観仏日々帖

古仏探訪~奈良・生駒郡三郷町・観音寺の地蔵菩薩立像


「奈良・京都のかくれ仏」のご紹介をはじめましたが、最初は、奈良市・法華寺町の地蔵菩薩像をご紹介でした。

地蔵菩薩のご紹介から始めましたので、とりあえず「地蔵菩薩シリーズ」で行ってみようかなと思います。

前回紹介の、法華寺町の地蔵菩薩像の写真を見ていると、この地蔵像のことを連想してしまいました。

生駒郡三郷町にある観音寺の地蔵菩薩立像です。

なかなか雰囲気のある、平安古仏の地蔵菩薩立像です。

三郷町観音寺・地蔵菩薩立像
三郷町観音寺・地蔵菩薩立像


法華寺町・地蔵菩薩立像
法華寺町・地蔵菩薩立像


二つの地蔵菩薩像、それぞれの写真を見て、どのように感じられたでしょうか?
良く見ると、姿かたちは随分違うのですが、どこか空気感に通じるようなものがあるような気がします。

法華寺町・地蔵菩薩像は無指定ですが、観音寺・地蔵菩薩像は重要文化財に指定されています。
重要文化財に指定されている割には、あまり知られてはいません。
訪れたことのある方は、あまりいらっしゃらないのではないでしょうか?
知られざる平安古仏の「かくれ仏」と云って良いのかもしれません。


観音寺を訪れたのは、2年少し前、2011年12月のことです。

私も、この仏像のことは知らなかったのですが、法隆寺のある生駒郡近辺に、見るべき平安古仏は無いのだろうかと、仏像関係書をあたっていましたら、観音寺・地蔵菩薩立像が、
「平安中期頃の制作とみられ、重要文化財に指定されている」
と、書かれているのを見つけました。
「これは、一度拝してみたいものだ」
と、出かけてみたのです。

観音寺は、奈良県生駒郡三郷町立野北という処に在ります。
王寺駅から生駒駅を結ぶ近鉄生駒線の、信貴山下駅というのが最寄り駅です。
ちょっと不便な処です。

ご住職に、ご拝観のお願いの書状を差し上げましたら、御了解をいただき、同好の方々と出かけました。

駅から歩いて10分ほどの高台の住宅地に、ひっそりとあるお寺です。
お寺は、車の入れない曲がりくねった細い坂道の先に在ります。
車で出かけた我々は、お寺から少々離れた処に車を停めて、訪れました。

こじんまりした小さなお寺ですが、山門を入ると庭園風の境内のなかに立派なお堂がありました。

観音寺
観音寺・山門

観音寺・本堂
観音寺・本堂

ご住職がお迎えいただき、丁寧なご説明を伺ったあとに、地蔵菩薩像を拝しました。
地蔵菩薩像は、客仏のようです。
本尊・阿弥陀如来に向って左側の、狭い場所に祀られていました。

観音寺の沿革は、定かではないようです。
観音寺本堂の創建は、鬼瓦に江戸時代の明和2年(1765)と書かれており、250年ほど前になるそうです。
それ以前から、観音寺は存在していたようで、本堂建設の随分前から観音菩薩を祀った庵があり、それ故「観音寺」の寺名になったと伝えられます。
いずれにせよ、平安古仏の地蔵菩薩像は、いつの時か、いずれの処から、この観音寺に移されてきたのは間違いありません。

地蔵菩薩像の傍まで近寄って、眼近に拝することが出来ました。
像高121.8㎝の一木彫の仏像です。

観音寺・地蔵菩薩立像

観音寺・地蔵菩薩立像上半身
観音寺・地蔵菩薩立像


「法華寺町の地蔵菩薩立像を、なぜか思い出す」

拝した時の、パッと見た第一印象です。

どちらの像も、像高が同じぐらいで、煤けたような黒い色の木肌になった平安古仏の地蔵像なので、似ているように感じてしまいます。
像高は、法華寺町像が135㎝、観音寺像が122cmです。

もう少しよく見てみると、

・広葉樹の堅木に彫られているように見えること。
・体躯のボリュームの割に、衣文の彫りが浅目で、簡素な線の衣文であること。
・奈良に在りながらも、在地仏師によって造られたような、洗練されない造形であること。

なども、似通っている点であることに気が付きます。

こんな共通点が、この二つの地蔵菩薩像に、同じ空気感を感じさせるように思います。


第一印象では、このように感じたのです。
しかし、じっくりよくよく拝すると、2つの地蔵像、随分違った処があるようです。

観音寺の地蔵菩薩像は、衣文の彫りがなかなかシャープで、鎬も立って彫り口の出来が随分良いように思えます。
流石に重要文化財に指定されているだけのことはあります。
ただし、衣文が簡素で、結構定型化していています。
のびやかさがなくなって、形式化が進んでいるようです。

観音寺・地蔵菩薩立像衣文..法華寺町・地蔵菩薩立像衣文
観音寺・地蔵菩薩像と法華寺町・地蔵菩薩像の衣文

ボリューム感は、観音寺像のほうが、分厚い体躯でしっかりあるのですが、平安前期特有の迫力やパワーを発散させているようには感じません。
丸顔の表情や、定型化した衣文など、むしろ「穏やかな雰囲気」を感じさせます。

観音寺・地蔵菩薩立像側面(美術院修理時写真)...観音寺・地蔵菩薩立像正面(美術院修理時写真)
観音寺・地蔵菩薩像側面と正面~体奥分厚くボリューム感がある
(大正14年・1924美術院修理時の写真)


法華寺町の地蔵菩薩像が、

「粗野さや野性味を発散させ、土臭いエネルギーのようなものを感じさせる」

のに対して、

観音寺の地蔵菩薩像は、

「ボリューム感はあるが、上品でおだやか」

という印象です。

鼻筋や口唇の表現を見ても、法華寺町像の方がキリリとした厳しい雰囲気を少し残しているのに対して、観音寺像の方は扁平な丸顔で、やわらかでなごやかな表現になっているようです。

観音寺・地蔵菩薩立像顔部..法華寺町・地蔵菩薩立像顔部
観音寺・地蔵菩薩像と法華寺町・地蔵菩薩像の顔部

やはり、この差は、制作年代の差を物語っているのでしょうか?
法華寺町像を9世紀後半~10世紀前半に置くとすれば、観音寺像は10世紀後半ぐらいに置きたくなってしまいます。
両像の、出来の良し悪しは別にして、造形表現を見ると、それくらいの差があっても良いのかなという気がします。


解説書には、どのように書かれているでしょうか。

「仏像集成」(学生社刊)では、猪川和子氏がこのように解説されています。

「この地蔵像は、平安初期風を残している古朴な像である。
頭から体躯まで一木造、背面から内刳りをし、背板をあてる。
頭部低目に面相は異相を示している。
肩が盛り上がり、肉身は豊かで、衣の襞に翻波式衣文をあらわすが、簡素な線で浅く彫る。
足先、台座は後補。 平安時代。」


「仏像を旅する・奈良」(至文堂刊)では、浅見龍介氏が、このように解説されています。

「観音寺の木造地蔵菩薩立像は、桂(カツラ)の一材から彫成し、背面から内刳りを施し、背板をあてる。
そして、台座に足枘で立つ。
内刳りと足枘立ちの二点がこれまで見てきた法隆寺・融念寺・法輪寺像と異なる点で、前述のこれらの像は内刳りを施さず、台座蓮肉まで本体と共木で造る。
観音寺像は、やや穏やかになった面相とあわせ、平安中期の作と考えられる。」
(斑鳩・生駒の仏像)

法隆寺・地蔵菩薩立像(元大御輪寺)
法隆寺・地蔵菩薩立像(元大御輪寺)


融念寺・地蔵菩薩立像......法輪寺・地蔵菩薩立像
融念寺・地蔵菩薩立像..........法輪寺・地蔵菩薩立像

二つの解説を読むと、共に、古様ではあるが、造像技法、造形表現などから見て、平安中期ぐらいの制作とみられているように、受け取れます。

また、観音寺像は内刳りがありますが、法華寺町像は内刳りのない一木彫です。
この点も、法華寺町像のほうの古さを物語っているようです。
ただ、内刳りの有り無しだけで、制作時期の古さを判断するわけにはいかないでしょう。
平安初期以前の制作の元興寺薬師如来像にも、しっかり内刳りがあります。


もうひとつ気になるのは、この観音寺地蔵像の用材のことです。
どうもはっきりしないのです。

・浅見龍介氏は、「仏像を旅する・奈良」では、「桂(カツラ)材」
・「日本美術院彫刻等修理記録Ⅴ」には、「桜(サクラ)様の材」(大正14年修理)
・観音寺さんから頂いた「お寺の解説パンフレット」には、「欅(ケヤキ)の一木造り」

と、それぞれ書かれています。

広葉樹材に彫られていることには間違いないのですが、本当は、いずれの用材で彫られているのでしょうか?

奈良県の中南部の平安古仏の用材には、桜(サクラ)と欅(ケヤキ)を用いたものが間々みられますので、このいずれかの材であれば、すんなり理解できるようにも思えるのですが・・・・?
直に拝した時には、用材のことにまで頭が至っていませんでしたので、像の用材の感じについてはよく覚えてません。

小原二郎氏によると、
「ケヤキ系の木は堅くて重く、加工が難しいうえに、狂って割れやすい。
そのうえ肌がざらざらであるから、漆や彩色の仕上げにも向かなかったはずである。」(日本人と木の文化)
とのことです。

法華寺町・地蔵像は、欅(ケヤキ)材に彫られているのですが、この小原氏の説明どおりで、ざらざらした木肌で、堅木の硬質感を感じさせます。

観音寺像のほうは、写真で見ると、法華寺像ほどにはざらざらした感じや、硬質感を感じさせないので、ケヤキ材ではないのかもしれません。


最後に、この地蔵像の伝来について、ちょっと面白い話が書いてある本を見つけました。

「奈良のかくれ寺~訪ねてみたい古寺88~」大石眞人著 H4・山と渓谷社刊

という本です。

この本自体は、いわゆる旅のガイドブックなのですが、この地蔵像の来歴について、当時の観音寺ご住職から聞いた話として、このように書かれています。

「これが、実に数奇な運命を持つお地蔵さまなのである。
この地蔵さまは、かなり汚い。
それも道理、この像は大和川の向こう岸にあった刑場で、絞首刑になる罪人の刑の執行に立ち会い、その菩提を弔うために立っておられたのであった。
そのため、この像は平安中期の作とはわかっても、世をはばかって銘、文字の類は一切刻されていない。
・・・・・・・・・・
松永弾正の死後、ここに移されたという。」

大和国の戦国大名、松永弾正久秀が自爆死したのが、天正5年(1577)のことですから、この話によると、地蔵菩薩像が観音寺に移されたのは、その頃ということになります。

この来歴話、何処まで信じてよいのか、よく判らない話のように思えます。
江戸頃の創建の観音寺に、このような平安古仏が、何処から、どうして祀られているのか?
そんな不思議話の由来として、もっともらしく伝えられたのかもしれません。
地蔵菩薩は、お墓の入り口などにしばしば祀られることから、こんなちょっと気味悪い話が、伝えられたのでしょうか?
黒くすすけた地蔵像の前に立ち、お姿を拝していると、この由来話も、そんな気になってきます。


法華寺町像、観音寺像と、

「広葉樹に彫られ、黒く煤けた木肌の、平安古仏の地蔵菩薩像」

を、ご紹介しました。

三郷町・観音寺の地蔵菩薩像は、重要文化財に指定されおり、加えて平安中期の一木彫像です。
もっと、もっと知られていても良いように思いますが、一般の仏像ガイドなどに紹介されていることは、まずありません。
また、専門的な仏像の本にも、この像が採り上げられていることは、あまり無いようです。

近鉄・信貴山下という、大変不便なところに在り、車で直接行きにくいということもあるのでしょう。
この仏像を拝しに観音寺を訪れる人は少なく、「かくれ仏」になっています。

なかなか立派な一木彫の平安古仏です。
写真でもご覧いただいたように、一度は拝する値打のある地蔵菩薩像だと思います。

何かの機会に、訪ねて見られてはいかがでしょうか。

コメント

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  • 2014/03/12(水) 17:25:15 |
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お尋ね

お尋ねいたします、観音寺の宗派を教えて下さい。

Re: お尋ね

浮田様

生駒郡三郷町の「観音寺」は、現在、融通念仏宗の寺院です。

観音寺は融通念仏宗の道場として、江戸時代の明和2年(1765)に建立されたということです。
寺に遺された鬼瓦にそのように記されているそうです。
しかし、それ以前から寺院としての観音寺は存在していたようですが、何時から存在したのかについてはよく分かりません。
本堂建設の随分前から、この地に小さな庵があり、観音菩薩を御祀りしていたので、観音寺の寺名になったものと思われます。

以上、観音寺でいただいた「お寺の案内」にそのように書かれています
よろしくお願いします

管理人

  • 2016/09/13(火) 21:40:36 |
  • URL |
  • 神奈川仏教文化研究所 #-
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