観仏日々帖

古仏探訪~京都府相楽郡南山城村・春光寺の薬師如来立像  【2014.8.15】


南山城の古仏シリーズということで、南山城村のかくれ仏、春光寺・薬師如来立像をご紹介します。

薬師如来像の写真をご覧ください。

春光寺・薬師如来立像

春光寺・薬師如来立像
春光寺・薬師如来立像

皆さん、この仏像を観ると、すぐに「あの有名な仏像」のことを思い出されると思います。

そうです! 元興寺の薬師如来像です。

元興寺・薬師如来立像

元興寺・薬師如来立像
元興寺・薬師如来立像

元興寺・薬師如来立像は、平安初期一木彫の傑作で、国宝に指定されています。
堂々たる量感、シャープな彫口の衣文、バランスのとれたシルエットは見事なものです。
惹き込まれる美しさの仏像で、有名です。

いつも、奈良国立博物館の「なら仏像館」に展示されていますが、
「私の好きな仏像NO1は、元興寺薬師!」
という方も、多くいらっしゃることと思います。

春光寺の薬師如来像を拝すると、誰もが、

「あつ!元興寺薬師に似ている!」

そのように感じられることでしょう。

全体のシルエット、両股を隆起させたY字状衣文など、元興寺薬師を連想させる要素ばかりです。

丸山尚一氏は、このように語っています。
春光寺・薬師如来立像
春光寺・薬師如来立像

「一見して、平安初期像の傑作とされる奈良元興寺の薬師像を想起させる作風である。
分厚く二重にかさねた螺髪も、頬の張りも、眼、鼻、口の彫りに見る森厳な表情も、また肩から胸への量感も、衣文の鋭角的な彫りも、すべて元興寺像を写し取ったかのように似ている。」
(地方の仏たち~近畿編・中日新聞社1997年刊)

春光寺の薬師如来を造った仏師は、元興寺の薬師如来像を見て、そのイメージをもとにこの像を彫ったのは、きっと間違いありません。

この南山城村という鄙の地に、南都の中心、元興寺・薬師如来像の兄弟、弟分のような仏像が残されているのは、誠に興味深いことだと思います。


春光寺は、「京都府 相楽郡南山城村 北大河原北垣内」という処に在ります。

南山城村というのは、木津川の上流沿いにある村です。
木津川は、奈良市の北木津駅のあたりで、東西の流れから北へ90度曲がって京都方面に流れますが、北へ曲がる前、東の方に遡っていくと、南山城村にたどり着きます。
関西本線の大河原駅が、最寄り駅になります。
木津駅から20キロほど、三つ目の駅です。
あと5キロほど行けば、もう三重県・伊賀の地に入るという処です。

関西本線・大河原駅
関西本線・大河原駅

正直に言って、本当に辺鄙な山村、鄙の地という感じの処です。
「南山城村」は、京都府の市町村なかで、唯一の「村」だそうです。

春光寺は、駅から東に500mほど歩いたところに在ります。
私は、10年ほど前に、二度春光寺を訪れました。
関西本線の踏切を渡って、なだらかな上り坂を往くと、「真言宗智山派 春光寺」という石碑が見えてきます。

春光寺の入り口
春光寺の入り口

立派な本堂がありますが、小ぢんまりとした境内です。

春光寺・本堂
春光寺・本堂

薬師如来像は、本堂の厨子の中に祀られています。
普段は、厨子の扉は閉じられているとのことですが、事前に拝観のお願いのご連絡を差し上げた処、快くご了解をいただきました
お伺いした二度とも、お厨子の扉を開いてお待ちいただいておりました。

ご住職のお話によれば、この本堂は、朽ちかけていたのを、村を挙げて「平成の大修復」を行い、平成10年(1998)に、立派に竣工したものだそうです。
総工費は約85百万円で、そのほとんどがこの地元の数多くの人々の寄付によって賄われ、現在の姿によみがえることが出来たということです。

大修理により新装された厨子
大修理により新装された厨子

修理時の朽損した本堂の柱・梁の状況..大修理により美しく彩色された柱・梁
修理時の朽損した本堂の柱・梁の状況と修理後、美しく彩色された柱・虹梁

「平成の大修理」を記録した記念誌
「平成の大修理」を記録した記念誌

立派に荘厳されたお堂中央の厨子の中に、薬師如来像のお姿が見えます。

本堂厨子に祀られる薬師如来像
本堂厨子に祀られる薬師如来像

彩色のない木地のお像で、やはり一目で、元興寺薬師像を髣髴させるお姿です。
像高は、146.7㎝で、元興寺薬師像(像高164㎝)より、一回り小さいお像です。
昭和53年(1978)に、重要文化財に指定されました。

解説書によれば、
元興寺・薬師如来像の背刳りの状況
元興寺・薬師像の背刳りの状況
カヤ材の一木彫で、螺髪は植え付け、両手両足先は矧ぎ付け、内刳りがされているそうです。
内刳りは、後頭部一箇所、躰部背面二箇所に長方形の穴をあけ、上下に貫通させており、背板で塞いでいるとのことです。

元興寺薬師如来像と、材質構造面を較べてみるとどうでしょうか?

カヤ材の一木彫という処は、元興寺薬師像と一緒です。
また、共に内刳りがされていますが、元興寺像が細長い長方形の背刳りをして、一枚の背板で塞いでいます。
春光寺像とは、ちょっとやり方が違うようです。

もう一つ、元興寺像は蓮肉まで頭躰部と一木で造られていますが、春光寺像は、像底にあけた孔に台座上の枘を挿入して像を立てている点も違います。
但し、春光寺像の像底部は、朽損を補修修理されており、当初は元興寺像同様、蓮肉まで一木であった可能性も考えられるそうです。

このようにして、見た目でも、材質構造面でも、類似点を見つけていくと、

「元興寺薬師像、そっくり!!」

ということになりそうですが、お厨子に近づいて、薬師像を眼近に拝すると、

「そっくり、そのまま」

というわけではなく、かなり違っているような雰囲気を感じます。

着衣の形式も、よく見ると違っています。
春光寺像の着衣が、我が国では比較的少ない「通肩」というスタイルなのに対して、元興寺像は「袈裟と僧祇支の併用」というポピュラーな着衣スタイルをとっています。

通肩の着衣の春光寺・薬師像...袈裟と僧祇支の併用着衣の元興寺・薬師像
通肩の着衣の春光寺・薬師像    袈裟と僧祇支の併用着衣の元興寺・薬師像

ただ、そんな形式的な面よりも、春光寺像と元興寺像は、造形感覚というかフィーリングが、随分違っているように思えるのです。

春光寺薬師像を拝していると、一言でいうと、

「穏やか」とか「整った」「やさしい」

といった形容詞が似つかわしい感じがするのです。

緊張感、迫力ある彫り口の元興寺・薬師如来像
緊張感、迫力ある彫り口の元興寺・薬師如来像
元興寺薬師像も、平安初期一木彫としては、奈良様の伝統を受け継いだ、バランスある落ち着いた造形の仏像で、神護寺薬師像のような、強烈な気迫、森厳さ、歪み造形というデフォルメ、という処はありません。

しかし、鋭い衣文の彫り口、躰部のボリューム感など、堂々とした迫力で、バリバリの平安初期彫刻そのもの、という造形感覚を漲らせています。
奈良時代後期に遡る仏像なのかも知れません。

春光寺像の前に立つと、こうした
「平安初期の、張りつめた緊張感」
というものは、あまり感じられません。
むしろ、
「穏やかで静かなる落着き」「心やすまる和やかさ」
を、この薬師如来像からは、心に感ずるものがあります。

躰躯の造形も厚みが減じてきて、衣文の彫りも浅めになってきているようです。

元興寺・薬師如来立像~側面.....春光寺・薬師如来立像~側面
元興寺・薬師如来立像~側面    春光寺・薬師如来立像~側面

専門家の解説は、どうでしょうか?

伊東史朗氏は、このように述べています。

「このような特徴は元興寺薬師如来立像に通じるもので、彼像もやはり頭部小さく、股間に集まる衣文があり、胸の肉付きも意外と少ない。
もっとも、春光寺像は顔面、衣文とも抑揚が強く、肉身のふくらみが感じられる点は多少異質ともいえる。
平安初期の奈良的特徴を濃厚に残す例といえる。」
(日本古寺美術全集15巻「平等院と南山城の古寺」1980集英社刊)

制作年代について、はっきり言及されていませんが、平安初期に遡る可能性を残されているのかもしれません。


新指定重要文化財(毎日新聞社1981年刊)の解説には、このように記されています。
春光寺・薬師如来立像
春光寺・薬師如来立像
本像が、昭和53年(1978)に、重要文化財に指定された時の文化庁の解説です。

「こうした躰貌に加え、殊に、肉付き厚く厳しい表情をもった面相は、奈良・元興寺の薬師如来立像に学んでいるものとみられる。

ただ、元興寺像に比較して胸・腹部がかなり小ぶりで、肉取りは浅く抑揚に乏しい。
また、彼が強く屈曲する衣文を上躰及び袖外側に集中させるのに対し、本像のそれは全体に柔らかく、のびやかさを増し、その構成も平明なものになっている。
それらは本像におっとりとしたやさしい趣を与えており、そこに自から年代の下降と地方的特色が看取されよう。

制作は10世紀初めと考えられるが、元興寺像の様風を受け継ぐこの頃の遺例は、従来あまり知られず、それが奈良文化圏に属する南山城の地に伝来したことは、興味深い。」


中野玄三氏も、このように述べられています。

「作風においては、前三像(唐招提寺、神護寺、元興寺の一木彫薬師如来立像)が、8~9世紀の代表的作風を示すのに対して、本像(春光寺像)は10世紀の代表的作風を示し、決して地方作と称せられるような作風ではない。」
(「南山城の平安美術」南山城町史2005刊)


私が、二度、春光寺薬師像を拝した印象は、「新指定重要文化財の解説」がぴったりフィットするという感じがしました。

よくは判りませんが、

「元興寺薬師に倣った、10世紀ごろの、穏やかで落ち着いた作風の仏像」

というのが、率直な印象です。


この薬師如来像、現在は素木で彩色の無いお姿をされていますが、以前はそうではなかったようです。

昭和53年の重要文化財指定時には、表面には後世の補修時の拙劣な紙貼りと黒漆塗りが施されていました。
昭和54年に保存修理が行われ、黒漆塗りなどを除去して素地を表わす他の修理修復が行われて、現在のお姿になりました。
修理前の写真を見ると、全体に黒光りして、螺髪は随分大粒で、お顔の表情もずいぶん違って見えます。

修理前の黒漆塗りされた春光寺・薬師像...修理前の黒漆塗りされた春光寺・薬師像
修理前の黒漆塗りされた春光寺・薬師像

この写真を見ると、ちょっと恐ろしげというか、不気味な感じで、

「あの美仏、元興寺薬師像の兄弟分の仏像」

という感じはしません。

修理によって、螺髪も小粒に直され、上塗りも除去されて、きりっとした面貌に戻り、元興寺薬師像を髣髴させるお姿に、よみがえることが出来たのだと思います。


ところで、どうしてこの辺鄙な南山城村に、元興寺薬師像の兄弟分のような平安古像が、遺されているのでしょうか?

笠置から南山城村のある南北大河原の一帯は、9世紀ごろには、東大寺、元興寺、大安寺、興福寺など南都諸大寺の杣山(そまやま)になっていたそうです。
杣山とは、寺院の建立などに必要な用材を切り出す山林のことです。
杣山の地には、人々が住まいし、寺院が造営されたのは当然の事です。

中野玄三氏は、「木津川流域の薬師悔過とその仏像」という論考のなかで、

寛平8年(896)の太政官符から、この地が南都諸大寺の杣山であったことがわかる。

この一帯に人が住むようになったのは天平時代にさかのぼり、最初に、この地に住む人々に、地子を勘じた(地租を徴収すること)のは元興寺で、仁和年間(885~9)より始めたという。

春光寺像が元興寺像の系譜を継承しているのは、このような由来があったからであろう。

という考えを、述べられています。

この大河内の地が、古くは南都の杣山であった話、とりわけ元興寺の影響力が大きかったという話を聞くと、元興寺薬師像に倣った平安古仏がこの地に遺されているというのも、

「なるほど、もっともなことだ!」

と、素直に納得してしまいました。

この前にご紹介した、和束町薬師寺の薬師如来坐像も、南都の奈良様乾漆像の伝統を色濃く受け継いだ仏像でした。

和束町薬師寺・薬師如来坐像
和束町薬師寺・薬師如来坐像

春光寺は、和束町薬師寺の東隣という処に在ります。

「この地域は、平安時代に入ってからも、南都文化圏の傘下に在って、奈良様の伝統を受け継いできたのだ。」

今更ながらに、そんな思いを新たにしました。


もう一つ、興味深い話があります。

中野玄三氏が、
「春光寺薬師像は、神仏習合の本地仏である」
と述べていることです。

中野氏は、次のような考え方を示しています。

春光寺薬師像は、貞観年代(859~877)に当地に在った、「国津神社」の宮寺に祀られた薬師像であった。
現在の春光寺の場所は、国津神社の宮寺、薬師堂のあった処である。

この薬師像は、木津川の水害洪水防御の仏として、祀られていたものであろう。

木津川流域には、こうした水害洪水の頻発の地に、薬師像が造立される例が多々あり、城陽市阿弥陀寺・薬師立像、和束町薬師寺・薬師坐像、精華町常念寺・薬師菩薩像、京八幡市薬薗寺・天部形薬師立像等々が、同様の例に挙げることが出来る。

その多くは、神仏習合思想による薬師如来として造立されたと考えられる。

「木津川流域の薬師悔過とその仏像」
(国華1348号2008/2・続々日本仏教美術史研究2008思文閣刊所収)
という論考で、そのように述べられています。

余談ながら、この論考は、
長岡龍作氏が
神護寺薬師像は、元高雄山寺の本尊であったに違いない。
神願寺が高雄に移転した事由が、「地勢汚穢」「地勢沙泥」によるとされており、そのような、けがれた場所にあった神願寺本尊が、新たな神護寺の本尊に移坐されることはありえないのではないか。
と主張したのに対して、

中野氏が、
木津川流域に数多く祀られる薬師像などから、薬師仏は汚泥を厭わず、むしろ進んで汚泥にまみれ、人々を救済する仏であったと考えられる。
神護寺薬師像が、神願寺から移された像と考えて、何の不思議もない。
として、長岡説に反論する意味でも書かれた論考です。

この話に入ると、ややこしくなるので、ここでは立ち入らないようにしたいと思います。

精華町常念寺・菩薩立像
精華町常念寺・菩薩立像
さて、この前の「古仏探訪」で、常念寺・菩薩像が神仏習合の薬師菩薩像であったと思われる話をしましたが、春光寺・薬師像もその系譜にある薬師像かも知れないということです。

大変興味深く、惹きつけられる話です。

この神仏習合像の話に入ると、益々、興味は尽きないのですが、一方で、

「そんなふうに言い切ってしまっても、いいものだろうか?」

という気持ちも、少しよぎります。

今回は、これもまた、なかなか難しいこれからのテーマ、ということにしておきたいと思います。



南山城村大河原の春光寺・薬師如来像、如何だったでしょうか?

今回は、元興寺薬師如来像の弟分のような平安古仏が、木津川沿いの鄙の地に、ひっそりと遺され、今も、地元の人々に大切に祀られているお話でした。

コメント

はじめまして

いつも楽しく拝読、ご提示された情報をもとに各地に赴いております。
ありがとうございます。
こちらに限らず一般論で教えていただきたいのですが、
いわゆる観光寺院ではないところで予約する場合は
一人でも大丈夫でしょうか?
また御礼はどれほど納めればよいのでしょうか?
答えにくいと存じますが、ご教示くだされば幸甚です。
こちらでご教示いただいて金剛證寺に参拝しました。
両重文像は宝物館でガラス越しでが間近て拝観できました。
虚空蔵像は外陣からではっきりとは申せませんが、
平安末くらいのしっかりした像にみました。
祈祷を頼めば内陣に入れるようです。
それでは失礼いたします。

  • 2014/10/18(土) 09:57:14 |
  • URL |
  • あり #-
  • [ 編集 ]

Re: はじめまして

「観仏日々帖」ご覧いただき有難うございます。
金剛證寺行かれましたか!
「平安末ぐらいのしっかりした像」との情報有難うございます。
私は、残念ながら行けませんでした。

ところで、所謂観光寺でないお寺様の仏像拝観のお願いは、結構気を使ってしまいますよね。
一人で尋ねる時は、なおさらだと思います。
一般の拝観は断られているところもありますし、また拝観は可能でも、そのためにいて頂かなくてはなりませんし・・・・
普段はお勤めされているご住職やら、地区の方々で管理されている仏像もあります

私は、一人では申し訳なくて遠慮する場合もままあります。
また、昨今、文化財の盗難の問題もありますので、私は、拝観をお願いするときには、事前に拝観のお願いとお伺いの手紙を差し上げて、その後で電話をかけてご意向、ご都合を、伺うようにしております。
そうすると、仏教美術愛好で、是非とも拝観したいという気持ちがわかっていただけるのではないかと思っております。
拝観の志納ですが、それこそ気持ちでよろしいのではないかと思います
拝観料の定めがあるところは稀ですので・・・・・
私は、簡単な金封にわずかだけ包んで、仏様にお供えいただくようにお願いして、納めていただいています。
お役に立ったかどうかわかりませんが、
ぜひこれからも観仏探訪お続けくださるよう

管理人

  • 2014/10/19(日) 12:37:10 |
  • URL |
  • 神奈川仏教文化研究所 #-
  • [ 編集 ]

丁寧なるご教示ありがとうございます。
おっしやる通り一人なので遠慮しておりました。
ですがこちらで知られざる、けれどもすばらしい仏像を
数多く紹介していただき、いてもたっても…です。
ご教示をしるべに今後も観仏に励みたく存じます。
当方は素人にて金剛證寺はあっているのかどうか…
今日は馬居寺に参り、近くで拝し感動しました。
遠方からもたくさんお出でと伺いました。
本開帳は三日間、中開帳は数時間のところ、
今回は行政の要請で長期間にされたとのことです。
多くの方がこの好機にと念ずる次第であります。
ともかくありがとうございました。ご更新を楽しみにお待ちいたします。

  • 2014/10/19(日) 21:38:50 |
  • URL |
  • あり #-
  • [ 編集 ]

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