観仏日々帖

古仏探訪~茨城県桜川市  雨引山楽法寺・観音菩薩立像


永年念願であった、楽法寺の秘仏・延命観音像を拝することが出来ました。

楽法寺・延命観音像は、「茨城県の平安木彫では最古」といわれる古像なのですが、普段は厳重な秘仏にされています。
その昔は、拝観も可能であったようなのですが、近年は、まず拝観するのが難しいとされる仏像なのです。

楽法寺・延命観音立像
楽法寺・延命観音菩薩立像

3年前、2010年9月に、「地方仏フォーラム」主催の茨城仏像見学会が開催され、その折拝観できたのですが、私は残念ながら都合がつかず、参加することが出来ませんでした。

当分は、拝するのは無理かなと思っていましたら、この11月(2013年)、こんなツアーが開催されるのを見つけたのです。

「雨引観音秘仏・本尊特別拝観と、五浦美術館で国宝・重文を鑑賞する旅」

雨引観音・秘仏拝観ツァーパンフレット
雨引観音・秘仏拝観ツァーパンフレット
天心記念五浦美術館で開催される「岡倉天心と文化財展」の記念イベントとして、美術館と朝日ツアーとで企画された日帰り旅行です。
茨城県文化財保護審議会委員の後藤道雄氏が、講師として同行されることになっています。

「この機会、逃してはならじ!!」

と、同好の方を誘って参加しました。

40名定員のバスツアーだったのですが、希望者多数で定員オーバー、参加できなかった人のいたという盛況です。


東京・丸の内からバスで2時間半程、筑波山に連なる山々を見はるかす田園風景を往くと雨引山という山があります。
この山に登っていく曲がりくねった急坂を行くと、雨引山の山上近くに楽法寺がありました。

楽法寺・パンフレット
楽法寺・パンフレット
寺伝では、用明天皇2年(587年)、梁の国人の法輪独守居士によって開かれたと伝えられています。

結構、大きな立派なお寺なのに、びっくりしました。
坂東霊場三十三観音の二十四番札所だそうです。
地元では「安産、子育て」にご利益ある観音さんとして、多く人々のの信仰を集めているようです。

この日は、11月16日(土)だったのですが、山門をくぐり石段を上って本堂に辿りつくと、七五三参りの親子連れで大盛況です。
お参り、御祈祷、写真撮影などなどで、人がごった返して溢れているような感じの賑わいでした。


楽法寺・山門..楽法寺・本堂
楽法寺・山門                楽法寺・本堂

到着すると、本尊・延命観音ご拝観の前に、全員本坊に上げていただき、講師の後藤道雄先生から仏像についての説明がありました。
この木彫像が
「平安前期、9世紀後半の制作であると考えられる~茨城県の木彫仏では最古~」
ということについて、詳しく丁寧な解説がありました。

後藤道雄氏
講師の後藤道雄氏

後藤道雄氏は、皆さんご存知かと思いますが、茨城県の仏教彫刻研究の第一人者です。
茨城彫刻史研究

「茨城彫刻史研究」(2002年・中央公論美術出版刊)

という大著を出されており、現在は、茨城県文化財保護審議会委員をされています。


後藤先生の説明の場には、皆に茶菓が供せられ、ご住職、長老の先代ご住職が共々出てこられて丁重なご挨拶がありました。
この延命観音像の詳細な調査をされたのが後藤氏で、楽法寺の皆様とは、長年大変ご懇意にされている様子です。
今回の秘仏御拝観は、後藤道雄氏からの口添え、講師同行であったからこそ実現できたのではないかというように思えました


さて、いよいよ本尊・延命観音のご拝観です。

本堂の脇にコンクリート造りの収蔵庫があり、そこにご本尊が安置されています。
読経の後、鉄扉の前に据えられた石造の観音を横にずらして、収蔵庫が開かれ、ご拝観となりました。

楽法寺・収蔵庫
楽法寺・収蔵庫

収蔵庫には、中央にに本尊・延命観音が祀られ、その隣に鎌倉時代の後半といわれる前立観音像が安置されています。
収蔵庫では、眼近に近づいて拝することが出来ました。

像高156.5㎝、カヤ材の一木彫、彩色像(剥落)です。

楽法寺・延命観音立像正面
楽法寺・延命観音立像正面

「9世紀、平安前期の迫力あふれる仏像」

のイメージと期待を抱いて、お像を拝したのですが、意外にも、

「ちょっと優しいお顔で、衣文の彫りがずいぶん浅い」

というのが、第一印象です。

写真で見た時には、もっと鋭い彫りでボリューム感もある、平安前期特有の迫力を前面に感じる像かと期待していたのです。

ところが、
楽法寺・延命観音立像
楽法寺・延命観音立像顔部

「顔の表情が、意外に優しく穏やかな表情をしているのです。衣文の造形などは、やや平板で硬い感じがします。」

予想外という印象です。

古様ではあるのですが、立体的な躍動感が少ないのです。
存外、時代が下がるのでしょうか?
彫刻をモデルにして彫ったというより、平面画像を手本にして立体彫刻に彫ったのかも知れないと思わせるような平板さも感じます。

本HPの「貞観の息吹」のコーナーで、本像を採り上げられている高見徹氏も、このように書かれています。

「面相は巾広で大振りの目鼻立ちを配し、表情は穏やかで大人しい。
・・・・・・・・・
また膝下には翻波式衣文を表しているが、彫り口は硬直化しており、やや定型的になっている。
茫洋とした面相とこれらの特徴的な像容は、一種の地方作的特徴ともいえる」


後藤先生からは、

「第一印象では、時代が下がって見られがちなのだが、実際はそうではないのだ」

と、このようなご説明がありました。

「この像は、その彫りが一見浅くみられることや、両眼を伏し目ふうに造っていることなどから、平安中後期、いわゆる藤原時代に年代を下げて考える説もあるのですが、よく見ていくと、そのようには考えられません。」

後藤氏は、本像が9世紀後半の制作と考えられる事由について、著書「茨城彫刻史研究」でこのように述べられています。

「このような簡古な構造に加えて、すべて髪筋を刻まない大き目の髻、切れ長の両眼に太い鼻筋をもつ下顎の張った強い顔立ち、肩幅の広い量感と抑揚に富んだ体躯、石帯の刻出、両足の間を彫り込んで腿の量感を強調する造形、W字状に翻転して垂れる天衣、裙の折返しの縁や正面の打ち合わせにみられるうねうねとした翻りや立上り、翻波式をまじえた衣褶の鎬立った表現など、いずれも像の古様を伝えている。」

石帯を結んだ菩薩像は、唐招提寺や大安寺の木彫像に始まり、平安前期まではしばしば見かけるのですが、その後の像にはほとんどないそうです。

延命観音像・腹部(石帯が見える)...唐招提寺・伝衆宝王菩薩立像
延命観音像・腹部(石帯が見える)             唐招提寺・伝衆宝王菩薩立像

また、W字状に翻転してあらわす天衣は、9~10世紀の作例にみられ、東国では山形宝積院・十一面観音や岩手天台寺・十一面観音などにみられるそうです。

延命観音像・W字状の天衣.....山形宝積院・十一面観音像
延命観音像・W字状の天衣            山形宝積院・十一面観音像

同じく、9世紀末の制作と考える長岡龍作氏は、国華1326号「楽法寺蔵・観音菩薩立像」(2006.4)という論文で、このような指摘もされています。
神護寺・薬師如来像(衣の端が下から風にあおられるように翻る)
神護寺・薬師如来像(衣の端が
下から風にあおられるように翻る)


「条帛や裙折返しの下縁を下からの風にあおられるかのように翻らせる表現は、神護寺薬師如立像の袈裟の下縁のそれを代表的な例として、やはり9世紀像にしばしば見られるものである。」



「本像の制作年代は、このように古様な表現が見られることに加え、台座への接合を足柄とする技法が、貞観15年(873)以前の制作と考えられる廣隆寺千手観音像に見られるように、9世紀後牛以降に一般化し出すものであることを勘案すると、9世紀の末頃に置くのが適当かと推察される。」


広隆寺・千手観音立像
広隆寺・千手観音立像

皆さん、こうした解説を読まれて、また、この仏像の写真をご覧になって、どの様に感じられましたでしょうか??

たしかに、初めてみた時には、「優しい顔、平板な彫の衣文」が印象に残ったのです。
しかし、近付いてよくよくじっくり見ていくと、なかなかに古様で、しっかりした力感やボリューム感を感じるようになってきました。
脚部の衣文の彫りと表現は、一見、定型化・硬直化しているようで、よく見ると強い力感と鋭さを感じます。

その脚部の直線的で硬直したような造形、古様な衣文表現を見ていると、秋田・小沼神社の聖観音立像の脚部の衣文を、ふと思い出してしまいました。
小沼神社の聖観音像も、9世紀の制作とする説があります。

延命観音像・脚部....秋田小沼神社・聖観音立像脚部
延命観音像(左)と小沼神社・聖観音像(右)の脚部~直線的で硬直したようで、古様な衣文~

秋田小沼神社・聖観音立像
秋田小沼神社・聖観音立像

この観音像、正面から拝すると、平板な硬さが気になりますが、背面や側面から拝すると、ダイナミックなボリューム感や力感を感じます。

延命観音像・背面...延命観音像・側面
延命観音像・背面           延命観音像・側面

ゆっくり時間をかけて、2度3度とみていると、じわじわと古様な感じ、パワーを秘めた感じが伝わって来ます。
どうも、第一印象では、ちょっと損をする仏像のようです。

9世紀制作の仏像なのでしょうか?
古様をとどめてはいるが、年代は少し下った10世紀以降の制作なのでしょうか?

いずれにせよ、この像は、当地で造られた地方仏で、洗練されたという言葉はあたらず、野趣や野太さといった空気感を持った仏像です。
私には、古様をとどめるが地方仏である分、制作年が下がる可能性があるのかな、という気もしました。

この観音像、じっくり拝すれば拝するほど、なんとも変わった空気感を感じる仏像なのだな、と思いました。


ところで、この観音像、お寺では「延命観音」と称されていますが、もともとはどうだったのでしょうか?
異形の八臂像で、めずらしい像容の菩薩像です。

後藤先生によれば、当初は、不空羂索観音として造立されたということです。
このようなご説明がありました。

・この仏像の腕は、各臂の前膊部の大半が後補になっているので、当初の印相の復元は困難なのであるけれども、当初は、八臂の不空羂索観音であったのではと思われる。
・左右第三臂の前膊部は、当初のもので、この腕に垂れかかっている布状のものが、不空羂索観音が身に着ける鹿皮である、とみられる。
・当初は、合掌手の八臂の不空羂索観音として造立され、後年、手・腕が後補・変更され、延命観音と称されるようになったと考えられる。

延命観音像(両前膊部に布状の鹿皮が表現される)
延命観音像両前膊部
垂れ下がる布状のものが鹿皮を表現したものと考えられる


不空羂索観音は、奈良時代には、山寺の法会の本尊として祀られたのではないかと、長岡龍作氏は述べられています。
雨引山は、筑波山より北に連なる山系の最北に位置する一峰であり、浄行僧の山林修行の場であると共に、法会の場の本尊として、この不空羂索観音が祀られていたと考えられるようです。

ようやく念願の楽法寺、秘仏・延命観音像をじっくりと拝することが出来ました。
かけて加えて、後藤道雄先生から大変詳しい解説を直に仏像を拝しながら聞くことが出来、大変満足気分で、七五三のお参りで賑やかな楽法寺を後にしました。


岡倉天心と文化財展ポスターその後、北茨城市の五浦まで行き、天心記念五浦美術館で開催の「岡倉天心と文化財展」を、後藤先生の解説で鑑賞しました。

この展覧会にも、茨城県を代表する仏像、

岩谷寺・薬師如来坐像(藤末鎌初・重文)薬師如来立像(鎌倉・重文)、圓福寺・阿弥陀如来坐像(藤末鎌初・重文)、西光寺・薬師如来坐像(平安・重文)、薬師寺・薬師三尊像(鎌倉・重文)、楞厳寺・千手観音立像(鎌倉・重文)、延命院・観音菩薩立像(平安・県指定)、薬王院・十二神将像(鎌倉・県指定)

などが展示されており、じっくり堪能することが出来ました。


最後に、大変耳寄りな情報です。

雨引山楽法寺のHPを開いてみたら、何と来年(2014)、延命観音像が御開帳される計画があると書いてありました。

「坂東観音霊場では、平成26年に『午歳特別結縁巡礼』行事(詳細は未定)を行う予定です。
当山でも秘仏である本尊様の御開帳を計画致しますので、是非ご縁をお結び下さい。
詳細は決まり次第ホームページにてお知らせいたします。」

とのことです。

これは、めったにない大チャンスです。
この機に秘仏拝観と考えられる方は、是非このHPを、今後ウォッチしてみてください。


コメント

楽法寺の延命観音像は写真で見ると確かに穏やかな感じで、いわゆる「和様化」が進んでいるのかなという印象を受けます。
しかし、かなり古い要素を残しているのですね。
こういう細かいところまではさっぱり分かりません。

地方仏こともあって、様式の伝搬の速さなどの問題もあって、いつ頃の制作なのか難しそうですね。
実際の年代はどうあれ、
自分なりに色々と想像を巡らせるのは楽しいです。
管理人さんの意見は鋭くて、知識も豊富で、大変興味深いです。


仏像盗難ものがたりの香薬師如来像ですが、新薬師寺にはレプリカがあったと思います。
確か、石膏型で造形的には本物と同じで、その姿を十分に忍ぶことができますが、
石膏をとっていたのは偶然なのか気になります。
金銅仏なら全部が全部石膏をとっているわけではないと思いますので、
2回の盗難で、万が一のことを考えてとっていたのでしょうか。
そうだとすると、それが役に立ってしまったわけで、とても複雑な気持ちになります…。

  • 2013/12/17(火) 22:42:56 |
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  • とら #VBkRmpN2
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いわゆる「指図(さしず)について

またまた書き込みます。
「平面画像を手本にして立体彫刻に彫ったのかも知れない」という表現をされているのを見て、なかなか良いところを突いているな(上から目線ですみません)と思ったもので。
二十年くらい前、仏像制作にあたっての設計図面、すなわち「指図」がトピックとして上げられていました。その議論の深まりについては仄聞にして知りません。が、彫刻を作るに際しては、①先行作例を直模する、②雛形をもとにする、というほかに③正面と側面図を写し描いてそれをもとにする、という方法があると考えられ、これを指図というのだそうです。造仏の大多数の場合が③の方法であったと考えられ、これは神護寺や元興寺レベルの像を、目の前にして制作できる事の困難さを想像してみればわかる事かと思います。
平図面を立体に起こす、という場合、作者の視覚的な再現力がその作品の成否の要であることになり、この像の一見彫り足りない感じは、作者が二次元情報を立体的に読み込んでいく力がやや欠如していた、あるいは、想像力をたくましくすれば、中央から派遣された二流工人が、遠く常陸の地に図面を持ってきたはいいが、どう彫ればいいか、半分忘れてしまっていたため適当に彫った、とも考えられます。まあ、田舎の工人が絵図面だけで制作するのを強いられた、と見ることも可能でしょうかね。
千葉の小松寺の薬師像の薄っぺらい体躯や、概念的でやや有機性に欠ける衣文の表現に、二次元の視覚情報だけで、熟練していない工人が悪戦苦闘したさまをも見ることができないでしょうか? ちなみに、地方在の仏師で、参考とすべき見本が近辺になく、二次元情報のみで制作を繰り返していくうちに、どんどん造形力を劣化させていく様子は、青梅の塩船観音寺の二十八部衆にその良い例があります。

  • 2013/12/19(木) 12:55:41 |
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  • 修理屋 #-
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Re: とら様

とら様

折々、書き込みいただき有難うございます
また、興味深い内容と評していただき、恐縮至極です。

楽法寺・延命観音像はおっしゃる通り、形式面では古様さを残していますが、穏やかな和様化の要素が結構入り込んでいるように感じました。
そういう意味では、地方仏に良くみられる、「形式・技法は結構古いのだが、実制作年はそれなりに下る」という像の一類なのかもしれません。
素人眼ではありますが、私は個人的には、中央からの伝播の年数を相応に加味して、10世紀以降の制作ではないのかなという気がしていますが・・・・・

新薬師寺の香薬師像のレプリカのことですが、石膏型は、飛鳥園の小川晴暘がとったものだそうで、香薬師像が2回目の盗難に遭った時に、「私が箔ぬきした」と語っていたそうです
この石膏型から戦後(S25)に、三体模造鋳造されて、現在、新薬師寺、東慶寺(鎌倉)、東博(奈良博?)にあるようです。
そのあたりの話は、「奈良の仏像盗難ものがたり」の次々回(6/10)で詳しくふれる予定です。
おたのしみに・・・・・

  • 2013/12/19(木) 15:02:08 |
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  • 神奈川仏教文化研究所 #-
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Re: 修理屋様~いわゆる「指図(さしず)について

修理屋様

コメント、お寄せいただき有難うございます。

いただきました、仏像制作の三方法と、「指図」による制作のお話は、大変勉強になりました。
大多数の制作が「指図」による制作というのは、現実問題として、そうなのでしょうね。
中央の一流の仏像も、渡来、新来のの図像から、おっしゃる「指図」的仏像制作を行ったのではないかと思うのですが、一流の仏像が彫刻としての出来が良いのは、やはり中央仏師の腕の良さ、実力の違いを物語るということなのでしょうか?
二流工人の「指図」から立体造形する力の差というお話は、なるほどと誠に興味深く感じさせていただきました。
地方に行けばいくほど、このタイプの造形に出会うことが多いようですね。

実は、この「平面画像を手本にして立体彫刻に彫ったのかも知れない」という感じを、最も強く感じたのは、岡山の博物館で、余慶寺の薬師如来像を観た時です。
かつて、お寺の収蔵庫で、正面から拝した時には、平安前期の風格でなかなかの迫力だという印象だったのですが、博物館で側面から見ると、奥行きが薄く、衣文の彫りも浅くて平板なのに驚いたことがあります。
「絵画的、平面的造形の仏像だな!」という印象を、大変強く受けました。
正面から観た表現は、大変古様なのですが、「立体彫刻として、どうしてこんなに側面感が弱い仏像を造ったんだろうか?、画像だけ見て造ったのだろうか?」と感じた思い出があります。

この辺の処は、これからも折々気を付けて考えていきたいなと思っております。

塩船観音寺二十八部衆は、私は拝したことがありません。
「下野(野州)弘円」という仏師の修理銘があるそうですね。
一度機会を見つけて、拝したいと思います。

今後とも、是非、何なりとご教示、コメント、よろしくお願いいたします。

  • 2013/12/19(木) 19:06:34 |
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  • 神奈川仏教文化研究所 #-
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京田辺の両讃寺について

再度書き込みます。
塩船観音寺の二十八部衆は改めて見に行かれる必要は余りないと思います。寺では暗くてよく見えません。
ただし、快勢という仏師によって本尊の千手観音が作られてのち、追加作事としてその弟子かとみられる定快が青梅の地に長くとどまって制作していったいきさつがよく分かることで重要な作例と言えます。快勢から定快にかわった理由は明らかではありませんが、定快がこの地で「居仏師」(私の造語です)として土着するうちに、周辺に手本とする立体が無い環境でいかに造形力を劣化させていったかが如実にわかってなかなか興味深いです。
以前聞いた話ですが、芸大の古彫刻研究の院生さんの話で、東京でスランプに陥っていた模刻の作業が、夏休みかなんかで奈良や京都に作業の場を移したとたんに嘘のようにはかどっていった、というのがあります。いかに身辺に見本となる先行作例があることが重要なのか、実際に作る立場になると痛いほどわかることかと思います。
ところで、ちょっと前から知っていた事なのですが、京田辺の両讃寺に貴兄が興味を抱かれそうな仏像があります。市内の仏像の悉皆調査で発見されたようで、市指定の文化財になっています。股間のU字状の上下の羅列からみて、神護寺の薬師を写したような御像です。http://blog.livedoor.jp/rekishi_tanbou/archives/1607400.html
本堂の長押の四隅に置かれている四天王も補修が大きいものの、12世紀くらいはありそうで、非常に興味をそそられますね。

  • 2013/12/20(金) 20:13:17 |
  • URL |
  • 修理屋 #-
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Re: 修理屋様~京田辺の両讃寺について

修理屋様

コメント有難うございます。

やはり、いつでも一流の仏像彫刻を眼のあたりにすることが出来る環境にいる中で、造仏にあたると、自ずと仏像の出来も違ってくる、よくなってくるのでしょうね。
本物を肌で感じる機会が少ない中で、「指図」に頼って制作すると、平板になってしまうというのは、よく判るような気がします。

京田辺市・両讃寺の薬師如来像は、ご指摘のとおり、私が大変に注目、興味津々の仏像です。
2007年に、「京田辺市の仏像」という本が市教育委員会から発刊され、そこに大きく採り上げられているのを見つけて、「オオゥッ!」と、びっくりしました。
早速、市教育委員会の文化財担当の方に拝観のお願いをしてみたのですが、「この仏像だけは絶対に無理、限られた研究者の方しか拝していない」というお話で、残念ながら叶いませんでした。
その後、市指定文化財指定記念ということで、1日に限り開扉されたということです。
この情報を後で知り、残念至極でありました。

調査をされた、伊東史郎氏は、神護寺、孝恩寺、香雪美術館の薬師像を類例に上げ、
「威相を示す面貌、粘着性ある衣文に共通するものが看取される。我が国平安前期(9世紀)の精神風土と造形の関連をうかがわせる重要な作例である。」
と、述べられています。

チャンスがあれば、是非とも拝したい仏像の最有力です。
開扉情報などありましたら、是非是非お教えいただきたいと思います。
よろしくお願いします。

  • 2013/12/22(日) 21:25:05 |
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  • 神奈川仏教文化研究所 #-
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>次々回(6/10)で詳しくふれる予定です。

拝読しました。
小川晴暘氏がとっていたとは知りませんでした。
新薬師寺に安置してある像は合成樹脂製というもの知りませんでした。
普通に銅製かと思っていました。


>「指図(さしず)について
横から興味深く読まさせて頂きました。
仏像を彫るに当たって、どうしても画像を頼りにといった場合があったでしょうね。
地方仏師ならば尚のことだと思います。

中央の仏師でも、密教系の仏像など、新しいタイプの仏像は、絵から立体化したということを聞いたことがあります。
例えば、東寺の五大明王像は空海が将来した図像を元に制作されたようです。
特に、中尊の不動明王が他の明王に比べて立体感がやや乏しいのは、
一番最初に製作されたからではないかというのを何かの記事で読んだ記憶があります。
確かに、当時は不動明王の彫刻などほとんどない
(もしかしたら、正真正銘日本初の不動明王かもしれませんし)でしょうから、
まさに画像を頼りに制作したんだと思いました。

  • 2014/01/04(土) 21:09:38 |
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  • とら #VBkRmpN2
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Re: タイトルなし

とら様

新薬師寺香薬師像の模像ですが、私も石膏型から模鋳した像を観たことがありません。
東慶寺所蔵のものが、2月4日(火)~4月13日(日)に東慶寺仏像展ということで展示されるということですので、一度出かけて観てこようと思っています。

おっしゃるように、密教系の多種多様な姿をした像は、すべて彫刻作品が渡来していたということはないでしょうから、図像をみて造像するケースも多々あったように思います。
中央作品でも、よく見ると一寸不自然という造形になっている感じのするものもありますね・・・・
そうはいっても、都の一流仏師は一流作品が身近にあるし、技量も優れているしということで、出来の良い彫刻作品に造り上げたのでしょう。
地方仏師は、そうしたハンデや技量の問題があったということなのでしょうか?

  • 2014/01/08(水) 18:57:05 |
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  • 神奈川仏教文化研究所 #-
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