観仏日々帖

新刊・旧刊案内~「奈良帝室博物館を見る人へ」小島貞一著【その1】


大正時代末年の、

「奈良帝室博物館の仏像展示」

を偲ぶことができる本のご紹介です。


奈良を訪ねる人の必携書、和辻哲郎の「古寺巡礼」には、聖林寺十一面観音像について、このように語られています。
奈良帝室博物館展示当時の聖林寺十一面観音像
奈良帝室博物館展示当時の
聖林寺十一面観音像写真
工藤精華撮影「日本精華・第8輯」
(大正7年7月刊)所載写真

「天下の名作の名作を選ぶということであれば、わたしは寧ろ(三月堂・不空羂索観音像よりも)聖林寺の十一面観音を取るのである」(カッコ内は、私の付記です)

「だが、聖林寺の十一面観音は偉大な作だと思う。
肩のあたりは少し気になるが、全体の印象を傷つけるほどではない。
これを三月堂のような建築の中に安置して、周囲の美しさに釣り合わせたならば、あのいきいきとした豊麗さは一層輝いて見えるであろう。」

和辻のこの絶賛もあって、聖林寺十一面観音像は、天平時代随一の名作という名声を得るようになり、今も絶大な人気を博する仏像となっています。

この聖林寺十一面観音像、和辻哲郎は、桜井の聖林寺を訪れ、拝したのでしょうか?
そんなことはありません。
和辻は、この名作を、当時の奈良帝室博物館の第一室に展示されているのを観て、「古寺巡礼」に綴ったのでした。

大正8年(1918)のことでした。



「ほほゑみて うつつごころ に あり たたす 
              くだらぼとけ に しく ものぞ なき」

会津八一が、法隆寺・百済観音像に想いを致して、詠んだ歌です。
ご存知の方も多いことと思います。
浜田青陵著「百済観音」
浜田青陵著「百済観音」(大正15年刊)
赤地の表表紙に金文字で
百済観音を詠んだ歌が刻されている

百済観音像は、いまさら言うまでもなく、飛鳥時代随一の「美しき仏」として、誰もが愛し、あこがれる超名作です。
「百済観音」という呼称は、会津八一がこのように詠んだことや、この歌が、浜田青陵著の随筆「百済観音」という本のオモテ表紙に金文字で刷り込まれたことなどで、世の中に広められ一般に定着化していったとも言われています。

会津八一がこの歌を詠んだとき、百済観音もまた、奈良帝室博物館の第一室に展示されていました。
会津は、「自註鹿鳴集」にこのように記しています。

「くだらぼとけ・
以上二首は、法隆寺よりその頃久しく出陳して、館のホールの中央なる大ケースの正面に陳列してありし俗称『百済観音』を詠めるなり。」

この歌がおさめらている、歌集「南京新唱」は、大正13年(1923)に刊行されています。

奈良帝室博物館のガラスケースに展示された法隆寺・百済観音像
奈良帝室博物館のガラスケースに展示されていた法隆寺・百済観音像


大正~昭和初期には、なんと「法隆寺・百済観音」「聖林寺・十一面観音」が肩を並べて、奈良帝室博物館に展示されていたようなのです。
ビックリと云えばビックリです。

「当時の奈良の博物館には、どんな仏像が展示されていたのだろうか?」
「今では、想像もつかないような、国宝仏像の仏像が林立していたのだろうか?」

そんな疑問や、思いをいだいていましたら、ある古書展でこんな本を見つけたのです。


「奈良帝室博物館を見る人へ」という本です。

「奈良帝室博物館を見る人へ」小島貞一著

大正14年(1924) 木原文進堂刊 【126P】 1円80銭


小島貞一著「奈良帝室博物館を見る人へ」

小島貞一著「奈良帝室博物館を見る人へ」


何の変哲もない、古いガイドブックのようで、雑本として並んでいました。
たしか、500円ぐらいの値段だったと思います。

中身を見てみると、奈良帝室博物館の観覧、見学案内のような本で、展示されている仏像や絵画について列挙され、簡単な解説がつけられています。


解説は、部屋順に、「第1室・第2室・・・・」と、展示されている仏像が列挙されているのです。
かけてくわえて、各室別の展示仏像の配置略図までもが掲載されているのです。

この本を見れば、大正末年に奈良帝室博物館に、どんな仏像が展示されており、どのような配置で並べられていたのかということが一目瞭然です。

普通の人には何の関心もないような、古いガイドブックですが、
「こんな本を、捜していたのだ! ラッキー!」
と、ほくそ笑んで購入したのです。


それでは、さっそく、当時の展示仏像をご紹介させていただきたいと思います。

ちょっと有名どころを見繕ってみても、すごい仏像が目白押しです。

興福寺・十大弟子・八部衆像、法隆寺・食堂塑像諸像、大安寺・木彫諸像、唐招提寺・講堂木彫諸像、秋篠寺・伎芸天ほかの諸像、興福寺北円堂・無着世親像などなどの名が、眼に入ってきます。

「展示されていた仏像」についての、一覧表に整理してみましたので、ご覧ください。


「奈良帝室博物館を見る人へ」所載の展示仏像リスト1
「奈良帝室博物館を見る人へ」所載の展示仏像リスト2
「奈良帝室博物館を見る人へ」所載の展示仏像リスト3
「奈良帝室博物館を見る人へ」所載の展示仏像リスト4
「奈良帝室博物館を見る人へ」所載の展示仏像リスト5


以上のように、なりました。
この本に、すべての展示仏像が列挙されているのかどうかわかりませんが、主要な仏像は網羅されていると思います。

本当に圧巻です。
日本彫刻史の名品図録のページを開いているような気分になるほどの、傑作ぞろいです。

今では、「信じられない!」レベルの仏像達が、常時展示されていたのですから、溜息が出てしまいます。
もし今、これだけの仏像が一堂に集められた「特別展」が開催されたら、どれほどの騒ぎになって、どれほどの人々が押し寄せるでしょうか?

安藤更生は、当時の奈良博について、このように述べています。

「日本工芸の宝庫を、正倉院とするならば、彫塑絵画の淵叢はまさに奈良帝室博物館である。
勿論、法隆寺東大寺の本尊や、運搬に不便な巨像はその寺々へ行かなければ観ることはできないが、其他の像の精髄は、殆どここに集まっていると言っても過言ではない。
日本の古代美術を知ろうとする者は、先ずこの博物館を訪れなければならぬ。」

昭和4年(1929)に発刊された、「美術史上の奈良博物館」(安藤更生著)という本の、著者の序言です。

「美術史上の奈良博物館」 安藤更生著 

昭和4年(1929) 飛鳥園刊 【206P】 2円80銭


安藤康生著「美術史上の奈良博物館」


この序言からも、当時の奈良帝室博物館の展示仏像の物凄さが、伺われます。
この本は、当時、少壮の美術史学者・安藤更生が書き下ろした本で、仏像の踏み込んだ解説、彫刻史上の位置づけ、安藤個人の見解などが盛り込まれた、充実した内容の本です。
ご関心ある方には、一読をお薦めします。


ところで、もう皆さんお気づきでしょうが、「聖林寺・十一面観音像」の名前が、リストにありません。

聖林寺・十一面観音は、和辻が奈良博を訪れた大正8年(1918)から、この本が刊行された大正14年(1924)までの間に、聖林寺に戻ってしまったようです。

和辻は、「古寺巡礼」の文章中の注記に、このように書いています。

「これは大正8年のことで、その頃には入り口正面に向かって聖林寺の十一面観音、それと背中合わせに法隆寺の百済観音などが立っていた。
聖林寺の観音はその後数年を経て、寺に帰った。」


ここまで、大正末年頃の奈良帝室博物館の展示仏像は、どのようなものだったかを振り返ってきました。

今では考えられない傑作仏像ぞろいの展示であったことが、お判りいただけたかと思います。


次回は、これらの仏像達の、「展示の有様や、展示仏像の変遷」について、振り返ってみたいと思います。

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