観仏日々帖

古仏探訪~滋賀県高島市・保福寺の釈迦如来坐像


思いの他の、心に強く残る仏像に出会いました。

全く想定外でした。

こんなに「訴える力」がある仏像とは、思いもしていなかったのです。
写真で見た印象では、まとまってはいるが、おとなしい穏やかな感じの仏像のようで、インパクト不足のような気がしていたのです。

10世紀ごろの作とされ、重要文化財に指定されています。

保福寺・釈迦如来坐像~「仏像集成」掲載写真
保福寺・釈迦如来坐像~「仏像集成」掲載写真


保福寺・釈迦如来坐像~「古密教仏巡歴」掲載写真
保福寺・釈迦如来坐像~「古密教仏巡歴」掲載写真

これは、久野健氏編「仏像集成」と、井上正氏著「古密教仏巡歴」に掲載されていた写真です。
この写真を見て、私は、おとなしく穏やかな印象を持っていたのです。

その保福寺の釈迦如来像を、拝しに出かけようと考えたのは、井上正氏が、その著書「古仏」「古密教仏巡歴」に採り上げられていた仏像だからです。

この両著に採り上げられている仏像は67件ありますが、強烈な個性や気迫勝負の造形表現の仏像ばかりです。
私には、大変惹かれるものがあり、全件拝観すべく現在チャレンジ中です。
今回、保福寺像を拝して、残り5件にまで漕ぎ付けました。
何とか、あと数年のうちには、何とか全件拝観を達成したいものと願っています。


保福寺・釈迦如来像の拝観が、結構後回しになったのは、掲載写真を見て、
「是非とも拝してみたい!」
と、さほど思わなかったからです。

井上正氏が両著に採り上げている仏像は、アクが強いというか強烈な個性や、精神性を発散している仏像ばかりです。
異形な造形、歪んだ造型なのですが、不思議なオーラを発するような迫力のある仏像です。

そのなかで、保福寺・釈迦如来像は、写真で見ると、
「出来はよさそうだが、整った都風の仏像だなー」
「異形とか迫力とかという感じはしない、まとまった感じの造形の仏像だなー」
こんな感じがしていたのです。

井上正氏も、9世紀末から10世紀初頭の制作とみてよいのではないかと記されています。
8世紀に遡りうる可能性を、井上氏が指摘されている仏像ばかりが採り上げられている本のなかで、制作年代が随分下がるという判断をされている仏像です。
いわゆる「迫力とか精神性」とはちょっと縁遠い仏像なのだろうと思っていました。

そんなことで、保福寺・釈迦像は、後回しになっていたのです。

この4月、
「思い切って、訪ねてみよう!」
と、意を決して、
湖西・高島市まで出かけることにしました。


保福寺は、湖西線・新旭駅から、西へ2キロほどの処にあります。

もう一駅往けば、竹生島へ渡る船が出る、近江今津の駅という場所です。
このあたり湖西の地は、平安古仏の宝庫である近江の地の中で、あまりこれという仏像が残されていないので、私も仏像探訪に出かけるのは初めてです。

駅から、タクシーに乗りました。
「保福寺へお願いします。」
といっても、運転手さんも良く判らず、カーナビで調べてやっと着きました。
地元でもあまり知られていないようです。
訪れる人もあまりないのでしょう。

お寺の前には、町で建てた「保福寺」の案内看板があります。
看板には「ほふくじ」とありましたが、お寺でも観光ガイドでも「ほうふくじ」と呼ばれています。
坂をちょっと上ると、住居兼用の小さなお堂があり、そこが保福寺でした。

保福寺前の案内看板
保福寺前の案内看板

保福寺へ至る石段
保福寺へ至る石段

保福寺・本堂
保福寺・本堂

本尊釈迦如来像は、
「通常は秘仏として扉が閉ざされ」
と本に書かれていましたので、恐る恐るお願い状をお送りしたところ、拝観の了解をいただき、ご住職ご夫妻でお待ちいただいておりました。
ご住職ご夫妻は、大変、気さくでお人柄の方で、快く迎えていただきました。

本堂に上がると、立派な黒塗りの厨子が閉ざされており、その中に釈迦如来像が祀られています。

「観光などで、ついでに寄ったという方にはお断りしているのですが、
是非にご本尊を拝したいと、わざわざ訪ねてこられる方には、開扉して拝んでいただいているんですよ。」

とのことです。

厨子の前は、金襴の打敷や燭台などの仏具で荘厳されていましたが、わざわざ取り外していただき、お厨子を開扉いただきました。

保福寺・本堂内の、ご本尊安置の様子
保福寺・本堂内の、ご本尊安置の様子

「どうぞ、時間を気にしないで、ゆっくり拝んでいってください。」

と、おっしゃっていただきました。

厨子の中には、半丈六(像高142.3cm)の釈迦坐像が見えます。

その姿は、意外や意外、堂々たる姿です。

保福寺・釈迦如来坐像

保福寺・釈迦如来坐像
保福寺・釈迦如来坐像

遠目ながらも、「おだやかに整った」という雰囲気とは全く違いました。
広い肩幅、胸をドーンと張り、膝前が大きく横に張り出しているのが、印象的です。
それにも増して、眼を惹くのが、お顔の造形です。
重々しい神秘的な感じのする風貌です。

保福寺・釈迦如来坐像~上半身
保福寺・釈迦如来坐像~上半身

身の丈以上に、堂々たる重量感を感じます。
「存在感がある!」
とでもいうのでしょうか?
静かな造形ですが、「訴える力」と、強く感じる仏像です。

近づいて、眼近に拝しました。

肉身と顔部には、漆箔が施され、今は燻したような鈍く黒みがかった金色です。
衣の部分は、彩色であったようですが、今は古色となっています。
もともとは、朱衣金体の像であったのかもしれません。
衣文の彫りを見ると、結構浅い彫りで、やや定型化しているように思え、膝頭の周辺は衣文表現が省略されてしまっています。
渦文は、膝前の中心に、浅いものが一つ残されているだけです。
平安前期の仏像に見られるような、鎬だった鋭い彫口、抉るような彫り込みは、全く見られません。

保福寺・釈迦如来坐像~衣文の彫口
保福寺・釈迦如来坐像~衣文の彫口

このタイプの仏像は、全体から受ける印象も、穏やかにまとまった感じのものが多いのですが、この釈迦像、そうではないのです。

膝前が大きく横に張り出し、胸幅が広くハリも大きく強く造られた姿は、
「堂々たる、男の存在感」
のようなものを感じさせます。
身体の奥行きも、結構厚みがあるようです。

そして、一番の想定外は、お顔の表情、造形です。

保福寺・釈迦如来坐像~顔部
保福寺・釈迦如来坐像~顔部

穏やかな造りのようで、厳しく神秘的な空気感があるのです。
「静かなるなかにも、霊的に訴えてくる、奥深い厳しさ」
とでもいうのでしょうか。

どうしてでしょうか?

「突き出した唇、グリッと突き出した下アゴ」が、キリリとしまった印象を与えます。
「横幅の広い鼻梁」が、神秘的、霊的な雰囲気を醸し出しています。
大変面長なところも、締りを感じる要素なのかもしれません。

保福寺・釈迦如来坐像~顔部
保福寺・釈迦如来坐像~顔部

このお顔を拝していると、ふと、醍醐寺の薬師如来坐像のお顔を思い出してしまいました。
「幅広い鼻梁、突き出した唇」といった処が、そのような印象を感じるのでしょうか。
しかし、醍醐寺像の方が、穏やかでゆったり落ち着いた感じがします。
保福寺像の方が、キリリとしまった緊張感を感じます。

保福寺・釈迦如来坐像~顔部..醍醐寺・薬師如来坐像~顔部
保福寺・釈迦如来坐像~顔部            醍醐寺・薬師如来坐像~顔部

保福寺・釈迦像は、平安前期像に見られるような、森厳さ、精神性、迫力などを外に発散させる造形というのではありません。
造形はおとなしそうですが、ぐっと内面に秘めて訴えかけてくるものを感じるような気がします。
堂々たる重量感で、キリリとした男を感じる仏像ですが、威圧的というよりは、「静謐なる存在感」を強く訴えてくる仏像のように思いました。

後で知ったのですが、岩田茂樹氏は「湖西の社寺展」図録解説に、

「湖西地方を代表する優れた彫像である。」

と、記されています。

なんと、「湖西の社寺展」(昭和63年・琵琶湖文化館開催)の図録の表紙は、保福寺釈迦像のアップ写真で飾られていました。

「湖西の古社寺展」図録~表紙写真
「湖西の古社寺展」図録~表紙写真

「なるほど、納得!」です。
素晴らしい仏像に出会うことができました。



さて、この仏像の来歴や、制作年代について、ちょっとふれてみたいと思います。

伝えられるところによれば、この釈迦像は、裏山の大宝寺山に在った大法寺の本尊で、信長の兵火によって寺が廃絶し、保福寺に移されたものだそうです。
地元では「焼けのこりの釈迦」と呼ばれています。
大法寺の由来については不明で、保福寺は慶長年間中興開基と伝える曹洞宗の寺院です。
「焼けのこり」ということですが、今外観を見る限りでは、火中してひどく損傷したようには見えません。

宇野茂樹氏の「近江路の彫像」によると、江戸時代の修理銘札が見つかっていると記されています。

昭和2年(1927)に、本像の修理が行われた際、台座框座後方内部から、墨書の修理銘札が見出された。
延宝6年(1678)修理の時のもので、裏面に
「延宝六戊午年迄  七百七十年至也」
と墨書されている。

とのことです。

この銘札によれば、修理された延宝6年(1678)が、造像後770年目にあたると云うことで、延喜8年(908)に本像が造立されたことになります。

宇野氏は、
「修理時に何らかの造像期を示す資料があって、これによって木札お書いたものであろう。」
と述べられています。

他の研究者の解説を見ても、この銘札の信憑性の問題はさて置くとしても、およそ10世紀初頭ごろの制作とみてよいのではないかとの考えのようです。
10世紀初頭というと、ちょうど平安前期の精神性を強調した迫力ある造形から、「おだやかさ」の要素が中心となる造形に変化していく頃です。

構造を簡単に見てみると、

ヒノキの一木造で、頭体部は縦一材、左右に小材を寄せ、両足部は横一材。
内刳りは、背面及び像底から深く行われ、襟下から地付に至る大きな背板が充てられている。

とのことです。


ところで、専門家は、この釈迦坐像の表現などを、どのように解説しているでしょうか?

造形表現・制作年代についてふれた、二つの解説をご紹介します。

高梨純次氏の解説です。

「肉髻と地髪の境を不明瞭に大きく表し、表情も雄偉で、肉取りも豊かに量感を残す。
衣文も翻波式の余風を残しながら刻出し、膝前もやや扁平であるが、堂々たる張りを見せている。
これらの要素は極めて古様なもので、江戸時代の修理銘札から10世紀初頭の延喜年間の制作とする説もある。」
(滋賀の美・佛 湖南・湖西~1978年京都新聞社刊)


岩田茂樹氏の解説です。

「面貌には威風が感じられるが、眼は細く、口も小さくまとめられており、和らいだ造形感情があらわれはじめていることは否めない。
正面観においては、広い肩幅と圧倒的な膝の張りが目につき、二次元的な広がりの印象に強いものがある。
しかしいったん側面にまわるや、面部の奥行きといい胸の厚みといい相当なもので、量感を存分にたたえている。
翻波をまじえた衣文の刻出はさほど深くなく、前述のやわらいだ風貌とともに時代の下降を物語る要素ともいえるが、一方では、いかにも平安初期彫刻らしい量感を残している点に注意したい。」
(湖西の社寺展図録~1988年琵琶湖文化館刊)


岩田氏の解説を読んでいると、この釈迦坐像には、平安前期の森厳、重厚、量感という要素と、平安中期の和様化といわれる穏やかさ、和らぎといった要素が、混在一体となっている様子が、良く読み取れます。


次に、この像の表現、類例について、醍醐寺薬師如来像などとの比較について述べたものをご紹介します。

醍醐寺薬師像は、延喜7年~13年(907~913)頃に、会理によって造立されたと考えられていますので、保福寺釈迦像が、修理銘が伝える延喜8年(908)の造立だとしたら、ほぼ同時期の制作ということになります。

宇野茂樹氏は、このように述べています。

「この保福寺(釈迦像)の構造は、醍醐寺(薬師如来坐像)の構造と非常に近いものがあるが、外面の形相は、造像期がほとんど伯仲するにもかかわらず遠いものがある。」
として、以下のような考えを記されています。

その形相の違いは、
当時講堂諸像に代表される東蜜系彫刻と、延暦寺・千手観音、園城寺・十一面観音など檀像系の系譜にある天台系彫刻の差異
に根差すものであろう。
(近江路の彫像~1974年雄山閣刊)

もちろん、醍醐寺像が東蜜系で、保福寺像が天台系ということです。


一方、井上正氏は、このように述べています。
慈尊院・弥勒如来坐像
慈尊院・弥勒如来坐像


「半丈六の大きさも手伝って、この如来の伸びのした造形は拝者を小さな者に感じさせ、包み込んでしまうような迫力がある。

・・・・・・・

お顔の眼のあたりには、一種天平風の漂うのを感ずることもあるが、見入るほどに全体は、醍醐寺薬師三尊像や、寛平4年(892)の慈尊院弥勒仏像、あるいは焼損時の写真に見る東寺食堂千手観音立像など、九世紀末から十世紀初頭に至る会理の作風との類同性が思われてくるのである。」
(古密教仏巡歴24・日本美術工芸603号~1988.12刊、のちに古密教仏巡歴~2012年法蔵館刊所収)


醍醐寺薬師像と保福寺釈迦像との比較について、
井上氏は、「作風との類同性がある」といっていますが、
宇野氏は、「外面の形相は・・・・遠いものがある」と、明確な差異があるとしています。
全く違う見解となっています。
このあたりの処の、表現の見方や解釈は、よくわかりませんが、なかなか難しい面もあるようです。

醍醐寺・薬師如来坐像
醍醐寺・薬師如来坐像

保福寺・釈迦如来坐像
保福寺・釈迦如来坐像


醍醐寺・薬師如来坐像~顔部..保福寺・釈迦如来坐像~顔部
醍醐寺・薬師如来坐像~顔部            保福寺・釈迦如来坐像~顔部

皆さんは、どのように感じられるでしょうか?

私は、保福寺釈迦像を拝しお顔を見たとき、「醍醐寺薬師如来のお顔を思い出した」というのが、素直な第一印象でした。
「幅広い鼻梁、突き出した唇」というところが、そのような印象になったのだと思います。
ただ一方で、保福寺釈迦像の方が、よほど厳しく締まった印象を持ちました。
醍醐寺薬師の方が、ゆったり落ち着いて穏やかなように思えます。


どうも、この保福寺・釈迦像は、同じ仏像なのに、観方によって、ずいぶん違って見られるようです。

「湖西の社寺」の解説をみても、
「面貌には威風 和らいだ造形感情 量感を存分に やわらいだ風貌」
といった、一見相反するキーワードが、同居しています。

丸山尚一氏などは、

「眼、鼻のくまどりの深い明確な面取りの表情は、いかにもあくの強い顔である。
それに高い螺髪と大きな耳が一層特異の造形を作り、それが胸の厚みへと呼応して。この土地のにおいを感じさせる貞観仏になっている。」
(地方の仏たち 近江・若狭・越前編~1996年中日新聞社刊)

と書かれており、「アクが強く・・この土地のにおいを感じさせる」という印象です。

私は、この仏像に、そのような地方性は感ぜず、中央作ではないかと思いました。
また、穏やかさというよりは、
「厳しめの、キリリと締まった存在感」
といった訴えてくる力を、強く感じました。

「どうして、印象がまちまちなのかな?」

と思いながら、いろいろな写真を眺めていると、写真によって随分と受ける感じが違うことに気がつきました。

いくつかの写真をご覧ください

保福寺・釈迦如来坐像~「ブッダ展」図録掲載写真(1998)
保福寺・釈迦如来坐像~「ブッダ展」図録掲載写真(1998)

日本美術全集「密教寺院と仏像」掲載写真
日本美術全集「密教寺院と仏像」掲載写真

湖西の社寺展図録~掲載写真
湖西の社寺展図録~掲載写真

丸山尚一「地方の仏たち」掲載写真
丸山尚一著「地方の仏たち」掲載写真

保福寺にて拝見した写真
保福寺にて拝見した撮影写真

どうも、目線の角度が下から見上げるようになると、厳しく雄偉に見え、目線の角度が上がり上の方から見ると、おだやかで和やかに見えるようです。

私は、見上げるように拝しましたので、厳しくキリリと締まった堂々たる印象が強くなったのかもしれません。

この保福寺の釈迦如来坐像、まさに10世紀初頭という、平安前期の厳しく量感溢れる要素と、平安中期の穏やかでやわらかい要素が、一つの像の中に同居しているということなのかもしれません。
観る角度や照明の具合などによって、その混在した要素のどこかが強調されて映るのでしょうか?

それが、まさにこの像が10世紀初頭の彫像であるというのを、物語っているような気がします。



保福寺の釈迦如来坐像。

心に残る、平安古仏でした。


「湖西地方を代表する優れた彫像」

そのとおりだと思いました。


思い切って、わざわざ高島市まで出かけた甲斐がありました。
また、ご住職夫妻には、たった一人の拝観に、本当に親切にして頂きました。
奥様には、なんと次に訪ねるお寺まで、車でお送りいただきました。

釈迦像を拝した感動と、ご住職夫妻への感謝を抱きつつ、保福寺を後にしました。
是非とも、いずれ再訪したいものです。


皆様、機会がありましたら一度拝されることをお薦めしたい仏像です。

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