観仏日々帖

新刊・旧刊案内~井上正著「続・古仏 古密教仏巡歴」 【その2】


私が、井上正氏の「古密教彫像説」というものを、初めて知ったのは、昭和60年代の半ばごろのことだったと思います。

そろそろ、40歳の声を聞こうかという頃です。
書店で「古仏~彫像のイコノロジー」(昭和61年発刊)という本が出ているのを見つけて、中身をぱらぱらとめくってみました。
そこに「観菩提寺・十一面観音像」のことが採り上げられていたので、7800円と高価でしたが、思いきって買ったことを覚えています。

「古仏」.....「古仏」所載・観菩提寺十一面観音立像

何故、「観菩提寺・十一面観音像」なのかというと、
若き頃の仏像めぐりの、最後に出会った仏像として、その感動が忘れられないものであったからでした。
この仏像を拝したのが、23歳、昭和48年の夏のことです。

それ以降は、会社勤めの哀しさで、仕事仕事で追いまくられ、休日に観仏に出かけるということもかなわず、地方仏探訪に出かけることは全くなくなってしまいました。


観菩提寺を訪れたのは、会社勤めで東京勤務となった最初の夏の休暇のことでした。

学生時代古仏探訪に精を出していた延長線で、独りで岐阜・華厳寺、横蔵寺~湖南・善水寺、櫟野寺~観菩提寺というルートの観仏の旅に出かけたのです。
たしか、社会思想社「日本古寺巡礼」をポケットに突っこんで、宿の予約もせずに行き当たりばったりで巡ったのですが、その旅のラストに拝したのが「観菩提寺・十一面観音像」でした。

この仏像は、秘仏にされているようなのですが、前夜にお願いすると、ご住職が「特別に」とおっしゃって、開扉いただきました。
読経のあと厨子が開かれると、異形の十一面観音が眼前に現れました。
暗くてはっきり見えなかったのですが、目が慣れるにつれ、2メートルを超える大像がデモーニッシュな迫力で迫ってきます。
頭部がバカでかくて、アンバランスなプロポーション、分厚い唇と小鼻の膨らんだごつい鼻、異様な歪みとデフォルメが、えもいわれぬ「気」のようなものを伝えてきます。
観れば観るほどに、怪しげな霊気や凄みのあるオーラのようなものに、魅入られてしまいます。
頭をガーンと殴られて、そのまま痺れてしまったような気分でした。

その時に撮ったのが、このモノクロ写真です

三重・観菩提寺十一面観音立像

ポケットの「日本古寺巡礼」には、このように書かれていました。


「日本古寺巡礼」
「その面相は、怪奇とでも表現するよりほかないようなものである。
頭や胴がばかに大きく・・・・・いわばこの像は正統な彫刻の技法になるものでなく、地方的な要素が強く、あえていうなら山間遊行の行者たちの呪術的な信仰にささえられた像の系統をひいているように思えてならないのである。」

「若き日最後の、思い出の仏像」として、心を深く抉られた仏像であったのでした。
あの怪異な霊気、オーラのようなものは何だったのだろうと、その後も、ずっと心の中に引っかかっていたのでした。

その観菩提寺・十一面観音像が採り上げられている本なので、買ってみたのでした。


井上氏の本、「古仏」には、観菩提寺像について、このように書かれていました。


観菩提寺十一面観音立像
「その折(京博で修理中の本像を見た時)、美術の持つ力とは異なる、不思議な力の宿りを本像に感じた。
9世紀彫刻の凄い奥行きを土着の相の中に垣間見たように思った。
・・・・・・・・
二十年余りを経て筆者の年代観は変わり、この像は9世紀のものではなく、8世紀の古密教彫刻の重要な一例と考えるようになった。
いま思い起こしてみると、私が古密教彫像のさまざまな霊威表現に注目するようになった糸口のひとつは、この像にあるように思えてならない」

そして、結びには、

伊賀国阿拝郡の観音寺が、現在の島ヶ原村観菩提寺にあたるとの確証はない。
しかしその可能性は、確かに存在する。
そこに筋を求めながら、現存像の制作年代を想定すると、神亀2年(725)は、ほぼ容認しうる年代のように筆者は思えてくるのである。」

と、述べられています。

「井上氏も、この仏像の不可思議さを、こんなふうに感じていたのだ。」
と思うと、何やシンパシーが湧いてきて、この本を一生懸命に読んだ覚えがあります。

「古仏」の本に採り上げられている仏像たちは、皆アクが強くて気迫勝負のような像ばかりです。
36躯の像が採り上げられていましたが、私が観たことがあるのは、7躯だけでした。
残りの仏像たちも、是非一度は拝してみたいと思う像ばかりでした。

これら未見の仏像の探訪に出かけはじめるのは、ずっと後になってからのことになりますが、
この時から、井上正氏のこの種の著作・本について、「今度はどんな本が出るのかな?」と、大変、気になるようになりました。


「古仏」発刊の翌年、昭和62年(1987)に刊行されたのが、

「檀像」 井上正著 至文堂刊 日本の美術253号 【94P】1300円

です。

皆さんよくご存じの「至文堂・日本の美術シリーズ」の1冊として出版されました。
「檀像」.この本は、我が国「檀像」について解説した本なので、いわゆる「古密教彫像説」を主題に論じた本ではありませんが、井上氏の考え方がしっかりビルトインされた解説になっています。
檀像を「白檀像」「檀木像」「代用檀像」に区分して、「代用檀像」の世界では、霊木に神が宿るがごとくに仏像が宿り、この霊木から仏が化現する途上の有様を姿にした「霊木化現仏」の考え方が述べられています。
背中を彫り残したり、ノミ目をあらわにした木彫素木仏は、未完成仏ではなく「霊木化現」の有様を顕した完成仏であると主張されています。

そして巻末で、


「代用檀像の作例を多く検討してゆくなかで、霊木信仰との集合や歪みの造型のような特異な作風を成立させ、これを世に広めたのは、伝承のように行基菩薩ではなかったかという思いに取り付かれています。」

「この筋道(日本と中国における、檀像と代用檀像の受入と展開の関係)を正しく見究めるところから日本の彫刻史は新しく始めなければなりません。
これから日本の彫刻史は急速に新しい見直しを迫られることになりそうです。
筆者の力及ばないところは、新進の研究者が推進してくれることでしょう。」

このように語られている処が、大変印象的でありました。


そして、それから5年ほど経ちました。

平成3年(1991)「芸術新潮1月号」の表紙を見て、びっくりしました。

「美術史の革命 出現!謎の仏像 
こんな仏像もあったのか! 
1200年を経て、今、謎の仏像たちが甦る!!」

という、標題が眼に入ってきたのです。
ページをめくると、梅原猛氏と井上正氏のコラボ企画で、井上氏の「古密教彫像説」が、大々的に採り上げられ、異形の木彫仏のカラー写真が満載されていました。
この特集、翌2月号と2号連続で特集号として発刊されたのです。

第2弾の「芸術新潮2月号」の表題は、

「【出現! 謎の仏像】第2弾! 
ローカルガイド特集 謎の仏像を訪ねる旅」

というものでした。

「芸術新潮」1991年1月号....「芸術新潮」1991年2月号

これは、本当に驚きでした。

井上氏の「古密教彫像説」は、当時の美術史界に支持されているものではない、ある意味マイナーというか、異端的なものと思っていましたから、突然、日陰から日なたどころか、大スポットライトのあたる中心に出現したという感じです。
コラボの相手は、「隠された十字架」という本で、「法隆寺が聖徳太子の怨霊を鎮めるための寺」というセンセーショナルな説で一世を風靡した、梅原猛氏です。
美術史研究者の世界からすると、ちょっと筋の違う世界での採り上げられ方なのかもしれません。
しかし、天下の芸術新潮での、2号連続特集企画ということですから、世間一般の美術愛好家、仏像愛好家に与えたインパクトは、極めて大きなものであったと思います。
マニアックなオタクの世界から、メジャーリーグにデビューしたようと云ってもよいのかもしれません。

是非この2号、お読みになったことがなければ、一度、眼を通されてみることをお薦めします。
具体的内容は、本誌を読んでいただくとして、目次のインデックスとリード文に、このように書かれているのが印象的です。

「私を導いた謎の仏像」(梅原猛)


奈良時代には木彫仏がほとんどないという美術史の定説は正しいのか?
~積年の疑問を“謎の仏像たち”が解いてくれた。
各地に散在するこれら奈良朝の木彫仏こそ、縄文以来の森の文化の伝統と、新しく渡来した仏教文化の、真の融合点なのだ。

「霊木化現への道」(井上正)

神宿る霊木に仏の姿を感得し、奇跡の霊異を人々に分かち与えた僧たち・・・・・・
日本独自の木彫の発祥と、そこに常に付きまとう行基伝承・・・・
神仏習合の萌芽を霊木化現として見出した、筆者十数年の研究の結実!

流石に、芸術新潮のライターは、見事なものです。
この短いリードのコピーで、「古密教仏像説」の云わんとすることを見事に凝縮しているようです。

この特集2号は、本当に面白く興味深いものでありました。
なんといっても、アップのから写真の数々が、それぞれの仏像の発散するオーラや、尋常ならざる精神性の魅力をものの見事に引き出しています。
この異形仏の写真を一枚一枚眺めながら、

「今は仕事で忙しくて無理だけれども、ヒマができる時になったら、これらの仏像巡りを、是非是非してみたいものだ。」

と云う思いを、益々強くしたものでした。

井上正氏ご本人にとってみても、この「芸術新潮特集号」は、忘れられない思い出であったようです。
井上氏は、この時のことを、「研究生活四十余年」という小文で、このように語っています。


「行基伝説を含む私の提唱に、自ら各地を巡って確認され、強力な賛意を示されたのは、安藤佳香氏を介してお近づきを得た梅原猛先生である。
まずは、『芸術新潮』の平成3年1・2月号を霊木化現仏と行基仏の特集号とする労をとられた。
同社は総力を挙げて写真情報を満載し、難しい論文よりも視覚に直接訴えるグラフィックな方法で読者を魅了した。
写真文章ともに、私自身が思わずうなるほどの出来栄えであった。
新聞やテレビも各社がとりあげ、学術的な論争を経ることなく、一挙に一般層に私の考えが知られるようになった。」


この大反響で、井上説の認知度が一気にアップしたからなのかはよく判りませんが、「芸術新潮・特集号」と相前後して、井上氏が所論を執筆した単行本が続々発刊されます。

「神仏習合の精神と造形」平成元年(1989) 

「図説日本の仏教 巻6「神仏習合と修験」新潮社刊(50~100P)所収 【381P】 10300円

「木彫仏の流れ」「神仏習合」平成2年(1990) 

人間の美術4「平城の爛熟」学習研究社刊(82~103P)(146~167P)所収  【195P】 3500円

「7~9世紀の美術~伝来と開化~ 岩波日本美術の流れ2」平成3年(1991)

岩波書店刊 【132P】1900円

「霊木に出現する仏~列島に根付いた神仏習合」平成6年(1994) 

「民衆生活の日本史・木」思文閣出版刊(173~228P) 所収 【283P】 2625円



「図説日本の仏教」.....「人間の美術」.

「7-9世紀の美術」......「民衆生活の日本史」


それぞれの本の内容紹介は、ここでは省かせていただきますが、研究論文ではなく、一般の読者、関心の高い愛好家をイメージして書かれた文章なので、判りやすく興味深く愉しめます。
これらを読んでいただくと、井上氏の「古密教彫像説」の骨格となっている、霊木化現、霊威表現、神仏習合、呉道玄様、行基などの開基伝承といった世界と、そこから生み出される一木彫像の編年の考え方が、大変よく理解することができます。

これらの本の出版、執筆については、「研究生活四十余年」で、このように語っています。


「この筋の行きつくところは神仏習合の世界である。
従来の論と対比させ、下からの習合を説いた一論がある。(神仏習合の精神と造形)

また梅原先生は、学習研究社の美術全集『人間の美術4』(天平時代)の図版構成をすべて私に一任され、個性的な編集を容認された。
大幅に通説とは異なる自説を展開する場としては、多数の研究者が協力して成る美術全集は不向きである。
これは不意に訪れた幸運であった。

よいことは重なるもので、辻惟雄・高階秀爾さんの責任編集になる『岩波日本美術の流れ』の第2巻、7~9世紀の美術を自由に書いてみないかとというお誘いがあった。
思想史とも絡み合う新しい美術史を書こうと思い立った。
幸いにもそれまでに発表してきた数多くの小論が役立ち、その欠落部分のみを新たに執筆した。
これもまた天与の賜物であったと思っている。

最後のよいことは、林家辰三郎先生の監修になる『民衆生活の日本史・木』のなかに、霊木化現の一項を設けていただき、行基が列島の全域に定着させたであろう神仏習合思想とその遺例について述べるスペースを与えてくださったことである。
民衆生活に眼を向けることは永年の夢であった。」


さて、私は、ここ10年程前から、やっと仕事のゆとりも出始め、長年のブランクでしたが、30数年ぶりに古仏探訪に出かけるようになりました。
満を持してというわけでもないですが、「井上ワールド」で採り上げられている一木彫像も、同好の方々と共に、観仏探訪に出かけるようになりました。

随分、頑張って廻りました。
あの観菩提寺・十一面観音像ほどではないにしても、そのなかで、とりわけ強いインパクトを受け心に残った仏像をいくつか挙げると、次のようなものです。

兵庫県・楊柳寺十一面観音立像、滋賀県・大岡寺薬師如来坐像、大阪府・孝恩寺弥勒菩薩坐像、京都府・勝光寺十一面観音像、和歌山県・法音寺釈迦如来坐像、

といった処でしょうか。

兵庫・楊柳寺十一面観音立像.......滋賀・大岡寺薬師如来立像
兵庫・楊柳寺十一面観音立像              滋賀・大岡寺薬師如来立像


大阪・孝恩寺弥勒如来坐像....京都・勝光寺聖観音立像
大阪・孝恩寺弥勒如来坐像             京都・勝光寺聖観音立像


和歌山・法音寺釈迦如来坐像
和歌山・法音寺釈迦如来坐像


これらの仏像、どのように感じられたでしょうか?
制作年代の議論は、ちょっと横に置いておくとして、この
「尋常ならざる迫力、迫ってくる霊威」
に強く惹かれるものを、きっと感じられるのではないでしょうか?


30余年も前に提唱された、井上氏の「古密教彫像説」ですが、近年、じわじわと世に受け入れられつつあるような気がします。

井上氏の唱える「霊木化現仏」の考え方に賛同するようなコメントも、見られるようになってきたように思います。

もちろん、多くの一木彫古密教仏像を、奈良時代以前の制作に遡らせることに賛同することには、当然になっていません。
しかし、唐招提寺木彫群、大安寺木彫群のほかにも、多田寺像、孝恩寺像、世尊寺像などのように奈良時代に遡らせる一木彫像がありそうだという議論は、結構見られるようになってきたようです。

平成18年(2006)に、東京国立博物館で開催された、通称「一木彫展」、「仏像~一木にこめられた祈り展」は、一木彫像の優品、名品、注目像が勢ぞろいした、凄い展覧会で、皆さんきっとご覧になったことと思います。

「一木彫展図録私は、この時の図録に掲載された論考の記述を見て、ちょっとびっくりしたというか、大注目という気がしました。

岩佐光晴氏の「初期一木彫の世界」という論述には、


「このように、一木彫成立期にも前代から継続する多様な木彫像の様態が存在したとみるべきであろう。
そうした木彫像の多様な土壌があったからこそ、檀像と栢木概念によって一木彫が成立すると、木を介しての神仏習合とも連動して、大きなうねりとなって、木彫像がより深く日本の社会に浸透していくことになったと云えるのではなかろうか。
『霊異記』に語られる木彫像に関する説話は、ややもすると一律に一木彫成立と関連する史料として読まれがちであるが、むしろ木彫像のあり方にはいろいろな造像環境において、多様な状況が存在していたと見るほうが、当時の社会状況をより幅をもって捉えることができるように思われるのである。」

金子啓明氏の「木の文化と一木彫」という論述には、

(鉈彫像を採り上げ、そのなかでも西住寺宝誌和尚立像に注目して)
「こうした変化変身のプロセスの只中における霊異的、怪異的なテーマの像に鉈彫りが用いられたことは、ノミ目を留める表現がまさに霊的な現道性と密接にかかわることを示しており、尋常でない神秘的な現象が、ただ今発生中であることを暗示している。
このように鉈彫は、仏や神の霊木からの化現や、皮膚を破って本体が出現するという劇的なドラマを演出し、霊がそこに今まさに発動していることを、人に印象付けたことであろう。」

西住寺宝誌和尚立像....西住寺宝誌和尚立像顔部
西住寺宝誌和尚立像
このように、語られていたのでした。

井上氏の「古密教彫像」への考え方が、結構、取り入れられているように思いました。

なんといっても、東京国立博物館で開催された大展覧会の図録の論述です。

「東博の図録に、このような考え方が、書かれるようになってきたのか!
「異端的だった井上氏の考え方も、一部ではあるけれども、市民権を獲得しつつあるのかな?
一木彫への考え方も、変化しつつあるのかな?」

と、そんな気がちょっと感慨深くいたしました。


「古仏」発刊以来、40年余を経て「続・古仏」が発刊されたのも、このような流れがあるからなのでしょうか?

実は、井上氏は、日本美術工芸に古密教彫像についての連載を、3部作で執筆しています。
昭和57年(1982)から、平成6年(1994)まで、12年かけての連載でした。

第1部は、「古仏巡歴」と題されたシリーズで、昭和61年「古仏~彫像のイコノロジー」として単行本化されました。


最新情報ですが、『新装版 古佛―彫像のイコノロジー―』が、5月に発刊されるとのことです。

第2部は、「古密教彫像巡歴」と題するシリーズで、今般(2012)「続・古仏 古密教彫像巡歴」として、単行本化されました。

第3部は、「古仏への視点」と題されたシリーズです。
「続・古仏」のあとがきによると、
この「古仏への視点」も「本書に引き続いて出版をめざしたい」
と、書かれています。

数年後の出版になるのかもしれませんが、是非、近いうちに刊行されるようになってほしいものです。

コメント

井上正の論点

井上正氏の論点は、おおざっぱに言えば、1 代用檀像
2 行基伝説
3 霊木化現
というキーワードであらわされると思います。
1の代用檀像については、『学叢』3・5・6に論文がありますが、2の行基伝説、3の霊木化現については、この『日本美術工芸』の連載からはじまりました。しかし、この連載は論文というよりも、エッセイに近いものでした。現に、その論拠とすることが、実にあいまいで、最初は単なる提案のような書き方で、執筆していくうちに何となくその論が定着していくような雰囲気をつくっていっているようです。
しかし、この論は、正式な論文として世に問うていないのです。そのことは、ちゃんと理解しておくべきでしょう。
現に、山本陽子氏は、神の宿る霊木にノミがどうして入れられるのか?といっています。霊木が祟るという伝承に対してどう説明できるのかが、井上正氏の説の最大の問題点だとおもいますが、いかがでしょう。

  • 2013/04/12(金) 23:05:45 |
  • URL |
  • 加藤春秋 #-
  • [ 編集 ]

Re: 井上正の論点

加藤春秋様

コメント頂戴し、有難うございます。
色々、つまみ食いしてフィーリングで書いたようなものばかりで、お恥ずかしい限りです。
専門的なしっかりしたところがなく感想文のようなものですが、仏像趣味や愛好の方々と共に、いろいろな興味や関心を深めていくことができれば、また自身の励みにもなればと、臆面もなくやらせていただいております。

春秋堂日録の「霊木化現という考え方」に、井上氏の執筆文を網羅頂いており、大変勉強になりました。
おっしゃるように、井上氏の「日本美術工芸」の連載シリーズは、エッセイ風のものがおおく、開基伝承時に遡る可能性をほのめかすというような書かれ方が多いようですね。
そういう意味では、雰囲気先行といったような感じなのでしょうか。

山本氏の「祟る御衣木と造仏事業」の論文は、大変興味深く面白く読ませてもらいました。
わたくしには、どの考えが最も的を得ているのか判りませんが、対象となっている仏像たちは、魅力を感じるものばかりです。

これからも、ご教示よろしくお願いいたします。

  • 2013/04/15(月) 09:24:08 |
  • URL |
  • 神奈川仏教文化研究所 #-
  • [ 編集 ]

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  • 2014/12/07(日) 12:50:19 |
  • |
  • #
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