観仏日々帖

古仏探訪~秋田県大仙市 小沼神社・観音菩薩像【その2】


【その1】は、小沼神社の霊境空間に「心洗われた」話でしたが、

【その2】では、社殿に祀られている観音菩薩像について、ちょっと考えてみたいと思います。

社殿には、二躯の観音像が安置されています。
聖観音像と十一面観音像です。

聖観音像は、像高170.2㎝、ケヤキの一木彫で内刳りはほどこされていません。

小沼神社・聖観音立像...小沼神社・聖観音立像上半身
小沼神社・聖観音立像

痩身のプロポーションが特徴で、いかり肩で、膝頭の位置が高く、脚が異常に長く見えます。
また、鼻下の人中の刻線、すぼまるように突き出た唇が独特の表情をつくっています。
上半身の奥行が浅いというか薄いのも、特徴的と云えると思います。


十一面観音像は、像高177.0㎝、カツラの一木彫で内刳りはほどこされていません。

小沼神社・十一面観音立像
小沼神社・十一面観音立像

やや頭でっかちで、重量感があり、でっぷりと野太いという感じの造形です。
角ばったお顔に、大きめの目鼻口がしっかり刻まれていて、ちょっと強情そうな表情です。

二つの観音像を拝すると、

聖観音像は、長躯痩身、独特の個性的表現で、仏像というよりも「霊的なもの」を強く感じさせる。

一方、十一面観音像は、地方仏特有の土臭い匂いを感じさせる。

私は、そのように感じました。

材もケヤキとカツラと違いますし、造形表現もだいぶ違うので、同時期一具で造られたものではないと思います。


この観音像の制作年代については、それぞれ、どのように考えられているのでしょうか?
色々な解説文を探してみましたら、面白いことに、専門家によって随分意見が分かれるようです。
図録の解説や、案内書のような本に書かれたものではありますが、ご紹介してみます。

一覧にしてみると次のとおりです

20130907konumajinja37.jpg

聖観音像の製作時期の考え方に随分大きな幅があるようです。

井上正氏の行基時代の8世紀前半製作という考え方は、ちょっと横に置いておくとしても、
高橋正氏の奈良~平安時代から政次浩氏の12世紀後半まで、奈良末から平安末まで、びっくりしてしまいそうなほどの違いです。

それぞれの解説を、ちょっと抜き書きしてみました。


仏像を旅する・奥羽線「秋田の仏像」 田中恵氏(至文堂・1989刊)


「聖観音像」として指定されている像は、頭部の様子から十一面観音と推測される像であり、あるいはいま一体の県指定像である「十一面観音像」の先行像として存在した像ではないかとも考えられる像である。
・・・・・・・
この像の制作は、その様式の特色からすると、平安時代の前半に遡ることは疑えない。
従って、秋田県において、本格的に仏像の造像が始まったと考えられる平安時代前半の状況を、この像から推測することも許されよう。


「古仏への視点」 井上正氏 (日本美術工芸674号所収・1996刊)


(聖観音像の)長痩のプロポーションは、同類中でも際立っており、百済観音のそれを想起させる。・・・・・・
お顔は少年相である。眉目唇いずれも小ぶりで、白鳳から天平前期にかけての童顔仏のムードを漂わせている。・・・・・・
(脚部の衣文は)アイロンを当てたように、本体の方に押し付けられるような表現で、これは古式の一木彫の例に数多くみられた。
・・・・・・
この像には行基の伝承がある。
そして、すでにあげた特色から、私は本像の製作を8世紀の前半、すなわち行基活躍の時代と考えたいと思う。

小沼神社・聖観音立像背面...小沼神社・聖観音立像脚部
小沼神社・聖観音立像背面           聖観音立像脚部       .


図説みちのく古仏紀行 大矢邦宣氏 (河出書房新社・1999刊)


平安中期とされる二体の小沼観音像を拝んでいると、天台寺の諸像が自然に思い浮かぶ。
彩色像と素木像の違いなどの差異よりも、霊水・霊木のカミしての仏さまという共通点が勝っているからであろう。


「いのりのかたち東特地方の仏像展」図録 政次浩氏 (東北歴史博物館・1999刊)


重量感に富む体躯の表現から、本像(十一面観音像)の製作時期は11世紀前半とみられる。
・・・・・
聖観音立像は、細身で浅い奥行きから12世紀後半につくられたとみられる。

小沼神社・聖観音立像側面.......小沼神社・聖観音立像側面
小沼神社・聖観音立像側面


「神仏習合展」図録 鈴木喜博氏 (奈良国立博物館 2007刊)


(聖観音像は)肩をいからせた硬直した姿勢、大腿部に簡潔にあらわした衣文、および膝下に密に彫刻された衣褶表現などは前代(平安前期)の古様さが残っている。
細身の体型で、上半身は奥行きが浅いものの、腰高の下半身は厚みがあり重厚である。
奈良京都の木彫の展開と照応すれば、10世紀の量感の捉え方に通じるが・・・・・・
出羽地方の歴史を考慮すべきだが、製作は平安中期と推定される。


みちのくの仏像  高橋正氏  (平凡社・別冊太陽 2012刊)


聖観音立像(奈良~平安時代)
ケヤキの一材で、細身の伸びやかな姿態を示す。
東北地方きっての古像である。
・・・・・・・・
(十一面観音像は)がっしりとした体躯と、全体的に大ぶりな彫り方に特徴があり、重厚な姿からは、平安時代中期の作風と考えられている。


図録解説や案内書風の文章なので、製作年代の考えの根拠について詳しく記されていませんが、やはり注目すべきは、聖観音像の製作時期です。
どうしてこんなに差が出てしまうのでしょうか?

細身で上半身の奥行の薄さに注目すれば、平安後期というふうに考えられ、
霊的な神秘感のある全体表現、膝下の衣褶表現、下半身の重厚感などに注目すれば、平安初期とか前期に近いというふう考えられるということなのでしょうか?

聖観音像の、個性的で特異な造形が、意見の差を呼ぶのだと思います。

私には、難しいことはよく判りませんが、
長躯痩身で、クセはあるがオーラのようなものを発する顔の表現をみると、「霊感」「霊的なもの」を強く感じるように思います。
このような感覚の造形は、平安後期の藤原彫刻の時代には、みられないのではないでしょうか。
平安前期の造形感覚が色濃く残っている時代でないと、難しいような気がします。

小沼神社・聖観音立像上半身
小沼神社・聖観音立像上半身


制作年代の話がちょっと長くなってしまいました。

実は、この聖観音像が、最も注目されているのは、製作年代の話ではなく、特異な「神仏習合表現」の像ではないかとの見方です。

特異なのは、頭頂部の造形です。

よーく目を凝らすと、大きな頭髪、髻の中には、わずかに目鼻を刻んだ顔面に気がつきます。
ホトケ様の顔ではなく、可愛い女性の顔のよう見みえます。
もうひとつは、頭のてっぺんに、何か突起状の残りのような痕跡があることです。
棒のようなものが突き立っていたようです。

小沼神社・聖観音立像頭頂面
小沼神社・聖観音立像 頭頂に刻まれた顔

田中恵氏は、この頭頂の「顔の表現」と、突起した「棒状のもの」に注目しました。
この観音像は、「神と仏像が一体化している像」だと考えたのです。
頭頂部の顔は仏面ではなく「女神」を表現している。
棒状のものは、「ここに神が依りつく」ためのもの。
すなわち


「頭部の頂上には豊かな髪をもった女神が鎮座し、その女神の頭の天辺には、依代(よりしろ)のような角が生えていた痕跡が残る。」
(「北天の秘仏」平凡社刊解説、1991刊)

このような、考えを示したのです。

田中氏は「棒状のもの」を、単純に付加されたものではなくて、神の依代とみて神仏習合の表現と考えています。
小沼神社観音像の頭頂には、棒状の痕跡のようなものしか残っていませんが、神奈川県の弘明寺の鉈彫りの優作・十一面観音像には、きっちりとその形が残されていると、田中氏は述べています。


「この『棒状のもの』の存在は、私には、あたかもこれらの十一面観音像の本来の姿が仏(頭頂仏)ではなくて、この『依代』に降りる神であることを示しているようで、興味深い。」
(「仏像を旅する・秋田県の仏像」至文堂刊、1989刊)


弘明寺・十一面観音立像......弘明寺・十一面観音立像頭部
弘明寺・十一面観音立像

また、頂上の仏面にあたるところの顔の表現について、小沼神社観音像と弘明寺観音像の共通点を、このように記しています。

岐阜・神通堂・十一面観音立像
これらの像では、一般の十一面観音像が宝髻の上に仏面を載せるのとは異なって、頂上の仏面がなく、その代わりのように、宝髻の前面に一面の顔が彫出されていることがある。

その顔の形は、如来の形ではなく、あたかも『女神像のような形をしている』のである。
これも、前述の頭頂の『棒状のもの』同様、固有信仰とのつながりを考えさせる部分である。

なお、もっと積極的に頭頂仏を女神像の形にした例として、岐阜・神通堂の十一面観音立像がある。」(「仏像を旅する・秋田県の仏像」至文堂刊、1989刊)

【右の写真:岐阜・神通堂 十一面観音立像】


誠に、興味深い話です。

小沼神社聖観音像の「独特で個性的な霊性表現」の秘密というか、理由を鋭く説明しているようで、納得してしまいます。
日本の固有信仰であるカミと、仏教のホトケが、この地で一体化し、その造形表現として、女神を戴く観音像が造られた。
そのように、考えたくなってきました。


みちのくの地は、カミとホトケがとりわけ色濃く一体化しているように思えます。
とりわけ、辺北の地である秋田県・出羽国、岩手県・陸奥国の北部に残された平安古仏を思い浮かべると、そのように思います。

鉈彫り観音像で有名な、岩手県二戸浄法寺町の天台寺では、参詣の際に「柏手」を打ってお参りします。

天台寺...天台寺・聖観音立像
.          天台寺                  天台寺・聖観音立像

巨大な兜跋毘沙門天像で知られる花巻市東和町の成島毘沙門堂の入り口には、熊野神社と毘沙門堂という二つの石標が立ち、立派な大鳥居が出迎えてくれます。

成島毘沙門堂...成島毘沙門堂・毘沙門天像
.      成島毘沙門堂            成島毘沙門堂・毘沙門天像

そして、今回の秋田の古仏探訪で訪れる平安仏は、三つとも神社に祀られています。
小沼神社、談山神社、土沢神社です。
いずれの社殿でも、小沼神社の御開帳の儀式のように、「柏手」を打ち、神式の参拝で仏像を拝みます。

古代、みちのく辺北の地では、
佛教という「宗教」が、この地に伝播していったというよりも、それ以前のこの地に根ざした「固有の信仰」と結びついて、
「カミとホトケが一体化した像」
を造らせ、これをシンボルとして拝するようになった。
そう考えると、これらの仏像やその祀られ方が、何やら体感できるような気がします。

小沼神社の聖観音像を、
そんな気持ちに身をおいて拝すると、その霊性を感じさせる造形がわかる様に思います。

長躯痩身で個性的造形が、

「カミとホトケの一体化した神仏習合像」

として、益々オーラを発しているように感じます。

やはり、この観音像は、在るべき場所で拝さないと、その本質を実感できないように思いました。
この秋田・豊岡まで来て、鬱蒼とした杉林の中に突然開ける小沼のほとりの社殿に祀られたお姿で拝したい観音像です。

この小沼に佇む小沼神社の社殿で拝してこそ、

「霊境空間に降り立つカミの像」

「カミとホトケの一体化したお像」

を体感出来るように感じました。

平成19年(2007)、奈良国立博物館の「神仏習合展」で、小沼神社聖観音像を観た時には、
「平安古様の痩身の一木彫観音像を観た」
これ以上でも、これ以下でもない印象しか残りませんでした。

「思いきって、秋田まで出かけて、小沼神社までやってきてよかった。」

心底、そのような気持ちになりました。

そして、久々に「心洗われた」古仏探訪となりました。

コメント

小沼神社の聖観音は、色々な見方ができる魅力的な仏様ですね。
こういった一筋縄ではいかない仏像は大好きです。
その中でも、井上正氏の説は飛び抜けて大胆というか、浮いているというか…(笑)

頂上面の女神ですが、達身寺の十一面観音像にも女神らしき顔が表現されているように見えます。
しかも、手が拱手になっているような感じです。
しかしながら、頭頂の突起はなく、阿弥陀で拱手している例があるようなので
(ただし、頂上面は阿弥陀如来とは限定していないはずですが)、
達身寺の観音像は別系統かもしれません。



この記事とは関係ないのですが、
「御調八幡宮と三原市の文化財展」に行ってきました。
最古と目される女神像はもちろん、
大変な霊威を持つ神像群であると感じました。
主祭神である八幡神ではなく、女神像の方が古いのか疑問だったのですが、
図録にその理由が社伝から伺えるとの記載があり、合点がいきました。

展示会案内に書かれている、
この神像が注目されるなった経緯ですが、
聞いた話では、この神像群は昭和40年代に調査され、
貴重な像であることは既に知られていたようです。
その後は特に調査されませんでしたが、その時に同行していた
伊東史朗氏が御調八幡宮に行道面の調査で訪れた折に、
「そう言えばここに貴重な神像がありませんでしたか」という話を出され、
再調査されたそうです。
研究者の若き日野記憶によって再び日の目を見たようで、
なかなか面白い話だと思いました。
(図録にも少しだけ触れられています。)

  • 2013/09/29(日) 21:56:23 |
  • URL |
  • とら #VBkRmpN2
  • [ 編集 ]

Re: タイトルなし

とら様

いつもご覧いただき有難うございます
おっしゃるとおりで、小沼神社の聖観音は、不可思議な魅力というか、色々なことを考えさせ、想像させてくれる仏像だと思いました。
是非再訪したいものです。

私も、三原まで横浜から足を伸ばして、行ってきました。
神仏習合展、大神社展でも見たのですが、古様の方の女神像のオーラというか、霊威表現の迫力に強く惹きつけられるものがあり、出かけました。
御調神社の社殿や、神域も体感でき、充実した探訪でした。
伊東史郎氏の「御調神社の神像」の講演会も併せて聴いてきました。

神像が注目された経緯のお話、ご教示いただき、本当にありがとうございます。
面白い話ですね。
図録には、
昭和41年(1966)の「文化財ニュース29号」に、浜田隆氏が「備後南部の古美術を訪ねて」という紹介記事の中で、この神像一体についてふれているのがはじめて、と書かれていましたね。
その後、この像の研究紹介がされたのが、平成15年(2003)、伊東史郎氏によってということですから、37年後ということになりますね。
昭和41年のときには、さほどに注目されなかったのでしょうか??

これからもよろしくお願いします

  • 2013/10/01(火) 10:14:06 |
  • URL |
  • 神奈川仏教文化研究所 #-
  • [ 編集 ]

三原まで行かれたのですね。
遠路はるばるお疲れ様でした。

>昭和41年のときには、さほどに注目されなかったのでしょうか??
当時は分かりませんが、貴重な神像ということは分かったものの、大きな反響はなかったのかもしれませんね。
それに、御神体ゆえ調査ができなかったという事情もあるのかも。

三原リージョンプラザの仏像・神像も珍しくて良かったと思います。
三原は比較的近いのですが、どんな仏像があるのかはほとんど知りませんでした。
善根寺も、ここの「辺境の仏たち」のコーナーで初めて知りました。
これからも楽しく読ませて頂きます。

  • 2013/10/04(金) 01:02:38 |
  • URL |
  • とら #VBkRmpN2
  • [ 編集 ]

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