観仏日々帖

古仏探訪~亀岡市、甘露寺・十一面観音坐像


美しく、魅力ある仏像写真を見て、期待に胸を膨らませて出かけたのだけれども、直に仏像を拝すると、「ちょっとがっかり」ということがあります。

地方の仏像を訪ねたときに、よくこうした経験をします。
地方仏探訪で著名な、丸山尚一氏が撮られた写真などは、ライトによる陰影のつけ方が上手で魅惑的で、写真うつりが大変良い地方仏が多いように思います。
「ちょっとがっかり」してしまうのは、自分自身が写真の世界の中で、仏像の魅力のイメージを膨らませ過ぎているからかも知れません。

写真を見た印象では、それほどでもなく、「まあ、訪ねてみようか」というような気持で出かけ、直にその姿を拝したら、
「予想外にびっくり!」「期待をはるかに上回る、魅力溢れる仏像だ!」
そんな、「嬉しい方に期待外れ」という仏像に出会うことは、そう数多くありません。

昨年(2011)12月、京都府亀岡の仏像を訪ねたとき、そんな少ない「想定外の素晴らしい仏像」との出会いを経験しました。
京都へ出かけたのですが、一日余裕があったので、まだ行ったことがない亀岡へ寄ってみることとしました。
他に、一度拝してみたい期待の仏像があったのですが、折角行くのでもう一つぐらい見たいと思って選んだのでした。

この仏像写真を見て、行ってみることとしたのです。
甘露寺・十一面観音坐像


「京都の美術工芸(乙訓・北桑・南丹編)」京都府文化財保護基金編(1980刊)
という本に載っておりました。
「甘露寺・十一面観音坐像、像高85㎝、
住所:亀岡市東別院町」
と、あります。

本の解説に、
「制作は9世紀末乃至10世紀初頭であろうか。ともかくこの地方で最も注目すべき古像である。」
と書いてありましたので、
これは一度寄ってみても良いか、と思って出かけました。

甘露寺・本堂甘露寺は、保津川下り観光のスタート地として有名なJR亀岡駅から、南へ10㎞弱の山の中に在ります。

もう3~4㎞南へ行くと、大阪府豊能町とか茨木市という場所です。
結構山の奥という感じで、判りにくい細い山道をやっと見つけて、曲がりくねった急坂を往くと、そこに甘露寺がありました。


甘露寺・十一面観音坐像早速ご住職にご案内頂き、本堂の帳の中に安置された「十一面観音坐像」を拝することが出来ました。
少し見上げるような高さのところに、半開きの帳の中に坐した姿が眼に入ってきました。

「オッ!! これは立派。平安古像だし、堂々として出来が素晴らしい。」
「写真で見たのと、全然違うじゃないか!」
一瞬見ただけですが、これは注目の仏像だと感じました。

本に載っていた、真正面から撮った写真では、陰影の抑揚不足で平板な感じに見えます。ちょっとさえない感じで、さほど魅力を感じなかったのです。
ところが実物の像は、写真とは大違い。
豊満で肉付け豊か、堂々とした迫力に満ちた仏像でありました。
「想定外の、出来の良い仏像との出会い」とは、こんな時のことを云うのでしょうか?

これが、その時、撮らせていただいたお写真です。
上手くは撮れていませんが、本の掲載写真の感じと大分違って、豊満な迫力を感じていただけるのではないかと思います。

3.jpg


ご住職が、よく見えるように帳を拡げていただき、間近に寄ってじっくり拝することが出来ました。
観れば見るほど、なかなか良い仏像です。
お顔の「ふくらみと張り」が、ボリューム感みなぎる感じで、何とも魅力的です。
胸のあたりは、はちきれそうにパーンと張り、胴をきゅっと絞って、胸の緩みのない張りを強調した感じです。

4.jpg.......5.jpg


衣文線は深くはないが、きっちり鎬立っています。
お顔から胸にかけての造形は、「張りのある豊満さ」を感じ、奈良後期のムッチリとした肉身表現の思い起こされるものもありました。
特に、しもぶくれの顔の造形は、奈良後期と云われる唐招提寺・衆宝王菩薩像や香川正花寺・菩薩立像の顔の面影を、思い出させるような気がしました。

唐招提寺・伝衆宝王菩薩立像...........香川・正花寺菩薩立像
唐招提寺・伝衆宝王菩薩立像              香川・正花寺菩薩立像

亀岡の山の中に、こんなに「古様の堂々たる雄大さ」を感じさせる仏像が残されていたのだという驚きと、「想定外」の素晴らしい平安古仏に出会えた喜びを感じ、じっくりじっくり、この十一面観音坐像に見入ってしまったのでありました。

解説には9C末~10Cとありましたが、平安期も随分古い頃の制作のような気もします。

ご住職が、
「近年、京都の美術院に修理をしてもらって、修理が出来た処でやっと府の指定文化財にしてもらったのですよ。
修理の時の資料がありますが、ご覧になりますか?」
と、おっしゃっていただきました。
「是非、是非お願いします。」と、早速ご拝見。

修理前は、ずいぶん矧ぎ目の緩みや割れが目立っていたほか、頭上面の随分欠失していたようですが、今はきれいに修復されています。
修理資料に、側面から撮った写真がありました。
ご拝観では、側面からが良く見えないのですが、この側面写真を見て、二度びっくり。
側面のボリューム感がすごいのです。何ともパワフルそのものです。

この仏様の堂々たる重厚感を肌で感じ、益々好きになってしまいました。

甘露寺十一面観音坐像(修理前)写真甘露寺十一面観音坐像(側面写真)
修理前写真                       側面写真


この仏像、先に挙げた「京都の美術工芸(乙訓・北桑・南丹編)」の解説にはこのように記されています。

「頭頂面をを植え付け、右手の手首から先、右膝頭を矧ぎ付けるのみで、他はほとんど一材から丸彫りに彫出している。
そのため、膝の奥行が浅いが、肩幅、膝張り共に十分にとり、正面観はまことに堂々としている。・・・・・・・
総じて平安初期一木彫の風を顕著に示すが、衣文などはやや形式的で、彫も浅くなってきている。
制作は9世紀末乃10世紀初頃であろうか。」

材は、美術院修理資料によると「カヤ」と記されています。

「ウムー!やっぱり9C末から10Cか? もう少し古様な感じもするけどなあ・・・」甘露寺十一面観音坐像(脚部)

確かに地方仏にありがちな
「顔から上半身はバッチリ、下半身や衣文になると急に雑でしぼんでしまうというパターンでもあるし、衣文の彫の浅目なのもウィークポイントなのかなー。」

そんな、解説文と自分の感じが一寸しっくり落ち着かないという感じがしながら、甘露寺を後にしました。


久々に「想定外の魅力ある仏像」を拝することが出来た。そんな満足感は十二分なものが有ったのでありました。


それから半年たちました。

亀岡の他の仏像のことを確認することがあって、図書館で、「新修亀岡市史」を見ていると、なんと「甘露寺十一面観音坐像」について詳しく触れているではありませんか。

「仏教美術の伝播」という章に「天平時代の亀岡の仏教美術」「悔過信仰の流行」という項立てがあり、その中に、【甘露寺の十一面観音像 /甘露寺観音像と悔過信仰】という見出しまでもうけられているではありませんか。
早速、10ページ程のその章に目を通すと、オゥー!と声を上げてしまいそうな、興味深い記述を見つけました。
その主旨は、このようなものです。

「甘露寺の在る東西別院町は、平安時代以後仁和寺領弥勒寺別院荘として記録にあらわれるが、山林仏教の発生は仁和寺領になる以前の時代に遡る。
甘露寺十一面観音像は、制作年代は9世紀に下るかもしれないが、天平時代の山林仏教で盛んに制作された木彫像の作風と、同時代の山林仏教で信仰された十一面観音悔過の様相を物語っている。
橘寺・日羅像
その相好は、奈良橘寺の日羅像とよく似た眉や唇に特徴がある。
また上半身の表現や衣文の掛け方は高山寺薬師像(天平末期)とも共通している。

甘露寺十一面観音像は、山林寺院に安置されて悔過法要の本尊となった像であろうが、これを純蜜像とすると、仁和寺の創建(888)を遡らない可能性が出てくるが、この像の様式から見てそこまで制作年代を下げることは出来ない。

やはり甘露寺像は、遅くとも9世紀初頭までに制作され、山林寺院の雑蜜像として悔過信仰の本尊像であったと考えるべきものだろう。」

執筆は、「悔過の芸術」(法蔵館刊)という本で知られる、中野玄三氏です。
ああ、私がこの仏像を見て感じた第一印象と同じような感覚を感じられたのだろうか?
実際の制作年代が、もっと下るのかどうか私にはよく判りません。
ただ、この仏像に奈良末平安初期木彫の初発性と天平古様の匂いを強く感じるというこの文章を発見したのは、ちょっと感動でした。

私としては、今まで何やらモヤッとした気持ちであったのが、本当にスッキリとしたのでありました。


亀岡という地、亀岡の仏像は、それほど際立って取り上げられることはないようですが、結構奥深いものがあるようです。
高山寺薬師坐像も、この4月に重要文化財に指定された東博蔵・天部像も亀岡の地出身の仏像です。

亀岡の平安古仏の続きをもう一回、東博蔵・天部像を中心に、次回は採り上げてみたいと思います。


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