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観仏日々帖

古仏探訪~2019年・今年の観仏を振り返って 〈その5〉 11~12月 【2020.02.01】


【11月】


【やっとのことで拝観叶った、興福院の阿弥陀三尊像】


長らく一度拝したくて叶わなかった、興福院の阿弥陀三尊像を拝することができました。
11月の数日、期間限定で拝観できることになったのです。

観仏リスト01(興福院)

興福院・阿弥陀三尊像は、数少ない奈良時代の木心乾漆像の貴重な作例です。
像高は90㎝近くある大型像の優作なのです。

興福院は「こんぶいん」と訓みます。
奈良市内、佐保路にあるお寺なのですが、この阿弥陀三尊像、なかなか拝観が叶いません。
厳重な秘仏という訳ではなく、その昔は、いつでも拝観できたようなのですが、長らく拝観は謝絶となっているのです。
私も、何度か拝観のお願いの連絡をしたことがあるのですが、叶いませんでした。
私同様、一度はこの仏像を拝したいと思われていた方は、結構いらっしゃるのではないかと思います。


〈11月、数日限りの特別公開~急遽、奈良へ駆け付け〉


それが令和改元の記念ということで、11月6~8日と22~24日の6日間、一般公開されることになったのです。

この情報を知ったとき、
「このチャンスを逃すわけにはいかない。何としても、駆け付けなければ!」
と、急遽、奈良へ出かけることにしました。

公開初日の11月6日に、興福院を訪ねました。
佐保路から興福院の石碑を北向きに曲がり、閑静な細い参道をしばらく歩くと、興福院の山門が見えてきます。

興福院への参道

興福院・山門
興福院への参道と山門

待望の一般公開であったのでしょう。
平日であったのにもかかわらず、結構多くの方が拝観に訪れられていました。

興福院 本尊御開帳の掲示板
山門前の興福院 本尊御開帳の掲示板


〈堂々たる天平の木心乾漆像~豊満で弾力感ある肉身表現が魅力的〉


目指す阿弥陀三尊像は、本堂に祀られています。

興福院・本堂
興福院・本堂

内陣の須弥壇上に安置されていて、拝観は外陣からということで数メートルの距離はありましたが、堂内はたいへん明るく、はっきりとその姿を拝することができました。
期待通りの、堂々たる三尊像です。

興福院・阿弥陀三尊像

興福院・阿弥陀三尊像...興福院・阿弥陀三尊像
興福院・阿弥陀三尊像(奈良・重文)

いかにも天平後期、ちょっと爛熟した写実的造形の仏像です。
三尊とも江戸時代といわれる金箔、金泥彩の塗り重ねによって、像容がやや損じているのがちょっと残念です。
三尊共に、面部に後世の手が加えられたと思われるところあるそうです。

とはいっても、肉身の造形は、天平彫刻らしくなかなか魅力的です。
斜めの方向から、双眼鏡で阿弥陀像の体躯をじっくり観ると、胸から腹にかけての厚みのある肉付けはまさに天平風、豊満な弾力感を強く感じ、惹きつけられます。

この阿弥陀三尊像は、桃山時代に興福院が再興されたときにその本尊に迎えられたらしく、それ以前の伝来は明らかではありません。
X線撮影などによると、一木式の木心の乾漆像だということです。

ついに、念願の興福院・阿弥陀三尊像を拝することが叶いました。
この特別公開を企画実現された事務局の方に感謝しつつ、まだまだ後ろ髪を引かれる様な気持ちで、興福院を後にしました。



【知足院・地蔵菩薩像の特別公開に、東大寺ミュージアムへ】



観仏リスト02(知足院)

興福院の後は、東大寺・知足院の地蔵菩薩像が東大寺ミュージアムで特別公開されているので、観に行きました。

知足院の地蔵菩薩像は、鎌倉時代の美しい像で重要文化財に指定されています。
この地蔵像、年に一日、地蔵会(7/24)の日に限り、開扉拝観できるだけで、普段は非公開で拝することができません。
2年前(2017)、奈良博「源信展」で観て以来です。

東大寺ミュージアムでは、ガラス越しですが眼近に観ることができました。
衣の截金文様が華麗で、理知的な表情が印象的な地蔵像でした。



【6年ぶりの興福寺南北円堂、同時特別公開へ】


ついでに、興福寺に寄りました。
興福寺の南円堂と北円堂が同時特別公開されていました。
南北円堂の同時特別公開は、6年ぶりとなるそうです。

興福寺 南北円堂同時特別開帳チラシ

南円堂の康慶作諸像、北円堂の運慶作諸像をゆっくりと拝し、それぞれの傑作像を、見比べてみることができました。
寺外に出て、展覧会出展されたことのない、南円堂・不空羂索像、北円堂・弥勒像の2躯に、とりわけフォーカスして拝しました。

北円堂の弥勒像は、運慶作品の中でも、落ち着いた「玄人好みの仏像」とよく言われます。
私は、なかなか「玄人好み」には成り切れないようです。




1泊2日で、
三重県博「三重の仏像展」、大阪市美「仏像 中国・日本展」、岡山・理性院の秘仏薬師像御開帳、大津歴博「大津南部の仏像」
を、一気に回りました。

結構、遠距離ルートで、アグレッシブなスケジュールです。



【三重県博で開催の「三重の仏像展」へ】


まずは三重県総合博物館で開催された「三重の仏像~白鳳仏から円空まで」展です。

三重の仏像展チラシ

三重県総合博物館の開館5周年を記念した企画展だそうです。
三重県総合博物館・MieMuには、初めて行ったのですが、立派な大きな博物館でビックリしました。

三重県総合博物館
三重県総合博物館


〈三重県の主だった仏像総結集の展覧会~もう当分は望めない、これだけの仏像展〉


「三重の仏像~白鳳仏から円空まで」展は、

開催趣旨に
「三重県総合博物館で初めての、県内では16年ぶりの本格的な仏像の展覧会です。」
と、記されている通り、三重県内の主だった仏像が結集すると云って良い、凄い仏像展です。

平安・鎌倉期の仏像を中心に、約70件の仏像が一堂に展示されました。

三重の仏像展チラシ
三重の仏像展チラシ

三重県の仏像は、結構レベルの高い優作が多いのですが、主だった仏像のほとんどすべてが出展されているといって過言ではありません。
三重の主要仏像のなかで、出展されなかったのは、朝田寺・地蔵菩薩像、観菩提寺・十一面観音像、近長谷寺・十一面観音像ぐらいではないでしょうか。
いずれも、出展が困難なのは納得という仏像です。

よくぞこれほどの仏像展が、実現されたものです。
関係者の方のご尽力は大変なことであったことでしょう。
もう当分、これだけの「三重の仏像展」は、開催されることは無いだろうと思います。

私の好きな平安前中期の仏像だけでも、

慈恩寺・阿弥陀如来像、常福寺・千手観音像、瀬古区・十一面観音像、普賢寺・普賢菩薩像、伊奈富神社・男神像、光善寺・薬師三尊像、松阪薬師寺・薬師如来像、西盛寺・薬師如来像

などなど、見どころ十分の優作が目白押しでした。

いちいちふれだすと、もうキリがありませんので、やめておきます。


〈大注目は、新発見の快慶仏 2体初公開~安楽寺・阿弥陀如来像と地蔵菩薩像〉


この展覧会のもう一つの大注目は、チラシなどに

「新発見の快慶仏 2体初公開!」

とのキャッチコピーがなされていることでした。

新発見・快慶仏の2体とは、松阪市にある「安楽寺の阿弥陀如来像、地蔵菩薩像」のことです。

安楽寺・阿弥陀如来像~快慶作.安楽寺・地蔵菩薩像
(左)安楽寺・阿弥陀如来像、(右)地蔵菩薩像


〈阿弥陀如来像は、2009年新発見、足ホゾに快慶名在銘〉


安楽寺・阿弥陀如来立像の方は、2009年に発見紹介された像です。

2017年4月に奈良国立博物館で開催された「快慶展」には出展されなかったのですが、図録に、展覧会未出陳快慶作品として紹介されました。
図録には、像容写真と「巧匠法眼快慶」と判ぜられる足ホゾ墨書名写真が掲載され、新出の快慶作品として知られることとなりました。
展覧会に出展されるのは、今回が初めてです。


〈存在を全く知らなかった、同じ安楽寺の地蔵菩薩像〉


同じ安楽寺・地蔵菩薩像も快慶作品だということですが、私は、この地蔵像のことを全く知りませんでした。
快慶作とする根拠等が、どのように解説されているのか、興味津々でした。

2体の快慶作という仏像は、並んで展示されていました。
どちらも、流石に快慶作といわれるのもなるほどという、繊細精緻で整った造形です。

私には、仏像の形姿から快慶作と見極めることができる眼力など無いのですが、図録の解説によれば、

「阿弥陀如来像は、足ホゾの快慶銘から」
「地蔵菩薩像は、作風から」

快慶作品とされているようです。


〈地蔵菩薩像は、2017年に発見紹介~作風から快慶作との判断〉


地蔵像の方は、墨書銘など発見されていませんので、作風だけから快慶作品と断定するのは、なかなか難しいように思うのですが、展覧会図録解説では、

「本像には銘文等は確認されないが、作風から判断して鎌倉時代、それも 快慶の作と判断して間違いない。」

と述べられていました。

この地蔵像は、2017年に新たに発見紹介されたものです。

阿弥陀如来像、地蔵菩薩像、両像の発見紹介者である、藤田直信氏の執筆論考では、地蔵菩薩像について、藤田美術館蔵の快慶作・地蔵菩薩像の作風と近似することなどから、

「作風から判断して、快慶自身もしくは快慶が構えた工房で制作されたとみて問題なかろう。」(「松阪市安楽寺とその仏像」三重の仏像展図録所載論考)
「面貌表現にやや違和感を覚えるものの、・・・・・・作者は快慶もしくはその周辺人物と比定したい。」(「安楽寺木造地蔵菩薩立像について」三重の古文化102号)

と記されています。

図録解説とは、微妙にニュアンスが違うようです。

なお、この地蔵像は台座墨書から奈良の眉間寺旧蔵の仏像であったことがわかるそうです。
眉間寺は、明治の神仏分離、廃仏毀釈で、廃寺となり跡形もなくなった大寺です。
快慶作の仏像があっても何の不思議もない由緒の寺です。


〈「錐点」の痕跡で知られる成就寺・大日如来像も出展〉


もう一つだけ、展覧会で目を惹いた仏像にふれておきます。
錐点の痕が沢山みられる像として知られる、成就寺・大日如来像(平安後期・県指定)が出展されていました。

成就寺・大日如来像~面部に多数の錐点痕.成就寺・大日如来像の錐点痕の図(山崎隆之著「仏像の秘密を読む」掲載図)
成就寺・大日如来像と面部の錐点痕の図(山崎隆之著「仏像の秘密を読む」掲載図)

面部のおよそ20か所にも錐点の痕が確認されるそうです。
双眼鏡で錐点痕を一生懸命に探したのですが、私には、その痕がハッキリとはわかりませんでした。
仏像制作技法としての「錐点」と成就寺・大日如来像については、観仏日々帖「京都展覧会巡りで目を惹いた仏像 ③浄瑠璃寺・大日如来像」ふれさせていただきましたので、ご覧いただければと思います。


大満足の「三重の仏像展」でした。
ほんの少し残念だったのは、照明がちょっと仏像向きではなかったこと、図録の掲載写真がもう少し鮮明シャープだったらよかったなということでした。



【三重から大阪へ~大阪市美開催の「仏像 中国・日本」展へ】


三重から、近鉄で大阪へ。
次は、大阪市立美術館で開催の「仏像 中国・日本」展です。

「仏像 中国・日本」展チラシ

「中国彫刻2000年と日本・北魏仏から遣唐使そしてマリア観音へ」というサブタイトルで、中国歴代の仏像に流れを、日本の視点から読み解くという展覧会です。
中国の仏像の歴史をベースに、これに対応する日本の仏像をたどるという、これまであまりなかった切り口の興味深い展覧会です。
中国初期から清時代までの仏像の特徴、歴史を観ながら、これに関連する日本の仏像を同一空間に並べる比較し確認するという展示スタイルになっていました。
中国の古代仏像は、館蔵の山口コレクションの優品が展示されていました。

注目仏像についてふれていくと、これまたキリがないのでやめておきます。


〈今更ながらに実感~中国製檀像の精緻、硬質感ある彫技〉


印象的だったのは、中国製の檀像の彫技が、圧倒的に精緻で硬質感があることです。
堺市博蔵・観音菩薩像(隋代)、山口神福寺・十一面観音像(唐代)の2躯の中国製檀像が展示されていましたが、胸飾や瓔珞の彫技の精緻硬質感のすごさは、日本製の檀像彫刻と比べて全然違うなと感じました。

今更ながらの当たり前の感想ですが、再々認識したという処でしょうか。


〈近年、小浜市の浜辺に漂着した、不思議な「烏将軍」像も出展〉


もう一つ、大変興味深かったのは、平成2年(1990)に小浜市の浜辺に打ち上げられた漂着仏が展示されていたことです。
元~明代の迦楼羅王像(現在、若狭歴史博物館蔵)で、不思議なことに赤い布に包まれて浜に漂着したのだそうです。

小浜市への漂着仏~迦楼羅王像
小浜市への漂着仏~迦楼羅王像(烏将軍と記される)

像容は迦楼羅像ですが、台座には「烏将軍」と記されています。
中国から漂流したものとは考えにくく、中国船に守護神として祀られていたものが、何らかの要因で、日本近海で落下し流れ着いたのかもしれないということです。


この日は、姫路で泊まりました。
夜は、姫路おでんの人気店「酒饌亭 灘菊」で。

「酒饌亭 灘菊」
「酒饌亭 灘菊」

蔵元・灘菊酒造の直営店で、安くて美味い、にぎやかな居酒屋でした。
調子よく飲んでしまいました。
明日の理性院・御開帳に向けて、愉しく盛り上がりました。



【30年に一度の秘仏御開帳~岡山理性院の薬師如来像拝観へ】


観仏リスト03(理性院)

岡山 松本寺理性院の薬師如来像の御開帳に訪れました。
一度は拝したい平安古仏でした。

松本寺理性院は備前市吉永町にあり、本尊・薬師如来像は厳重な秘仏で、30年に一度の御開帳なのです。
今回は、平成元年以来の御開帳で、11/16~17の2日間に限り開帳されました。
平安中期、10世紀ごろの制作とみられ、県指定文化財に指定されています。

理性院は、のどかな田園風景の山裾にありました。

岡山 松本寺理性院・山門
岡山 松本寺理性院・山門

30年に一度の御開帳ということなので、多くの方が来られているのではないかと思っていたのですが、ちらりほらりと参拝の方が見える程度でした。


〈古様だけれど、穏やかで鄙なる親しみを覚える平安古仏〉


秘仏の薬師如来像は、本堂中央の厨子の中に祀られていました。

理性院・本堂

理性院・本堂内の薬師像が祀られる厨子
理性院・本堂と堂内の薬師像が祀られる厨子

厨子の真ん前まで近寄って、眼近に拝することができました。

理性院・薬師如来像(平安・県指定)
理性院・薬師如来像(平安・県指定)

一見して、なんとなく親しみを感じさせるお姿です。
形姿は古様なスタイルではあるのですが、随分穏やかで優しい雰囲気です。
また、地方色を色濃く感じます。

襟元の衣文には渦文もあり、膝前は翻波式の衣文のスタイルもあるのですが、彫りは浅目で平安前期風の名残りといった印象を受けました。
膝前は別材の一木造りで、内刳りはないそうです。

「古様を留めながらも、穏やかさが増した、平安中期以降の地方作」

というのが、私の印象です。


〈「霊木化現」表現の薬師像~背面省略なのか、化現表現なのか?〉


薬師像は厨子に祀られていて、側面背面から拝することができませんでしたが、背面の衣文表現は省略されていて、後頭部の螺髪も刻まれていないということです。

理性院・薬師如来像の背面
理性院・薬師如来像の背面
いわゆる「霊木化現」の表現のスタイルです。
お寺で頂戴した、土井通弘氏による本像の解説には、

「後頭部及び背面を彫刻しないこの表現は、薬師如来が木(神木)の中から、まさに今姿を現しつつある最後の場面と考えるのが、合理的な結論ではないでしょうか。」

と、述べられていました。

この解説のように、こうしたタイプの造形表現の仏像を「霊木化現仏」と考える見方が、近年増えているように思うのですが、

「霊木化現表現なのか?」、「正面から見えないところの背面省略表現なのか?」

なかなか悩ましいように、最近感じるようになりました。

個人的には、
「地方仏的な像には、背面などの造形表現を簡略化、省略しただけという古仏も、それなりに存在するのではないだろうか」
という気もするのですが、如何でしょうか。

内陣の奥に安置されていた増長、多門の二天像が、目を惹きました。
小像ですが、平安中期ごろに遡りそうな古様で、パワフルな造形で、ちょっと注目でした。

理性院・四天王像理性院・四天王像
平安古仏かと思われる理性院・増長多聞天像

拝観を終えると、境内で、檀家の皆さんによる温かいおうどんの御接待になりました。
美味しく頂戴し、ほっこりした気持ちで、理性院を後にしました。


理性院から車で10分もかからないところに「閑谷学校」があったので、ついでに寄ってみました。
閑谷学校は、江戸前期に岡山藩によって開かれた、日本最古の庶民のための学校で、講堂は国宝に指定されています。

閑谷学校
閑谷学校

こちらの方は流石によく知られる名所、閑散としていた理性院とは大違いで、多くの見物客で混雑していました。
この日は、紅葉時の日曜日、一番人出の多いころだったのかもしれません。



【大津歴博の「大津南部の仏像」展へ~朝は岡山、午後は大津】


この後、姫路から新快速電車に乗って、大津へ。
大津市歴史博物館で開催の「大津南部の仏像」展に行きました。

「大津南部の仏像」展チラシ

大津市歴史博物館では、折々、興味深い仏像企画展が開催されていますが、今回は「旧栗太郡の神仏」をテーマにした企画展です。
旧栗太郡というのは、大津市の瀬田川から東の地域で、現在の草津市や栗東市、守山市の一部にあたります。
40件余の仏像が出展されていました。
初見の仏像も10件近くあって、なかなか興味深い仏像展でした。


〈嬉しい撮影OKにビックリ~出展の九品寺・聖観音像〉


展覧会では、大津市九品寺の聖観音像が参考出品され、なんと写真撮影OKとなっていました。
九品寺・聖観音像は、平安中期ごろの優作で、2014年に重要文化財に指定された仏像です。

撮影OKとなっていた九品寺・聖観音像
撮影OKとなっていた九品寺・聖観音像(平安中期・重文)

最近、仏像展も写真撮影OKとするケースが、ちらほらみられるようになりました。
今年(2019年)に開催された仏像展では、東博「東寺展」で講堂帝釈天像が撮影OKとなっていましたし、和歌山県博「仏像と神像へのまなざし展」では、全展示仏像が撮影OKとなりました。
このほかにもブロガー向け写真撮影可内覧会が企画される仏像展もちらほらみられるようになりました。
画期的なことで、仏像愛好者にとっては、大変嬉しいことです。

私も、九品寺・聖観音像の、切れ長の目が印象的な美しいお顔や、見事な彫り出しの腕釧などを、しっかりとカメラに収めました。

九品寺・聖観音像九品寺・聖観音像

九品寺・聖観音像
九品寺・聖観音像の顔部と腕釧


一泊二日にしては、三重~大阪~岡山~大津と強行軍のてんこ盛り行程となってしまいました。

流石に、ちょっと疲れました。
齢を考えてスケジューリングせねばと、反省です。



【12 月】

師走、12月は観仏にはどこにも出かけなかったのですが、奈良には足を運びました。


【「平城薬師寺をめぐるシンポジウム」を聴きたくて、奈良へ】


11月30日に、奈良博で、仏教芸術学会主催による「平城薬師寺をめぐるシンポジウム」が開催されました。
まさに興味津々のテーマでしたので、思い切って泊りがけで出かけることにしたのでした。

「平城薬師寺をめぐるシンポジウム」チラシ

「平城薬師寺をめぐるシンポジウム~「伽藍を移す」ことの意味を考える」と題するシンポジウムです。
ご覧のような講演プログラムでした。

「平城薬師寺をめぐるシンポジウム」プログラム


〈やっぱり難しい金堂薬師三尊の本薬師寺移坐・天平新鋳論争
~講演の藤岡穣氏は天平新鋳派〉


約4時間、みっちり各分野からのお話を興味深く聞くことができました。
私にとっては、薬師寺金堂・薬師三尊像が

「藤原京造立、本薬師寺からの移坐なのか?平城京での天平新鋳なのか?」

という大論争問題について、どんな話が聴けるのかが、興味津々でこのシンポジウムに出かけてきたようなものでした。

藤岡穣氏による「技法・金属組成・様式からみた薬師寺像と山田寺像」という講演がありました。
藤岡氏は「天平新鋳」とみる、お立場でした。
勿論確証はないということでしたが、作風、技法、科学的(金属組成)分析の結果を総合すると、山田寺像とは相応の制作年代の差を認めて、天平新鋳と見たいというお話であったのではないかと思います。

2015年の奈良博開催の「白鳳展」では、持統朝藤原京制作・移坐が強く主張されていましたが、この大論争、これからも簡単には決着がつくという訳にはいかないようです。


夜は、奈良在住の同好の方と、愉しく一杯やりました。
居酒屋好きの世界では、よく知られる「鬼無里」です。

「鬼無里」
「鬼無里」

シンポジウムにもご一緒だったので、「素人の好き勝手な薬師寺論争」を酒の肴に、大いに盛り上がり、大いに飲んでしまいました。



【眉間寺址、奈良きたまちをブラリ散策】


翌日は、仏像はパスして、奈良のきたまち界隈を散策しました。

一度訪ねてみたいと思っていた「眉間寺址」へ行ってみました。
佐保山の聖武天皇陵、光明皇后陵のほど近くにあります。

聖武天皇陵
聖武天皇陵

伽藍址などが残されているわけではなく、今では、「眉間寺遺蹟」と刻された石碑が道路脇にポツリと据えられているだけです。

「眉間寺遺蹟」と刻された石碑
「眉間寺遺蹟」と刻された石碑

ご存じの通り、眉間寺は聖武天皇創建を伝える大寺でしたが、明治の廃仏毀釈で完全に廃寺となり、跡形もなくなってしまいました。
眉間寺伝来の仏像としては、東大寺勧進所に祀られる3躯の如来坐像(平安~鎌倉)などが知られています。
11月に「三重の仏像展」で観た、快慶作仏像発見とされた安楽寺・地蔵菩薩像も眉間寺伝来の仏像ということでした。
そんなこともあり、眉間寺址を訪ねてみたくなったということです。

そのあと、「奈良きたまち」をブラリブラリと歩いてみました。
法蓮格子の家並み、奈良女子大の記念館、きたまち交番など、「きたまち」ならではのちょっとレトロな情緒を、しばらくぶりに味わいました。

法蓮格子の家並み
法蓮格子の家並み

奈良女子大記念館
奈良女子大記念館

きたまち交番(現観光連絡所)
きたまち交番(現観光連絡所)

何もない処だと思っていた「きたまち」でしたが、シャレたお店や、喫茶店などが随分増えていて、ちょっとビックリしました。
「奈良まち」の方は、近年、様変わりでにぎやかな町になっていますが、「きたまち」もこれから同じようになっていくのでしょうか。
昔ののどかさを思い出すと、ちょっと微妙な気分でした。

お昼は、三条通の蕎麦「かえる庵」。

「かえる庵」
「かえる庵」

つまみと十割ざる蕎麦で、冷酒を一杯。
ちょっとほっこりして、帰京しました。



5回にわたって書き綴ってきた「2019年・今年の観仏を振り返って」も、やっとのことでおしまいです。

だらだら長々とした観仏記、年越しになって随分かかってしまいました。
こんな自己満足的な話に、辛抱してお付き合いいただいて、有難うございました。

一年総まくりで、こんなに長い観仏記をまとめて掲載するというのは、ちょっと考え直した方がよいのかなという気もしてきました。
書き手の方も、少々お疲れ気味です。
今年は、何回かに区切って、ご紹介することも考えてみたいと思います。

よろしくお付き合いいただけますよう、お願いいたします。


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