観仏日々帖

トピックス~「仏像半島~房総の美しき仏たち展」出展の小松寺・薬師如来立像


念願の古仏をやっと拝することが出来ました。

千葉県南房総市千倉町にある小松寺の薬師如来立像が、千葉市美術館で開催された「仏像半島~房総の美しき仏たち展」に出展されたのです。
房総最古の木彫像と云われている仏像です。

この薬師如来像は、長らく厳重な秘仏としてまつられていたそうで、その姿はよく知られていませんでした。
1994年(平成6年)11月に、現在のご住職にとっても初めてという開扉が行われ、その全容が明らかになったのです。
果たして、9世紀に遡る平安前期一木彫像と考えられる古仏であることが判明したのです。
1996年(平成8年)には、早速、千葉県指定文化財に指定されました。

ご覧のような仏像です。

小松寺・薬師如来立像
小松寺・薬師如来立像

写真で観ると、神秘性、霊威性を強く感じる魅力十分の仏像です。

是非とも一度は拝してみたいものと思いましたが、厳重秘仏でそう簡単に拝することができません。
1999年(平成11年)に、千葉市美術館で開催された「房総の神と仏展」に出展されたのですが、その時には、まだこの薬師像のことをよく知らず、展覧会にも行きそびれて見逃してしまいました。

その後、何とか拝する機会はないものかと思っていましたら、数年前に「小松寺の秘仏御開帳」があるという情報をゲットし、同好の方と、房総半島の突端に近い千倉町にある小松寺まで、車で数時間かけて出かけたことがあります。

小松寺 本堂やっとのことで到着し、
「さあ、秘仏・薬師如来像を拝することができる!」
と意気込んだら、秘仏開帳されていたのは「お前立本尊」の方だけでした。
お目当ての本尊薬師如来像は、厳重秘仏のままで、そのお厨子はしっかりと閉ざされておりました。
「なんのためにこんな遠くまで来たのだろう!」
と、本堂厨子に秘められた観ることのできない薬師像を、恨めし気に振り返りながら、がっくりと肩を落として帰路に就いた思い出があります。

その待望、念願の「小松寺・薬師如来立像」を、「仏像半島~房総の美しき仏たち展」で、ついに拝することができたのでした。


仏像半島展ポスターこの度の「仏像半島~房総の美しき仏たち展」は、房総半島の主だった仏像が、約150体展示されるという大規模なものでした。

奈良時代の金銅仏、龍角寺・薬師如来坐像をはじめ、東明寺・薬師如来立像、十二神将像、松虫寺・七仏薬師像、常燈寺・薬師如来坐像、東光院・七仏薬師像など、有名処が一挙に展示されました。

なかなかの圧巻の展覧会で、房総の古仏をじっくり愉しむことが出来ました。


さて、小松寺・薬師如来立像ですが、会場のなかでも、ひときわ不思議なオーラを放っているようで、圧倒的な存在感がありました。
来場された人々も、多くの方がこの仏像の前に立ち止まり、その姿に見入っていました。

小松寺・薬師如来立像.....小松寺・薬師如来立像
小松寺・薬師如来立像

不思議な感覚を漂わせた仏像です。

異様な仏像と云っても良いのかもしれません。
ハッキリ言って、仏像彫刻としてはそれほど出来が良いものとは思いませんが、なにやら霊気というか、呪術的に畏怖する気のようなものを、身体から発散させているようです。
面貌にも神秘感を漂わせています。
造形的な魅力よりも、精神性の魅力を感じる仏像と云って良いのでしょう。

図録の解説文によると、平安初期・9世紀の制作と考えられるようです。
像高147.3㎝、カヤ材の一木彫。
頭頂から足柄まで丸彫りにし、木心を込めたままで、内刳りはほどこされていないそうです。

しかし、この薬師如来像の姿を見ると、一般的に9世紀と云われる仏像の造形の特色とは、かなり違うように思えます。

全体の姿を見ると、身体の躍動感や、はち切れる様な肉体の張りはありません。
硬直的に直立して、肉身の抑揚も扁平という方に近いと云って良いようです。
衣文の彫りも、鋭さはありますが、随分浅くて扁平です。
平安前期彫刻特有の深く抉りこんだような衣文の彫りや、粘りのある衣の躍動も全くありません。
衣文の表現をみると、彫りには直線がただ平行に並んだようで、これまた単調な表現です。

そして、何をおいてもびっくりするのは、体躯の奥行が異常に薄っぺらいことです。

小松寺・薬師如来立像 側面
小松寺・薬師如来立像 側面

仏像の横に回ってみて驚きました。
正面の横幅からは想像もつかないような、極端を通り過ぎたような側面の扁平さです。
平安前期の仏像と云えば、強烈な肥満体というか、体奥が凄くぶ厚いことが典型的特色ですが、これにも当てはまらないのです。

しかしながら、この薬師如来像の前に立ってじっと見つめていると、全体の姿かたちに、初発的な古様さや強い精神性を感じずにはいられません。
古い時期の制作なのかなと思わせるものがあるのです。


専門家は、この仏像のこうした特徴などについてどのようにみているのでしょうか。
私の知る限りでは、この仏像については、紺野敏文氏、塩澤寛樹氏、濱名徳順氏が解説等をされています。

紺野氏は、ポイントを要約するとこのように述べられています。


この像は、9世紀後半頃の制作と考えられる。

霊気を漂わせるような面立ちに、正面で横に開いた躰部が著しく扁平である。
まとう大衣にこまやかに平行する衣文線を刻み、端麗さを装うものの、ノミ痕が鋭く切れてなお古拙調で、軽快には流れない。
霊木を用いた純木彫に徹した作りで、その霊験性を強調する面貌の表現などは、理想的な佛性の表現からは遠く、土俗的な神性をあらわすようである。

一方で、丸い肉髻の造り出しなどには自鳳期にまで遡る形状の古様さが捉えられるほか、面奥を深くとり丸く張った頭部、顎にかけて細まる顔かたちや、薄身の姿体をとどめる処は奈良時代以前に観られるものである。
これに、平安前期風の強い表現を加えている。

小松寺は、役小角によって庵が営まれた後、慈覺大師円仁により伽藍の改築があったという寺伝があり、単なる山林の私寺ではない。
この薬師像の五尺の像高、施無畏与願印、朱衣金体の仕上げ、霊験性表現は、比叡山延暦寺の根本薬師如来像をもとにしたと考えられ、房総最古の木彫像として貴重である。
(紺野敏文氏執筆の「房総の神と仏展」図録解説、国華1265号所載「房総の仏像」「小松寺蔵薬師如来立像」から、つまみ食いで要約させていただきました)



濱名氏は、「仏像半島展」図録所載の論考と解説で、小松寺薬師像について述べられています。
制作年代や制作意図などの考え方は、紺野敏文氏と大略同じように思えます。
また、極端に薄い体躯である事由と制作年代については、このように述べられています。


体奥が極端に薄く、背中には長方形埋め木があることから、原木は良材とは言えないもので、厚みが足らずそのうえ上洞(ウロ)もあったらしい。
このように、本来彫刻に適さない材料を何か特別の由緒のある用材で造像した「霊木化現像」であることを示唆する。
・・・・・・・・・
類型に出さない生々しい面貌や、丸刀を用いて深く抉った衣文線は初発性が強く、9世紀代の造像として間違いないと思う。


一方で、塩澤氏は、この像の量感が不足することなどから制作時期を10世紀に下げてみています。
「千葉県の歴史~通史編・古代2」所載の「古代房総の仏教美術」で、このように述べられています。


こうした面相や衣文の表現はかなり異色の作風といえるが、平安初期木彫の様式に通じるところがあるとして、9世紀末をさかのぼる制作とされている。

ただし、本像の極端に扁平な体躯表現は平安前期において他に例のない表現であり、衣文の彫りが浅い点や、やや単調であることは10世紀に入ってから増える特徴であることを考慮すると、制作年代を9世紀に限定しない方が穏当との見方も出来る。

その場合、七棟の堂塔が建立されたと伝える延喜年間(901~923)ころが、造立年代下限の目安となろう。


制作年代をいつごろに考えるかは、難しいところがあるようです。
たしかに古様なのですが、特異な造形であるところが多いからなのでしょう。


私なりの、小松寺・薬師如来像の造形の不可思議なポイントを挙げると、こんなところでしょうか。
勝手な思い込みや、独善的な処があるかもしれませんが、お許しください。

第1に、側面、体奥が、極端に薄っぺらいことです。

たしかにウロのある霊木などで一木彫に仕上げようとすると、材の制約から薄くなってしまうこともあるかもしれません。
しかし、正面幅に比べて、側面がここまで薄くなってしまうことはないのかとも思います。
意図的に、わざと極薄に造ったように感じてしまうのです。


第2に、全体の造形、モデリングが妙に生硬で硬直的な感じがすることです。

肉身の造形も、衣文の造形も、張りや躍動感が少なく、固まったように表現されています。


第3に、衣文の彫りが浅く、扁平で単調なことです。

刻線そのものは鋭いのですが、平安前期彫刻にみられるような深くグリッと抉ったところや粘りのある表現がありません。


第4に、奈良時代以前にみられるような、妙に古様な表現がみられることです。

頭部から面部の造形や、丸い肉髻の造り出しは奈良時代以前や白鳳期の古様をとどめている点は、紺野敏文氏も指摘されています。
私も、吊り上って切れ長に見開いた眼や、足元の衣文の品字状の処理などは、結構、古様なものが混じっているのではと感じています。


小松寺・薬師如来立像 頭部....小松寺・薬師如来立像 脚部衣文
小松寺・薬師如来立像 古様がみられる頭部と脚部品字状衣文

このあたりの処を、どのように解釈したらよいのかは、私にもよく判りません。

平安前期にもこのような造形表現があったのでしょうか?
地方仏には、典型から外れたこのようなものもあったのでしょうか?
そうではなくて、時代が下がってから、古様に倣ってこのように造られた考えた方が素直なのでしょうか?


平安初期彫刻なのに、結構、体奥が薄くて、衣文の彫りが浅く扁平・硬直な仏像と云うと、岩手・黒石寺の薬師如来坐像のことが思い起こされます。
胎内に貞観4年(862)造立の墨書銘がある、有名な地方仏です。

黒石寺・薬師如来坐像 正面....黒石寺・薬師如来坐像 側面
黒石寺・薬師如来坐像  正面と側面

何となく、小松寺・薬師如来像の造形感覚に似ているような気もします。。


ほかに、私がこれまでに観た色々な仏像のことに思いを巡らせてみました。
二つの仏像のことが頭に浮かんできました。
私が先に挙げた、特異な造形のポイントに似ているものを備えている気がするのです。
あくまで、独善的で勝手な想像です。


兵庫県多可郡多可町の楊柳寺・楊柳観音立像

滋賀県草津市の川原観音堂・十一面観音立像


です。

写真でご覧のとおりです。

楊柳寺・楊柳観音立像..........楊柳寺・楊柳観音立像 側面
楊柳寺・楊柳観音立像  正面と側面


川原観音堂・十一面観音立像.......川原観音堂・十一面観音立像 側面
川原観音堂・十一面観音立像  正面と側面


楊柳寺・楊柳観音立像 頭部....川原観音堂・十一面観音立像 頭部
楊柳寺・楊柳観音 顔部  川原観音堂・十一面観音 顔部

両像とも、小松寺・薬師像と同様に、側面が極端に薄っぺらに造られています。
全体の造形や衣文も、生硬で扁平な表現です。
また、奈良時代以前に遡るような、妙に古様な表現がミスマッチのようにみられているのです。

両像とも、その位置づけが難しいからか「市の指定文化財」という扱いしか受けていません。
制作年代については、
思いきって奈良時代以前に遡らせる見方から、
平安前期という見方、
平安後期以降にずっと下る作品という見方まで、
いろいろとあるようです。

以前、「観仏日々帖「楊柳寺 楊柳観音・十一面観音像」に、楊柳観音像と川原観音堂・十一面観音像について採り上げていますので、ご参考にご覧ください。

この3躯の仏像を観ていますと、表現の特徴や雰囲気にはそれぞれに違いはありますが、先ほど来挙げているような、不可思議な表現に似たものを持っているように感じています。

これらの像を結びつけるものが何かありそうかと云うと、全く思いつきません。
兵庫、滋賀、千葉と、全く脈絡のない地で制作されています。
共通点などではなく、全く偶然のことなどかもしれません。

しかし、私には、この3躯の仏像のことが、何故かしら気になってしまうのです。

小松寺・薬師像やこれらの像について、思うことや考えることを、ここで書くことが出来ればよいのですが、正直言って、不思議だなと思うだけで、それ以上のことはよく判りません。

今回は、念願の小松寺・薬師如来像をじかに拝して、
不思議に思ったこと、わけがわからなくなったこと、連想ゲームのように思い浮かんだこと、
などを、とりとめもなく綴らせていただきました。


やはり、気になる古仏です。


コメント

不思議な仏像

私も「仏像半島」に行って参りました。
小松寺の薬師像は実に不思議ですね。

体の薄さは、用材の制約からかと思いましたが、ここまでストレートに制約が表に出ている例も少ないため、意図的という可能性もありますね。
いったいどんな思想が背景にあってのことなのか気になりますが…。

お顔は、庄薬師堂の木心乾漆菩薩立像、
あるいは、多田寺の薬師像、十一面観音像に似ているという感じがしました。
千葉、愛媛、福井と、これまた地域的には脈絡はないですが、造立年代は近いのかもしれません。

あと、薬師様の前に並んでいた十二神将ですが、一番前のお二方が何故か一番情けないというか、怖がっているようなお顔で、楽しい配置でした。

  • 2013/06/15(土) 23:56:46 |
  • URL |
  • とら #VBkRmpN2
  • [ 編集 ]

Re: 不思議な仏像

とら様

コメント有難うございます

不思議な造形だと思います
おっしゃるように、頭部面部の造形には、奈良時代的な雰囲気を感じると思います
庄部落も多田寺(本尊も含めて)、近年は奈良時代に遡るのではないかという考え方が随分有力になっていますし・・・・・
ただ、小松寺の場合は、この2像と較べると、頭部と脚先の品字衣文以外のモデリングや衣文表現等に奈良時代的雰囲気を感じないような気がします
体奥、側面のボリューム感が無い、薄いというのは、多田寺薬師像にもその傾向がみられるようにも思えます

平安前期は、肥満型・ボリューム感で、鎬ぎ立った彫口という整理で一元的に考えないで、多様な系譜、多様な可能性の余地もありなのかななどと思いを巡らせ、よく判らなくなる昨今です

  • 2013/06/16(日) 21:01:11 |
  • URL |
  • 神奈川仏教文化研究所 #-
  • [ 編集 ]

小松寺薬師如来について

千葉市美術館「仏像半島~房総の美しき仏たち~」
小松寺薬師如来像について

 今、千葉市美術館にて千葉県の仏像の大々的展覧会が行われている。
 この展覧会に出開帳されている仏様の中で一番注目すべき仏は、小松寺薬師如来像であるといえる。
 何年か前に一度出開帳された仏であるが、その特異なお姿に、「まだ日本という国には発見があるのか」と驚嘆したものでした。

 まず、朱衣金体という天台宗の開祖最澄が、根本中堂に安置したと言われる薬師と同じ身体が金、衣が朱のお姿であること。
 横からの視点で観ると異様に薄い材で造られていること。
 使用材の背部にウロがあり別材でうめていること。
 陰刻で衣紋が彫られていること。
 服の端がめくりかえり非常に古様であること。袖の表現が薄造りで、リアルであること。
 腫れぼったい一重瞼の切れ長の眼など表情が、唐時代の副葬品である人物俑の顔に似ていて異国的であること。
 首を前に突き出し語りかけるようなお姿が、正面観賞性という古代の形式であること。
などなど、不思議な御仏である。

 延暦四年785年、天台宗開祖最澄は静寂の地をもとめて叡山に居住した。
 この時の草庵は「根本一乗止観院」と称され、薬師像を安置したという。
 これがのちの根本中堂となる建造物の原型なのである。
 創建された当時、根本中堂は現在見るような巨大な建造物であったわけではない。 根本中堂は、一乗止観院と称され、薬師堂、文殊堂、経蔵の三宇によって構成されていた。
 薬師堂は、文殊堂と経蔵の間にあったため根本中堂と呼ばれた。

 そして、その薬師如来は、朱衣金体と、印相が施無畏・与願、つまり右手をあげて左手を垂らすというものであった。
 また、股間の衣文がY字となっていること、これらは総称して「天台薬師」といわれている。

 要するに、小松寺本尊は、天台薬師の典型といえる。

 薄い用材、ウロをわざわざ埋めるなどは、この木が、霊木であったことを物語っている。
 日本人特有の自然信仰から、「神」を一柱二柱と数えるように、木に精霊が宿っていると考え、特に、雷が落ちた巨木に対して祟りや尊崇の念を抱いていたという。

 奈良時代末から平安時代にかけて薬師寺の僧景戒が著した「日本霊異記」に日本古来の自然神を仏像化して敬い抑えるという仏教説話が沢山出て来るので参照していただきたい。

 衣紋が、陰刻であることは、彦根千手寺、河内長野観心寺の僧形像を見るように唐時代、もしくは奈良時代の様式であり、正面観賞性とともに古様としかいいようがない。

 学者によっては、10世紀の作であるという人もいるが、私は、奈良末平安初期の像としておかしくないのではないかと思える。

 洗練された面貌表現から中央からの移入の可能性も考えられると思う。

  • 2013/06/28(金) 01:01:23 |
  • URL |
  • T&T #-
  • [ 編集 ]

Re: 小松寺薬師如来について

T&T 様

拙いブログをお読みいただきましてありがとうございます
また、深く詳細な考察コメントをいただきまして重ねて御礼申し上げます

まだまだいろいろと、勉強していきたいと思っております
これからも、何卒よろしくお願いいたします

  • 2013/06/30(日) 16:22:37 |
  • URL |
  • 神奈川仏教文化研究所 #-
  • [ 編集 ]

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