観仏日々帖

古仏探訪~大分県宇佐市・龍岩寺奥院の三尊仏像 【2015.5.2】


昨年(2014年)11月、大分県宇佐・国東方面の観仏探訪に出かけました。
福岡市博物館で開催された「九州仏~1300年の祈りとかたち展」に、同好の方々と出かけたのですが、それにあわせて大分県まで足を伸ばしたのです。

探訪した古寺、仏像はご覧のとおりです。

大分県観仏探訪先のリスト

2日間で拝して回りましたが、その前に福岡市博物館、九州歴史資料館の仏像特別展などを観た後だけに、
「もう目一杯!」「腹一杯の満腹状態!」
という感じになってしまいました。

これらの古仏のうちから、いくつか印象に残った仏像をご紹介してみたいと思います。


まず最初は、宇佐市院内町の龍岩寺の三尊仏です。
平安後期の制作で、重要文化財に指定されています。


【異次元の幽玄空間、岩窟礼堂に祀られる三尊仏】

一度、この三尊仏を拝すると、きっと誰もが忘れることが出来ないことでしょう。

しっかりと記憶に刻まれる仏像です。
山腹の岩窟の礼堂奥に、すっくりと佇む三体の巨像を目の当たりにすると、心撃たれずにはいられません。

龍岩寺・三尊仏像
龍岩寺奥院礼堂・三尊仏像

急峻な岩壁に貼り付いたような龍岩寺・礼堂
岩壁に貼り付いたような龍岩寺・礼堂

45年前、学生時代に、この龍岩寺を訪ねたことがあります。
急峻な岩壁に貼り付いたような礼堂に、堂々たる三尊仏が祀られるというたたずまいは、鮮烈に目に焼き付きました。
その時の有様は、今でも映像を見るように蘇ってくるような気がします。

昭和47年(1972)当時撮影の龍岩寺三尊像
昭和47年(1972)当時撮影の龍岩寺阿弥陀如来像..昭和47年(1972)当時撮影の龍岩寺不動明王像
昭和47年(1972)に訪れた時撮影した、龍岩寺三尊仏像写真

思い出の龍岩寺に、再訪を果たすことが出来ました。


龍岩寺は、大分県宇佐市院内町大門という処に在ります。
宇佐八幡のある宇佐市街から東南に15キロぐらいのところの、山間の山村といったところです。
「龍岩寺参道」の標識がある石段を往くと、すぐに右手に住居兼用のような本堂があり、ここで拝観のお願いをします。

龍岩寺参道・入口..龍岩寺参道・入口
龍岩寺参道・入口

ここから、三尊仏がある奥院までは、細い急な山道を15分ほど登って行かなければなりません。
御住職なのでしょうか、管理されている方なのでしょうか、有難いことに、奥の院までご一緒にのぼってきていただきました。
巨岩がくりぬかれたトンネルを抜けると、奥院の礼堂が目に入ってきます。

奥院礼堂への山道.奥院礼堂への山道
奥院礼堂への険しい山道・トンネル

思わず息を呑むような景色です。
転げ落ちそうな急峻な岩壁の巌窟に、礼堂の建物が貼り付いたように建てられているのです。

急峻な岩壁に建てられた龍岩寺・奥院礼堂

龍岩寺奥院・礼堂
急峻な岩壁に建てられた龍岩寺・奥院礼堂

鳥取三仏寺の投入堂のことが、すぐに思い浮かびます。

鳥取・三仏寺投入堂
鳥取三仏寺・国宝投入堂

この建築様式、三仏寺投入堂と同じで「懸造り」というのだそうです。
鎌倉時代の建築で、重要文化財に指定されています。

山腹の岩窟は緑の木々に囲まれ、礼堂に佇むと静寂そのものです。
わずかにそよぐ風が、心地よく通り抜けていきます。
礼堂の奥には、格子戸越しに、3メートルほどもある巨大な木彫の三尊の坐像がどっしりと坐っているのが見えます。

礼堂内陣の格子戸越しに拝する三尊仏
礼堂内陣の格子戸越しに拝する三尊仏

中央に阿弥陀如来、向かって右に薬師如来、左に不動明王の三尊です。
礼堂の屋根と巌窟の間から程よい光が差し込んで、三尊仏が岩窟から浮かび上がって映えるようです。

龍岩寺奥院・三尊仏
龍岩寺奥院・三尊仏

幽玄というのでしょうか
神秘的というのでしょうか。
なにやら、異次元の空間、世界に浸ったような気持ちとなります。

45年前に訪れたときと、何も変わっていません。
この空間に身を置くと
「やっぱり、また来てよかった」
という実感が込み上げてきます。


さて、仏像のご拝観です。
普段は、外陣から格子戸越しにしか拝することが出来ないようですが、今日はわざわざ内陣のカギを開けて招じ入れていただき、目の前で巨大な三尊を拝することが出来ました。

これだけの巨像、本来なら離れた場所から拝するものなのでしょうが、そばに近づき仰ぎ見るように拝すると、本当に圧倒されてしまいます。


【石仏を思わせる木彫仏の三尊仏】

「石仏をみているようだ」

このように感じられることと思います。

龍岩寺奥院・三尊仏

龍岩寺奥院・不動明王像
石仏を思わせるような龍岩寺・三尊仏

螺髪や細かな衣文の線などを大胆に省略して、大まかにざんぐりと彫りあげられています。
目鼻口などお顔の作りも、思い切ってシンプルに表現されています。
とても木彫の彫像とは思えない仕上げ方です。
木塊を、石の塊のように造形したようです。

このざんぐりとした石仏風の表現が、背面の巌窟のゴツゴツした岩場と、見事に調和しているように感じます。
この巌窟を開いた人は、この山腹の急峻な岩場の巌窟に、出来得ることなら巨大な石仏を祀りたかったのではないでしょうか?
臼杵の古園石仏は、岩壁から彫り出した大きな大日如来の石仏などが礼堂で覆われ祀られています。

臼杵の古園石仏・礼堂

臼杵・古園石仏
礼堂に覆われた臼杵・古園石仏

そのようにつくりたかったのが、急峻な山腹では到底かなわず、石仏風の木彫像を祀ることにしたのかも知れません。

この三尊仏像は、共に素木作りで、クスノキの巨材を用いて造られています。
仏像に用いたクスノキは、山下に在る祇園社境内の神木を伐って刻んだという伝えがあります。
神仏習合の霊木信仰によるものかと思われます。

用材がクスノキで彫られていることが、この木彫像に「石仏の風合い」を感じさせるのに大きく作用しているように思えます。
クスノキは広葉樹の散孔材ですが、肌目、質感が粗く、硬質感を感じさせるところがあり、風化していっても、木目がささくれたりするようなことがありません。
今では年を経て、体躯に細かなヒビ割れがたくさん入っていますが、石仏的な硬質感は、しっかり保たれています。

ひび割れがが生じているクスノキ材の木地
ひび割れが入っているが石仏の風合いを感じさせるクスノキ材の木地

もしヒノキのような針葉樹材で彫られていたら、縦の木目に沿って割れやささくれが激しく生じて、とても石仏のような風合い、雰囲気は出なかったと思われます。

九州ではクスノキ材が使われることが多いのですが、石仏的風合いを出す効果も考えて、クスノキ材が用いられたのかもしれません。


【修験から生まれた?急峻岩壁の奥院礼堂】

どうして、このような三尊仏像がこのような急峻な岩窟に造られたのでしょうか?

龍岩寺の歴史については、良く判りません。
寺に残された龍岩寺縁起によると、

「天平18年(746)に行基菩薩が開き、鎮守牛頭(ごず)宮から木を切り出して一刀三礼のもとに三尊を刻んだ」

という内容が記されていますが、到底信用できるものではありません。
やはり、天台修験の信仰に絡んで、造像されたものと考えられているようです。

鷲塚泰光氏は、

「阿弥陀、薬師、不動を三尊とする組み合わせは、他に例がほとんどなく、当地方の天台修験と民間信仰の複雑な結びつきによる造像と考えられる。
・・・・・・・・
難解な教義はともかくとして、人びとの安寧を願う気持ちのあらわれと考えるべきであろう。」

(「大分の古代美術」1983年大分放送刊所収)

と述べています。

平坦に礼堂にたどり着けるようにされた通路
今では平坦に礼堂に
たどり着けるようにされた通路
修験がらみとすれば、奥院礼堂にたどり着くのも、昔は、結構険しかったのかもしれません。
今では、岩のトンネルを抜け比較的平坦な細道を往くと、そのまま礼堂にたどり着きます。
昔は、そうでもなかったようです。

建築史学者の福山敏男氏は、このように拝したと記しています。

「岩の洞門を抜け、左手に少し回ってのぼると、間もなく東南向きの岩窟のがけ下に達する。
舞台造の建物の正面が仰がれ、その脚下に沿って右に、鉄の鎖につかまって岩面を上ると北側から堂前面の広縁に入るようになっている。
さらに正面の扉を開いてうす暗い礼堂の内部に入ると、思いもかけない光景に驚かせれる。」

(「古寺の旅・西日本編」1973年東京美術刊所収)

この文章は、1953年に書かれたものです。
当時は、建物の脚下から鉄の鎖につかまって登っていかねばならなかったようです。

礼堂にのぼるクスノキ材の「きざはし」
急峻な崖を礼堂にのぼる「きざはし」

三仏寺投入堂に登る険しさには比べものにならないでしょうが、修験の奥院に参る険しさがあったのでしょう。
今でも脚下には、梯子のようなクスノキ材の「きざはし」(市指定有形文化財)が遺されています。
三尊仏を刻んだ残りの丸太を削って造られたものと伝えられている、原始的作法の階段だそうです。
昔は、参詣道として利用されていたのでしょう。


【三尊仏を彫ったのは石仏仏師?】

三尊仏の造形を見てみましょう。

龍岩寺奥院・薬師如来像
龍岩寺奥院・薬師如来像

龍岩寺奥院・阿弥陀如来像
龍岩寺奥院・阿弥陀如来像

龍岩寺奥院・不動明王像
龍岩寺奥院・不動明王像

造形表現は、面貌も体躯も、誰が見ても藤原仏のおだやかな表現です。
12世紀の制作とみられています。

しかし、都の定朝風の仏像のような、優美さとか繊細さというものは感じさせません。
「単純化の美、省略の美、抽象化の美」とでもいうのでしょうか?
温和なのだけれども、素朴な粗野さ、堂々たる雄大さを強く感じます。
なかでも、不動明王の顔貌の造形は、何とも言えない魅力があり、心惹かれるものがあります。
修験の岩窟に祀られるのに相応しい造形です。


三躯共にクスノキの一木彫で、後頭部と背面から内刳りを行って蓋板を当て、両肩からは別材、膝前は横一材と構造になっているそうです。
「頭部の耳の後ろで前後に矧いでいる」(国宝重要文化財「仏教美術」奈良国立博物館編1976年小学館刊)と書かれているものもあります。
どちらが正しいのかは良く判りません。

ただ、正面から見たときの堂々たる雄大さに比べて、横から見たときの体奥の薄さには、ちょっとびっくりしてしまいます。
不釣り合いというほどに薄っぺらいのです。
藤原仏だからというよりも、石仏の浮彫的な表現の延長というか、背後の岩壁を意識した正面性をとりわけ強調した造形表現になっているように思います。

体奥が薄っぺらい如来坐像..頭部が大きく造られた不動明王像
体奥が薄っぺらい如来坐像と、頭部が大きく造られた不動明王像

また、どの像も、頭部、顔部が不釣り合いなほどに大きく造られています。
狭い巌窟礼堂で、見あげるように拝むことが想定されているからでしょうか。

巌窟の狭い礼堂で、間近に、真正面から巨像を仰ぎ見て拝するという視覚的効果が、最大限計算されているようです。
薄っぺらい体奥、頭部の不釣り合いな大きさも、そう考えれば、納得できます。

こんな石仏のような木彫仏は、ほかの地方では見かけることがありません。
やはり龍岩寺・三尊仏の石仏的な彫刻表現、岩壁浮彫的な正面観照表現は、臼杵石仏に代表される当地の石仏造像と深い関係があるのでしょうか?
石仏を彫った工人と龍岩寺仏を彫った仏師は同じ工人なのでしょうか?

専門家は、こうした点について、どのように考えているのでしょうか。

鷲塚泰光氏は、
「像は木彫でありながら、その質感と立体としての微妙な凹凸起伏を否定した彫り口で、あたかも磨崖仏のように、概形のみを明確に刻む手法を示している。
この手法は、木彫としては小作り仕上げに至る以前で像を完成したように思え、作者を当地方の石造仏師に擬することもできよう。」

(「大分の古代美術」1983年大分放送刊所収)
このように、述べています。

軟質凝灰岩に丸彫風に彫られた臼杵石仏

木仏師の制作を思われる彫口の臼杵石仏
軟質凝灰岩に丸彫風に彫られ、木仏師の制作を思わせる臼杵石仏

臼杵石仏などの制作者については、これらの石仏が、
・きわめて丸彫り的に彫られていること、
・その様式が同時代の木彫仏に近いこと、
・当地の軟質凝灰岩の石質がやわらかで木彫で使うノミでも制作可能であること
などから、木仏師の手による制作ではないかといわれています。

こうした木仏師系の石仏製作者が、龍岩寺三尊仏もまた製作したと考えれば、大変納得のいく話です。

久野健氏は、一歩進めて、このようにも考えられています。

「大分県の石仏の制作はかなり長期間にわたっている。
はじめは木仏師のような仏師の手になった石仏も、次第に石彫の専門の仏師も出現したろうし、また磨崖石仏に適する様式も生まれていったことは、その遺品を通観すると明瞭に知ることが出来る。

次第に丸彫り的石仏から、浮彫的な磨崖仏へとかわり、衣文なども省略的な大まかな表現が行われるようになっていった。
この龍岩寺の薬師如来、阿弥陀如来、不動明王像などは、今度は逆に磨崖石仏を多数制作しているうちに生まれた石仏的表現が、木彫に影響し、生まれたものではないかと私は考えている。
三像共通の大まかな彫法や、面相の特異な表現などは、まさに石彫的である。」

(「仏像の旅」久野健著 1975年芸艸堂刊)


【三尊仏は、明かり射すように祀られていたのか?】

礼堂の格子戸の向こうに坐した三尊仏を拝した時、

「礼堂の屋根と巌窟の間から程よい光が差し込んで、三尊仏が岩窟から浮かび上がって映える」

私は、このような感じがして、異次元の幽玄世界に身を置くような感動を覚えました。
冒頭に、記したとおりです。

地方仏行脚で知られる丸山尚一氏も、同じ思いをいだかれたようで、意図的にこの光射す光景がつくられたと考え、こう語っています。

屋根と岩壁の間から光が射し込む礼堂
屋根と岩壁の間から光が射し込む礼堂
「背面の岩窟と、礼堂の片流れの屋根との間がかなりあいているので、仏像達の頭上から柔らかな陽光があたって、いい効果を創り出している。
仏像の作者は、十分にこの光の効果を意識していたように思える。」

「阿弥陀像の伏し目がちな眼が最も特徴的なのだが、下から見たときに、上からの光の陰影で目をはっきり浮き出させるために、単純な彫りで処理している。
これが、上からの光線に、実によく生きている。
こんな表現方法からも、野外で石仏を彫る工人と同じ作者を想像していいのかもしれない。」

(「生きている仏像たち」丸山尚一著 1970年読売新聞社刊)


ところが、昭和初年には、そのような光景ではなかったようなのです。
お堂のなかは、真っ暗であったというのです。

龍岩寺は、昭和2年(1927)に田中一松氏によって調査され、その仏像の価値が認められたのだそうです。
その時発表された、「大分県龍岩寺仏像」(中央美術151号・1928.6)と題する文章に、当時の状態が記されています。

ご紹介すると、このように語られています。
真っ暗な礼堂で明りに照らされた龍岩寺阿弥陀如来像(中央美術151号掲載)
真っ暗な礼堂で明りに照らされた
龍岩寺阿弥陀如来像(中央美術151号掲載)


「燭をともして禮拝した後、内陣に入ったが、薄暗くて殆ど何も見えない。
用意した懐中電燈でてらしてみると驚くべし、一丈ばかりの三尊佛が目の前に迫っているではないか。

『蝋燭を』という日名子氏の声に応じて、村の人々は各々蝋燭の裸か火を手にして佛像の左右を照らして呉れた。
岩壁を背にして、おぼろおぼろに浮き出す三尊の山の如き姿を目の前にして、私はしばし声もなく立ち尽くした。」

暗くて、蝋燭、懐中電灯を灯し、やっとのことでその姿を見ることが出来たというのです。
堂内は、現在とは全く様子が違っていたのでした。

昭和2年(1927)当時の奥院礼堂(中央美術151号掲載)
昭和2年(1927)当時の奥院礼堂(中央美術151号掲載)

後に礼堂が改修され、今のような光景になったようです。

この幽玄異次元世界の三尊像、造立された当時は、真っ暗な中で燈明の明かりにほの暗く照らし出されて、拝されたのでしょうか?
それとも、
屋根の上から程よい柔らかな光が射し込んで、上からの光に映える姿を拝したのでしょうか?

ちょっと、興味深い処です。


岩窟に坐す巨像の三尊仏に見惚れている間に、ずいぶん時間がたってしまいました。
急坂を上ってくるときにびっしょりかいた汗も、森のなかを通り抜ける涼しげなそよ風に、すっかり引いてしまいました。

「やはり、もう一度来てよかった!」

そんな気持ちに満たされながら、奥院礼堂を後に急坂を下りました。


【お気に入りの可愛らしい十二神将像】

最後に、ふもとの本堂に祀られている、かわいい十二神将像を拝させていただきました。
龍岩寺参道口にある本堂
龍岩寺参道口にある本堂

大変お気に入りの十二神将なのです。
十二神将は、本堂内の奥の祭壇に、他の色々な仏像と一緒に、ごちゃごちゃとぞんざいともいえそうな感じで祀られていました。
30~40㎝の小像です。
この十二神将、本当に無邪気ないたずらっ子が、ちょっと悪さをしているようにも見える姿です。

龍岩寺本堂に祀られる十二神将像

龍岩寺本堂に祀られる十二神将像
龍岩寺本堂に祀られる、可愛らしい十二神将像

なんとも可愛らしいのです。
わが家に連れて帰ってしまいたくなりそうです。
実は、この十二神将に再会できるのも、楽しみにしていました。

鎌倉時代の制作といわれ、県指定文化財となっています。

龍岩寺本堂に祀られる十二神将像
龍岩寺・十二神将像(鎌倉時代・県指定文化財)

この十二神将、かつては、奥院の薬師如来坐像の前に祀られていたと、久野健氏が回想文で語っています。
そんなことをしたら、すぐに盗難に遭ってしまいそうで、危なくて仕方ないところでしょうが、一昔前は、随分のどかであったようです。



念願であった「龍岩寺、再訪」を果たすことが出来ました。
45年前に味わった感動を、色褪せることなく、また同じように味わうことが出来ました。

「また来てみたいけれど、もうなかなかここまで来ることはないのかな?」

そんな気持ちになりながら、ちょっと名残惜しく、龍岩寺を後にしました。

コメント

龍岩寺の奥の院はまさに「異次元」といった趣なんでしょうね。私もいつか行ってみたいと思っています。

「また来てみたいけれど、もうなかなかここまで来ることはないのかな?」という気持ちはよく分かります。
帰り際に「また来よう」と思っても、果たして何時のことになるのか分からないと思うと、立ち去りがたい気持ちになりますよね。

  • 2015/05/06(水) 20:25:48 |
  • URL |
  • とら #VBkRmpN2
  • [ 編集 ]

Re: タイトルなし

とら様

いつもご覧いただき、有難うございます。

是非、機会を見つけて、龍岩寺奥院までいらっしゃってみてください。
結構辺鄙な場所ではありますが、三尊仏を拝すると、きっと来てみてよかったとと思われることでしょう。

管理人

  • 2015/05/08(金) 16:06:16 |
  • URL |
  • 神奈川仏教文化研究所 #-
  • [ 編集 ]

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