観仏日々帖

新刊・旧刊案内~「木彫仏の実像と変遷」 本間紀夫著  【その1】


大変興味深い本が出版されました。

一般向けの本ではなく、専門書・研究書の類なので、この「新刊・旧刊案内」でご紹介するのはいかがかな?
と、ちょっと躊躇したのですが、木彫仏の用材・樹種について、興味深い考え、意見が述べられていましたので、あえてご紹介することにしました。


「木彫仏の実像と変遷」 本間紀夫著

2013年6月 雄山閣刊 【464P】 18000円


「木彫仏の実像と変遷」 本間紀夫著


6月に、この本が出版されたことを知りました。
18000円という高価な本なので、仏像の本を蒐めるのが趣味のような私も、そう気楽に買えるわけではなく、この本を置いている「丸善書店」に出かけて、どんな本なのか中味を見に行ってみました、

本を手に取って目次や内容をパラパラとめくってみると、
「木彫仏の各時代における動向と用材の流れ」
というインデックスが、眼に入ってきました。
それも、相当のページ数を割き、かなりのボリュームで論じられているようです。

「木彫仏の実像と変遷」 本間紀夫著


実は、「木彫仏の用材の変遷とその事由」というテーマは、私が最近、一番関心のあるテーマなのです。
急に眼が輝いてきて、
「これは、是非とも読んでみなければ!!」
と、思いきって買ってしまいました。

この「木彫仏の用材」についての、興味深い話は、後でふれていくことにして、まずこの本の内容などについてご紹介したいと思います。

目次の項立ては、このようになっています。

「木彫仏の実像と変遷」 目次


目次をご覧いただけるとわかるように、この本の内容は、木彫仏の制作技法やその変遷について、実技者、製作者の立場から論じたものになっています。

冒頭の「序文」にも、このように書かれています。

「当著は我が国の仏像中圧倒的に多い木彫仏、構造、技法、材質を切り口としてその実体に迫り、更に相互の関係及びその変遷を実技者の立場から考究したものである。」

本間紀夫氏
本間紀夫氏
著者の本間紀夫(ほんま・としお)氏は、1932年生まれ、東京芸術大学彫刻学科卒で、その後同大学の助教授をつとめた彫刻家、仏像彫刻研究家です。
現在は、自ら主宰する「佛教造形研究所」の所長で、仏像の修理修復と、仏像制作の古典的技法の研究に携わっておられるそうです。

本間氏は、彫刻の制作者、数多くの仏像修理修復者というほかに、日本古代彫刻技法の研究者として仏像の構造、制作技法に関する論文、著作が知られています。

これまでに出版された本は、こんな本です。

「X線による木心乾漆像の研究」 本間紀男著
1987年 美術出版社刊 【2分冊・994P】 27000円


「X線による木心乾漆像の研究」 本間紀男著


「天平彫刻の技法~古典塑造と乾漆像について~」本間紀夫著
「1998年 雄山閣刊 【282P】 15000円


「天平彫刻の技法~古典塑造と乾漆像について~」本間紀夫著

いずれも、古代仏像彫刻の制作技法や内部構造などについて、実技者の立場から研究した内容です。
今回の「木彫仏の実像と変遷」の出版で、塑像、乾漆像、木彫像の製作技法についての本間氏の研究成果の出版が、ひととおり果たされたということになります。


とくに「天平彫刻の技法~古典塑造と乾漆像について~」という本は、奈良時代の塑像、乾漆像の造像技法について、土や漆や麻布などの原材料や、これらの材料を使っての仏像の造り方、仕上げ方、内部構造などを、わかりやすく詳しく解説されていて、大変に勉強になりました。
以前に、神奈川仏教文化研究所のHP「埃まみれの書棚から」に、「仏像の素材と技法」と題して、塑像、乾漆像の技法について書いたことがありますが、この本の内容をたたき台にして書かせてもらいました。
ご関心おありになる方は、参考にしていただければと思います。
(「埃まみれの書棚から」仏像の素材と技法【塑造編】【乾漆編】)

いずれも高価な専門書なので、図書館で閲覧するのが良いと思いますが、仏像の制作技法について詳しく知るには、格好の本だと思います。



さて、そろそろ私が一番関心のあるテーマ、木彫仏の用材・樹種の話に入りたいと思います。


【本間氏の考えの結論】

本間氏の考えの結論から、先に紹介したいと思います。
本書における本間氏の「木彫仏の用材、樹種の変遷についての考え方」を、大胆に一言でまとめると、このように述べています。

・飛鳥時代の木彫用材がクスノキ一辺倒なのは、中国南朝、江南の地において木彫仏はクスノキを用いて造られていたのを受容したものであり、また飛鳥時代当時、クスノキは彫刻材として優れた用材であったことが最大の事由と考えられる。

・奈良時代後半から平安前期にかけて、カヤ材の時代となるのは、一木素木系木彫像が台頭してくる時代の要請に対応して、必然的に選択された用材であるからである。
カヤ材は、緻密で粘りがあり、強い存在感、ボリューム感の表現が出来、一木素木系木彫の良材、最適材として求められたからである。
中国での用材法を取り入れたとか、経典の規定に則ったというのではなく、木彫表現の最適材を選択したと考えるべきだ。

・平安時代後半期に、ヒノキの時代に転換する最大事由は、一木彫から寄木造という技法へ転換したことと、金色漆箔像が造像の大層を占めるようになったことによる。
同一寸法による製材が必要な寄木造においては、あるいはまた材の質量感、存在感を必要としない金色漆箔像を制作するには、優れた建材から発して彫刻材に転身したヒノキが、最適材として選ばれていったのは、必然の流れであったと云える。


本間氏の考え方の結論だけを先に書いてしまいましたので、
この考え方が、普通なのかユニークなのか?
日本の木彫像の用材の変遷がどうなっているのか?
よく判らないではないか、とおっしゃる方もいらっしゃると思います。


【我が国、木彫仏の用材樹種の変遷と、その事由についての考え方】

ここで、日本の木彫仏の用材、樹種の変遷と、その事由についての考え方について、ごくごく簡単に、ふれてみたいと思います。

日本の木彫仏の用材に使われている樹種は、何故か不思議なことに、飛鳥時代から藤原時代にかけてクスノキからカヤへ、そしてヒノキへと変遷していきます。

当然、例外もありますが、圧倒的に同じ樹種の用材が使われていて、
・飛鳥・白鳳は「クスノキの時代」、
・奈良後期・平安前期は「カヤの時代」
・平安中期以降は「ヒノキの時代」
と呼んで差支えないという実像です。

木彫仏の用材樹種の変遷を、判りやすく一表にしてみました。
次のような感じになります。

木彫仏の用材樹種の変遷


それぞれの時代の代表選手の仏像をリストアップすると、このようになります。

各時代の樹種別・代表的木彫像


さて問題は、それぞれの時代に、何故、このような樹種が選ばれたのかということです。
そんなにこだわらずに、種々雑多の樹種で造られていてもよさそうなのに、見事に、ほぼ一種類の樹種で造られているのです。


【クスノキ材の木彫仏】

法隆寺・救世観音像(クスノキ)......法隆寺・百済観音像(クスノキ)
法隆寺・救世観音像(クスノキ)          法隆寺・百済観音像(クスノキ)

中宮寺・菩薩半跏像(クスノキ)
中宮寺・菩薩半跏像(クスノキ)


【カヤ材の木彫仏】

唐招提寺・伝衆宝王菩薩像(カヤ)....神護寺・薬師如来像(カヤ)
唐招提寺・伝衆宝王菩薩像(カヤ)         神護寺・薬師如来像(カヤ)

新薬師寺・薬師如来像(カヤ)
新薬師寺・薬師如来像(カヤ)


【ヒノキ材の木彫仏】

平等院・阿弥陀如来像(ヒノキ)...法界寺・阿弥陀如来像(ヒノキ)
平等院・阿弥陀如来像(ヒノキ)          法界寺・阿弥陀如来像(ヒノキ)


【クスノキの時代】

飛鳥時代に、仏像用材としてクスノキが選択された理由については、主にこのように云われています。
クスノキの巨樹
クスノキの巨樹

・クスノキは古代日本ではとくに重要な樹木であり、魂ふりの力をもち、あるいは神木、霊木とみなされていた。

・神と仏はクスノキを介して交わり、ゆるやかに融合したものと思われる。

・古代のクスノキは、渡来の仏教を受容していくにあたり、神仏習合の精神的支柱にふさわしい材として尊重されたものと思われる。


クスノキという樹木の、霊木信仰に着目したもので、こうした信仰的、宗教的な意味があるのだろうという考えが、一番有力なように思います。

樟脳づくりに使われるような、クスノキの香気に着目し、中国から渡来した木彫仏が檀木(香木)で造られていたので、日本での香木の代表であるクスノキを選択した、という考え方もあります。

いずれにせよ、霊木であるとか、香気を放つといった、宗教的、精神的な意味づけが、仏像用材に樟が用いられた理由と考えられていると云えるのでしょう。

一方で、中国渡来の木彫仏がクスノキだったので、何も考えずに丸呑みして同じクスノキで造っただけだと考える人もいます。


【塑造、乾漆像の心木はヒノキ】

奈良時代に入ると、木彫仏はほとんど造られなくなってしまいます。
塑造、乾漆像、金銅仏が主流になり、奈良時代の後期になるまで、木彫仏は影が薄くなってしまいます。

塑造や、乾漆像の木心には、当然木材が使われ、木心乾漆像のように木彫に近いぐらいまで彫り出されたものもあるのですが、クスノキはその心木には一切使われていません。
姿を消してしまいます。

心木には、ほとんどヒノキ材が使われています。


【カヤの時代】

カヤの巨樹
カヤの巨樹
その後、奈良時代後期から、一木彫の木彫仏が造られるようになります。

その一番手、二番手は、唐招提寺講堂に残された木彫群と大安寺の木彫群です。
なんと、これらの木彫は、クスノキでもヒノキでもなく、何故か、皆、カヤ材で造られているのです。
これまた不思議なことです。

これらの木彫仏が、カヤで造られているのが判ったのは最近のことで、まだ15年ほど前のことです。
それまでは、皆、ヒノキ造りだと考えられていました。

戦後早くに、小原二郎氏という研究者が、木彫仏の樹種の科学的調査研究をおこない、数多くの仏像の樹種が判明します。
小原二郎氏
小原二郎氏
その研究結果によると、これらの像は、皆ヒノキという結論になっていたのです。

小原氏は、木彫仏の樹種の研究という新たな切り口を拓き、大きな功績を残した人です。

余談ですが、広隆寺の宝冠弥勒菩薩半跏像の樹種が、クスノキではなくてアカマツであることが判明したのは、小原氏の研究成果によるものです。
飛鳥時代の木彫仏の中での、唯一の例外です。
この発見により、この像が朝鮮半島での制作である可能性が高まり(用材だけが朝鮮半島から運ばれたという考えもありますが)、彫刻史研究に大きな問題を投げかけ、進展をもたらすことになりました。

広隆寺・弥勒半跏像(アカマツ)
広隆寺・弥勒半跏像(アカマツ)

奈良後期以降の木彫仏が、原則ヒノキになったということならば、塑像乾漆像の心木がヒノキであった流れもあり、また日本で最も良材として建築、木彫に広く使われているヒノキに、用材が転換していったことになります。
大変すんなり、理解されていたのだと思います。


ところが近年、驚き研究成果が15年ほど前に発表されました。

もう一度、新たに、木彫仏の樹種の科学的調査を幅広く実施した処、奈良時代後期から平安時代前期といわれる一木彫像は、そのほとんどがヒノキ材ではなく、カヤ材で造られていることが判明したのです。
唐招提寺の木彫だけではなく、新薬師寺の薬師如来、神護寺の薬師如来、元興寺の薬師如来といった奈良末平安初期を代表する木彫像は、皆、カヤ材で造られていたのです。
本当にびっくりです。

「どうしてヒノキではなく、カヤ一色になったのだろうか?」

この調査研究を行った、金子啓明氏、岩佐光晴氏などの研究者は、その理由をこのように考えました。

・天平15年(743)書写の経典「十一面神呪心経義疏」に、仏像用材には「白檀を用いよ。白檀のない国では栢木を用いよ」と説かれている。

・わが国で、この「栢木」にあたる材について、「カヤ」が充てられたと考えられる。

・唐招提寺木彫群は、カヤ材であるが、鑑真及びその工人が、「栢木」材として日本の「カヤ」を選択し、このことが我が国の一木彫用材として「カヤ材」が採用されていく思想的背景となったのではないか。

佛教経典に、「仏像(十一面観音)は、白檀などの檀木で造れ」と書かれていることが、一木彫の用材選択の決定的要因になり、鑑真・工人が代替材にカヤ材を選択したことが、一斉にカヤ材を用いた像が造られる背景なったという考え方を示したのでした。
檀像を造る精神で一木彫がつくられたから、その様になったとも考えられています。

法隆寺・九面観音像(白檀)......東京国立博物館蔵・十一面観音像(白檀)
経典に則り造られた白檀の観音像~中国渡来像
法隆寺・九面観音像(左)東京国立博物館蔵・十一面観音像(右)


現在では、この考え方が、我が国木彫にカヤが用いられるようになった事由として、一番有力な考え方になっているように思います。


【ヒノキの時代】

ヒノキの巨樹
ヒノキの巨樹
こうして、カヤ材一色となった平安前期の一木彫ですが、平安の中期以降になりますと、一木彫でもヒノキ材が使われることが多くなり、寄木造の仏像になると、カヤ材ではなくヒノキ材が使われるようになります。

寄木造の完成像と云われている平等院・阿弥陀如来坐像は、当然にヒノキで造られています。
平安中期以降になると、彩色しない素木像ではなく、漆箔金色像が多く造られていくようになっていくことと呼応しているように思えます。

また、平安中期頃になると、ケヤキ、カツラ、サクラといった広葉樹材も折々使われるようになります。
とくに、地方の木彫仏には、その土地の良材を使ったのか、広葉樹材で造られた仏像が割と多くみられるようになっていきます。


以上が、「木彫仏の用材樹種の変遷とその事由」について、現在、考えられていることの概要です。


仏像用材の樹種の変遷の話を「ごくごく簡単に」ふれると云いながら、結構長くなってしまいました。
その割には、判り難い説明になってしまったのかもしれません。

色々ふれているとキリがないので、この辺でやめておきます。


【その2】では、本間紀夫氏が、彫刻家、実技者の立場から、どのように考えているかをご紹介しながら、木彫仏の用材樹種の変遷について考えてみたいと思います。

コメント

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  • 2014/06/09(月) 07:17:55 |
  • |
  • #
  • [ 編集 ]

Re: 平安前期の栢の仏像の件数

(いただきましたコメントに記載のアドレスへの送信が不能でしたので、このコメントの返信にて、対応させていただきます。ご容赦いただきますよう。)

「観仏日々帖」ご覧いただき有難うございます。

また、コメント、有難うございます。
ご質問の件につきましては、私も専門家ではなく、ただの愛好者ですので、
きっちりとした話、正確な情報としてお答えできるわけではないのですが、
私の知っている限りということでは、このようなことではないかと思います。

近年の木彫用材の調査の実績についてですが、
東京国立博物館の金子啓明・岩佐光晴・能代修一・藤井智之の4氏による研究グループが、
1998~2010にかけて、科学的調査をされた結果があります。
近年では、この調査しかないのでなないかと思います。

この調査結果については、
国立博物館研究誌・MUSEUM(ミューゼアム)555号、583号、625号に、
「日本古代における木彫像の樹種と用材観Ⅰ~Ⅲ」と題して、その調査結果と研究論文が掲載されています。
この調査によって樹種が判明した木彫仏の数は、平安前期の一木彫を中心に77体のようです。
一覧表は、これらの論文に掲載されています。
この「ミューゼアム」は、多くの図書館に所蔵されていますので、一度ご覧いただければと思います。

この調査結果の代表的仏像の樹種リストは、
「神奈川仏教文化研究所」のHP~埃まみれの書棚から「仏像の素材と技法~木で造られた仏像編~」に掲載しております。
http://kanagawabunnkaken.web.fc2.com/index.files/raisan/shodana/shodana113.htm
もし、まだご覧になっておりませんでしたら、参照ください。

ところで、仏像の樹種調査の件数の件ですが、
当然、すべての仏像の樹種の調査が可能であれば、それが望ましいのは言うまでもなく、研究者の方もそうしてみたいと思ってられるのではないでしょうか。
ただ、なかなかそう簡単には、行かないようです。
仏像は、大切な文化財ですので、見えないところといえども、勝手に材のサンプルを採取するということは許されません。
上記の論文によれば、
「仏像調査の際、朽損等で自然剥離して落下したり、千割れの間に挟まれている材の小片という微量なサンプル」
を採取して、科学的分析調査を行った結果によるものだそうです。
したがって、当該仏像の調査が許されたものの中で、こうした微量のサンプルを本体を削ったりすることなく、剥離等によって採取できたもののみ、樹種が判明した、
ということになるのだと思います。
なかなか、調査件数をどんどん増やすことができないのは、そんな限界があるからなのかと思います。

また、こうした仏像の調査は、文化庁や国立博物館関係者以外では、だれでも許されるというものではありませんから、
いろいろな研究者が調査することも難しいものと思われます。


また、小原二郎氏の樹種調査ですが、
この調査結果は、ご存じと思いますが、「木の情報発信基地」というHPに、すべて公開されています。
http://www.wood.co.jp/butsuzou/

小原氏は、膨大な数の木彫仏樹種の科学的分析を行っておられます。
この研究結果か、彫刻史研究にもたらした功績は、きわめて多大なものであったのだと思います。
近年の国立博物館研究グループと、小原氏の分析結果に、一致しないものが多く見られたわけですが、
その事由について、私も詳しく論じるだけの情報は持っておりません。

きっと、どちらの科学的分析も正しい結果だと思うのですが、問題は、サンプルをどこからどのようにして採取したのかということなのかと思います。
台座と、仏像本体では、使っている用材樹種が違っている場合もありますし、
後世の修理により、材を継ぎ足したり嵌め込んだりしていると、そこだけ用材が違っている可能性もあります。

小原氏は、近年の調査結果との相違に関して、このようなコメントをされています。
小原氏は、仏教彫刻の研究者ではないので、仏像そのものを直接調査された数は限られているようです。

サンプルの入手については、
「調査した中の約150体は自分 で集めましたが、あとの120体は西村公朝氏からいただいたもの、
90体は久野健博士から、その他は未知の方々から依頼を受けたもので、全部を集めるとこんな数字になりました。
数は多いが内容は玉石混合です。
私が弥勒像を調べた話を聞いて未知の方々から封筒に入れた地方の仏像の破片がたくさん送られて来ま した。」

唐招提寺の木彫群については、
「私が直接試験片を入手したあの有名なトルソの 菩薩立像はカヤでしたから、流れ図の中にもカヤの存在を書いてあります。
その他の試料は西村氏ほかからいただいたものですから、それが本体の破片であったか、台座の破片であったか、光背の一部であったかは不明です。」

こうしたことにより、樹種判定に相違が出たということなのではないでしょうか?

このあたりの話は、「神奈川仏教文化研究所」のHP~埃まみれの書棚から「仏像を科学する」に掲載しております。
http://kanagawabunnkaken.web.fc2.com/index.files/raisan/shodana/shodana85.htm

長々と、書かせていただいてしまいましたが、少しでもご参考になりましたら幸いです。

これからもよろしくお願いいたします。


神奈川仏教文化研究所 管理人

  • 2014/06/15(日) 07:40:41 |
  • URL |
  • 神奈川仏教文化研究所 #-
  • [ 編集 ]

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