観仏日々帖

新刊旧刊案内~「道成寺の仏たちと『縁起絵巻』」 伊東史朗編  【2014.12.1】


和歌山・道成寺の仏像の写真集&解説書のご紹介です。

道成寺
道成寺~本堂と三重塔

道成寺縁起絵巻
道成寺縁起絵巻

道成寺と云えば、誰もが「安珍・清姫の娘道成寺」のことが頭に浮かぶかと思いますが、実は、大変な古代仏像の宝庫なのです。

国宝の十一面観音・日光月光菩薩立像をはじめとして、奈良時代から平安時代の優れた仏像が数多く残されています。
「安珍・清姫の寺」としての方が圧倒的に有名で、これだけ優れた仏像達を拝することが出来る寺としては、意外に知られていないのではないでしょうか?

その道成寺の「立派な仏像写真集&解説書」が刊行されました。
道成寺としては、20年ぶりの写真集の発刊になるそうです。


「道成寺の仏たちと『縁起絵巻』」伊東史朗編

2014年9月刊 東京美術刊 【96P】 2000円

「道成寺の仏たちと『縁起絵巻』」伊東史朗編

お寺さんと連携して出される、仏像写真集や解説書は、寺伝に引きずられたり、観光客向けに平易に書かれた案内書といったものが多いのが、通例かと思います。

ところがこの本は、新知見も踏まえ、道成寺の諸仏像についてしっかり論じた、充実した内容になっています。
一方、論文や調査報告のような堅苦しく難解な解説ではなくて、誰にも判りやすく読みやすく説き起こされています。

標題は「道成寺の仏たちと『縁起絵巻』」となっていますが、道成寺の仏像の方が中心で、仏像写真が豊富に掲載されています。

「道成寺の仏たちと『縁起絵巻』」掲載仏像写真

「道成寺の仏たちと『縁起絵巻』」掲載仏像写真
「道成寺の仏たちと『縁起絵巻』」掲載仏像写真(根本本尊と本尊千手観音像)

写真は、奈良「飛鳥園」の撮影。
それぞれの仏像の美しさと魅力を目一杯惹き出したものとなっています。


そんなわけで、この「新刊旧刊案内」で、ご紹介させていただきました。

目次は、ご覧のとおりです。

目次

「道成寺の仏像」と題する解説は、30ページに及びます。

文化庁の調査官として道成寺の仏像の修理現場に立ち会った伊東史朗氏の執筆です。
伊東氏は、現在、和歌山県立博物館の館長を務められています。

伊東氏は解説の冒頭で、

「(解説執筆にあたっては、数次に亘る) 発掘の成果だけでなく、近年の修理などによる知見をも入れて、数多く残る道成寺の仏像を歴史的なまとまりごとに解説しようと思う。

その際、最近とみにその有効性を増してきている年輪年代測定による結果を、測定値・用材の伐採年代・仏像の彫刻時期につき、相互に時間差のあることに注意しながら、必要に応じて参考にする。」

と、記されています。

そのとおりで、こうした新しい調査、分析結果を踏まえて、それぞれの仏像を道成寺の歴史のなかで位置づけ考えるという、読み応えのある解説になっています。

「それぞれの仏像の、道成寺の歴史のなかでの位置づけ」
といわれても、
「何を言いたいのか、漠然として良く判らない。」
と感じられるかもしれません。

その意味するところは、

「道成寺に残された、3つの本尊・千手観音立像」

について、知る必要があるでしょう。

道成寺には、現在、三躯の千手観音立像が残されています。

Ⅰ.根本本尊・千手観音像 (奈良時代~乾漆造・木彫併用) 重要文化財

Ⅱ.本尊・千手観音及び両脇侍像 (平安前期~一木彫) 国宝

Ⅲ.秘仏北向本尊・千手観音像 (南北朝時代~寄木造) 重要文化財


道成寺・根本本尊千手観音立像
道成寺・根本本尊千手観音立像(奈良時代~乾漆造・木彫併用) 重要文化財

道成寺・本尊千手観音立像
道成寺・本尊千手観音立像(平安前期~一木彫) 国宝

道成寺・秘仏北向本尊千手観音立像
道成寺・秘仏北向本尊千手観音立像(南北朝時代~寄木造) 重要文化財

皆さんご存知かと思いますが、「根本本尊・千手観音像」が発見されたのは、昭和62年(1987)の事です。

大発見でした。

秘仏・北向本尊・千手観音像を、本堂解体のために移動しなければならなくなり、その際にたまたま外れた右手体側部がわ、腰部背面よりの埋木の穴から体内に仏像を籠められているのがわかったのです。
秘仏・北向本尊の胎内仏とされていたのでした。

北向き本尊胎内から発見された損傷・根本本尊..北向き本尊胎内から発見された損傷・根本本尊
秘仏北向本尊胎内から発見された損傷・根本本尊

この胎内仏が、現在、根本本尊・千手観音像と呼ばれている仏像です。
秘仏・北向本尊から取り出された仏像は、大きく損傷していて、顔部、前面部は欠失しており、脇手もバラバラの部材に折損していました。

損傷した根本本尊・千手観音像の部材
損傷した根本本尊・千手観音像の部材

驚いたことに、この発見された胎内仏は、奈良時代の造形で、乾漆造・木彫併用、クスノキ材の仏像だったのです。

何らかの事情で損傷してしまった、
「道成寺のかつての本尊・千手観音像であったことに間違いない。」
のは、明白でした。

南北朝時代、秘仏・北向本尊が造立された時、損傷した道成寺の根本本尊・千手観音像を守り、長く伝えて拝することが出来るよう、北向本尊の胎内に籠められたのでした。

平成6~7年度、この像は、欠失部などを大幅に補う復元制作が行われ、現在の像容に戻されました。
復元された姿は、間違いなく、奈良時代の美しい造形の仏像です。

復元修復された根本本尊・千手観音立像

復元修復された根本本尊・千手観音立像~背面
修復・復元制作された根本本尊・千手観音立像

この新発見、三躯の本尊千手観音の勢揃いによって、

・それぞれの像が、いつの時代に、どのような事情・経緯で造立されたのであろうか?
・本尊以外の多くの古仏像と、3躯の本尊千手観音との関係、位置づけはどのように考えられるのであろうか?

ということが、重要な問題となってきたのです。


道成寺は、文武天皇の勅願により、義淵僧正(生年不詳~728)を開基として、紀大臣道成が建立したと伝える古刹です。
また、文武天皇夫人の藤原宮子(生年不詳~754)の願によるとも云われます。

白鳳創建と伝える道成寺の歴史と、3躯の本尊・千手観音との関係は興味深いものでした。

一方、道成寺の歴史を解明するため、昭和53年から、平成2年度に至るまで、数次、長きにわたって発掘調査が行われました。
この発掘調査によって、古代から近世に至る、道成寺の伽藍変遷が解明され、最古の層は白鳳時代の創建であることが、明らかになりました。

寺伝の創建期とほぼ一致していることが判明したのです。

道成寺伽藍俯瞰
道成寺伽藍の俯瞰

道成寺・本堂(北面:秘仏北向き本尊・南面:根本本尊安置)
道成寺・本堂~現在は北面して北向き本尊、南面して根本本尊千手観音像が安置されている

この数次にわたる発掘調査結果と、多くの出土瓦の分析をまとめた、

「道成寺調査報告書」(平成24年・2012~和歌山県教育委員会刊)

が、最近、発刊されました。

この調査報告書は、嬉しいことにネット上で全文読むことが出来ます。
是非一度ご覧ください。

さて、この度発刊された本書の、伊東史朗氏の「道成寺の仏像」の解説は、

・近年発見された根本本尊像の詳細
・数次の発掘調査により判明した、道成寺の伽藍変遷
・光谷拓実氏による諸仏像の年輪年代測定結果

を踏まえて、
道成寺の仏像について多面的視点で論じたものです。

道成寺の仏像について、こうした新発見、発掘調査結果を踏まえて総合的に論じ、解説した本は、この「道成寺の仏たちと『縁起絵巻』」のほかには、ないのではないかと思います。

伊東氏の解説の詳細は、本書をじっくり読んでみていただくこととして、

「道成寺の伽藍変遷と3躯の本尊と諸仏像との時系列的位置づけ」

を、「調査報告書」の内容も参考に、思い切って端折ってまとめると、次のようになろうかと思います。

道成寺の伽藍変遷と諸仏像の制作時期の考え方

道成寺の創建から、時代を経て伽藍が変遷していく歴史と、現在残されている諸仏像の制作時期が、どのように対応しているのか、お判りいただけると思います。

諸仏像の制作年代などについて、伊東氏の解説・考え方をご紹介しておきたいと思います。
併せて、そのほかの考え方についてもちょっとふれてみました。


まず、3躯の千手観音です。

本書で、伊東氏は、根本本尊を8世紀の初め頃、本尊千手観音を9世紀半ば、北向本尊を14世紀の制作と考えられています。

国宝:本尊・千手観音立像
国宝指定されている本尊・千手観音立像

本尊千手観音と北向本尊の制作年代は、他の研究者も同じ考え方のようです。
新発見・根本本尊については、伊東氏は8世紀のはじめとみています。
一方、8世紀後半とみる考え方もあるようです。

伊東氏は、根本本尊について、

・用材に飛鳥時代から奈良前期の用材であるクスノキ材が使われていること、
・前面乾漆・背面木彫という変則的木心乾漆造りであること
・背中から急に細くなる腰部の造形表現などに奈良時代以前にさかのぼり得る古い要素が見られること
・千手観音経に基づく造像が行われるのは、奈良時代に入ってからであること

などから、
発掘調査に基づく創建期・A1期との整合性を見て、8世紀初め頃の制作と考えられているようです。

さらには、用材の中心部にウロのある、褶曲の多い材をわざわざ使っていることを考えれば、古代民間造像のめずらしい実例かと推測される、としています。

発見された根本本尊の体幹部
発見された根本本尊像の体幹部

根本本尊・脚部..根本本尊・脚部~背面
根本本尊像の脚部

これに対して、
「道成寺調査報告書」では、奈良時代後半期の木心乾漆像諸例との比較などから、

「様式の側面から考慮すれば、本像を聖林寺十一面観音像と同時期かやや後の770 年台とするのが自ずと導き出された結論のように思う。
・・・・・
比較する事例が少ないこの時期の状況を勘案して、本像の造立年代には少し幅を持たせて8世紀後半としておく。」

と、8世紀後半説をとっています。

こうした、違った見解が、この根本本尊像の修理・復元制作の際の造形表現の仕方に、何らか影響したのでしょうか?

この根本本尊像の復元修理を担当した、美術院所員松永忠興氏(現和束工房代表)は、このように振り返っています。

お寺の方から、飛鳥時代風にとの強い要望があったので、そのイメージで造ったところ、師匠が飛鳥風から白鳳風の顔に修正し、その間に挟まってしまい、飛鳥風イメージを残しながら今の顔に直して造り上げた。

本当は、残された手の感じからすると、(飛鳥時代のイメージを残す)特異な顔だと思った。
(仏像修理40年・松永忠興の仕事~天平の阿修羅再び 2011年日刊工業新聞社刊 所収)

根本本尊・手指部~飛鳥風を残すともみられる
根本本尊・手指部~飛鳥風を残すともみられる

仏像修理40年・松永忠興の仕事~天平の阿修羅再び

松永氏自身が、本当は、どの制作年代の仏像だと思ったのかは、はっきり書いていませんが、飛鳥時代的なイメージを感じられたようです。

亡くなった部分を再現復元するということが如何に難しいことか、お顔の復元が仏像の印象を決めるのにいかに大きな意味を持つのかを、考えさせられる話だと思いました。


ついでに、この道成寺本尊・千手観音の制作時期について、大胆な説を展開している、梅原猛氏の論をご紹介しておきたいと思います。
梅原猛氏は、井上正氏の「行基造像の奈良時代木彫の存在」「霊木信仰」という考え方をベースに、このように述べています。

「私は古いほうの北向きの千手観音(新発見の根本本尊)を、寺伝通り義淵の時代、即ち八世紀のものと考える。

そして南向きの千手観音(本尊・千手観音)を、これも寺伝通り行基時代のものとみることにしよう。
それは行基最晩年の作であろう。
なぜなら、行基が天皇に近づき、天皇の信任を得て勅願寺の仏像を作るようになったのは、行基の晩年の頃からである。

・・・・・・・・

私は行基の仏には二種あったと考える。
一つは井上正氏の言う『素木仏』、これは民衆の寺の本尊である。
もう一つは権力との妥協によるもの。西円堂の薬師如来や葛井寺の千手観音は乾漆仏であるが、行基が開眼供養をしているのでもある。

漆箔や彩色の施されたもの~道成寺の『南向きの千手観音』など~は、行基が国家の指示によって作ったと考えられるので、その妥協が『漆箔』になったのではないだろうか。
私はここに大僧正・行基の成功と妥協の跡をみるのである。」
(梅原猛著「海人と天皇(上)」朝日新聞社1991刊所収~第11章:美術史からみた道成寺の木彫仏)

梅原猛著「海人と天皇」

この梅原氏の考え方は、ちょっと無理筋に過ぎるように思うのですが、道成寺本尊・千手観音と道成寺の歴史を考えるなかでの、いろいろな見方の一つとして、ここで紹介させていただきました。


本尊の制作年代の話が長くなってしまいました。
先を急ぎたいと思います。

2012年、道成寺の仏像の年輪年代測定調査が行われました。

測定調査は、奈良文化財研究所の光谷拓実氏によって行われました。
光谷氏の、年輪年代測定による伐採年代推定は、法隆寺五重塔心柱の伐採年が594年と判明するなど、これまでの常識を覆す新事実が次々と示され、大注目を浴びていることはご存じのとおりです。

道成寺の仏像でも、びっくりの新事実が明らかになりました。
2012年11月に、

「道成寺の釈迦如来(鎌倉時代)の両手は奈良時代」

といった見出しで、新聞各紙が年輪年代測定による新発見を報じたことは、覚えている方がいらっしゃるかもしれません。

道成寺の釈迦如来の両手が奈良時代奈良時代であったことを伝える新聞記事..釈迦如来坐像の「鎌倉時代の手先」を掲げる住職
道成寺の釈迦如来の両手が奈良時代奈良時代であったことを伝える新聞記事

本書「道成寺の仏たちと『縁起絵巻』」の伊東氏の解説から、測定調査結果について記されたものをピックアップすると、次の通りです。

道成寺諸仏像の年輪年代測定結果

仏像の年輪年代は、彫刻という性格から、測定対象となる材の樹皮に近いところが残されていないので、測定値から、その分最低でも数十年はプラスして考え、推定する必要があるそうです。

この測定調査での大きな新発見は、次の2点でしょう。

現存の釈迦如来坐像は、鎌倉~南北朝時代のものですが、先ほど紹介した新聞記事の通り、手先の部分の用材の年代が奈良時代のものと推定されるという年輪年代測定結果となったのです。
元々、釈迦如来坐像は、奈良時代に同形同大の像が造立されており、何代かあとの復興像(現存像)に、残されていた奈良時代の釈迦像の手先部分が、引き継がれたと考えられることが判明したのです。

奈良時代の釈迦如来像の当初造立の精神を、時代を経ても、伝えようとされていたことが伺えます。

道成寺・釈迦如来坐像

釈迦如来像の奈良時代制作と思われる手先
道成寺に保管されていた釈迦如来像の鎌倉時代制作と考えられる手先
道成寺・釈迦如来坐像(鎌倉時代)
奈良時代制作と思われる現在の手先(上段)
保管されていた鎌倉時代制作と考えられる手先(下段)


もう一つは、四天王像の制作年代が、持国・増長天のセットと、広目・多聞天のセットで異なると考えられることです。

従来は、この四天王像は、同年代、一具とみられていました。
ところが、今回の年輪年代測定で、持国・増長天と広目・多聞天には、用材伐採年に100年近い時代差(700年代と800年代)があるのではないかと推測されました。
伊東氏は、作風の検討から、美術史的に見ても、それぞれ奈良時代後半、平安時代前期の様式的特徴がみられるとするとともに、年輪年代測定がそれを実証することになったと述べています。

道成寺・持国天像(奈良時代)
道成寺・持国天像(奈良時代)

道成寺・増長天像(奈良時代)
道成寺・増長天像(奈良時代)

道成寺・広目天像(平安前期)
道成寺・広目天像(平安前期)

道成寺・多聞天像(平安前期)
道成寺・多聞天像(平安前期)

本書の解説と仏像の制作年代についてのご紹介が、長くなってしまいました。

私も、この本を読んでみて、

道成寺の開創の寺伝や歴史
道成寺発掘調査による伽藍変遷の歴史と区分
道成寺に残された三躯の本尊千手観音と諸仏像の制作年代

というものを、総合的、立体的に考え知ることが出来ました。

道成寺には、国宝十一面観音をはじめとする優れた古仏たちが多く残され、仏像ファン必見のお寺であるとは思っていましたが、
これらの仏像達が、寺の歴史や変遷と、どのようにかかわり造立されていったのかなどは、あまり考えたことがありませんでした。


もう一度、道成寺を訪ね、今度はじっくりしっかり仏像達を拝して観たいと思った次第です。

本書、一読をお薦めします。




最後に、おまけで、伊東史朗氏執筆の「本書のバリエーションのような本」をご紹介しておきたいと思います。

伊東氏は、近年、精力的に論考等を発表されており、執筆本も多数に上ります。
本書のほかにも、お寺さんとの連携した、解説書の執筆もありますが、それらの本は、概説というものではなくしっかり踏み込んで論究された、大変興味深いものです。
そうした本を2冊ご紹介します。

「千本釈迦堂・大報恩寺の歴史と美術」 伊東史朗監修 
<2008年 柳原出版刊【207P】8000円

「千本釈迦堂・大報恩寺の歴史と美術」伊東史朗監修

「松尾大社の神影」 伊東史朗編 
2011年 松尾大社刊 【95P】 2500円

「松尾大社の神影」伊東史朗編

いずれも、両寺の諸像について、豊富な写真と共に掘り下げた論考が掲載されています。
特に、「松尾大社の神影」は、初期神像について論じたもので、大変興味深く読むことが出来ました。

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