観仏日々帖

新刊旧刊案内~40年余を経て再刊された「願成就院」の解説書 (久野健著旧版と水野敬三郎・山本勉著新版)  【2015.4.11】


かつて、「願成就院」と題された本が、中央公論美術出版から美術文化シリーズの一冊として発刊されていたのを覚えておられるでしょうか?

「願成就院」久野健著 (1972) 中央公論美術出版刊 【36P】 250円

久野健著・旧版「願成就院」
久野健著・旧版「願成就院」

今から43年前、昭和47年(1972)に、発刊されています。
著者は久野健氏です。

A5版、36ページという小冊子ですが、大変内容が充実しており、所謂「ガイドブック的啓蒙書」とは、はっきり一線を画し、研究成果のエッセンスを凝縮した、中身の濃い内容になっている本です。


〈充実の小冊子だった「美術文化シリーズ」(中公美術出版刊)〉

この美術文化シリーズ、昭和40年代を中心に、50冊以上刊行されたのではないかと思います。
当時、
「学問的に裏打ちされた社寺・遺跡などの平明な案内書」
というのが、このシリーズの特色とされていました。

このシリーズ本には、その昔、大変お世話になりました。
当時、多くは1冊200円でしたから、学生にも十分買える値段。
古寺探訪に出かけるときには、この薄い一冊をポケットにねじ込んでいけば、目指す古寺の歴史、仏像などについて、しっかりした学問レベルでのエッセンスがコンパクトに解説されているのです。
ガイドブック的な本とは全く違う、学問的雰囲気が漂う、小冊子であったのです。

代表的な古社寺の執筆者をあげると、ご覧のとおりで、それぞれの古寺、仏像についての、当時の第一線の研究者の名前が登場します。

「薬師寺」(町田甲一)、「法華寺」(町田甲一)、「唐招提寺」(安藤更生)、
「神護寺」(久野健)、「六波羅蜜寺」(毛利久)、「法界寺」(中野玄三)、
「日向薬師」(渋江二郎)、「勝常寺」(佐藤昭夫)「醍醐寺」(清水善三)、

といったようなところです。

美術文化シリーズ(中央公論美術出版刊).美術文化シリーズ(中央公論美術出版刊)
美術文化シリーズ(中央公論美術出版刊)

そして、「願成就院」は、久野健氏の執筆となっているのです。
ご存じのとおり、久野健氏は、願成就院の阿弥陀如来坐像、毘沙門天立像、不動明王三尊像が、文治2年(1186)の運慶の真作に間違いないことを、世に明らかにした研究者です。

この小冊子も、願成就院の諸仏像が運慶の制作であることを発見した経緯や、その学問的意義が凝縮して綴られています。
この本を手にしたとき、ちょっと興奮気味に、何度も繰り返して読んだ記憶がよみがえってきます。
私には、大変思い出深い、冊子本なのです。


〈嬉しい新版「願成就院」(水野・山本著)の再刊〉

それから40年余を経て、同じ出版社・中央公論美術出版社から、同じ版型A5版で、昔の体裁と同様の新版が、発刊されたのです。
平成26年(2014)8月の発刊です。
新版の執筆は、水野敬三郎、山本勉の両氏で、これまた当代運慶研究の第一線の専門家の執筆となっています。

この本が発刊されていたことは、この4月になるまで、私は、全く知りませんでした。
ネットで、〈山本勉氏のツィッター〉をみていたら、この本が刊行されたということが書かれていたのです。

早速、中央公論美術出版社にTELして、問い合わせてみましたら、
「この『願成就院』の本は、当社(中央公論美術出版)が美術文化シリーズに倣って制作したのですが、出版は願成就院さんご自身になっているのですよ。
したがって、書店での販売はされていませんし、当社にも在庫は置いていないのです。」
というご説明でした。
どおりで、出版されていたのに気がつかなかった訳です。

すぐに、伊豆の国市の願成就院さんにTELしてみました。
御住職がTELに出ていただき、このようなお話をされました。

「これまでは、久野先生のご本が出されていたのですけれども、先年(2013年)、国宝に指定されたものですから、国宝指定を機に、新しいものを出そうということにして、水野、山本両先生にご執筆を願って、新版を出したのですよ。
ただし、今回は、願成就院の刊行ということで、お寺にみえられた方に解説書として販売させていただいているのです。」

伊豆の国市・願成就院
伊豆の国市・願成就院

そういえば、昔、願成就院を訪ねると、拝観受付に久野氏執筆の「願成就院」が置かれていたように思います。
2013年の国宝指定を機に、最新研究成果を盛り込んだ、新版に一新されたということのようです。

願成就院さんに、郵送購入のご無理をお願いして、やっと手に入れたのが、この新版の「願成就院」です。

「願成就院」水野敬三郎・山本勉著 (2014) 願成就院刊
(中央公論美術出版制作) 【31P】 1000円

水野敬三郎・山本勉著新版「願成就院」
水野敬三郎・山本勉著新版「願成就院」

お寺の発刊で、このような学問レベルの高い解説冊子が出されるのは、めずらしいことかと思います。
普通は、お寺の縁起とか、御利益を中心としたガイドブック的なものが一般的です。
願成就院さんの御見識に、敬意を表したいと思います。


さて、この二つの解説書の内容を、見比べてみましょう。
体裁、目次の構成は、ほとんど同じなのですが、書かれている中身の内容は、大幅に変わっています。

久野健著旧版・目次
久野健著旧版・目次

水野敬三郎、山本勉著新版・目次
水野敬三郎、山本勉著新版・目次

一言でいえば、
久野健著旧版は、
「浄楽寺像、願成就院像が運慶の制作であることを発見した経緯と、東国の運慶作品の造形特色、その事由」
が、最重点に執筆されています。

水野・山本新版では、
「願成就院諸像の造形上の特色、興福寺西金堂仏頭が運慶作と判明したことを踏まえての、運慶作品としての彫刻史上の意義」
といった面を重点に執筆されています。

それぞれも本の、エッセンスや興味を惹く点などについて、もう少しご紹介してみたいと思います。


〈願成就院諸像が、運慶作品と判明した経緯〉

まずは、久野健著旧版についてです。
繰り返しになりますが、久野健氏は、浄楽寺諸像と願成就院諸像が運慶作であることを明らかにした研究者です。

願成就院・阿弥陀如来坐像
願成就院・阿弥陀如来坐像

願成就院諸像は、それまで、運慶作の銘札が伝わるものの、その像は失われてしまったとされていました。
現在の阿弥陀如来像などは「都らしからぬ、男性的で荒々しくダイナミックな表現」で、到底運慶の作品とは考えられないという事由によるものです。

それが、昭和34年(1959)の浄楽寺諸像の調査による運慶作銘札・銘記の発見、昭和40年(1965)の願成就院の矜羯羅・制タ迦像のX線透過撮影による同型銘札納入の判明により、浄楽寺諸像、願成就院諸像がともに運慶の作品に間違いないということが明らかになったのです。

久野健著旧版には、そのあたりの発見経緯のエッセンスが、しっかり綴られているのです。

本書の内容と、運慶作の発見経緯については、以前に、
「埃まみれの書棚から~古寺、古佛の本~〈各地の地方佛ガイドあれこれ〉」
において、紹介したことがあります。
その文章を、もう一度転載させていただきたいと思います。

次のとおりです。

 「願成就院」久野健著(S47)中央公論美術出版社刊・美術文化シリーズ 【36P】

 願成就院諸像、浄楽寺諸像が、運慶の作であることを発見実証した、久野健の著作。

美術文化シリーズの一冊で、ガイド的小冊子だ が、運慶作実証のいきさつなどが語られ、濃密な内容。
 「願成就院の創建と歴史、願成就院の諸像に対する従来の学説~願成就院の諸像 と浄楽寺諸像など~、願成就院諸像の日本彫刻史上における意義・・・・・・・」
といった項立てで、案内書の域を越えている。

願成就院諸像が、運慶作であることが実証されたいきさつには、次のようなドラマチックな物語がある。

願成就院 には、古来2枚の塔婆銘札が残されている。
銘札には、文治2年(1186)に「檀越平朝臣(北条)時政」発願の仏像を「巧師勾当運慶」作り始めたという墨書が残されている。

願成就院に遺された銘札(毘沙門天・不動明王像内に納入されていたと伝えられる)...銘札に記された「巧師勾当運慶」の墨書
願成就院に遺された銘札
(毘沙門天・不動明王像内に納入されていたと伝えられ、「巧師勾当運慶」の墨書がある)


この2枚の銘札は、不動明王像、毘沙門天像の胎内から出たもので、これまでは、銘札は真正で本物だが、当初像はその後失われてしまったと考えられていた。
即ち、現在の仏像は、阿弥陀如来像も含め「鎌倉期の作だが、運慶の作品ではない」とされてきたのだ。
運慶作ではないとされた理由は、運慶作の円城寺大日如来像や興福寺北円堂弥勒像などの作風に比べると、男性的で「都らしからぬ様子」を感じさせるからであった。

願成就院・阿弥陀如来坐像(ボリューム感や衣文の造形に荒々しさが伺える)
男性的で「都らしからぬ様子」を感じさせる願成就院・阿弥陀如来坐像

奈良円成寺・大日如来坐像.奈良興福寺北円堂・弥勒如来坐像
奈良の運慶作品~(左)円成寺・大日如来坐像、(右)興福寺北円堂・弥勒如来坐像


昭和34年4月、久野健は、三浦半島にある芦名・浄楽寺の諸像を調査する。
調査中に、毘沙門天像の頭部が首から抜け、胎内に月輪形銘札が納入されているのを発見した。
その銘札には、なんと、文治5年(1189)に、「平(和田)義盛」を願主に「大仏師興福寺内相応院勾当運慶」が造った、と記されていた。

浄楽寺・毘沙門天立像..浄楽寺・毘沙門天像体内に納入されていた銘札
浄楽寺・毘沙門天像と体内に納入されていた銘札

そうは云っても、これだけで、この毘沙門天像が、銘札どおりの運慶作の像だという確証にはならない。
しかしながら、この墨書は明らかに鎌倉時代の墨跡で、しかも阿弥陀如来像の胎内背面に一面に記されている梵字と、同筆である事が確認された。


浄楽寺・阿弥陀如来坐像.浄楽寺・阿弥陀如来坐像の体内背面に墨書された梵字
浄楽寺・阿弥陀如来坐像と体内背面に墨書された梵字


もともと、この阿弥陀如来の胎内にも、後筆が明らかな「文治5年勾当運慶作」の銘札が収められている事が、知られていたが、胎内墨書と毘沙門銘札が同筆という事などから、阿弥陀如来像も毘沙門天も、間違いなく「運慶作」とみられることとなった。
不動明王像は、そのとき首が抜けなかったが、X線撮影で、月輪形銘札が納められている事がわかり、その後の修理の際、毘沙門天像と同文の銘札が取り出され確認された。


浄楽寺・阿弥陀如来坐像
浄楽寺・阿弥陀如来坐像

浄楽寺・毘沙門天立像....浄楽寺・
浄楽寺・(左)毘沙門天立像、(右)不動明王立像


この調査により、浄楽寺阿弥陀如来像、毘沙門天像、不動明王像が運慶作に間違いないと確認されたわけであるが、実は、願成就院の諸像、即ち阿弥陀如来像、毘沙門天像、不動三尊像が、その顔立ち、モデリング、衣文の様式などが、浄楽寺諸像のそれと、酷似しているのであった。


願成就院・阿弥陀如来坐像
願成就院・阿弥陀如来坐像

願成就院・毘沙門天立像.願成就院・不動三尊像
願成就院・(左)毘沙門天立像、(右)不動明三尊像


そうなってくると、願成就院諸像も運慶作の可能性は極めて高いということになってくる。
その後の、願成就院像の調査で、不動三尊像をX線調査した処、古来伝わる不動明王像の銘札・釘跡と、X線調査による胎内の釘跡とが一致する事や、衿羯羅・制タ迦二童子の胎内にも、塔婆形銘札がそれぞれ納入されている事が確認されるなどのことが明らかになり、今では、願成就院諸像は運慶の代表作のひとつとして、認識されるに至ったのである。

願成就院・制タ迦童子X線写真(長い板状銘札が納入されているのがわかる).願成就院・衿羯羅童子胸部のX線写真(五輪形の銘札が見える)
(左)願成就院・制タ迦童子X線写真(長い板状銘札が納入されているのがわかる)
(右)願成就院・衿羯羅童子胸部のX線写真(五輪形の銘札が見える)


以上が、かって〈各地の地方佛ガイドあれこれ〉に掲載させていただいたものです。

願成就院諸像が、文治2年(1186)、運慶作であることが明らかにされた物語が、お判りいただけたことと思います。

久野健著旧版(1972刊)では、以上のような発見経緯を記した後に、
「以後書かれた、運慶関係の論文もまた多いが、願成就院の諸尊像を文治2年運慶の制作であることを否定した文章は少ないようである。」
と結んでいます。

未だ、運慶作であることが最終確定していない段階での著作であることが判ります。


その後、昭和52年(1977)に、不動明王像・二童子像の解体修理が行われ、X線撮影の影像のとおりの銘札が、二童子の胎内から取り出されました。
銘札には、想定通り既存銘札と同筆の「運慶作」の銘記があり、願成就院諸像が運慶作であることが、確定したのでした。

制タ迦童子解体修理時の銘札納入状況.衿羯羅・制タ迦二童子から取り出された銘札裏面(運慶の墨書がある)
制タ迦童子解体修理時の銘札納入状況と取り出された銘札裏面(運慶の墨書がある)


〈近年の運慶作品新発見と水野・山本著新版の内容〉

それから40年余、今般、水野・山本著新版が発刊されましたが、近年、思いのほか、いくつかの運慶作品の判明、発見がありました。

・光得寺・大日如来坐像(作風、X線による納入品形態から運慶作と推定)
・真如苑・大日如来坐像(作風、X線による納入品形態から運慶作と推定)
・興福寺・西金堂本尊釈迦如来像頭部(史料発見により文治2年・1186運慶作が判明)
・称名寺光明院・大威徳明王坐像(納入文書発見により健保4年・1216運慶作が判明)

以上のとおりです。

光得寺・大日如来坐像.真如苑蔵・大日如来坐像
(左)光得寺・大日如来坐像、(右)真如苑蔵・大日如来坐像

興福寺西金堂・本尊釈迦如来像頭部.称名寺光明院・大威徳明王坐像
(左)興福寺西金堂・本尊釈迦如来像頭部、(右)称名寺光明院・大威徳明王坐像

今度の新版では、阿弥陀如来坐像の印相の系譜、諸像の像容、品質構造についての解説とともに、五輪塔形銘札の記述についての見方、新発見諸像の存在も踏まえての願成就院諸像の造形の特色、彫刻史上の位置づけ、意義などについて記されています。
共著ですが、運慶作品に関係する処は、水野敬三郎氏が執筆されています。


その中で、「ちょっと興味深いな」と感じたところを、つまみ食い的に、いくつかご紹介したいと思います。

①阿弥陀如来坐像の顔面は、損傷しており、目から鼻にかけて近世の補修がなされていること、X線撮影の結果、元々は「玉眼」であったと判明したというという解説がされています。

願成就院・阿弥陀如来坐像頭部X線写真(補修の跡がみられる).願成就院・阿弥陀如来像顔部(近世の補修による顔貌)
願成就院・阿弥陀如来坐像頭部X線写真(補修の跡がみられる)と、
近世の補修による鎌倉彫刻らしからぬ勢いのない顔貌


阿弥陀像の顔貌、表情は、江戸時代の補修により、どう見ても鎌倉彫刻らしからぬ勢いのない顔貌になってしまっており、この像の印象を大きく損ねています。
全く運慶らしくないのです。

また、この阿弥陀如来像は、運慶が制作した「如来形像」のなかで、唯一の「玉眼像」であったことになります。
運慶は天部像、童子像では、玉眼を、見事に巧みに用いていますが、如来形像では、願成就院像を除いては、すべて彫眼で表現しています。

もし当初の顔貌が残されていたら、どのような造形であったのしょうか?
「運慶の玉眼如来像」は、どのような表情をしていたのだろうでしょうか?
運慶が、その後、如来像に玉眼を用いていないのは、今一歩似つかわしくない感じだったからなのでしょうか?

誠に興味津々なのですが、残念というしかありません。


「巧師勾当運慶」と墨書された願成就院の銘札
「巧師勾当運慶」
と墨書された銘札
②納入銘札の造像記について、「巧師勾当運慶」と記されている点について、このような考え方が示されています。
水野氏は、このように述べられています。

「仏師の名前が記されるかどうかは、施主と仏師との社会的地位関係によって決まったようである。
すなわち、これらの銘記は通常施主の側で記すものであるが、仏師が施主と同等の地位にあると認められた場合に、その名が記されたらしい。

この像では、地方豪族北条時政と同等の地位にあるから名を記されたのであり、そのように考えると、他に例がない『巧師』という呼称は運慶の自称ではなく、施主の側から敬意を以て『仏師』ではなく『巧師』と記したと解すべきであろう。」

大変興味深く感じた次第です。


③運慶の東国下向、非下向の問題、「都らしからぬ荒々しい造形表現」の事由という、最も論議がある問題については、このような考え方が記されています。

「運慶が願成就院造仏に際して、東国に下向したのか、それとも奈良での造仏であったのかは、従来から議論がある。
この造仏の前年11月に北条時政は上洛、翌文治2年4月13日に鎌倉に帰着した。
願成就院・阿弥陀如来坐像(荒々しいダイナミックな造形の膝部の衣文)
願成就院・阿弥陀如来坐像
(荒々しいダイナミックな造形の膝部の衣文)
願成就院の造仏始めは5月3日。
この時間的経過から、運慶の伊豆での造仏始めと東国下向へ導いた説は魅力がある。
しかし、願成就院像を東国で造立したかどうかについての決め手はまだない。

いずれにせよ、当時の東国武士たちの戦いぶりは西国の人たちにとって驚異的であったことは、たとえば『平家物語』のなかで、富士川の戦いを前に斉藤別当実盛が平維盛に語った言葉によく示されている。
・・・・・・・・・・
東国武者は『親も討たれよ、子も討たれよ、死ぬれば乗越え乗越え戦う候』。
そんな東国武士のイメージが、願成就院像の荒々しいともいえるほどのたくましさにつながったのではなかろうか。」


〈運慶、東国下向、非下向問題の最近の諸説〉

願成就院像、浄楽寺像を、運慶は東国に下向して現地で製作したのか、奈良の地において東国からの注文に応じて制作したのかは、従来ずっと議論が続いている問題です。

大胆に端折って要約すると、

「北条時政のリクエストなら、東国まで赴いたと考えるのが妥当であるし、あの荒々しい都らしからぬ表現は、運慶自ら東国へ赴かないと、到底難しいであろう。」

という、下向説の考え方と、

「当時の南都興福寺の造仏状況を見ると、康慶の懐刀の運慶が、到底奈良を離れられるとは思われない。
南都にあっても、東国武士の趣向にあった、荒々しい表現での制作は可能だろう。」

という、非下向説の考え方だと思います。

古くは、ご紹介した久野健氏は「非下向説」でしたが、鎌倉彫刻史研究で著名な毛利久氏は「下向説」でした。
近年でも、諸説あるようです。

たとえば、
山本勉氏は、
「文治2年以後、しばらく運慶の中央での活動が知られず、逆にその時期の東国関係の活躍がたどれることからすれば、運慶はこの頃ずっと東国にいて、弟子とともに頼朝政権の造仏需要に応えていた可能性を考えてもよいかもしれません。」
(「運慶に出会う」2008小学館刊)

瀬谷貴之氏は、
「(真如苑・大日如来像の来歴推定を踏まえ)建久4年(1193)頃、関東に運慶が拠点を持っていた可能性を高めることになった。」
(「別冊太陽・運慶」2010平凡社刊)

浅湫毅氏は、
「願成就院像と浄楽寺像の制作場所の違いは、両像に納入された銘札の運慶の肩書から裏付けられるのではないだろうか。
すなわち前者には『巧師勾当』とのみあり、後者には『興福寺内相応院勾当』とある。
前者は、ホームである興福寺内で造像したものだから寺名を記さず、後者はアウェーである関東の地で造像したので、あえて興福寺の名を記したのではないか。」
(「別冊太陽・運慶」2010平凡社刊)


「巧師勾当」と記された願成就院銘札....「興福寺内相応院勾当」と記された浄楽寺銘札
(左)「巧師勾当」と記された願成就院銘札、(右)「興福寺内相応院勾当」と記された浄楽寺銘札

根立研介氏は、
「 (運慶が、文治2年正月に興福寺西金堂・釈迦像造仏に携わっていたことが判明したことから)運慶が、直前の時期に興福寺再興造仏に参加していることが明らかになり、(願成就院、浄楽寺の造像銘記の運慶肩書に注目して)また興福寺の寺職を名乗っていることを考えると、当時の運慶の造像の場の中心は、やはり興福寺であったことが当然想定される。
そうすると、東国二武将の造仏も、じつは興福寺ないしその近辺の畿内の慶派工房であった可能性は十分考えられる。」
(「運慶」2009年ミネルヴァ書房刊)

このようは、諸説まちまちといった感じです。
運慶は、これらの都らしからぬ諸像を、東国で作ったのでしょうか?奈良の地で作ったのでしょうか?
興味津々、ミステリーのように興味深いところです。


ちょっと話が長くなりましたが、
「願成就院」と題する、中身の濃い、充実した2冊の解説・小冊子のご紹介をさせていただきました。

「久野健著・旧版」、「水野敬三郎・山本勉著新版」共に、是非手元に置いておきたい本です。
コンパクトな冊子ですが、この2冊を通して読めば、浄楽寺、願成就院諸像が運慶作品であることの発見の話から、近年の運慶作品判明、発見を踏まえでの、願成就院諸像の造形の特色、彫刻史上の位置づけなどを、判りやすく凝縮して知ることが出来ます。

是非、2冊セットを携えて、願成就院を訪ねて見られてはいかがでしょうか。

余計な話ですが、久野健著・旧版は、ネットのアマゾンの中古本で、なんと48円からという超安値で販売されていました。

コメント

運慶の下向・非下向説

初めてコメント投稿します。
私は趣味で運慶・快慶とその周辺仏師などの仏像を見たり、本を読んだりしている者です。
願成就院の新著のご紹介、たいへん興味深く拝見しました。今度図書館などでさがしてみたいと思います。
また、久野健氏の浄楽寺発見物語については、40年以上前に学生社発行の「仏像」という氏の著書に書かれていたので、わくわくしながら読み、その後浄楽寺に拝観に行ったり、久野氏がこれを発表した美術研究204号を手に入れるために上野の文化財研究所まで買いに行ったことなどを思い出します。

上記のブログでは運慶の下向・非下向説についてご紹介されていますが、これに関連して、塩澤寛樹氏の「成朝、運慶と源頼朝」(日本橋学館大学紀要第3号、2004)、同氏「願成就院の造仏と運慶」(金沢文庫研究第314号、2005)、山本勉氏「鎌倉時代初期の幕府関係の造像と仏師」(清泉女子大学紀要53号、2005)の3件の論文はご存知でしょうか? 中でも塩澤氏の金沢文庫研究掲載論文は願主北条時政の肩書き等から運慶の造仏場所を推定したもので、たいへん面白い内容であり、私も目から鱗が落ちる思いで読みました。是非ご一読されることをお勧めします。なお、日本橋学館大学紀要は下記URLから読めます。
http://ci.nii.ac.jp/els/110004048659.pdf?id=ART0006308297&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1428730654&cp=

  • 2015/04/11(土) 15:21:36 |
  • URL |
  • むろさん #PMoz9hdc
  • [ 編集 ]

Re: 運慶の下向・非下向説

むろさん様

ご覧いただきありがとうございます。

40年以上も前から、「運慶・快慶とその周辺仏師」について造詣を深めていらっしゃるとのこと、すごいですね。
キャリアの奥深さに敬服です。
久野健著「仏像」の文章は、私も当時わくわくしながら読み耽りました。
この本は、私を仏像好きにさせた1冊といえるのかもしれません。
新版「願成就院」の本は、お寺の発刊なので、なかなか図書館には置いていないかもしれません。

運慶東国下向・非下向に関する、諸論文、ご教示いただき有難うございます。
この問題は、なかなか結論の出そうにない問題ですね。
この「観仏日々帖」では、新刊・旧刊のご紹介ということですので、この研究問題に踏み込むと話が尽きそうになく、市販の一般書に書かれているものを、少しばかりご紹介させていただきました。

ご教示いただきました論文は、私も、写しを手元に持って入るのですが、全く不勉強で、さらりと目を通しただけで、「読みました」などとは、恥ずかしくて云えるものではございません。
ただ、塩澤寛樹氏の、頼朝と時政の立場の違いと正系と傍系という視点からの論及や、銘札文言の書き方から運慶非下向を洞察するアプローチは、一つの考え方として説得的に感じました。

アマチュアの仏像好きのHP・ブログですが、これからもよろしくお願いいたします。

管理人

  • 2015/04/11(土) 18:37:02 |
  • URL |
  • 神奈川仏教文化研究所 #-
  • [ 編集 ]

Re: 運慶の下向・非下向説

管理人様

偉そうなことを書いてしまい、申し訳けありません。

久野健著の学生社「仏像」は私にとっても自分を仏像趣味にさせた本の一冊です。今でも天台寺聖観音の手の部分の写真が表紙になっていたことを覚えています。

塩澤氏の著書・論文には運慶第二世代の関東地方慶派彫刻、鎌倉明王院の不動、鎌倉大仏など鎌倉時代を中心にいくつかの著作が出ていますが(その集大成が「鎌倉時代造像論」)、この金沢文庫研究「願成就院の造仏と運慶」が中でも出色の出来だと思います。ただ、氏の持論である頼朝の嫡流意識と慶派正系仏師成朝の採用・御家人による傍系仏師運慶採用の説には全面的には賛成できません。なお、3番目の山本氏の清泉女子大学紀要の論文は塩澤氏の2著作を受けた上で公平な視点から書かれていると思われますので、こちらもまだご覧になっていないなら、是非どうぞ。東博資料館とか金沢文庫の図書室、美術史学科のある大学の図書館(東大や芸大など)に行けばあると思います。(新版「願成就院」については今度東博資料館、芸大図書館に行った時にさがしてみます。芸大は水野氏が長年教授を勤め、また、山本氏の母校でもあるので多分寄贈されたのでは。)

  • 2015/04/12(日) 01:12:23 |
  • URL |
  • むろさん #PMoz9hdc
  • [ 編集 ]

Re: Re: 運慶の下向・非下向説

むろさん様

是非、これからも、お気軽にコメントお寄せください。

私は、鎌倉彫刻史や運慶快慶といったところは、ちょっと苦手フィールドで不勉強、薄っぺらな知識しかなく、こんな記事を書くのも、ちょっと恥ずかしいというのが本音という処です。

これを機に、書棚に眠ってしまっている「鎌倉時代造像論」や、山本氏の論文をひっぱり出してきて、読んでみようかという気になってきております。

管理人

  • 2015/04/13(月) 18:28:09 |
  • URL |
  • 神奈川仏教文化研究所 #-
  • [ 編集 ]

Re: 運慶の下向・非下向説

管理人様

高価な本をお買いになっているのですね。私などはその手の本はほとんど図書館でコピーです。(地元の図書館から他の自治体の蔵書を取り寄せるなど可能なものは貸出を受けてからコピー)また、本や論文のコピーを読む時間がなくて、集めたものの半分も読んでいない状態です。

私も最初は飛鳥・奈良時代から入り、その後平安初期、そして、10世紀頃の和様成立時期や地方仏などへ興味の対象が移ってきましたが、この10~20年は鎌倉時代の仏師研究が中心になってきました。これは資料も多く、素人でもある程度まではできるためと思っています。最近は快慶・行快の作品を見たり、資料を読むことが多くなっています。

なお、慈尊院の弥勒仏ご開帳に関してのブログ読みました。倉田文作氏のこと、国宝・重文指定に関することなど、思っていることも多少ありますので近いうちにコメントさせていただきます。

  • 2015/04/13(月) 23:56:40 |
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  • むろさん #PMoz9hdc
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祝・再刊!

たまたま、先月末、久野健バージョンの『願成就院』を手に入れたばっかりで、再刊の情報をこちらで知りました!
なかなか伊豆に足を延ばす機会はありませんが、いつか拝みに行きたいものです。

  • 2016/02/09(火) 13:29:59 |
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久野健『願成就院』

先月末、大阪駅前第3ビル地下2階「古書の街」(おそらく「永井古書店」)にて、 久野健『願成就院』(中央公論美術社)を入手しました。 薄手ですが、読み甲斐もあり、図版も親切。 その夜のうちに読み終えてしまったのですが、 アカデミックかつコンパクトな、同社の「美術文化シリーズ」、 現代、改めて同コンセプトでの企画を実行してくれないものかなぁ。 同シリーズが刊行されてから約40年。 ...

  • 2016/02/09(火) 13:28:38 |
  • お豆腐ランド ― Land of A 1000 Tofus ―