観仏日々帖

古仏探訪~豊後高田市・内野区の焼損痛々しい聖観音立像 【2015.5.29】


今回も国東の知られざる古仏のご紹介です。

「ウーン!わざわざ足を運んで観に行くほどだろうか?」

この仏像の写真を最初にパッと見たとき、ちょっと唸ってしまいました。

内野区観音堂・聖観音立像

内野区観音堂・聖観音立像
内野区観音堂・聖観音立像

【焼け焦げ痕、痛々しい観音像】

大きなあばたのような焼け焦げの痕が、あちこちに残っているのが、まず目に入ってきます。
お顔の部分の眼、鼻、口にかけての焦げ跡は、大きく尊容を損ねてしまっており、痛々しいばかりです。
焼け焦げ跡の方に気をとられてしまい、仏像そのものの姿が、眼に入らなかったといっても良いのかもしれません。

一瞬、間をおいて、もう一度この観音像の写真を見直してみました。
よく見ると、なかなか魅力的な像であることに気がついてきました。

「この仏像は、結構古いぞ!」
「元は、すごく出来の良い仏像だったのじゃないだろうか?」
「力感充分で締りがあり、体躯のシルエットのバランス感が抜群だね!」

そんな感じがするのです。

「これは、一度自分の眼でみて、どのような仏像か確かめてみたい。」

と、思ったのでした。


地区管理の仏像ということで、豊後高田市の教育委員会に拝観についてお伺いしました。
ご担当の方に、大変親切にして頂き、管理の方にご確認いただくなど、お世話になりました。

地図などをお送りいただいたメールに、
「『国東のヴィーナス』とも称されているように、スラリとした美しい体躯は健在です。    是非、心ゆくまで堪能ください。」
との言葉が添えてありました。

「国東のヴィーナス、と呼ばれているのか!」

ますます、これは一度拝さねばと、期待感が高まってきたのでした。


内野観音堂への案内標識
内野区の観音堂は、豊後高田市の中心地、市役所などがある処から南東へ5~6キロほど、車で15分ぐらいのところにあります。

JR宇佐駅からは、東に10キロほどという処でしょうか。
観音堂の近辺まで往くと、「聖観音立像(内野焼仏)」と書かれた、案内標識を見つけました。

そこから細道を入っていくと、収蔵庫兼用のような小さな観音堂がありました。

聖観音像が祀られる内野区・観音堂
聖観音像が祀られる内野区・観音堂

観音堂下には、案内看板があります。

観音堂下に設置されている聖観音像の解説看板
観音堂下の案内看板


【元・西叡山高山寺の本尊であった聖観音像】

案内看板にはこのように書かれていました。

内野聖観音立像(県指定有形文化財)

六郷山寺院の本山本寺格、西叡山高山寺に安置されていたと伝えられる本像は、9世紀に製作されたものと考えられ、六郷山寺院の平安仏の中では最も古い仏像に入ります。
腰が横にはり下半身にボリュームがあるといった特徴を持ち、その流麗な姿から『国東のヴィーナス』とも称される秀作です。

西叡山高山寺はかつて六郷山寺院の僧が出家する灌頂所が置かれており、六郷山寺院の中心的な寺院の一つでしたが、江戸時代の初め頃(元和年間)に焼失したといわれています。
この火災の際に辛うじて難を逃れた本像は、地元で厚く信仰され現在に伝えられています。
(豊後高田市)」

西叡山高山寺という廃寺の名は、初めて知りました。

その昔には、京都の比叡山・延暦寺、 東の東叡山・寛永寺、西の西叡山・高山寺と並び称され、三大叡山と言われていた大寺であったそうです。
西叡山は、この内野区観音堂の真南2~3キロの処に見える、海抜570mの小高い山です。

西叡山
西叡山

現在、高山寺というお寺が西叡山の中腹にあるそうですが、そのお寺は昭和59年に建てられた新寺だそうです。

新高山寺・山門
新高山寺・山門

この観音像、西叡山高山寺の本尊であったと伝えられているそうです。
安貞2年(1228)の「六郷山諸謹行并諸堂役祭等目録」という文書に、高山寺の本尊として記されている
「本尊薬師如来並びに聖観音菩薩」
の聖観音に該当するものと考えられています。
写真で見た焼け焦げの後が大きく残っているのは、西叡山高山寺が江戸初期に焼失した時に、この仏像が火中した跡なのでしょう。


【内野観音堂の古仏を眼近に拝して】

早速、観音堂に上がって、仏像の拝観です。
お堂の扉を開けると、真正面に6体の古仏が祀られています。

観音堂内に安置されている聖観音像と破損仏

焼損の跡が痛々しい聖観音立像
観音堂内に安置されている聖観音像と破損仏

地元の方が、毎日お世話されているのでしょう。
可憐なひな菊の花が、観音様の前に供えられており、ホッと心が和みます。

目指す聖観音立像は、真ん中のひときわ背の高い像です。
観音像の両脇には、破損が甚だしい菩薩像、天部像が祀られていました。
観音像以外の破損仏も、かつては高山寺に祀られていたものだということです。

共に祀られている天部像..共に祀られている破損仏
共に祀られている破損仏

聖観音像は、県指定文化財(昭和44年・1965指定)で、像高193cm、カヤ材の一木彫で、内刳りは全く施されていません。
焼損が激しくはっきりしませんが、素地仕上げであったかとみられるそうです。

聖観音像の焼損は、やはりかなり激しいものでした。
真正面から火炎を受けたのでしょうか?
腰から下の前面は、ほとんどが焼け焦げています。

前面が火中焼損している聖観音立像

焼け焦げ痕が痛々しい聖観音像上半身
前面が火中焼損し、焼焦げ痕が痛々しい聖観音立像

胸から上は、顔面に至るまで、大きな痣があるかのような焼け焦げ痕が、何か所も残っています。
とりわけ右眼のあたりと鼻から口にかけての焦げ痕が、尊容を著しく損ねてしまっていて痛々しいばかりです。
そのことがこの古仏の鑑賞を大きく妨げているといえるでしょう。


【なるほど、「国東のヴィーナス」と称されるだけの優作】

近づいてじっくり拝すると、大変出来の良い平安古仏です。
焼損痕に惑わされないようにして鑑賞すると、力感みなぎるバランスの良い像であることに気がつきます。
その堂々たる姿は、流石に西叡山高山寺の本尊として祀られていた仏像だけのことはあると、納得させられるものがあります。

内野区聖観音像・上半身...内野区聖観音像・脚部衣文の様子
堂々たるプロポーションの聖観音立像(上半身と下半身)

腰高なプロポーション、豊かな腰の張り、締まりある肉付けの上半身の造形は、大変魅力的で、グッと惹き付けられてしまいます。
「国東のヴィーナス」
と称されるだけのことはある、魅惑的な仏像だと感じました。
朽損、摩耗していますが、腰の衣文の彫り口も結構鋭く、ダイナミックなものがあります。
平安前期仏の魅力をしっかり備えた、優れた一木彫であったに違いないと思いました。

「焼損せずに、朽損せずに、遺されていたとしたら、どんなに素晴らしい魅惑の仏像であったことだろうか!」

今のお姿を前に、そんな溜息が出てきました。
残念なことです。

なんといっても、豊かでパンチのある腰の張りが魅力的です。
この腰の張りの造形は、あの有名な唐招提寺のトルソーの一木彫を思い出してしまいます。
唐招提寺像よりはボリューム感が控えめで、大人しい感じですが、似たものがあると感じました。

内野区聖観音像・正面全身...唐招提寺如来形像・トルソー正面全身
内野区聖観音立像と唐招提寺如来形像・トルソー(正面全身)

内野区聖観音像・張のある腰部側面...唐招提寺如来形像・腰部側面
内野区聖観音立像と唐招提寺如来形像・トルソー(腰部側面)

また、腰高でウエストから胸あたりを絞ったプロポーションは、天平仏のシルエットを連想させなくもありません。
同じ大分県・宇佐の天福寺奥院の菩薩形塑像のシルエットを連想させるような気がするのですが如何でしょうか?
天福寺奥院の菩薩形塑像は、天平後期、8世紀後半の制作とされています。

内野区聖観音像・全身像
内野区聖観音像・全身像

天福寺奥院・塑像菩薩形立像...天福寺奥院・塑像菩薩形立像
天福寺奥院・塑像菩薩形立像

この聖観音像、平安に入ってしばらくたってからの制作だと思うのですが、その造形のフィーリングをみていると、天平の名残をそこはかとなく留めている古像のような気がします。


【聖観音像の制作年代は?】

制作年代は、どのように考えられているのでしょうか?
結構古いのでしょうか?

「大分の古代美術」(大分放送・1983年刊)には、鷲塚泰光氏がこのように解説がされています。

「顔は肉付きの良い瓜実型で、面奥も深く上瞼のふっくらとした穏やかな眼が浅く刻まれている。
・・・・・・・・・
胸部にくくりの線を刻み、腹部はやや前方に突き出す形にしぼり、これに豊かな腰が続き、下半身は膝に部分で一旦細め、天衣でたくられた裳裾が左右と後方に拡がる安定した形で、正側面共に動きがあって、像はみごとな均衡を保っている。

髻や耳輪の丸みの強い彫り口や、裳に断面が半円状の襞を繁く刻む手法は、福岡浮嶽神社に伝わる如来坐像、同立像、地蔵菩薩立像(いずれも重要文化財)の作風に近い特色のある表現である。

10世紀に遡るまとまりの良い本格的な一木造の作例として注目されるが、面相部や躰部前面に焼損が大きくひろがっているのがいかにも惜しまれる。」

内野区聖観音像・頭部側面..内野区聖観音像・脚部衣文
内野区聖観音像・頭部側面と脚部衣文

浮嶽神社如来坐像・頭部側面
浮嶽神社如来坐像・頭部側面

浮嶽神社・如来形立像...浮嶽神社・地蔵菩薩立像
浮嶽神社・如来形立像(左)と地蔵菩薩立像(右)

2006年に大分県立博物館で開催された「み仏の美とかたち展」図録では、渡辺文雄氏のこのような解説が載せられていました。

「丸く大ぶりの髻や厚く張りのある腹部から腰にかけての肉付け、裳裾両面のしのぎ立った衣文などに、平安前期一木彫成像の名残をとどめ、10世紀も前半頃の製作と考えられます。
数多い国東半島の平安仏では、最古の木彫仏です。」

観音堂前の説明看板には、
「9世紀に製作されたものと考えられ」
と書かれていましたが、
「大分の古代美術」「「み仏の美とかたち展図録」共に、10世紀の制作と考えられているようです。

たしかに、9世紀の制作とするには、造形に少し硬直化が見られ、平安前期のダイナミックな迫力が後退しているように感じます。
浮嶽神社の諸像と較べてみると、納得がいくところです。

この聖観音像、当地の製作ということで少し年代が下がるのかもしれませんが、その中でも大変古様を留めた、魅力ある秀作といって良いのではないでしょうか。



私は、この「国東のヴィーナス」を、大変気に入ってしまいました。

国東半島の鄙の地に在り、地元でひっそりと管理されている、知られざる古仏といって良いでしょう。
それに、焼け焦げ痕で、著しく尊容を損ね、なかなか愛好者の関心を惹くこともないかもしれません。
わざわざ、訪れる人もそうはいないのではないかと思います。

「素晴らしい仏像なのに、見た目で損をして可哀想だなあ!」

眼前に拝してみて、そんな気持ちが込み上げてきました。

国東方面へ出かけられた時には、一度は必見の、魅力ある像だと思います。
是非訪ねてみていただければと思います。


最後に、やってはならない禁じ手なのですが、写真に修整を加えて、焼け焦げ痕を隠してみました。

内野区聖観音像の焼焦げ痕を隠した修正写真

内野区聖観音像の焼焦げ痕を隠した修正写真
内野区聖観音像の焼焦げ痕を隠した修正写真

如何でしょうか?

目障りな焼け焦げ痕を隠してみると、この観音像の魅力あるプロポーションのシルエット、古様で締りある造形表現のイメージを、感じていただけるのではないかと思います。

大きな焼け焦げ痕で、余りに尊容を損ね、痛ましく可哀想なので、本来の造形をイメージしていただきたく、敢えてやってはいけない写真修正を試みてみました。

お赦しいただき、「国東のヴィーナス」本来の姿をイメージしていただければ幸いです。

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  • 2016/11/24(木) 00:45:37 |
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