観仏日々帖

古仏探訪~京都府相楽郡和束町・薬師寺の薬師如来坐像【その2】  【2014.6.21】


南山城の和束町薬師寺の薬師如来像を拝してから、もう10年近くも経ちました。


この仏像のことも、もう忘れかけていたのですが、つい最近、京都国立博物館で開催中の「南山城の古寺巡礼展」を見に出かけた処、和束町薬師寺のことを思い出させてくれる像に出会ったのです。

「南山城の古寺巡礼展」の目玉の出展は、禅定寺の十一面観音立像、寿宝寺の千手観音立像、浄瑠璃寺の四天王中の多聞天像あたりという処でしょうか。
ほかにも、多くの南山城の仏像が出展されていました。

その出展仏像の一つに、蟹満寺の阿弥陀如来坐像がありました。

蟹満寺・阿弥陀如来坐像
蟹満寺・阿弥陀如来坐像

像高31.5㎝の小さな像で、目立たない感じで展示されていましたが、私にとっては注目仏像でありました。
和束町薬師寺の薬師如来坐像によく似ているのです。
和束町像の半分ぐらいの、小さな木彫漆箔像です。

図録の解説文には、大変興味深いことが書かれています。
ご紹介します。

蟹満寺・阿弥陀如来坐像
蟹満寺・阿弥陀如来坐像
「近年再興なった蟹満寺の本堂で、巨大な国宝の金銅釈迦如来坐像の斜め後方の檀上に安置される小像で、寺では阿弥陀如来と伝える。
伝来が不詳なのは残念だが、小像でありながらも量感あふれる力強い像の姿などから、平安初期の9世紀にさかのぼると考えられる像である。

乾漆を一部に用いて整形している点など、奈良時代の名残がある。
足先までしっかりと衣でくるむ点は、本像の大きな特徴の一つだが、よく似た姿の像が和束町の薬師寺にも伝来しており、そちらは薬師如来である。

・・・・・・・・

おそらくは、奈良時代に制作され両像が手本とした像が存在したものか、とも想像される。
後世のことではあるが、鎌倉時代の慶派仏師が足先まで衣で包んだ姿の薬師如来をしばしば造立している。

現在では失われたものの、中世頃までは同様の姿の著名な薬師如来が、いずこかに伝来していたのではなかろうか。」

京博の淺湫毅(アサヌマタケシ)氏の解説です。

和束町薬師寺像ほど、天平の乾漆造り像そのものに見紛うほどの表現とまでは言えませんが、奈良風の雰囲気を強く持った像で、この解説の通りです。

淺湫氏は、

足先までしっかりと衣でくるんだ姿の、奈良時代に制作され両像が手本とした像が存在したのではないか?

との、興味深い想像をされています。

和束町薬師寺・薬師坐像の脚部~足先を衣でくるんでいる
和束町薬師寺・薬師坐像の脚部~足先を衣でくるんでいる

足先を衣でくるんだ9世紀以前の古像といえば、皆さんご存知の通り、唐招提寺の廬舎那仏坐像が有名です。
天平時代を代表する、脱活乾漆像です。

唐招提寺・盧舎那仏坐像(脱活乾漆像)

唐招提寺・盧舎那仏坐像~脚部
唐招提寺・盧舎那仏坐像(脱活乾漆像)
下段・足先が衣で包まれた脚部


他には、大阪交野市の獅子窟寺・薬師如来坐像、福島会津の勝常寺・薬師如来坐像(左足先の一部を包む)が知られていますが、いずれの像も奈良の地の影響を強く受けたといわれている仏像です。

獅子窟寺・薬師如来坐像
大阪獅子窟寺・薬師如来坐像

福島会津勝常寺・薬師如来坐像
福島会津勝常寺・薬師如来坐像

奈良時代の後半期には、この2像のような造形表現をそのまま大きくしたような、手本となる仏像が本当にあったのでしょうか?


この蟹満寺の阿弥陀如来坐像を見て、淺湫氏の解説を読んで、急に和束町薬師寺の薬師像についての関心がよみがえってきました。

これまでに、和束町薬師寺・薬師如来像や蟹満寺・阿弥陀如来像について、論究したり解説したりした本や論文はないのでしょうか?
調べてみると、いくつか見つかりました。

それらのなかから、参考になりそうなもの、興味深い解説などをご紹介したいと思います。

和束町薬師寺・薬師如来像についてです。

「解説版・新指定重要文化財3・彫刻」(1981・毎日新聞社刊)

の解説では、本像の特徴についてこのように記されています。

「臂を強く張った上体は、著しく幅広につくられ、これに応じる膝の張りも大きく、巨像を想起させる重厚さを示すが・・・・・・
・・・・・・
面奥の深い頭部や、やや猫背気味に突き出した側面観にも、東大寺の弥勒仏坐像など平安初期一木彫に通じる特色がある。

一方目鼻立ちは穏やかで、衣褶の彫り口もさほど鎬立てず、殊に胸のぼってりした肉取りや両足先を包む衣の柔軟な表現には、奈良時代に盛行した乾漆像の影響が認められ、多様な作風を示す9世紀彫刻遺品のなかにあっても、とりわけユニークな作例として注目されよう。」

この薬師像が昭和53年(1978)に重要文化財に指定された時の解説です。

和束町薬師寺・薬師如来坐像~正面

和束町薬師寺・薬師如来坐像~側面..和束町薬師寺・薬師如来坐像~像底部
和束町薬師寺・薬師如来坐像~正面・側面・像底
(膝前まで一木、内刳り無し)



「日本古寺美術全集15・平等院と南山城の古寺」(1980・集英社刊)

には、伊東史朗氏が、このように記されています。

「木彫で、これほど忠実に乾漆の感じを出す例はまれであろう。
それは薬師寺が奈良に近い和束の地にあるためばかりではなく、いまだ乾漆の技法が生きていて、その本質が理解されていた時期に造られたからであろう。」


続いて、蟹満寺・阿弥陀如来坐像についてです。

中野玄三氏は、「山城町史」(1987刊)において、このように解説されています。

「この如来形坐像は、頭部が完全にのちのものと代わっているが、来迎印に似た印相を結び、両足先まで衣にくるんで結跏趺坐する姿は、和束町原山薬師寺の薬師如来坐像と酷似している。
その造形の特色は一木造でありながら、木心乾漆的表現を試みている点にある。

・・・・・・・・

この両像は、東大寺の「試みの大仏」と称せられる弥勒仏像と、その気宇の広大な点で一致するが、その表現技法はまったく相違し、東大寺像が貞観彫刻独特の素木造の典型であるのに対して、これは天平彫刻の様式に属する。

・・・・・・・・・

おそらくその制作年代は薬師寺像が先行し、蟹満寺像がそれを継承したものと推定される。」

東大寺の弥勒仏坐像、通称「試みの大仏」がイメージに浮かんでくる。
そのとおりだと思いました。

東大寺・弥勒仏坐像(試みの大仏)

東大寺・弥勒仏坐像
東大寺・弥勒仏坐像(試みの大仏)

肉身や衣文の表現が大きく隔たりますが、体躯のシルエット、重量感、重厚感は、「試みの大仏」のフィーリングです。
特に、和束町薬師寺像は、そのように感じます。

蟹満寺・阿弥陀如来像のお顔の表現が、9世紀にしてはどうもしっくりこないと感じられたのは、後世のものだからのようです。

これらの解説を読むと、この二つの如来像の特色は、

・平安初期彫刻の代表例、東大寺・弥勒仏坐像に相通じる造形

・奈良時代の乾漆像を写したような肉身、衣文表現

・多様な9世紀彫刻のなかでも、とりわけユニークな作例

であるということになるようです。

私もまったく同感です。
特に和束薬師像の姿を見ると、その意をたいへん強くします。


この革新と伝統が同居するという、矛盾をはらんだような造形表現は、多様な平安前期の彫刻のなかで、どのように位置づけられるのでしょうか?

和束町薬師寺像について考証した論文を見つけました。

「京都・薬師寺の薬師像について」仏教芸術167号(1986)

という論考で、根立研介氏の執筆です。
和束薬師像について、15ページに亘ってじっくり論じられています。

長文なのですが、思い切って大胆に端折って、エッセンスのみをご紹介したいと思います。

根立氏はこのように論じられています。

和束町薬師寺像の特色は2点に整理できる。

・第一は、像全体の量感を強調し、木塊状に構成する点である。

・第二は、豊かな肉付けを柔軟な面で構成する肉身表現、写実に基づき襞の形態と質感を自然、柔軟にあらわす着衣の表現である。

和束町薬師寺・薬師如来坐像
和束町薬師寺・薬師如来坐像

平安初期の彫刻は、「純木彫系」と「乾漆系」に分類されるという考え方が一般的である。

・「純木彫系」は、神護寺薬師如来像、新薬師寺薬師如来像、東大寺弥勒仏像などが代表作例。

神護寺・薬師如来立像...新薬師寺・薬師如来坐像
神護寺・薬師如来立像         新薬師寺・薬師如来坐像

・「乾漆系」は、広隆寺講堂阿弥陀如来像、観心寺如意輪観音像、東寺講堂諸尊などが代表作例。

広隆寺講堂・阿弥陀如来坐像..観心寺・如意輪観音坐像
広隆寺講堂・阿弥陀如来坐像        観心寺・如意輪観音坐像

和束町薬師寺像は、第一の特色(量感・木塊状構成)は、「純木彫系」像の特色と共通する。
また、漆箔仕上げという技法の点では、「乾漆系」像と共通するが、肉付や衣文の表現などは相当に隔たりがある。

和束薬師寺像の肉付や衣文表現は、「純木彫系」「乾漆系」のどちらの系譜に含めることができないもので、天平の乾漆像をそのまま受け継いだものといえる。
その類例を、広隆寺不空羂索観音像に見ることができる。

広隆寺・不空羂索観音立像
広隆寺・不空羂索観音立像

和束薬師寺は、南都寺院と関係の深い地にあり、本寺にあたる南都大寺の仏像を手本に、これを模倣したのではないだろうか。

平安初期彫刻が「純木彫系」「乾漆系」ともに、新時代の独自の作風を完成させているのに対し、
和束薬師寺像は、体躯全体構成については、平安初期の一般的傾向従いながらも、天平時代乾漆像と平安初期木彫という二つの彫刻の交流になかにあって、あくまでも保守的な位置を出ることがなかった木彫像と考えられる。


引用が長くなってしまいましたが、

「なるほど、そういうことなのか!」

と、判りやすい整理と平安初期における本像の位置づけの考え方に、すっかり納得してしまいました。

先にご紹介したいくつかの解説文も、この根立氏の論考を踏まえて、記されているように思えます。

ただ、和束薬師寺像が、

「あくまで保守的な位置を出ることがなかった」

というコメントを読むと、
なんだか、和束薬師寺像に、ネガティブな雰囲気が漂い、一寸かわいそうな感じがしてしまいます。
決して、そうした主旨で書かれたものではないと思いますが・・・・・・


つい、話が冗長になってしまいました。

この像は、確かに保守的ですが、大変出来がよくて、気宇壮大で、おおらかに包み込んでくるような魅力のある、惹きつけられる仏像です。

前回ご紹介した、廣智寺の観音菩薩像もエキゾチックで魅力あふれる仏像でした。
そして、対極にあると云えそうな和束薬師寺像も、また別の魅力にあふれ大変気に入った仏像です。

今更ながらに、

「平安前期の彫刻は、多様で彩りに富んでおり、革新的、伝統的、様々な表現が入り乱れ、それぞれが大きく花開き、百花繚乱となった時代であったのだ」

という思いを新たにしました。

いわゆる天平時代、平安後期(藤原時代)のような、一つのパターンの表現様式の時代とは、全く違った多様性の時代であったのだと思います。
それだからこそ、私たちは、平安前期の彫刻に、惹き込まれてしまうような、強い魅力を感じてしまうのかしれません。


こうした多様な平安前期の彫刻の、分類・整理の仕方については、なかなか難しいものがあるようです。
平安時代彫刻を論じた専門家の本を読んでも、様々な切り口、アプローチで多様性の区分が試みられているようです。
このあたりの話も面白いのですが、踏み込むと混み入ってきそうですので、またの機会に考えてみたいと思います。

それにしても、魅力ある仏像にあふれた時代です。

■廣智寺観音立像、宝菩提院菩薩踏下像のように、彫技の冴えを誇示するような、異国風・エキゾチックな仏像。

廣智寺・観音立像..宝菩提院・菩薩踏下像
廣智寺・観音立像          宝菩提院・菩薩踏下像

■神護寺薬師立像、新薬師寺薬師坐像のような、鋭角的な彫口で、森厳さ強い精神性あふれる、迫力十分の仏像。

神護寺・薬師如来立像..新薬師寺・薬師如来坐像
神護寺・薬師如来立像            新薬師寺・薬師如来坐像

■東寺講堂諸尊、観心寺如意輪観音坐像のように、密教系で豊満で官能的、妖しい魅力を秘めたといえるような仏像。

東寺講堂・梵天像..観心寺・如意輪観音坐像
東寺講堂・梵天像             観心寺・如意輪観音坐像

■和束薬師寺薬師坐像、広隆寺不空羂索観音立像のような、天平乾漆像の伝統的世界をそのまま継承したような造形の仏像。

和束町薬師寺・薬師如来坐像..広隆寺・不空羂索観音立像
和束町薬師寺・薬師如来坐像             広隆寺・不空羂索観音立像

これくらいにしておきますが、挙げれば、またまだ挙げることが出来るでしょう。
ちょっと思いつくだけでも、あまりの多様さに幻惑されてしまいそうです。

それが、平安前期一木彫の、こたえられない魅力なのだと思います。

「9世紀の一木彫」といわれれば、血が騒ぎます。

そして、これからも懲りもせず、磁力にひきつけられるように訪ねていくことになるのでしょう。



【追記】

「足先を衣でくるんだ像」の9世紀以前の例についての話ですが、
読者の方から、この最古の例は「711年制作といわれる法隆寺五重塔塔本塑像」とのご指摘をいただきました。
早速にお教えいただき、有難うございます。
これからも、何かとよろしくお願いいたします。

私は、法隆寺塔本塑像の例については、気がついておりませんでした。
お恥ずかしい限りです。
衣のスタイルや飾り物、姿勢などの類例をピックアップしていくというのは、結構難しいですね。
一覧表でもあればよいのですが、なかなかそういったものもなく、解説・論文からの孫引きや記憶に頼るしかないようです。

いずれにせよ、「足先を衣でくるんだ」スタイルは、唐の形式からの影響によるものなのでしょう。

法隆寺塔本塑像の文殊菩薩坐像(東面2号像)、2躯の菩薩坐像(東面3・4号像)にこの形式が見られます。

写真をご覧いただければと思います。

法隆寺五重塔塔本塑像・文殊菩薩像(東面・2号像)..法隆寺五重塔塔本塑像・菩薩像(東面3・4号像)
法隆寺五重塔塔本塑像・文殊菩薩像(東面・2号像)        菩薩像(東面3・4号像)


コメント

足先をくるむ仕口について

毎回興味深い題材、楽しみです。
いろいろ書き込もうとして考えているうちにかえって考えがまとまらずに過ぎてしましました。

足先を衣でくるむやり方ですが、本家の
唐時代の金銅仏では、佐野美術館に例品があります。佐野美術館蔵品シリーズの解説の「仏像」15番、また1992大和文華館「中国の金銅仏」64番で掲載されています。
前者の解説の田辺先生によれば唐代の半ばころからみられ、「かなり柔軟性の増した」表現のものに多いとのことです。この手の表現は下って元興寺極楽坊の薬師如来像あたりから再び出現するので、伝統的に南都の仏像工房のレパートリーなんでしょうか。

和束の薬師寺ですが、ここから流出したという伝承のある平安時代初期の菩薩半跏像が松田コレクションにあります。(佐野美術館での展覧会の17番)。

  • 2014/07/03(木) 21:44:57 |
  • URL |
  • 修理屋 #-
  • [ 編集 ]

Re: 足先をくるむ仕口について

修理屋様

いつも、興味深いコメント有難うございます。

足先を衣でくるむスタイルは、当時の唐の形式の影響でしょうが、その後は南都の仏師に継承されてきたスタイルなのでしょうか。
「元興寺極楽坊の薬師如来像あたりから再び出現する」ことについて、淺湫毅氏は「鎌倉時代の慶派仏師が足先まで衣で包んだ姿の薬師如来をしばしば造立しており、南都の仏像の古典に倣ったのではないか」と南山城展図録解説述べられてますね。
10世紀初の醍醐寺薬師如来坐像も、足先が衣でくるまれていますが、この像も真言系ということで、やはり南都の系譜との関連でみるということでしょうか??

和束薬師寺伝来の「平安時代初期の菩薩半跏像」というのは、全く知りませんでした。
お教えいただきありがとうございます。
佐野美術館展図録が手元にないのですが、松永記念館開催・仏教美術優品展(平成元年開催)の図録掲載の、「虚空蔵菩薩半跏像」(平安初期・71.5㎝)が、それにあたるのでしょうか??

神奈川仏教文化研究所 管理人

  • 2014/07/05(土) 09:46:36 |
  • URL |
  • 神奈川仏教文化研究所 #-
  • [ 編集 ]

拝復
足先を包む遣り方は和束薬師寺像と蟹満寺像、それと元興寺薬師像を結ぶ中間点の作例を知らないので、南都の仏師におけるレパートリーとして継承されていたものなのかは自分では即断できないですね。
ただし、醍醐寺の薬師の作風については、平安時代初期の呪術的な豪快さから一種自然な写実への揺り戻しの途上の作品と認めている研究者が多いので、造東大寺所の系列の仏師がかかわった可能性はあるかもしれません。
とすれば、ミッシングリンクの一つにはなりますね。
平安初期から中期、そして定朝様式成立にかけての彫刻の様式の変遷の契機には捻塑的で自然主義的な彫味が特徴的であった南都仏所の作風が再び参照されたであろうゆえなのかもしれません。

なお、松田家像は小田原展に出ているものと同一(半跏踏み下げ、腐朽したトモ蓮を削去)のはずです。小田原展図録が行方不明なんで心許ない回答になってすいませんが。

常念寺の菩薩立像も、和束像も指定時には両手先が貧弱な後補で、常念寺は左手に薬壷を持ったものでしたが、西村公朝先生が新たに作られたように記憶していますが、なかなかウマイですね。

  • 2014/07/05(土) 20:35:55 |
  • URL |
  • 修理屋 #-
  • [ 編集 ]

Re: タイトルなし

修理屋様

和束町薬師寺伝来・松田家所蔵像は、やはりあの踏み下げ像(半跏踏み下げ、腐朽したトモ蓮を削去)ですか。
なかなか古様で、いかにも平安前期という一木彫像ですね
ご教示有難うございました

常念寺像の手先は、西村公朝氏の作でしたか!
修理前の「薬壺を持った左手先」は、江戸時代のもので、今も常念寺に残されていますね。
【その2】では、この「薬壺を持った手」の写真を掲載させていただき、神仏習合の「薬師菩薩」という話にふれていきたいと思っています。

よろしくお願いします

神奈川仏教文化研究所 管理人


  • 2014/07/07(月) 08:46:19 |
  • URL |
  • 神奈川仏教文化研究所 #-
  • [ 編集 ]

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