「明治の古社寺宝物調査」の記録、図譜、写真など【その1】に続いて、【その2】をご覧いただきたいと思います。
3.明治17年・京阪地方古社寺調査
明治17年(1884)、岡倉天心は、フェノロサ、ビゲローなどと共に文部省令により、古社寺調査を実施しました。
千古の秘仏と云われた、法隆寺夢殿の救世観音像を開扉したのは、この時のことです。
夢殿開扉の話は、有名な話ですので、皆さんも良くご存じのことと思います。
この時の調査記録のことは、よく判らないのですが、
救世観音像開扉の有様については、フェノロサ、岡倉天心がともに、その想い出を語っています。
二人の著書にそれぞれ収録されていますので、ご紹介します。
「東洋美術史綱(上・下)」フェノロサ著・森東吾訳(S53)東京美術刊
法隆寺夢殿・救世観音像 明治21年・小川一真撮影 |
稀世の宝物の拝観に熱心な我々は、説得に手を尽くして、寺僧に開扉を迫った。
彼等は、冒涜に対する罰として地震が起こり、寺が壊れるだろうと主張して、あくまで抵抗を試みた。
だが説得はついに功を奏し、長年使用されることのなかった鍵が、錠前の中で音を立てたときの感激は、何時までも忘れることが出来ない。
厨子の扉をひらくと、木綿の布を包帯のように幾重にもキッチリと巻きつけた背丈の高いものが現れた。・・・・・
この布は500ヤードほど用いられていて、これを解きほぐすだけでも容易ではない。・・・・
ついに巻きつけてある最後の覆いが取り除かれると、この驚嘆すべき世界無比の彫像は、数世紀を経て、初めて我々の眼前に姿を現したのである。」
岡倉天心全集 第6巻「日本美術史」(S56) 平凡社刊
「余は明治17年頃、フェノロサ及加納鉄哉と共に、寺僧に面して開扉を請うた。
寺僧の曰く、これを開ければ必ず雷鳴があろう。
明治初年、神仏混淆論の喧しかった時、一度これを開いた所、忽ちにして一天掻き曇り雷鳴が轟いたので、衆は大いに怖れ、事半ばにして罷めたと、前例が斯くの如く顕著であるからとて容易に聴き容れなかったが雷のことはわれ等が引き受けようと言って、堂扉を開き始めたので寺僧は皆怖れて遁げ去った。
開けば即ち千年の鬱気粉々と鼻を撲ち、殆んど堪える事も出来ぬ。・・・・・
像の高さは七、八尺ばかり、布片経切等を以って幾重となく包まれている。
人気に驚いたのか蛇や鼠が不意に現れ、見るものを愕然たらしめた、やがて近くからその布を去ると白紙があった。
先の初年開扉の際、雷鳴に驚いて中止したと言うのはこのあたりであろう。
白紙の影に端厳の御像を仰ぐことが出来た。実に一生の最快事であった。」
4.明治19年・京阪地方古社寺調査
これも、文部省令により、天心、フェノロサ等が実施した古社寺調査です。
この古社寺調査のときに作られた、調査資料などをご紹介します。
【美術品保存ニ付意見及び美術品目録】
岡倉天心は、この古社寺調査の結果を踏まえて、宮内省図書頭(ずしょのかみ)・井上毅に、「美術品保存ニ付意見及び美術品目録」という意見書を提出しています。
調査の成果を踏まえ、寺社が所有する美術品について、行政機関による保護活動が急務であることについて、具体的方法を述べています。
また、自ら見聞した美術品リストも添付しています。
「今日ニシテ其ノ保存ニ着手セサレハ 我日本ノ名誉タル東洋美術品ハ 数年ヲ出スシテ散失滅亡シ 悔ユルモ亦及ハサルニ至ルヘシ 豈注意セサルヘケンヤ」
というくだりは、天心の思いに心撃たれるものがあります。
この意見書・美術品目録は、
岡倉天心全集 第3巻(S56) 平凡社刊
に収録されています。
【奈良古社寺調査手録】
岡倉天心の古社寺調査の手控えメモのようなものです。
調査した古美術品が日付順に列記され、一言コメントされているだけですが、天心の美術品評価の見方を伺うことは出来るものです。
例えば、東大寺法華堂執金剛神は、このような記述です。
「古唐画ノ風アリ 東坊寺ノ韋駄天ニ似タリ 赤身 二等トシテ ○(丸の中に+の印がつけられている)ノ方」
(○に+のマークは三段階中の二等という意のようです)
奈良古社寺調査手録は、
岡倉天心全集 第8巻(S56) 平凡社刊
に収録されています。
【奈良官遊地取】
調査に同行した、狩野芳崖のスケッチ集というべきもので、全12巻の巻子本になっています。
あの有名な「悲母観音」の作者の芳崖です。
法隆寺・救世観音、中宮寺・弥勒菩薩、興福寺・無着像などが、線描で描かれています。
奈良官遊地取は、東京芸術大学の所蔵で、
東京芸術大学美術館 収蔵品データベース(検索キーワードに「奈良官遊地取」と入力)
で画像を見ることが出来ます。
また、
美術研究286号(S48)
にも収録されています。
5.明治21年・近畿地方宝物調査
この調査については、前回の【「日出新聞」記者金子静枝と明治の京都・明治21年古美術調査報道記事を中心に】に詳しく記した通りです。
古社寺宝物が、美術品として国家によって文化財指定され、保存保護されることになる画期的な調査でした。
この時の調査資料や、写真などで残されているものは、次のようなものです。
【近畿宝物調査手録・古社寺調査メモ】
岡倉天心の古社寺調査の手控えメモです。
内容は、明治19年調査の時の「奈良古社寺調査手録」と同様のものです。
近畿宝物調査手録・古社寺調査メモは、
岡倉天心全集 第8巻(S56) 平凡社刊
に、収録されています。
【日出新聞・古美術調査報道記事】
前回ご紹介したとおり、
「日出新聞」記者 金子静枝と明治の京都~明治21年古美術調査報道記事を中心に~
竹居明男編著 (2013.11) 芸艸堂刊
が、刊行されました。
【写真師・小川一真撮影写真】
小川一真は、米国洋行帰りの一流写真師で、後に帝室技芸員にまでなった人です。
小川は、この調査に写真師として同行し、膨大な古社寺、美術品写真を撮影しています。
この時撮影した写真は、東京国立博物館に所蔵されていますが、データベースに公開されている写真枚数は7776枚と、びっくりするほどの膨大な量です。
明治5年壬申検査の時、横山松三郎が撮影した写真には仏像があまりありませんでしたが、小川一真は数多くの美しい仏像写真を撮影しています。
この頃には、仏像が、美術作品として評価、認知されていったことを物語るものだと思います。
小川一真がこの調査で撮影した写真は、
東京国立博物館 情報アーカイブ 古写真データベース (撮影者一覧・小川一真を選択)
で、すべて見ることが出来ます。
余りに膨大な量なので、見るだけでも本当に大変ですが、興味深い写真がたくさん残されています。
また、この調査の時小川の撮影した写真は、当時の豪華美術書「真美大観」の掲載写真に使用されています。
真美大観は、わが国最初の美術全集で、明治22年から20冊刊行されました。
豪華な多色木版画と小川一真のコロタイプ写真で、明治の豪華美術書として名を残している本です。
「真美大観」は、
国立国会図書館 近代デジタルライブラリー (検索キーワードに「真美大観」と入力)
で見ることが出来ますが、モノクロで不鮮明な処があり、鑑賞には向きません。
【記事珠】
古社寺調査に同行していた、今泉雄作の「自筆の日記」です。
今泉雄作は、今ではあまり知られていませんが、岡倉天心とともに近代日本の美術行政を支えてきた人物です。
明治20年から大正2年にかけて、全38巻からなり、とくに彼が鑑定や調査を行なった美術工芸品が略図を交えながら詳細に記録されています。
岡倉天心の調査手録が、簡略なメモであるのに対し、「記事珠」には、調査品目についてのメモのほかに紀行文風の記述や人事に関する記述も含まれ、資料的価値には高いものがあるとのことです。
この日記は、長らく知られずに埋もれていて、近年、発見確認されたそうです。
現在、東京文化財研究所で、公開に向けての調査研究が進められているとのことです。
6.明治32~36年・古社寺保存会による古社寺調査
「古社寺保存法」が制定された明治30年(1897)以後は、古社寺保存会によって、古社寺宝物調査が続けられました。
岡倉天心は終生、古社寺保存会委員の地位にあり、多くの古社寺調査に同行しました。
これらの調査の成果により、明治30年に指定された「国宝」の追加指定が、続々となされていくことになります。
明治30年の初年度指定件数が155件であった国宝は、明治末年には、約2400件が指定されるに至りました。
また、初年度指定件数が44件であった特別保護建造物は、明治末年には、約800件が指定されました。
この古社寺保存会による一連の調査については、六角紫水が、次のような調査日記を残しています。
【六角紫水の古社寺調査日記】
六角紫水は、この間に実施された何度もの調査(7回かと思われる)のほとんどに参加しています。
六角紫水は我が国近代漆工芸界の草分けといわれる漆工芸の大家で、中尊寺金色堂をはじめ漆工芸装飾の修復にも大きな貢献を果たした人です。
「巡回日記」「調査録」「調査回想記」と称した、詳細な調査日記を残しました。
六角紫水という人は、なかなか軽妙な人であったようで、「古社寺調査回想記」などを読んでいると、漫談を呼んでいるようで、本当に愉しく面白いものです。
「日本美術発見の旅」のありさまや面白いエピソードを知ることができ、誠に興味深いものです。
地方の調査が中心で、奈良京都とは違って優れた作品に出会えることは少なく、落胆の連続であったようですが、紫水にとっての「日本美術の発見」の最快事は、観心寺の秘仏・如意輪観音像の発見でありました。
「観心寺の本尊は秘仏で、有名な極彩色の如意輪観音である。
拝むと、藤原式の非常に立派な彩色がその儘残っていて、その顔は、身も心も蕩ける様な素晴らしい仏像である」
拝むと、藤原式の非常に立派な彩色がその儘残っていて、その顔は、身も心も蕩ける様な素晴らしい仏像である」
と、発見の喜びを回想記に記しています。
紫水の諸記録は、
「六角紫水の古社寺調査日記」 吉田千鶴子・大西純子編著 (H21) 東京藝術大学出版会刊 【332P】 2900円
で復刻されており、読むことが出来ます。
以上で、
明治期に実施された古器物・古社寺宝物調査の有様を伝える調査記録、図譜・写真
などの、ご紹介はおしまいです。
余りにも、マイナーで単調で、途中で読むのをやめてしまった方の方が多かったのではないかと思います。
意気込んで書いてみた私自身も、「興味関心のある分野」とはいうものの、唯々資料の羅列で疲れてしまい、途中で、
「もうやめようか!!」
と、何度も思ってしまった次第です。
愉しく読みやすい「観仏日々帖」をめざしているつもりなのに、反省しきりといった処です。
疲れながらも、お付き合いいただき本当にありがとうございました。
ただ、明治の古社寺の古美術品調査の歴史を振り返り、当時の有様を調べたり、古美術品の見方や評価の変遷を知るための資料検索の一助になればと願うばかりです。