発見されました。

「当麻石光寺と弥勒仏概報」(橿原考古研究所編・1992吉川弘文館刊)の調査概報には、
この石光寺の石仏が、「当麻寺縁起絵巻」に描かれている弥勒石仏そのものであったのではないか、
寺伝に云う草創期の本尊であった可能性もある
と記されています。

いずれが蓋然性が強いのか良く判りませんが、なかなか興味深い処です。



新刊、金志虎著「當麻寺の歴史と信仰」のご紹介、当麻寺についてのいくつかの単行本などのご紹介をさせていただきました。


来月7月18日から、丁度、奈良国立博物館で「開館120年記念展・白鳳~花ひらく仏教美術」が開催されます。

奈良博・白鳳展ポスター

皆さん、必見の展覧会と、出かけられることと思いますが、この「白鳳展」のついでに、少々足を伸ばして、白鳳時代の大型丈六塑像の祀られる当麻寺を、訪れてみられてはいかがでしょうか。

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